丸目長恵(剣豪)

登録日: 2009/12/07(月) 16:40:01
更新日:2023/07/07 Fri 20:45:27
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1540年生~1629年没

戦国~江戸初期の剣豪。

名前の読みは「ながよし」


肥後八代(熊本県八代市)に生まれ、熊本を治めていた相良氏に仕える。

16歳の時、薩摩の野武士集団に襲われた際、初陣ながら父と共に返り討ちにする。

19歳の時、剣術を学びに京へ赴き、そこで上泉信綱と出会い、弟子入り。
将軍・足利義輝の前で信綱と共に演舞を行い、義輝より感状を与えられた。

その後何回か熊本と京を往復し、27歳の時、遂に信綱より新陰流の印可を与えられた。

29歳の時、相良家の城が島津家に攻められた。この際、長恵が敵の策に乗せられてしまったせいで相良家は大敗、責任を負わされ謹慎処分となる。

謹慎中に信綱が病没。
それを悲しんだ長恵は日夜鍛練に精を出し、新陰流に己の技を加えた『タイ捨流』を創始した。


47歳の時、相良家が豊臣秀吉に従属。
この頃には九州全体にタイ捨流が広まっており、鎮西一の豪傑と名高い立花宗茂も弟子になっている。

そして1629年、89歳という長寿を全うして死去。




【タイ捨流】

最大の特徴は、右半開に始まり左半開に終わり、必ず袈裟斬りに終わる独特な構えにある。

『殺す』のが目的の剣術ではないので、相手の戦闘能力を奪う技(小手や足斬など)が多い。

また空手や古武道などを参考にした素手での技も多く、接近戦において無類の強さを発揮する。



タイと仮名で書いてある理由は
『体と書けば体を捨て、待と書けば待ちを捨て、対と書けば対峙を捨てる。仮名に書きたるは心通じ心広く達する意なり』

と免許皆伝目録に記してある。

  • 【フィクションにて】
    • 終末少女幻想アリスマチック
      • 主要キャラそれぞれが伝統剣技を習得しているという世界観のエロゲ。
        主人公「丸目蔵人(まるめ・くろうど)」のその名前は長恵のあだ名「蔵人佐(くらんどのすけ)」から来ている。
        現代に生まれギターを趣味にする若者だが、タイ捨流を深く修めて「敵の剣を直に足で蹴って逸らす」というクソ度胸技もやってのける若き剣豪。
        「蔵人」を「くろうど」と発音するのは西欧っぽいよねぇwと茶化すシーンがある。
        どうやら転生か何かの因縁があるらしく、生前の丸目長恵公の記憶を夢に観るシーンがある。「へえ、(おい)、師匠に勝てるけ?何年、かかるけね?」
追記・修正よろしくお願い致す

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最終更新:2023年07月07日 20:45