火垂るの墓

登録日:2009/08/05 Wed 05:26:45
更新日:2024/02/15 Thu 13:40:12
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「4歳と14歳で、生きようと思った」



「火垂るの墓」とは、1968年に出版された野坂昭如作の小説である。

本項では、それを原作としたメディア作品についても述べる。

概要

彼の戦争体験を元に執筆されており、この作品*1で野坂は直木賞を受賞した。

原作者の野坂は、生前「自分の妹が衰弱死した時、思わずほっとしてしまった薄情さ」に対しての後ろめたさを投影して書いたと語っている。
また、野坂自身の戦争体験を元に書かれた作品のために、清太は少年時代の野坂の分身とも言えるが、
野坂当人は自分ひとりで面倒を看なくてはならなかった妹を疎ましく思い、食糧難に陥ってからは食べ物も満足に与えなかった結果妹を餓死させてしまっており、
妹へのせめてもの贖罪と鎮魂の想いを込めてこの作品を書く際、清太を妹想いの兄として設定したという。

+ 詳細な経緯について
野坂の生母は出産後2~3ヶ月で他界しており、生父は愛人と再婚するにあたり長男長女はともかく赤子は相手に負担がかかるだろうと生後半年で生母の妹夫婦に養子に出された。
2人の義妹(こちらも養子)がいて、1人目は1941年11月に生後9ヶ月で病死、2人目が節子のモデルである。*2
神戸大空襲で貿易商だった父は死亡、母は大火傷を負って入院。
親戚の叔母さん(養父の従兄弟の妻)の娘は4人居て、女学校5年(今で言うと高2)の三女とはラブロマンスがあったという。
母は退院後、祖母(養父の生母の姉。養父の養母)が疎開している養父の弟夫婦の近所へ。
母と祖母の間には深い確執があり、野坂は2人の元で一緒に暮らすことを嫌がる。*3
また叔母さんの所も食糧事情が悪化、野坂は幼馴染のツテで福井へと疎開することになるが、母は空襲により歩くのがやっとなのでまだ1歳3ヶ月の妹を託される。
こうして福井で妹と二人暮らしすることになり、終戦前後の食糧事情の悪化を受けて……。
昭和20年8月22日、1歳4ヶ月で没。妹の骨を入れたのは胃腸薬アイフの缶だった。
その後、母と祖母の元で暮らし、祖母が亡くなると夏休みによく行っていた母方の祖母の東京の家で暮らし、土木系公務員から新潟県副知事になっていた生父*4に引き取られた。

1988年に公開された劇場用アニメとして公開され(脚本・監督:高畑勲)、2005年にテレビドラマ化、2008年に実写映画化された。


アニメ映画

原作の小説を忠実に再現して制作され(詳細後述)、そのクオリティの高さや、戦争を扱ったストーリーということもあり高い評価を受けている。

となりのトトロの同時上映として企画され、本来は上映時間がそこまで長くない予定だったが宮崎・高畑両監督が頑張りすぎて長編アニメになったのだが、東映宣伝部の消極的な態度や春休みという微妙な時期の影響で興行収入はあまり伸びなかった。

後に戦争教育の一環として学校で授業として鑑賞、あるいは毎年夏に『金曜ロードショー*5で放送されたものを見たことある人も多いだろう。

完成が間に合わず公開当初は未完成のまま公開されたシーンもあった(公開中に随時差し替えられた)。

監督自身は本作は反戦映画ではないと主張し(第2次世界大戦を扱った関係上そう見られても仕方ないとは認めている)、
兄妹が2人だけの閉じた家庭生活を築くことには成功するものの、周囲の人々との共生を拒絶して社会生活に失敗していく姿は現代を生きる人々にも通じるものであり、特に高校生から20代の若い世代に共感してもらいたいと語っている。

当時劇場では、トトロでほんわかした次にこれを見せられるというジェットコースターもかくやの強烈な落差にガチトラウマを植え付けられたお子様が大発生。
2作鑑賞後はすすり泣きやマジ泣きで阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されたとかなんとか。

あらすじ

昭和20年9月21日、清太は三ノ宮駅で死んだ
駅員が彼の持っていたドロップの缶を投げ捨てると、缶からこぼれ出た骨と共に蛍が舞い始める。

その数ヶ月前、清太と節子の兄妹は神戸を襲った空襲で家と母親を失い、親戚の叔母のところに居候することになる。
しかし叔母の態度に嫌気がさした清太は家を出て2人で防空壕に住み始めるが……


登場人物

演者はテレビドラマ/実写映画の順。

清太

声:辰巳努 
演:石田法嗣/吉武怜朗

いきなり冒頭で死んだ主人公。14歳。
優しく妹思いな少年だが、海軍のエリート士官の息子ということもあってかプライドが高く、自分から積極的な行動をあまり起こさなかったり他人の言うことを素直に聞かない頑固な一面がある。
映画は死んで霊(?)となった彼の回想として語られる。
父親がエリートであったことから以前は裕福な生活をしていたが故に苦労をあまり知らず、それゆえ逼迫する環境の中うまく立ち回りができなかったと思われ、なし崩し的な行動ばかり繰り返し結局妹共々悲惨な末路を迎えてしまった。
このあたりはファンタジー作品とは言えど、自身より年下の『天空の城ラピュタ』のパズー(12~13歳)が父、母を亡くしながらも一人で暮らしながら回りとの関係も良く勤勉に仕事をこなし、壮大な大冒険の中万夫不当の大活躍の果てに奇跡の生還を果たしたのとは対照的である。
ついでに同じ太平洋戦争を題材とした作品である『はだしのゲン』のゲンも、まだ母親や兄たちが生きていたとはいえ、
家も金もなく頼れる人も少ない過酷な環境で自分から仕事を見つけたり、苦難の連続の中でも数少ない仲間たちと手を取り合って最終的にはたくましく独立していったのを見るとかなり対照的である。
ちなみに呉鎮守府付きで父親宛に手紙を書いているシーンがあるが、父親が乗っていた摩耶の母港は横須賀鎮守府である。

節子

声:白石綾乃
演:佐々木麻緒/畠山彩奈

清太の。4歳。
明るくほがらかな幼女だが、年相応にわがままできかんぼうなところがある。
ある意味この映画一番の被害者。終戦1週間後の昭和20年8月22日、栄養失調により死去。
清太が他の女性と恋愛関係にならないためヒロインに該当し、風立ちぬの里見菜穂子が死亡するまでジブリ作品でヒロインの死が演出された唯一の例であった。
(『風の谷のナウシカ』のヒロイン.ナウシカも最後に死亡したが直後に生き返っており、死亡にはカウントされていない)
幼いからしょうがないかもしれないが、リアルに「13歳の兄と11歳の自分以外一家全滅」状態から立派に母親になってアニメ映画にもなった某落語家兄弟の母と比べると…。

母親

声:志乃原良子
演:夏川結衣/松田聖子

2人の母。心臓が弱かった。実写での名前は京子(きょうこ)。
連合艦隊に所属して留守にしている夫に代わり家を切り盛りしている良妻賢母だったが、
空襲で2人より先に防空壕へ避難しようとした際に被弾、全身に爆傷と大火傷で瀕死の重傷を負い、清太が駆け付けるもまもなく息を引き取った。
冒頭では穏やかで優しい美人だったのが、再登場した時は見る影もない全身ミイラのような姿になってしまった。鮮烈なまでに生々しいその描写はこの時点で子供泣くだろ…というくらいに酷い。
多くの視聴者にトラウマを作った人物である。
万が一に備え、叔母に頼んでいたり、貴重品や食糧を確保していたり、貯金していたりと非常時の備えに定評があり、先見の明に長けたまさに賢人。
惜しむらくは息子にそれが全く受け継がれなかったことだが。
ジブリ作品において主人公の肉親の死が描かれるのは『風の谷のナウシカ』のナウシカの父.ジル、
ゲド戦記』のアレンの父の国王がいるが「母親」としては現時点では彼女だけである。

父親

演:沢村一樹/高橋克明

二人の父。
連合艦隊に所属しており、海軍大尉。実写での名前は清(きよし)。
劇中では最初から戦争に出かけているため、劇中では写真と清太による回想シーン(家族4人幸せなころに撮った集合写真や観艦式)でのみ登場する。
清太が手紙を出しても連絡が着かなくなっていたが戦争終了後、乗っていた船は沈没、死亡していると判明した。
なお、父が乗り込んだとされる高雄型重巡洋艦摩耶は1944年(昭和19年)10月のレイテ沖海戦で、
フィリピンのパラワン水道において米潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没していることから、
清太達が父の帰りを待ち望んでいた1945年(昭和20年)には既に死亡しているものと推測される。
ただし、史実において摩耶は生存者も多かったため、生存を諦めるのはちょっと早計だった可能性があった*6
実際死んでいたなら、戦死公報が来ていてもおかしくないのだが、生存していたのか、戦争の混乱ゆえか、来てはいたが隠されていたのか、詳細は語られない。

視聴者間では「役職は摩耶の艦長」と語られる事もあるが、実の所それを示唆する描写・言及は存在せず、
また現実的にも大尉が重巡クラスの艦長を務める事はまずあり得ない。

なお、実写では戦地へ赴く前、「母と妹を頼む」と清太に言っており、結果的に彼が小意地になった遠因にも見える。

親戚の叔母

声:山口朱美
演:松嶋菜々子/松坂慶子

清太にとっては父親の従兄弟の妻にあたる人。実写での名前は久子(ひさこ)。
2人を引き取り、最初は清太の母の高級な着物や埋めていた食糧の手土産からちやほやするが、やがて家でゴロゴロしてばかりの清太や母親恋しさなどから泣きわめく節子にキツく当たるようになる。ただし誤解されやすいが、出て行ったのはあくまで二人の意思であり、彼女は直接的に追い出す言動は取っていない。
主人公兄妹にキツくあたっていた事、その態度から何気に叩かれてる人でもある。
しかし、彼女の指摘は概ね正論であるし、清太の行動*7が立場を弁えているとは言い難かったのも事実であるし、何より当時は親戚とはいえ他人を悠長に労われるような時代ではなかったことは覚えておこう。
実写版では清太の母親の従姉妹となっており、戦死した夫に代わり自分の家族を守るために敢えて嫌われ者になっていたことが示唆されており、彼女や彼女の娘の視点で語られる。

叔母の娘

演:井上真央/矢部裕貴子

女学生。髪型は三つ編み。実写での名前はなつ。
最初は節子に下駄を買ってあげるなど仲良くしていた。
…が、母と清太たちとの関係が悪化してからは若干母をたしなめる程度の発言はしたが、積極的に清太たちを擁護まではしなかった。
実写版では清太達が出て行った件で母に怒りをぶつけており、終盤で清太達が死亡した場面に至っては「私達が死なせた」と自分を責めていた。

下宿人

叔母宅の下宿人。眼鏡をかけた男性。劇中では名前は呼ばれず絵コンテで名前が確認できる。
日中は勤労奉仕に参加しているようで、あまり出番が無い。
実写版では登場せず、代わりに伯母の夫の弟が登場している。


余談

本作は子どもには「戦争怖い。2人がかわいそう」で語られる映画だが、大人には、
  • 2人に感情移入し、2人を苦しめた戦争や無情な大人を憎む者
  • 己のプライドを守ることを優先し、節子を守るために最大限の努力をしなかった清太の身勝手さ*8が悲劇の最大の要因と言う者
  • 2人ともまだ何も知らない子どものため作中の行動は仕方なく、
    本来無力な子供たちを保護すべき環境や大人たちも戦争によって無慈悲になった、戦争の無常さと人間性を描いた映画とみる者
など、見る者によって様々な評価や感想が出てくる作品である。

妹が死にかけてから貯金をおろしたり、貯金があるにも関わらずまず盗みに走る清太の批判されやすい行動*9や、
当時、海軍士官の遺族には手厚い保障があったり、*10敗戦前の7000円は家が建つほどの大金だったという矛盾など引っかかる点が多いが、原作をほぼ忠実に再現したためであり、宮崎駿は「原作の時点で当時の事情と異なる描写がされている」と指摘している。

なお実際の野坂昭如の父は、軍人ではなく戦争景気で裕福になった貿易商。
父の死後も金はあり、もし昭如少年が世慣れしていれば闇米を買い、食糧事情が悪化した親戚の叔母さんの所で妹と一緒に暮らしていけたという。

作中に出てきた場所や建物は現在でも残っているところが多く、聖地巡礼するファンや反戦教育として引率する教師も多いとか。

清太と節子の声優は当時16歳と6歳の子役を起用している。

登場人物の言葉のイントネーションは大阪弁に近く、神戸弁を知る人や三ノ宮に実際に住んでいる人には違和感を持たれることもある。

節子が大切にしていたドロップの缶は、現在当時のデザインに節子のイラスト付きのものが復刻されている。

映画が公開されていた頃は1988年であり、今現在でも社会問題のひとつであるニートについて予測していたあたり先見の明があったと言える。

庵野秀明は貴重な資料を探して軍艦を窓の一つに至るまで緻密に描き上げたが、トップをねらえ!の主人公の名前の元ネタでもある高屋法子氏に黒く塗り潰された。

なお勘違いしている人も多いが、蛍の光は本作とは関係ない。
節子が死ぬシーンで流れるのは埴生の宿である。

近年知られるようになった事として
兄妹が草むらで蛍の群れを楽しむ光景を描いた宣伝ポスターがあるのだが
実はその夜空には焼夷弾をばらまく戦闘機が描かれているというのがある。
絵をよく見てみると上の方の光体は丸ではなく雫型の物が雨の様に描かれており
題名の通り「火(焼夷弾)が垂れている(そして多くの人が死んで墓に入る)」のである。




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最終更新:2024年02月15日 13:40

*1 と占領期の野坂の体験を元に書かれた「アメリカひじき」

*2 もう1人、家族にはならなかったが養父と妾の間にできた1940年生まれの義妹も居たという。

*3 親戚の叔母さんにこの辺りの要素をまとめてしまい火垂るの墓で親戚の叔母さんを悪く書きすぎたことを後に謝罪している。

*4 海軍大尉である清太の父親は、この新潟県副知事である生父をモデルにしている。

*5 他のジブリ作品同様1~2年周期で放送されていたが、同枠では2018年を最後に放送されていない。

*6 ただし摩耶の生存者は昭和19年11月に利根に乗って帰還したのに対し、清太たちが母を失った神戸大空襲は昭和20年6月。半年以上経っているのに手紙の一つもないのは考えづらいため、やはり戦死していたと考えられる

*7 勤労奉仕に行きようが無かったとはいえ、町内会の活動はおろか家事の手伝いすらしようとしなかったばかりか、節子が叔母の指摘に反抗したのをフォローする事もなく当てつけのように家庭内別居のような事をしだしたり、それでいて自分たちの食事の後始末を押し付けてる始末。

*8 後半、世話になっていた農家からも、節子の事も踏まえて『今の時代は金ではなく助け合いをしないと生きていけない。今からでも叔母の家に戻って謝った方が良い。』と諭されても一顧にもしていなかったり。

*9 ただし、こちらはそもそも農家などが他人に分けられる程の食糧を用意しておらず、金があってもそれ程役に立っていない描写があった。

*10 父親は海軍大尉で、これは分隊長に充てられ、軍艦等の当直士官を担当したりする位なのでかなり偉い方である。また、当時の軍人同士の結束力は非常に強く、帰還兵が戦死した上司の家族を探し出して援助するというケースも多かった。