TOP4(テニス)

登録日:2012/01/29(日) 01:48:32
更新日:2024/02/10 Sat 16:41:55
所要時間:約 8 分で読めます





概要

TOP4とは、テニスの男子シングルスで歴代でも上位の成績を残しているロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、ノバク・ジョコビッチ、アンディ・マレー の4名のことである。
彼らの戦いは非常にレベルが高く「神々の戦い」「異次元のテニス」と称される。

日本でもBIG4(ビッグ4)、四強、四天王など様々な呼び方があるが、海外ではTOP4という名称がもっとも一般的だと思う。
ではこの4名について紹介。

選手紹介


ロジャー・フェデラー/Roger Federer(スイス)

1981年8月8日生まれ。
右打ち/バックハンド片手打ち
男子でも珍しくなった片手バックハンドによる、巧みなラケット使いによる自由自在なストロークとネットプレー、そして球種やコースの読みにくいサーブが特徴。
難しいショットや狭いコースをつくリターンなどハイレベルなプレイを難なくこなすように見えるため、「フェデラーを見ているとテニスが簡単なスポーツに見えてしまう」とすら言われる。

史上最高のテニスプレイヤー。2000~2009年は彼の時代。
4大大会最多優勝記録、世界ランキング1位最長連続在位記録、年間最終戦最多優勝記録など数々の記録を持つ。
なんだただの神か。
キャリアの長さと華麗なプレー、そして溢れ出るテニス愛からファンはおじさん、更に略してフェデおじと呼んで親しんでいる。
テニスはやるのはもちろん見るのも大好きで「大会中はいろいろな試合を追いかけるのが大変だよ」というコメントが出てくるほど。
招待された地元のサッカーチームの試合観戦中にスマフォでテニスの試合を見ていたエピソードは一部で有名(ちなみに見ていたの同輩ワウリンカの全仏決勝)。

30代も半ばになった近年はさすがに年齢による衰えが…少しずつ見えてきていますがそれでもまだ強い。
長年に渡って多くの試合をこなしながら故障知らずの選手でもあったのだが、2013年からは背中や腰が時折痛むようになり
2016年は膝に大怪我をしてしまい欠場が増え、ランキングは16位まで落ちることに。
(なおこの膝の怪我、テニス由来の怪我ではなく自宅の風呂掃除中に娘に声をかけられ振り向いた際に痛めたというもの。長年の蓄積疲労のダメージもあるのだろうが。)
しかし2017年の全豪にて決勝まで進み、同じく手首の故障から復活して決勝まで進んだ長年の好敵手ナダルをフルセットの末に制し、35歳で復活優勝。
その後はハードコートの大会にいくつか出た後、芝のウィンブルドンに全力を注ぐため全仏オープンを含めたクレーコートの大会を全て欠場することを表明。
そして迎えたウィンブルドン。他の上位シードが次々と敗れていく波乱のなかでフェデラーは全ての試合をストレートで制し、5年ぶり8度目となる悲願の優勝を達成。
フェデラーが2016年度と2017年度に休養を多く取ったのも、全ては「ウィンブルドンでもう一度優勝したい」という思いからだったのである。
2018年には1位復帰も成し遂げた。
2019年にユニクロと複数年契約を結んでおり、各種イベントのための来日機会も増えている。

2020年の全豪で足の痛みが再発し、準決勝のジョコビッチ戦まで進むも以降の大会を全て欠場。
コロナウィルス流行によるランキングポイント凍結により2021年3月にランキングを維持したまま復帰するも、調子が上げられぬままウィンブルドン準々決勝で敗退し、
大会後に膝の痛みが再発したことを明かし再び休養に入った。
再手術も受けつつ復帰を目指し、ファンも復帰のときを待ち望んでいたのだが…

大会欠場期間が1年以上になり世界ランキングが消滅した2022年全米後の9月15日、フェデラーは翌週のレーバーカップを現役最後の試合とする電撃引退を発表した。
ウィンブルドンかスイスのバーゼル大会での復帰を目指していたが、今年のウィンブルドン欠場中のトレーニングで再び膝が悪化し、自らの体の限界を悟ったのだという。
体が公式戦に耐えられそうにないとのことで、自らも企画・運営に参加していたイベントであるレーバーカップを引退大会に選択。
レーバーカップは3日間開催の団体戦形式のイベントだがフェデラーの試合はダブルス1試合のみを予定、しかも1週間前の時点ですらできるか自信がない状態だという。
フェデラーは引退試合のペアを長年のライバルで今や親友のナダルに依頼し、ナダルもこれを承諾。
初日の夜の最終試合にダブルスの試合が無事に行われ、これに敗れる形でフェデラーのテニス選手としての生活が終わった。

シングルス通算1251勝275敗 通算勝率:約82%、大会優勝数103(全て下部大会を除く)

なおプロ生活は終えるもののテニスへの意欲は失っておらず、色々な選手を誘ってエキジビションマッチをしたいと夢を語っている。
もしかしたらまたどこかでプレーを見る機会があるかもしれない。

ちなみに現在でこそ短髪で温和なイメージのあるフェデラーだが、二十歳そこそこの若い頃は長めの髪と激しい癇癪持ちで知られておりラケットもガンガン壊していた。
若い頃の姿は反省はしているものの、30代半ばになっても試合に熱くなると審判や相手選手に食ってかかったりボールを打ち上げたりして警告を受ける*1姿が見られた。

また「日本人のテニス選手に強い人がいない」という声に「クニエダ(国枝慎吾)がいるじゃないか」と応えたエピソードがあるとされたが、現在では記録や出典が不明の実は言ってない台詞とされている。
テニス及び車椅子テニスの代表的な選手として2人が顔を合わせる機会はそれなりにあり、ユニクロと契約した縁で2人を交えた日本でのエキジビションマッチも実現している。


ラファエル・ナダル/Rafael Nadal(スペイン)

1986年6月3日生まれ。
左打ち*2/バックハンド両手打ち
エッグボールとまで称される強烈なスピンショットと広いコートカバーリングが特徴。
そのスピン量は並の選手の2倍に及び、ポールと審判チェアの間を通したのにインにするという強烈なカーブショットを何度も叩き込んでいる。
無尽蔵のスタミナと脅威の身体能力を誇り、長いラリーや試合終盤でも敏捷性は衰えず、相手のウイニングショットすらスーパーショットで返してしまう超人。
対戦した選手は「ウィナー級の球を3本打ち続けないと点が取れない」とナダルの強さをこう語っている。
4人の中では明確なルーティーンを持ち、水分補給後は毎回ボトルのラベルの向きを整えて決めた場所に置き、コートに入る際にはラインを踏まない、
サーブレシーブの前には毎回服を整えてから左手で鼻→右耳→鼻→左耳と触れていく姿が見られる。
なおプロテニスは各プレー間に使える時間が決められており、「ルーティーンで規定時間を超えてないか」と対戦相手から苦情が来たり審判から時間超過の警告を受けたりする場面が度々あった。ナダルには指摘しなかったり警告しないという暗黙の了解があったが。
2018年から各種インターバルの残り時間がコートに表示されるようになり、仕方なく残り時間を見ながらルーティーンに入るナダルの姿が見られる。

ジュニアグランドスラムを経ずに15歳でプロ入り。
上に書いたフェデラーの世界ランキング1位の連続保持記録を止めた人物。
通算対戦成績でもフェデラーに24勝16敗(2019年12月現在)と勝ち越しているただの神その2。
コートを縦横無尽に走り回るプレースタイルと若い頃のオーバーワークも重なって怪我がちであり、4人の中ではランキング上位時の大会欠場や早期敗退も多め。
1位在位期間としてもフェデラーやジョコビッチに差をつけられているものの、2019年9月に2005年以来750週で連続ランキングトップ10継続を記録している。
頭角を現した頃は「確かに強いが現役期間は長くないだろう」と見る人も少なくなかったほか、「若い頃は30歳過ぎまで現役でいるとは思っていなかった」とナダル自身も語っている。

また4大大会制覇に加えてオリンピックで金メダルを獲得している数少ないゴールデンスラム達成者の一人。
4大大会を制覇するだけでも相当に困難なものであり達成者は歴代で10人もいないが、ゴールデンスラム達成者はわずかに2人。フェデラーやジョコビッチも達成していない。*3
一方でTOP4の四人の中で唯一年間最終戦の優勝がないためゴールデンスラム+年間最終戦で優勝を指す「スーパー・スラム」はナダルも未達成。*4
フェデラーやジョコビッチと同様に歴代屈指の実績を持ち、劣勢でも怪我でも諦めないファイトスタイルから「史上最強のテニスプレイヤー」と呼ぶ者もいる。

特にクレー(土)のコートでは無敵の強さを誇る「クレーコート・キング」。
クレーコートで行われる4大大会の1つ全仏オープンには2005年に第4シードとして初出場し*5そのまま19歳で初優勝。
しかも試合後に決勝対戦相手のドーピング違反が判明。10代での4大大会初優勝に加えてドーピング選手を打倒しての優勝という、劇的な伝説の幕開けとなった。
かつての全仏オープンは人によって得手不得手があるクレーコートという特性から度々番狂わせが発生したため「全仏には魔物が棲む」と言われていたが、
ナダルの登場以降は「ナダルが不調の年でないと他の人が優勝できない」という別の意味で魔境と化している。
あまりの強さに日本の一部では冗談半分や畏怖の意を込めて「赤土の魔人」「土魔神」と呼ばれている。名前は聖書に出てくる大天使なのにね
「フィリップ・シャトリエ(全仏会場のセンターコート)はナダルの家みたいなものだ」「ナダルは全仏の主と言ってもいい」と選手たちも表現するほど。ちなみにナダルは例年全仏の本戦2週目に誕生日を迎える。
無敵の強さを見せたフェデラーやジョコビッチが4大大会制覇に数年を要したのも、ナダルのいる全仏がなかなか獲れなかったからである。

加えてクレー以外が弱いという訳では決してなく、四大大会の優勝は全仏を除いても全豪2ウィンブルドン2全米4の計8回の優勝があり、
これだけでかつての1位経験者ボリス・ベッカーやステファン・エドバーグ、ジョン・マッケンローの優勝回数を上回る。

2019年には全仏12勝目を上げ、ついに「男子シングルスでのGS単独大会の優勝回数」の記録を更新した。
2021年は全仏準決勝でジョコビッチに破れ、春先から抱えていた怪我の悪化によりウィンブルドンと全米を欠場。ついに赤土の王者も終焉かと思われた。が…
2022年、年末にコロナ感染が判明するもその1ヶ月後の全豪では決勝まで進み、決勝は2セットダウンからの怒涛の追い上げで優勝しグランドスラム2周目を達成。
3月には肋骨の疲労骨折が判明し1ヶ月の休養に入るも、全仏ではジョコビッチを含むトップ10選手を4人撃破し優勝。全仏14勝目を達成。
これによって全仏の優勝回数だけで男子シングルスグランドスラムの優勝回数ランキング歴代4位に並ぶまでになった。*6

しかし2022年はコロナ感染や肋骨骨折以外にも各所にダメージが現れる満身創痍状態であり、優勝した全仏も効き目2時間の麻酔を足に直打ちする形で強行出場していた。*7
その後に別の治療法を受けて改善したとするも、ウィンブルドンでは準々決勝の試合中に腹筋を痛めながら辛勝するも準決勝は試合前棄権。全米には出場するものの4回戦で敗退となった。
2023年度は年初の全豪を股関節痛により2回戦敗退。その後は休養を続けていたが全仏前に記者会見し、来年度2024年度での引退を予定していることを表明した。
コロナ禍から心身両面の理由で満足な練習ができていないことを明かし、来年にかけて回復に専念してなるべく良い形でコート上でお別れが言えるようにしたいという発表であった。
ファンは回復を願っているが、はたして…?

  • フェデラーとのライバルかつ親友という関係
当初はできる後輩選手にフェデラーは対抗心警戒心をバチバチにしていたというが、ナダルの方はフェデラーを先輩として慕っていたため次第にフェデラーがほだされていったという。
仲の良さが知られるあまりにフェデラーについての質問も増え「僕はフェデラーのボーイフレンドじゃないぞ?」と困惑しつつ真顔で答えた場面も。
また同時代に競り合ったとはいえフェデラーとは6歳も離れていることもあってか、ナダルとしては1歳下でテニス史上最多対戦数を記録しているジョコビッチを最大のライバルとして挙げることもある。

2016年10月には故郷のマヨルカ島に自身のテニスアカデミーを設立。開校式典には長年のライバルであり親友でもあるフェデラーをゲストとして招いた。
この年は2人とも故障を抱えて成績が落ちており、「俺たちもう終わった扱いされてるけどまだまだ頑張ろうな」と式典会場で笑いながら話したという*8が、
翌年にまだまだ頑張るどころか4大大会の優勝を2人で分け合う(しかも互いに得意の芝とクレーは全試合ストレート)ほどの大復活劇を見せるとは誰が想像しただろうか。

フェデラーの引退予定を知らされたのは一般のファンより早いとはいえ1週早い程度であり、9月にかかる全米の後に今月末のイベントでの引退予定と引退ダブルスのペアを電話で依頼されたという。
2022年の夏は自らの怪我・不調に加えて妊娠中の奥方の健康不安も抱えており、フェデラーはナダルの事情も知っていたので「無理は言わないからなるべく状況を知らせるようにしてほしい」と頼むのみだったが、
ナダルはその電話の時点で「引退試合ができようができまいが、引退するその場にいられるよう努力する」と応え、無事開催地のロンドンを訪れ引退の瞬間を共にした。

ちなみにドラゴンボールの大ファンである。


ノバク・ジョコビッチ/Novak Djokovic(セルビア)

1987年5月22日生まれ。
右打ち/バックハンド両手打ち
精密機械に例えられる正確なストロークと股関節の柔軟性からくる守備範囲の広さが特徴。
事前のデータ分析と鋭い推理観察力で相手の打つコースを読んで先回りし、他の追随を許さない変幻自在のチェンジ・オブ・ペースによりゲームの主導権を奪い取る。
4人の中で特に気性が激しく、1位を経験してからも時折試合中にラケットを散々な形に破壊する姿に「王者としてふさわしくない」と批判を受ける場面も。
この気性の激しさと相手の長所を封じ込めてしまうプレースタイルとフェデラーやナダルの圧倒的人気により対戦時にアウェーになりやすい様とを合わせて
「最凶のテニスプレイヤー」と呼ばれたりする。
2020年全米では事故の形ではあるが線審を負傷させてしまい*9失格処分となり「ランキング1位が四大大会を失格になる」という前代未聞の事態を起こしてしまった。*10
2022年は全豪出場のためにオーストラリアに入国したものの、コロナワクチン未摂取&免除書類不備のためビザ取り消し&国外退去&最長3年間の入国禁止=全豪出場不可の処分を受けている。*11
2023年はオーストラリアへの入国許可が出て全豪に無事参加するも、今度は大会中に父親がロシアの侵略戦争を肯定するような人物と共にいたとして注意される*12など、他3人と比べてお騒がせな面が否めない人物である。

2020年のコロナ禍によるツアー中断・ランキング凍結期間を経て、2021年3月1日時点でフェデラーの持っていた世界ランキング1位最長通算在位記録を更新。
四大大会制覇に加えてマスターズ*13全9大会を制覇する*14キャリア・ゴールデン・マスターズも達成している。
加えて2022年の年初時点でTOP4の他3人全員に勝ち越している。

10代でツアー優勝、2008年に初の四大大会優勝や年間最終戦優勝を飾り目覚しい成績を挙げる一方、謎の体調不良に悩まされていた。
2010年に体調不良の原因がグルテン不耐性*15と判明してから食事を改善し、成績はさらに飛躍する。
食事を改善して臨んだ2011年には初の世界ランキング1位到達。
4大大会のうち3つで優勝、年間勝敗70勝6敗という凄まじい成績で終えた。(ちなみに6敗のうちの1敗はあの錦織圭)。
その後も好成績を維持し続け、2016年の全仏優勝でついに4大大会制覇を成し遂げた。
年をまたいではいるが2015年のウィンブルドンから続けての4大大会連続優勝でもある。
2017年は全豪オープンでまさかの2回戦敗退など成績の低迷が続き、肘の故障でウィンブルドンを途中棄権して以降は2017年度の全ての大会を欠場した。
2018年1月にツアー復帰。4月のクレーシーズンから往年の強さの片鱗も見せ始め、7月のウィンブルドン、9月の全米オープンで立て続けに優勝し完全復活を見せつけた。

錦織圭の活躍をきっかけにテニスを見始めた人にとっては、大舞台で幾度となく立ちはだかってきたジョコビッチの印象が強いであろう。
2014年全米の準決勝で錦織が勝利して以降は一度も勝てておらず、通算対戦成績は錦織から見て2勝17敗(2021全米終了時)。
もっとも対戦成績が悲惨なのは錦織に限ったことではなく、TOP4相手ではランキング10位以内経験者でも負け続きや勝ち星0であることは別に珍しいものではない。
中には15戦以上戦って全敗の選手も。
錦織はジョコビッチの強さの特徴について「同じ球が2回続けて返ってこない。毎回違う球種で返ってくる」と語っている。

ちなみに相当にユーモアのある神様で、上の二神や、ポゥ!ことシャラポワ、殺人サーブのロディックなどのハイレベルなモノマネをする。
(実際にプレーするわけではなく、あくまで一発芸だが)
ウィンブルドン優勝時にはコートの芝を食べる。
2014年の全仏では雨のために傘をさしにきたボールボーイをベンチの隣に座らせ、自身のラケットとボーイの傘を交換し相合傘に。
トップ選手のラケットに触れてボールボーイは大喜び。さらにボーイに飲み物を差し出して2人で乾杯する姿を見せ、周囲の観客からは大歓声が起きた。
サッカーチームACミランのファン。
もじゃもじゃした髪の毛を短くコンパクトに整えているその髪型から「タワシ」とか言われる事も。



アンディ・マレー/Andy Murray(イギリス)

1987年5月15日生まれ。
右打ち/バックハンド両手打ち
コートを縦横無尽に走り回るカウンターパンチャー。ツアー屈指のロブ(山なりの球)の使い手。
抜群の読みと反応により相手のウィナーを封じ、緻密に組み立てられた戦術と素早い攻守の切り替えにより勝利を築く戦術家。
試合中のストレスを独り言の形で発散・整理するのが特徴。

4大大会の優勝回数こそ少ないものの決勝進出は11回に上り、生涯獲得賞金ランキングでは上記の3人に次ぐ歴代4位。
またオリンピックの男子シングルスでは史上唯一の2連覇を達成している。

2012年全米にて、ジョコビッチとの4時間54分の激闘を制し悲願の4大大会初優勝。
翌年2013年のウィンブルドンでは、実に77年振りとなる地元優勝を果たした。*16
この頃はまだ「4人にするための人数合わせ」「TOP3とそのおまけ*17」「人間希望の星*18」等、非常に微妙な評価だったが、
2015年頃から人間の殻を破ることに成功。
2016年にはウィンブルドンで二度目の優勝を飾り、リオデジャネイロオリンピックで金メダルを獲得してロンドン五輪に続くオリンピック連覇を達成。
全米では錦織に敗れてベスト8に終わるも、その後の秋のツアーで怒涛の4大会連続優勝により11月6日にはついにジョコビッチを超えてついに世界ランク1位に到達。
ツアーファイナルでも初優勝し1位をキープし、その後の国別対抗戦デビスカップでもエースとしてイギリスを優勝に導く。
これでTOP4全員がランキング1位とデビスカップ優勝を経験することとなり、本当の意味で神々の仲間入りを果たした。

2017年は昨年の反動か序盤から成績が振るわず、かつて手術もした古傷の臀部の痛みが再発。8月14日付けのランキングで1位の座をナダルに明け渡した。
その後は大会エントリーと欠場表明の繰り返しが続き、ランキングは10位代に落ちそのまま2017年度を終了。
2018年度に入っても怪我は治らず全豪オープン中に股関節の再手術を受けた。
芝シーズンからツアー復帰。体を最優先にした慎重なツアー生活を送るも、勝ちを重ねられず年始に10位代だったランキングは年末に200位代までさらにダウン。

2019年年初のテニス界には衝撃が走った。全豪オープン開始前の記者会見に悲痛な面持ちで現れたマレーはその場で今季限りの引退を発表したのである。
股関節の怪我は靴や靴下を履くといった日常生活においても痛みが出るほど深刻な状態であり、12月の時点でテニスを諦める決断をしていたという。
「手を尽くしたがどうにもならない」「最後にウィンブルドンでプレーしたいがそれもできるか分からない」「大手術も検討しているが競技でなく日常生活のためだ」
泣きそうになるあまり会見前に一度席を立って仕切り直し、その上でこれらの内容を俯いたまま呟くように話すマレーの姿に多くのテニスファンが衝撃を受けた。

引退試合かもしれない全豪1回戦。立て続けに2セットを落とす絶体絶命の危機から驚異の粘りで2-2まで追い上げるも最後は力尽きたマレーは試合後にコート上でインタビューを受けた。
するとそこで「ここに選手として戻ってくるには大きな手術を受けなければならないが~」と今後について現役続行も含めて再検討中であると発言。*19
悲痛な会見から数日を経て、少しでも前向きな発言が出たことにファンは喜んだ。
全豪オープンの後しばらくして、右側の股関節を人工股関節に置き換える手術を受けたことを報告した。
半年後にダブルスから始めつつシングルスにも復帰し、派手な勝ち上がりは少ないもののTOP100(四大大会本戦入りのライン)への復帰を果たして現役を続けている。

ちなみに重度のゲーム好きで、これが理由で現在の奥さんと結婚前に一度破局している。
「ロンドンで行われているツアーファイナル決勝をフェデラーが棄権したため、自宅でゲーム中のマレーにエキシビションマッチの依頼が入り慌てて飛んでいった」なんて話も。

一歳年上の兄ジェイミー マレーもテニス選手であり、こちらはダブルスを専門に活動している。
4大大会の男子ダブルスやミックスダブルスでの優勝実績があり、男子のダブルスランキングで1位にいたこともある実力者。
一部の大会やテニスの国別対抗大会であるデビスカップではジェイミーとアンディの兄弟ダブルスを見せることも。


近年の男子シングルス優勝者一覧

さて、この4名の凄さは分かってもらえたと思う。では、過去10数年の4大大会優勝者を見てみよう


全豪オープン(1月。ハードコート)
2004 フェデラー
2005 サフィン*20
2006 フェデラー
2007 フェデラー
2008 ジョコビッチ
2009 ナダル
2010 フェデラー
2011 ジョコビッチ
2012 ジョコビッチ
2013 ジョコビッチ
2014 ワウリンカ*21
2015 ジョコビッチ
2016 ジョコビッチ
2017 フェデラー
2018 フェデラー
2019 ジョコビッチ
2020 ジョコビッチ
2021 ジョコビッチ
2022 ナダル
2023 ジョコビッチ
2024 シナー*22

全仏オープン(5月下旬~6月上旬。クレーコート)
2005 ナダル
2006 ナダル
2007 ナダル
2008 ナダル
2009 フェデラー
2010 ナダル
2011 ナダル
2012 ナダル
2013 ナダル
2014 ナダル
2015 ワウリンカ
2016 ジョコビッチ
2017 ナダル
2018 ナダル
2019 ナダル
2021 ナダル(コロナウイルス流行のため延期され、観客数を絞って秋開催に。10℃代前半の気温と雨による冷たい異例の環境となった)
2020 ジョコビッチ
2022 ナダル
2023 ジョコビッチ

ウィンブルドン(6月~7月。コートは芝)
2003 フェデラー
2004 フェデラー
2005 フェデラー
2006 フェデラー
2007 フェデラー
2008 ナダル
2009 フェデラー
2010 ナダル
2011 ジョコビッチ
2012 フェデラー
2013 マレー
2014 ジョコビッチ
2015 ジョコビッチ
2016 マレー
2017 フェデラー
2018 ジョコビッチ
2019 ジョコビッチ
(2020年はコロナウイルス流行のため中止)
2021 ジョコビッチ
2022 ジョコビッチ
2023 アルカラス

全米オープン(8月下旬~9月上旬。ハードコート)
2004 フェデラー
2005 フェデラー
2006 フェデラー
2007 フェデラー
2008 フェデラー
2009 デルポトロ*23
2010 ナダル
2011 ジョコビッチ
2012 マレー
2013 ナダル
2014 チリッチ*24
2015 ジョコビッチ
2016 ワウリンカ
2017 ナダル
2018 ジョコビッチ
2019 ナダル
2020 ティエム(コロナウイルス流行のため無観客開催)
2021 メドベデフ*25
2022 アルカラス*26
2023 ジョコビッチ

以上がTOP4の初優勝から現在までの優勝者一覧である。なお準優勝やベスト4まで見るとマレーも数多く名前が出る。
ちなみに、ナダルが2005年全仏で初出場初優勝を飾って以降、四大大会の決勝でTOP4が不在となったのは、
2014全米のチリッチvs錦織*27と2020全米のアレクサンダー・ズベレフvsティエム*28、2022全米のアルカラスvsルード*29、2024全豪シナーvsメドベデフ*30、のみ。約15年間60大会以上の内わずかに4回だけである。
お分かり頂けただろうか。これほどまでに、この4名とそれ以外には絶望的な実力差があるのである。


近年、特に2016年以降は加齢による体力的肉体的衰えや若年層の成長により、TOP4が全員そろって活躍する姿を見ることは難しくなった。
特にフェデラーやナダルの2人は2000年代から今に至るまで10年以上も優勝争いを続けており、活躍期間はかなり長い。人気面でも別格。
そして2017年にはTOP4全員が30歳を過ぎ、ジョコビッチとマレーも故障による成績低迷や休養を余儀なくされ、
フェデラーが2004年の全豪優勝で初めて1位になって以降は4人で独占状態だった1位の座も、18年後の2022年2月にはついには明け渡すことになった。
王者たちの怪我や衰えにより徐々に時代が変わる可能性も見せつつはあるが、それでもテニスのトッププレイヤーとしてこの4名を挙げて異を唱える者はいないだろう。


余談

4大大会男子シングルス優勝回数歴代ランキング(2023年全米オープン終了時)

1位 ノバク ジョコビッチ 24回
2位 ラファエル ナダル 22回
3位 ロジャー フェデラー 20回
4位 ピート サンプラス 14回(1990年代に活躍したアメリカの選手。
全仏で優勝できず4大大会制覇はできなかったが、優勝14回はそう超えられない大記録と言われていた*31ところが…?)

男子シングルス1位在位週数(2023年全米オープン終了時)
(ちなみに1年間365日÷7≒52.14週である。1ヶ月が4週間と少しと考えればさらにイメージがつかめるかもしれない。)
1位 ノバク ジョコビッチ 390週+α現1位
2位 ロジャー フェデラー 310週(1位連続在位最長週数237週は現在でもフェデラーが歴代トップ)
3位 ピート サンプラス 286週(「年間最終ランキング1位の回数」は2021年末時点でジョコビッチが7回、サンプラスが6回、続いてフェデラーとナダルが5回で並んでいる。)
4位 イワン レンドル 270週(1980年代に活躍したチェコスロバキア→アメリカの選手。マレーのウィンブルドン初優勝時のコーチ。)
5位 ジミー コナーズ 268週(1970年代に活躍したアメリカの選手。39歳で全米ベスト4に進み、44歳まで現役を続けた鉄人。)
6位 ラファエル ナダル 209週
(中略)
14位 アンディ マレー 41週


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最終更新:2024年02月10日 16:41

*1 試合中の暴言はマナー違反の警告対象。プレー以外に故意にボールを打つ行為はボールアビューズという警告にあたる。

*2 日常生活では右利き。テニスをやるにあたって左打ちを習得した。

*3 もっともオリンピック競技としてのテニスには長い中断期間があり、1928~84年の間は公式競技から外されていた。ゴールデンスラムの語が生まれたのはソウル五輪が行われた1988年とテニスの歴史からみれば比較的最近にあたる。

*4 男子で過去に達成したのはもう一人のゴールデンスラム達成者であるアンドレ・アガシ氏ただ一人。

*5 前年も出場できるランキングではあったが怪我で欠場していた。

*6 ネットスラングとして「マレーの優勝回数3回=1マレー」として単位化して言われていたのだが「ついに(合計優勝数歴代4位の)サンプラスの優勝回数が単位になってしまった」と驚愕された

*7 ラリーの続きやすいクレーの全仏では第三セットで2時間を超えることも珍しくない。ましてや四大大会は5セットマッチである

*8 フェデラーは故障に加えて年齢面、ナダルは故障での成績低迷や休養を取った時期が過去にも何度かあったため、2人とも再起できないあるいは早々に引退してしまうと見る向きもあった。

*9 ノールックノーバウンドで打った球が線審の喉に直撃し、倒れ込んでしまった。なおその前に劣勢のストレスでラケットを破壊している。

*10 かつて悪童と呼ばれたマッケンローも全豪で失格になったことはあるが1位のときではなかった。ちなみにこちらはプレー態度と線審への暴言。何の因果かジョコビッチの失格とどちらも線審絡みである。

*11 世界中がコロナウィルスの影響を重く見て活動を控える中、ジョコビッチは早い内から活動を再開しノーマスクで深夜パーティーを行ったりイベントに出席したりしていた。

*12 ジョコビッチ個人としてはテニス選手同士の繋がりを活かして開戦早々にウクライナへの支援を表明しているが、セルビアは1990年代のユーゴスラビア内戦中にNATOの攻撃を受けた歴史もあり、国としてはロシア寄りである。

*13 4大大会に次ぐグレードの大会。全試合3セットマッチ。4大大会だけでなくこちらもTOP4のほぼ独占状態

*14 サーフェスの種類は大別してハード、クレー、そして風の影響を受けないインドアハード。芝のマスターズはない。

*15 小麦粉などに含まれるグルテンを消化できない体質。ちなみにジョコビッチの父親はピザ屋を経営しており、本人も体質に気づかぬまま普通に食べていた。

*16 あまりに長い間イギリス人の優勝者がいなかったため、その間に「門戸を開放した結果、地元勢が外来勢に淘汰されてしまう」という意味の「ウィンブルドン現象」という言葉すら生まれている

*17 4大大会の優勝実績で3人と大きく離されている上、後に優勝回数でスタン・ワウリンカに並ばれてしまったのが痛い

*18 他3人が異次元過ぎて「テニス星人」とされてた

*19 敗者がオンコートインタビューを受けるのはほとんどの場合が引退試合。しかも全豪側が引退を前提とした現役選手からのメッセージムービーを作成してインタビュー中に放映しており、当事者のマレーが困惑する姿も。

*20 1980年生まれのロシアの選手。フェデラー、ヒューイット、フェレーロ、ロディックらと合わせてニューボールズ世代と呼ばれ2000年代に競い合った

*21 1985年生まれのスイスの選手。強力な片手打ちバックハンドショットが特徴でジョコビッチを破るのに必要な攻撃力の例に挙げられる。ヨネックスとラケット契約してる縁で毎年秋に行われる楽天オープンにもよく来ている。

*22 イタリアの選手。かつてスキーのジュニア選手としても有望な活躍を見せていたが、13歳のときに「対人競技の方が面白い」と並行して取り組んでいたテニスへの専念を決めた異色の経歴を持つ。

*23 1988年生まれのアルゼンチンの選手。2m近い長身からくる強力なサーブとミサイルに例えられる強烈なフォアハンドショットが特徴。だが強力なショットの反動と長身からくる怪我に悩まされ、活躍期間は短いものになってしまった。

*24 1988年生まれのクロアチアの選手。2m近い長身からくる強力なサーブととハマると手がつけられないフォアショットが特徴。髭を生やした強面な顔だがあくまで威厳を出すためであり、楽天オープン出場時のメッセージで「ケイ(錦織)と合わせて僕も応援じて貰えると嬉しいです」と配慮を見せる真面目なナイスガイ。

*25 ロシアの選手。一部からタコに例えられる独特なフォームが特徴。2022年の2月にTOP4の4人以外では18年ぶりとなる1位到達を成し遂げた。

*26 スペインの選手。この優勝により歴代最年少の19歳でシングルス世界ランキング1位に到達

*27 準決勝でそれぞれチリッチはフェデラーを、錦織はジョコビッチを倒して決勝に進んでいた。

*28 フェデラーは怪我、ナダルはコロナ感染症予防のため欠場しマレーは2回戦敗退。ジョコビッチは好調だったものの4回戦で失格になってしまった。

*29 ジョコビッチはコロナワクチン未接種による入国拒否により不出場、ナダルは4回戦敗退に終わっている。

*30 ナダルは欠場、ジョコビッチは準決勝でシナーに敗れている。

*31 ちなみに同国同時代のライバルであるアガシは優勝回数は計8回でありながら4大大会制覇をなしとげている。神経質で控え目なサンプラスと明るいアガシとで2人の性格も対照的であった。