公人朝夕人

登録日:2012/05/26(土) 11:30:27
更新日:2024/03/08 Fri 23:32:29
所要時間:約 2 分で読めます




公人朝夕人。
(くにんちょうじゃくにん)



江戸時代の役職の一つで、将軍のおしっこを処理することが役目
定員は一人のみ。「朝夕臭い公務を果たす人」が名前の由来とされる。
この役職は若年寄(将軍家の家政担当)の直轄で、世襲である。


なぜこの役職が生まれたのかというと、将軍は上洛・参内、日光社参の際に束帯すがた(要はやたら厚い袴)になり、
即座にもよおす体勢に入ることが困難になってしまうために、将軍が束帯すがたのままでも、
おしっこができるようにサポートする役が必要となったから。


実際には以下の流れである。
Ⅰ将軍がおしっこしたくなったので公人朝夕人を呼び出す。
Ⅱ公人朝夕人がおしっこ入れ(筒)を持ってうやうやしく登場。
Ⅲ公人朝夕人が袴の裾から将軍の一物目掛けて筒を突き刺し、一物を筒に収めて将軍のおしっこが終わるのを待つ。
Ⅳ終わったら筒をサッと抜いて、然るべき場所に捨てにいく。


おしっこ入れは「尿筒(しとづつ)」と呼ばれ、竹や銅で作られた長く太めの筒で、
入り口には革などを巻いて一物が傷まないように工夫されていた。
結構大きめのサイズだったようで、将軍の将ちゃん暴れん坊将軍になった際も対応できたと思われる。


前述したように公人朝夕人は世襲で、担当していたのは「土田家」という一族のみである。
土田家は鎌倉時代の頃からも将軍にお供しており、足利将軍家・織田信長豊臣秀吉にもお供していた。
江戸時代に入って徳川家康のお供をしたことが始まりで、公人朝夕人が正式な幕府の役職となった。
以後、公人朝夕人を担当する土田家の者は「土田孫左衛門」という名前も継承していった。
つまり、「公人朝夕人=土田孫左衛門」であり、公式で将軍の下の世話をすることを許された唯一の存在である。

ちなみに、土田家の資料は少ないため、彼らがどのような生活を送っていたかは不明である。
公人朝夕人自体、将軍が出掛ける際にしかお呼びがかからないため、普段は何をしていたのかもわからない。



追記・修正はペットボトルで難をしのいだ方にお願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • 役職
  • 珍職
  • 職業
  • 江戸時代
  • エリート
  • おしっこ
  • 下の世話
  • ボトラー
  • 逃れられない血の宿命
  • 土田
  • 血族
  • 公人朝夕人

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2024年03月08日 23:32