Bf109

登録日:2009/06/10 (水) 19:29:49
更新日:2022/11/09 Wed 23:01:57
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 Bf109とは、1935年にドイツ空軍に採用され、以降第二次世界大戦終結まで運用された戦闘機である。1934年バイエルン航空機製造(後のメッサーシュミット社)で開発が開始され、翌1935年生産を開始した。さまざまな改良が加えられながら終戦まで運用され、総生産機数は3万機を超える。やがて、同じメッサーシュミット社はメッサーシュミットMe262シュヴァルベを開発して投入しているがBf109のほうが戦歴が長い。
 重量のある機体に薄く小さい主翼を装備し、またプロペラ回転軸から機銃を発射するモーターカノン、主脚のエンジンマウントなど、特徴的な設計になっている。



◆主な特徴


【航続距離】
多様なバリエーションがある戦闘機であり、当然型によって異なるのだが、全体的に短いというのが欠点として指摘される。また、欧州の戦闘機は短くて当然、というような論調もよく見られる。だが実際には、初期型の航続距離はそこまで短くない。例えば、C型及びD型は、全力運転で2時間の滞空が可能であり、それによる航続距離は930km。巡航速度なら、理論上1300kmほど飛べる。最初はそんなに足の短い戦闘機ではなかったのだ。
そんなD型まではJumo210エンジンを使っていたのだが、E型以降はDB601系列のエンジンを載せるようになる。これはイタリアや日本でライセンス生産され、三式戦闘機飛燕に載ったというのでも有名なエンジンだが、極めて燃費が悪いという弱点があった。その上、速度を落としても全然燃費がよくならない。全力運転だろうと、巡航速度での運転だろうと、大して変わらないぐらい燃料を食うのである。しかも、Bf109という機体自体が「最小の機体に最強のエンジン」というコンセプトで開発されたため、燃料搭載量が大して増やせない。結果として、航続距離が短くなってしまったのである。
その弱点が顕著にあらわれてしまったのがバトル・オブ・ブリテン、即ち欧州本土から飛び立ったドイツ空軍がイギリスを爆撃した時である。この時、爆撃機を護衛するBf109は、ロンドンを爆撃しに行った場合、ロンドン上空に滞在できる時間が僅か15分程度しかない(それ以上滞在すると帰りの燃料がなくなって、帰る途中で墜落する)という状態であった。そのためろくに爆撃機を援護できず、結果として英国を潰せなかったというところから、航続距離の短さが必要以上に欠点として指摘されるという側面もある。
実際のところ、E型の後期型や、全体をリファインしたF型以降ともなると、エンジンの性能向上や増槽の装備などで、航続距離を取り戻していく。全期間を通して航続距離が極めて短い飛行機だった訳ではない。ただし、基本的には、長くても1000kmそこそこの飛行機…というのも事実ではある。




【エンジン】
前述の通り初期型はJumo210を装備していたが、E型以降はDB601系列のエンジンを搭載する。Bf109は最初からモーターカノンを前提に考えていた機体であり、その点、それが可能なDB601系列はマッチしたエンジンであった。
技術力に定評があるドイツらしく、燃料直接噴射ポンプ、モーターカノンも可能な倒立V型気筒、流体クラッチ装備のスーパーチャージャー、トドメとばかりに超高精度のベアリングを多用するなど、当時としては大変高度な技術が使用されており、他国のそれと比べて性能面で優位性を持っていた。
その中でもとりわけ効果的だったのは燃料直接噴射ポンプである。従来のキャブレター式エンジンと異なり、如何なる姿勢、G環境でも安定した燃料供給が可能な燃料直接噴射ポンプは、激しい機動を要求される戦闘機にとっては絶大なアドバンテージだった。
ただし、燃費は極めて悪く、その上巡航時も高速時も大して燃費が変わらないという弱点もあった。また、モーターカノン搭載にこだわったため、単純な大型化による出力増大が難しく、大戦後半ともなると出力が足りなくなってくる場面も出てきた。

【主脚の構造】
BF109の主脚は胴体に装備されており、離陸後に外側に引き込まれるという独特な構造になっている。これにより車輪の間隔が狭くなってしまい離着陸時の事故の原因になった反面、主脚とその引き込み装置が胴体についていることから主翼の構造を簡素化でき、破損時には容易に交換可能になるなどのメリットもあった。

【武装】
当初は機種上面に小口径機銃、そしてプロペラ回転軸に大口径機関砲(いわゆるモーターカノン)を装備する予定だったが、振動などの問題を克服できなかった事から当初は機首上面の機銃しか使えなかった。後に(半ば無理やり)翼内武装を装備したものの、薄い主翼に機銃を搭載するには無理があったため、モーターカノンの実用化と同時に廃止されている。
結果として、最終型であるBf109Kまで抜本的な対策は採られず、最後まで武装に悩まされた機体であった。

【戦闘方法】
バトルオブブリテンにおける活躍や、撃墜王エーリヒ・ハルトマンの活躍から、一撃離脱特化の性能であるとか、一撃離脱特化として開発されたとの誤解があるが、正確ではない。実際には、速度も旋回もある程度両立しようと設計された戦闘機である(というか、双発戦闘機でもなければ普通はある程度両立しようとして開発する)。
本機によってドイツ空軍が確立したロッテ戦術もまた、旋回を多用する巴戦、格闘戦のために開発された技術であり、大戦の最後まで、ひたすらに格闘戦で戦い続けたエースもまた、非常に多い。例えば戦後も生き延び大往生を遂げたギュンター・ラルは終戦まで格闘戦で戦ったし、かのアフリカの星マルセイユもまた、フラップを最大まで下げて敵の大群に突っ込む殴り込み戦法を得意とした。
だがその一方で、本機が一撃離脱戦法で活躍したのも事実である。それが有名となったのは、ドイツ空軍がイギリス本土に侵攻したバトルオブブリテンで、この時、Bf109は航続距離(というか滞空時間)が足りず、英国上空にはわずかな時間しか留まれなかった。そのため、短時間で戦闘を決着できる戦法、そして燃料を節約できる戦法として、一撃離脱戦法を多くのパイロットが使うようになったのだ。
また、本機で史上最高の撃墜数を誇ったエーリヒ・ハルトマンも、一撃離脱戦法を得意とした。これは、彼の列機についたロスマンの戦技を参考に組み立てた、彼の独創であったと本人が証言している。
そのため、Bf109は「一撃離脱戦法で有名」な戦闘機だが、「それのみに特化した、スピード特化の曲がらない戦闘機」ではない。実際、バトルオブブリテン後のアフリカ戦線では、スピットファイアに格闘戦を仕掛けているし、東部戦線でYak-3との格闘戦が禁止された裏には、それ以外のソ連戦闘機とは格闘戦をしていたという事でもある。
「格闘戦に優れた」と言われる戦闘機でも一撃離脱をすることはある。零戦がまさにそれで、中国大陸において低速な敵戦闘機にはしばしば一撃離脱をしたし、エース岩本徹三は一撃離脱戦法を得意としたパイロットである。その逆も然りで、「一撃離脱に優れた」と言われる戦闘機でも、格闘戦をしない訳ではない。*1

また、従来型の格闘戦で「Bf109と同レベル」と判定されたせいでBf110と二式複座戦闘機が双発長距離援護戦闘機として採用されてしまう結果になってしまった。
両機共に「機体が重い双発機で単発機の機動性に対抗出来ないのでは?」との疑念があり、試作機で当時の新鋭単葉単発単座戦闘機であるBf109と模擬戦をする事になったのだが、両機ともに低速での失速特性は悪くなかったので従来型の格闘戦では何とかBf109と互角に渡り合えた
この結果からドイツ空軍、日本陸軍共に「腕の良いパイロットを乗せれば単葉単発単座戦闘機に対抗出来るだろう」と判断し、成績の良い戦闘機パイロットを両機に回す事で実戦採用したのだが・・・
単葉単発単座戦闘機の空戦は急加減速を多用する複翼機時代とは一変したものになっていた為、実戦では両機ともに対戦闘機戦闘、特に急降下突撃を使い難い爆撃機の護衛任務では大被害が続出。
加減速の切れに優れたBf109や一式戦闘機二式単座戦闘機 鍾馗への更新希望が続発する事になった。
とは言え、「一応の防弾装備と得意な速度域では何とか単葉単発単座戦闘機に対抗出来る運動性、500km/hを超える最高速度」を兼ね備えていたので、対地攻撃機隊では好評だった。


【実戦】
1936年に発生したスペイン内乱で初陣を飾って以降各所で優れた性能を示したが、長距離爆撃の護衛が主任務となった「バトル・オブ・ブリテン」では大きな損害を出し敗北の一因となってしまった。と言っても、この時のドイツ空軍は対戦闘機戦の性能が充分なBf109より、航続距離は長いが性能が怪しいBf110の強化を優先しており、そのせいでBf109は増槽装備やエンジン換装が間に合わなかった…という側面もあるのだが。

◇戦後の発展型
  • イスパノHA-1112-K1L/M1L
 スペインはWW2中は戦時中立を宣言したため、ドイツからBf109F14機とBf109G-2ライセンス生産権を得たが、エンジンまでは手が回らず、イスパノ社は仕方なくフランス製HS12Z17を搭載したHA-1112-K1Lを69機生産したが、部隊配備は戦後になってしまった。
 1956年にはエンジンをRRマリーン500-45にしたM1Lに発展したが、最早機種周りは全くの別物であった。58年までに170機が生産され、1967年までスペイン空軍で使用された。
 K1Lは「撃墜王アフリカの星」のマルセイユのBf109F-4役、M1Lは「空軍大戦略」のBf109Eと仮想ハリケーン役でそれぞれ映画に出ている。
  • アビアS-99/199
 ドイツ撤退後のチェコスロバキアのアビア社で、22機製造されたBf109G-12/14は国防用戦闘機アビアS99として主に停戦監視の役割で新生チェコスロバキア空軍で使われた。
1947年にはエンジンをHe111-H用のjumo211FにしたS-199になり1950年代半ばまで使用された。機首周りはまるでTa152の様だが、イスパノよりもドイツ機らしい。
 単座戦闘機型551機と複座型のCS-199が58機生産されたが、そのうちの25機がイスラエルに輸出され。初のイスラエル空軍戦闘機になった。自分たちユダヤ人を迫害した国の機体を使用するとは、皮肉なものである。



各型はアルファベットと数字で表される。また、A型はアウグスト、E型はエミールといった具合に、ドイツ語のフォネティックコードで呼ばれることが多かった。
これは、ドイツの他の航空機でもよくある現象である。Fw190Dが、「ドーラ」とか「長鼻のドーラ」とか言われるのがその例。

Bf109Aアウグスト:初期生産型。

Bf109Bベルタ:ユモ210Eエンジンを搭載した改良型。スペイン動乱初期の主力機となった。

Bf109Cツェーザー:主にスペイン動乱からポーランド侵攻にかけて少数が使用された。機首上面と翼内に各2門のMG17機関銃を装備した。20mmMGFF機関砲を搭載することが予定されたC-3は生産されなかった。なお、「ツェーザー」は人名のほか、ローマ帝国皇帝カエサルを特に指す固有名詞的な使い方もされる。

Bf109Dドーラ:ユモ210を搭載した機体で、主にスペイン動乱からポーランド侵攻にかけてある程度の機数が使用されたが、すぐにBf109Eが登場したため戦場に長くは留まらなかった。某漫画のドーラと聞くとこれを思い出す人はなかなかの空軍好きである。

Bf109Eエーミル:ダイムラー・ベンツ製エンジンDB601Aを搭載した機体で、初期の主力機となった。後期型では出力向上させたDB601Nも使用された。

Bf109Fフリードリヒ/フリッツ
 DB601N及び改良されたDB601Eエンジンが搭載された機体。空気抵抗を減少させる設計に刷新された。大きな性能向上を果たし、大戦中期の主力機となった。

Bf109Gグスタフ
 DB605エンジンを搭載した機体。BF109シリーズにおける決定版であり、多数の派生型が生産され後半の主力機となった。

Bf109Kクーアフュルスト
 量産された最後の機体。それまでのモデルと比べて別物といってもいいほどの大改修が行われており、翼内機銃の装備も標準で可能となっている。なお、「クーアフュルスト」とは「選帝侯」のこと。戦争末期に完成し2機のみ配備されたK-14型では2段2速過給器付きDB605Lを搭載し、高度14000mで740km/hとされている。

Bf109Tトレーガーフルークツォイク
 E-3型にカタパルトフックとアレスティング・フックを追加、主脚強化、主翼延長と翼端を折りたたみ式に改造した艦上戦闘機型。航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」に搭載する予定だった。フィゼラー社担当でまず先行量産型T-0型を10機製作、E-4/N型ベースのT-1型60機の量産が進められた。しかし肝心の空母が未完成に終わったため、完成した機体から艦載用装備を撤去、ノルウェーや北西ドイツの陸上基地で部隊運用された。

Bf109Zツヴィリング
 2機のBf109Fを合体させて双発機とした機体。実用化されなかった。 どう考えても変態兵器。しかしF-82 ツインムスタングの例もあるので一概には言えない。

Bf109Wヴァッサーフルークツオイク
 水上機型。二式水戦?違います

Me109TL
 ガスタービンジェットエンジンを搭載した、109ベースのジェット戦闘機


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最終更新:2022年11月09日 23:01

*1 零戦や一式戦闘機は旋回性能重視で一撃離脱は苦手と言われているが、軽量で比較的揚力が大きい故に急降下突撃は苦手としていたものの、水平加速力や低空での上昇力は悪い方ではないので、同程度の高度なら一撃離脱戦も十分こなせる