ベトナム戦争

登録日:2012/07/06(金) 16:00:59
更新日:2018/06/15 Fri 08:24:47
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<概要>

ベトナム戦争(英:Vietnam War)とは、1960年代初頭から1975年4月30日までベトナムの地で繰り広げられた、
南ベトナム(ベトナム共和国)と北ベトナム(ベトナム民主共和国)による武力衝突を指す。

実際のところ資本主義勢力である南ベトナムを支援するアメリカ(とその取り巻き)と、共産主義勢力である北ベトナムを支援する中国、ソ連の代理戦争。


アメリカは、1500億ドルもの巨額の戦費と年間最大54万人の軍人を派遣し国の威信をかけて挑んだが、結果は北ベトナムの勝利に終わる。
アメリカ軍はベトナムの地から撤退を余儀なくされた(戦略的撤退などと言うが、ある意味で涙目敗走である)。

もっとも正義の国(自称)を追い払うための代償は大きく、南北ベトナムの死者は合計300万人以上とも言われる。


10年以上続いた戦争にも関わらず開戦から終戦までの経緯や、勢力の変遷や政治との絡み合い、戦闘一つ事件一つ取ってもどれも一項目できる程の密度であるため、
年表と経過だけを記載する。


<年表と経過>

1945年
  • 第二次世界大戦終戦。終戦前にベトナムは日本支配下にあったとはいえ独立宣言をする。終戦後ホー・チ・ミンが「ベトナム民主共和国」樹立。
    宗主国フランスは「独立宣言とか認めねーからな」と「ベトナム国」樹立。

1949年~1953年
  • 第一次インドシナ戦争。北ベトナム優勢。

1954年
  • ジュネーブ協定。北緯17度線での南北分断が事実上固定化。

1960年
  • 南ベトナム解放民族戦線(通称「ベトミン」。「ベトコン」は南ベトナムと米軍側の蔑称)結成。

1961年
  • ケネディがアメリカ大統領に就任。
  • 南ベトナムに軍事顧問団を派遣。介入開始。

1962年
  • 米軍が「南ベトナム軍事援助司令部」を設置。介入度上昇。
  • 南ベトナム、ラオスと国交断絶。

1963年
  • アプバクの戦い。圧倒的な装備と兵力を持つ南ベトナム軍が大惨敗。
  • 仕方なく米軍の本格参入が決まる。
  • 南ベトナム政権に抗議するため、仏教徒の僧侶が文字通り決死の焼身自殺を行う。
  • これに対し、南ベトナム大統領夫人が「イカれたBBQだね(ニッコリ」と発言。
  • 舌禍と無能さに嫌気がさしたアメリカの黙認の下、南ベトナムで軍事クーデター。大統領と秘密警察長官の兄弟仲良く蜂の巣。
    なお舌禍やらかした大統領夫人は国外に脱出した模様。
  • ケネディ大統領、暗殺される。大統領職はリンドン・ジョンソンに引き継がれる。

1964年
  • 南ベトナムで再びクーデター(2年連続2回目)。
  • アメリカ、自ら北ベトナム領海に侵入していたくせに魚雷攻撃を食らったと唐突にキレる(トンキン湾事件)。
    のちに、アメリカによる自演であることが判明。知ってた。
  • 韓国軍、参戦!!
    後にアメリカさんもドン引きの残虐行為を繰り返すことになる。

1965年
  • アメリカ軍、北爆開始。頭に来た北ベトナム、国を挙げての戦時体制に突入。キレちまったよ…
  • アメリカ海兵隊が、最前線の都市ダナンに上陸。一大軍事基地、意訳すると格好の的を建設する。
  • 日本で「ベトナムに平和を!市民連合」、所謂ベ平連結成。世界的な反戦運動の中心に。

1966年
  • 北ベトナムに対しB-52による空襲開始。調子に乗ってたら他国から非難殺到。
  • そしてこの頃から、アメリカ軍は「サーチアンドデストロイ」戦術でナパーム弾や枯葉剤を撒きまくる「人道? なにそれおいしいの?」な行動に出る。
    当然のことながら非難轟々。

1967年
  • ベトコンが「ここが弱点です」と自己主張するダナン基地を攻撃。
  • 選挙では麻薬密売組織の元締めが南ベトナム大統領に就任。不正は無かった。
  • ケサン基地攻防戦開始。米軍が苦労して守り通すものちに放棄。大いなる無意味。

1968年
  • 北ベトナム軍による一大博打「テト攻勢」が始まり南ベトナム全土に火の手が。
  • 要塞とまで言われたアメリカ大使館がわずか20人ほどのベトコンに一時占領される映像が世界中に流された後で、
    ジョンソン大統領は高らかに「米軍大勝利宣言」という高度なギャグを披露。
  • 有名なソンミの虐殺発生。発覚後、米軍が正義なんて言い出す輩は鼻で笑われることになる。
  • ジョンソン大統領もうムリポとベトナムからの撤退を宣言し、ようやくパリで和平交渉開始。

1969年
  • 和平交渉の開始に伴い、北ベトナムが南ベトナム臨時革命政府の樹立を発表。
  • 北ベトナム指導者、ホー・チ・ミン死去。アメリカ、はしゃぐ。北ベトナム、悲しみを乗り越えレベルアップ。アメリカ枯葉剤散布は教科書で見たことあるはず。

1970年
  • 南ベトナム軍とアメリカ軍が補給線破壊のためカンボジアに侵攻。
    「国際法違反?なにそれおいしいの?」
    これが、後に小さな地獄を生み出す。

1971年
  • 南ベトナム軍とアメリカ軍が補給線破壊のためラオスに侵攻。
  • ニューヨーク・タイムズ紙がノンフィクション小説「ペンタゴン・ペーパーズ」の連載を開始。
    政府機密文書が公開されて、ごり押ししてきたベトナム戦争の正当性が全く無かったという裏設定がネタバレされることに…。

1972年
  • スキャンダルもみ消しの為、アメリカ軍北爆再開。
    カンストしそうな程の爆薬により北ベトナムにかいしんのいちげきを叩き込むも、自国を含めた世界中から非難されてすぐさま停止。
  • 一方その頃アメリカ国内では、民主党本部ビルに盗聴器が仕掛けられる事件が発生。その時から怪しまれてはいたが、後に大スキャンダルになる。
  • また、スキャンダルもみ消しのため北爆再開。またも世界中から非難轟々で、即効停止。その上もみ消し失敗。

1973年
  • 前年の盗聴器事件の内情が暴露され、アメリカ史上最高最悪のスキャンダルウォーターゲート事件が発覚。
    大統領による犯罪行為アンド犯罪行為アンド犯罪行為発覚で国家を挙げた一大フェスティバルになる。
  • パリ協定が締結されついに停戦(但し米軍撤兵までの期間限定配信)。
  • 13年間の国家的罰ゲームを終えたアメリカ軍がベトナムから撤兵。取り巻き共も逃げ帰っていった。

1974年
  • 北ベトナム軍がプノンペンを包囲。親米勢力を追い出した。
  • ニクソン大統領、ウォーターゲート事件で辞任。晴れて終身名誉死刑囚となる。

1975年
  • 「嘘つきとの約束を守る義理など無い」と言わんばかり北ベトナム軍が総力を挙げて南ベトナムへ総攻撃。
  • 南ベトナムの首都サイゴンが陥落。南ベトナム政府死亡確認。
    ベトナム戦争終結
  • サイゴン市をホーチミン市へ改名。



<戦後>

アメリカは、超大国としての地位が大きく揺らいだ。帰還兵問題などの内政問題は、未だ解決していないものも多い。

ベトナムについても戦争のダメージと統一後の混乱により、1980年代後半まで戦争の傷跡から抜け出せなかった。
しかも中ソ関係が悪化しソ連寄りだったことから、歴史的にも仲の悪い中国やカンボジアとも戦争をする羽目に。

日本や西ドイツは対米相手の商売でチートレベルの経済成長を遂げ、弱体化したアメリカ産業との貿易摩擦が発生した。


<余談>

  • 当初、アメリカはテレビの情報発信能力と視聴者の感受性(鵜呑みも吟味も込みで)を甘く見ていた。
    だが蓋を開けてみれば、戦争の悲惨さを"動画"としてガンガン垂れ流しまくり、米国の内部からまで批判がやってくる始末。
    これが戦争終結に一役買ったと言われている。
    アメリカもこれを教訓に80年代からせっせと大資本によるメディア買収に勤しむことになった。
    事実その後のイラク戦争では開戦直後から多くのメディアが戦争支持に回ったが、
    結果今度はそれがアメリカをベトナム戦争並みの泥沼に引き摺り込むことになってしまった。
    戦争から学ぶべきことは他に幾らでもあった気がするのだが…

  • 戦闘機におけるミサイル万能論の否定や正式ライフルのM14から性格の違うM16への交代など、軍事史・兵器史へ与えた影響もまた強い。

  • 帰還兵問題が生じた一因には兵の教育プログラムの改善にもあるともいう。
    要点をかいつまむと、第二次世界大戦などでは戦場に出ても発砲しなかった兵も多く、
    それを問題視してより多くの兵が戦うように訓練させたら精神を病んでしまった……という訳。


<関連作品>






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