トカトントン(小説)

登録日:2019/08/16 Fri 21:06:27
更新日:2021/05/12 Wed 12:25:57
所要時間:約 5 分で読めます





「トカトントン」とは太宰治の短編小説である。発表は1947年、彼の晩年の作品である。




トカトントン…




……ああ、もう続きを書く気も起きなくなってしまった。
立て逃げるか、誰かに代筆させるか……。


……え?「書き始めたんだから最後まで責任持って書け」って?

うーん……それもそうだよなぁ…。続きを書くか……。




トカトントン…




またこの音だ。えっと……まずはあらすじだな…。





【あらすじ】


拝啓。一つだけ教えて下さい。困っているのです。




主人公は自分が昔から愛読していた同郷の作家にとある奇妙な手紙を出した。


その内容は「『トカトントン』という音を何とかしてほしい」というもの。

彼は数年前まで軍におり、現在は叔父の勤める郵便局で働いているのだが、彼は無条件降伏の頃からその音を聞くようになった。


最初に聞いたのは無条件降伏時。
「自決をするのが本当なのではないか」と心に強く感じた時、兵舎の奥から


トカトントン…


と言う金槌で釘を打つ様な音を聞いた。
するとたちどころに自決への感慨は消え失せ、自分の心が白々しくなっていった。


その後、故郷へと戻ってきた時にもその音は続いた。
ある時は精神的な音として。ある時は実際になった音として……。


戦後、自由を求める様に情熱を持って小説を書こうとすれば、


トカトントン…


気持ちが醒めてあと少しという所まで書いた小説の原稿は鼻紙へと変わり、

郵便局員としての仕事をし、居候させてくれる叔父の期待に応えようと意気込めば、


トカトントン…


馬鹿らしい気持ちになって仕事を休み、その後も熱意のない窓口対応をする様になる。

よく窓口に来る旅館の女中に少々盲目的な恋心を抱き、個人的に彼女に呼ばれた時も


トカトントン…


その女性のことで気になっていた金銭の事情なども至極どうでもよく感じるようになり、

かつては興味のなかった政治運動の熱情にいたく感動したかと思えば、


トカトントン…


虚無とすら呼べない感情へと再び引き戻されていく。

職場近くでの駅伝の走者たちの力強さからスポーツに強い関心を持ち、局員たちとキャッチボールをすれば、


トカトントン…



強い感動や意欲がわき上がっても「トカトントン」が全てをまっさらな無気力へと戻してしまう。
上の事例はあくまで一例にすぎず、大層な熱情から些末な日常まで、「トカトントン」の悪行は枚挙に暇がない。


何とかしたいと思い、救いを求めるようにこの手紙を書く時も


トカトントン…
トカトントン…
トカトントン…



虚実を織り交ぜ、無気力になりながら、読み返すこともせずにはっきり真実と呼べる「トカトントン」の事を手紙にしたためた。



無学無思想の小説家はそんな悩みに対し短く、そして淡泊にこう答えた。


拝復。

気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ。
十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。
真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。
マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」この場合の「懼る」は、「畏敬」の意にちかいようです。
このイエスの言に、霹靂を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈はずです。

不尽。




……あらすじを書くのも面倒くさくなるほど気持ちがまっさらになる……しかもこれはいいまっさらじゃない……。

何も生み出せない、息吹のないまっさらだ。


トカトントン…


ああ、またこの音だ……。
書く気持ちが死に絶えそうだ。急いで考察に触れよう。



【考察】


なぜ「トカトントン」と言う音は語り手を何度も無へと帰させるのか。
いくつか考えられるが、ここでは2つ挙げる。


1つ目は小説家の指摘しているように「本人が熱情の果てで傷つくことを恐れている」と言う説。

あくまで本人が心のブレーキを踏んでいるのであって、「トカトントン」はそれを無意識に受け入れまいとする正当化の音と言う説である。

だからこそ「勇気」による解決を小説家は提言しているのだろう。

2つ目は語り手の精神が戦時下で歪んでしまったと言う説。

勿論本人は真っ当な職につき、真っ当な生活を送れる程度には健常でいる。
しかし手紙の中でも真実と虚構の線引きがあいまいになっていることから生活内には現れない内面で何かが歪んで、「トカトントン」の精神病的な発作を皮切りにあと一歩で熱意を持てないことに至っているのではないか。


いずれの場合にしても本人の問題を打破するのに必要なのはマタイ10章28の「肉体と精神の両方を殺せるのは神だけである」と言う解釈への「霹靂」なのだろう……。




トカトントン…
トカトントン…


音が続いている……内容がおざなりにならないように努めてきたが、関心が薄れていくのは辛い。
最後の余談に触れよう…。



【余談】


  • 太宰の妻は、「二十一年(1946年)の秋頃、帰京を控へて、金木で書きました。金木で書いた最後の作品ではないかと思ひます。東京に帰つてから、M市居住のHといふ方が尋ねてこられたとき、あの人の手紙からヒントを得て、『トカトントン』を書いたのだと私に語りました」と語っている。
「M市居住のHといふ方」とは、茨城県水戸市に住んでいた保知勇二郎のこと。
復員青年だった保知は疎開先 (当時太宰は甲府に疎開していたが疎開先も空襲を受け、津軽へ戻ったりとかなり波乱に満ちていた。)の太宰にファンレターを何通も送っていた。
しかし彼は太宰治全集の月報内において「『トカトントン』のトンカチの音のことを、私は手紙の何通目かに書きました。しかし太宰さんの創作とちがって、当時の私は幻聴に悩まされているとは書きませんでした」と述べている。



トカトントン…


……ああ、これ以上は限界だ。


トカトントン…
トカトントン…


書けることは書いた。

もしこの内容に穴があるのであれば次の誰かが追記・修正を行ってほしい。


トカトントン…




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最終更新:2021年05月12日 12:25