石原裕次郎

登録日:2019/07/18 (木) 00:00:08
更新日:2024/03/31 Sun 18:37:44
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美しき者に微笑を、淋しき者に優しさを、逞しき者に更に力を、全ての友に思い出を、愛する者に永遠を。心の夢醒める事無く。

『石原裕次郎』は1934年12月28日生まれの日本の俳優、歌手 、声優、司会者、モデル、実業家、ヨットマン。

◆概要

昭和を代表する大スターであり、石原プロモーションの創設者としても知られ、大都会シリーズや西部警察を生み出した。
タフガイ・裕ちゃん・ボス・ユージローの愛称で親しまれ、歌手としても多数のヒットを残している。

まき子夫人(北原三枝)とは、映画『狂った果実』での共演をきっかけに知り合った。

デビューから1960年代までは映画を中心に活躍し、1963年に石原プロモーションを設立。70年代からはテレビにも積極出演するようになった。

兄は小説家・政治家で元東京都知事の石原慎太郎。甥に政治家の石原伸晃・石原宏高(共に自由民主党所属の衆議院議員)、お笑い芸人俳優・タレント兼気象予報士の石原良純、画家の石原延啓がいる。
裕次郎・まき子夫妻の間に子供はいなかったが、甥の宏高を養子に貰いたがっていたという。


◆来歴

【生い立ち~映画デビューに至るまで】

生まれは兵庫県神戸市須磨区。父親は海運会社の社員であり、仕事の都合で幼稚園と小学校時代を小樽で、中学校入学以降を逗子で過ごす。
慶應義塾農業高等学校に入学後の1951年、慶應義塾高校に編入学。
卒業後は慶應義塾大学法学部政治学科に進学。在学中は主要な映画会社のオーディションを何社も受けたがことごとく落選。
さらに叩き上げで役員にまで出世した父親が亡くなり、ショックから自暴自棄になった裕次郎は家にあった金目の物を盗んでは売り払い、得た金は歓楽街での遊びに使い果たすという荒れた生活を送る。
その様子を心配した兄の慎太郎は自身の著作『太陽の季節』の映画化を日活から持ちかけられた際、プロデューサーの水の江瀧子に

「裕次郎って弟がいるんだけど、遊び人でどうしょうもない奴で…」

と語った。水の江が裕次郎出演を快諾したことで脇役ながら出演することとなり、主演に匹敵する存在感を示し注目を集めることとなった。

その後大学を中退し、日活に俳優として入社した。


【日活時代】

日活入社後、映画『狂った果実』の滝島夏久役で初主演を果たす*1
本作も兄慎太郎の著作を映画化した作品で、裕次郎はシナリオを書き上げるために有楽町のホテルにカンヅメになっていた兄に付き添い、兄が早く書ける左手で書いた原稿をきれいに清書していた。
セリフ覚えがあまりよくなかった裕次郎は清書に付き合いながら、自分のセリフが少なくなるよう兄に催促していたという。

狂った果実公開と同年に歌手デビュー。タイトルは映画と同じ「狂った果実」で、こちらも慎太郎が作詞を担当。
翌年には、NHK紅白歌合戦に雪村いづみの応援として出演した。
「赤いハンカチ」「銀座の恋の物語」「二人の世界」などダブル・トリプルミリオンを達成するようなヒット曲を数多く持つ裕次郎であるが、実はこの応援役以外で紅白に出場したことは一度もない。
NHK側も出場オファーを出していたのだが、「本業の歌手に失礼」との理由から毎年断っていたという。
またカヴァー曲の多さも同時期の歌手としては豊富で、分かっている範囲でも200曲のカヴァーを発表している。その中には「ジングルベル」や「赤とんぼ」のような童謡もあれば、「スーダラ節」、「上を向いて歩こう」など他の歌手がヒットさせた定番曲もある。
なお、先述のように紅白には出場していないが、晩年には『ミュージックステーション』(テレビ朝日)のハワイ中継でラストシングル「我が人生に悔いなし」を披露したこともある。

主演作はどれもヒットを連発し、スター街道を躍進した。

1960年、まき子夫人と結婚。当時裕次郎とまき子夫人は同じ映画会社に所属していたが、このころは同じ会社のスター同士の恋愛がタブーだった時代であり、マスコミに騒がれることを嫌ってアメリカに高飛びしていた。
のちに日活の元社長の説得で日本に帰国し、羽田空港で日本の芸能人として初の記者会見を開いた。なお芸能人の記者会見第2号も裕次郎・まき子夫妻である。


【石原プロモーション設立から晩年】

前述の水の江と共に経営していた「石原商事」を母体に、1963年「石原プロモーション」を設立。
設立から10年ほどは裕次郎の大会社に作れない映画を作るという理想のもと、自身が主演する
  • ヨットマンの青年がヨットでの太平洋横断にチャレンジする様子を「回想」という形で描いた『太平洋ひとりぼっち
  • 黒部ダム建設に関わるトンネル工事に挑む男達の奮闘を描く『黒部の太陽
  • 風来坊のレーサーが過酷なラリーに挑む『栄光への5000キロ
などを制作。経営が潤った時期もあったが、収益のほとんどが次回作の制作に回されたのと、映画の斜陽化が重なったのもあり、経営面では苦しい時期が続いた。

もともとは映画製作も手がける裕次郎の個人事務所に過ぎなかったが、裕次郎を慕った渡哲也が日活から移籍してきたのを皮切りに裕次郎以外の俳優のマネジメントも行うようになった。

1972年、裕次郎はそれまで敬遠していたテレビへの出演に本腰を入れる。
テレビに出たがらなかった理由は「影響力が映画より小さすぎる」と考えていたからなのだが、(嫌々ながら)出演した『太陽にほえろ!』のボス役が大反響を呼び、それがきっかけで態度を改め、テレビ出演に対して積極的になったという。

当時石原プロには10億円近い多額の借金を抱えており、自分の理想を実現しながらも借金を返済して会社を立て直すべく自社でのテレビドラマ制作に着手。
第1作目として『大都会 闘いの日々』が1976年1月から放送をスタート。以前にもテレビドラマ制作の実績はあったが、それらは他社との共同制作かテレビ局の下請けであり、本格的な制作への関与はこれが初めてとなる。
大都会シリーズは大ヒットし、スポンサーも大勢付いて全3作が制作されたが、それでも借金の完済にはほど遠かった。
これは制作に際してスポンサーと制作会社の間に広告代理店が挟まるため、手数料としてスポンサー料を一部天引きされるからだった。

そんな時、テレビ朝日から、

「ウチと直接契約してドラマ作ってよ!」

という誘いが来る。
直接契約ということは、間に挟まる広告代理店が無いぶん、自社の取り分が増えることとなる。こんな美味しい話を逃すわけにはいかないと言わんばかりにテレビ朝日と契約。
こうして誕生したのが、大都会シリーズをよりスケールアップさせたアクション刑事ドラマ『西部警察』である。
西部警察も大ヒットしたことで10億円近い多額の借金は遂に綺麗さっぱり返してしまった上、むしろ数十億円に及ぶ収益を出し企業資産の形成にも成功した。本作で裕次郎は石原軍団演じる大門軍団を束ねる「ボス」として出演し、制作統括としてもクレジットされた。

1980年、自宅敷地内から古墳時代の遺跡、土器が発見された。
余談だがこれを見た当時石原プロ所属俳優だった苅谷俊介は本来の趣味であった考古学熱が再燃し、考古学の研究に専念するため石原プロを退社することとなった(俳優活動自体は継続)。

西部警察撮影中の1981年4月、慶應義塾大学病院へ緊急入院。のちに「解離性大動脈瘤」という当時の医療技術での生還率が数%という非常に低い病気であることが判明。話数に換算して約10ヶ月ボスは休職した。
手術を受け、奇跡的に回復を果たした裕次郎は入院中も応援してくれた視聴者・ファンへの感謝の表明と回復した姿を見てもらうため、西部警察PART-II以降のロケを地方で行うようになった。

大動脈瘤の治癒後も大病に悩まされた。
1984年、肝臓がんが発覚。前の定期検診で肝細胞癌であることが判明していたが、裕次郎本人に癌が出来た事は告知されなかった。
1986年5月、肝内胆管炎による高熱が続き、慶應義塾大学病院へ入院。2ヶ月ほどで退院し、以後ハワイで療養生活を送った。
翌年4月20日に日本へ帰国したが、すぐに慶應義塾大学病院へ2週間ほど入院。いったん退院したものの、わずか3日で再入院。肝性脳症を発症し、ついに意識不明に陥る。
医師による懸命の治療も虚しく、7月17日夕方、タフガイ裕次郎は天国へと旅立っていった。52歳という若さであった。

戒名は陽光院天真寛裕大居士。
冒頭の文は横浜市鶴見区の總持寺にある墓所の墓石に刻まれているもの。

死去後、命日前後には石原軍団やファンが参列する年忌が毎年のように執り行われたが、2019年の33回忌を最後に弔い上げとすることがまき子夫人の口から発表された。

ちなみに命日の7月17日は別名紫陽花忌とも呼ばれる。


◆【人柄・その他】

  • 酒豪でも有名で、「ビールは酒ではない。水だ」と言う理屈から、撮影所にはビールを冷やすための冷蔵庫が置かれていた。朝から酒を飲んでいることも珍しくなく、酔った状態で「飲酒運転撲滅」のポスターの撮影に臨んだこともあるとか。
  • が、晩年は玄米パンと野菜サラダを食事のメインとし、塩分を1日6グラムまでとする食事制限も律儀に守るなど健康に気を遣っていた。大好きだった酒も控えるようになり、パーティではビールをコップ1杯飲む程度に控えていた。…しかし、実際の所夫人に隠れてお酒を飲んだり、弁当に持ってきた野菜サラダを他の軍団員に食べさせていたという証言もあったりする。
  • 石原プロ名物の炊き出しは裕次郎の考案によるもの。これはとあるロケで豪華な弁当を役者が食べていたのに、スタッフは質素な弁当を食べていたのを見た裕次郎が「作品は一緒に作っているんだ!裏方も役者も一緒だ!食べるものが同じでなければ同じ気持ちになれない!」と激怒したのがきっかけ。
    余談だが、石原プロが所有する炊き出しセットは、陸上自衛隊の野外炊具1号と同等の性能を持つ民生品だとか。
  • 石和温泉で毎年のように開かれていた業界人相手の接待会で行われていた抽選会では前もって裏方の番号を把握し、外車や海外旅行券といった豪華賞品は必ず裏方のスタッフに行き渡るようにしていた。
  • メルセデス・ベンツ・300SLクーペ、ロールス・ロイス・シルヴァースピリット、キャデラックなど複数の高級外国車を所有していた。特に300SLは日本での所有者は裕次郎以外に2人しかいなかったという。
  • とにかく礼儀正しい人で、撮影所のスタッフや共演する役者はもちろんのこと、守衛や食堂のおばちゃんにも挨拶して回り、挨拶のときは自分が座っていても必ず立ち上がって握手をした。
  • 勝新太郎とは互いを「兄弟」と呼び合うほど親交が深く、勝と中村玉緒の夫婦喧嘩の仲裁が出来たのは裕次郎だけだったという。また裕次郎の葬儀で勝が読み上げた弔辞は有名。
    同性愛者を嫌っていたが、カルーセル麻紀は例外で妹のように可愛がっていた。
  • 石原プロが制作した映画は、2010年代までテレビ放送もソフト化もされなかった作品もあるが、それは裕次郎の「映画はスクリーンで見てもらいたい」という意向を永らく守り続けていたため。但し近年は石原プロの体制変化や家庭でも映画同様の画質を楽しめるようになったこともあり、ソフト化や再放送・配信も積極的に行われるようになった。
  • 総理大臣・小泉純一郎の長男にして俳優の小泉孝太郎は、かつてオロナミンCとのタイアップで大々的に喧伝されていた「1億人の心をつかむ男 新人発掘オーディション 21世紀の石原裕次郎を探せ!」というオーディション企画に参戦しており、グランプリこそ逃したものの上位まで登り詰めて健闘したことがきっかけで注目されてブレイクした。なお、小泉孝太郎を押しのけグランプリを獲得したのは、後に「龍が如く」シリーズの堂島大吾役などを務める徳重聡である。
  • あるテレビドラマの製作の打ち合わせで、裕次郎率いる石原プロの俳優陣が仕上がった脚本に目を通してみたところ、あまりにも稚拙な内容であり、若手俳優の一人が「こんなつまらない脚本のドラマなんかやりたくありません」と言い出すなど一触即発の事態となったが、そこに居合わせた裕次郎は発言した当人ではなく他の中堅俳優に「なぁ、『太陽にほえろ!』って全部で何話あったっけ。あんな沢山やったわけだから、正直、ヒドい話も結構あったよな。でも、それでもやってきたんだし(意訳)」と半ば独り言のように語りかけ、敢えて遠回りな説得をする事によりその場を収めた…という証言がある。
  • 石原プロモーションについては、まき子夫人に「俺が死んだら即会社をたたみなさい」と遺言を残していたことも明らかにしている。実際には後述の記念館閉鎖前後から会社解散を検討しており、34回忌となる2020年7月に会社解散を公式に発表し、翌2021年1月に解散した。所属タレントは個人事務所設立または移籍、映像・音楽作品の版権管理業務は石原音楽出版社に移管している。
  • 映画とテレビでは役作りや演技で求められるものが異なるため、全盛期から少しづつテレビの仕事も増やしており、テレビ俳優としては先輩の池田秀一くん(当時 中学生 )と共演した時に彼を「 秀先生 」と呼んでテレビについて教えを乞うたそうな。
    そこで池田秀一も「映画については僕に教えてください裕先生」と答えて以降、長い付き合いになったという。


モノマネしている人物

  • ゆうたろう
千葉県出身のものまねタレント。見た目が無茶苦茶そっくりで、実の兄の石原慎太郎から
気持ち悪いくらい似ている
服の趣味の悪さまで裕さんそっくり
と太鼓判を押されるほど。
前述の小泉孝太郎が上位を取ったオーディションにゆうたろうも参戦していたが、審査員から「いや、そういう意味じゃないから…(困惑)」と一蹴されたという。
CMで石原軍団と共演したこともある。


◆石原裕次郎記念館

裕次郎が幼少時代を過ごした北海道小樽市に1991年に開館。愛車のロールスロイスや西部警察の撮影で使用されたガゼールオープン、スーパーZ、マシンRSの他、映画『黒部の太陽』の撮影で使用されたセット、裕次郎ゆかりの品が多数展示されていた。
2017年8月、建物の老朽化を理由に閉館。所蔵品は小樽市などに寄贈された。



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最終更新:2024年03月31日 18:37

*1 ちなみにこの時裕次郎の弟役として、慎太郎に芸名を貰った津川雅彦(『太陽の季節』主演の長門裕之の弟)が出演している。