邪馬台国

登録日:2019/02/13 Wed 20:03:00
更新日:2024/02/01 Thu 10:00:55
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邪馬台国とは、3世紀ごろの日本のどこかにあったとされるクニ(都市国家)である。



●目次

【概要】


日本史の古代で初期に習う重要項目の一つである。
今のところその存在を示す根拠は、中国の歴史書「魏志倭人伝」のみである。


【魏志倭人伝って何?】


「魏志倭人伝」とは、西晋の陳寿により編纂された歴史書「三国志」の中の「魏書烏丸鮮卑東夷伝倭人条」を指す用語である。
(厳密にいえば「伝」ではない)

「三国志」は言うまでもなく、後の「三国志演義」や、それをモチーフにした日本の数々の漫画・ゲーム作品の元ネタとなった史書である。
つまり邪馬台国は、諸葛亮関羽、あるいは姜維鄧艾ら三国志の英雄たちとほぼ同時代の話である。

ただし、三国志の中で邪馬台国を含んだ日本(倭)に関する記述はわずか2,000字程度しかない。
置かれている場所も、魏書の最後の「東夷伝」(東のほうにいた異民族ども)の中のさらに末尾であり、いわばオマケのオマケ程度の扱いである。
単純計算すると、陳寿は倭に関する部分はせいぜい数日で書き飛ばしたと言われている。

逆に言うと、当時の中国(orもしくは中国文化圏)にとって、日本の重要度とはせいぜいこんなていどのものだったということでもある。


ところが、数百年から二千年近い時間を経て日本列島も独自の進化をして「日本史」も着目されるようになると、
紀元二~三世紀ごろの日本における、ほとんど唯一の文献資料*1ということになって*2、邪馬台国および「三国志・魏書・烏丸鮮卑東夷伝・倭人条」の記録は学者たちから 散々に弄ばれる羽目に 研究されることになった。

しかし上記の通り、もともと邪馬台国というか日本の存在そのものが陳寿たちにとってはかなり軽い扱い(むしろどうでもいい存在)であり、
さっと書いて済ませたためにものすごい混乱が起きることになってしまった


【邪馬台国の概要】


魏志倭人伝が伝えるところによると、2世紀後半ごろの日本は大規模な内乱状態になっていた(倭国大乱)。
これを収めるために、卑弥呼という女王を立てることにした。
これにより争いは収まったという。

邪馬台国は「倭国連合」とでも言うべき都市国家の連合体の中核的存在であったとされる。
後述のように、卑弥呼が国内でどのような位置づけにあったかについては議論がある。

九州北部が勢力下にあったことはほぼ間違いないため、邪馬台国の場所によって倭国連合の規模、そして 日本統一の時期 も変わってくるのである。

魏志倭人伝の中には、邪馬台国の風俗を一見詳しく描写している個所もあるが、「魏志倭人伝」内部だけでも矛盾が見られる上、
そもそも使者による伝聞情報*3であることに加えて、

  • 陳寿のスタンス上、魏に朝貢した国に対する評価は甘くなりがち(逆に魏・晋と敵対していた国や民族への評価は辛くなる)
  • 中国の東方には理想的な国があるという、当時の儒教思想・道教思想の影響を受けている可能性がある
    • (東方の海の果てに仙境がある、とは古来よく言われていたことである。蓬莱島や金鰲島は特に有名)

といった点も指摘されており、そのまま鵜呑みにできるものではない。
何より、ずっと後の時代に書かれた中国の史書の日本に関する部分にも明らかな間違いが多く*4
細部の描写については全面的に信頼するのはナンセンスであろう。

南方にある狗奴国というクニと戦をしており、
238年(239年説もある)、卑弥呼は魏の皇帝(238年だとすれば曹叡(明帝)、239年説なら曹芳)に遣いを送って朝貢し、その返礼に「親魏倭王」の称号と印を授かった。
その後、240年代あたりに卑弥呼は亡くなり、男の王が跡を継いだが国が荒れたため、台与という14歳の少女を再び王に立てたところ、国はおさまった。

なお、読みは一般に「やまたいこく」であるが、実は中国の歴史から言うと
「やまこく」「やまいこく」のどちらかの発音になるはずである。
また7世紀に書かれた「隋書」の中で「邪摩堆」というのが魏志倭人伝の邪馬台のことと記載されており、
この「邪摩堆」は「やま たあ 」「やま たい 」という発音になる。
ここまでだと「やまだいこく」や「やまたこく」などとなるのでは?と感じるが、
実はこの発音推定に従った場合は大和(やまと)も「やまだ」「やまたい」「やまだい」などの発音になるのである。
日本書紀や古事記、万葉集では大和の万葉仮名として「夜麻登」「夜摩苔」「椰麽等」「也麻等」などなど、
いくつもの字が当てられているが、これらの字の発音は結局「邪馬台」「邪摩堆」と同じになっている。
そうした理由もあってか日本最古の国史とされる日本書紀でも、
邪馬台国の記事を海の向こうでブイブイ言わせた神功皇后の章に一応ちょっと載せてある。
その後平安時代になっても大和を野馬台と書いていたり、野馬台詩なる予言が流行ったことからも分かるように、
邪馬台の読みが大和とは別のものであるという考えは長い間生まれなかった。
現在の読みは江戸時代に研究した新井白石が当時の中国の発音を参考にして、「やまたいこく」と読み始めたことから始まったとされる。


【場所】


「水行十日陸行一月」

魏志倭人伝の中の、邪馬台国への道筋を示した文章の中のこの一文こそ、恐らく日本史上最も多くの人間の頭を悩ませた記述である。
倭人伝の中で、陳寿は対海国、一大国、末廬国、伊都国、奴国、不彌国、投馬国を経由して邪馬台国に至る道程を解説している。
このうち、対海国から奴国まではそれぞれ北九州地方の特定の地域に比定されているが、問題はその先、
特に投馬国から邪馬台国へと至るルート(ここで上述の「水行十日陸行一月」が出てくる」)である。

というのも、倭人伝の記述通りに進むと、日本列島を飛び出して遥か海上、それもインドネシアの辺りに飛び出してしまうからである。

このため、邪馬台国があった場所については、後述するように多くの説が乱立することとなった。

陳寿先生が適当に書くから悪いと言う人も多いが、そもそも上述したような理由から、
本当に物理的に正しい道程が書かれているのか(儒教の影響を受けた観念的な描写ではないのか)という問題もあり、
もはや文献解釈だけでは収拾がつかない状態である。

当時は海を越えての測量技術どころか日本海の渡航そのものが困難だった時代であるし
(それより五百年あまりを経て、日本に渡ろうとした鑑真和上すら何度も失敗した*5ことはよく知られている)、
なにより当時は「常識の外」にあった世界のことを、確実・完璧に調べることを陳寿に求めるのはあまりにも酷というものだろう。

場所を確定するには、発掘調査の結果、卑弥呼が授かったという「親魏倭王」の印が見つかるまで待つしかないだろう。
それまでは、邪馬台国は日本史上最大級の謎として君臨し続けるだろう。


【邪馬台国論争】


先に述べたように、邪馬台国は知名度の高さと日本史における重要性・それに反する史料の絶対的な少なさから、現在に至るまで日本史上の最大級の論争の種となっている。
主な争点は以下のようなものである。


◇邪馬台国はどこにあったのか


これこそが最大の謎である。少なくとも江戸時代には論争が始まっていたようだが、今もって決着はついていない。
有力なものからトンデモ系まで、様々な説が提唱されてきた。
主なものを以下に述べる。なお、各説の内部でも、具体的にどの遺跡を候補とするかなどについては様々なバリエーションがある。

  • 畿内説
3大有力説の一つ。
この説では、上記の道筋問題を、「陳寿先生*6が方角を書き間違えた*7として解決しようとする。
倭人伝では南に向かうと書かれているところを、「南は東の誤植」と解して、北九州から船で瀬戸内を渡ってさらに陸を行ったところ、
すなわち現在の近畿地方奈良県付近であるとするのである。

奈良県纏向遺跡が、ちょうど卑弥呼の時代と一致する大規模な遺跡であることが示されたあたりから、最有力候補とも目されるようになってきた。
現在のところ、考古学会では畿内説を支持する勢力が多いようである。
なお、この説では邪馬台国はのちの大和朝廷に繋がる勢力であるとされる。
この場合、狗奴国も南ではなく東にある東北のエミシに相当することになる。

  • 北九州説
3大有力説のもう一つ。
よく知られている北九州説では、まず上記の道程について、伊都国、奴国、不彌国、投馬国、邪馬台国と進むのではなく、
奴国、不彌国、投馬国、邪馬台国は全て伊都国からそれぞれ出発する、と解釈する(放射説)。
さらに、魏志倭人伝の中では通常の「里」(距離の単位)よりも短い単位の里が使われている*8とする(短里説)。
強引に聞こえるかもしれないが、中国史上で実際に使われたことがある上に、対海国と一大国が有力説の通り対馬と壱岐だとすれば通常の里よりも短い単位を使っている可能性は高い。
こうすれば畿内まで行かずとも、九州の中に道筋は収まる。

前述のように考古学界では現在畿内説が優勢だが、文献学界では北九州説も未だ一定の勢力を誇っている。

また狗奴国も南九州のクマソということになる。

  • 東遷説

3大有力説の最後の一つ。
上記2説の中間というかいいとこ取り。
簡単に言うと 「最初は九州にあった邪馬台国が、勢力を伸ばして畿内まで進出し新たな本拠とした」 もの。
九州・近畿の出土品や遺跡等の前後関係から邪馬台国が進出=侵略したのか、あるいは逆に別の国に侵略されたのか、いずれにしても二つの勢力圏に何らかの因果関係があることは強く類推されるので、東遷説を最有力視する研究者は少なくない。

記紀の神武東征とも符合するので、高千穂のある後述の鹿児島説・宮崎説とも関係してくる。

  • 四国説
3大説以外の諸説(平たく言えば、いずれもトンデモ説と見なされている)の中ではメジャーな説。
徳島県の四国山上にあるという説が根強く唱えられている。
掘り下げていくと、古代ユダヤ民族の失われたアークが四国にあるとか、大蛇伝説だとかも絡んでくる壮大な説。
なお、四国説には他にも高知説や瀬戸内説などがある。


  • 沖縄説
「倭人伝の記述通りに行けば海の上に出る? じゃあ海に出ちゃえばいいじゃん!!
みたいなノリの説。
一応距離の計算は合うらしいが、考古学的な裏付けが全く無いのが難点である。


  • 出雲説
青銅器などの出土品から、独自の文化圏を有していたとも言われる出雲にその場所を求める説。
荒神谷遺跡などの見事な弥生時代遺跡を見ると納得しそうになる説だが、意外にも諸説の中ではマイナーな部類。
出雲の弥生遺跡の最盛期と、邪馬台国の時代が微妙にズレるのが最大の難点。


  • ジャワ・スマトラ説

じゃあ海に出ちゃえばいいじゃん!!」その2。
邪馬台国は「ジャマタイコク」と読め、てことはジャワじゃん!!
おまけに入れ墨の風習なども倭人伝と一致しているぞ!!



…これは実は、著名な東洋史学者の内田吟風氏が、上述したような邪馬台国に関する珍説を揶揄するために唱えたジョーク説である。
(これは間違い↑。珍説を揶揄するために唱えたというのは星新一のハワイ説と混同していると思われる。内田吟風のジャワ・スマトラ説は一応学界に発表された学説の一つだったがのちに本人は撤回している)


  • エジプト説

キムタカの愛称で御馴染みのアイドル木村鷹太郎が明治時代に唱えた説。
そもそもの議論の前提条件をひっくり返し、
「三国志などを書いた民族は中国人ではなくてエジプト人なんだよ!! 
もちろん日本人の発祥の地は地中海地方で、卑弥呼はエジプト女王セベクネフェルと同一人物!!
と、時間も空間も超越した説。
数ある諸説の中でも、ぶっ飛び具合では間違いなくトップレベルである。
ジョーク説以上にぶっ飛んだ説が真剣に提唱されているとはこれいかに
その壮大さ故、現在でもキムタカファンを中心に根強い人気を誇る。



その他、鹿児島説・沖縄説・フィリピン説・宮崎説・関東説・福井説・新潟説・東北説・北海道説・樺太説・韓国説・満洲説・ハワイ説・グアム説・ムー大陸説等々、
もはや日本列島とその周辺で、一度も候補に挙がっていない場所のほうがむしろ珍しい有様である。


ちなみに、倭人伝によると、倭国のさらに東には「裸国」「黒歯国」という異形の人々が住んでいる国があるとされている。
これは空想の産物とする説が一般的だが、これもペルーやエクアドルのことで、「縄文人が南米に渡航していた」という説を引き合いに出して、
当時の日本人が南米と交流を持っていた根拠とする説もある*9



◇卑弥呼は記紀に登場するのか

所在地論争と並んで負けず劣らず盛んに議論されてきたのが、卑弥呼は記紀神話の中に存在を記録されているのか、
されているとしたら誰が卑弥呼に対応するのかということである。

古代から江戸時代までは、日本書紀の中で該当章に邪馬台国記事が記載されていることもあり、
神功皇后とみなすのが一般的であった。本居宣長も魏に使節を送ったのは卑弥呼の名前を騙った北九州の豪族としつつ、
魏にまで名前が届くほど有名だった卑弥呼という人物は神功皇后のことだとしている。
だが当の日本書紀ですら、話のついでという感じで倭人伝の記事を紹介してるだけであり、ろくなアピールになっていない。
戦前から唱えられ、現在でも有名なのが、「天照大御神と同一人物」という説である。
これは「卑弥呼が没した前後、中国で日食があった」という倭人伝の記述が、天照大御神の岩戸隠れに対応するということ、
家系図や周囲の人間の描写などにも共通点が見られることなどを根拠としている。
しかし、現在ではこの説を支持する研究者はあまり多くはない。

その他、倭迹迹日百襲媛命、倭姫命などがその候補に挙げられているが、
そもそも本当に記紀に卑弥呼と対応する人物がいるのかどうかも含め、いまだに真相は謎である。


【関連人物】


  • 卑弥呼
日本史で名前が出てくる最初の人物。
厳密に言えば漢委奴国王の後で倭国大乱の前の倭国王として帥升(すいしょう)の名が出てくるが、試験的には 知名度的には彼女のほうが圧倒的に有名。
ちなみに、帥升はAD107、後漢の六代・安帝の時代に入朝したという。

倭人伝によると、女王になってからはほとんど誰とも会わず、弟が伝言役を務めていた。
ここから、あくまで宗教的権威として存在していただけで、実際の政治は弟がやっていたのではないかという説もある。
女王なのに思いっきり「卑」などという字を付けられているが、中国の史書で周辺の異民族の名前はあえて悪い文字を当てることはよくあるので、あまり気にしてはいけない。

ただ、中国の史書は発音を再現しようとするなど真面目なところもある(その上で、政治的・文化的・宗教的な理由から悪字を当てる)ので、まったくの適当な当て字とも言い難い。
(例えば、有名な北方異民族・匈奴についての文献を探ると、モンゴル語やトルコ語(いわゆる「テュルク系言語」)と同じ/相似した発音の単語が散見される)
そのため、卑弥呼とは現代日本語の「姫巫女」、あるいは太陽信仰を前提として「日神子」「日御子」という意味ではないか?という見解もある。

また、「卑弥呼」とは巫女の役職についていた女の総称であり、実際は複数いたのではないか?とする説も昔からある。
これは先述の「魏志倭人伝」にて、『卑弥呼は180年代に女王に即位し、その後239年ごろに中国から「親魏倭王」の称号を貰い、247年ごろに亡くなった』という時系列が記されていることから、
この記述をそのまま信じると卑弥呼は60年近くも在位していたことになり、
『いくらなんでも、一人の人物だとしたら長生きしすぎではないか?』という懸念から出てきている見方である。
まあエジプトのラムセス二世(在位66年)とか秦の昭襄王(在位55年)とか、それぐらい在位した前例もあるのだが……
あくまで異説ではあるものの、完全否定する資料も今だに見つかっていない。

フィクション界では、「美しい乙女」か「年老いた老婆」かのどちらか。
実際の生年や享年は不明だが、倭人伝の記述から、魏に遣使した時点では当時としては高齢だったとされる*10
学習日本史漫画シリーズの第1巻の表紙には必ず彼女が採用されている。
また学習伝記漫画シリーズの常連でもあるが、前半はほとんどフィクションになってしまうのはお約束。


  • 台与
卑弥呼の後を継いで14歳で女王になり、中国に朝貢を行った……
ということしかわからない(というかこれ以上の記述がない)、卑弥呼以上に謎の多い女性。
後述の通り「台」の旧字体「臺」と「壱」の旧字体「壹」はよく似ていて誤記が多く、名前の読み方からして、「イヨ」説と「トヨ」説があってはっきりしない。
ついでに表記もブレまくり。「壱与」という表記で知っている人も多いだろう。


  • 陳寿
紛らわしい一文を書いたために、後世の多くの日本人の頭を悩ませている罪深いお方。
まあ、一介の役人に「海渡って調べてこい」っていうのも酷な話だけど。
本人的にも、まさか数百年もしてからこんなに大事になるとは考えてもみなかっただろうから、あまりいじめないであげてください。
自分たちで文献資料を残さなかった日本にも責任の一端ぐらいはあるし……

ちなみに、現存する三国志の最古の写本では「邪馬国」(実際には旧字体「邪馬国」)となっており、こちらが正しいのではないかとも言われるが、
「邪馬台国」としているより古い時代の史料が複数あるため、「邪馬壱国」のほうが誤記という説が有力。


  • 宮崎康平
戦後に活躍したアマチュア古代史研究家。
大ベストセラーとなった「まぼろしの邪馬台国」を出版し、邪馬台国ブーム・古代史ブームの先鞭を付けた。
上述した邪馬台国の所在地に関する珍説が大量発生したのはだいたいこの人のせい。
さだまさしの「関白宣言」のモデルでもあるとされる。


【フィクションの中の邪馬台国】

圧倒的に北九州説を前提とした作品が多いのが特徴。
これは、畿内で邪馬台国がそのまま大和朝廷になったとするより、九州の邪馬台国と畿内の大和朝廷が戦う、
もしくは邪馬台国勢力が東に向かい、過酷な旅を経たうえで大和朝廷を作る、というストーリーのほうが盛り上がるからだろう。


  • 邪馬台幻想記
週刊少年ジャンプに連載された矢吹健太朗のマンガ。
主人公・紫苑は戦で故郷を失い、組織に仕える暗殺者となるが、暗殺対象として指示された邪馬台国女王・壱与と出会ったことにより、組織と戦う道を選ぶ。
彼らは国を統べるために伝説の「高天の都」を目指そうとするが、紫苑には組織から刺客が放たれる……

といった辺りで唐突に終わる。
そう、典型的なジャンプの早期打ち切り作品である。
その後作者が立て続けにヒットを飛ばして、ジャンプを代表する作家となったのはご存知の通り。

しかし、少年誌ではわりと珍しい古代日本を舞台にした世界観や魅力的なヒロインなどから、今でも一定の支持を保っており、
未だに連載再開を願う声も根強い。
…と、思っていたら…

ちなみに連載開始前の読み切りは青年へ成長した紫苑の前で 壱与が狗奴国の刺客に暗殺される 場面から始まり、
隠居した紫苑が跡を継いだ女王・霞奈の説得で再起する話だったり。


手塚治虫のライフワーク。「黎明編」が邪馬台国を舞台にしている。
この章のラストでは、邪馬台国は大陸からやってきた騎馬民族に滅ぼされるのだが、これは当時話題になった学説を取り入れている。


  • ナムジ
安彦良和のマンガ。日本神話の大国主の話を考古学的に置き換えるといったテイストの作品。
ここでは邪馬台国の開祖は秦の徐福という設定である。
異端の歴史学者原田常治の説を取り入れているのも特徴。


  • 雷火
原作:寺島優、作画:藤原カムイのマンガ。
神仙術を使う主人公のライカたちは、魏から狙われる邪馬台国と次期女王候補の壱与を守るべく陰謀と動乱に巻き込まれていく
…というNARUTOロト紋的な要素が混ざった歴史ファンタジー漫画。
後にこの作品のファンだった編集者からの企画で『マンガ日本史』(朝日出版社)の第一号「卑弥呼」も担当することになった。


  • 火魅子伝
1999年に始まった舞阪洸原作原案のメディアミックス企画。原作イラストは大暮維人(コミカライズ『火魅子伝 ~恋解~ 臥雲の章』も含む)とゆきやなぎ。
アニメ版は深夜アニメで、ゲーム版は『火魅子伝 ~恋解~』。
現代世界からパラレルワールドの古代九州・耶馬台国に飛ばされた九峪雅比古を主人公とするファンタジー架空戦記ハーレムもの(おお、最近の流行ぽいぞ)
本作品の「火魅子」とは現代側のヒロイン(メディアによっては空気だが)の名前でもあり、神々の力を引き継ぐ耶馬台国の女王の称号である。


  • 邪馬台国はどこですか?
鯨統一郎によるミステリー小説。
ミステリーといっても、登場人物が居酒屋で歴史上の謎について議論をするという内容の連作短編もの(ジョセフィン・テイの「時の娘」のオマージュのようなもの)。
表題作は、邪馬台国に関する多くの珍説をネタにしている。


卑弥呼、壱与の2人が登場。
所属は旧作では魏でリブート後は晋。基本的卑弥呼は中コスト、最高レアとして扱われている。
壱与は卑弥呼よりレアリティは落ちるの物基本的にスペックが高めにされている。


  • 超時空爆恋物語 ~door☆pi☆chu~
エロゲー。卑弥呼ルートにて邪馬台国と女王国は別物であり、邪馬台国が機内、女王国は九州にあり、卑弥呼とは氷巫女、陽巫女の当て字であり、雨乞いと晴天祈願を司る二人の巫女を指すとされる。
更に台与と壱与は双子の巫女であり、台与が卑弥呼、壱与は怨念として登場する。

真から卑弥呼が登場。
本作では筋骨隆々たるオカマで、貂蝉の師匠。
漢女道なる流派の大元締めで、貂蝉のふがいなさを見かねて海を渡ってやってきた。
本編では絡まないがおまけシナリオの漢女ルートでは貂蝉、華佗と組んで大暴れする。
ここまで史実ガン無視でやりたい放題やった卑弥呼は例を見ないだろう。なおキャラソンもある。
ついでに貂蝉と中の人が太宗のアニキと衝撃のアルベルトなのもよく話題になる


【邪馬台国をモチーフにしたもの】


『鋼鉄ジーグ』に登場する敵勢力。
古代日本を支配していたが、騎馬民族に追われ地下に姿を消し、現代に復活する。
支配者は女王ヒミカだが、彼女が復活させた竜魔帝王に殺害され戦力を吸収される。
戦闘員のハニワ兵士、巨大ロボのハニワ幻人という戦力を持つ。騎馬民族はどうやって勝ったんだ
なお冒険王版ではヒミカの子供がおり、元ネタの人と違って結婚していた様子。




追記・修正は南に水行十日陸行一月進んでからお願いします。


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最終更新:2024年02月01日 10:00

*1 当時の日本には文字が存在しなかったため。

*2 ほかには南北朝時代作の「後漢書」や、高麗朝鮮の「三国史記」などにもあるが、時代が下るため資料的価値は魏志倭人伝に劣る。

*3 実際には魏の使者は邪馬台国までは行っておらず、卑弥呼とも面会していないという説が一般的。

*4 例えば清代の史書「明史日本伝」には、豊臣秀吉が薩摩の出身だとか、織田信長が秀吉に命じて明智光秀を攻めさせたとかいった、日本人から見れば明らかに間違った記述がある。

*5 「五回失敗した」ことは有名だが、うち三回は周囲の反対で渡れなかったというもの。それを割り引いても、暴風雨により遭難しかけて撤収すること二回。三回目でやっと来日成功したが、同時に帰国するはずだった藤原清河、阿倍仲麻呂は遭難して渡航に失敗した。

*6 もしくは後世の複製者

*7 もしくは思想上の理論に合わせて書き換えた

*8 あるいは、魏の権威付けのために「最も遠くから朝貢に来た記録」を更新しようと話を盛った

*9 ただし縄文人南米渡航説は、現在はほぼ否定されている

*10 ただし文脈から考えて「結婚する年齢は越しているが独身」ぐらいの意味とも