アマデウス(映画)

登録日:2010/03/10 Wed 20:04:45
更新日:2024/03/21 Thu 21:25:55
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アマデウス(Amadeus)とは、1984年に制作された映画。ブロードウェイで好評を博した同名の舞台劇の映画版である。日本での公開は1985年2月。

監督は「カッコーの巣の上で」や「マン・オン・ザ・ムーン」で有名なミロス・フォアマン。

第57回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞、脚色賞、美術賞、衣裳デザイン賞、メイクアップ賞、音響賞の8部門を受賞した。2002年にはディレクターズ・カット版も公開されている。


【ストーリー】

1823年11月の凍えるウィーンの街で、一人の老人が発狂して自殺をはかり、精神病院に運ばれた。

数週間後、若い神父がその老人の病室を訪ねる。

すると老人は、この若い神父に意外な告白をはじめた。



「私はモーツァルトを殺した…」



老人の名は、アントニオ・サリエリ


かつてオーストリア皇帝に仕え、ウィーンで活躍した宮廷音楽家である…



【概要】

モーツァルトを殺したと言われる実在の作曲家・アントニオ・サリエリの回想を軸に、物語はモーツァルトの生涯も扱っている。

舞台では再現不可能なプラハ(中世以来の古い町並みが現存する)でのロケや、オペラ「後宮からの誘拐」「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」のハイライト・シーンなど、映画版ならではの見どころも多い作品である。

ただし、「サリエリが映画内のようにモーツァルトに嫉妬していた」というのは当時の音楽界で発生した都市伝説であり、歴史研究では否定されている。
この映画でサリエリという存在が広く知られるようになったのは皮肉といえば皮肉。

モーツァルト役のトム・ハルスはピアノと指揮法をマスターし、劇中のピアノ・シーンはすべて代役・吹替えなしでやっている。また劇中の指揮についても、音楽指導を行った指揮者・マリナー曰く「たぶん彼が音楽映画の中で最もちゃんとした指揮をしていると思う」とまで言わしめた。

屋内撮影には蝋燭の照明が使われているが、撮影監督は映画「バリー・リンドン(1975年公開)」で蝋燭照明撮影の為だけに用いられたツァイス製の衛星写真用レンズを、監督のスタンリー・キューブリックから借りようとしたが断られた。
そこで蝋燭自体の光量を増すため、芯が複数本有る蝋燭を特注して撮影し、より温かみのある映像に仕上がった。

なお、上記のレンズは伊丹十三監督には「貸してもいいよ」と即答している。
実はキューブリック、1975年公開の映画「カッコーの巣の上で」で、フォアマン監督にアカデミー監督賞を奪われているのだ。

本作は後のサリエリ像に大きな影響を与えており、彼が取り沙汰される際は大抵「天才モーツァルトに嫉妬するサリエリ」という本作に沿った言及がされるほど*1
特にアニヲタ的にはFate/Grand Orderにおけるアマデウスサリエリがキャラクタライズ面で本作に大きな影響を受けている事で有名。
彼らの代名詞となっている仮面も本作のポスターに描かれたサリエリがモデルであり、特に最終再臨時のセイントグラフなどポスターの構図そのままである。


【スタッフ】

監督:ミロス・フォアマン
原作:ピーター・シェーファー
音楽:サー・ネヴィル・マリナー

【登場人物】

  • アントニオ・サリエリ
演:F・マーリー・エイブラハム
本作の主人公で語り手。
もともとは神への感謝を忘れない敬虔なキリスト教徒で皇帝ヨーゼフ2世に仕える作曲家として地位にも名誉にも不自由しない順風満帆な人生を送っていた。しかし、自身の宗教観を嘲るような下品な天才モーツァルトの登場によって人生の歯車が大きく狂うことになる。
当初こそ彼に負けない傑作を作曲しようと対抗心を燃やしていたが、モーツァルトがもはや敵う存在ではないと悟ると自身を弄んだ神への復讐のため卑劣な手段で神に愛されたモーツァルトを破滅させるという歪んだ方向に突き進んでしまう。

信仰は捨てても音楽への愛情は本物であり、それゆえにモーツァルトのことは憎みながらもモーツァルトの曲には心酔し先進的過ぎる彼の音楽の唯一の理解者という複雑な立場にいる。
モーツァルトに曲の評価を聞かれると嘘は付けず彼のオペラは欠かさず鑑賞し、曲の口述筆記を担当した際には我を忘れてのめり込んでいた。

最終的に凡人であることを開き直り、自身を「凡庸なるものの頂点に立つ者」と称した。長年の屈辱の末に彼もある種の悟りの境地に達したのだろう。


  • ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
演:トム・ハルス
誰もが知っている「神に愛されし」天才作曲家であり本作のもう一人の主人公。
唯一無二の才能を持ちながらも、高慢かつ下品で軽薄と性格に大きな難があり、サリエリのみならず保守的な宮廷楽長など多くの人間を敵に回してしまう。さらに過労で倒れたコンスタンツェを尻目に夜遊びに出掛けるなど一家の大黒柱としてもダメ人間である*2

性格とは裏腹に音楽に対しては真摯で「私は下品でも私の曲は下品ではない」という発言が彼の音楽への姿勢を物語っている。
また、必ずしも自身の性格を開き直っているわけでもなく、父親の死に際しては流石に自己嫌悪に陥り新作にて自身を自虐してみせた。

終盤では病に倒れ*3自身の世話を焼いたサリエリに感謝を示し、彼から音楽家としての本音を引き出した。さらに彼に対する長年の非礼を詫び、この発言はサリエリを罪悪感で終生苦しめることとなった。

  • コンスタンツェ・モーツァルト
演:エリザベス・ベリッジ
モーツァルトの妻。
傾きかけている家計を助けようとサリエリに救いを求め辱めを受けたり、モーツァルトに対して高圧的に振る舞うレオポルトやシカネーダーに猛抗議するなど本作でも屈指の苦労人。最終的に子供を抱えて若くして未亡人になってしまうなど、彼女もまた悲劇のキャラクターの一人である。

ちなみに史実では世界三大悪妻説もある彼女だが、これについては多くの反論もある。

  • ヨーゼフ2世
演:ジェフリー・ジョーンズ
オーストリア皇帝。作中では言及するのみだが、マリー・アントワネットの兄。
彼もまた良くも悪くも凡庸な人物で、音楽を愛するもののモーツァルトの真価を理解するには至らず結果的にサリエリ達の策謀を許すこととなった。

  • レオポルト・モーツァルト
演:ロイ・ドートリス
モーツァルトの父親。
奔放なモーツァルトとは対照的に厳格な性格で、息子とは相性が悪くコンスタンツェとも対立し、最初で最後の訪問は険悪なムードで終わってしまう。
その後しばらくして亡くなり、モーツァルトは懺悔の意味を込めて「ドン・ジョバンニ」を作曲した。
レオポルトとの遺恨はモーツァルトの晩年に深い影を落とし、変装してレクイエムの作曲を依頼しに来たサリエリを見て「父が死神となって迎えに来た」と錯乱する。





「私は凡庸な人間の代表だ!彼らの守り神だ!君らの罪を許そう!凡庸なる者よ!」



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最終更新:2024年03月21日 21:25

*1 上述したように歴史研究の中で既に否定されているにもかかわらず、である。実際のサリエリは「サリエリがモーツァルトを殺した」という風説に心を痛めており、そういった質問には毅然とした態度で否定したと言われている。また、彼は慈善家として後進の支援にも熱心だったため、モーツァルトが才能に溢れているというだけで殺意を覚えるほど嫉妬したということも考えづらく、むしろモーツァルトの方が「イタリア人(=サリエリ)が自分の出世を邪魔している」などと吹聴していたという説もあるとか。

*2 史実のモーツァルトはコンスタンツェを療養に行かせるなどむしろ家族思いの性格である

*3 サリエリは「モーツァルトを殺した」と発言しているが、彼が手を下すシーンはなく、モーツァルトの死因はあくまで病死である