打ち切り(テレビ番組)

登録日:2018/09/03 Mon 19:21:13
更新日:2024/04/04 Thu 20:05:55
所要時間:約 152 分で読めます






「人類の毛の自由と平和は、必ず守って見せる!」

「みんなー、元気でねなのらー♪」

「えぇーーっ!? ここで終わりー!?」



この項目では、テレビ・配信番組における打ち切りについて、その背景事情や具体的な様相について紹介していく。
「打ち切り」という言葉そのもの、および海外ドラマとラジオ番組についての事情は打ち切り(海外ドラマ・ラジオ番組)
漫画は打ち切り(漫画)、ライトノベルは打ち切り(ライトノベル)、オンラインゲーム及びソーシャルゲームはサービス終了で解説する。

【概要】

テレビ番組には明確な放送期間が決まっているものとそうでないものが存在する。
例えばアニメやドラマは最初から「1クール13話」「1年間52話」などと放送期間と回数が決まっているものが大多数である。
一方でニュースやバラエティ、映画などは「いつまで放送するか」が決まっていない事が多い。

前者の場合、当初決められた放送回数よりも短期間で放送が終了してしまえば「打ち切り」となり、大変不名誉な事とされる。
逆に後者の場合、終わりどころの見極めが非常に難しいため、『トリビアの泉』(2002~2006)や『プロジェクトX~挑戦者たち~』(2000~2005)のように、いかに人気番組であってもその最後は「打ち切り」と呼ばざるを得ないものが多い。

番組のレベルが高くても延々と続けたがためにマンネリ化が指摘され、後述する視聴率不振になることもある。
そういう場合は改編の半年前位に終了が告知され、ゲストが豪華になる等お膳立てをたっぷり行い、視聴者側にも充分な準備を持たせたうえで最終回が作られる。

バラエティ番組等でもビッグネームが出てたりセットが派手だったりなど明らかに大きな予算が掛かっている、内容が多数回の放送を前提としているなど、
明らかに長期予定、またはそれを強く目指していることが推察できる作品が短命で終わるということも時々ながら見られる。
そういったケースの場合「惜しまれつつ終わる」というケースがまず無く、単に「失敗」など直接的にネガティブな言葉で表されることが大半である。

なお、この記事で扱う「打ち切り」は地方局で遅れて放送されていたものが編成の都合で打ち切られた場合は含まない。
それはアニメ過疎地域などの問題である。


【視聴率低迷による打ち切り】

最も多い打ち切りのパターンがこれ。
民放は基本的に他社のCMを流してスポンサー料を貰うのが収益の1つとなっているのだが、CMを流す企業の目的は「多くの人にCMを観てもらい、自社の製品を知って(買って)もらうこと」である。
故に視聴率の低い番組(=CMも見られていない)と判断されれば、スポンサーが撤退してしまう事があり、結果的にその番組で収益を上げるのが困難になってしまう為、打ち切りとなるのである。

ただし、関連グッズの売り上げが高かったり、スポンサー側が辛抱強く番組続行を要請するなど、スポンサーにとって気にならない事情*1があれば、視聴率が低かったとしても続行とされるケースがある。
もちろんその先に待っているのが奇跡の大逆転か、醜態を晒し続けた末の無残な失敗なのかはその時点では誰もわからないのだが……。

かつて視聴率において、録画勢は基本的にCMを飛ばしてみるため意味がほとんどないとされていたが、レコーダー付きテレビ受信機の普及もあり、2016年からはオンエアから7日間(168時間)以内に録画再生で視聴された割合を示す「タイムシフト視聴率」の調査が開始された。
また、2010年代以降はネット配信の存在も無視できなくなり、民放でも2015年からテレビ番組の見逃し配信サービス「TVer」を開始した。

これらの状況の変化から、2020年4月よりテレビ視聴率の調査方式がリニューアルされ、民放が重視する視聴率が「世帯視聴率」から「個人視聴率」に変わることになった。
これに伴い、テレビ朝日を除く*2各局では購買・消費意欲の高い13~49歳層の視聴率を重視するようになり、世帯視聴率が高くても個人やタイムシフト率が低く、視聴者層が高齢者に偏った番組を打ち切る例が増えるようになった*3
前述のTVerの普及後はテレビ局側もTVerの再生回数を指標とすることが増え、民放連側も定例会見で「もはや世帯視聴率は時代にそぐわない」という見解を示している。


打ち切りアニメの代表格。そして日本アニメの代表格でもある
前者は3クール、後者は4クールの予定だったが、視聴率不振によりどちらも1クール短縮された。
行きはさんざん難航したヤマトが、帰路はアッという間に帰ってくるのはこの短縮のためにほかならない。
もっとも、スタッフのトップである西崎が短いインターバルで会議を開き過ぎていたため制作はかなり遅延しており、スタッフ的にはこれで正解だった面も少しだけある。
その後、再放送で注目されるようになり、テレビ版を再編集した映画や続編作品が作られ一大ブームを巻き起こしたのは皆さんご承知の通り。

『ガンダム』はスポンサーのクローバーからスーパーロボット路線への転換を強いられたがこれを拒絶し打ち切られた。
だが、結果としてガンダムはリアルロボットの金字塔となり、アニメ業界や日本の文化に新風を吹き込む結果になった事は言うまでもない。
元々玩具自体は割と売上良好で作品自体も着実にファンを増やしていたのもあり、
打ち切り決定に怒ったファンたちからの抗議の手紙&電話でテレビ局が対応に追われ、これが原因で短期間での再放送が決定。
皮肉なことに再放送でようやく作品人気が視聴率に反映され、劇場版制作に繋がった。それからの人気は言うまでも無いだろう。
とはいえ、こちらはこちらで作画監督の安彦良和が途中で倒れたことからも察せられるように、スタジオの体力的に4クール丸々やれるか不安視していたスタッフはむしろ打ち切りに安堵したなんて証言もある。
なお、対象年齢高めで作っていたけど、スポンサー集めのために低年齢向けと事前に広報していたなんて話があったり無かったり

  • おてんば宇宙人(1981)
国際放映の児童向けテレビドラマ。アルファートゥインクル星の王女チカ(演・高見千佳)が、婚約者のギンギラ公爵(演・横山やすし)から逃れ、日本のとある家庭に居候…
と、同社の『コメットさん』や、後の東映『ちゅうかなぱいぱい!』『ちゅうかないぱねま!』のような、アイドル主演の魔法少女コメディもの。
ところが同日に開始した裏番組のせいかわずか9話で打ち切られる。その番組とはあの『うる星やつら』だったのだ。まぁ相手が悪かった。
最終回はごく普通のエピソードで、チカは地球に留まったまま。ギンギラ公爵との決着というメインシナリオも回収していない。

タイムボカンシリーズの作品。最低でも26話が製作される予定だったが、視聴率低迷により19話で放送は打ち切り。後に未放送の1話が再放送で日の目を見た。
新規視聴者獲得のためにとそれまで土曜18時30分だった放送枠が1時間下がり、山本正之や小山高生といったボカンシリーズの人気を支えた名スタッフをマンネリ化したからという理由でメインから外したりといった事情と、作風が『イッパツマン』から変わった事もあって人気が伸び悩んだ*4
更に放送時間移動先の19時30分台には裏番組に『クイズダービー』があったこと、おまけに野球中継による頻繁な放送休止も視聴者離れに拍車をかけた。
その後、タイムボカンシリーズはフジテレビを離れ、OVAを経て21世紀を目前にテレビ東京系で復活することとなる
それ以降は読売テレビ制作、7~8年周期でシリーズの新作が放送されている。

人気ゲームのアニメ化と過大な期待が寄せられたものの、野球中継などで度々中止にされ、シナリオを消化できなかった上に、
対象層の被る裏番組『おぼっちゃまくん』を始め、他局に視聴率を取られていたため打ち切られた。
そのため本来の予定とは異なる打ち切り用の最終回が制作・放送されたのだが、その内容は
「数十年後のヒロインと思われる老婆が孫らしき子供たちに結末を昔話として語る」というものであった。
このあまりにも強引かつ唐突な終わり方は、当時の視聴者に打ち切り最終回として強烈な印象を残すこととなり、後のアスキーアート「というお話だったのサ」の元ネタとされている。
しかし、翌年早々には打ち切り最終回をなかったことにした続きの第2部が放送され、物語は完結している。
ただ時間が関東ローカル枠だったため、第2部が放送されなかった地域では、
「打ち切りエンドのまま完結したものと思った」「再放送やレンタルビデオで初めて続きを知った」という視聴者も相当数いたようだ*5
なお、後年には地方局の再放送でも打ち切りになるが、それはまた後述。

1982年秋、日本テレビとよみうりテレビが「ゲキゲキアニメだ月・木・土」のキャッチフレーズとともに各曜日の夜7時にアニメ枠を追加新設、放送開始したアニメ。
しかし『あさりちゃん』『まんが日本昔ばなし』など裏番組の視聴率を崩せず、ゴールデン帯の児童向けアニメにもかかわらず1クール13話で早々に打ち切られた。
ただ『忍者マン一平』は次クールの金曜夕方に再放送が行われたため、一応半年は放送したことになる。

視聴率の問題もあるだろうが、例のキャッチフレーズやゲキゲキアニメ作品を掲載した下敷きを配るなどの積極的な広報活動を見る限り、局側の期待値があまりにも高過ぎたのは否めないだろう。
もし夕方や日曜午前などほかの時間帯だったら半年~1年続いていた可能性もあったかと思うと、毎回楽しみに見ていた良い子の視聴者が不憫でならない。
特に『忍者マン一平』はこの後、原作漫画の方も連載雑誌休刊により打ち切りとなったため、ファンは踏んだりけったりである。
なお、ゲキゲキアニメの残り1作『ときめきトゥナイト』は野球中継による約1クール分の休止を挟みつつも1年間完走した。

  • 炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ(1985)
少女漫画を原作としたタツノコプロ製作のフジテレビのアニメ。
1930年代~1940年代、第二次世界大戦前および戦時中のヨーロッパを舞台に繰り広げられたラブストーリー&サスペンス作品。
1年間の放送予定だったが、視聴率低迷(前番組『よろしくメカドック』が平均15%前後に対し、本作は一桁台を推移)のため、急遽20話で打ち切り。
あまりにも突然決まった打ち切りらしく、最終回においてはこれまで通りストーリーが進み、1940年6月のナチスドイツによるパリ占領まで描かれるが、ラスト2分で超展開。
ナチスの脅威がすっ飛ばされあっという間に戦後になり、主人公の結婚式が入ってEND。これまで積み重ねてきた謎や伏線を完全放置した。
タツノコプロも腹に据えかねたのか、2011年放送の『C』までの25年以上にわたり、タツノコプロのアニメがフジテレビで放送されることはなかった。
ちなみに、本作の後番組は、最高視聴率29.6%を記録する『ゲゲゲの鬼太郎(第3シリーズ)』である。

  • ピーマン白書(1980)
フジテレビが「3年B組金八先生」(TBS)や「熱中時代」(日本テレビ)といった学園ドラマブームに乗じて、かつて『マイティジャック』や『コント55号の世界は笑う』『欽ちゃんのドンとやってみよう!』を放送していた土曜夜8時枠で制作した学園ドラマ。
校長の「小学校からやり直せ!」という口癖を真に受けた中学生25人が中学校を集団脱走し、謎生物や説得に失敗して同行することになった担任教師と共に自分たちを受け入れてくれる小学校を求めて旅に出るというストーリー。ちなみに生徒役の一人は子役時代の冨永みーな
しかし裏番組が当時天下を誇っていた「8時だョ!全員集合」であったため初回から視聴率5%台と低迷。第2話に至っては2%台を記録してしまう。
このため全26話予定だったところを9話に短縮され、さらには6〜8話が飛ばされて全6回で打ち切り。
翌年の深夜に飛ばされた3話を含めて再放送が行われたが、これ以降は一切再放送もソフト化もされていない。

  • 警視-K(1980)
日本映画界の大スター・勝新太郎を監督・主演に招いて制作された刑事ドラマ。
ゲストには原田芳雄や緒形拳、ジュディ・オングといった豪華な面々が登場した。
セリフは全編アドリブとし、どのような状況でも現場録音のみで対応する*6という特殊な制作方式を採用した結果、
初回オンエア中から演者が何をしゃべっているのかわからないという苦情が殺到(当然ながら字幕解説なんてものはない)。
視聴率は第2話で4.2%と、現在の低視聴率番組と肩を並べるワースト記録*7を打ち出した。
これに加えて予算オーバーに無理な撮影スケジュールも相まって制作現場は破綻し、26話の予定だったところが13話で打ち切りとなった。
なお、当初予定していた最終回では主題歌及び音楽を担当した山下達郎をカメオ出演させる計画もあったが(当然ながら山下は拒否)、それが無くなったため山下は安堵したという。

  • Gメン'82(1982)
TBS制作のドラマで、1975〜82年に放送された人気ドラマ「Gメン'75」の続編。
土曜21時に放送されていた前作から日曜20時に枠を移しての放送となった。
しかし当時の日曜20時台はNHK大河ドラマ、「久米宏のTVスクランブル」(日本テレビ)、「西部警察PART-II」(テレビ朝日)、「オールスター家族対抗歌合戦」(フジテレビ)……と人気番組の並ぶ激戦区であり、平均視聴率は5%台と低迷。17話で打ち切られた。

  • もうひとつのJリーグ(1993)
日本テレビ制作のテレビドラマ。同年に発足したJリーグを舞台にしたドラマで、サテライトリーグで奮闘する「東京セインツ」所属の選手たちの活躍・青春を描く。
制作に際してヴェルディ川崎(現在の東京ヴェルディ)が全面協力し、出演者にはサッカーを実際にプレイできるタレントをオーディション実施の上で起用したり、
当時ヴェルディに所属していた永井秀樹選手や阿部良則選手などを登場させたりとかなりこだわった演出がされていたが、視聴率が伸び悩んだため5話で打ち切られた。
その後、鹿児島読売テレビ(KYT)が正式開局する前に行っていたサービス放送で全話放送されたのを最後に再放送やソフト化・配信はされていない。

  • オレたちのオーレ!(1993)
毎日放送制作のテレビドラマ。上記『もうひとつのJリーグ』と同じタイミングで放送され、同様にJリーグをテーマにしたドラマである。
こちらもJリーグブームにあやかって半年間の放送を見込んでいたが、こちらも最終的に視聴率が5%ほどにまで落ち込み、1クールで打ち切りとなった。
放送枠は元々バラエティ枠であり、人気クイズ番組『ダウトをさがせ!』が放送されていたのだが、これを打ち切りにした上でこの番組を始め見事にコケるという、さながら巻き込まれ事故のような有様となった。
この辺りでテレビ業界では「スポーツ関連の時事ネタに便乗したドラマは受けない」という共通認識ができたとされる*8
その『ダウトをさがせ!』は、ドラマ打ち切り後に2番組を挟んで『ダウトをさがせII』として復活するも、半年もしないうちにクイズ番組の要素を廃止し『ダウトをさがせR』にリニューアルしたが、視聴率が全く振るわず1年持たずに打ち切られた。
『ダウトをさがせ!』自体は元々それなりに人気があったため復活したのだが、当時の絶頂期の『マジカル頭脳パワー!!』が真裏にあったため*9あっさり撃沈してしまった。

前年にスペシャル番組として放送された本木雅弘版『西遊記』が好評だったため、孫悟空役を唐沢寿明に変更し、他のキャストも牧瀬里穂、柄本明、小倉久寛、柳沢慎吾と名優を揃え連続ドラマとして金曜日の8時に放送された。
…が、当時の裏番組は「ミュージックステーション」と強力なものがあり、プロ野球のナイター中継による休止も加わり22話の予定が17話で終了。
ソフトも1話のみを収録したVHSが1本出たのみで、全話を見る手段は無い。

  • ギンザの恋(2002)
ウルフルズのトータス松本を主演にした読売テレビ制作のテレビドラマ。
当初は10回の予定だったが、あまりの低視聴率から7話で打ち切りが決定。
6話の最後には「次回最終回!」と書かれたモノリスのようなものが落っこちる演出がなされた。
また、7話からは平山あやが出演予定だったがこれも取りやめとなっている。
あまりの唐突な打ち切りにトータスはショックを受け、俳優業を止めることも考えたという。
低迷最大の理由は裏番組の『SMAP×SMAP』で、ただでさえ相手が悪かったことに加え2002年1月14日放送分では当時交通事故で謹慎中だった稲垣吾郎の復帰生放送が行われ、番組最高視聴率34.2%を記録しており以降暫くは稲垣復帰の無双状態が続くことに。
なお、これに限らず同枠のドラマはスマスマに圧倒されて視聴率が低迷、制作サイドも「何をやってもスマスマに勝てない」と白旗を上げる状態で、最終的にドラマ枠は2004年3月で廃止となっている*10

今や世界的人気を獲得するカードゲームの原作だが、そのカードゲームが主軸になる前の連載序盤がベースであったため、物語やバトルの路線が定まっておらず迷走していた。連載時には人気が低迷したシャーディー編を飛ばさなかったのは褒めるべきか無茶と言うべきか
その上『YAT安心!宇宙旅行』や『ウルトラマンガイア』が裏番組であったことも追い打ちとなり、原作の人気を確固たるものにした「王国編」を目前にして打ち切りとなる。
原作者の高橋和希も「このまま続いていても視聴率は取れなかっただろう」と発言している。ただし高橋個人としては割と好きだったらしく、原作漫画単行本のあとがきで言及したりしている。
番組自体は打ち切りだが、主人公と同じ千年アイテムを持つ敵、バクラとの戦いを終えたところでキリよく完結したため、内容としては打ち切り感なく纏まっている。
後に放送開始されたテレ東版は初期こそ低迷したものの、オリジナル要素も交えたストーリーがカードゲーム人気とマッチして大ヒット、現在まで続く人気シリーズとなった。

  • 紳竜のコケてたまるか(1981)
テレビ東京で放送されていた島田紳助・松本竜介司会のバラエティ番組。
司会の2人がゲストとコントを繰り広げたり、ゲストの人相を占ったりするという内容であった。
しかし裏番組が「クイズ100人に聞きました」(TBS)、「釣りキチ三平」(フジテレビ)、「新・ど根性ガエル」(日本テレビ)と強豪ぞろいであったため視聴率は2~3%と低迷。わずか6回で打ち切られ、ラテ欄に「終」すらもつかない状況だったという。
紳助は後に自身が司会の「EXテレビ」にて、「コケてたまるか言うてすぐにコケた(笑)」と自虐的に当番組をネタにしていた。

  • 笑ってルンルン(1982)
テレビ東京で放送されていたバラエティ番組。司会は関根勤とみのもんた。
一般視聴者がネタを披露して賞金を稼ぐ「ルンルンキャッシュ」などのコーナーで構成されていた。
しかし裏番組が「Dr.スランプ アラレちゃん」であったためか、月曜19時というゴールデン帯であったにもかかわらず0.2~0.3%というとんでもない低視聴率を記録してしまい、わずか8回で打ち切られた。
関根によると当時のテレ東の社長夫人が番組を見て「何だこれは?」とつぶやいたらしい。
テレビ東京にも映像が残っていなかったが、当時高校生だったイジリー岡田が番組に出演した際に自分で録画しており、関根司会の「ウラ関根TV」にイジリーがゲスト出演した際に20年ぶりに放送された。

  • TVジョーカーズ笑(1983)
TBSで放送されていたバラエティ番組。前述の「Gメン'82」の後番組でもある。
堺正章、タモリ、中原理恵、研ナオコらがメインを務め、ゲームやバラエティなどのコーナーで構成されていた。
番組が放送された日曜20時はNHK大河ドラマ「徳川家康」、「久米宏のTVスクランブル」(日本テレビ)、「オールスター家族対抗歌合戦」(フジテレビ)の3番組が幅を利かせていたことから、「家康・久米・欽も真っ青!*11なる露骨に喧嘩を売るようなキャッチコピーを掲げていた。しかし初回の視聴率は1.2%と大爆死。以後も低迷し、わずか3ヶ月で打ち切られた。裏番組を脅かそうとするも逆に低視聴率で真っ青にさせられたのは言うまでもない。
TBSの同時間帯は前述の裏番組の影響で何をやっても長続きせず、同番組の打ち切り後はドラマ枠や単発特番枠と色々変わり、1987年開始のドキュメンタリー番組「新世界紀行」でようやく落ち着くこととなる。

  • 極楽テレビ(1985)
朝日放送制作・テレビ朝日系列で放送されたバラエティ番組。
島田紳助や野沢直子がレギュラーを務め、宇宙人一家が拙い日本語で日本の文化評論をする「アタマ一家」などのコントで構成されていた。
しかし裏番組に「木曜スペシャル」(日本テレビ)、「世界まるごとHOWマッチ」(MBS制作・TBS系)と人気番組が揃っていたため、初回放送では2.9%という深夜番組並みの視聴率を記録してしまった。このため初回終了時点で打ち切りが決定し、わずか5回で終了。
その後は一部出演者を入れ替えた上で「爆笑!!ライブハウス」と改題し*12、年末までつないだ。

  • ニッポン快汗マップ ガムシャラ十勇士!!(1987~1988)
日本テレビで放送されていたバラエティ番組。司会は山田邦子と柳沢慎吾。
一般参加者が敵の妨害を受けながら数々の難関を突破していくという内容であった。
しかし裏番組が全盛期の「ドラえもん」であり、かつ番組の内容がTBSの『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』とモロ被りであったため*13、ゴールデン帯であるにもかかわらず最低視聴率1.8%を叩き出してしまい半年で打ち切られた。

  • クイズ仕事人(1988~1991)
朝日放送制作のクイズバラエティ番組。司会は島田紳助。
「紳助に現金を払うことで回答を変えることができる」「紳助による円広志いじり」という、いつもの紳助ノリが受けて、関西ローカルの金曜23時台の放送でありながら20%台の視聴率を記録する人気番組へと成長。
これを受けて1990年に全国ネットのゴールデンタイムへ移動したものの、視聴率が関西では15~20%とまずまずだったにもかかわらず関東で3~4%という爆死になってしまった。
翌1991年にタイトルを「クイズバトルロイヤル待ったあり!」としてリニューアルしたものの、関東での視聴率が相変わらず伸びず、半年足らずで打ち切り。
この打ち切りは製作側に思うところがあったようで、1993年からほぼ同じスタッフで関西ローカルの「クイズ!紳助くん」を開始。こちらは後述の理由で打ち切られるまで18年の長きにわたって放送された。

  • 音楽派Together(1989)
TBSで12年近くに渡って放送された『ザ・ベストテン』の後継番組で、放送時刻は同番組より1時間繰り下げた。
前番組より続投の黒柳徹子に高田純次を加えた司会でスタートした。
しかし、この時期は歌番組全体が不振であり*14、その上前番組の目玉だったランキング要素がなくなりトークに重点を置いたためか、華やかさに欠ける内容となって視聴率がほとんど伸びず、3ヶ月で打ち切られた。
トーク主体の音楽番組といえば1994年にはフジテレビが『HEY!HEY!HEY!』を、1996年にはTBSも同様の『うたばん』を立ち上げ人気を博したが、それを考えると本番組はコンセプトが時期尚早だったと言える。

  • マダムんむん(1999)
TBS系列で平日正午から放映されていた情報バラエティ番組で、司会は小笠原亘(月曜 - 木曜)と安東弘樹(金曜)。タイトル通り毎回女優達をマダムと称して招き視聴者からの相談に答えていた。
ところが、当時平日のお昼はフジテレビ系「森田一義アワー 笑っていいとも!」が天下を取っており、裏番組の本作はなんと毎分視聴率測定不可能(要するに何分か実質誰にも番組が見られていないタイミングがあった)という珍記録を打ち立ててしまい、あえなく打ち切りに。
当時TBSはいいとも!を相手に3年間で6番組を作っては打ち切り、作っては打ち切り、を繰り返していた。安定は2000年4月から4年続いた「ベストタイム」まで待つことになる。

  • ニュースシャトル(1987~1989)
テレビ朝日で放送されていたニュース番組。メインキャスターは女優の星野知子。
それまで18時台に放送されていたニュース番組を19時台に移行するという形でのスタートとなった。
しかし開始時刻が19時20分とあまりに中途半端だった上、どの曜日もアニメ、バラエティ、野球中継などが並ぶ激戦区であったため視聴率は低迷。結局1年半で18時台に戻ることとなる。
しかしそちらでも「FNNスーパータイム」(フジテレビ)相手に苦戦し、移動後わずか半年で打ち切られた。
余談だがこの番組を始める影響で「ドラえもん」が18時50分開始に繰り上げられたり、「藤子不二雄ワイド」「宇宙船サジタリウス」を打ち切る必要が生じたりと番組編成にかなりの影響が生じた。特に「サジタリウス」は放送延長が決まりかけており、新主題歌の話も持ち上がっていたという。

  • JNNニュース22プライムタイム(1987~1988)
TBSで平日22時台に放送されていたニュース番組。メインキャスターは元NHKアナウンサーの森本毅郎。
「報道のTBS」のメンツを保つべく、裏番組の「ニュースステーション」に対抗して開始した。
しかし視聴率で「ニュースステーション」には勝てず、その上森本の不倫スキャンダルが文春にすっぱ抜かれたり、スポンサーのリクルートコスモス(現:コスモスイニシア)がリクルート事件に絡んでいることが発覚したなど不祥事が相次ぎ、番組のイメージも下がってしまった。
このためわずか1年で打ち切られ、「ニュースデスク'88(89)」へリニューアルするなどして再起を図るもこちらも1年で終了。流石にここで諦めたのか放送枠は23時台に戻され、メインキャスターに筑紫哲也を据えて「NEWS23」をスタート。こちらはリニューアルを繰り返しながらも現在まで続いている。
なお、当初はキャスターに黒柳徹子の起用が予定されていたが、スケジュール的に「徹子の部屋」「ザ・ベストテン」など他のレギュラー番組を降板する必要が生じた上、かつて「ベストテン」で共に司会をし、「ニュースステーション」のキャスター就任のためにベストテンを降板した久米宏と何かと比較されることに本人が難色を示したためお流れとなった。

当時TBSは視聴率でフジテレビに次ぐ2位に付けていたが、本改編と後述する92年の大改編が大コケし、坂道を転がるように転落してゆくこととなる。

  • 総力報道!THE NEWS(2009)
TBSが2009年春から開始した平日夕方のニュース番組。メインキャスターは小林麻耶。
放送時間は他局の17時・18時台より1時間遅い18時・19時台となり、電子番組表にはNHKの『NHKニュース7』を意識したためか、「NHKに真っ向勝負!」と書かれていた。
だが、開始前から混乱が起きてしまい、19時台を全国ニュース枠としたためか、同じ時間帯にローカルの野球中継を放送している局から苦情が殺到し、系列局のCBCテレビからは番組全体をローカル枠とするよう求めた末に19時30分での終了ができるようになったが、番組全編のネット返上までは認められなかった。
開始後も視聴率は4〜7%と低迷。テコ入れとして7月20日からは報道局デスクの竹内明が起用されたが、視聴率の改善は見込まれず、9月28日からは17時・18時台にフリーアナウンサーの堀尾正明がメインキャスターの『イブニングワイド』を開始したため、放送時間が19時台のみと短縮。最終的には2010年3月で打ち切りとなった。
本番組新設に伴い、TBSでは人気番組だった『フレンドパーク2』等を20時台に移動させるなど大型改編を実施したが、番組の打ち切りに伴い『フレンドパーク』が元枠に戻る(も更に1年後に終了)という特大ポカをやらかしている。前述の88年改編以来まるで成長していない…
これらの失態に継ぐ失態は他の事業にも影響し、特に横浜ベイスターズの暗黒期と言われる低迷を招いた遠因となってしまった。

  • 知りたがり!(2010~2012)
フジテレビで放送されていた平日の情報番組。メインキャスターはフジテレビアナウンサーの伊藤利尋。
2010年から午前10時台・11時台前半にて放送開始。これまでの枠は生活情報をメインとした情報番組が放送されてきたが、本番組では報道色を強めた内容にリニューアルし、関東地区での平均視聴率は5%で推移していた。2012年からは14・15時台に枠移動し*15、メインキャスターにフリーアナウンサーの住吉美紀が加わり、金曜日のみに出演していたロンドンブーツ1号2号の田村淳を全曜日のメイン格のコメンテーターとして起用した。
しかしながら、関東地区での視聴率は2%前後と低迷し、2013年3月29日を以って打ち切りとなった。

  • 日曜ゴールデンで何やってんだテレビ(2012~2013)
TBSで放送された、ビートたけしと石橋貴明が初共演にして総合司会を務めたバラエティ番組。
「今のテレビに足りないものとは何か?」等といったたけしと石橋が色々構成を練って実行していくという実験型痛快バラエティー。
しかし放送開始の時点で視聴率はぶっちぎりで低く、2013年3月3日放送分では3%程の視聴率しか取れなかった。これが災いしたか、その後はつなぎ編成にひっそり移行し、同年4月11日に局側が打ち切りを決定したと報じられた。
実質的な最終回である3月3日放送分では「終」のマークも一切無く、ネットを見て打ち切りを知った人も多い模様。

  • いっぷく!(2014)
TBSで放送されていた平日朝の情報番組。メインキャスターはTOKIOの国分太一。
1996年から17年半にわたり放送された『はなまるマーケット』の後継番組として放送開始。
これまでの『はなまる』の放送時間は他局の8時開始より30分遅い8時半開始だったが、この番組からは8時開始に設定している。
放送内容も『はなまる』で扱っていた生活情報を引き継ぎながら、他局のワイドショーのように時事ニュースを扱うコーナーも新設していた。
開始後の視聴率は1〜3%と大きく低迷。テコ入れとして9月29日からは前半をニュースコーナー、後半を生活情報コーナーとしたが、最終的には2015年3月で打ち切りとなった。


【路線変更絡みの打ち切り】

視聴率不振に陥った場合、打ち切りの前にしばしば行われるのが路線変更である。
現在の路線は視聴者にウケないと判断され、テコ入れとして新しいコーナーを設けたり番組のカラーを変更したりする(特に特撮番組に顕著。『ウルトラマンレオ』(1974~1975)、『仮面ライダーX』(1974)、『ブルースワット』(1994~1995)など。『レオ』の場合はオイルショックによる影響なので致し方ないが)。
このあたりは路線変更(特撮)の項も参照。

もっとも全く新しい事を行って視聴率が回復する保証はないという理由から、一度成功した番組のフォロワーと化す事が多い。
結果として旧来のファンからも見捨てられ、打ち切りとなってしまうのはよくある話である。

特に保守思考が根強いヲタ界隈では路線変更は基本的に評判が悪い。
著名な例を挙げると、路線変更を受け入れて4クールを放送しきった『仮面ライダー響鬼』(2005~2006)は「路線変更さえなければ…」「響鬼は前半まで」という評価が一時期幅を利かせており(路線変更に対して怒りを抑えきれなかった主演俳優の細川茂樹が、後半のメインライターが書いた最終回脚本を書き直すという異常事態を招いた)、
路線変更を拒否して3クールに放送短縮された『ウルトラマンネクサス』(2004~2005)は「よくぞ路線変更せずに作り上げた」という評価が一般的になっている。
とは言っても、『ネクサス』の脚本を手掛けた長谷川圭一は「放送短縮が決定した時点で脚本:村井さだゆき・監督:阿部雄一(現・アベユーイチ)による第4クールの回がクランクイン直前であった」と証言しているため、売上がよければ本来のストーリーで放送されていたのかもしれない。

ただ、一概に「路線変更は改悪」と決めつけるのは決して良い判断とは言い難い。
例えば初代『仮面ライダー』は初期の怪奇路線を転換した事で、『ルパン三世』は第2シリーズから子供向けを意識した事で、どちらも現在まで続く人気シリーズとなったのだ。バラエティ番組では『Qさま!!』が良い例だろう。

前述した『響鬼』についても、放送当時から「路線変更後も嫌いじゃない」「言われるほど悪くはない」「ガラッと変わったのは事実だけどそれはそれで面白い」「むしろ英断だった」という旨の声は少なからず存在し、
当時こそ否定派に押し切られた感はあるものの、時を経た現在は再評価する動きも増えつつある*16

何より『響鬼』は路線変更に踏み切った事で、その後ニチアサの平成仮面ライダー放送枠を10年以上維持し続ける成果に繋げている。その後の仮面ライダーシリーズの隆盛はアニオタ諸君も知るところだろう。
逆に『ネクサス』は放送短縮を受け入れた事で母体としていた「ULTRA N PROJECT」の頓挫、ただでさえ数十年以上に亘って赤字体質が続いていた円谷プロの業績悪化に拍車がかかり、
2007年に倒産寸前に陥った円谷プロがTYOに経営権を譲り渡す結果を招いてしまったという事実だけは念頭に置くべきである*17
そもそも放送短縮に陥ったのは、いくら内容が大人向けだったとはいえ、本来のメイン視聴者である児童層から支持を得られなかった事の裏返しなわけで、本末転倒な状態になっている事を忘れてはならない。

今や国民的アニメと化した『ルパン三世』、その記念すべきファーストシリーズ。
いわゆる「緑ルパン」として有名な今作は「業界初の大人向けアニメ」を標榜して製作されており、演出にあの『ムーミン』を手がけた大隅正秋、脚本にピンク映画出身の大和屋竺と異色の顔ぶれが並ぶ、極めて意欲的な作品だった。
しかしいざ放送開始されると、視聴率一桁台と大きく苦戦。アニメを放送すれば視聴率20%が当たり前だった時代背景もあり、桁違いに低迷していた今作はテレビ局やスポンサーの意向もあって路線変更を余儀なくされてしまう。
だがこれに猛反発したのが演出の大隈氏。「売れる保証もないのに今更子供向けに作り直せるか!」と激怒し降板してしまう。そこで急きょピンチヒッターとして起用されたのが、あの宮崎駿と高畑勲のコンビである。
二人による突貫工事とも言える軌道修正は功を奏し、視聴率も9%と多少は改善。だがやはりそれでも十分とは言えず、結局全26話予定のところを23話で打ち切りとなってしまった。

しかし皮肉なことに、打ち切りの憂き目にあってから数年後、再放送を繰り返すうちに人気が高騰。上述のセカンドシリーズが製作されるに至った。
その後の躍進ぶりは周知の通り。

路線変更前に予定されていたストーリーは想像で補完するしかないが、後年になって一部がコミカライズされている。
どれもハードボイルド色の強い内容であり、初期の作風が好みだというファンは決して読んで損はないだろう。

  • ほろにがショー 何でもやりまショー(1953~1959)
日本テレビの開局翌月から放送されていたゲーム番組。
内容は一般の視聴者たちがくだらない他愛のないゲーム*18で競うという内容で、昨今のバラエティー番組の先駆けともいえる内容であった。
1956年の放送分において、当時プロ野球を凌駕する人気を誇っていた東京六大学野球の早慶戦で「早稲田側の応援席で慶應の旗を振った人に5000円を進呈」という企画を放送したが、実は「一般の参加者には危険すぎる」という理由で俳優にやらせていたことが発覚。
これに批判が殺到し、東京六大学野球連盟が日本テレビでの試合中継を拒否する事態にまで発展した。
この影響でマイルドな内容に路線変更せざるを得なくなり、その結果人気が落ちて打ち切られた。
ゲーム企画自体は1963年開始の「底ぬけ脱線ゲーム」に引き継がれた。

  • 気まぐれ百年(1966)
日本テレビで放送されていたバラエティ番組。
青島幸男や牧伸二が出演し、(放送当時)100年前の明治と現在を風刺交じりに比較するという内容であった。
視聴率は高かったが、スポンサーの日立から「風刺が過ぎる」とクレームがついたため第2回以降は内容を変更せざるを得なくなり、番組自体もわずか4回で打ち切られた。

  • お笑い頭の体操(1968~1975)
TBSで放送されていたバラエティ番組。司会は大橋巨泉。
芸能人が「創造力テスト」や「定義づけテスト」といった様々なテストに挑戦するという内容で、最高視聴率30%を記録するほどの人気番組であった。
しかし同時間帯にフジテレビで「欽ちゃんのドンとやってみよう!」が始まったころから視聴率は10%前後にまで低下。スポンサーのロート製薬からテコ入れの話が出るも巨泉は「てこ入れなら俺は辞める」「新番組を作ろう。新番組ならやる」と発言したため、1975年12月をもって番組は終了した。
そして巨泉が企画した新番組こそが後に最高視聴率40%を記録するほどの人気番組となった『クイズダービー』である。
巨泉はこの件について後に「番組には寿命が来ており、テコ入れしても数年で打ち切られるだろうから、視聴率が取れているうちに新番組を始めるつもりだった」と語っている。

スポンサーから要請された路線変更を拒否して打ち切られたケース(……と言われていた。詳しくは後述)。
打診されたのは主な視聴層とメインターゲットがある意味正反対で、玩具の売り上げ低迷に繋がったため。

なんでこうなったのかと言うと、そもそも「男女の愛」をテーマにしたことで「ダイモス」は、
「ロボットアニメと混ぜた『ロミオとジュリエット』」とも評される女の子向けアニメもビックリな純愛ドラマが展開されていたからである。
結果、「メインターゲットである少年たちは気恥ずかしさから他の番組に流れてしまい、恋愛ドラマに惹かれた少女たちがこぞって見るようになった」というのが大まかな経緯(元々前々作前作はいずれも女性ファンが非常に多く、その流れとの相乗効果なのか『ダイモス』は相当な数の女性ファンがいたのだった)。
そりゃ玩具が売れないわけである。
そしてスタッフが路線変更を拒否したのも、その内容が「ヒロインを殺害して普通のロボットものに回帰してくれ」という、作品のテーマを最悪な方法で根本から否定する物であったから。
長浜監督はこの打診に激怒し、「変更するぐらいなら打ち切りの方がいい」と啖呵を切ったのが打ち切りの真相である。

実際に打ち切りが決まったことで下記の様に多少のブラックな要素が削られるという一側面でのプラス効果は生じたものの、
終盤の展開が慌ただしくなるという弊害も生じており、スポンサー側の打診の内容もかなり悪質だったのもまた事実であった。
勿論、打ち切りでも構わないことを言葉で表明してしまった長浜監督にも責任はあるが、この件に関してはスポンサーの非の方が遥かに大きいと思われる。

もっとも路線変更せずに打ち切られなかった場合は、自業自得な末路を辿ったある主要人物の悲惨極まりないその後の姿で作品を終わらせる予定だったので、
スタッフ達には悪いが、メイン視聴層であった少女たちの精神衛生を考えたら打ち切りを決めた局側の判断は正解だったのかもしれない。
番組自体は年を越しているし、実際に制作された最終回の方も少々ビターながらちゃんとハッピーエンドで終わっている。
長浜監督を筆頭としたスタッフたちもテーマを貫徹できた満足感もあってか、打ち切りになったこと自体は殆ど気にしていなかったようだ。

……という理由が打ち切りの理由であると長らく言われてきたが、
当時東映のプロデューサーであった鈴木武幸が2018年に発表した著書『夢を追い続ける男』にて、
「(ダイモスの)玩具の売れ行きも視聴率も悪くなかったが、後番組『バトルフィーバーJ』を2月スタートに早めて欲しいという局側の要望で打ち切らざるを得なくなった」
という当時の事情について言及しており、上述の定説については若干信憑性が揺らぎつつある現状である。

  • 大激闘マッドポリス'80(1980)
渡瀬恒彦主演の刑事ドラマ。全国の暴力団を統一した組織・ジャパンマフィアの壊滅を目的に結成された警察の特殊部隊、通称マッドポリスの活躍を描いたもの。
10秒に一発撃ち、一分にひとりの犯人が死ぬ」というキャッチコピーのもと毎回戦争さながらの過激なアクションが描かれたが、週刊誌や新聞の投書欄に苦情が殺到しスポンサーからも問題視され、最終的に16話でジャパンマフィアが壊滅して打ち切り。
残りの10話はキャスティングや設定はそのままで路線をマイルド化し、タイトルを「特命刑事」と変更して完走した。

  • 突撃HOTスタジオ!(1982)
TBSで放送されていたバラエティ番組。
たのきんトリオ・ビートたけし・松本伊代をメインに置き、ミニドラマやゲーム・歌で構成されていた。
ところが当時の裏番組は常時20%越えの「Dr.スランプ アラレちゃん」「うる星やつら」だったこともあり初回視聴率が6.2%、以降も4~6%台を彷徨うなど一貫して低迷し、同年6月末で打ち切り。
翌月からは出演者はそのままで、全編架空の番組宣伝風コントに変更した『笑ってポン!』にリニューアルして9月まで放送。視聴率は12回中6回で10%超えを記録するなど「HOTスタジオ」よりも好調だった。
『笑ってポン!』はその馬鹿馬鹿しいながらも一度聞いたら忘れられないネーミングに加え、たけしが「たった3回で打ち切り」などとネタにしまくり*19、後年の『風雲!たけし城』にも「〇〇でポン!」という名前のゲームを多数作ったことから一定の知名度を誇っており、ある雑誌で実施した「有名な短命番組ランキング」では堂々の一位に輝くなど、本番組の存在を考えると皮肉な結果となっている。


【不祥事による打ち切り】

やらせや捏造や盗作の発覚、出演者やスタッフ・芸能事務所の不祥事や軋轢、収録中の事故、その他視聴者から「これはおかしいのでは?」の意見が多数寄せられ、それが概ね事実であった場合を含む不祥事が発生すると多くの場合番組はあっという間に打ち切られる。
ただ、死亡事故などの大事に発展せずに済んだ場合、元の番組が打ち切られても関連番組の放送は継続されたり、安全対策を強化した後継番組が作られることはある。
また、ドラマや映画の場合は「不祥事を起こした人物の出演部分を削除」「キャラクターはそのまま演者を交代させる」「別の役者が演じる新キャラに交代させる」などの措置が取られるケースがあり、
連続作品ではヘッダー指揮官役の潮建志が覚せい剤所持で逮捕された『バトルフィーバーJ』、初代イエローフォー役の矢島由紀が蒸発し、その結果衝撃的な退場回が描かれた『超電子バイオマン』がこれに当たる。

幸いにしてサブカル作品とはあまり縁のない打ち切り理由だが、主演の杉浦太陽が誤認逮捕された『ウルトラマンコスモス』(2001~2002)はかなり危なかった。

やはり不名誉な理由であるために、この類のものはそれまでの内容に関わらず叩きの対象にされやすい。
不祥事の背景には「過剰なまでの視聴率追求」「局側のチェック体制の不備」「プロダクションへの丸投げなど杜撰な制作体制」が報じられることが多く、それがずっと繰り返されているため自浄能力作用が無いと見られていることも叩かれやすい一因。
中には「話は良かったのに…」と擁護されることも無いわけではないが…。

  • アフタヌーンショー(1965~1985)
テレビ朝日の昼のワイドショーで、やらせで打ち切られた番組の代表格といえばまずこれが上がる。
というより「やらせ」という言葉が一般化したのはこの不祥事がきっかけだったりする。

ヤンキー少年少女同士のリンチを「激写!中学女番長!!セックスリンチ全告白」として放映したが、警察がこれを見過ごさず、本格的に捜査を開始。捜査の末に関わっていた少女が逮捕され、警察で「ディレクターが暴力した側の不良少年少女にお金を払って演技させた」と白状したため、やらせであったことが発覚。
しかもこのディレクターは現場でさらなる暴力を煽りたてていた上、被害者としてリンチを受けた側は一切事情を知らされていなかった(つまり、完全なとばっちり&無許可撮影)。世間ではそれを犯罪教唆と言うのだが、視聴率のことばかり考えてそういった倫理観が全く欠如していたようだ。
更には後日、被害者側の少女の母親が線路に飛び込み自殺するという取り返しのつかない結果になってしまった。

当然ながらディレクターは逮捕された上に解雇処分を受け、出演者が次々降板を表明して番組は打ち切りになり、テレビ朝日は危うく廃業(=放送免許剥奪)の危機に直面することになった。
どうにかお上の郵政省(現:総務省)には許してもらい免許再交付をされたものの、行政指導と厳重注意を食らっている。ついでに民放各局に要望書が出される事態に。
最終的には少女とディレクター含む5人が逮捕された。
なお、打ち切りとは言いながら長らく放送されたことから最終回はきっちりと用意され、そこでは20年を振り返る特集が放送された。

この一件により、当たり前だがテレビ朝日の信頼はガタ落ちとなり、長らく視聴率4位に低迷。
その後、テレビ朝日の昼の番組枠は以後10年に渡って半年~1年前後で打ち切られる短命番組が並ぶ「魔の枠」となり、払拭されるには1996年にスタートした『ワイド!スクランブル』を待たなければならなかった。幾度の放送時間の変更はあるものの、『アフタヌーンショー』のみならず『笑っていいとも!』終了後の同時間帯では最長寿番組となっている。
1987年に「新・アフタヌーンショ―」としてスキャンダルネタ抜きで復活するも、視聴率が低迷したうえ、ロケ中にスタッフの水死事故が起こるなどしたため半年で打ち切られた。

  • 土曜ショー(1966〜1972)
NETテレビ(現・テレビ朝日)で土曜昼に放送されていたワイドショー。
当初は主婦向けの内容であったが、1971年頃からは天皇制や公害、自衛隊といった際どい内容を取り扱うことが多くなり、郵政省からも問題視されていた。
そんな中、1972年8月12日には「禁止!禁止!それでも歌う!!」という企画を放送。その内容はというと…
「特定の歌を自主規制コードを作って放送禁止にしている業界のナンセンスぶりを皮肉ることで表現の自由について考える」
もうこれだけで危ない予感がする
番組では泉谷しげるが、民放連が要注意歌謡曲に指定している「戦争小唄」を一部歌詞を変えて、さらに後に要注意歌謡曲に指定される「先天性欲情魔」を民放連の音楽審議会のメンバーの目の前で歌唱。さらに泉谷は鶏肉の缶詰の生CMに向かって「くだらねぇ!!やるんじゃねぇ!!!!」「こんなもんうめぇわけねぇだろぉっ!」と罵倒。これが大問題になり、番組は同年9月で打ち切られた。
なお番組は1974年に復活するも、1年で終了している。

  • 真夜中の警視(1973)
関西テレビ制作のドラマ。
撮影中に主演の原田芳雄が自動車事故を起こし、原田とスタッフ数人が軽症を負った。
…と、ここまでだったら撮影中のトラブルで打ち切りまでは行かなかったのだが、何と原田は当時無免許であった。このため道路交通法違反違反で逮捕されてしまい、全13回予定のところを7回で打ち切られた。これにより次番組「追跡」の開始が繰り上がることとなったが、こちらもまた別の理由で打ち切られている。(詳しくは後述)

  • たけし軍団!ヒット&ビート(1986)
テレビ朝日で日曜昼に放送されていたバラエティ番組。たけし軍団初の冠番組であった。
しかし1986年12月にあのフライデー襲撃事件が発生し、メンバーのうち11人が逮捕されてしまう。このため12月21日放送分で打ち切られた。
翌年4月に新たな冠番組「パァーッといこうぜい」が同時間帯でスタートするも、裏番組が「笑っていいとも!増刊号」だったためかわずか3か月で打ち切られている。

  • 世界の超豪華・珍品料理(1986~1998)
フジテレビで不定期放送されていた特番。
芸能人が海外に出向き、蛇、ワニ、ムカデ、ピラニアといったゲテモノ料理や激辛料理を食べるという内容で、そのリアクションが見どころであった。
しかし1998年の放送回にて、ワシントン条約で国際商取引が禁止されているベンガルトラの料理を出演者に食べさせたことに対しWWF日本委員会が抗議。これ以降は1度も放送されず、打ち切り状態になっている。
ただし関係ない部分は後にDVD化されている。

  • いつみの情報案内人・素敵にドキュメント(1987~1992)
朝日放送のドキュメンタリー番組。
打ち切り理由は上記の『アフタヌーンショー』同様やらせで、ナンパについての映像に出ていたのが素人ではなく、製作会社が雇った女優であることが判明。
司会の逸見政孝が「ドキュメント番組の制作者が最もやっていけない事をやったのは失格です。番組名に私の名前が入っている以上、私の知らない所で行われた行為とは言え視聴者に対する責任を負わなければなりません」と視聴者に向けて謝罪し、番組を降板。そのまま打ち切られた。
なお、この一件で朝日放送はお上から厳重注意を受けている。

  • 疑惑の家族(1988)
TBS制作のドラマ。
出演者の一人であった横山やすしの息子・木村一八がタクシー運転手への暴行容疑(それも「相手を再起不能にするほどの重傷を負わせる」ほど酷いもの)で逮捕される事件が発生。木村の出演シーンをカットしてストーリーの見直しを図るも、低視聴率だったこともあり全12回の予定だったところを9回で打ち切られた。

  • ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!(1990~1993)
ウッチャンナンチャンの冠番組で、前述の打ち切りドラマ『ピーマン白書』と同じく、後に『めちゃ2イケてるッ!』が放送される「土曜8時」枠で放送されていた。
番組中のゲームでゲスト出演した香港のバンド・BEYONDのリーダー黄家駒が収録中に事故死したため打ち切られた、「不祥事打ち切り系」では最悪のケース。
幸いにも後に事件に関係ない部分はDVD化されている。
この打ち切りはスタッフにとってもかなり悔しいものだったようで、後にウンナンがホスト格を務めた『笑う犬』シリーズの初期は「YARANEVA」というサブタイトルが付いていたほど。

  • 1or8(1991)
フジテレビの深夜バラエティ番組。
「ヒロミがロケット花火をたくさん背負って宇宙へ行く企画!!」と題してヒロミに6000本のロケット花火を括り付け、宇宙に飛ばそうという明らかに無謀な企画を実行したところ、強風に煽られて花火の火が尻に燃え移り、大やけどを負ってしまった。当然ながら企画はお蔵入りとなり、番組自体も騒ぎが大きくなりすぎたことなどから9月で終了となった。

  • 超近未来遭遇!! どーなるスコープ(1992)
読売テレビ制作の関西ローカルバラエティ番組。
「出張アンケート・看護婦さん大会」のテーマで看護婦たちを呼んで座談会を行うという企画を放送したが、実際は現場で働く看護婦ではなく、看護学生やアルバイトなどの「替え玉」を出演させていたことが発覚。番組は12月をもって打ち切られ、この一件で読売テレビはお上から厳重注意を受けている。
その後、同枠は再放送や海外ドラマで半年繋いだのちに新番組が開始。この番組こそが今なお続く『大阪ほんわかテレビ』である。

  • クローズアップ現代(1993〜2016)
NHKの報道番組。
2014年に放送された回にやらせがあったことが発覚。1年近くかかって調査が行われ、メインキャスターの国谷裕子が降板して打ち切りとなった。
翌年キャスターを交代した上で『クローズアップ現代+』としてリニューアルして復活。

  • 筋肉番付(1995〜2002)
TBSのバラエティ番組。様々な分野から集めた力自慢達が各種競技で体力と技術の限界に挑戦する。各球技のプレーヤーが用意された板を制限時間内に割るストラックアウトや、後述のSASUKE名物プレイヤーとなる山田勝己もこの番組に出演していた。
しかし、出演者が負傷する事故が発生したため打ち切られた。
跡継ぎとして安全対策を強化した後継番組『体育王国』が作られたが、こちらも放送終了。
一方で派生番組にあのSASUKEシリーズやスポーツマンNo.1決定戦シリーズがあり、これらは不定期特番として現在も放送が続いている。
また、筋肉番付の流れを汲むスポーツ番組としては『炎の体育会TV』が放送されている。

  • TBS制作の情報・ワイドショー番組(1996)
1996年、ワイドショーのスタッフがオウム真理教の幹部に坂本弁護士の取材ビデオを見せ、それが坂本弁護士一家殺人事件の発端となったとされるいわゆる「TBSビデオ問題」が発覚。TBSは激しい非難を受けることとなった。
これを受けてTBSはワイドショーからの完全撤退を発表。これによりワイドショーを製作していた社会情報局が廃止され、「スーパーワイド」「フレッシュ!」「モーニングEye」「スペースJ」の4番組が打ち切られた。
ちなみに『モーニングEye』の打ち切りを受けて始まったのが『はなまるマーケット』で、当初は半年間のつなぎ番組の予定だったが、結果的に18年も続く人気番組となった。

  • 広島もてなしキング(1997~2000)
テレビ新広島で月曜19時から放送されていたローカル番組。
広島県内在住の家族が芸能人を自宅に招待してもてなすという内容で、フジテレビの「おはよう!ナイスデイ」でも当番組の企画を流用した「日本全国もてなしキング」が放送されるほど有名であった。
しかしナビゲーターの佐藤幸弘(テレビ新広島アナウンサー・当時)が東京都内で強制わいせつの疑いで逮捕されたため2000年10月をもって打ち切られ、その後は12月までフジテレビで同時間帯に放送されていた「男と女!!雨のち晴」をつなぎ番組として放送した。
2005年にテレビ新広島開局30周年記念特番として、初代ナビゲーターの棚田徹を据えて一度だけ復活した。

  • 愛する二人別れる二人(1998~1999)
フジテレビのバラエティ番組。
応募した夫婦の視聴者の中から選ばれた夫婦が、結婚生活の続行か離婚かを決める番組。
不倫相手といがみ合いを始めたり、出場者がレギュラーパネリストの発言に激怒してスタッフや司会のみのもんたが制止したり、ひとまず一件落着したかと思ったら別の不倫相手が出てきてまた修羅場ったり、という場面が放送され人気を博した。
しかし当たり前だがそう毎週毎週修羅場を山程抱えた夫婦が来るはずがなく、視聴率を取りたいがためにやらせに走り、それが番組に出た一般人の女性が自殺したことで発覚し、いくら視聴率が取れていても…という上層部判断により番組が打ち切られた。
この番組の打ち切り後、半年近くのブランクを経てみのを司会者に据えたまま開始したのがあの『クイズ$ミリオネア』である。

ちなみに、この番組には元ネタとして1991年からアメリカで放送されていた『ジェリー・スプリンガー・ショー』という番組が存在する*20
こちらは出演者同士が放送禁止用語による罵倒や取っ組み合いの喧嘩になるなど素人版WWEともいえる過激な展開が特徴で、本国では低俗番組と槍玉に挙げられていた。
しかし番組の人気は非常に高く、最終的には2018年に終了するまで27年も続く人気番組となった。

  • 二重マル健康テレビ(1998~2001)
福岡の健康食品販売会社・アサヒ緑健の一社提供の健康情報番組。
ゲストを招いて健康の秘訣をトークしたのち、同社が発売する「緑効青汁」を紹介する。
全国の地方局・BSデジタル局・CSで大量に放送され、同社の知名度および青汁の売り上げを大きく伸ばしたが、厚生労働省から番組内容が薬事法に抵触するとの通告を受けて2001年4月に打ち切り。
以降は同社の番組はドキュメンタリーを制作し、その最後に青汁のCMを流す方式に変更された。

  • ぴーかんテレビ(1998~2011)
東海テレビの情報番組。
震災の被災者を思いっきり馬鹿にしたテロップを誤って表示したため非難が殺到、打ち切られた。
不祥事の背景として、地方局における番組制作体制の厳しさがあったことが発覚している。
なお、東海テレビでは番組打ち切り後は再放送枠としていたが、2013年からは後番組として『スイッチ!』が放送されている。

  • そこが知りたい 特捜!板東リサーチ(1999~2012)
CBCテレビのローカル情報番組。
メイン出演者の板東英二が自身の所属事務所で所得隠しをしていたことが発覚。休止後そのまま打ち切られた。
ちなみに板東の不祥事発覚後に放送されるはずだった正月特番は石川県の北陸放送と長崎県の長崎放送でも放送されることが決まっており、北陸放送はTBSから番組を受けることで対処したが、長崎放送は代わりの番組が確保できなかったため、そのまま放送した。

またこの打ち切りを機にCBCテレビで代替番組として始まったのが、後にTBSをはじめとしてJNN系列局でのネットを着実に増やす事となる『ゴゴスマ -GO GO!Smile!-』である。

  • プライスバラエティ ナンボDEなんぼ(2000~2010)
関西テレビ制作のバラエティ番組。
MCのメッセンジャー黒田有とニュース番組の放送中に自身がカツラを着用していることを告白したアナウンサー山本浩之がそれぞれムダレッド・ムダブルーに扮し、
視聴者から寄せられた情報を元に無駄遣いばかりしているとされる女性宅を訪問し、無駄遣いの実態を暴くコーナーが人気を博した。
メッセンジャー黒田が傷害事件を起こして逮捕されたため、急遽放送を中止。
そのまま再開されること無く打ち切られ、黒田自身も関西テレビでのレギュラーがなくなったが、2014年には『ナンボDEなんぼ』のMCだった2人に東野幸治を加えた3人がMCの番組『ちゃちゃ入れマンデー』がスタートし、番組名に反して火曜日に移動したが続いている。

  • 奇跡の扉 TVのチカラ(2002〜2006)
テレビ朝日制作の生放送情報番組。
毎回全国各地の未解決事件や行方不明者の捜索などをテレビを通じて視聴者に呼びかけ、解決に導こうというもの。毎回安定した視聴率で、実際に解決された事件も多くあった。
しかし2006年7月、番組プロデューサーの使途不明金疑惑が発覚。前々から番組内容に対する苦情*21が多く寄せられていたこともあり、同年9月で打ち切られた。
ちなみにこの番組の後枠として深夜からゴールデン帯に昇格したのが「Qさま!!」である。

  • 雲と波と少年と(2003)
日本テレビのバラエティ番組。
メイン企画担当の番組スタッフが飲酒運転で死傷事故を起こしたためにメイン企画が打ち切られ、番組そのものも低視聴率を理由に打ち切られた。
もっとも、この番組自体が2003年1月を以て打ち切られた「電波少年シリーズ」*22の2003年春改編までのつなぎ番組だった。
打ち切り後は同年4月の『エンタの神様』開始まで『電波少年』の総集編や特別番組で繋いだ。

  • みごろ!たべごろ!デンセンマン(2003)
テレビ朝日で日曜早朝に放送されていたバラエティ番組。
1970年代に放送されていた「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」のリメイク版で、午前4時台としては異例の視聴率2%台を獲得した「みごろ!たべごろ!ナントカカントカ」の後番組である。
番組公式サイトに「番組を応援してくれる方を募集!!ビデ○リサーチの視聴率を取る機械を持っている人!大歓迎」と当時問題になっていた日テレの視聴率買収問題を皮肉った文言を載せたところ、テレ朝から「不適切である」としてページ削除を命じられ、直後に番組自体もわずか5回で打ち切りとなった。
最終回も特に最終回らしい内容ではなく、番組の最後に「この番組は都合により本日で終了します」というテロップが流れたのみであった。

  • 教えて!ウルトラ実験隊(2004~2005)
テレビ東京制作のバラエティ番組。
日常生活で目にする様々な現象を科学的に調査するという内容であった。
花粉症対策を特集した2005年1月25日放送分にて、臨床研究中の「舌下減感作療法」と呼ばれる花粉症治療法を千葉大学の協力を得て撮影し紹介したが、治療実験自体を行っていないにもかかわらず実験により花粉症が治ったと見せかけるような放送をしていたことが発覚。低視聴率だったこともあり4か月で打ち切られ、総務省から厳重注意を受ける事態となった。
なお番組を制作していた日本テレワークは次項でテレビ史に残る一大不祥事を起こすこととなる。

  • 発掘!あるある大事典II(2004~2007)
関西テレビ制作・フジテレビ系のバラエティ番組。
『発掘!あるある大事典』(1996~2004)より改題した番組で、食や健康を中心とした暮らしにまつわる情報を視聴者に提供する。
放送の反響は凄まじく、番組で取り上げられた食品が翌日売り切れることもザラだった。
一方で、実験に対して「無意味ではないか」と専門家から疑問の声が尽きなかった面も。
そこに2007年1月7日放送の「食べてヤセる!!!食材Xの新事実」という納豆によるダイエット効果を取り上げた内容で捏造やデータの改ざんが発覚。
  • アメリカのダイエット研究で、56人の被験者を2グループに分けて、一方のグループにのみDHEAを投与し、半年間その違いを比較した実験を紹介した際に、痩せた被験者の例として3枚の比較写真を使用したが、これらの写真はいずれも被験者とは無関係なものであった。
  • テンプル大学のアーサー・ショーツ (Arthur Schwartz) 教授のコメントで、実際には「DHEAの摂取により痩せる効果がある」という趣旨で発言したが、番組では「日本の方々にとっても身近な食材で体内のDHEAを増やすことが可能です。体内のDHEAを増やす食材がありますよ。イソフラボンを含む食品です。なぜなら、イソフラボンはDHEAの原料ですから」と教授が述べていない事実を日本語の吹き替えを利用してあたかも述べたようにコメントを捏造して放送していた。
  • 番組で行った8人の被験者の中で、中性脂肪値が高くて悩んでいた2人は「完全な正常値に戻った」とコメントし、そのデータを紹介したが、実際には血中の中性脂肪値・コレステロール値・血糖値についての検査は行っていなかった。
  • 「あるあるミニ実験」として、納豆を朝2パックまとめて食べた場合と朝晩1パックずつに分けて食べた場合の比較実験のデータを放送したが、実際には血中イソフラボンの測定は行っていなかった。
  • 体内でつくられるDHEAは20代をピークに減少し、食べ過ぎや運動不足によりDHEAの量が低下している可能性があるとして、22歳OL、25歳会社員、37歳会社員のDHEAの量を測定し、年齢の基準値と検査結果をテロップ表示で比較したが、血液採取は行ったものの実際には検査は行っておらず、数字は架空のものであった。
  • 『DHEA分泌は加齢とともに低下する』ことを示したグラフは、慶應義塾大学出版会発行の著作物より無許可で引用していた。

この捏造発覚を受けて番組は急遽打ち切りとなり、これまで複数販売された書籍が事実上の封印作品となり本屋・図書館・小中学校の図書室から撤廃。
その後、外部有識者による調査委員会を立ち上げ、前身の『発掘!あるある大事典』と合わせて、520回の放送全てにおいて徹底的に社内調査を実施した。
その結果、新たに7つの放送について捏造・データの改ざんが発覚した。

+ 新たに発覚した7つの捏造・データ改ざん
  • 2005年6月12日放送「寒天で本当にヤセるのか!?」
食物繊維が豊富で、カロリーゼロの食材・寒天のダイエット効果について紹介する内容。
「2週間寒天ダイエット実験」において、血液検査の結果が放送されたが、被験者の一人(以下「被験者A」)の実験開始前の血糖値が放送では正常範囲外の111で1週間後には97と正常範囲内まで低下したとテロップ表示されていたが、制作会社が保存していた検査結果によると、被験者Aの実験開始時の血糖値は97で、正常範囲内であった。実験開始時には正常範囲外であったが、実験によって正常範囲内にまで低下し、効果があったとする番組構成に合わせる為に被験者Aの実験結果のデータの改竄(改ざん)が行われていた(実験前と実験から1週間後との血糖値に変化が全く見られなったのか、実験前の血糖値より実験から1週間後の血糖値が、実験前のものより更に低下したのか、正常範囲外に増加したのかは不明)。
また、同実験の別の被験者(以下「被験者B」)の血液検査についてもデータの改ざんが行われていた。放送では、被験者Bのコレステロール値は、実験開始時322・実験から1週間後310となっていたが、本当の検査結果のコレステロール値は、実験開始時291・実験から1週間後310であり、コレステロール値が逆に増加してしまったのである。
  • 2005年8月7日放送「あなたの身体は損だらけ2 毒抜きで体質改善」
水銀・鉛・カドミウム等の有害ミネラルの排出の必要性について紹介する内容。
ある家族を被験者とした3日間の解毒プログラムを実施し、体質改善がなされたことを示す根拠として、被験者全員の尿検査の結果、水銀・鉛・カドミウムの3種類の有害ミネラルの排出量が増加したことを示すグラフが紹介されており、ナレーションでも「全員に効果が現れた」とコメントした。しかし制作会社が保存していた資料によると、一部の被験者には効果が現れてはいるものの、全員が3種類全ての項目で改善されていたわけではなく、データを改ざんして放送していたことが判明した。
  • 2005年10月16日放送「エッ?!3分でいいの!?有酸素運動の新理論」
1日合計3分、30秒毎に有酸素・無酸素運動を交互に行うことにより痩せることができる新理論を紹介する内容。
番組では、アメリカの大学教授の見解が論拠とされていて、日本語による吹き替えでコメントされた。放送では、
「今アメリカでは1日たった3分で痩せられる画期的な有酸素運動が大ブームです。従来の3倍以上の脂肪燃焼効果が期待出来る常識を覆す新しい理論の有酸素運動なのです」とコメントされていた。
しかし取材時のインタビューを調査したところ、実際には教授は「従来の有酸素運動での消費カロリーが150kcalとすれば、新有酸素運動での消費カロリーは250~300kcal程度である。3分間の運動をして代謝を大幅に上げることを示した研究を見たことはない」とコメントしていた。
また、「この新理論を応用すれば、お腹や太もも、二の腕などの部分痩せも可能です」とコメントされている部分でも、実際の取材時のインタビューでは、「部分痩せはできない」と放送のものと全く真逆の回答コメントしており、教授が述べていない事実を日本語の吹き替えを利用して、あたかも教授が述べたようにするコメントの捏造が行われていた。つまり、アメリカでの1日3分の有酸素運動ブームは全く存在しない、虚構新聞なみの嘘八百のデタラメだったのである。
また、この回では14人の被験者を対象に、日本の専門家が作成した運動プログラムを2週間実施し、その運動によるダイエット効果を測る実験も放送されたが、制作会社が保存していた資料によると、実験に参加した一人の体重について、放送では体重減少幅が2kg減と紹介されていたが、実際の体重減少幅は0.6kgで、実験データを改ざんしていた。つまり、誤差の範囲内で、効果なしに等しい結果であった。
  • 2005年12月11日放送「2005ダイエット総決算SP」
『発掘!あるある大事典II』で過去に取り上げたダイエット食材について紹介していたほか、有酸素運動の効果を高める食材としてカルシウムを取り上げていた。番組内でカルシウムについての情報は、2005年10月16日放送の『エッ?!3分でいいの!?有酸素運動の新理論』の回で取材したアメリカの大学教授が番組スタッフ宛に電話で情報を提供していたのだが、実際には、教授は電話をかけてきたという事実はなく、放送された電話の声はなんと別人の声を吹き込んだもので、コントともとれる、教授を茶化しているようにしか感じられない極めて悪質な捏造であった。
  • 2006年2月19日放送「衝撃!味噌汁でヤセる?!」
味噌汁のダイエット効果について紹介するという内容。
番組では、味噌のダイエット効果について、味噌には大豆ペプチドが含まれていること、大豆ペプチドが腸管から吸収される際に自律神経を刺激すること、とりわけ朝に味噌汁を飲むことで痩せやすい身体になることが挙げられた。これら番組で紹介された味噌のダイエット効果は、アメリカの大学助教授の見解が論拠とされ、放送では助教授は、「味噌が大豆食品の中で最も高いダイエット効果が期待出来る食品なんです。朝食に味噌汁を摂る事は、ダイエットに非常に効果的です」等と日本語の吹き替えで述べていたのだが、実際の取材インタビューで助教授は、味噌に大豆ペプチドが含まれている事と発酵した場合、大豆ペプチドの吸収の効率が高まる事以外は述べておらず、「ダイエット効果についてはわからない」「大豆ペプチドの吸収は納豆の方がよい」ともコメントしている等、助教授が述べていない事実を日本語の吹き替えを利用して、あたかも助教授が述べたようにするコメントの捏造が行われていた。
番組内で紹介した8日間の味噌汁ダイエット実験で、被験者の実験前後の体重比較について、データの改ざんが行われていた。放送内で1.3kgの減少となっていた被験者は、実際には4kg減少していた。また、他の被験者についても放送では2.8kg減少したことになっていたが、実際には4.8kgの減少であった。なぜ大幅に減少したものを出さなかったのか不明だが捏造だとバレてしまうことを恐れて減少幅を少なくしたのかもしれない。本末転倒過ぎる
  • 2006年8月20日放送「チョコレートで本当にやせるのか」
当時噂になっていたチョコレートダイエットについて、賛成派と反対派に分け、論争の形で番組は進行し、最終的には一定の条件を守れば、チョコレートにもダイエット効果があるという結論を導き出し放送した。
この中で、基礎代謝量が落ちている人の方がチョコレートダイエットに効果があるという仮説を実証する為、チョコレートダイエットを行った被験者である親子の基礎代謝量を測定する実験を実施した。この時ダイエットに成功した母親と失敗した娘の基礎代謝量の差が多くなるよう、娘の基礎代謝量を実際は1133kcalであったにもかかわらず、放送では1332kcalとし、母親の基礎代謝量を実際は1020kcalであったにもかかわらず、放送では1081kcalとして、それぞれ実験で得た数値を改ざんして放送していた。
  • 2006年10月22日放送「あなたのダイエットフルーツはどっち?みかんorリンゴ」
みかんとリンゴを使ったダイエットについて紹介する内容。
その中で、紹介された2名の被験者に対して行われた実験は、1日目はパンだけを食べて血糖値を測定し、2日目は先にみかんを食べた後に、パンを食べて血糖値を測定するもの。実験結果を表したグラフは、時間の経過と血糖値の増減を折れ線で表したもので、縦軸は血糖値となっていた。番組では被験者二人ともがパンのみを食べた場合と、みかんを食べた後、パンを食べた場合の結果として、パンのみを食べた場合にはグラフの山型が急で、みかんを食べた後にパンを食べた場合のグラフの山型は比較的緩やかに表現されていた。
しかし、被験者のうちの一人について、制作会社が保存していたグラフでは、放送において表現されたような顕著な差を示すグラフではなく、みかんを一緒に摂取すれば、血糖値の上昇を抑えられるという、実験結果を番組のテーマに合致するよう改ざんしていた。

その他、捏造・データ改ざんは認められなかったが、番組の演出上問題箇所や改善すべき事項が含まれる放送回が8つ存在した。
  • 2005年1月9日放送「〜今夜はお肉をもりもり食べて痩せる〜炭水化物ダイエット」
実験開始前後で基礎代謝の測定が不適切だった。
  • 2005年2月20日放送「体脂肪を減らす救世主」
専門家の確認を得ずに、αリポ酸の折れ線グラフを作成し、研究者への敬意と配慮を欠けることになった。
  • 2005年3月20日放送「冷え人間は太るし老ける!?」
入浴実験の開始前後のNK細胞活性の数値にデータを改ざんした疑惑があるものの、確認は取れず、結論に影響なしの範囲とされた。
  • 2005年4月17日放送「夢診断でわかる!本当のあなた」
被験者が夢を見ていないにも関わらず、あたかも火災に関する夢を見たかのように番組を放送。
  • 2006年1月15日放送「ダイエット緊急企画!食べても太らない方法」
専門家の確認を取るべき部分があったにも関わらず、確認を無視して放送。
  • 2006年3月26日放送「日本が生んだ最強のハーブ ワサビで10才若返る!!」
結論に影響しない範囲内で肌年齢の数字を改ざんした疑惑がある。
  • 2006年4月30日放送「あなたの食事は間違っている?!カロリーの新常識」
あたかも24時間実験したかのような誤解を生じさせた。
  • 2006年10月8日放送「たったこれだけ!足裏刺激でヤセる」
足裏刺激による減量方法に対して疑問視されていた。

関テレはこれにより民放連から一時除名処分を受けた。

また、同じ生活情報番組として知られ「あるある」同様槍玉に上がることも多かった『午後は○○おもいっきりテレビ』(日本テレビ)も、同年9月をもって『おもいっきりイイ‼テレビ』にリニューアルする形で終了。本件の影響か、リニューアル後は生活情報を一切取り扱わなくなった。

  • フットボール汗(2004~2005)
テレビ大阪の深夜バラエティ番組。お笑いコンビ・フットボールアワーの冠番組。
この番組にはフットボールアワーの岩尾望が街ゆく女性にキスを迫るという企画が存在し、ある日のロケでキスを迫った女性に後日オンエアの許可を求めたところ、
その女性の彼氏を名乗る男性が「オレの彼女になんてことしてくれとんじゃ!」と大激怒。キスを迫られた女性もBPOに抗議したため、番組は打ち切りとなった。
そりゃお世辞にもカッコいいとは言えないどころか当時ブサイク芸人の代表格だった岩尾にキスを迫られた挙げ句、その醜態を関西ローカルとは言え公共の電波に乗せて放送されるんじゃ怒りたくもなるよね

  • ぴーかんバディ!(2006)
TBS制作の生活情報番組。
医師やトップモデルをゲストとして招き、若者向けの健康情報を提供するというもので、司会には日テレ退社後、初の他局レギュラーとなる福澤朗が起用された。
ところが、同年5月に放送された「白いんげん豆ダイエット」による食中毒事件が発生。
被害者158人(うち30人が入院)という一大事となったため、厚生労働省及び総務省はTBSに行政指導を実施。
以降視聴率が急激に低下し同年8月で打ち切りとなった。
健康系生活情報番組は折からのブームもあって2000年代に隆盛を極めたが、「あるある」の不祥事以降は減少傾向にあり、2022年の「ガッテン!」(NHK総合)終了を最後にゴールデン・プライムタイムからは姿を消している。

  • ハジメちゃん~あなたの大人年齢は?~(2006)
朝日放送で放送されていたゲストに事前に出題されたアンケートの内容を元にトークを繰り広げる番組。
メインMCを務めていた極楽とんぼ・山本圭壱が不祥事で吉本から解雇されたため打ち切られた(後年復帰している)。

  • キッパリ!!(2008)
TBS系のお昼の帯ドラマ。前年に同じ時間帯で放送されていた『キッパリ!』の続編。
出演者の一人だった加勢大周が覚せい剤と大麻の所持で逮捕*23されたためそのまま打ち切りに。残り期間は『キッパリ!』の再放送を行った。

  • 狩野英孝★熱血アイドルアカデミー アキパラ嬢(2009)
静岡第一テレビ(SDT)制作のバラエティ番組。SDT開局30周年を記念して開始した番組で、厳正な選考で選ばれたアイドル10人でパラパラユニットを結成し、狩野英孝がプロデュースしていく。
出演していたグラビアアイドルの幸田さゆりが他人のクレジットカードを不正に利用した詐欺容疑で逮捕された事を受け、
SDTとTOKYO MX、tvk、テレ玉では第6回までを放送した段階で、それ以外のネット局では2回・4回・5回までのいずれかを放送して打ち切った。

  • 松井誠と井田國彦の名古屋見世舞(2009)
テレビ愛知制作のトーク番組。
出演者の井田國彦と矢部美穂が名古屋の観光地で通行人にインタビューするという企画の収録にて、2人のスケジュールの都合で時間が押し迫っていたため、制作陣が女性スタッフ2人に通行人を演じるよう指示。しかし通行人の氏名とスタッフロールの氏名が一致していたため、視聴者からの問い合わせであっさりバレた。さらには現場にテレビ愛知の社員も立ち会っていたことが発覚。営業部の社員だったとはいえ局側がやらせを黙認したという形になってしまい、テレビ愛知の判断によりわずか4回で打ち切られた。

いずれも司会をしていた島田紳助が「黒い交際*24」をしていたことが発覚したため、その責任を取り2011年8月に芸能界を引退。このため同年秋の改編に合わせて当該3番組を打ち切った。
「ヘキサゴンII」は紳助の冠番組ではなかったが、紳助のイメージが強かったため番組継続が困難になり終了を発表。以降はレギュラーメンバーが代理司会を担当して最終回までつなげた。
「クイズ!紳助くん」は紳助出演分をカットして番組のレポーター集団「なにわ突撃隊」を前面に出した特集でつないだ。
なお、『行列の出来る(法律)相談所』や『開運!なんでも鑑定団』について司会者交代で現在も継続している。前者はこれ以降もやたらと出演者の不祥事が多かったりするが今なお続いている

  • 芸能★BANG+(2011~2012)
日本テレビのバラエティ番組。芸能界の事情通が集結してゴシップで盛り上がるという番組。
オセロの中島知子の洗脳疑惑騒動を取り上げた際に、「当事者の占い師がスタジオに登場!」などと煽った挙句、登場したのはその占い師の知り合いの別の占い師だったため、視聴者からの抗議が殺到。
BPOでの審議の末「故意に視聴者を騙そうとしていたとしか考えられない」「非常識だと言わざるを得ない」とのボロクソに叩かれた表明が発表されたため、打ち切りに。
この番組の後継として放送を開始したのが後に水曜21時台に昇格する『今夜くらべてみました』であり、司会のトリオもそのまま引き継がれた。MCは途中から4人になったが、産休・謹慎による欠員が出た期間を挟みながら2022年3月まで10年間も続く人気番組となった。

フジテレビのバラエティ番組。
文字通り矛盾したもの同士の対決で、町工場の意地を賭けて闘う姿が人気を呼び、2010年代前半のフジテレビの番組の中では珍しく高視聴率を維持していた。
特に「絶対に穴の開かない金属 VS どんな金属にも穴を開けられるドリル」は人気の高い対決で、「穴の開かない金属」を作っていた金属精製加工メーカーの「日本タングステン」は大きく知名度を上げ、様々な業界からも注目を浴びるほどだった。
が、末期に出演者の暴露で「猿とラジコンカーを紐で結んで、嫌がる猿に強引にラジコンカーを追わせる」「収録から順番を並び替えて編集し互角の勝負を演出」といったやらせが発覚し、即刻打ち切りに。
余談だが、似たような番組としてNHKが2014年から2018年まで「超絶 凄ワザ!」という番組を放送していたが、「手作業VS最新機械」「全く違う専門分野同士がこれまた違う分野に挑む」という形になっており、番組最後に勝敗関係なく「どっちも凄い」で終わらせる形式を取っていた。

  • Rの法則(2011~2018)
NHKのトーク番組。
司会のTOKIO・山口達也が出演者の未成年タレントを家に呼び強引に唇を奪うという強制わいせつの不祥事を起こし書類送検となり、山口の事務所との契約解除*25に伴う降板で番組が打ち切りになった。
未成年のアイドルグループメンバーやタレント(R'sと呼ばれる)が多く出演するトーク番組で、近年は「R's世代」にも人気だというアニメやネット小説などcool japanなカルチャーを取り上げたり、
思わぬ人気声優が顔出し出演したり朗読を行ったりしていたので、番組を観たことがあるwiki民もいることだろう。
しかし、以前から「女性の未成年タレントに対してセクハラじみた演出*26がある」「出演者の未成年タレントが次々に夜遊びや未成年飲酒事件を起こし降板、事務所からの実質解雇や謹慎処分を受ける事件が数件発生*27」といった問題の多い番組であり、女性アイドルヲタには元々非常に評判の悪い番組であった。

  • マツコの日本ボカシ話(2013)
TBS制作のマツコ・デラックスの冠番組。
深夜時代の『マツコの知らない世界』が終了した後に始まった。
毎回呼ばれるゲストは必ずボカシをかけることで顔出しNGの業界関係者を出演させることを実現したバラエティ。
第1回の放送後にゲストに全編ボカシをかける演出が局の内規に抵触する恐れがあると判明した上、視聴者や第1回のゲストである生保レディに関連する生命保険関係者からも苦情が入ったため、放送休止のまま再開されることなく打ち切られた。単発で終わったため事実上の特別番組みたいなもんである。

  • 3B juniorの星くず商事(2015)
BS朝日で放送されていたアイドルグループ3B juniorの看板番組。
メンバーにパーティ用ヘリウムを吸わせる企画で、一気に大量吸引してしまったメンバーが酸欠で昏倒して搬送されるという事故が発生。結局2回で打ち切りとなった。

  • となりの新選組(2016)
フジテレビ制作の競馬情報番組。新選組の日常生活(「おバカな」という前句が付きます)から様々な教訓を取り上げ、その教訓と競馬にまつわる様々なトピックスを絡ませて描く短編ドラマ。
主演の高畑裕太が婦女暴行事件を起こしたため、休止の後に打ち切られた。
その後、後番組として高畑以外の出演者を継続させた『ふらり松尾芭蕉』が放送された。

  • 超ポンコツさまぁ~ず(2016~2017)
テレビ東京制作の土曜の夕方に放送していたバラエティ番組。
アンジャッシュの児嶋一哉と狩野英孝が街の人々にカラオケを歌ってもらい、その点数と予想した点数の差分に応じた燃料を獲得し、東京から北海道を目指す(東日本の必ず1県は通る)というものであり、そのVTRをさまぁ~ずと女性ゲストが見ながら突っ込んでいくという内容だった。
しかし、2017年1月に狩野が未成年と淫行していた事が発覚し謹慎を余儀なくされた事を受け、企画が一時中断し、収録分は7本分全てお蔵入りになった。
代役としてコカドケンタロウ(ロッチ)と、西村瑞樹(バイきんぐ)を立てて再開するが、2017年3月末をもって打ち切りが決まり、北海道どころか東北地方にすら辿り着くことが出来ず、企画は未完に終わった*28
テレビ東京は狩野が原因ではないとしているが*29、事実上狩野の降板が番組終了につながってしまった*30
相方だった児嶋は企画再開後初のロケで実名こそ出さなかったが「お前のせいで番組バタバタだよ!」と怒っていた。最終回の締めでも同様の発言をしている。
とはいえこの一件により狩野と児嶋の関係が特別悪化したわけではなく*31交友自体は続いており、テレビ番組やお互いのYouTubeチャンネルで共演の機会もあることを付け加えておく。
余談だが、同局の『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』に児嶋がゲスト出演した際、番組で訪れた新潟のアイスクリーム店に立ち寄ったこともある。児嶋当人はこの影響かすっかり忘れていたが…

  • 美しき酒呑みたち(2012~2018)
BSフジで不定期に放送された紀行番組。
出演者の新井浩文が2019年2月に強制性交で逮捕され、同月に放送予定だった最新回は放送されず、2018年10月の放送をもって放送休止となった(明言は無いが事実上打ち切り)。
なお、最後の放送回のゲストが奇しくもピエール瀧(下記参照)である。

  • ピエール瀧のしょんないTV(2010~2019)
そのピエール瀧が司会を務める静岡朝日テレビ制作の深夜バラエティ番組。
4月からのゴールデンタイム昇格(ローカル枠)が決まっていた矢先の2019年3月、ピエールがコカイン使用で逮捕。即座に打ち切りとなった。

  • NGT48のにいがったフレンド!(2017~2019)
テレビ新潟制作の番組。新潟県のご当地アイドル・NGT48とロッチが街ブラロケを行うもの。
2019年1月にメンバーの暴行被害事件が発生。この事件は被害者当人がSNSで発信して発覚したこと(=運営側の隠蔽疑惑)や、加害者が他のメンバーの指示で襲撃したことが報じられるなど大混乱に陥りNGT48の活動が不可能な状態となったことから、同年3月で打ち切り。
この騒動の影響は大きく、NGT48は冠番組のみならず地元企業のCMや県のアンバサダー契約まで解除となり、結果ファンのみならず新潟県自体を裏切る事態となってしまった。
また、ロッチにとっても数少ないレギュラー番組であり、二人にとっても打ち切りはかなりのショックだったことを明かしている。
その後48グループ全般の運営体制大幅刷新を経て、2022年1月から後継番組として「ロッチ×NGT48のアイドルってなんだ?」が半年間放送された。

  • 恋神アプリ(2017)
フジテレビの深夜バラエティ番組。
番組名と同名のアプリケーションをスマートフォンにダウンロードした男女の出演者が一緒にデートをするという番組。
ロケ先のパラオ飲酒が許可されるのが21歳以上であるのに20歳の出演者が飲酒したことが問題視されたため、放送開始からわずか1ヶ月ちょっとで打ち切りに。
なお、番組は翌年3月に仕切り直して復活するも5ヶ月程度で終了している。

  • テラスハウス(2012~2020)
複数の男女をシェアハウスで共同生活させ、人間関係の変化を観察する「台本なし」が売りのリアリティー番組。
フジテレビの深夜枠で始まり、後にNetflix・FODで先行配信してから再編集版を地上波で流す形式に変わった。
計5シーズン作られ、映画化もされる人気シリーズだったが、出演者のひとりが自殺する事件が発生。
直前の番組内の言動がSNSで炎上し、激しい誹謗中傷に晒されたのが原因とみられ、フジテレビは放映を中止、そのまま打ち切りが決定した。
「素人の修羅場」を電波に乗せた点で近いものがある、20年前の同局『愛する二人別れる二人』と同じような経緯をたどった。
問題の言動は心にもないことをスタッフの演出で言わされた、要はヤラセなのではないかとの疑惑も浮上したが、「ネット配信番組はBPOの対象外」など特有の事情もあって、真相はうやむやのままとなっている。
番組にはスタジオ収録パートがあり、タレント達がシェアハウス内の人間模様についてトークを行う形式だったのだが、
おどけたコメントでシェアハウス住人をフォローしたり、場を和ませたりする役回りだったチュートリアルの徳井義実が脱税騒動を起こして謹慎に入っており、
ムードメーカー不在となったスタジオが批判的な雰囲気に偏ったことがSNSの暴走を生んだのではないかとの指摘も出た。
これが正しいとすれば、タレントのトラブルによる謹慎という小さな不祥事*32が、取り返しのつかない不祥事を呼び込んでしまったことになる。
こういったリアリティー番組は「予測不能さ」や「視聴者の強い感情移入」が原動力となって高い人気を生むが、
同時にそれがトラブルの温床にもなる構造的な問題があり、欧米や韓国など各地で同様の事件が報じられている。

  • 世界の怖い夜(2008~2017)
TBS制作のいわゆる心霊番組でそこそこ人気が高かったのだが、心霊番組という時点で何かを察した人も多いだろう。そう、やらせである。
番組が紹介した心霊写真があり、それは窓に人の顔が…という写真だったが、実際は本当に人が覗いていたのだった…と思われたが、なんと番組がSNSの拾い画*33を加工して心霊写真でも何でもない画像に貼り付けるというたちの悪いやらせだった。
そして内部告発によってこれがバレて結果放送は中止になり、これ以降「世界の怖い夜」シリーズは制作されていない。
心霊番組やオカルト番組自体は怖いもの見たさから根強い人気がある一方で、現代では容易に合成・加工ができる時代である事や単なる誤認である事も珍しくないため、やらせではないかと疑いの眼を掛けられるリスクが付きまとうのである。

その後心霊番組自体は「口を揃えた怖い話」シリーズとして復活し、現在でも不定期に放送されている。
ただ、この騒動で懲りたのか心霊写真や心霊映像の紹介は全くなくなり、「霊能者が紹介した心霊スポットでお笑い芸人がロケを行う」「巷で噂になっている妖怪を再現VTRで紹介する」という形式となっている。

  • 消えた天才(2018~2019)
様々な分野で活躍している天才と比肩する才能がありがなら表舞台に立つことがなかった、あるいは消えていった人物にスポットを当てる番組。
しかしそんなドラマチックな人物が早々見つかるはずもなく、2019年9月5日放送の回で、VTRを早回しにすることであたかも速球を投げているかのように見せかける捏造が発覚し、問題となった。
それ以前にも都合のいいように経歴をでっち上げる*34ことが批判されていたこともあり、TBSが放送休止を決定。
検証の結果「本番組の継続は困難」と判断した事で打ち切りが決まった。

世界を巡る狂気の旅人、クレイジージャーニーの旅にスタッフが同行し、「世界のスラム街を訪れ、そこに住む人々を紹介する」「世界の奥地に生息する知られざる生物を捜索する」などの尖った内容で人気を博していた番組。
2019年9月11日放送回で前述の生物捜索企画を放送した際、実際にはスタッフが事前に用意した生物を捜索の結果発見したかのように放送したことが発覚。
上述の「消えた天才」と共に番組休止→打ち切りとなってしまった。
打ち切り発表時には出演者および多くの視聴者から惜しむ声があがっており、
これを受けてか「議論を重ね、問題点の洗い出しと改善を行った」として2021年に1年半ぶりの復活SPを放送。さらに過去作の配信も開始した。
さらに2022年10月からはレギュラー放送が復活。
不祥事で打ち切りになった番組としては極めて珍しい完全復活を遂げる番組となった。

  • アイドルゾーン20時(2019)
TOKYO MXで放送されていた帯形式のバラエティ番組。
名前の通りアイドルたちが様々な企画に挑戦するというものだった。
金曜MCを担当していた2700がお笑い芸人の闇営業問題に関与しており、吉本側から無期限の謹慎処分(のちに解除)を言い渡された影響で開始から3ヶ月持たずに打ち切りが決定。
月~木曜MCだった全力じじぃ(現:TOKYO COOL)は初の地上波レギュラーだったにもかかわらず思わぬとばっちりを喰らってしまった。
闇営業問題は多数の吉本芸人が関与していたことから番組や出演者の差し替えなど大きな影響が生じたが、時間を追う毎に芸人ではなく吉本興業のマネジメント体制に問題があることが明らかになったこともあり、本件が原因で打ち切りとなったのは当番組のみである。

  • でんじろうのTHE実験(2019~2021)
でんじろう先生こと米村でんじろうの冠番組。
2020年10月、トレンディエンジェルの斎藤司が「エアバッグをお尻に敷いて爆発させたら宙に浮くか」という実験の収録にて背骨の圧迫骨折など全治3か月のけがを負ってしまう。*35これを受けて翌年2月に打ち切られた。

  • 水溜りボンドの○○いくってよ(2020~2021)
テレビ神奈川(tvk)制作によるYouTuber水溜りボンドの冠番組。
神奈川県内の様々なスポットを二人が訪れる旅番組で、独立局制作番組で初となるTVerでの配信が実施された番組である。
2021年6月にメンバーのトミーが新型コロナウイルスの緊急事態宣言下にもかかわらず自身の経営するバーでパーティーを開いていたことが週刊誌で報じられ、事態を重く見たtvkが同月26日以降の放送休止を発表。
この件でトミーも活動休止となったため、2021年9月で打ち切られた。
余談だが2022年1月からtvkで開始したお笑いコンビ・かが屋の冠番組「かがやけ!ミラクルボーイズ」はかが屋が架空の人気YouTuber・ミラクルボーイズに扮して神奈川県内を訪れるというもので、本番組をオマージュした設定となっている。

  • 週末ライブ キモイリ!(2019〜2022)、アプリ学院!(2021〜2022)
どちらもTKO・木本武宏司会の番組で、前者はKBS京都で放送されていた情報番組、後者はBS11で放送されていたバラエティ番組。
2022年7月、木本が巨額の投資トラブルを抱えていたことが発覚。これを受けて前者は7月23日*36、後者は7月19日に*37それぞれ打ち切られた。前者はその後司会者を変えて同じような内容の番組を立ち上げている。

  • インセクトランド(2022)
2022年からEテレの番組『ミニアニメ』内で放送された同名の絵本を原作とするアニメ。
昆虫好きで知られ、クジコハクトガマムシの学名の元ともなった俳優の香川照之が原作のみならずエグゼクティブプロデューサーとして名を連ね、エンディング前のミニコーナーでは「カマキリ先生」としてクイズを担当するなど香川が全面的にバックアップした。
が、同年8月に香川が銀座のクラブを中心に女性に暴行を加えていたことが発覚。9月5日以降の放送は中止となった。

  • 裸の少年(2001~2009・2018~2023)
テレビ朝日で放送されていたジャニーズJr.の冠バラエティ番組。
風間俊介が進行役を担当していた第1期と、Jr.が様々な企画にチャレンジする第2期に大別される。
2023年に発覚した故・ジャニー喜多川氏の性加害問題の影響で、問題を連想させるアウト過ぎる番組タイトルのせいか批判が殺到。結局同年11月4日放送分での打ち切りを発表した。
後継番組は『地域密着&駅特化型地図バラエティー カクエキ!』で、スタッフと出演者は本番組から継続し、事実上のリニューアルとなる。
ジャニー喜多川氏の問題では出演見合わせや冠番組のタイトル変更など各局で対応に追われているが、打ち切りになった番組はこれが初めて。

  • ザ少年倶楽部/ザ少年俱楽部プレミアム→ニュージェネ!/プレミセ!(2000~2024)
NHKで放送されていたジャニーズ事務所所属タレントによる音楽バラエティ番組。
前述の問題の中で、2002年に同番組の出演を希望していたダンサーがジャニー氏の性被害を受けていたことを「NHKニュース7」内で報じ、これを受けて予定されていた2023年10月の収録を中止、番組も翌月から放送休止となった。
その後番組のリニューアルが決定し、タイトルが『ニュージェネ!/プレミセ!』に変更され、2024年1月から放送開始。リニューアル後は他芸能事務所のグループや女性アイドルも出演していたが、NHKがレギュラー番組から旧ジャニーズ所属タレントをすべて降板させる意向を表明したため、同年3月での終了が決定した。


【とばっちりによる打ち切り】

その番組自体に罪はないが、実際の事件と勝手に結び付けられる、あるいは別の問題とこじつけられて非難の対象にされるというはた迷惑なパターン。
必殺仕置人殺人事件(1973)など大昔から存在するが、近年は深夜アニメなどのオタク向けコンテンツが非難のやり玉に挙がりやすいため恐ろしい。
影響が皆無とまでは言わないものの、コンテンツが膨大に存在する昨今、「一切ゲームもマンガも所持せずアニメも見ない」人物の方が希少になりつつある。
なおこのようなパターンの場合、後に許されて後継番組の制作が行われたり問題のシーンを上手く誤魔化したりして再放送などがおこなわれるケースもちょくちょくある。
ちなみに騒がれていないのに打ち切るなどするというのは、念のために予防線を張っておくという意味合いが強い。

  • 東京新選組(1960)
フジテレビで放送されていたドラマ。
あらゆる社会悪に立ち向かってゆく秘密結社の活躍を描いた作品であった。
しかし放送当時は安保闘争をはじめ社会情勢が不安定であり、本作も過激な暴力描写が問題となったためわずか3回で打ち切られた。

さいとう・たかをのヒーロー漫画を原作とする特撮ドラマ。
悪役のボスの名前が「ドルゲ」、ドルゲが生み出す魔人が「ドルゲ魔人」であり、同じ名前の子供を持つ親が「自分の子供がいじめられている」と裁判を起こしたと報道された。
裁判後、番組内で「このドラマに出てくるドルゲは架空の存在であり、実在の人とは関係がありません」というテロップを流し、決着は付いたものの、これに低視聴率や作品のクオリティ難が重なり打ち切られてしまった。

…と言われていたが、後に読売テレビの佐野寿七プロデューサーは、裁判にはなっていないし、「いじめられる可能性がある」というクレームであったし*38、35話で終了したのは視聴率の問題や作品的に『仮面ライダー』を超えられなかったため、と噂の一部を否定している。
また、これが「このドラマはフィクションです」というテロップの走りと思われていたが、後に「子供番組」では確かに初であるものの、「テレビ番組」ではこれよりも8年前の1964年にフジテレビで放送されたドラマ『第7の男』でのフィクションテロップが初であると判明している。

  • ウソップランド(広島ホームテレビのみ・1983〜1986)
テレビ朝日制作のバラエティ番組。
お笑いグループ・怪物ランドによる様々な社会風刺のパロディコントをメインとする番組構成であった。
1986年、血液型をテーマにしたコント「血液型封建時代 ヘモグロビンショック」内で「AB型は下層階級、士農工商AB型」というくだりがあり、これが差別的表現にあたるとして部落解放同盟広島県連合会が地元系列局である広島ホームテレビに抗議。糾弾会まで実施される事態となり、同局での放送を打ち切った。

  • エコエコアザラク(1997)
古賀新一のホラー漫画を原作としたテレビドラマ。
黒魔術を主とした猟奇的な描写があり、深夜2時台の放送としては高視聴率を獲得していた。
…が、テレビ東京での放送中に神戸連続児童殺傷事件が発生し、影響を考慮してか、全26話のうち18話時点で打ち切りとなってしまった。
なお、犯人逮捕後に放送を開始したテレビ大阪では全話放送した。

School Days』最終回放送の前日である9月18日、少女が父親をで殺害する事件が発生。
さらにその一週間後には報道を見た少年がで父親を殴打する事件が起き、また同年5月には会津若松で少年が母親の首を切断して殺害した事件もあったため、大きな騒動となった。
前者は地上波全局が殺人シーンのある最終回の放送を自粛し、後者は東海テレビとテレビ埼玉が放送を途中で打ち切った。
その後の『School Days』に関する色々とアホ臭い顛末についてはNice boat.に詳しい。

事の発端となった事件は少女がゴスロリファッションに傾倒していた事と、凶器の共通点から『ひぐらしのなく頃に』の影響が取り沙汰されたが、
実際は警察官であるにもかかわらず浮気を繰り返す父親と、その事をひたすら愚痴り続ける母親に対して、潔癖だった少女が追い詰められた結果であった。
斧での殴打事件は少女の事件報道に影響されたもので、母親殺害事件は放送開始よりも遥か前の事件であるため、三件とも作品を視聴したために発生した事件ではない。

後に『School Days』最終話の殺人シーンが2016年に放送された地上波のテレビ番組の中でダイジェスト形式で流されているが、その際の反応はお察しください…。

文字通り部屋に秘められた謎を解いて密室からの脱出を目指す番組。
それなりの人気があったが、放送中に東日本大震災が発生してしまう。
「水の間」の徐々に水が増えていく仕掛けや「石像の間」の後ろから徐々に石像が迫ってくる仕掛けが津波を連想させてしまうとされ、あえなく打ち切り。
なお、その後それらの要素を排除した後継番組『宝探しアドベンチャー 謎解きバトルTORE!』が作られ、レギュラー放送終了後も2016年まで不定期特番として放送されていた。

  • あいのて(2006~2007)
NHK教育の幼児向け音楽番組。シュールな歌詞とプロダンサーのキレッキレなダンスによる番組内コーナー「ワニバレエ」が人気だった。
体や様々な物から出る雑音が音色に、そして音楽へと発展する過程を寸劇を通して紹介する番組なのだが、文具・調理器具・家具などを叩いて音を出す行為が「子供が真似をしてうるさい」などと一部の親から苦情のネタにされてしまい、わずか1年で終了した。
NHKの教育番組で1年終了というのは非常にまれで、番組に出演していた音楽家は「視聴率は良かったが苦情で打ち切られた」と発言している。

番外
本作は最終回が「スーパーセルに擬態した巨大魔女に襲われる街を守る」という内容であった。
しかし、終盤に東日本大震災とタイミングが思い切り被ってしまい、特別報道番組の為に編成がグチャグチャになった上、
悪いことに市民たちが体育館に避難するなどのシーンもあったため、視聴者への心理的影響を配慮して最終回が放送延期となり、緊急報道体制が解かれた後に最終話を含む2,3話が集中放送された*39
厳密な意味での打ち切りではないが、作品側に責任がないのに大きく編成がずれた一例として述べておく。


【製作の都合による打ち切り】

ここまでは放送するテレビ局側が放送を中止するパターンについて述べたが、逆に番組制作側の都合で制作を続けられなくなってしまうパターン。
制作会社の経営不振や倒産、主要スタッフ(特にディレクターやプロデューサー)や関係者の退社・蒸発などもある。
制作会社の倒産など会社が無くなってしまう状態を理由に打ち切られると、権利関係の問題で映像ソフト化が難しくなる。
それ以外では制作費の高騰が挙げられる。その理由には「出演者のギャラが高騰しすぎた」という例が多く、海外ドラマでシリーズ作品終了のきっかけは大抵がこれ。日本では一部のバラエティ番組がこれが原因で打ち切られることがある。

  • 民放テレビ局版ゆく年くる年(1956~1988)
現在もNHKで放送されている「ゆく年くる年」だが、かつては同じタイトルの番組が大晦日に系列の垣根を超えて民放全局で同時放送されていたのをご存じだろうか?
NHKへの対抗策として、毎年キー局5局が持ち回りで幹事を務めて制作し、独立局も含めた全国の民放で放送された。
スポンサーはセイコーの一社提供。なので、カウントダウンやスタジオのセットには必ずと言っていいほどセイコー製の時計が使われたり、視聴者プレゼントとしてセイコーの時計が提供されたり、カウントダウン前後には銀座和光の時計台が映る回もあった。
内容は年ごとに異なり、お笑いやドキュメンタリー、ドラマなど様々で、年越し前には紅白から続けて「蛍の光」の合唱が行われていた。
回を追うごとに内容が凝ったものとなったことから制作費が高騰しすぎてしまい、1989/1990年分を担当予定だったテレビ東京から制作辞退の申し出があり、セイコーからスポンサー代替の了承*40を得て打ち切り。
そのため、1988/1989年分を担当したテレビ朝日制作分が最終回となった。
打ち切りの理由は上記のほか、放送末期には民放各局による全国ネットワークがほぼ完成しており、独自の年越し番組を放送したかったことも一つに挙げられる。

  • 魔法のじゅうたん(1961~1963)
「アブラカダブラ!」の掛け声とともに、男女1人ずつの小学生を乗せた“魔法のじゅうたん”がNHKの屋上から飛び立つNHKの子ども向けバラエティ番組。司会はあの黒柳徹子
魔法のじゅうたんが空を飛んでいるシーンは、ヘリコプターによる空撮映像に、スタジオ収録のじゅうたんに乗ったアラビア風の衣装をまとった黒柳とターバンをかぶってガウンを羽織った小学生2人の映像をクロマキー合成ではめこんでいた。
子どもたちのリクエストをもとに決められた行き先の他、毎回出演した子どもの通う小学校も上空から映した。
出演する小学生の抽選には応募が殺到し、登場する校庭では全校児童でじゅうたんを歓迎する人文字を作るなど大人気番組だったが、1964年の東京オリンピックにヘリコプターが必要になったので、3年で終わってしまった。

人気も視聴率もあった怪物番組だが、円谷英二監督が特撮にこだわりすぎて制作が間に合わなくなり(それに伴い予算が足りなくなったこともあり)、本来4クールだったところを3クールで打ち切らざるを得なかった。
この反省を踏まえた上で『ウルトラセブン』以降の作品は制作されていくことになる。

望月三起也原作によるアクション漫画の実写化作品で、設定を低年齢向けに改変されながらもバイクとガンアクションを多用した演出が好評を博し、月曜夜7時という時間帯にもかかわらず20%という高視聴率を叩き出し、この記録は40年以上経った今も更新されていない。
一時はブラジルロケも企画されるほどの勢いだったが、制作費の高騰が逆風となり全25話で打ち切りが決定。そのため敵組織・ブラックスパイダーは終盤2話で壊滅というやや唐突な終わり方となっている。
制作会社の国際放映も経営陣の入れ替えが行われるなど苦い結果となった。

  • ステージ101(1970〜1974)
NHKで放送されていた音楽番組。
タイトルの「101」は当時番組の収録が行われていたNHK放送センターCT-101スタジオで、番組内で結成されたグループ「ヤング101」を軸に彼らの歌うポップスや流行歌、オリジナル楽曲を披露する番組構成であった。
しかし1973年に発生した第一次オイルショックにより、NHKは徹底した経費削減を求められることとなる。
そして数十人の若者をメインに毎週違う音楽を様々なセットで収録するこの番組も例外ではなく、公開収録型の番組に移行すべきとの結論に至ったため、1974年3月をもって終了することとなった。
後継番組「レッツゴーヤング」は基本的にNHKホールでの公開収録かつゲストを呼んでの半ば普通の音楽番組に近づけた(レギュラーによる歌コーナーは一応続行)作りとなったが、1986年開始の「ヤングスタジオ101」からはスタジオ収録に戻っている。

第一次オイルショックによる予算の大幅削減が大きな要因。そのためか、等身大戦や巨大戦の減少が目立っていた。
また、前作『スーパーロボット レッドバロン』が宣弘社制作だったのに対し、この『マッハバロン』は前作で特撮部分の外注を請け負っていた日本現代企画による単独製作によるもの。
前作より視聴率はやや低めだったが、アオシマの合体玩具をはじめとして関連玩具の売り上げは上々で、
巨大ロボットの発進シークエンスや格闘戦などの特撮シーン、グラムロックを駆使した主題歌などは今日でも高く評価されている。
しかし、それでも前作から巻き起こったオイルショックの余波は尾を引いており、予算を調達しきれず、40話を予定していたのが26話で終了している。
特にララーシュタイン博士率いるロボット帝国との決戦に向けて悲壮感を盛り上げるべく、仲間の一人、しかもヒロイン格の女性隊員が戦死するという第26話がよりにもよって最終回、まさかのバッドエンドとなってしまった事は語り草である。
もちろんロボット帝国との決着はついていない。おそらく製作スタッフも寝耳に水で対応しきれなかったのだろう。
なお、打ち切られなければロボット帝国の新幹部・ゲシュター警部の登場とマッハバロンがサイボーグロボットとなったララーシュタインに特攻して戦死、というさらに輪をかけた悲壮な展開が待っていたとのこと。
ちなみに、この枠の後番組は『ガンバの冒険』。
それ故か、後述の編成の問題*41が独り歩きしている印象は否めない。

『ふたり鷹』と『サイボーグクロちゃん』は放送中に制作会社が倒産、アニメを作ることが物理的に不可能となってしまった。
『ドン・ドラキュラ』はよりにもよって広告代理店のチョイスをミスって虫の息だった会社を選んでしまい、案の定1クール目で倒産した巻き添えで制作不可能に。
『クロちゃん』は次回予告まで放送していたが、とうとうその「次回」が放送されることはなかった……。
『ドン・ドラキュラ』は関東地区では実に第4話で打ち切られるというアニメ史上最速記録を誇っている。

ご存知、第一次ミニ四駆ブームを支えた名作のアニメ版。
打ち切りかどうかは微妙だが、タミヤ側が3クール目以降の放映を望んでいたにも拘らず、広告代理店だった東急エージェンシー側の都合から2クールで終了させられてしまう。
これが第一次ブーム終焉の遠因となったため*42、その件を根に持っていたタミヤと小学館は数年後、
同じ轍を踏まないために『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』のアニメ版を製作するに当たり、企画の監修とスポンサー探しに関しては最初から最後まで広告代理店を爪弾きにした
一応、申し訳程度に『四駆郎』の時とは別の会社が広告代理店として就く事になる。

  • 女神候補生(2000)
NHK BS2で放送されていた杉崎ゆきる先生の同名漫画をアニメ化した作品。
当初は2クール作られる予定だったのだが、予算不足が発覚し、12話で打ち切られてしまった。
製作に関わった会社は倒産していないが、資金問題で打ち切りになるというちょっと珍しい事例。
原作の方も5巻が出た所で連載を放棄しており、実質打ち切りである。何故か2005年に新装版が出た事で「連載再開予告かな?」と思ったけどそんな事はなかった。

  • RGBアドベンチャー(2006~2007)
MUSASHI-GUN道-』の後番組で制作会社も同じくACCプロダクションのアニメ。
『GUN道』も作画が常に崩れていたり突然総集編が挿入されたりAパートがまるまる歌ってるだけの回があったりと制作が逼迫していたが、
このアニメではさらに悪化していたようで、6話まで放送した後総集編が2話流れ、「制作会社の都合により放送継続が不可能になったため」という理由で打ち切りとなった。
それから半年後にACCプロダクションは破産した。その後、残りの話はドラマCDとして日の目を見ている。

  • NNNニューススポット(1963〜2008)
日本テレビで毎日21時前などに放送されていたスポットニュース番組。
日本テレビの収益悪化などに伴うリストラの対象番組に選ばれたため、2008年9月29日をもって打ち切られた。これにより日テレはキー局で初めてスポットニュースから完全撤退することとなった。
その後2011年に「ZERO MINUTE」として平日限定でスポットニュース枠が復活するも、2017年に終了している。
余談だが2010年代以降はキー局各局がニュースのみならずミニ番組全般を削減する傾向にあり、20時台の番組を21時終了とし、次番組とステブレレスで接続する編成に変わっている*43


【出演者の都合による打ち切り】

上の亜種であり、番組の核となる主演が出演出来なくなるため視聴率等に関係なく打ち切られてしまう。テレビ以外では映画『男はつらいよ』シリーズもこれに入る。
なお、番組出演者が撮影中・直前に出演不能になっても終了しない事も結構あり、アニヲタ的には初代『仮面ライダー』での仮面ライダー1号出演不能→仮面ライダー2号登場→1号復帰が分かりやすい例。
他には『渡る世間は鬼ばかり』は「岡倉夫妻と娘たち」が主人公なため、夫妻が他界しても物語は続き(岡倉大吉役の藤岡琢也没後は宇津井健が代役を務め、宇津井の死後「大吉没後」編SPドラマを制作)、
1974年のNHK大河ドラマ『勝海舟』では当初主演だった渡哲也が急病により降板後、松方弘樹が代役を務めた。
渡はその2年前にも『忍法かげろう斬り』を病気降板して弟の渡瀬恒彦が代役を務め上げ、その渡瀬がメインだった『警視庁捜査一課9係』は渡瀬の死後も「渡瀬が演じていた人物が異動になった」という設定で新作が作られ続編『特捜9』へと繋いでいる。

体調面以外では出演タレントがそれまで所属していた芸能事務所から独立した際、前の事務所がテレビ局に働きかけ、レギュラー番組が軒並み打ち切られることがある。
直近の分かりやすいものは元SMAPメンバー3名(香取慎吾・草彅剛・稲垣吾郎)がジャニーズ事務所退所後、長寿だった「『ぷっ』すま」を筆頭とした番組が続々打ち切られることになった。この件で香取は後日配信番組で「独立するとこんなにテレビに出られなくなるのか」と心境を暴露して話題となった。

東宝制作・日本テレビ系で放送されていた日本を代表する刑事ドラマ。
少なくともキリよく15周年企画までは予定されていたが、メインだった石原裕次郎の体調が末期的状況になってきたため打ち切られた。
さすがに急すぎたせいか、後番組で脚本とスケジュール消化を兼ねて後日談となる「PART2」(DVD化時には本編と共に扱われた)が1クール制作された。

  • 三波伸介の凸凹大学校(1977~1982)
テレビ東京で放送されていた三波伸介司会のバラエティー番組。
1982年12月に三波が自宅で急逝し、番組の続行が困難になったため打ち切られた。
死去翌週には三波が亡くなる20時間前に収録されたVTRなどとともに追悼番組を放送。その翌週に最終回を放送し、5年間の歴史に幕を閉じた。

  • 新車情報(1977~2005)
テレビ神奈川(tvk)で放送されていた、文字通り自動車の新車を紹介する番組。
自動車ジャーナリストの三本和彦が企画・構成・司会を担当し、前半は高速道路といつもの山坂道でのドライビングインプレッション、後半はスタジオに新車とメーカーの開発責任者を招き質問を行うパートで構成されていた。
不躾棒*44片手にユーザー目線の辛口な評価を行う姿勢が人気を呼び、全国で放送されるtvkの看板番組となった。
三本が73歳と高齢になったことから2005年春に勇退という形で終了。
…だったのだが、後に三本は終了の真相をモーターファンのブログ内で語った。
tvkは2004年に山下町から関内の新社屋に移転したが、番組収録を行う1階のオープンスタジオはレストランが隣接しているにも関わらず、防音対策がされていないために本番収録中にレストランの音が入ってきてしまう状態に。
この状況に我慢ならなくなった三本は、2005年の番組新年会内においてスタッフ側に降板を表明し、同年春で終了に至った。
後継番組には同じ自動車評論家の岡崎五朗が起用され、「新車ファイル クルマのツボ」→「クルマでいこう!」と放送が続いている。

  • 水曜スペシャル・川口浩探検隊シリーズ(1978~1986)
テレビ朝日で放送されていた世界の秘境や未確認生物を求めて探検するやらせ番組。
1985年に隊長である川口浩が癌の療養のため放送休止となり、翌年には闘病を追った特別版が放送された。
これらの流れかわかるように、当初は1988年にネタバラシの特番を放送して以降も継続する予定だったのだが、1987年11月に川口が死去。結果前述の特別版が最終作となってしまった。
その後探検隊シリーズは21世紀に藤岡弘、を隊長に迎えて復活することとなる。

  • 今夜は最高!(1981~1989)
日本テレビで放送されていたパイオニア一社提供のバラエティ番組。
タモリの冠番組で、毎回男女一組のゲストとコント・トーク・歌を繰り広げる内容がアダルト層に人気を博した。
末期はとんねるずの「ねるとん紅鯨団」*45(関西テレビ・フジテレビ系)に押されながらも継続を希望していたが、日本テレビとタモリの所属事務所である田辺エージェンシー・パイオニアとの間でトラブルが生じて打ち切りとなった。
なお、打ち切りに際しては「パイオニアの担当者がタモリを馬鹿にする発言を行い、それにタモリが激怒して打ち切りに至った」という根拠のない噂がWikipediaにも長らく堂々と掲載されていたが、タモリの座付き作家である高平哲郎は著書でこの件を完全に否定しており、「トラブルの理由についてもわからない」としている。
その後、タモリは日本テレビではレギュラー番組を一切持たず、日本テレビへの出演も極めて少なくなった。

  • ふれあい広場・サンデー九(1976~1985)
札幌テレビで放送されていた坂本九の冠番組で、北海道電力の一社提供。
社会福祉の問題や話題を取り上げたもので、聴覚障碍者にも見てもらえるよう、当時としては珍しい番組全編にテロップを入れて放送する手法を取り入れていた。
メインMCの坂本が搭乗していた日本航空123便墜落事故に巻き込まれて死去した為、番組は同年9月をもって終了した。
なお、系列のSTVラジオでは2011年から2014年まで同名の番組が放送されており、番組には坂本の家族もスペシャルリポーターとして出演していた。

  • ミラクルガール(1980)
東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放送されていたドラマ。
かつて人気を博した「プレイガール」の後継作品にあたり、「プレイガール」と同様に女性探偵たちの活躍を描いていた。
しかし撮影現場ではトラブルが絶えなかったらしく、レギュラー出演者の途中降板が相次ぐ事態に。制作側はどうにかして番組を続けようとするも、次第に撮影自体がままならなくなってしまう。
最終的に「現場をまとめきれなかった」として主演の由美かおるが降板を申し出たことで26話の予定だったのが19話で打ち切られた。

  • 久米宏のTVスクランブル(1982~1985)
日本テレビで放送されていた生放送の情報バラエティ番組。
主に時事・流行ネタを扱い、事前収録した映像を短時間で次々と紹介する当時としては画期的な構成とレギュラーコメンテーターである横山やすしの予測不能な行動が人気を博した*46
1985年春から久米が半年間の充電期間に入ることを理由に、同局の「おしゃれ」*47を除いた当時のレギュラーを全降板することになり*48、同年3月末で終了となった。
この充電は新番組の制作準備に充てるためのものであり、その番組こそが同年10月から開始し、18年間続いた「ニュースステーション」(テレビ朝日)である。

  • 夢のビッグスタジオ(1982)
テレビ朝日で放送されていた音楽番組。司会はタモリと西田敏行。
当時全盛期だったTBSの「ザ・ベストテン」に対抗すべく、ベストテンより1時間遅い木曜22時から放送されていた。
しかしハシゴしてまで2時間も歌番組を見る人などそんなにいるはずもなく、視聴率は6〜8%と低迷。さらには「タモリがゲストの歌手に直撃インタビューをして本音を聞き出す」という番組の狙いも上手く行かずにシラケたムードになったり、スケジュールの都合で西田の出演部分のみ事前収録となるなど、番組の内容自体も散々な有様であった。テコ入れとして古舘伊知郎(当時テレビ朝日アナウンサー)が起用されるも改善せず、業を煮やした上層部が担当プロデューサーの更迭を決定する。しかしタモリはこれに対し「局がプロデューサーを更迭するのに、メインの出演者が居座るなんてできない」と、西田・古舘とともに番組を6回で降板してしまった。
これに慌てた局側は急遽局アナ2人で繋ぐも、結局番組は8回で打ち切られた。
なおこの件でタモリとテレビ朝日の関係が悪化する…といったことはなく、当番組終了後も同局で「夕刊タモリ」→「タモリ倶楽部」「タモリSTATION」に出演し続けている他、この5年後には「ミュージックステーション」にて再び音楽番組の司会を務めることとなる。

  • 鶴瓶上岡パペポTV→LIVE PAPEPO 鶴+龍(1987~2000)
読売テレビ制作のトーク番組。
笑福亭鶴瓶と上岡龍太郎の2名が打ち合わせ・台本無しで時事問題から身近な出来事迄何でもトークするもので、番組の人気から大阪城ホールやニューヨークでの公演も実施し、当時としては珍しいトーク内容をまとめたカセットテープソフトまで発売された。
今も続く『探偵!ナイトスクープ』とともに上岡龍太郎の知名度を一挙に全国区に押し上げた番組である。
1998年4月に休止、同年7月から『LIVE PAPEPO 鶴+龍』とリニューアルして放送が続けられたが、上岡が「僕の芸は21世紀に通用しない」と芸能界引退を発表したため、2000年3月で終了。
終了後、鶴瓶は松嶋尚美とタッグを組んで同種のトーク番組『きらきらアフロ』(テレビ大阪・テレビ東京)を開始したほか、NHKでも吉本新喜劇の元座長である小籔千豊とタッグを組んで『ヤブツル~鶴瓶・小籔の大阪夜話』を2015年から不定期に放送。
制作局の読売テレビもケンドーコバヤシ・千原ジュニアをMCに迎えた『にけつッ!』を2008年から放送している。

  • 魔法少女ちゅうかなぱいぱい!(1989)
不思議コメディシリーズの特撮作品だったが、主演女優の小沢なつきがマネージャーと駆け落ち未遂事件を起こして降板、打ち切りになった。
打ち切りとはいえ物語は完結しており、残り半年は主役をアイドルだった頃の島崎和歌子へ交代した続編『魔法少女ちゅうかないぱねま!』へ引き継がれた。

  • 邦ちゃんのやまだかつてないテレビ(1989~1992)
フジテレビで放送されていた山田邦子の冠番組。
ゲストとトークやコントなどをするのが基本の流れ。
番組レギュラーで出演していたKANの「愛は勝つ」や大事MANブラザーズバンドの「それが大事」、更に山田本人がwinkとデュエットした「さよならだけどさよならじゃない」が大ヒットし、視聴率20%を獲得する人気番組となった。
ところが、山田本人が前述したレギュラーを次々と卒業させるフジテレビ側の姿勢に不満を示し、降板を表明して1992年春で終了した。
なお、番組は「音楽番組を新たに復活させる」という名目で表向きは円満に終了している。
この降板経緯については後年山田本人がインタビューや自身のYoutube内で明らかにしたもので、当時を振り返り「今考えるとスタッフ側に大変失礼なことをした」と反省の弁を述べている。

  • SMAP×SMAP(1996~2016)
SMAPの解散を受けて終了。
当初は解散報道を受けて急遽生放送で公開処刑会見を行い番組継続を表明したが、以降視聴率の低迷や急転直下に解散が決まったこともあり、結局打ち切りに。
また、解散の切っ掛けに色々と「大人の事情」が絡み過ぎていたせいか、「番組最終回」=「SMAP最後のステージ」(特別なコメントは一切なし)」になってしまった。

  • ナイナイナ(1997~1999)
テレビ朝日で放送されていたナインティナインの冠番組。
ナイナイとゲストが無茶な実験や実証をするバラエティで、ダチョウ倶楽部の「どうぞどうぞ」のギャグはこの番組から誕生したことで知られる。
1999年4月から日曜20時への進出が決まっていたが、岡村隆史がゴールデン進出にあたり番組のカラーが変更されることを嫌がり、結果打ち切りとなった。
実際2000年代以降、深夜番組からゴールデンに進出して失敗する番組が多数出てきたことを考えるとこの決定は非常に慧眼があったと言えよう。
なお、進出予定だった枠は今なお続く『ロンドンハーツ』となり、スタッフも一部共通している。

  • ロケット・ボーイ(2001)
織田裕二主演のフジテレビのドラマ。
収録中に織田が椎間板ヘルニアを発症して入院し、第3話以降の収録が出来なくなってしまう。このため4週にわたって放送を休止し、全11話の予定だったところを7話に短縮された。
なお、休止期間中は『ザッツ踊る大捜査線』と題して踊るシリーズの再放送が行われたが、これが皮肉にも『ロケット・ボーイ』の平均視聴率を上回るという、スタッフにとっては何とも屈辱的な結果になってしまった*49
この再放送が好評だったため、本来放送予定のなかった最終回も『ザッツ踊る大捜査線ファイナル』と題して別枠で放送された。

  • ちい散歩(2006~2012)
テレビ朝日平日午前の帯で放送されていた散歩番組。
俳優の地井武男が東京近郊の様々なスポットを訪れながら散歩するという内容で、その人柄から多くの視聴者に親しまれた。長年低迷していたテレ朝午前10時台を立て直したのもこの番組である。
2012年1月、地井が心臓疾患の治療のためしばらく入院することに。このため既に収録した分と過去回の再放送でつなぎ、回復を待って収録を再開する予定であった。しかし地井の入院が長期化することとなったため、地井サイドからの連絡によりやむを得ず5月4日をもって終了することとなった。この打ち切りは本人にとっても心残りであったようで、最終回の最後には本人直筆のメッセージが流れた。この2か月後、地井は心不全でこの世を去った。
翌週からは旅人が加山雄三に交代して「若大将のゆうゆう散歩」、2015年には高田純次に交代して「じゅん散歩」がスタートし、散歩シリーズは現在も続いている。

  • 西部邁ゼミナール(2009~2018)
MXテレビで放送されていた保守評論家である西部邁の冠番組。前身番組は『続・言いたい放題』。
内容は戦後においてタブー視された問題を西部とゲストが議論する番組であった。
しかし、2018年1月に司会の西部が自殺し、27日の放送で番組の打ち切りを発表。後に、番組関係者が西部の自殺をほう助した疑いで警察に逮捕された。

  • 天才!志村どうぶつ園(2004~2020)
2020年3月に園長(司会者)の志村けんが新型コロナウイルスによる肺炎で死去したため。
当初は飼育係の相葉雅紀と主任の山瀬まみを主体にそのままの役職で続けていくとしていたが、「やはり志村さんなしにはタイトルを背負って続けていくことはできない」という結論に至り、同年9月で「閉園」。
翌月から相葉が園長を引き継ぎ『I Loveみんなのどうぶつ園』(2022年4月以降は『嗚呼!!みんなの動物園』)を放送開始。

  • 快傑えみちゃんねる(1995~2020)
大阪城城主上沼恵美子の冠番組で、上沼と複数のゲストがトークをする関西テレビの番組。
最盛期には関西で20%以上を誇る高視聴率を獲得し、関東でも独立局や一時期フジテレビでも放送され、上沼が審査員を務める「M-1グランプリ」でもネタにされる*50など知名度が高かったが、
2020年7月21日に突如終了を発表。その3日後の24日に最終回を迎えた。
改編期でもない時期の突然の終了で、最終回も総集編こそ流れたが特段の挨拶も無く、関西テレビ側も終了理由の発表を控えていたため、週刊誌では「関西テレビとケンカ別れ」などの見出しが踊ったが、上沼はこれをラジオで否定。
後に週刊文春でのインタビューによると
  • 「新型コロナウイルスの流行でソーシャルディスタンスを取った形で収録を再開したが、間の取り方*51が分からなくなってしまい、夫(関西テレビの元社長である上沼晋平)からもそれを指摘されていた」
  • 「番組には普段バラエティに出演しないベテラン俳優をゲストに招くことが多かったが、その経費が負担になっていた」
  • 「当初から1000回を節目に終わるつもりだったが、視聴者からの反響を考えて惰性で続けてざるを得なかった」
……など、自らの意向から終了を申し出たことを明かした。
とはいえ終了時期については一悶着あったらしく、当初は通常の改編と同じく9月末予定だったのがいきなり7月に繰り上げられたことも後に明かしており、以降上沼は堰を切ったように関西テレビへの攻撃を開始している。前述の週刊誌の予想は結果大当たりだったことになる。

その後、同枠は『鬼滅の刃』や同時間帯にフジテレビで放送されている『坂上どうぶつ王国』等でつないだ後、2021年11月から見取り図と横山裕MCの『ちまたのジョーシキちゃん』が放送されている。

上沼は現在もタレント活動を続けており、メイン出演者の体調不良や不祥事でなく打ち切られた例の一つ。
もっとも、上沼については長寿かつ唯一の全国ネットレギュラーであった『おしゃべりクッキング』も終了して急にキー局制作の番組に出まくるようになったため、冒頭で記した編成による若返りの対象となっている向きもある。

なお、新型コロナウイルスの流行後、本番組に限らずタレントを多数集めてトークを行うタイプの番組の制作が難しくなり、打ち切られるケースも多数生じている。
この影響からか、お笑い界では雛壇ではなくコントのできる芸人が重宝されるようになり、壁芸人全盛へ流れも大きく変わることになった。

  • ひみつの嵐ちゃん!(2008~2013)
嵐の冠バラエティ番組の1つ。
2009年4月にリニューアルするまではタイトルが「ひみつのアラシちゃん!」だった。
前半は嵐とゲストとのトーク、後半は様々なコーナーで進行するのが特徴のバラエティ番組で、特に『マネキンファイブ』については世界でのアンケートが行われるなどかなりの好評であった。
だが、2011年の4月から嵐のメンバー2人とゲストの体制に変わり、それ以降の視聴率は1桁台を連発するなど低迷。
加えて2012年途中で出演者であるオセロの中島知子のトラブルがあり、2013年3月で終了。
後継番組は櫻井翔のみを残し、有吉弘行と共にMCを務める番組が続いている*52

  • VS嵐(2008~2020)/嵐にしやがれ(2010~2020)
前者はフジテレビ・後者は日本テレビ制作の嵐の冠バラエティ番組。
両者とも2020年末の嵐の活動休止に伴い終了。
前者は相葉司会・風間俊介およびジャニーズ他グループメンバーをレギュラーにした「VS魂」、後者は櫻井翔司会の「1億3000万人のSHOWチャンネル」にリニューアルされた。
なお、前者はレギュラーだった岸優太のジャニーズ退所に伴い2023年9月末で終了、後者も2024年4月からドラマ枠への転換が決定し、2024年3月末で終了した。

  • バイキング→バイキングMORE(2014~2022)
フジテレビで『森田一義アワー 笑っていいとも!』の後継番組として始まった平日の帯番組。
当初は曜日ごとにMCが交代していたが、後に全曜日で坂上忍が単独MCを担当することになった。また、番組内容も当初はバラエティの色が強かったが次第にワイドショーへと方針転換。2020年秋に後枠の『直撃LIVE グッディ!』が終了してからは名実共にワイドショーとなっていた。
チョコプラ松尾の「これさぁ、パワハラだよねえ」のモノマネを聞いたことある人も多いだろう。
坂上がかねてからライフワークとしていた動物愛護活動へ専念することから降板の申し出があり*53、2022年3月で終了。
後継番組はフジテレビアナウンサーをMCにした『ポップUP!』で、一部コメンテーターは本番組から続投したが翌年からワイドショー色を排除し、観覧客を復活させた新番組『ぽかぽか』を開始させるため同年末で終了。
余談だがその『ぽかぽか』の2023年10月2日放送分では夏季休暇を取ったハライチ澤部の代理MCとして坂上忍が登場していたりする。

  • 和牛のA4ランクを召し上がれ!(2018~2024)/東野・和牛の全国街ぶらチーキーズ(2023~2024)
前者は愛媛の南海放送、後者はBSよしもと製作の番組。
両方とも和牛の解散に伴い終了。
前者は近年のローカルバラエティ番組では珍しくDVDが発売されるなど好評を博しており、南海放送では翌週から川西以外のMCが続投する新番組『ミズタのレシピ!』を放送することを発表している。


【スポンサーの都合による打ち切り】

民放局で稀に発生する事態。番組のスポンサーが撤退してしまうパターン。
主にスポンサー企業の経営方針の変更や経営不振、関連商品が売れずCMの効果が見込めない、不本意ながらスポンサー企業が不祥事を起こしてしまい、番組及び企業のイメージ悪化を避けるなどが理由として挙げられる。
かつては1社提供の番組が多かったため発生しやすかったが、複数社提供が基本となった現在では発生率は減った。
『ズバット』や『レイズナー』のように視聴率は良かったが、関連商品の売り上げ不振による打ち切りなんてことも。

  • アップダウンクイズ(1963~1985)
毎日放送制作のクイズ番組。
開始から1975年3月まではNET(現:テレビ朝日)系・1975年4月から終了まではTBS系で放送された。
6人の挑戦者がゴンドラに乗り込み、1問正解ごとに1段上昇し*54、10問正解すればハワイ(アメリカ)旅行がプレゼントされる。
クイズで全問正解すれば当時庶民にとっては夢のまた夢だった海外旅行に行けるというコンセプトが大いに受け、昭和を代表するクイズ番組として人気を博した。
その賞品を提供していたのが日本航空だったが*55、1985年8月12日に起きた123便墜落事故の影響で協賛が不可能となってしまい、同年10月に最終回を迎えた。

提供ではなく協賛スポンサーの不祥事が原因で打ち切りという珍しい理由だが*56、番組は1983年から全国ネットに昇格した裏番組『世界一周双六ゲーム』(朝日放送・テレビ朝日系)に視聴率を奪われ低迷しており、司会者の交代などテコ入れを図ったものの回復には至らず特番や野球による休止も相次ぐなど、いつ打ち切られてもおかしくない状態だった。

単純で分かりやすいルールからオマージュしたクイズが今なお作られているが、番組の全国ネットでの復活版は現在まで一度も制作されていない(関西ローカルでの復活は何度かある)。
なお毎日放送では同時期、日本航空全面協力のドラマ「スチュワーデス物語」の再放送を行っていたが、こちらも事故の影響を受けて最終回の1話手前で打ち切られてしまった。

40年以上続いた国民的時代劇。「変わらない安心感」、「偉大なるマンネリ」の代名詞。
00年代後半から番組終了時期まで長年低迷が続いていたTBSでは、数少ない二桁視聴率を維持する番組だった。
そんな人気番組でありながら、メイン視聴者層は高齢者であり、スポンサーである松下電器(現:パナソニック)の製品をあまり買わない年代であることから打ち切り。
一社提供であったことが災いした。

しかし、TBSも国民的番組を手放すのは流石に心苦しかったのか、2015年に複数社提供のスペシャルドラマという体を経て、2017年には、どういうわけか金八先生でお馴染みの武田鉄矢を黄門様にしてBS-TBSで復活。
越後のちりめん問屋のご隠居とお供2人の旅は今日も続く。

  • ごちそうさま(1971~1998)
日本テレビ制作・味の素一社提供の平日帯の料理番組。
MCは高島忠夫・寿美花代夫妻→1996年4月からは辰巳琢朗・大東めぐみの両名が担当していた。
月~木は有名人による料理披露、金曜日は名店リポートという構成で、前者は必ず調理中に味の素製品*57を使うシーンが入っていた。
1987年から1989年までは土曜22時台に世界の料理を紹介するスピンオフ番組が放送されていたこともある。
1997年に味の素が総会屋に利益供与していたことが発覚。これに伴い味の素が番組スポンサーの降板を決定し、翌1998年3月に番組は終了した。

視聴率は高かったのだが、何故かおもちゃが売れず、よくよく調べてみると中学生くらい(中には大学生もいた)ばかりが観ていたことが明らかになったため、32話で打ち切り。
同様の事態は後番組『忍者キャプター』でも発生しており、おもちゃと視聴率の両立の難しさが察される。
なお、この困難な状況を打破して大成功を収めたのが、続く『スパイダーマン』であった。

  • 小さなスーパーマン ガンバロン(1977)
後半で後に『ときめきメモリアル』の藤崎詩織役を演じる金月真美が出演していた事でも知られる特撮番組。
メインスポンサーだったブルマァクが倒産したため作品に使用できる資金が大幅に減少。番組継続が不可能となり、結局最終回もなしに全32話で打ち切られた。
第32話の最後でガンバロンが「また来週も見てね」と言っていたが、その来週が来ることはなかった。

ちなみにバロンシリーズできちんと完結するのはロボット格闘大会を主軸にリメイクした1994年のアニメ版『レッドバロン』を待たねばならない。
こちらも視聴率は些か厳しかったものの、玩具の売上が良好だったため打ち切られず4クール全49話を完走することに成功した(一部地域では売り切りになったところもある)。
よりにもよって同時期の『機動武闘伝Gガンダム』と題材はおろかメインキャスト(山口勝平)まで被ってるのに良く打ち切られず奮闘したもんである。

なおブルマァクの倒産により『ガンバロン』と同じく同社がメインスポンサーだった『合身戦隊メカンダーロボ』も打ち切りの危機に瀕したが、こちらは総集編的な形態になりながらも何とか完走している。

  • スターウルフ(1978)
円谷プロ製作の特撮番組。原作はアメリカの小説である。
当時は「スター・ウォーズ」や「未知との遭遇」といったSFブームであり、本作もそれを反映して制作され、人気番組「びっくり日本新記録」を終わらせて放送を開始した。
しかし視聴率は4〜7%と低迷、途中で路線変更を図るも全く改善せず、ついにはスポンサーの三洋電機とポピーが両方とも降板してしまう。
このため、4クールの予定だったところを全24話で打ち切られた。
なお、前述の2社が撤退した分は広告代理店が無理やりスポンサーをかき集め、何とか最終回まで放送し切った。
結局打ち切りによって前番組『びっくり日本新記録』が復活することとなった。

  • 魔法のプリンセス ミンキーモモ(1982~1983)
いわゆる初代空モモ。
視聴率は好転したものの、おもちゃの販売が頭打ちになったと玩具会社に判断され打ち切り決定。
これに怒ったスタッフにより主人公のモモが使命を果たせないまま皮肉にも玩具屋のトラックに轢かれて死ぬという玩具会社への抗議表現を含む有名な最終回を迎えてしまう。
しかし、アニメとは無関係に開発されていた新商品のキャラを登場させる販促番組としての延長が急きょ決定。
2回の総集編放送により再準備期間を設け、一部に当初予定していた最終回構想も取り込んだ新展開の第2部がスタートした。
余談だが、2代目である海モモも中々に衝撃的な結末を迎えている。

  • 超攻速ガルビオン(1984)
メインスポンサーのタカトクトイズが営業不振で倒産してしまい、代わりのスポンサーが見つからず打ち切り。
結局ほぼ完成状態の第22話のラスト30秒に止め絵とナレーションによる「結末」を加えて強引に終了。
この顛末には全国のファンから抗議の電話やハガキが国際映画社へと送られ、国際映画社側も泣く泣く謝罪せざるを得なかった。
なお、シナリオは第26話まで出来上がっていた様子。
その後、先述の『ふたり鷹』で国際映画社は倒産することになる。

メインスポンサーのバンダイが出していた残念な出来のプラモの売れ行きが悪く、3クール目で北斗の拳チックな路線変更をしたところに
三洋電機が石油ファンヒーターで一酸化炭素中毒事故を起こした影響で撤退し、本作より『機動戦士Ζガンダム』や『機動戦士ガンダムΖΖ』が本命だったバンダイの意向もあって打ち切り。
打ち切りが急に決まったこともあり、最終話の前の回となった第37話の展開から一気に話が飛んでいきなり最終話(おそらく第50話前後に相当)が始まるというぶっ飛んだ構成になっている。
なお、この話が一気に省略された4クール目相当の部分はOVAの第3巻という形で補完されている(ちなみに1巻、2巻はテレビアニメの総集編)。
ちなみに視聴率は平均10%と悪くない……どころか裏番組がおニャン子クラブを輩出した『夕やけニャンニャン』の全盛期だったことを踏まえると大健闘した番組であった。

当たり前だが、この件でバンダイとサンライズの間には結構な溝が出来たようで、リアルロボットブームが下火になったのもあってガンダムシリーズはTVアニメを『ZZ』で一旦終了。
映画やOVAなどでガンダムシリーズ自体のリリースは継続しつつも、TV放送の再開は93年の『機動戦士Vガンダム』まで間が空くこととなる。
ただこの頃から始まった「SDガンダム」が大ヒットしOVAや劇場版アニメまで作られ、「自分達の関与しないガンダムの企画」のヒットがサンライズに衝撃を与えた事、
そして『Vガンダム』の監督は「スポンサーと刺し違えるつもりだった」と語る程バンダイの意向をガン無視し、子供向け番組とは思えない陰鬱な物語を展開していったのはまた別の話。

その一方でサンライズは『魔神英雄伝ワタル』『鎧伝サムライトルーパー』を皮切りに、当てつけの如くバンダイのライバル企業であるタカラ(現・タカラトミー)主導によるシリーズものアニメを多数制作する*58*59

  • ベストヒットUSA(1981~1989・2003~)
テレビ朝日で放送されていたブリヂストンの一社提供番組。
VJ小林克也の軽妙なトークに乗せて洋楽の最新PVを流すというもので、開始はあのMTVよりも早い。
海外アーティストの最新映像が見られる貴重な番組として若者に人気を博し、80年代の洋楽ブームのけん引役となった。
1989年にテレビ朝日がスポンサー料の値上げをブリヂストンに申請したが、「内容が同じなのにスポンサー料の値上げは納得できない」と同社が拒否したことから打ち切り。
末期には裏番組である「ねるとん紅鯨団」を筆頭に各局が深夜番組に力を入れるようになったことから視聴率的に苦戦しており、先のスポンサー料値上げもこの流れに準じたものであったが、放送形態を見直した方が良いと判断され終了に至った。
その後、番組は2003年からBS朝日で復活し(一部地上波テレビ朝日系列局でも放送)、2021年には誕生40年を迎える長寿番組となった。
スポンサーのブリヂストンについても節目の回で一社提供を実施するなど、今なお良好な関係を築いている。

F1ブームに乗っかり、先述の『魔神英雄伝ワタル』などを放送したロボットアニメの枠で放送されたレースアニメ。
しかし、玩具は不振で視聴率も全く振るわず、遂にタカラがスポンサーを降りてしまい、4クールのところを3クールに変更して最終回までの流れを強引にやり切る形で打ち切られた。

だが人気がなかったというわけではなく、少年よりも青年やあっちの方々にかなり受けていた。
このため、OVAなどで長期に渡って展開が続いていくことになる。
完結編となる「SIN」が発売されたのはなんと2000年。
『SIN CYBER GRANDPRIX』シリーズに至っては初代こそ同人ゲーム扱いだが、2作目からサンライズ公認となり、2018年にも新作が出て、2020年にはPS4への移植まで果たしているほど。
2021年に30周年を迎え、CDの復刻BOXが発売されたりと「本当に打ち切り作品かコレ?」という展開を見せている。

  • 世界ふしぎ発見!(系列外ネット局のみ、1995〜2020)
言わずと知れたTBS制作の長寿クイズ番組。
系列外の秋田放送・福井放送・四国放送(いずれも日本テレビ系)でもTBS系列局がない都合上、1995年より遅れネットされていた。
しかしスポンサーである日立グループが事業展開等の変化により家電など個人向け商品の宣伝活動を縮小することとなり、これによって2020年6月をもって上記の3局では放送が打ち切られた。
主に地方局において遅れネット番組が突然打ち切られることはそれほど珍しくないが、そのほとんどは編成の都合によるものであり、このようにスポンサーの都合というのは珍しい。

  • 破邪巨星Gダンガイオー(2001)
スポンサーの都合で2クールの予定が1クール分しか確保できなかった。
…のだが、話を縮小する事もなく1クール目のみを放送して終了となった。
最終回を一言で言えば、「翌週にグレートマジンガーが始まらなかった『マジンガーZ』」である。

  • Cosmic Baton Girl コメットさん☆(2001~2002)
以前に2回特撮で放映された作品のリメイク。
原作は横山光輝だが、クレジットには表記されていない。
特撮版でヒロインを務めた九重佑三子と大場久美子の2名を重要な役柄でキャスティングし、コメット役の前田亜季を含めた3名で制作発表を実施、本編も街並みの繊細な表現や心情描写などが話題となったが、
メインスポンサーのタカラが玩具の売り上げ不振により撤退してしまい、4クールの予定が3クールに大幅に短縮された。
打ち切り決定後は若干物語が駆け足となったが、自然な形で最終回を迎えている。
本編で語りきれなかったエピソードはDVD-BOXのミュージッククリップ内に新規書き下ろしで補完された。
その後流行する癒し系の先駆けとも言えるこの作品は、生まれる時代が少々早すぎたのかもしれない。

『ファイナルファンタジー』唯一の地上波アニメ作品であるとともに、あの悪名高き映画版『ファイナルファンタジー』の煽りで打ち切られた悲劇の作品として有名。
当初は駄アニメと見られていたものの、ゲーム版にはない特異な設定や演出で徐々に人気を獲得し、2クール目に入る頃には相応の固定ファンを抱えていたが、
FFシリーズの発売元、かつアニメの主要スポンサーでもあったスクウェア(現・スクウェア・エニックス)が映画版の歴史的大失敗を機に「映像部門からの撤退」を表明。半分の2クールとなる。
熱心なファンを生み出しはしたが、版権などの問題で客演も難しいようだ。

  • 給与明細(2001~2008)
テレビ東京で放送されていた深夜番組。
水商売などあまり知られていない世界の仕事や給料についてスポットを当てた番組で、テリー伊藤が企画制作・進行を担当していた。
スポンサーのプロピアが2008年7月に倒産。改編期が近かったこともあって新規スポンサー獲得に間に合わず、同年9月をもって打ち切られた。
2014年には別の企業がスポンサーに付いた上で『給与明細2』として復活し、半年間放送された。
2018年からはABEMAにて第3シリーズの配信が開始された。

  • 料理バンザイ!(1982~2002)
大河ドラマ『徳川家康』などで有名な俳優の滝田栄が司会を務めていた料理番組。
20年続いてきた長寿番組であったが、2000年以降スポンサーである雪印グループの相次ぐ不祥事により、雪印側から降板の申し出があり、2002年3月31日放送分をもって打ち切られた。最終回では雪印グループの謝罪広告が流れた。
この打ち切りの影響で、番組を制作していたプロダクションのカノックスは収益が大幅に悪化し、2004年に民事再生法を適用している(最終的には創業者である久世光彦の死去もあり、2010年に会社解散)。

PTAに徹底して糾弾された悲劇のアニメ(冒頭の一文の元ネタはこれ)。
ゴールデン→放送局減少→関東地方のみとどんどん放送範囲の縮小を余儀なくされ、最後にはスポンサーが1社もいなくなってしまった。
それでも制作会社が制作費を持ち出し*60、スポンサー無しでしばらく放送を続けていたが、さすがに株主総会で取り上げられてはどうしようもなく、あえなくギブアップした。
一説によるとスタッフが主人公の合体形態の一つである田ボのファンで、その再登場回をアニメ化するためだけに粘っていたなんて噂もあるとか。
まぁPTAの「こんな番組を見ていたらバカになる」という主張に反論できる人は多分いないだろう。バカだから見ているとも言えるかもしれない。
なお、打ち切られなかったら突入していた裏マルハーゲ帝国編は出る作品を間違えていると名高い作中トップクラスのマジキチが登場するシリーズでもあるので、仮にスポンサーがいたとしても放送は厳しかったのではないかという声もある。
最近では中国の国内で放送してはいけない番組リストに入っていたことで話題になった。中国政府もこれを見ていたらバカになると思ったのだろうか*61
アニメ終了から15年後、まさかの農林水産省公式アカウントが突如としてボーボボネタをツイートし、ネットの一部が騒然となる出来事もあった。
今ではPTAの批判に対して「バカになるどころか国家公務員にもなれる」との反論も可能である、かもしれない。

  • 週刊ことばマガジン(2005~2011)、情熱エンジン(2005~2011)、ふしぎのトビラ(2006~2011)
いずれも東北6県・新潟県で放送されていたローカル番組。
スポンサーだった東北電力が2011年3月の東日本大震災の影響で経営・イメージ悪化したため、震災時の放送休止がそのまま放送終了状態になってしまった。
ちなみに福島県など東北各県で東北電力と東京電力が提供していた番組は震災と原発事故を機に全て打ち切り、あるいはスポンサー降板となっている。
尚、スポンサーこそ違うが、同じ東北ブロックネットの東日本放送制作の「週末釣り倶楽部」も震災以降は休止してしまい、事実上打ち切られている。

  • やっとかめ探偵団(2007)
清水義範の小説をアニメ化した作品。
テレビ愛知制作で、中京ローカルで放送された。
多くの登場人物の演者に尾張地方出身の声優を起用することで自然な名古屋弁を実現したり、ナレーションにこれまた尾張出身の落語家の三遊亭圓丈を起用したりとかなりこだわっていたのだが、1社単独提供でCMの放送時間数が足りず*62、13話で打ち切り。
映像ソフト化もされず、その後公式サイトも削除されてしまったため、完全に歴史の闇へと消えた。
なお、アニメは日曜朝の放送なのに不倫や殺人といった暗いネタが多く扱われていたため、内容的にスポンサーがつかなかったという見方もある。

  • 窓をあけて九州(1979~2012)・未来への羅針盤(2010~2012)・あかりSTORY(2009~2012)
いずれも九州地方で九州電力の一社提供で放送されていたローカル番組。
全国の電力会社が東日本大震災の影響で経営・イメージ悪化したことによるとともに、スポンサーだった九州電力が2011年7月に佐賀県の九州電力玄海原子力発電所の運転再開による佐賀県民向け説明会を行ったが、関係会社の社員は運転再開の指示にやらせメールを送っていたことが発覚(九州電力やらせメール事件)。
この為、九州電力は業績不振に陥り、広告費削減のため当該3番組のスポンサーが降板となり、2012年3月をもって終了となったが、「窓をあけて九州」に関しては3つのグループ会社との共同で、2016年4月から「新 窓をあけて九州」のタイトルで番組が復活している。

【ネタ切れによる打ち切り】

番組で取り扱うネタが枯渇してしまい、それ以上の番組制作が困難になってしまったパターン。
末期になると明らかなネタの水増しや使い回しが散見されるようになったり、扱われる話題が目に見えて新しくなったりといった現象が多発する事が多く、場合によっては路線変更による迷走や視聴率低下といった他の打ち切り要因を招く原因になるケースも少なくない。
特に視聴者投稿をメインに据えた番組(トリビアの泉とか)はその性質上ネタの供給が安定しているとは言い難く、常にネタ切れの危機に脅かされている。
一方で番組人気や制作体制その物の問題というわけではないため、打ち切りの理由としては比較的ポジティブな理由であり、中には後々特番として復活したり様式を変えた別番組として仕切り直すなどして延命に成功するケースも。

【ネットチェンジに伴う打ち切り】

地方の民放局で見られるパターン。
地方のテレビ局はクロスネット局でスタートすることが多く、後年新たに系列局が開局した場合、系列キー局や準キー局が制作していた番組が移籍するため打ち切りとなる。
但し、局の方針や編成の都合から文字通りの打ち切り、つまり終了となってしまうことも。

  • 東リクイズ・イエス・ノー(1974~1975)
1975年4月に行われたネットワークの腸捻転解消*63に伴う打ち切り例。
毎日放送制作で、児玉清が司会の視聴者参加型クイズ番組。
○×クイズで30人抜きをすれば賞金100万円というルールだったが、あまりに難易度が高すぎたため半年後に5人抜きに変更。
それでも視聴率は伸びず、結果開始から1年で打ち切りとなった。

終了後同枠は朝日放送制作となり、司会とスポンサーを引き継いで新たに開始したのが『パネルクイズ アタック25』である。

  • 山形テレビにおけるフジテレビの番組(1993)
山形テレビは元々フジテレビ系列局であったが、様々な事情によりテレビ朝日系列へのネットチェンジを決定した。
しかし、明確な理由も説明しないままネット離脱を伝えたためフジテレビ側は激怒。
全ての番組のスポンサー交渉を山形テレビだけ単独で行わせるというペナルティを課したものの、山形テレビの気持ちは動かず、結局1993年3月31日をもってフジテレビ系列を脱退した。
これにより、山形テレビで放送されていたフジテレビの番組がほぼ全て打ち切られることとなった*64

翌日からはテレビ朝日の番組が放送されることとなったものの、当時数多くの人気番組を抱えていたフジテレビに対し、テレビ朝日は『ドラえもん』『徹子の部屋』『ニュースステーション』くらいしか人気番組がない状態。当然県民が納得するはずがなかった。

さらにフジテレビは山形テレビだけでなく、ネットチェンジに協力したとみなした山形放送に対しても番組販売を拒否したため、残る一局のテレビユー山形において『サザエさん』など一部が放送されるにとどまった*65
このような状況に県民の不満が爆発し、署名運動やフジテレビの後押しによって1997年、フジテレビ系列局のさくらんぼテレビが開局した。これにより民放が4局揃ったため、ある意味結果オーライとも言えるだろう。
ちなみに山形テレビは最初テレビ朝日系列局として開局する予定だったが、前述した服部天皇の鶴の一声でフジテレビ系列局となったため、このネットチェンジはある意味当然の判断ともいえる。

【サービス終了に伴う打ち切り】

チャンネルの運営終了による打ち切りというあんまりなケース。
2000年代以降は新たにCS放送局が多数開局したが、小回りが利く一方採算面では地上波以上にシビアなため、開局から10年持たずに放送終了する例も少なくない。
近年は前述したように動画配信サービスが普及したが、サービス自体も過当競争になりつつあるため、今後オリジナル番組についてはサービス終了→打ち切りでそのまま封印作品となってしまうリスクも生じるようになった。
「内村さまぁ~ず」のように配信先を転々としながら継続する番組もないわけではないのだが…

  • 2012年3月の第一興商スターカラオケ終了における打ち切り
スターカラオケはその名の通りカラオケなどの音楽番組を放送していたCS放送チャンネルなのだが、2009年10月から新たに昭和のアニメや特撮の放送を開始した。
しかし放送ペースはなぜか2週1話という超鈍足ペースだった。つまり全話放送するには本来の2倍の年月がかかってしまうことになる。
2011年、運営元の第一興商はテレビ放送からの撤退、および当チャンネルの放送終了を公表。
当時放送されていた『鉄腕アトム』、大場久美子の『コメットさん』は全話放送できないまま、チャンネルの終了とともに途中で打ち切られた。
……それにしても第一興商は『アトム』を8年もかけて放送するつもりだったのだろうか。

  • 2016年6月のNOTTV停波に伴う打ち切り
NOTTVはNTTドコモの子会社として設立した携帯電話向けのマルチメディア放送局で、2012年4月に開局した。
しかし放送を受信するには専用のチューナーとドコモとの回線契約が必須とハードルが非常に高く利用者数は伸び悩み、2015年に翌年6月での停波・放送終了を発表。
これに伴いオリジナル番組は軒並み打ち切りとなったが、『AKB48オールナイトニッポン』のサイマル放送はSHOWROOMに、『もう!バカリズムさんのH!』はフジテレビONEにそれぞれ移行して継続した。
マルチメディア放送は地上アナログ放送終了で空いたVHF帯の有効活用を狙ったものだが、同時期に急速に普及した動画配信サービスに太刀打ちできず、現在同帯を使った放送局は存在しない。

  • 2023年のGYAO!サービス終了に伴う打ち切り
GYAO!はヤフーが運営する動画配信サービスで、テレビ番組の見逃しや『木梨の貝。』『木村さ〜〜ん!』『M-1グランプリ』の予選・ワイルドカード・反省会といったオリジナル番組を配信していた。
2023年1月にヤフーおよびLINEを運営するZホールディングスがGYAO!とLINE LIVEの同年3月末終了を発表し、オリジナル番組については同月内で全て打ち切りとなった。
なお、M-1については予選会が公式YouTube、ワイルドカードがTVer、反省会がLeminoへそれぞれ移行して配信が実施されている。


【お色気番組の打ち切り】

テレビ黎明期から深夜番組では様々なお色気番組が放送されてきたが、現場や視聴者に好評でもPTAや局の上層部からはあまりいい顔をされず、低俗番組とクレームが入って番組終了、あるいはネット打ち切りとなった番組も数多い。
一方在阪局のように「エログロは麻薬のようなもの、一度手を出すと過激な映像を求めてきりが無くなってしまう」との判断から制作・ネット受けをしなかった例もある。

1980年代後半以降になると女性の社会進出に伴い深夜番組も女性層を重視するようになり、視聴率を度外視したマニアックなバラエティ、あるいは若者向けのドラマといった現在の路線へシフトするようになり、お色気番組はそのほとんどが姿を消した。
とはいえテレビ東京やサンテレビのようにコンプラの波をかいくぐりながら作り続けている局もあるので、やはりお色気は欠かせないコンテンツなのだろう。

本項ではお色気とはいえない番組も入っているが、便宜上それらも含めて記述する。

  • 23時ショー(毎日放送・1971)
  • 11PM(山形放送・1978)
  • 11PM・ミセス&ミセス(山口放送・1978)
「23時ショー」はNETテレビ(現・テレビ朝日)で放送されていた深夜番組で、過激なお色気コーナーを売りとしており、裏番組の「11PM」としのぎを削っていた。
毎日放送は金曜放送分の制作も担当していたが、1971年に「内容が低俗すぎる」として放送を打ち切った。このような理由でのネット打ち切りはテレビ史においてこれが初である。
打ち切りの背景には前述の理由のほか、お笑い路線で行きたいMBS側とお色気路線を維持したいNET側の対立も一因としてあった。

「11PM」は1965年から1990年まで放送された深夜番組で、月・水・金曜が日本テレビ、火・木曜が読売テレビ制作だった。
山形放送では当時の社長・服部天皇服部敬雄が低俗な内容の改善を日本テレビ側に要求するも、日本テレビ側が応じなかったため1978年に打ち切り。
山口放送では上述2番組のほか、「ウィークエンダー」「お昼のワイドショー」などの番組で低俗化が進んでいることを訴えるも、改善が見られなかったため前者の2番組を1978年に打ち切った。
余談だが、「11PM」は時事問題や麻雀や釣りにオカルトに、音楽ライブに温泉や新車レビュー、果ては地方局とタッグを組んだご当地特集など様々な企画を放送しており*66、後年語られるほどお色気に特化した番組ではない

  • 3分勝負15ラウンド(1976)
フジテレビで放送されていたバラエティ番組。
ドラマやクイズなど様々なジャンルの3分番組をオムニバス形式で放送するという内容であった。
お色気要素があるものも多く、その中の1つの「上から油が流れるすり鉢に水着姿の女性たちを入れ、上にある商品を目指して這い上がる姿をカメラで舐め回すように下から撮影する」という企画が当時のフジテレビ社長の逆鱗に触れ、わずか3か月で打ち切りとなった。

この手の番組はフジテレビの十八番‥と思われがちだが、当時のフジは「母と子のフジテレビ」というキャッチフレーズの下、ファミリー健全路線の編成を組んでいたこと打ち切りの一因となっている。

  • 女子プロレス中継 世界選手権シリーズ(1968~1970)
東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放送されていた女子プロレス中継番組。単発で放送された特別番組が22.4%と高視聴率を獲得したためにレギュラー化された。レギュラー化後も常時15%の視聴率をキープするほど根強い人気を誇った。
しかし上層部の会議において、お色気番組2本を放送するのは不要として、同時期に人気を博していたテレビドラマ「プレイガール」のどちらかの打ち切りを迫られることとなる。プロデューサーの説得も虚しく、上層部は当番組を打ち切り、「プレイガール」を存続させることを決定した。
当時は女性が男性ばりのアクションを見せる番組に対し「低俗」「エログロ」とみなす風潮が根強く、そうした世論の高まりが原因とも言われている。

  • さんまのサタデーナイトショー(1981~1984)
テレビ東京で放送されていた深夜番組。司会は明石家さんま
深夜帯であるにも関わらず視聴率10%台と好調で、当時のテレビ東京の全番組の中で最高視聴率であった。
しかし「局の最高視聴率がお色気番組というのは体裁が悪い」という上層部の夫人の抗議で打ち切り決定。さんまはこの件を相当根に持っていたらしく、以降テレビ東京制作番組の出演は2018年の「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」まで待つこととなる。

  • 民放キー局制作の土曜深夜ワイドショー番組(1984~1986)
1983年にフジテレビで開始した「オールナイトフジ」が、AV紹介や風俗店レポートなど過激なお色気路線で人気を博したことから、1984年10月以降各キー局が同種の番組を開始し、それまで不毛の地と言われていた土曜深夜枠を大きく盛り上げることとなった。
ところが、その過激な内容が国会で取り上げられるほど問題となり*67、翌1985年3月に管轄の郵政省(現:総務省)から深夜番組自粛の通告が来たことで、「オールナイトフジ」を除く全番組が1986年3月までに打ち切りとなった。
TBSのみ非お色気路線だったのだが、視聴率低迷で終了というある意味まっとうな理由だった。
その一方、元祖でもある「オールナイトフジ」は85年4月からお色気路線を全廃し、最終的には91年まで続くというロングランぶりを見せており、その後も何度か復刻版やオマージュ番組が制作されている。


【その他】

「枠が足りなかった」というとんでもない理由で、地上波ではごく中途半端にしか放送されていない。
『カウボーイビバップ』はテレ東規制に巻き込まれ、比較的刺激の低い数話しか流さなかったが、一応WOWOW(地上波終了後)で放送された。
『バブルガム2040』は最終2話をVHSおよびDVDで収録されたが、厳しい言い方をしてしまえば作品を舐めているとしか思えないだろう

いずれもTBSテレビ制作のアニメで、「TBSの編成の事情」という最悪なパターンで打ち切られた例。この局の学習能力の無さは何なのか

『レディレディ!』も『ダイの大冒険』も視聴率も関連商品の売り上げも上々だったが、『編成の都合』という名目でスポンサーの断りもなく打ち切られてしまった。
一応、『レディレディ!』は放送局をテレビ東京に移して『ハロー!レディリン』という新シリーズが放送されたが、ローカル枠だったため視聴できなかった人は少なくはないだろう。
『ダイの大冒険』に関してはタカラから発売されていたミニフィギュア玩具「ダイコロ」シリーズの売り上げも上々で、竜騎衆ラーハルトの試作品も作られていた。
……が、TBSがフジテレビのバラエティ対策として片っ端から人気番組を打ち切って月曜から木曜の19時台に「ムーブ」という帯のバラエティ番組の時間枠を作ろうとしたのが運のつき。この番組も編成の事情に巻き込まれて中途半端に打ち切られてしまった。
ついでに言うと『笑ゥせぇるすまん』を番組内アニメとして放送していた『ギミア・ぶれいく』も打ち切られており、司会だった大橋巨泉はその体制を番組最終回で批判した*68
この件で制作元の東映アニメーションは完全にキレたのか、これ以降TBS系列で放送した東映アニメは2007年の『ラブ★コン』のみである(2022年1月時点)。
当然のことながら、2020年からの『ダイの大冒険』の再アニメ化もテレビ東京系列の放送となっている。

なお、肝心の「ムーブ」はこれらの所業が祟って『上岡龍太郎の男と女ホントのところ』以外が爆死レベルの視聴率しか出せずに1年で打ち切り。
テコ入れで「ザッツ!」へと改名されるも半年程度で枠が消滅
唯一好評だった『関口宏の東京フレンドパーク』は半年後に『関口宏の東京フレンドパーク2』へとリニューアルされ一躍人気番組になったが、こちらは2009年の「総力報道~」の改編に巻き込まれる形で終了に追い込まれた。

こうした改編が行われる最大の理由として、編成部長や社長といった上層部の交代が挙げられる。
オードリーの若林曰く、テレビ局で新社長が真っ先にやりたいことは「社長が交代してよかったという実績を上げる」ことであり、その方針として改編を提案することが多いのだとか。そして現場やタレント側は新上層部へのゴマすりを欠かさないようにする。

前述の「ムーブ」新設はTBSが野村証券の損失補填問題で大きく揺れていた時期で、あっさり黒歴史となった新ロゴ「ミクロコスモス」の制定に代表されるイメージ回復策として改編を実施したものだが、視聴者側を悉く無視した内容はあまりに酷過ぎた。
その後、TBSは改編失敗に加えビデオ事件などの不祥事もあり、世間からの信頼を大きく失い冬の時代を迎えることになる。

余談だが、「大型バラエティ枠の開始に伴い番組時間帯変更」になったものとしては同じく2009年4月に日本テレビで放送された『サプライズ』枠があるが、こっちの場合は移動させられた『名探偵コナン』など3番組が現在でも継続し*69、「サプライズ」枠も「ムーブ」と似たような感じになり、「サプライズ」枠は2010年3月で終了となった。
しかし、火曜日の放送は評判は良く、2010年4月からは『火曜サプライズ』として単独番組化し2021年3月まで放送され、レギュラー放送終了後も不定期特番として放送されている。

『B'tX』は1年放送を念頭に置いていたのか、原作のストックが追いつくのを何とか避けるためアニメオリジナルエピソードで水増したり、エックスに似た黒い麒麟のB't・シャドーエックスとそれを駆る黒いバトルギアを纏った謎のドナー・黒騎士を登場させたり…と工夫したが局の都合で打ち切られた
しかし、アニメの方はOVA『B'tX NEO』で完結しており、シャドーエックスは原作漫画にも登場、作品自体は無事に幕を閉じている。
また、海外での評価は高かったのか、日本では未発売に終わった『ソリッドスキャンキット』のマックス、マドンナ、リュカオン、五色の燐光を発動したエックスなどが発売されている。

  • 追跡(1973)
関西テレビ制作のドラマ。
第15話として予定されていた「汚れた天使」を試写会で見た関西テレビの重役が「内容が非常識」と判断し*70、次話の「灰色の天使」への差し替えを一方的に決定。
これに同作品を手掛けた唐十郎が「放送しなければ関西テレビと絶縁する」と激怒し、主演の中村敦夫をはじめとする出演者とスタッフ、さらには中村の事務所の先輩にあたる初代黄門様こと東野英治郎も同調するという事態に発展した。
しかし関西テレビは差し替えを強行。これにより全出演者・スタッフが撮影をボイコットしたため、全16話で打ち切られた。
なお「汚れた天使」は後に行われた唐十郎の自主上映会で日の目を見ることとなった。

ドラゴンクエストⅨ 星空の守り人』発売直後の2009年8月にチバテレビ夕方5時台のアニメ枠で再放送されるも、6話放送したところで
ドラゴンクエストの放送について
「ドラゴンクエスト」は放送権利の問題で急遽放映できなくなりました。ご了承下さい。
と同局ホームページで公表、視聴者にはよくわからない理由で打ち切られてしまった。
……アニメの『ドラクエ』はよほど打ち切りと縁が深いらしい。こんな理由でご了承できる人はそういないだろう。
なお、『ドラクエ』打ち切り後のこの枠では『らんま1/2』が放送され、こちらは無事全話完走している。

同局ではこの数年前に『うる星やつら』を放送、途中終了したが膨大な話数を抱える1話完結形式の作品が、穴埋めなどの目的で一部のみ再放送されることはそう珍しいことではない。
しかし、このように完結した続き物の作品が打ち切られるのはよほどのことと言える。

現在も放送中のテレビ朝日版ではなく、封印作品にも名を連ねる1973年放送の日本テレビ版の方の話。
本放送後もしばらくは再放送が行われており、1979年7月には作者の出身県である富山県の富山テレビで再放送が開始されたが、わずか9回で打ち切りとなった。
これを最後に再放送は行われなくなったため、日本テレビ版が公の場に出た最後の機会となった。
打ち切りの理由について、『封印作品の謎』の著者である安藤健二が小学館元専務の赤座登に行ったインタビューによると、
「作者の藤子・F・不二雄が再放送に憤慨し、小学館と藤子スタジオが連名で放送中止を求める警告状を送った」とされている。
一方、テレビ朝日元編成部長の高橋浩は、自著『視聴率15%を保証します!』において、「テレビ朝日版が同年4月に放送を開始した事を踏まえて、子供たちを混乱させないため小学館に日テレ版を封印してもらった」という別の理由を述べている。

そもそもこの日本テレビ版『ドラえもん』自体自体、打ち切りではないが想定外のトラブルにより終了したという経緯がある。
「2クール放送、人気が出れば延長」という契約で始まり、そこそこの人気により3クール目突入が決まりかけたところで製作会社の社長が失踪して会社の解散が決定
大混乱の中なんとか最終回を製作して、当初の予定であった2クールで終了させるという悲劇的な終局を迎えている(詳しくは封印作品の本作品の項を参照)。
いつか復活する日を信じたスタッフにより、最終回のエンディングでは敢えて「次回をおたのしみに」というメッセージが流された*71
テレビ朝日の大山版でもこれを踏まえて
  • 放映第1作は『ゆめの町ノビタランド』を選び、『未来の国からはるばると』から始めない。
  • のび太とドラえもんの出会いは特番の回で放映する*72*73
という対応がとられており、一応全く無かったことにはなっていなかったようだ。

当初は他のTVシリーズのガンダム同様に4クールが予定されていたが、3クールに短縮された。
また、打ち切りが決まる以前の段階で放送枠が夕方から早朝に移行していた。ガンダムの公式ギャグ漫画は数あれど、「本放映が始まるからで他の主人公を朝から叩き起こす」ネタが許されるのはガロードくらいだろう。*74
その理由は編成上の都合とも、当時の放送局がアニメを軽視していたことによるとも、はたまた『新世紀エヴァンゲリオン』となるとロボアニメとして相手があまりに悪かった*75ともされているが、真相は定かではない。
とはいえ、放送期間が短くなったことで終盤はかなりの急展開であったものの、全体として切られたエピソードは無いようである。

ドラゴンボール改』を放送するため100話で打ち切り……と言われていたが、実際はタイアップのおもちゃの売上が芳しく無く、更に2008年9月のリーマンショックに伴う世界的な大不況で巻き返しも見込めなかった事などが絡み合った複雑な事情によるものとされる。
しかし視聴率自体は高く、定期的にネットニュースのアニメカテゴリでトップを飾り、シリーズ構成の三条陸も長期シリーズとして続けていきたいと語っていたが、スタッフの熱意や視聴者の期待も虚しく100話打ち切りが劇場版公開前に決定してしまった。
その最終話は5期からサブレギュラーとして度々登場した天狗ポリスのエース・黒鴉の過去に関するエピソードであり、その話のラストで鬼太郎が視聴者に向けて「僕たち妖怪の百の物語はこれで終わりです」と語りかける典型的な打ち切りエンドであった。

もし100話で打ち切られていなかった場合、残りの妖怪四十七士の覚醒や獄炎乱舞・武頼針に次ぐ地獄究極奥義などをテレビアニメで描き、真の最終回となる劇場版で四十七士全員が顔合わせをし、鬼太郎たちと力を合わせて史上最強の敵に立ち向かうという構想が練られていた。
更にテレビシリーズで足跡の怪もリメイクが予定されていたというほか、三条は「『大海獣』でガッツリ怪獣ものやりたい」「メカ大海獣はなんとしても出してやる!」と述べていたとされる。

幸いにも映画『劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!』は企画段階で立ち消えにならず、テレビシリーズで覚醒しなかった四十七士もこちらで「東映特撮の追加戦士の紹介のノリで半覚醒し、四十七士全員で力を合わせて最強の敵に立ち向かう」という真の最終回的な内容は実現した。

また「足跡の怪」のリメイクは後年の第6シリーズで実現したが、第6シリーズは第5シリーズと設定や作風も大きく異なっているため、第5シリーズでもし制作されていたらどのような内容になっていたのか興味深いところである。


  • 名犬ラッシー(1996)
全26話が制作されたが、最終話が野球中継により放送されず。
元々『名犬ラッシー』は1年4クールかけて放送される予定だったのだが、何らかの事情で半年2クールに短縮され、第26話は「野球中継が雨天中止になったら放送される」といういわゆる雨傘番組であったため、第25話で打ち切りとなった。
ただ第26話の内容はそれまでの話の後日談であり、ストーリーが尻切れトンボになったというわけではない。

  • さんまのナンでもダービー(1993~1995)
アスリートや運動自慢のタレント達、名馬達をもじったポニーがレースを行い、ゲストが誰が1着2着かを予想してベット、当てるという競馬をモチーフとしたテレビ朝日のクイズ番組。
視聴率的には悪くなかったが、ゲストとして出演した野村沙知代(野村克也夫人)が収録中に横暴な態度を取ったり、途中でスタジオから出たりと次々と問題を起こし、さんまと大喧嘩を起こす騒動に。
しかしテレ朝側はあろうことか『さんまの方が謝罪するように』と沙知代の肩を持ち、これにさんまが激怒。テレ朝と絶縁宣言をし、1995年9月に打ち切りとなった。
以降さんまはテレ朝でのレギュラーは持たなくなったが、近年では「アメトーーク!」の年末企画「さんまVS若手芸人」に出演するなど、完全に縁を切ったわけではない。
一方、大阪のABCテレビでは全国ネットの特番や関西ローカル番組で出演機会が多い。

特番が急遽野球中継に差し替えられ、それに激怒した松本が収録をボイコットし、
最終的には番組打ち切りで手打ちとなった。もともと人気番組だったことに加え、打ち切りの経緯についても一二を争う知名度を誇る。
詳細は当該項目参照。

  • スーパージョッキー(1983~1999)
日本テレビで日曜午後に放送されていたバラエティー番組。司会はビートたけし。
あの「熱湯風呂」を生み出したのもこの番組である。
打ち切りの理由について、司会だったたけしは「当時の日テレ社長が民放連の会長に就任した際、番組の風紀向上を謳ったところ、『だったらあんたの所のスーパージョッキーを打ち切れ!』という意見が噴出したため、打ち切らざるを得なくなった」と語っている。しかし単に企画自体のマンネリ化などによるものという説もあり、上記の話の真偽は不明。
むしろこんなお色気番組がここまで長続きしたことが凄いが。

  • ザ・スクープ(1989~2002)
テレビ朝日で放送されていた報道ドキュメンタリー番組。
桶川ストーカー殺人事件では警察の怠慢と隠蔽を告発する内容の報道を行い、日本記者クラブ賞を受賞する快挙を成し遂げている。
2002年に番組の終了が予定されていることが明らかになると、弁護士や教授、ジャーナリストによる「『ザ・スクープ』存続を求める会」が発足、更に「テレビ番組は誰のものか?―テレビ朝日『ザ・スクープ』打ち切りを問う―」と題したシンポジウムが開催されるほどの事態となった。
だがこうした活動も虚しく、9月28日をもってレギュラー放送は終了、その後は年に5回放送をめどとして放送されていたが、2018年8月12日に放送された回を最後にそれ以降は制作されず、29年間の歴史に幕を閉じた。
打ち切りの理由であるが、これがよくわからない。
出演者の都合による打ち切りか、スポンサーの都合による打ち切りか、ネタ切れによる打ち切りかのどれかだと思われるが、推測の域を出ず断言はできない。
過去に不祥事*76を起こしたこともあるが、1993年のことであるためこれが打ち切りの直接の原因であるとは考えにくい。

異世界での風俗店のレビューをするという漫画原作のアニメ(詳細は項目参照)。令和最初の打ち切りアニメとなった。
性的な内容ゆえ、「無修正ver」「裏オプver」「通常ver」に分けて制作されるなどしていたが、まず北米の配信サイト・ファニメーションにおける配信が停止され、TOKYO MXで第4話、サンテレビで第5話を以て「編成上の都合」という名目で放送打ち切りとなった。
第7話時点では地上波で残るのはKBS京都のみとなり、全話完走できるのかどうか…と心配されていたが、その後岐阜放送・びわ湖放送・奈良テレビでも放送が始まり、むしろ打ち切り前より放送局が増えるという謎の展開をたどっている。
「むしろ何故放送までこぎつけられたのか」とする意見も見られる。
TOKYO MXでは打ち切り後の差し替え番組が船番組であったため、「Nice boat.を意図してるんじゃないか」とか言われた。

  • 夜の巷を徘徊する(2015~2021)
テレビ朝日で放送されていたマツコ・デラックスの冠番組。
その名の通りマツコが夜の街に繰り出して様々な施設を訪問するもので、テロップやナレーションを極力使わない演出もあって異色の旅番組として人気を博した。
2020年の新型コロナウイルスの流行に伴いロケが出来なくなってしまい、同年6月以降はスタジオ収録でタイトルも「夜の巷を徘徊しない」に変更して新作の放送を再開。
しかし内容的に他のマツコの冠番組と変わらなくなったことや、時勢的に夜間ロケが再開できる可能性が見込めないと判断され2021年3月をもって終了。
前述の雛壇系バラエティ同様、この手のロケ番組も新型コロナウイルスの流行を大いに受けたジャンルの一つ。

  • 2000年代前半のフジ深夜アニメにおける打ち切り
放送機器メンテナンスやスポーツ中継の延長などによる放送時間の消滅によって予定していたスケジュールで放送ができなくなり
連続放送などの措置を取っても放送期間内に放映しきれなくなった結果打ち切られるという、かなり特殊なケース。
上記のTBSの「編成の事情」と同ケースだが、また違った理由による局の都合の打ち切り。
放送されなかった残りのストーリーはスカパーやBSで放送された。

当時のフジ深夜アニメではこの他にも深夜アニメの放映トラブルが常態化しており、結果フジにおける深夜アニメ放送そのものへの信頼が失われることとなった。
詳しくは2000年代初頭フジテレビ深夜アニメ問題にて。

  • NHK学校放送 小学校低学年向けの理科・社会科番組(1992)
打ち切りより廃止と言うべきだが、学習指導要領の改定により1991年度をもって終了した。
文部省(当時)の定めた教育カリキュラムから小学1・2年の理科と社会科が無くなり、それに沿って制作・放送されていた番組も終了せざるを得なくなったのだ。
該当番組は小1理科『なんなんなあに』、小1社会『それいけノンタック』、小2理科『はてなはてな』、小2社会『はたらくひとたち』の4つ。
いずれも1950年代~1960年代(!)からタイトルや内容を変えつつ長年放送されてきた番組で、パペットによる番組キャラと、お姉さん・お兄さん・おじさんなどの人間キャラやナレーターとの掛け合いで進行するのがテンプレとなっていた。
終了当時小学生だった子なら「やったくん、めるちゃん、のっくちゃん、どんとのおじさん」「ノンタック」「ポトリ、グラ」「ケンちゃん、フムフム」などのキャラ名に覚えがあるのでは。
もうちょっと上のお兄さんお姉さんなら「みるちゃん、きくちゃん、なんだろうくん」「ヌウくん、ピコちゃん」「カンちゃん、サッちゃん」「ペペ、モコ、ひとみ博士」「タンちゃん、ペロくん」などの方に馴染みがあるかもしれない。

翌1992年度からは理科と社会に代わり生活科が導入され、学校放送でも小1・小2それぞれに対応した生活科の新番組が開始されることとなる。

なお、小学3〜6年生向けの理科・社会科も、履修学年が4学年に縮小される関係で授業内容の入れ替えが生じた為、この前後の年度から番組のリニューアルや年度毎の単元差し替え*77が行われるなどの影響が及んだ。この為、移行前の録画ビデオを授業で使っていた小学校では「下級学年の授業で上級学年の学校放送の録画テープを視聴する」珍事が発生する事もあった。

  • アイアンキング(1985・テレビ埼玉再放送時)
最終回の1話手前で打ち切り。
本来ラスト2話は前後編構成となっており、第25話ではアイアンキングが怪獣タイタニアンに憑依されて街を破壊するシーンで終了、次の第26話で憑依が解け、タイタニアンを倒すという構成であった。
しかしあろうことか前編だけを放送して打ち切ったため、「ヒーローが街を破壊し続けて終わり」というとんでもないバッドエンドになってしまった。
また、アイアンキングの容姿がウルトラマンに似ていたため、「ウルトラマンが街を破壊し続ける最終回がある」という都市伝説が生まれ、伊集院光が『やりすぎ都市伝説』で取り上げる事態にまで至った。

  • BSジャパンにおける地上波番組のサイマル放送(2000)
2000年12月1日に開局したテレビ東京系のBS局・BSジャパン(現・BSテレ東)では、当初「テレビ東京が映らない地域でも番組がリアルタイムで見られる」ことを目的とし、放送番組の実に7割が地上波の同時放送となっていた。
…のだが、音事協による出演者の肖像権を理由とした激しい抗議や、出演者のギャラをめぐるトラブルが発生したため、半月ほどでその殆どが打ち切られてしまった。
その後は一部の生放送を除いて地上波の番組は時差放送となっているが、独自編成の拡大によりこれらの番組は減少傾向にある。
当初の目的であった「テレビ東京の全国放送」はその後、2022年にTVerにて(プライム帯限定で)リアルタイム配信がスタートし、22年越しに達成されることになった。

  • BS FUJIハイビジョンナイター(2001)
BSフジで放送されていたプロ野球中継。
横浜ベイスターズヤクルトスワローズの主催試合で対巨人戦以外の試合を水曜・日曜に約20試合ほどをハイビジョン生中継で放送し、BSデジタル放送の利点を生かし、特別会員のみが参加できる双方向システムを使ったゲームなどの企画も盛り込まれていた。
しかし当時のBSデジタル放送は一般的に浸透しておらず、いまひとつ盛り上がらなかったことに加えて、シーズンオフに横浜ベイスターズの親会社が変わったことなどの事情もあり、BSフジは僅か1年でプロ野球中継を取りやめることに。
以降はメジャーリーグ中継やオールスターゲーム・日本シリーズのサイマル放送程度に縮小されたが、2013年以降は公式戦の放送を再開している。

「裏番組『夕焼けニャンニャン』の存在」「国内におけるおもちゃの売り上げの低迷」「海外でおもちゃを完売させ売る物がなくなった為の打ち切り」と様々な要因が重なっての打ち切り。
ただし、女性層を中心にキャラクター人気は高く続編のOVAや声優達によるライブも展開され、『スーパーロボット大戦』には常連の参戦作となっているなど需要は高く、言わば「時代が早すぎた」のかもしれない。

  • ついでにとんちんかん(1987~1988)
週刊少年ジャンプで連載されていたえんどコイチのギャグ漫画のアニメ化。
下ネタ当たり前、エイズやら黒人やらをネタにしたクレームもののギャグまで飛ばす作品ながらもアニメ放送はつつがなく行われていた。
が、第42話放送を控えた1988年9月19日に昭和天皇が吐血。以後、翌年1月まで続いた天皇の闘病を鑑みて日本国内には行事やイベント、テレビ番組についての自粛ムードが生まれることになり、このアニメも第42話の放送は中止され、翌週の第43話をもって打ち切りとなった。

番外
『ボルテスV』は日本での放送完結間もない1978年からフィリピン国営放送で放送開始され、「放送時間には子供が町から消える」と言われる程の人気を獲得し最高視聴率58%というバケモノじみた人気があった。
しかし、同作の最終回は「主人公たちが父親の母星に行き、独裁政治を打ち破る」というものだったが、当時のフィリピンにて独裁を敷いていた大統領、フェルディナンド・マルコスの鶴の一声で物語終盤に打ち切りという事態になった。
一説には最終回のストーリーが反体制運動に発展することを恐れたのではないかともいわれている……
が、後にNHKが再調査をしたところ、「過度に暴力的な内容」「戦時中を経験した世代が日本の作品に反発していた事」、そして「政治家へ便宜を測っていなかったために契約が打ち切られた事」が理由である事が判明。
その後、1986年に発生した革命によりマルコス独裁政権が倒れ、ようやく残りの数話を放送することが出来た。
なお、現在でもフィリピンにおける『ボルテスV』人気は根強く、2020年には東映の許可を得て実写ドラマ版の制作が発表され、2023年5月よりGMAにて全90話が放送された。
奇しくも本放送時点でのフィリピン大統領はその息子であるフェルディナンド・マルコスと同じ名前*78なのだが、内容は果たして如何に?

テレビ朝日で半年間に渡って放映された、「大魔王に攫われたお姫様(野村真季アナウンサー)を助けるため、選ばれた子供達が宇宙に旅立って大魔王の手下(浅草キッド)とクイズバトルをする」というストーリー仕立ての子供向けクイズ番組。
番組終了の経緯自体に特筆するような物はないものの、問題はその内容。
この番組では「子供達が勝つと子供達を乗せた宇宙船が大魔王に近づき、負けると遠ざかる」というシステムを採用していたのだが、
クイズが(恐らく)やらせ無しだったのが仇となってストーリー進行がなかなか安定しない(子供達の成績に左右されるから)という問題を抱えていた。
その上、よりにもよって最終回で子供達が敗北*79という最悪パターンのシナリオに。
しかし、最終的にはキレたお姫様が「こんな終わり方、嫌!」と巨大化して大魔王の本拠地を踏みつぶし爆散→宇宙に輝く子供たちの顔をバックにナレーション「この戦いは、今もどこかで続いている」…という超展開で幕引きするオチとなった。
もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな

  • プロ野球・巨人戦のナイター中継
かつてはプロ野球シーズン中の火曜~日曜のゴールデンタイムでホームゲームが日本テレビ・NHK*80で、ビジターゲームが各局で合計100試合近くが放送されていたが、視聴率の低迷を受けて2000年代後半以降に中継の取りやめまたは衛星放送への移行が開始された。
土日祝日についてはローカル枠のデーゲーム*81へと移行し継続している例が多いが、ナイターに至ってはNHK・日本テレビ・フジテレビを除いて撤退し、残った局でも年間1~4試合程度と単発特番に毛が生えた程度の本数しか放送されなくなってしまった。
視聴率低迷の原因は、2004年の球界再編問題の影響で巨人およびプロ野球ファンが減少したこと、視聴者の関心がFIFAワールドカップ以降国際大会のあるスポーツ全般へと移り、キー局がそれに関連した大会(世界水泳・世界陸上等)の中継に力を入れるようになったこと、レギュラー番組の度重なる休止延長に伴う録画失敗で、野球中継に嫌悪感を持つ視聴者が増えたこと等が理由に挙げられている。
プロ野球中継は本拠地チームのある地元局ではローカルコンテンツとして人気を博している一方で、全国ネットではもはや放送できる価値が無いと見なされ、ラジオでもTBSラジオのように撤退した局が現れている。

  • 2時間ドラマ
2時間ドラマは最初から単発作品の場合はともかく、特に告知なしにシリーズ作品でも新作が放送されないまま実質打ち切りとなることが多い。
2010年代以降は民放各局の2時間ドラマ枠がバラエティや映画も含めた単発特番枠に移行する形で消滅し、その傾向が強くなっている。
『外科医 鳩村周五郎』は2時間ドラマでは珍しい連続もので、7作目で主要登場人物の1人が失踪、気になる終わり方をしたのだが、約10か月後に放送された8作目は何事もなかったかのように無関係のストーリーが展開された。
その後は1話完結がメイン(12、13作は前後編)となり、連続2時間ドラマとは強調されていない。連続ものであったがストーリーを打ち切ってシリーズは継続という路線変更が行われるこれまた珍しい作品となった。
その一方、最終回と銘打たれることもあり『元祖!混浴露天風呂連続殺人』『家政婦は見た!』*82『万引きGメン・二階堂雪』『天才刑事・野呂盆六』『おばさんデカ 桜乙女の事件帖』『西村京太郎トラベルミステリー』『終着駅シリーズ』等が該当する。
なお、2000年代までは撮影してから放送するまで複数年単位で時間が空くこともあったため打ち切りかどうかは1年経った程度では判断できるとはいえなかった。

科捜研の女』シリーズを放送しているドラマ枠だが、『おみやさん』のように主演の渡瀬恒彦の死去により終了となったものや、『京都迷宮案内』『京都地検の女』のように新作が作られないまま打ち切りとみられる場合もある。
2022年秋改編で新たに火曜21時台にドラマ枠を設置されたことに伴い、本枠は同年9月を最後に廃止された。

放映開始時点で「ここで打ち切るためお話を終わらせないといけない」が決まっていたレアケース。
メタルヒーローシリーズ第17作。いわゆるニチアサキッズタイムに放映されていた特撮ヒーロー番組。
放送・販売成績は十分好調だったのだが、3月の放映開始直前に東映特撮の生みの親の一人・石ノ森章太郎が逝去。「先生の一周忌企画として1月末頃に何か新番組を始めたい」ということで急遽それまでの2月末ころに完結を1か月早く打ち切ることとなった。
かなり早期に終了時期が決定したため、トラボルト関係などの「通しで進めるストーリー」をしっかり完結できたこと、元々1話完結のストーリーが大半だった*83ことから、制作上の問題は特に起きないままきれいに終わり、後年のメタルヒーローシリーズ全体の企画でもしっかり扱われている。
そしてロボタック放映完了後の1999年には、「石ノ森がリメイクしたいと東映に相談していたことがあった」「石ノ森が挙げた中で『人造人間ハカイダー』として実現した『人造人間キカイダー』と違い、この時点では一度も公式リメイクを行っていなかった」として『がんばれ!!ロボコン』のリメイクが一周忌企画に決定。
メタルヒーローシリーズそのものを終了し、『燃えろ!!ロボコン』が放映される運びとなった。YouTube東映特撮公式だと平成ロボコンもメタルヒーローにカウントしてるっぽいが。

メタルヒーローシリーズはこれで完結とされ、単体での作品は『宇宙刑事ギャバン THE MOVIE』までの休止期間を挟むことに。
一方ロボコンも好評なまま1年を完走。その翌年に『仮面ライダークウガ』が放映され、平成ライダーが始まる歴史にバトンをつないだ形になったほか、こちらも後に『がんばれいわ!!ロボコン』として再度の新作制作が行われた。



追記・修正は、打ち切られたあの番組たちに思いを馳せながらお願いします。

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最終更新:2024年04月04日 20:05

*1 初期の『クイズダービー』も低視聴率に苦しんだがロート製薬側の要請で続行となり、これが後に功を奏する事になる。

*2 テレビ朝日では、日本の人口比率および出資するインターネットテレビであるABEMAとの兼ね合いからこの方針を取らないことを公言している(例外としてABCテレビは他局同様の方針を取っている)。

*3 番組によってはBSデジタル放送や配信で継続・復活したものもある。

*4 もっとも「タイムボカンシリーズ」は本来コメディ寄りの作風であり、『イッパツマン』はストーリーが徐々にシリアス化していくなど、むしろ路線としてはあちらが異質であり、『イタダキマン』は路線を元に戻したと言った方が適格かもしれない。

*5 ちなみに再放送版は第一部と第二部が地続きになるように編集されている。

*6 通常は現場録音が困難な場合、アフレコなどの音声別録りが行われることが多い。

*7 当時は10%台でも低視聴率と言われていた。

*8 2019年の『ノーサイド・ゲーム』のようにヒットした例もあるため、一概には言いにくいのだが。

*9 ドラマ終了後のつなぎ番組の放送期間中に移動。

*10 その後、読売テレビ制作のドラマ枠は2008年から木曜深夜の『プラチナイト』枠で復活しており、2020年1月からはそれまで日本テレビ単独だった日曜ドラマ枠で2クールおきに制作を担当している。

*11 「欽」は「オールスター家族対抗歌合戦」で司会を務めた萩本欽一のことを指している。

*12 コント主体だった前番組と異なり、こちらは漫才主体であった。

*13 しかも本家とは曜日が同じで、放送時間も1時間違いであった。

*14 翌年には長らく続いた日テレの『歌のトップテン』、フジテレビの『夜のヒットスタジオ』も終了している。

*15 これに伴い、空いた平日昼前枠には設楽統(バナナマン)の司会による『ノンストップ!』が開始され、内容も生活情報番組に戻っている。

*16 詳しくは項目を参照してもらいたいが、『響鬼』は路線変更の時点で撮影現場が破綻寸前であった事が広く知られるようになった事も大きいだろう。

*17 尤も、そもそも円谷プロは以前から「N PROJECT」以前の昭和・平成3部作時代からの放漫経営・杜撰な経理などによる累積赤字が表面化しており、その結果『ネクサス』は予算がかなり削られているので、『ネクサス』のみに倒産の原因を求めるのは間違いである。

*18 ピンポン玉を卵の殻でキャッチする「卵反射」、足袋を手にはめた状態でゼムクリップを鎖状に繋げる「タビ先のクサリ縁」など。

*19 たけしは番組対抗特番に勝手にこのプレートを作って乱入したこともある。

*20 日本でもテレビ朝日の深夜で放送されていた。

*21 被害者のプライバシーを無視している、遺族感情を考えない制作側の自己満足など。

*22 番組で設定した1クールの平均視聴率13%に届かなかったためと、マンネリ化や不祥事が相次いだことによる。

*23 有罪判決を受けた後は、初公判で公言した通り芸能界から足を洗い、都内でバーテンダーとして社会復帰している。

*24 いわゆる反社会的勢力との関係を持つこと。

*25 山口本人の事務所への申し出による。

*26 防御用のスパッツを履いているとはいえ、風でスカートを捲らせるなど。

*27 当時「ハコイリ♡ムスメ」のメンバーだった菅沼もにかが未成年飲酒で事務所をクビになったり、48グループのメンバーによる使用禁止の裏垢が発覚する、さらにそこでジャニーズJr.と繋がったことも発覚する事例が複数回起こるなど。

*28 東京→千葉→茨城→栃木→埼玉→群馬→長野→新潟。最終的に新潟市西蒲区に入った所まで到達した。

*29 不祥事で打ち切られる場合は「~とは無関係です」との常套句が出るのが半ば定番化しているが、この番組の場合は裏番組が『名探偵コナン』『人生の楽園』『報道特集』『MUSIC FAIR』(関東地区の場合)など強力なものばかりであり、これらに押されてしまったことも考慮しなけれなならない。

*30 これは次番組『さまスポ』で出演者が言及している。

*31 お蔵入りになった件は許してはいないが。

*32 徳井の不祥事を最初に報道したのはフジテレビだった。

*33 SNSで公開されている絵や画像を使う事。

*34 例:「怪我や事故などで数年のブランクの後復帰した人物をそのまま消えていった天才扱いする」「そもそもプロに志願していない人物をドラフト会議で指名されなかったためプロになれなかった悲劇の天才とする」など。

*35 事前にスタッフが検証した時には浮かなかったが、本番では1.3mほど浮いてしまったらしい。

*36 木本は7月9日放送分から番組を欠席しており、その間同じ松竹所属の芸人が代理で司会を務めていた。

*37 当初は収録済みの26日放送回については放送する予定だったが、前日に急遽別番組への差し替えが決定した。

*38 当人は最終的に納得したそうで、本編も子供と一緒に見ていたらしい。

*39 延期後の放送の際も暁美ほむらのセリフの一部がカットされたため、TV放送版では数秒間無音になる部分が存在する。この部分のセリフは映画『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [後編] 永遠の物語』で聞くことができる。

*40 各局の年越し番組にセイコーがスポンサーに入ること。

*41 元々日本テレビの月曜午後7時~7時半は東京ムービー新社(現:トムスエンタテインメント)の所有する時間枠で、『マッハバロン』の前番組は梶原一騎先生原作のスポ根アニメ『柔道賛歌』だった。

*42 ファミコンブームの到来やメインユーザーの年齢的な成長等も理由の一つではあったが、アニメが終わる理由を「人気がなくなったからだ」と判断した各模型店がミニ四駆を仕入れなくなり、本体やパーツが手に入らなくなったからやめた、というユーザーも相当数居た事は事実である。

*43 ただし独自でスポットニュースを編成している系列局は20時54分頃に終了せざるを得ないため、番組の終盤は容赦なくカットされており見逃し配信などでカバーする必要がある。

*44 地上高やトランクの採寸を行うゼブラ式のハンドメイド棒のこと。三本は毎回質問する際に「不躾ですが・・」と切り出していたことから、この名前が付いた。

*45 皮肉にも当時のパイオニアの主力製品であるレーザーディスクのCMにはとんねるずが起用されていた。

*46 尤も横山は収録をサボるようになったことから番組終了前の1984年11月で降板させられている。

*47 資生堂一社提供のトーク番組。以降「オシャレ30・30」→「おしゃれカンケイ」→「おしゃれイズム」→「おしゃれクリップ」と司会者を交代しながら現在も継続。

*48 「おしゃれ」だけ残ったのは、新番組が万が一早期打ち切りになった際の「保険」と制作に久米の所属事務所が関与しておりスケジュール調整が容易だったためと久米が著書で述べている。

*49 もっとも、平均視聴率は18.8%と決して悪くはない。

*50 若手芸人が上沼から褒められた際、司会の今田耕司が本番組への出演決定を示唆するもの。

*51 この手の番組では間を維持するためにゲスト毎にアクリルの板を設けた例もあるが、番組は原則関西ローカルで、キー局に比べて予算が厳しくゲストのキャスティングもあってそうした施策も取りづらかった。

*52 「今!この顔がスゴい」→「櫻井有吉アブナイ夜会」→「櫻井有吉THE夜会」→「櫻井有吉THE夜会HOUSE」の順。

*53 芸能活動そのものは継続しており、帯形式のため拘束時間の長い本番組のみ降板している。

*54 不正解の場合は段位に関わらずスタートに逆戻り。2問不正解で一時回答権を失うが、誰も答えられなかった問題に正解すれば回答権が復活。

*55 番組開始前にはカウキャッチャーと呼ばれる日本航空のCMが流れていた。ちなみにカウキャッチャーというのは番組が始まる時刻から30秒ほど流れる提供テロップには出ないスポンサーのCM枠の事を言い、逆に番組終わりに流れる同じような枠は「ヒッチハイク」と言う。

*56 番組はロート製薬の一社提供で、後番組の『クイズ!!ひらめきパスワード』にも続投している。

*57 主に味の素を入れるシーンが多かったが、他には揚げ物の際にコーン油を使う、お菓子を作った際の付け合わせに子会社であるAGFのコーヒーが出るなどの例があった。

*58 もっとも、タカラは独立直後のサンライズにクローバーを紹介していたり、両社は付き合いの古い仲であった。

*59 なお、これらのサンライズ作品はタカラトミー合併後に作品権利がバンダイに譲渡されている。

*60 ネットの一部では「スタッフが資金を持ち寄った」という説もあるが、アニメ1話分を制作するのに少なく見積もっても1000万円ほど掛かるため、いくら高給取りでもシリーズの制作を賄うほどの資金供出を個人単位で続けることは不可能である。またノーギャラで制作したと解釈したしても労働問題に発展しかねない。

*61 真面目な話では「反体制的な内容、革命的な内容が入っているからなのでは?」とも言われる。

*62 このため、当時の名古屋市営地下鉄にはスポンサー募集の広告が掲示されていた。

*63 資本系列に対して捻れていたネットワーク体系の解消を目的として、1975年3月31日から毎日放送がTBS系列、朝日放送がNET(現・テレビ朝日)系列にネットチェンジしたもの。

*64 スポンサーの都合上放送を続けた番組も僅かながら存在する。

*65 放送枠がなかっただけでなく、規模の小さい局故に番組を買える資金がなかったのが原因。そのためスポンサーがついた番組しか買えなかった。

*66 今なお続いている「24時間テレビ」もこの番組から生まれた企画である。

*67 同時期に風営法の大規模な改正が行われたという背景もある。

*68 その件で巨泉はTBSに直談判し、後継番組である『THEプレゼンター』を立ち上げさせた。こちらは『ギミア・ぶれいく』と違い特集コーナーだけの放送となっている。

*69 この改編は大型バラエティ新設よりも人気のあった番組を20時台に移動させるのが目的だったとされており、実際現在の日テレ月~木の20時台は開始から20年以上続く長寿番組となっている。

*70 女装したオカマが登場する、犯人が同性愛志向のある自慰行為をするシーンがある点が問題になったという。

*71 普段は「次週おたのしみに」であった。

*72 この対応は2005年の番組リニューアルの際にも取られ、わさドラ版の初回は『勉強べやのつりぼり』が選ばれた。

*73 後年制作された映画『STAND BY ME ドラえもん』では、全体のシナリオの整合性などから『未来の国から~』に相当するエピソードで物語が始まっている。

*74 ときた洸一が『がんばれ!ドモンくん』でネタにしたことがある。さすがに早朝枠になった経緯を考えるとブラックすぎるためか4コマ本編ではなく、タイトルの1枚絵で一度だけ。

*75 ただし本放映時期は割とズレているためやや根拠に乏しいか

*76 中国で死刑囚の臓器が売買されていることを告発する内容だったのだが、証人として出演した警官が実は警察とは関係ない一般人であり、また死刑囚の家族とされる人物も実際は死刑囚とはなんの関係もない人物だった。

*77 例としては、理科の授業において6学年時代では6年生で行っていた「てこのはたらき」の単元が4学年に縮小される際に5年生に移行されたケースがある。また、生物分野は6学年時代は6年生で集中的に履修する形だったが、4学年化に際して3・4・5・6年の各学年に分散して履修する形となった。

*78 父親のミドルネームはエドラリン、息子はロムアルデス。

*79 子供たちの方が優勢で、最終問題前に得点差が開き切って勝利が確定してしまっていた。これでは最終回の盛り上がりに欠けるため土壇場で「最終問題で正解できなかったら大魔王に回答権が移る」に変更したのだが、結果子供たちが最終問題で誤答してしまい、大魔王が逆転勝利してしまった。

*80 2006年からはテレビ朝日テレビ東京も参入したが両局とも2008年を最後に撤退している。

*81 こちらは観客の足を運びやすくするという興行面での配慮もある。

*82 こちらはのちに米倉涼子主演で復活している。

*83 前年の『ビーロボカブタック』から引き続き不思議コメディー路線・コント路線だったため、基本的に「おふざけを交えつつ皆でなんか競技をする」でエピソードが完成したのも大きいと思われる。