兵法三十六計

登録日:2018/08/17 Fri 00:07:28
更新日:2024/04/09 Tue 10:56:16
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兵法三十六計とは、中国の兵法書で五世紀に東晋~南朝宋の将軍・檀道済が記したとされる書物である。
一旦歴史の中に埋もれてしまったが、1941年に再発見された。
三字または四字熟語の形で、戦争に役立つ戦術・戦略が36個書かれている。
戦術を6つごとに6つの段階に分けて書いてある。六計六組で三十六計。
日本なら「三十六計逃げるに如かず」の言葉が有名だが、三十六計とはこの兵法三十六計である。
誤解されがちだが、本当に第三十六計の全てを出し尽くして勝ち目がない場合の要点は「逃げるに如かず」である(後述)。

内容面は粗削りな部分もあるとされ、ガチで兵法を学びたいなら兵法三十六計より孫子や呉子などを読んだ方が良いとされる。実際、武経七書に本書は入っていない。
権威付けのために「易経」から引用しているがどれも名文とは言い難かったり、六計六組も入れ替えたほうが良いと指摘されたりもする。
そういった点も一旦歴史に埋もれてしまった理由だろう。
が、何といっても分かりやすいことが受けており、中国での浸透の度合いは孫子にも引けを取るものではない。

三十六計は中国の故事などに由来する熟語も少なくなく、その故事を知らないと「なんでこの熟語がこんな意味になるのか分からない」ということも少なくない。
他方で、三国志春秋戦国時代をはじめ、古代中国の戦史をかじった人たちが読めば「もしかしてあの武将のこの計略は三十六計のこれなのでは?」とピンとくることも多いはずである。
戦記物の創作をするなどして軍師や参謀の頭脳戦を考えるならば、これらの戦略に目を通しておいて損はない。

また、戦争ではなくビジネス・生活においても応用できる考え方も少なくない。
「こういう考え方があると知っておく」というだけでもひらめきの源泉にはなる。

他方、これらの戦略を猿真似すれば勝てると言うほど戦争もビジネスも甘くない。
それぞれの計略にはそれぞれなりの弱点もあるし、自分が三十六計を学んでいるということは、相手も三十六計を学んで逆にハメてくる可能性があるということ。
騎兵や歩兵・伝令に頼る群雄割拠の時代と現代では状況が違ってしまい、そのまま使うには適さない例があるのもまた確か。

三十六計を知ったとして、それを生かせるかはまさしくアニヲタの皆さんにかかっていると言える。


三十六計の簡単な解説


考え方を示すのには有用なため、実例に限らず、創作あるいは真偽不明の事柄も例として挙げている。
これ史実じゃねーから!!系なツッコミはご勘弁願いたい。
以下は6つづつ組に分かれており、上から勝戦計(主導権を握っている場合の定石)、敵戦計(優勢な場合の作戦)、攻戦計(相手が一筋縄でいかない時の作戦)、
混戦計(相手がかなり手強い場合の作戦)、併戦計(同盟間で優位に立つための策謀)、敗戦計(非常に劣勢の場合の奇策)となっている。


1. 瞞天過海(まんてんかかい)


「天を騙して海を渡る」の意味。天とは皇帝のことで、海を渡るのを嫌がる皇帝に対して船に土を盛り陸上に見せかけて海を渡ったという故事から。

戦術としては、あえて何食わぬ顔で何回も行うことで、敵に「なーんだ、ただの習慣か」と思わせる。
しかし、実際はそれは策略の仕込みであり、相手が油断を誘うためのものなのだ。

実例としては、太史慈が包囲を破った例がある。
まだ彼が孫策に降伏する前のこと、太史慈の恩人で北海郡の太守・孔融が、黄巾軍の残党に攻撃された。
太史慈は恩人の窮地に駆けつけたが、味方は弱くて敵は多く、このまま籠城しても勝ちはない。外に援軍を求めるにしても、包囲している黄巾残党を突破するのは困難だ。
そこで太史慈は、ある朝いきなり馬に乗って弓を片手に門を出た。黄巾残党が色めき立つが、太史慈は悠々と弓の練習を始めて、しばらくすると帰ってしまった。
この門前での弓馬術の練習を、彼は毎日繰り返す。
ある日、太史慈がまた弓を手に馬に乗って現れても、黄巾残党は「また練習か」と思って、のんびり過ごしていた。
すると太史慈は突然馬に鞭を入れると全力疾走し、黄巾の包囲網を突破してしまった。彼はそのまま、当時平原の相だった劉備の元に赴き、援軍を引き連れて戻り、黄巾残党を蹴散らした。

「ただの習慣か」と思われるまでの間は本腰を入れられてしまう可能性があり、その間をどうしのぐかがカギ。
あからさますぎるとバレやすいのもネック。
優勢の時の作戦なのも、「相手が本腰を入れてそちらに対応することが難しいからこそ仕掛けやすい」からであろう。

日本では「雨鳥の術」といい、「雨の日に鳥は飛ばぬ」という常識・考えの裏をかく技で「いつもと違う物事に対しては注意が働くが、いつも通りの事に対しては注意が行きにくい」という心理の裏をかいている。

破り方としては「微徴の術」があり、相手が何かしらの行動を起こせばそれがどんなに些細であっても変化となって現れる。
戦を仕掛けようとすれば増税があったり薬や炭の大量購入があったりするので日頃からよく観察しそれを見逃さない事が肝となる。


2. 囲魏救趙(いぎきゅうちょう)


同盟国である趙の国の首都が魏国軍に包囲されてしまった。何とか趙の国を助けたいがどうしようか。
よし、趙を攻めている魏に兵を向けよう!!趙本国?ほっとけ!!という戦略に由来する。
本国を攻撃された魏は趙の包囲を解いて本国の救援に向かってしまったのだ。
その後救援に来た魏軍を大破し、趙を救うことに成功した。

包囲軍を攻める、というのは誰にも思いつく作戦であるが、敵を警戒させてしまう可能性がある。
場合によっては包囲軍こそ囮で本当に狙われているのはこちらだったという可能性すらある。
それよりも、敵に分散を余儀なくさせる戦略が有効だ、ということなのである。
またこちらが動くのではなく、相手を奔走させて疲れさせるという意味もある。

桶狭間の戦いにおいて、織田軍は今川軍に鷲津砦、丸根砦を攻撃されたが信長率いる本隊は義元のいる本隊を襲撃。
今川軍自体は25000人~45000人の兵力だったが本隊は精鋭揃いとはいえ非戦闘員である荷駄兵も含む6000人であり、対する織田軍本隊は2000人と兵力の差は拮抗、結果圧倒的不利を跳ね返し歴史的な大勝利を収める事となる。

3. 借刀殺人(しゃくとうさつじん)


群雄割拠だったり、こちらに有力な同盟国がいる場合などに取られる戦術。
要は、他人に肩代わりさせてしまえというものである。

正面切って戦うのは、例え勝っても自軍に大損害が起こりやすい。
そこで同盟者や第三者、敵国の内1つを恫喝したり、騙したり、利益で釣ったりして敵を攻撃させることで、自分以外に損害の多い役回りを引き受けさせるという方法である。
敵に多正面作戦を強いるというだけでも、戦略としては非常に有効である。

欠点としては、下手な恫喝や騙しは逆に同盟国まで敵に回す可能性があること。
同盟国だって都合よく刀を借りようとしていると思えば簡単にへそを曲げる。最悪の場合、同盟を破棄されて敵と同盟を組まれる可能性さえある。
いかに同盟国にそれを悟らせないか、あるいは悟られたとしても同盟国に「それでも乗ろう」と思わせるかがカギとなる。

自分勝手で目立ちたがり屋な敵兵がA、Bと二人いる場合、「A(B)には敵わないので降参したいけどB(A)が攻撃してくるので動けません」とそれぞれに言えば同士討ちが発生する事もある。

4. 以逸待労(いいつたいろう)


敵を無理やり攻める手法よりも、「こちらの動きに敵が対応しなければならない」という状況を作り出して引きずり回し、主導権を握る方法が有効だよ、というもの。

三国志において、袁紹の幕僚である田豊は、曹操対策を問われて
「いきなり決戦を挑むべきではない。勢力的にはこちらが勝っている。あちこち代わる代わる攻めて曹操軍を対策に疲れさせた上で戦えば曹操軍は潰せますよ」
と答えた。
が、袁紹はこれに従わず短期決戦を挑み、結果官渡の戦いで大逆転負けを喫することになる。
そして田豊の計略を後に知った曹操は「それをやられてたらこっちの負けだった」と評したのだった。
(官渡でも曹操軍が勝てたのは奇跡的だったので、決戦策が間違いと言い切れないのも確かだが。当時の曹操は連戦でもっとも弱っていた時期&主要が滅んでこれから回復していく時期だったので、むしろ「以逸待労」は今発動するべきだったとも言えるし)

現代だと湾岸戦争の初期における、イラク軍の防空用ミサイル陣地を制圧するために囮と対レーダーミサイルを使った例があげられる。
航空機にとって地上から発射されるミサイルというのは大変驚異である。回避機動によって回避できるのはほぼゲームの中の話であり、発射されたら欺瞞装置でやり過ごす可能性に賭けるか機体を捨てて脱出するしかない。
航空機のほうもやられっぱなしではなく、防空用のレーダーから出る電磁波に反応して誘導する対レーダーミサイルというのが開発されたが、レーダーを起動している対空兵器にしか誘導できない欠点があった。
湾岸戦争のときもイラク軍は対空ミサイル陣地を偽装しており、発射前に発見して攻撃するのは困難であった。
そこでアメリカ軍は訓練用の標的ドローンをイラクの上空に飛来させ、それに反応してレーダーを起動した対空兵器に対し対レーダーミサイルで攻撃するのという方法でイラク軍の防空網をほぼ完全に破壊した。
イラク軍にしてみれば事前情報なしでレーダー上に多数映る航空機が囮なのか中の人がいる攻撃機なのかを見分けるのは難しかったと思われる。

主導権を握って相手をコントロールするのが重要ということで、単に動かず待っていろと言うことではないことに注意。

5. 趁火打劫(ちんかだこう)


敵が火事になっているときにつけこんで押し込み強盗してやれ!!というある意味ヒャッハーな戦略。火事場泥棒。
つまり、敵が何か被害に遭っていたり混乱が起きている間はチャンスなので攻め込もうという考え方。

ただし、敵の混乱の原因が内輪もめである場合は注意。
うまいこと混乱が助長されればよいが、一致団結させてしまう可能性が高い。
これでは9番「隔岸観火」に引っかかってしまう。

忍術においては「参差えの術」といい、混乱が起こっている時は当然人が動いており、出入りも激しくなる。
それを利用して忍び込もうという作戦。


6. 声東撃西(せいとうげきせい)


部隊を分けて相手の注意を一方に向けさせ、そこから別の部隊が違う場所を攻める作戦。
例えば東の城付近で小競り合いを起こさせるなどして、「東の城を攻めるぞ東の城を攻めるぞ!!」と見せかける。
敵も警戒して東の城に兵力を集中する。
ところが、実際の主力軍は西におり、本当の狙いは西の城でしたという陽動戦術。

陽動戦術は割とポピュラーな作戦で、歴史小説などでも見かけるが、情報が漏れると逆用される可能性があったりする。そういったリスクの高い側面もある。
敵を騙すには味方にも真の目的をあまり伝えられない(相手に察せられたり間諜にすっぱ抜かれる可能性がある)が、そうすると味方内部で足並みが乱れる可能性が出て来る。

また、「声東」のためには本隊以外にも兵をある程度分けざるを得ないため、読まれて片方に電撃的に戦力を集中されると各個撃破される危険性もある。
第四次川中島合戦でこの応用である「キツツキ戦法」を取った武田軍が危機に陥ったのは、上杉謙信に計を読まれ、兵力を片方に集中され、さらに予想外の事態にパニックになってしまったのが原因であった。

7. 無中生有(むちゅうしょうゆう)



こちらの嘘を相手にわざと気づかせ、次の攻撃を嘘だと思わせる。
オオカミ少年の心理を戦略に用いたものだと思えばよい。
この無とはすなわち嘘であり、相手に嘘だと思わせて、有すなわち実で攻めるという意味。

まずハッタリをかます。
例えば「兵1万近くと見せかけて」大攻勢に立ったが、実際は兵1千程度で容易く追い散らされてしまう。
それを何度か繰り返す。
そうすると、敵は段々「1万近く攻めてきました!!」と言われても「どーせ1千程度だろ、容易く追い散らせるさ。敵は兵力が尽きてコケ脅ししかできないだけだよ。」と油断する。
その油断をついて本当に1万近い兵で攻め、油断した敵をフルボッコにさせる、という作戦である。

あまりに力を入れるとハッタリのために損害が増えるが、力を抜きすぎるとあっという間にハッタリと見破られ、裏で何か企んでいるのではと疑われるため、加減が難しい。


8. 暗渡陳倉(あんとちんそう)



声東撃西と似た考え方だが、向こうは攻撃開始を敵に知られるべき*1だが、こちらは攻撃開始を敵に悟らせないことが重要。
例えば、道路を作ることで、敵は「この道路を使って攻める気だな。当然道路の出口の近辺を守ろう」と思わせるが、実際は全く別の目標を狙うというもの。

本来は「明修桟道、暗渡陳倉」という。陳倉とは地名でありこれを行ったのはかの韓信。
項羽に対して翻意無しと示すために焼き払った蜀の桟道を、おおっぴらに修復しはじめる。
すると相手は「修復完了にはまだ時間がかかるな。」と考えるだろう。
その裏で密かに山脈を大きく迂回して陳倉に至り、そこから旧道を利用して関中を奇襲した。
結果、守っていた章邯らは次々に敗れることとなる。

9. 隔岸観火(かくがんかんか)


「敵陣に火が立っているなら対岸の火事扱いにして何もするな」というものである。
敵陣で内部分裂などが起こっているときに無理に攻めたりすれば、外敵の存在によって敵の内部分裂は急速に収まってしまう。
無理に攻めないで内部分裂を大きくさせてやれ、という考え方である。
火事になっているときに攻めるのが有効!!という趁火打劫もあるので、見極めは難しい。

三国志において、袁紹の後を継いだ袁家三兄弟と従弟の高幹は、当初は共同して曹操と戦っていた。
袁紹死去と言えど元々の勢力自体が曹操より上であり、一丸となって向かってこられたら曹操と言えど危ない。
だが、曹操の参謀・郭嘉は「戦うと彼らは共同するが、放っておけば彼らは勝手に戦い始める」と進言。
曹操はある程度は戦ったようだが、その後は放置・様子見。三兄弟(というか長男の袁譚と三男の袁尚)は勝手にバトルを始め、ついには袁譚が曹操に降参。内部分裂の果てに自滅していったのだった。

10. 笑裏蔵刀(しょうりぞうとう)



敵と事を構える前には友好的なふりをして油断させましょう!!というものである。
いわゆる面従腹背である。

荊州に陣取る蜀の関羽に対し、呉の呂蒙の後を継いだ陸遜は関羽にへりくだりまくり、関羽はすっかり油断。全兵力を樊城攻略に投入してしまった。
結果として呂蒙に背後をつかれ、関羽は敗死することになる。

日本では、河越城の戦いが有名か。
足利・上杉の連合軍に要衝・河越城を囲まれた北条家。
当主氏康は、わざと負けたり、和睦を持ち掛けたり、酒を秘密裡に敵陣に配ったりなどして、すぐに戦うことをしなかった。
それによって、連合軍が『氏康恐れるに足らず』と油断するのを待っていたのである。
そしてその目論見の通り、油断しきったところを奇襲した北条軍は、数倍もの敵軍を撃破したのである。

敵が油断してくれなかったり、状況が変化してこのまま友好的にしておいた方が得策になったなら、裏の刀だけをしまって形だけの友好を本物の友好にする…という手も取れたりする。

11. 李代桃僵(りだいとうきょう)



敵と戦うときには、どうしても損害をある程度は覚悟しなければいけない。
そんな時には価値の高い桃の木を守り、スモモの木(桃より価値が低い)を犠牲にしましょうと言うもの。
全体の損害を抑えつつ勝利するように図ろうということ。
現代で言うところのコラテラル・ダメージ、軍事目的のための、致し方ない犠牲である。

味方の犠牲が前提となるので、味方の士気の問題と切り離して考えられない。
犠牲前提に考えると、価値の低いと見なされた者はおろか、大事な主力にまで見限られる可能性がある。
見限られると敵に寝返られたり反乱を起こされたりでろくなことがないので、味方を統率する能力や将自身のカリスマが問われることになる。
島津義弘が関ヶ原の戦いで撤退した時の「捨て奸」もこの一つだが、逆に兵たちの士気は高く妖怪首おいてけらが次々と討ち死にしていく中、脱出に成功。
結果敗北した西軍の中で領土安泰を得ることとなる。

12. 順手牽羊(じゅんしゅけんよう)



羊の大群から一匹の羊を盗んだ者がいたが、あまりに堂々としていたので誰にも盗人だと気づかれなかったという故事に由来する。
敵が大軍になってくると、どうしても細かい部隊の管理まで手が回らず、連絡がうまくいかない。
雑兵は何百、何千人といるし、装備は統一され入れ替わりも激しいので自身の隊以外の者の顔や名前を一致させるのは至難の業。
連絡がうまくいかないことにつけこみ、連携をさせずに各個撃破していこうと言うものである。

忍術では「賎卒の術」といい、敵の雑兵や使用人に紛れ込み情報収集や破壊工作を行うもの。

無線通信が発達した現代においては戦術レベルでは使い辛いが、敵に気付かれないように細かく損害を与えていく作戦という意味では今も生きている。


13. 打草驚蛇(だそうきょうだ)




いわゆる「ヤブヘビ注意」。
不必要な挑発・仕掛けをした結果、思わぬ反撃を食らうことがあるので気をつけましょうね!というもの。

籔にヘビがいても事前に分かっていればそんなに問題はない。
そのため、「よく分からないならきちんと情報を収集せよ」という意味ともされる。

14. 借屍還魂(しゃくしかんごん)


戦争における大義名分の重要性を示している。
既に実質的に滅亡していたり、形骸化してしまった権威を持ち出すことで、「自分の戦争」に大義名分を作ると言うもの。
大義名分のない私利私欲のための戦争では、部下もついてこないし同盟者もできない。

そして、下手に「本当に強大な権威」を持ち出すと、本当に強大な権威の言うことを聞かなければならなくなり、「自分のための戦争」が出来なくなってしまう。
その意味でも持ち出すのは形骸化してしまった権威による大義名分が望ましいのである。

この計略の弱点は形骸化した権威の使い方の難しさである。
権威を抱えていると周囲の勢力に「権威を自分で抱え込み操り人形にする佞臣だ!救出せねば!」という形での大義名分を与えてしまう可能性がある。
また、当の形骸化した権威も、ボスと仲良くやれていればよいが復権に動き出してボスと諍いを起こすと厄介になる。
部下もボスと権威のどちらにつくか困惑することとなり、重大な内紛の種となる可能性がある。
劉備のように自分が形骸化した権威の子孫であると言う立場は、そういう諍いが起こりにくいと言う意味では便利と言える。

日本では、織田信長が将軍である足利義昭を担いで上洛したのが有名か。
もっともこちらは、室町幕府の権威がまだ有効だったこともあり、義昭に背かれ、信長包囲網に苦しめられることになるのだが。(異説あり?

15. 調虎離山(ちょうこりざん)


虎が本拠地である山にこもっているのを無理に攻めようとすれば、勝てないか勝っても大損害は必至である。
それなら、虎をうまく山からおびき出して離してしまえば、虎にも容易に勝てるというもの。

人間の戦争になおせば、城攻めが下策なのは古今東西言われていることなので、それなら敵を城や本拠地から打って出させ、釣りだして攻めるのが有効なのである。

三方ヶ原の戦いはこの典型例。
武田信玄徳川家康のいた浜松城をスルーしたが、家康はそれなら攻めてやろうと出撃して籠城戦の有利を自ら放り出してしまう(坂道を下る武田軍を上から攻めるのを狙ったともいわれる)。
ところが、信玄はここまで計算。坂道を下る前に進軍を止め、兵を整えて待ち構えており、家康はフルボッコにされてしまった。

また、かの韓信の「背水の陣」は実はこれが目的。背水の陣なんか敷いてるアホ相手なんか楽勝!と思って相手が城から出てくることを狙っていたのだ。
実際に敵軍が総攻撃するも韓信の軍は耐え抜き、いざ城に戻ろうとしたら別働隊に城を占拠されていた。帰る「山」を失った敵軍は動揺し総崩れとなった。

16. 欲擒姑縦(よっきんこしょう)




直訳すると「敵を捕らえようとするなら逃がしてやれ」という一見意味の分からない文章になるのだが、これも実はきちんとした理由がある。

もし敵が完全に包囲されてしまったと知ったらどうなるか。敵は死に物狂いで最後の抵抗をかけ、こちらの戦力を削ってくることだろう。
しかし、もしここでこれ見よがしに「はーい、こっからなら逃げられますよー」と出口が示してあったらどうなるか。
敵はこちらを倒して脱出することよりも出口に逃げ込むことに死に物狂いになる可能性が高く、こちらの損害を抑えられるのである。
逃がすと言っても別に放免してやれと言うことではない。逃げる道をこれ見よがしに示してやれ、ということなのである。その後闘志を失った敵を攻撃すれば良いのだから。
え?天下分け目の大戦が決着したと思ったら本陣めがけて突っ込んできた?

17. 抛磚引玉(ほうせんいんぎょく)



「海老で鯛を釣る」に近い言葉。

例えば食糧に余裕がある場合、敵にあえて「ここに食糧が貯めてあります!!」と情報を流す。
敵が喜んでそこに攻め込んで来れば待ち伏せして放火してフルボッコという手法。
敵をフルボッコにできるなら食糧ちょっとなくなるくらいはいいでしょ、ということなのだ。

もっとも、敵だって小さなメリットのためにリスクの大きい戦いはそうそう仕掛けてこない。
かといって大きなメリットをちらつかせると、こちらも失うものが大きくなってしまう。
いかに「こちらにとっては大して惜しくもないものを、敵にとっては美味しい餌と見せかけるか」がキモ。

18. 擒賊擒王(きんぞくきんおう)



「敵の大将さえとらえれば、その他は賊と同じ」というもので、要は「大将を狙え!!」ということである。

末端の部隊などいくら潰してもキリがない。大将に逃げられると、また兵を整えてこちらに歯向かってくる。
なら、その大将を戦死させるなり捕らえるなりすれば、下っ端の兵など山賊同然で雲散霧消というのを狙えと言うもの。

…といっても、それくらい大将が大事だからこそどこの軍でも大将はしっかり守っている。
現代戦ともなれば無線通信が発達して司令官はそもそも現場におらず狙いようがない場合が多い。また交代要員がすぐに準備され、個々の兵の力量も高く司令官がいなくても活動できるため、現代の戦争での出番はまずないだろう。

ただし特定人の技術などでもっているビジネスなどを想定した場合、その特定人を引き抜きすれば勝ち、なんて応用がきく。

19. 釜底抽薪(ふていちゅうしん)


釜の水が煮えたぎる(=敵兵の戦意が強い)のは薪が燃えている(=エネルギー源がある)から。
なら薪(=エネルギー源)を抜いてやれば敵は怖くなくなるという作戦。
擒賊擒王の敵の大将以外バージョンとも言えるだろう。

敵が「殺されるのが怖いから必死」なら、「投降しても殺したりしないし、何なら故郷に返してあげてもいいし、取り立ててあげてもいいよ」と言って懐柔する。
そうすると「殺されるのが怖い」という薪を失った敵兵の戦意はあっという間にさめてしまうのである。
籠城戦においても救援や援軍・勝算の見込みがあれば長篠城や千早城の様にどんな弱い城、不利な状況でも守り通すが逆に見込みがないと大阪城や小田原城の様にどんな堅い城でも落ちるのである。

20. 混水摸魚(こんすいもぎょ)


水をばちゃばちゃとたたけば、水中の魚は混乱してしまうので、その魚を狙うと言う意味。
趁火打劫で想定されている敵軍のパニックをこちらが動いて起こしてやろうというのが混水摸魚とも言える。

敵がきちんと組織立っている間に攻めるのは容易ではない。
それなら、敵を混乱に陥れ、仲間割れを起こさせたり、パニックを起こさせたりしましょう、というもの。
敵陣に放火を仕掛けたり、裏切者が出ると言うようなデマを飛ばすのが典型だろうか。

敵がうまい具合に混乱してくれればよいが、勢い余って味方まで混乱させないように注意。
例えばデマを流して味方にそのデマが広まったりすると、敵どころか味方までパニックになってしまう。

日本では「蛍火の術」といい、偽の重大情報が書かれた手紙を持たされた忍者が捕縛されることでその情報が敵に伝わり混乱を発生させるもの。
重大情報を持っていたのでその忍者は口封じに殺される可能性が高く、何も知らなかったとしても真実は闇の中となる。
そのため、『敵将Aがこちらに寝返っている』と書かれていても確かめる術はなく、Aは潔白を証明すべくその忍者を自らの手で切り捨てたとしても「味方を自分の手で殺すことで疑われないようにする常套手段」として信じてもらえず互いに禍根を残すこととなる。

21. 金蝉脱殻(きんせんだっかく)


蝉が脱皮すると中身はなくなるが、蝉の形の抜け殻が残ることになぞらえたもの。

敵が強大な場合にはいったん撤退して体勢を立て直したい。
あるいは、主力軍を移して別の所で戦いを始めたい。

しかし、こうした移動中を狙われると大損害が起こりやすいし、そうでなくとも戦略を読まれてしまいやすい。
なので「撤退はしていないよ」と見せかけるために、陣地の資材を残したり、僅かな人員を残してかがり火だけはそのまま焚かせるなどという方法で
「軍を動かしていないように見せかける」という作戦である。

太平洋戦争中、キスカ島撤退作戦において日本軍は天候などに恵まれ、キスカ島の兵員を全員撤退させることに成功した。
撤退されていたとは気づかないアメリカ軍は予定通りキスカ島に上陸して総攻撃を開始。
人がいないから占領には成功したものの、緊張のあまり100人以上もの同士討ちが発生し、大量の資材を無駄にした。
オマケにある日本兵がイタズラ心で残しておいた「この先、ペスト患者収容所」の看板に大パニック。
中身のいないセミの抜け殻を本腰を入れて潰そうとした結果、米軍は無駄な損害を重ねたのである。

22. 関門捉賊(かんもんそくぞく)


しっかりと門や関所を閉じ、敵の退路を断って攻撃しましょうというもの。
もちろん、逃げようとする敵を無理やり追撃しようとすると16番の欲擒姑縦にひっかかるので、見極めが難しい所。
ただ包囲したら包囲したで、逃げ道の無くなった敵は死に物狂いで反撃に出てこちらの被害が大きくなる可能性がある。
孫子は「敵兵の10倍いるなら包囲せよ」と言っており、基本的にはこちらが十分に優勢になって、敵が窮鼠猫を噛むこともできない状態で一気呵成に行いたい。
(このため、勝戦計などもっと優勢な時の計略に分類すべきという意見も強い)
もし包囲するのに味方の戦力が不足だと感じるのなら、兵糧攻めにして相手の士気を鈍らすか、あえて包囲を解いて欲擒姑縦するのも手段の一つ。
ただし万が一にでも逃がすといろいろとまずい相手にはこっち。
まあ撤退するのに敵陣ド真ん中突っ込んでくる軍勢にはどうしようもないが…。

23. 遠交近攻(えんこうきんこう)


近くの敵を片づけるためには遠くの勢力と手を結ぼうというもの。
遠くの勢力と自分たちの勢力。二正面作戦を強いられれば、敵も苦慮せざるを得ないことになる。

戦国時代の秦の外交政策として有名。
今でもよく使われる言葉であり、現代の外交戦の基本でもある。

日露戦争では日本と同盟国にあったイギリスがスエズ運河を封鎖したことでバルチック艦隊はアフリカ大陸南端の喜望峰を通るルートを余儀なくされる。
平均7ノットの低速、半年間の航海で乗組員は多数死亡、やっと日本海に来たところでボッコボコと最新鋭戦艦4隻を誇った巨大艦隊はその真価を発揮できぬまま沈んでいった。

24. 仮道伐虢(かどうばつかく)


攻略対象が複数ある場合の作戦。要は「多正面作戦をせず、各個撃破を狙え」というもの。
まず片方を買収するなり脅しつけるなりして味方につけ、味方にならなかったもう片方を攻め滅ぼす。
そして用が済んだらその味方も滅ぼしてしまえ、というえげつないやり方である。

もちろんバレると敵同士で手を組まれたり、「こいつらと組むとあいつのように使われるだけ使われて最後はポイだ。絶対組むもんか」と思われて次の同盟相手が見つからず孤立するリスクもある。

25. 偸梁換柱(とうりょうかんちゅう)





梁(はり、建築で横棒などに用いる)を盗んで柱に交換してしまうと言う意味。
梁は柱より細く、梁の材料を柱なんぞにしたら家は一発で崩壊してしまう。
要は、敵にとって大事な柱となる部分を弱いものに入れ替えさせて弱体化させろということ。

春秋戦国時代の秦と趙の戦いである長平の戦いでは、秦は趙のベテランの将軍である廉頗の持久戦によって攻めあぐねていた。
そこで秦の宰相范雎は趙にスパイを送り込み「秦は廉頗よりも趙括が将軍になることを恐れている」という偽情報を流す作戦をとる。
趙括は頭は良いものの実戦経験が乏しく、将軍としては廉頗よりはるかに劣っていたので范雎はそこに目を付けたのである。
趙の王はこの偽情報を信じてしまい廉頗を更迭し趙活を将軍とした。そして目論見通り趙括は采配ミスを犯し秦の白起に大敗。趙は大きく弱体化するのである。

三国志演義で、魏にとっての大黒柱である司馬懿が何としても邪魔であったため、馬謖が手を打ち司馬懿が反乱を考えているという流言飛語を飛ばさせた。
これにまんまと引っかかった魏は司馬懿から兵権を取り上げてしまい、能力で劣る曹真らに迎撃を命じ、彼らは司馬懿が復帰するまで諸葛亮にフルボッコにされることになる*2

落第忍者乱太郎51巻では学園長先生が6年生の生徒に対し使用。
火薬の扱いに長けた立花仙蔵を毒虫などを扱う生物委員会に、武闘派の潮江文次郎と食満留三郎をそれぞれ保健委員会と作法委員会に異動、他の3名も違う委員会に異動させた事で得物と行動を封じる事で自ずと主戦力は5年生以下の生徒となり実戦経験を積ませた。

このように味方に対しても不利な状況をどうにかする経験を積ませるために使うこともある。
現代のスポーツでいえばコンバートさせることも偸梁換柱の一つになりえる。
2010年、中日ドラゴンズの荒木雅博内野手は「打球を足ではなく目で追うようになった」としてセカンドからショートにコンバート。
セカンドの頃はショートを守る井端弘和内野手と共に華麗な守備を見せていたが、ショートになった途端にエラーが急増。
パワプロ2011では守備力こそ7段階中6のBランクであったが*3、エラー回避は最低のGランクと名手にしては厳しい数値になったがこれによって守備が鍛え直された。
2012年に再びセカンドへコンバートされてからは引退まで守備の名手として活躍した。

相手が使う場合となるとやはりFA移籍による引き抜きか。
2019年、巨人カープの主軸打者である丸佳浩選手を獲得。
チームの主軸打者にして守備の要を失ったカープは前年までリーグ3連覇を成し遂げていたが大失速して5位に沈んだ。
一方移籍した丸も日本シリーズでは4タテ2回含めた12連敗を喫している。

26. 指桑罵槐(しそうばかい)



敵をどうこうするのではなく、味方に対して向ける訓示の方法。
槐(えんじゅ)の木を罵倒したいなら、直接槐を罵倒するのではなく、桑の木を指して罵倒することで間接的に槐を罵倒しろ、というのである。

軍事をやっていれば、どうしても失敗をした者、これから失敗をしそうな者に対して厳しい叱責や罵倒をすることも必要になることがある。
だからといって、直接罵倒すれば、罵倒された側も意固地になり、逆に言うことを聞かなくなってしまったり、最悪機密情報ごと敵に寝返ってしまう。
桑を指して罵倒することで「これは自分も直さなければいけなかった!!」と気づかせるのが重要なのである。

本人に「これは自分も直さなければいけなかった」と気づく脳みそや直そうとする精神があるのが大前提であることを忘れてはいけない。
例えば三国志の魏の大将軍曹真の次男曹羲は父の跡を継いだ兄曹爽の専横を諌めようと、享楽に溺れる弟達への訓戒として間接的に兄を諌めた。しかし曹爽は不機嫌になるだけで態度を改めず、政治をさらに乱した。そのため司馬懿にクーデターを起こされ三族皆殺しとなってしまった。

また、罵倒される桑役にされた人のケアも忘れずに。自軍の誰かではない人の失敗談を使えるとベネ。


27. 仮痴不癲(かちふてん)



あえて愚か者や凡人を装うことで、敵からの警戒を緩ませる作戦。
「愚か者・野心のない者を装っておけ」という「能ある鷹は爪を隠す」とほぼ同じ意味。

敵はもちろん、同盟者であっても人は勢力の主を警戒する。敵に「こいつらこっちに攻めてくるんじゃないか」などと警戒されれば、やりにくくてたまらない。
なので、用もないのに能力を見せつけたりせず、自分たちは平凡な存在だと見せかけておくのが重要なのである。

あまり愚か者の装いが上手すぎると味方にまで「こんな大将についていくのは不安なので離れよう」と思われかねないリスクに要注意。
また「癲」とは気が狂っていることだが、この場合は「癲」ではなく「痴」でなくてはならない。
「癲」を演じて損得が関係ないように振る舞えば偽装に気が付かれるかもしれないが、「痴」を演じて「知らない、理解してない」前提で振る舞いとしては合理的だが愚かな結果になっている、ならばより欺きやすい。

敵以外でも身内からの警戒や疑いをそらすための作戦にも使える。
漢の三傑の1人である蕭何は主君である劉邦からの粛清から逃れるために、わざと悪政を行って自らの評判を落とすことで何とか難を逃れることが出来た。
同様に漢の丞相の陳平は時の権力者である呂雉(劉邦の妻)の粛清を避けるため、女色に溺れるなどの乱行をわざと行っている。

一番有名なのは「織田信長」の若い頃のうつけと呼ばれるエピソードの数々であり、多く家臣、一族、周辺国が彼を侮り後に信長に手痛い仕打ちを受けた。


中国では荘王 (楚)も有名。日本では「泣かず飛ばず」の由来の人物で、全く政治を見ず、酒に溺れていた。だが、荘王は3年間、愚かな振りをした演技をしていて、悪臣を数百人誅殺し、目を付けておいた者を新たに数百人登用した。

三国志では司馬懿が政敵である曹爽の警戒を緩ませるためにボケ老人のふりをしたのが有名。
曹爽一派の李勝の前でわざと聞き間違いをしたり、飲み物をダラダラをこぼしてしまう演技をしたりすることで曹爽からの警戒を解かせることに成功している。
また、曹操が袁紹と睨み合っていた頃に程昱が寡兵で守っていた城へ援軍を送ろうとしたところ、程昱が「援軍を送ったら却って警戒され攻められます。どうか援軍は送らないでください」と進言した。
言う通りにすると程昱の守っていた場所は無視され、程昱は城を無事に守り切ったという。
またこちらは三国志演義の話だが劉備曹操を油断させるために、わざと雷に驚いたり、百姓の真似事などをしている。


28. 上屋抽梯(じょうおくちゅうてい)


日本語の「はしごを外す」の語源とも言われている。
言葉巧みに相手を屋上に上げた上ではしごを外してしまえば、敵はもう抵抗の術がない状況に追い込まれている。
しかも、追い込むのにガチバトルが必要ない。

言葉や利益などの方法で巧みに「梯子」をのぼらせ、敵を逃げ場のない場所に誘い出せ、という作戦である。

曹操の名軍師・賈詡は、当初は張繍に仕え、曹操軍と戦っていたことがあった。
張繍の立てこもる宛城を攻め落とそうと、曹操は6番、声東撃西の応用である「偽撃転殺の計」を用いた。
西門を集中攻撃して城兵の守備を西門に集中させ、実は東門を集中攻撃して落とそうという仕掛けであった。

ところが、賈詡はこれを見破り、上屋抽梯の応用である「虚誘掩殺の計」で逆に曹操をはめることを献策した。
曹操軍が本命である東門に突入してきた際、味方の損害を出させないようにしてわざと突入させた。
曹操軍は最初は作戦成功と思い勇んで突入していったが、城に招き入れて逃げにくくして死地に誘い出す策略。
自ら死地に飛び込んだ曹操軍はフルボッコにされてしまった。

賈詡は「敵の作戦に引っかかったふりをする」ことで曹操軍に危険な梯子を上らせたのである。

1939年にフィンランド、ソ連間で起こった冬戦争において、圧倒的不利だったフィンランド軍は自国の村を焼き払った上で撤退し続けソ連軍の進軍・占領を許した。
しかし、村の真ん中あたりに来たところで潜んでいたフィンランド兵が十字砲火を浴びせソ連軍は壊滅、生き残った兵も地元の人間すら迷う自然の中で行方不明となっていった。
武器・弾薬ともにソ連より劣っていたフィンランド軍はほぼ無傷でソ連製の武器を得ることに成功し、終戦まで戦線を維持し続けた。


29. 樹上開花(じゅじょうかいか)


樹上に咲いている花は、実際以上に大きく見えることが多い。
転じて、実際以上に自分たちを強く見せかける作戦である。「示強の計」とも。

もちろん、こちらに十分な兵力が最初からあれば問題はないが、戦場においてそんな都合のいい話ばかりではない。
援軍到来までの時間稼ぎなどのためには、十分でない兵力で敵を迎え撃たなければならないこともある。
また、囮部隊をできる限り強く見せかけることで、敵に囮に対してたくさんの兵力を割かせ、あわよくば囮を本隊と見せかけたいということもある。
そんな時にはなんとかして兵力を大きく見せかけ、敵をビビらせると言う戦略が有効になることがある。
役に立たない傷病兵や女子供に旗だけ立てさせるとか、援軍到来の噂を流す、炊事の煙をたくさん出すなどという手がある。
一見すると「旗とか動いてないのに兵がいるのか?」と思うかもしれないが、逆に旗が動く=兵が動いている=統率が取れておらず混乱状態にあるという証でもあるので、
旗が動かない事は兵がみな統率され、規律の保たれた状態にある=迎撃用意は万全、殴り合い上等、来るなら来いと言っているようなものなのだ。

武田信玄は、プレゼントされた3700ほどの貝殻をまとめ、部下に見せて数を聞くと、部下たちの答えは1万以上というものばかりであった。
信玄はここから、「一目で全貌が見える貝殻ですら数が多く見えるのだから、戦いには多くの兵はいなくとも敵はこちらの兵力を過大に見積もる」と言ったという逸話が残されている。

三国志演義で、諸葛亮は北伐から撤退しなければならなくなった。当然撤退時を敵である司馬懿は狙っている。
そこで諸葛亮は撤退しながらも野営地に作らせるかまどを後になればなるほど増やしていくという作戦を取った。
引き払われた陣地を調べた司馬懿は「段々かまどが増えているのは援軍が来ている証拠では?撤退に見せかけて自分をつり出そうとしている?」と疑心暗鬼に陥り、追撃を諦めてしまったのである。

30. 反客為主(はんかくいしゅ)


敵の臣下となって内側から乗っ取りを仕掛けよう!!というスパイ作戦。
敵の組織を丸ごと乗っ取るという壮大な計略のため、長期的なビジョンが必須となる。

考え方としては非常に分かりやすいが、当然「元敵」がやる以上相手も警戒するので、非常に慎重かつ時間をかけて行わなければならない。
計略者が無能だとすれば乗っ取りを仕掛けることが出来る地位に行くこともできないだろう。
急激に動こうとしても警戒されるのがオチである。
乗っ取る組織にどれだけの穴があるかどうかで成功が左右する計略と言える。トップが有能で結束が盤石な組織ほど難易度が高くなる。

日本では「身虫の術」という。身虫とは寄生虫の事で内部から食い荒らすように敵の弱体化を図る。
特に侍大将のような高い地位にいれば抜けたときの混乱も大きくなるので効果が増す。

31. 美人計(びじんけい)


古今東西女に弱いのが男の性。英雄色を好む。
相手の戦意を萎えさせるにはハニートラップ・色仕掛けである。

土地や財宝などで釣る手ももちろんあるのだが、それらはどうしても自軍に必要で渡しにくい場合も多い。また領土や金銀財宝を手に入れた相手がより軍備に力を入れることも大いにあり得る。
だが、女性一人なら渡しやすいのである。
現代で策略としてそれを行えばセクハラどころの騒動ではないが。

32. 空城計(くうじょうけい)


「樹上開花」に近いが、これは三国志演義にある例を出そう。

諸葛亮は、司馬懿の10万の兵に小城に包囲されてしまった。
手持ちの兵力では出撃しても敗北確定であり逃げても追いつかれる。例え籠城しても守り切れない。

そこで諸葛亮はあえて城門を開け放ち、余裕の態度で琴をひいていた。
司馬懿は「突入すると罠でもあるのか?」と疑い、兵を引き上げてしまったのである。突入されたらアウトのハッタリ作戦であった。
戦国時代には三方ヶ原の戦い後の徳川家康が武田信玄の軍をこれで追い払ったともいわれる。

こんな風に、相手が知恵者である場合に相手の疑心暗鬼を誘発する計略。
相手が脳筋司令官なら「損害上等!ツッコめ!」となる可能性が高く、相手の司令官の力量の読みも必要になる心理戦である。
よって諸葛亮の様な空城計を実行するのなら、相手が司馬懿みたいな知恵者であるかどうか見極めること。そうでなければ「お! 開いてんじゃーん(歓喜)」で終了である。
日本では「驚忍の術」といい、人々の迷信や怪異なことを利用して驚かし、それによってできる心の隙や動揺に付け込んで目的を達成するというもの。

名探偵コナンでは犯人をおびき寄せるために使用
下着ドロやらカツアゲなどの演技をすることで犯人に「警察は張り込んでない」と思わせ御用とした。

33. 反間計(はんかんけい)


「忍たまどもの動きをどう見るのじゃ?カワタレトキ忍者の動きをどう見るのじゃ?考えてもみよ」

反間の「間」は間者、スパイの意味。要は、敵のスパイを逆用してやれ!!という作戦である。
スパイは、自分の握った情報がニセ情報だと気づかない場合が多い。そしてスパイから流された情報を敵も信じ込みやすい。
つまりスパイに嘘情報を嘘と悟らせずに掴ませれば敵を騙すのが簡単、という作戦である。
嘘が露見しても「嘘の情報を持ってきたこのスパイは、実は敵側に寝返っているのではないか」なんて勝手に疑ってくれれば万々歳である。
日本では「天唾の術」といい、自分の持ち帰った情報がかえって自軍に損害を与えるもの。
毛利元就の厳島の戦い前のものが有名か。

ただし、誰が敵の間者か完全に分かっていれば楽だが、基本そんなことはあり得ない。
そうすると、敵の間者を騙すには味方にも同じ誤情報を流さないと意味がない。
それは味方の足並みを乱す重大なリスクとなる。

逆にこの計略の破り方としては、多数のスパイを用いれば様々な角度からの情報を得ることができ、その中には全く逆の情報も入ってくる。そうすれば他の情報と合わせてどちらが偽でどちらが正しいかの判断もできる。
このように多数の情報を精査・判断し客観的なデータとすることを「節を揃える術」という。
併せて覚えておこう。


34. 苦肉計(くにくけい)


これも三国志演義におけるものが有名なので、例にとろう。

赤壁の戦いで、呉の周瑜は老将黄蓋と陣中でケンカし、百叩きにした。黄蓋は百叩きにされたことで周瑜を憎み、曹操に使者を出し、コッソリ投降。
曹操は最初疑ってかかったが、スパイからの情報で黄蓋が百叩きにあったことが真実であると知り、黄蓋への警戒を解いてしまった。*4
しかし黄蓋は百叩きを我慢した上での偽装投降をする腹積もりであり、黄蓋への信用を逆用されて赤壁で大敗北を喫するのである。

人は、好き好んで痛い目に遭おうとはしない。痛い目に遭ったとすれば、それは本人に企みがないことの証明だ。
またある人を害そう、攻撃しようという人間が、そのある人の配下であるはずがない。
人間はついついそう考えてしまうことがある。
その心理を逆用してあえて自ら痛い目に遭うことで敵を騙すと言う戦略である。
欠点としては当然敵も疑っているため、その疑いを晴らし、信用を得る時間が必要なので短期決戦には向かない。
長年睨み合ってる時に使うべきと言える。

自分が痛い目に遭う度合いが大きいほど、敵も信じやすくなりやすい傾向がある。
戦国春秋時代の呉の刺客、要離はターゲットを信じ込ませるために自分の腕を一本斬り落とし、自分の妻子を殺害するという凄まじい苦肉計を実行。
こんなことをされたら疑うなんてことはできるはずもなく、要離は見事ターゲットに近づき殺害することに成功した。
逆に三国志演義の石亭の戦いでは呉の周魴が魏への投降を信じ込ませるために自らの髪を切る程度で済ませたが、1部の敵将から投降を疑われてしまった。(計略自体は成功したが)

なお、一般には苦し紛れの戦略というような使い方をされることも多いが、本来の意味ではない。

創作物においては、この計であると明示されることは少ないものの
身内にターゲットを襲わせてそこから救うことでターゲットと接触する
逆に身内に自分を襲わせてターゲットに救ってもらうことで接触する
連続殺人の途中で共犯者(や自動装置)に自分を襲わせることで容疑者リストから外れる
・卑怯な献策・行動をした部下・同僚を厳しく処罰することで自分自身は誠実であるように思わせ油断させた上でより決定的な場面で卑怯な行動をとる
等々この計に当てはまる展開は多い。

日本では「山彦の術」といい、同一の主をもちながら仲の悪い武将A,Bの二人が酷い仲間割れをしてBが敵軍に仕える。
この時、Bが「Aの面はもう見たくない!Aを仕えさせているような主のアホ面もイカのように輪切りにしてやりたいぐらいだ!」と憎しげに語るが当然敵軍も疑う。
そこである程度敵軍の中で功を挙げて信用を得たところでAに呼応し敵軍に反逆すれば地位も手伝い混乱の渦に叩き込むことができる。
似た名前に「山彦試聴の術」もあるが、こちらは「極秘の情報を流し、寝返っていれば当然極秘の情報が敵にも伝わっている、寝返っていなければ当然敵にも伝わっていないと判断する」ものなので異なっている。


35. 連環計(れんかんけい)



どうしても敵の数が多い場合に正面から迎え撃つのは止めた方が良い。
鎖が連なるように複数の計略を用いて、戦うことをせずに敵が自分から疲弊したり、仲間割れしたりするように仕向けるのが得策だよ、というもの。
苦肉計の項目で記載した例は、敵の間者を逆用しており、反間計と苦肉計の合わせ技であることが分かる。

三国志の読者の方は、敵の船と船を繋げる計略じゃないの?と思われた方もいるかもしれないが、少なくとも三十六計の連環計はそのようなものではない。

36. 走為上(そういじょう)




「三十六計逃げるに如かず」。
要は勝てないなら逃げろと言うことである。
戦って玉砕するなど愚策も愚策。降参してしまうと命を永らえたとしても戦力などは取り上げられるリスクが高い。
それなら逃げて戦力を温存しとけということなのである。

もちろん、ただの逃げ腰では勝てるものも勝てなくし、味方にも見限られるリスクがある。
大事なのは戦力を温存したまま逃げることであり、闇雲に逃げ回って戦力を霧散させては元も子もない。
「逃げる」という非戦的な行為ながらも、高い指揮力が必要とされる作戦と言える。
ちなみに著者の檀道済はこの逃げを多用し北魏に脅威を与え続けた。
前漢の劉邦、蜀漢の劉備、中華人民共和国の毛沢東といった歴代建国者も、格上の相手にはこの走為上を駆使して機を待ち続けた。

日本ではキスカ島撤退作戦が有名か。
撤退させようにも艦隊の陣容で大きく劣る日本軍は北太平洋独特の濃霧を頼って出撃したが、幾度となく途中で霧が晴れた結果、制空権も制海権も無い状況となったため断念していた。
軍部からの猛烈な批判を浴びる中、確実に濃霧が発生するとの予報を得て出撃。
対するアメリカ軍も出撃していたが、レーダーに映った謎の影を日本艦隊と誤認し砲撃、弾切れを起こすなどして一時撤退する。
この隙にキスカ島に突入した日本軍は見事無傷で守備隊を収容し帰投することに成功した。




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最終更新:2024年04月09日 10:56

*1 本当の攻撃対象は知られないようにする

*2 あくまで演義の話であることに注意。史実における曹真は司馬懿と同等かそれ以上の名将軍である。

*3 2011からSランクも含めた8段階になったがこの時は最高値のみ、1選手につき1項目だけであったため、実質的な最高ランクはAだった

*4 演義でも曹操も一旦は苦肉計を疑ったが、黄蓋の投降を知らせに行った闞沢が更に話術を用いて丸め込んでいる。