天山広吉

登録日:2012/10/03(水) 10:03:05
更新日:2024/03/13 Wed 16:55:19
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天山(てんざん)広吉(ひろよし)は新日本プロレス所属の男性プロレスラー。

生年月日/1971年3月23日
身長/183cm
体重/115kg
血液型/O型
出身地/京都府京都市
入場曲/テンザン ~時空~
本名/山本(やまもと)広吉(ひろよし)



  • 経歴
学生時代はボディービルとバスケットボールで身体を作っていった。高校卒業後は新日本プロレス学校に入門する。
同校は後に彼や同じく新日本に入門した西村修をはじめ、ザ・グレート・サスケ、ディック東郷、ウルティモ・ドラゴンといったレスラーを輩出している。
90年に入門、翌年1月に松田納’現:エル・サムライ)戦でデビューする。93年にはヤングライオン杯で優勝し、欧州へ武者修行の遠征を行う。
95年に遠征を終え凱旋帰国。本隊へ反旗を翻し、越中詩郎率いる平成維震軍の誘いを蹴って蝶野正洋とヒロ斎藤のチーム「狼群団」に合流。
初めてチームとして組んだ試合で彼が長州力からフォールを奪い衝撃の凱旋を果たす。
帰国と同時にリングネームを本名から「天山広吉」に変更、現在も続く猛牛キャラもこの時期からで前述のフォールの件から瞬く間に名を広めてトップレスラーの仲間入りを果たす。
97年にはWCWとの提携がきっかけで狼群団を母体に結成された「nWoジャパン」に合流。同年のG1ではアクシデントに苛まれながらも準優勝を果たす。

また、同ユニットに加入していた小島聡とのタッグチーム「天コジ」を結成したのもこの時期である。
99年にはIWGPタッグに初戴冠、翌年に再び戴冠し当時の最多防衛記録である6回を達成する。01年にはG1タッグリーグで優勝する。
タッグとして多くの輝かしい実績を残すが、02年の小島の全日本プロレス移籍に伴いタッグを解消することになる。

なお、同年には蝶野正洋とのタッグ「蝶天」で上記の天コジが保持していたIWGPタッグの最多防衛記録を更新する7回を達成するなどここ数年はタッグでの活躍が目立っていた。

03年には長年優勝候補とされていながら縁の無かったG1 CLIMAXで優勝を果たし、同年11月にはIWGPヘビー級王座にも初戴冠。
出世がかなり早かった割にはシングルでの勲章が長期間無かった彼が一度にシングル王座を手に入れたためようやく彼の時代がやってくる!
………と、思われていたがここから浮き沈みの激しいキャリアを送ることとなる。
同年12月に中邑真輔とのタイトルマッチに破れ、デビュー1年の中邑から防衛できずにタイトルを手放してしまう。
翌年には当時「新闘魂三銃士」と呼ばれていた棚橋弘至、中邑真輔、柴田勝頼を三タテして史上二人目のG1の2連覇を達成。IWGPヘビーも2度戴冠する。
しかし05年2月に行われたIWGP&三冠のダブルタイトルマッチで脱水症状を起こし引き分け寸前で敗北。同王座は奪還したものの中々ネガティブイメージが抜けないでいた。

06年にはG1で3回目の優勝を期にヒールユニット「G.B.H.」を結成する。
が、同ユニットで次第に真壁刀義が頭角を表し、07年の後藤洋央紀戦で欠場したのをきっかけに翌年追放される恰好となる。
同年には当時タッグを組んでいた飯塚高史の裏切りにあい、負傷欠場も増えていくなど良くないことが続く。

09年のG1では遂に長年のダメージの蓄積が爆発し無期限の欠場となる。脊椎管狭窄症と右肩亜脱臼と診断され、後に右肩の腱板断裂も発覚し長期間の欠場を余儀なくされる。
1年3ヶ月に及ぶ長いリハビリ期間を終え、10年11月に復帰。翌月からは以前から続く飯塚との抗争が始まる。
同年のG1では中邑と完全復活を思わせるような内容の試合を行い、因縁の相手である小島の決勝進出を阻むなど猛牛ここにありを見せつけた。

その後は再び新日本所属となった小島聡と「天コジ」で組んでおり、タッグ戦線を中心に活動している。
後にグランドスラムを達成し他団体及び海外でも活躍を魅せる小島・永田らと比べて、首の古傷もあってか最前線に立つのは控えめ。
シングル戦線ではヤングライオンや他団体のレスラー相手の壁になるなど一歩引いた位置にいるが、2012年のG1ではこれまでの不調が嘘かのようなファイトを繰り広げ、真壁、中邑、後藤の同ブロックのトップどころ全員から勝利を収めるなど大躍進を遂げ、2015年のG1では直前の記者会見で「(天山は)もう終わっている」と暴言を放つなどそれまでとは大きな変貌を遂げ今大会の台風の目となった内藤哲也を相手にギブアップ勝ちを収めるなど活躍した。




  • 主な得意技
○アナコンダバイス
03年のG1の為に開発された変型の腕極め袈裟固め。
基本的にはグラウンドで仕掛けるのだが、技を極められながら立ち上がった相手を更にネックブリーカーの要領で強引に倒すムーブをアナコンダバスターという。
また、立った状態から投げ→締め上げに移行する場合はアナコンダスラムとなる。
アナコンダバスター(スラム)は何気に強力で、元々はアナコンダバイスへの繋ぎなのだが、単体の投げ技としてももっぱらフィニッシュになることも多い。
バイスの体勢から相手の空いている腕を巻き込む「アナコンダクロス」という型もある。WWE移籍後のCMパンクがフィニッシャーとして使用したことで更に有名になったが、元祖は彼である。

○アナコンダマックス
コブラクラッチ(相手の腕を利用しての変形スリーパー)から、相手を自分の横方向に引き倒し、クロスフェイスの様な体勢で締め上げていく。

ムーンサルトプレス
「天山プレス」とも呼ばれる凱旋後から使用しているフィニッシュ。
怪我が悪化してからは封印状態だったが、20周年記念興行で4年ぶりに使用したのを機に最上位フィニッシュとして使用している。
因みに天山プレスの呼び名については、凱旋後の勢いのある頃にムーンサルトの第一人者にして当時は敵対していた武藤敬司と封印マッチを行い破れているが、後にしれっと復活させた。
試合後、そのことを追及されると“あれは天山プレスだ”と答えたという経緯がある。

○TTD(天山ツームストンドライバー)
みちのくドライバー2の形で抱えあげ、両膝で頭を固定して頭から落とす変型のツームストンパイルドライバー。
原型は相手の胴をツームストンの要領で抱えあげて開脚して落とす型=所謂“リバースパイルドライバー”と呼ばれる禁じ手だったが、やっぱり怪我人が続出したため封印。*1
その後は、相手の首に手を添えてダメージコントロールを行う形にアレンジしたものの、それでも危険度が高く怪我人が絶えなかったので、現在はボディスラムの体勢から膝を折りながら落とすものをTTDとして、フィニッシュや繋ぎとして使用している。
一方で、ボディスラムの体勢から開脚して脳天を突き刺す形をオリジナルTTDの名称で奥の手中の奥の手としており、重要な試合でのみ数回使用するにとどまっている。
近年、脳天や垂直落下系の技は危険度の高さから実際には背中から落としていることも多いのだが、オリジナルTTDは明確に脳天を突き刺しており、厳しくも過激な時代を生き抜いてきたベテランの意地と妙技が感じられる。
後述のマスター・ワトに直接伝授した他、かつて復帰戦の相手を務めたことのある[[アントーニオ本多>アントニオ猪木]]も度々使用し、技を放つ際には「テンザンツームストンドライバー!!」とわざわざ正式名称を叫んでいる。

○ダイビングヘッドバット
トレードマークでもあるデカくて硬い頭を落としていく代名詞の一つ。
トップロープ上で十字を切る独特のフォームで飛び、コーナーに上がってからアピールをすることも多い。
以前は代表的なフィニッシュだったが、現在は繋ぎで使用することが多い。
また、ヘッドバットと共に右手で手刀を振り下ろすバージョンもあり、奥の手となっていた時期もある。

○モンゴリアンチョップ
両腕を交差させる独特のモーションから袈裟斬りチョップの要領で放つ。「シュー」という呼吸と共に放つため会場ではあちこちからこの呼吸音が聞こえることがしばしばある。
同じく技を使用するグレートOカーンとの死闘の末に封印するも、ムーンサルトプレスと同様に「真・モンゴリアン…」の名称で再び使用している。

○頭突き
頭が非常に固く、要所要所で頭突きを使用する。モンゴリアンチョップのフェイントで腹への頭突き、横たわっている相手に倒れこんでの頭突きなどバリエーションも豊富。

○マウンテンボム
凱旋帰国後より使用していた技で、本来は相手を斜めに抱えあげて自身の体重を浴びせるように落としていく変形の水車落とし。
しかし、橋本の肋骨を負傷させたことから真っ直ぐに落とすようになってからは、単に“天山の使用する水車落とし”となった。

○バッファロースリーパー
ハーフダウン(尻餅状態)の相手に対して極める、背後から相手の腕を巻き込んでの変形スリーパー。
アナコンダバイス開発以前の代表的なオリジナル技。
尚、発案は後に鬼嫁として有名になった奥さんで、天山によれば夫婦喧嘩の際にスリーパーを極められてしまい、脱出するために腕を伸ばしたら奥さんにその腕も巻き込まれちゃって……とのこと。
後には、ある程度締め上げてからテイクダウンして胴締めに移行するパターンが多かった。

○フライングニールキック
これも凱旋帰国後に得意としていた技で、打点は低いが余計に嫌な角度で相手に当たったらしく、佐々木健介を失神させたこともある。

○大剛式バックドロップ(アナコンダスープレックス)
カナダ遠征時代の師匠である元大相撲力士、プロレスラーでブッカーの大剛鉄之助の得意技を上記のアナコンダバイス開発に協力して貰うと共に引き継いだ技。
相手の股下、或いは片足のみをクラッチして投げる変形のバックドロップで、相手は不安定な体勢で場合によっては急角度で投げ落とされることになる。
古典的な技なのだが、天山が伝授された頃は他に使い手が居なかったのでアナコンダスープレックスという名称でオリジナル技扱いもされた。
後に天山を尊敬する後輩の大岩陵平がフィニッシュホールドに使うようになった。



  • 余談
○若手時代は爪楊枝をおでこに刺す一発芸をやっていた。

○強面で長い間ヒールを務めていたが、新日本屈指の好人物であり、ヤングライオン時代に先輩からことごとく無視されていた真壁刀義に最初に挨拶したのも彼である。一方、かなりの天然で若手時代に「レンゲ持ってこい!」と言われ数時間後にレンゲ草を持ってくるというようなエピソードがかなりたくさんある。「めちゃイケ」に出演した際には、スピーカーを椅子と間違えて座ろうとするというホームラン級の天然ぶりをお茶の間に提供した。

○少年時代からの憧れを叶えるべく新日本プロレスに入門したものの、余りの厳しさに脱走したことがある出戻り組である。

○上記の脱走の件と関わりがあるのかは不明(棒)だが、新日本史上でも悪戯者として知られた橋本真也獣神サンダーライガーのシゴキや悪戯の一番の犠牲者で、
エアガンで撃ちおとしたスズメを焼いて食わされるといったこともさせられていたなどこの話題関係のエピソードも豊富にある。
しかし何だかんだで慕っており、自身の20周年記念興行では橋本の映像を流していた。

○2012年時点で師匠格の蝶野の16回を抜かして「G1 CLIMAX」の最多出場者である。(その後は同じ第3世代の永田裕志に抜かれている。)

○見た目の厳つさと若い頃の暴れっぷりからパワーファイターだと勘違いされがちだが、長いキャリアの中の技の傾向としては実はパワーよりもテクニックに寄ったものが多く、実際にオリジナル技の殆どが関節技である。

○2020年以降は凱旋帰国した川人拓来マスター・ワトのディーバセコンドを務め、自身のTTDを彼に伝授している。



天山「俺達がチャンピオンだ!追記・修正のな!」
小島「1+1は2じゃないぞ。俺達は1+1で200だ!10倍だぞ10倍!」

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最終更新:2024年03月13日 16:55

*1 通常のパイルドライバーやツームストンと違って、脳天が加減無しに打ち付けられることになる形である。蝶野正洋が首が悪い時期にスティーブ・オースチンにこのパイルドライバーを受けて試合中に身体が痺れてしまい激怒したのは有名な話。そして、当のオースチンもWWFでストーンコールドに変身してトップに上り詰めようとしていた時期に、オーエン・ハートにこの技を受けて脛椎を損傷してしまい、事実上の選手生命を断たれている。