手塚治虫

登録日:2011/10/22 Sat 23:41:35
更新日:2023/11/18 Sat 03:02:54
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手塚治虫(1928~1989)は日本の漫画家。


その偉大すぎる功績から
「漫画の神様」


と評される。
60歳で亡くなるまで、漫画家として第一線で活躍。戦後、ストーリー漫画の基礎を確立し、漫画界に多大な影響を与えた。

代表作は『ジャングル大帝』『鉄腕アトム』『ブラック・ジャック』『火の鳥』など多数。



生い立ち〜デビューまで

兵庫県宝塚市出身(出生は大阪府豊中市)。阪大医専部(現医学部)卒業。
なお医専部とはいえ、漫画家になった後医学博士号も取得したが、博士論文は「タニシの精子」を題材にしたものだったという。
……ちなみに小学生時代を過ごした母校「大阪府池田師範学校附属小学校」の現在の姿が、後に惨劇の舞台となってしまう「大阪教育大学附属池田小学校」である*1



作風と特徴

手掛けたジャンルは、SF、歴史物、少女向け、4コマ、ピカレスクなどがある。
だが、熱血・スポ根物は好まず、これらを題材にした作品はまず無い。
加えて戦時中に多くの死人を目にしたことなどから「生命の尊厳」を作品のテーマとしていた。

スターシステムといって、キャラクターを役者のように使い、色々なキャラクターを別作品のモブや脇役として出演させる手法を取り入れている。
顕著なのが『ブラック・ジャック』。いきなりヒョウタンツギやスパイダー(「おむかえでごんす」のセリフで有名)などの名物キャラが登場したり、雰囲気ぶち壊しなギャグを挟んだりするが、これはこっ恥ずかしいラブシーンやシリアスな場面を描いてしまった時の息抜き・照れ隠しらしい。
「ページの問題でスピードアップせにゃならん」などのメタ発言的なネタも多用するほか、ローマ字表記で「KONNAMONOYOMANAKUTEMOII」(こんなもの読まなくてもいい)などとコマに書き込むことがある。

また、今で言うところのケモナーで、ディズニーチックに擬人化された動物は勿論、半獣キャラも作品に多く見られる。
更に『暗い窓の女』『奇子』など兄妹同士の肉体関係、つまり近親相姦を描いた作品がいくつかある。当然というか、手塚本人にも妹(と弟も)がいる。
ちなみに、初期の『ピピちゃん』という作品では手塚本人が画家として登場するが、妹のベッドで一緒に寝るシーンがある。
他にも『リボンの騎士』で精神的両性具有に男装、『鉄腕アトム』でロボット娘、『やけっぱちのマリア』で少年の深層心理がダッチワイフに憑依して美少女化、短編『風穴』でマネキン愛……と、様々な指向をカバーしている。
そんな何かの扉を開くには十分すぎる手塚作品のおかげで(あるいはそのせいで?)「目覚めた」人は少なくないはずだ。



デビュー〜最期まで

47年の『新宝島』で本格的にデビュー、一躍売れっ子漫画家となる。
しかし60年代後半から70年代初期まで自他共に認めるスランプ状態に陥り、ヒット作に恵まれず、「手塚は終わった、古い」と世間でも囁かれた。
こうした中、神様の最期の花道として『週刊少年チャンピオン』が制作を依頼して生まれたのが、かの医療漫画のパイオニア『ブラック・ジャック』だった。
予想を見事に裏切り大ヒットを飛ばし、まさに不死鳥のごとき復活を果たす。

漫画家としての40余年間に描いた漫画は全604作700タイトル以上、原稿の枚数は非公式だが15万枚とも言われる。
なおギネスブックでは石ノ森章太郎が約12万8千枚で認定されている。漫画全集でも手塚全400巻に対しては全500巻770タイトルを誇っているが、
本当はどちらが上なのかはまさに神のみぞ知るところ(石ノ森も非公式には20万枚説がある)*2
いずれにせよ『こち亀』が40年の200巻で4万弱ということを考えると凄まじい量である。
この膨大な作品数はいつもギャラは二の次三の次で限界まで、というか限界以上に仕事を引き受けていたため。
「漫画を描くなと言われたら死ぬと同じ」「アイデアはバーゲンセールできるくらいあるんだ」と後年語っていたくらい、しゃにむに漫画を描き続けた。

晩年になっても創作意欲は衰えることを知らず、『アドルフに告ぐ』『陽だまりの樹』などの傑作を発表した。
……が、89年2月9日に胃癌のため死去。3本の連載が絶筆となった。
最期の言葉は「仕事をする。頼むから仕事をさせてくれ!」だったという……。



人物像と逸話、発言など

神様だけあって、常識では考えられないようなエピソードを山ほど持っている。幾つか挙げるだけで人外ぶりがまざまざとわかるほど。
また創作に関する姿勢もまさしく貪欲の一言で、アニメや光るものを持つ新人漫画家などにも大いに関心を寄せていた。

  • 他人の漫画作品を見せてもらったとき「これなら僕にも描けるよ」といって 本当にそっくりの絵をその場で描いてみせた。

  • 揺れる列車や自動車の中で フリーハンドで直線を引く

  • 円を描くのに コンパスなど要らない。

  • うろ覚えで描いた野球場のスケッチがライトの数に至るまで 写真で撮ったかのように全く一緒 という記憶力。

  • 海外から 電話越し にアシスタントに、 コマ割りと「〇〇の作品の何話前の何ページ何コマ目に描いてある〇〇の絵と同じものをどこそこのコマへ…」 といった背景の配置を指示したり、更に 仕事場にある「〇〇の本の〇〇ページに載っている写真を参考にして描いて」 と指示したりした。なお、当時はもちろんインターネットは無いし、手塚本人も メモ帳などは持たずに 全て記憶で話していた。

  • 別々の漫画を1ページずつ並行して描いて締め切りに間に合わせた。

  • 編集者と差し向かいで打ち合わせしていた時、「こんな構図で行こう」と、 相手に合わせた向き でラフ絵を描いて見せた。

  • アニメにも熱心で、アニメ作品も多く制作した。その関係でアニメ業界にも色々と影響を与えており、「手塚治虫が日本初の30分テレビアニメを安い製作費で受注したせいで今日まで製作費が安く、アニメーターが薄給になった」と言われることもある。……が、このあたりの事情は複雑で、少なくとも全てが手塚治虫一人の責任ではないという声も上がっている*3

  • 他の漫画家は新人、ベテランに関わらず、ライバル視したことで知られており、新人でも詳しく調べ、しばしば嫉妬じみた発言をしていたことも有名。

「これくらいなら僕にも書けるよ」

一方で、新人漫画家を誉めたり、高く評価したりする発言もたびたびしていたが、これはまだ売れていなかったりマイナーだからライバル視していなかったとも。
もっとも藤子・F・不二雄など、ライバルとして高く評価していた漫画家もいる。

  • 共産党の機関紙『新聞赤旗』で連載したこともあったが、どちらかといえば資本家タイプで別に共産主義ではなかったとか。

  • 自身の作品を積極的に加筆修正しており、『火の鳥』・『鉄腕アトム』は公式単行本自体が2パターンあるし、『手塚治虫漫画全集』収録時にリメイクされた『新宝島』や連載版の終盤部分を大幅にカットした『人間ども集まれ!』など、没後に「雑誌連載版」がわざわざ発売されたものもある。一方『ブラック・ジャック』などでは時代情勢の変化・各所からの苦情により未収録や自主規制による改訂が発生し、かつて単行本に収録された短編でも現行版では未収録のものが多数ある。
ただ、限界突破すぎて締め切りまでに仕上がらず、多くの担当者と印刷所のメンタルやらにダメージを与えたこともあった様子。
それどころか、そんな状況でも気に入らないところがあれば書き直しまでしたという。
『チャンピオン』でこのエピソードが語られた際は関係者は懐かしんでいたが、普通に考えれば相当迷惑を掛ける行為だし信用失墜もいいところ。無理そうなときはできる限り早く無理だといって謝ったほうがいいのに……この人の場合は休載したときのダメージが相当だから多分無理だったのだろう。みんなも受ける仕事の量の調整とスケジューリングはしっかりやろう。
だが積極的に仕事を引き受けていたおかげで、1970年代初期虫プロ商事の倒産で負債を背負っても何とかなったという側面もあることを付け加えておく。

  • 海外で海賊版が流通している事を知った際、無許可で自分の漫画を売られた事ではなく加筆された部分のクオリティの低さにキレて、わざわざその部分を自ら描き直して先方に送り付けた。

  • 昆虫マニアで、中学生の時に作った細密な昆虫図も残っている。
自身のペンネーム「治虫」も、甲虫のオサムシから名付けたもの。虫の習性などを題材にした作品も描いている。
ただし、虫でも蜘蛛は大嫌い。子供の頃に蜘蛛の巣に突っ込んだら卵が破け、たくさんの蜘蛛の子が体を這い回る地獄を経験したため

  • 手塚プロがアシスタント志望者を募集したが、とある落選者の提出した絵を見た手塚治虫は「 これを描ける子を落とすとは何事だすぐに呼び戻せ 」と一喝。その子が弟子入りから1年ちょい(22歳時点)での連載デビュー作が『コブラ*4

  • 鼻を大きくデフォルメした自画像が有名で(実は風呂あがりでもないと鼻のブツブツは無かったらしい)、作品中にも作者本人として、または脇役、モブとして登場。『化石島』・『バンパイヤ』・コミカライズ版『サンダーマスク』では主要キャラになっている。
    別にイケメンな自画像でもないが、自己顕示欲が強めではあったかもしれない。「手塚の過去ないし生活を投影した作品」(『すきっ腹のブルース』・『マコとルミとチイ』など)では「大寒鉄郎」と名付けられている。

  • 映画『ミクロの決死圏』をみて、
「この映画は僕の作品をパクりましたね……」
とコメントしたことがあるらしい*5

  • 代表作の『鉄腕アトム』がアメリカに進出した時、「ロボットとはいえバラバラに破壊されるのは残虐過ぎる」と不評だった際に、「そっちは当たり前の様に残虐な描写があるのに」と漫画の中でぼやいている。ちなみに、ハゲ俳優ニコラス・ケイジは「幼いころ放送されていた『鉄腕アトム』に夢中になっていた」とインタビューで語ったことがある。


  • ディズニーマニアであり、多大な影響を受けたことを度々公言している他、1964年にはかのウォルト・ディズニーと対談している。1994年公開の『ライオン・キング』では『ジャングル大帝』の盗作疑惑が持ち上がって騒ぎとなったが、手塚プロダクションが「もし手塚本人が生きていたら、"自分の作品がディズニーに影響を与えたというのなら光栄だ"と語っただろう」とディズニーをリスペクトする声明を出したことで沈静化したエピソードがある。

  • 曾祖父に江戸時代の医者兼学者の手塚良仙がおり『陽だまりの木』でメインキャラとして描かれている上に
    さらに祖先に手塚太郎光盛という源義仲の家臣の武将がいてこちらも『火の鳥 乱世編』においていつもの手塚顔で登場する。
    実のところ良仙の実在は疑いようがないのだが手塚光盛などのような平家物語に出てくる武将はその子孫を自称する人間は珍しくないため
    「手塚治虫は光盛の子孫だと信じている」という域を出ないのだが、最近になって良仙関連の記録から「良仙は光盛の末裔で手塚村に住んでいた」という文書が見つかったため断定するにはまだ不十分だが、史実である可能性はいくらか増した。

代表作

漫画

  • マァチャンの日記帳(1946)
  • 新宝島(1947)
  • ロストワールド(1948)
  • メトロポリス(1949)
  • ジャングル大帝(1950~1954)
  • 来るべき世界(1951)
  • サボテン君(1951~1954)
  • ピピちゃん(1951~1953)
  • ロック冒険記(1952~1954)
  • ぼくのそんごくう(1952~1959)
  • 鉄腕アトム(1952~1968)
  • リボンの騎士(1953~1967)
  • 火の鳥(1954~1988)
  • 0マン(1959~1960)
  • 魔神ガロン(1959~1962)
  • ふしぎな少年(1961~1962)
  • ナンバー7(1961~1963)
  • 新選組(1963)
  • ビッグX(1963~1965)
  • W3(1965~1966)
  • マグマ大使(1965~1967)
  • バンパイヤ(1966~1969)
  • どろろ(1967~1969)
  • ノーマン(1968)
  • ザ・クレーター(1969~1970)
  • I.L(1969~1970)
  • 海のトリトン(1969~1971)
  • アポロの歌(1970)
  • やけっぱちのマリア(1970)
  • アラバスター(1970~1971)
  • きりひと讃歌(1970~1971)
  • 人間昆虫記(1970~1971)
  • ふしぎなメルモ(1970~1972)
  • 奇子(1972~1973)
  • サンダーマスク(1972~1973)
  • ブッダ(1972~1983)
  • ばるぼら(1973~1974)
  • ブラックジャック(1973~1983)
  • シュマリ(1974~1976)
  • 三つ目がとおる(1974~1978)
  • MW-ムウ-(1976~1978)
  • ユニコ(1976~1984)
  • ドン・ドラキュラ(1979)
  • 七色いんこ(1981~1982)
  • 陽だまりの樹(1981~1986)
  • プライム・ローズ(1982~1983)
  • アドルフに告ぐ(1983~1985)
  • ミッドナイト(1986~1987)
  • ネオ・ファウスト(1987~1988)
  • ルードウィヒ・B(1987~1989)
  • グリンゴ(1987~1989)

アニメ

  • 西遊記(1960)
  • ある街角の物語(1962)
  • ジェッターマルス(1977)
  • 森の伝説(1987)
  • 青いブリンク(1989)
etc……。



追記・修正くらいなら僕でも出来るよ。

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最終更新:2023年11月18日 03:02

*1 所在地は手塚の在学していた時代とは違う

*2 ただ手塚は後述の通り満足するまで何度でも描き直していたため、実際の原稿枚数はもっと多くなるのでは、とも言われる。

*3 当時アニメは見下されたものであり、製作費を安くしないと発注自体が来ないという事情もあったと言われている。また、虫プロの給料は当時基準で見ても割と高給だったという話もある(好待遇とは言っていない)。

*4 一応フォローしておくと、落とされた理由は「画風が違い過ぎるから」という物であり、担当者の見る目が無かったというわけではない

*5 手塚作品に「人体へのミクロ化潜入」なんて似た題材を扱った『38度線上の怪物』がある事から。