死後の世界

登録日:2018/04/30 Mon 21:35:11
更新日:2022/10/23 Sun 23:40:37
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「人間の世界は、死後なにもないのではないかという怪しげな常識が信じられている。
それもよかろう。
しかし本当はあるのだ」
水木しげる作「怪奇死人帳」より、死神

概要

んだらどうなるのか、というのは世界中のあらゆる人間にとって恐怖と興味の対象であった。
だが、残念ながら死んだ人間から話は聞けないので、実際にどうなっているかは誰にもわからない。
むしろ、 誰にもわからないからこそ、人は死を恐れる のだともいえる。
逆説的に、宗教というのが発展したのは「死んだらこうなる」ということを明確に説明してくれることで、人々に安心感を与えてくれたからこそなのだろう。

多くの神話では、「死者は死後裁判にかけられる」と説かれる。
これは「死んだ後に生前の行いを全て裁かれるのだから、善行を積みなさい」ということなのだろう。

ここでは世界中の色々な宗教における「死後の世界」の話をしてみたい。

キリスト教

基本的に「人間の魂は神様からの借り物」という認識が強く、「死は神の下に至る入口」という考え方はキリスト教のを含めたアブラハムの宗教*1で共通する。
この中でも大多数の日本人にとって比較的親しみのあるのはおそらくカトリックとプロテスタントだろうが、それぞれの死後の世界に関する考え方はかなり異なる。

地獄(ゲヘナ)と地獄(ハデス)が別々だったり、神の国と天国と死後の楽園が別々だったり、教派によって解釈は様々に分かれる。
最後の審判までの一時的な居場所なのか、永遠の居場所なのかという問題も関わっている。

  • カトリック
「地獄」「天国」「父祖の辺獄」「幼児の辺獄」「煉獄」の5つがある。
地獄は「悪人(というか非キリスト教徒)が行く場所」、天国は「徳の高い信者が行く場所」、父祖の辺獄は「キリスト以前の徳の高い人物が行く場所」、幼児の辺獄は「洗礼を受ける前に亡くなった幼児が行く場所」、煉獄は「罪を犯したキリスト教徒が行く場所」である。
生者が死者のために祈ることで、煉獄に行ってしまった魂の苦しみは軽減されるという。
「最後の審判」が非常に重要な概念となっており、この5つの場所に関しても、「とりあえず」の滞在場所に過ぎず最後の審判の日にはそれぞれが肉体を復活させられて、再びそれぞれに相応しい場所に送られる…とされる。

  • プロテスタント
辺獄や煉獄はない。
プロテスタントでは、「死者に捧げる祈りで死者の苦しみは和らがない」と説く。「死んでから祈るぐらいなら、なぜ生きている内に助けてやらなかったのか」ということである。
そのため、カトリックに比べて葬儀は簡素。「葬儀は死者のためではなく、生者のための儀式」ともされる。

  • 日本の一部キリスト団体
死後の世界で審判がくだされると黒地に黄色い字の看板で喧伝している。「死後さばきにあう 聖書」など。
ただ看板の経年劣化によってネコとの和解の勧めや常にネコから見られていると注意喚起する、単なるネコ派の主張と化した看板もチラホラ……。

仏教

インドの土着信仰からヒンドゥー教にかけて一般的な輪廻転生という概念が極めて強く、「死者は生前の行いにより6つの異なる世界に向かう」とされる。
「天道」「人間道」「修羅道」「餓鬼道」「畜生道」「地獄道」の六道をグルグル回るから「六道輪廻」とも呼ばれる。
ここで重要なのは、 天道は六道の一番上だが決して最高の世界ではない と仏教では説くことである。
「天道=天国」のように認識しがちだが、天道は素晴らしい世界ではあるものの、そこにはそれなりの苦労もあるし、何より天道で死ねば再び輪廻の輪に戻ることになる。
仏教ではこの「輪廻から外れられない」状態こそを「苦しみ」と考え、「悟りを開いて輪廻から外れる」ことを目指しているのである。

だが、「修行して悟らなければいけないなんて面倒だなあ」と思う民衆のために「仏様を信じて念仏を唱えれば死後に仏様が極楽浄土に連れて行ってくださる」としたのが大乗仏教である。
一方で「その本人が修行して悟らなければ意味がない」という原始仏教の考え方を残しているのが上座部仏教である。
日本ではご承知の通り大乗仏教の方が主流になり、仏そのものが信仰の対象として広まった。

こんなエピソードもある。初期の宣教師が「God」を日本語に訳す際、「神」ではなく「極楽」と訳したというものである。
「神を信じれば、神様の下に行ける」と説くより、「極楽の存在を信じれば極楽に行ける」の方が当時の日本人には理解しやすかったのだ。
そもそもキリスト教の「God」と日本の「カミ」ではだいぶ表しているものが違うので、このように解釈したのも仕方ないのだろう。

北欧神話

戦争大好きバーサーカー一族の神話なので、死後の世界「ヴァルハラ」も戦争に深くかかわっている。
一言で言うと、 好きなだけ戦争ができる天国 という非常に血なまぐさい死後の世界である。
ヴァルキュリア(北欧神話)を参照。
一方で悪人の魂は「ヘルヘイム」「ニブルヘイム」と呼ばれる場所に連れていかれる。

ギリシャ神話

死者は幾本もの川に囲まれた世界「冥府」に招かれ、そこでハデス(ギリシャ神話)の裁きを受ける。
特に選ばれたものは冥府で最も美しい園「エーリュシオン」に招かれ、そこまで罪の深くない者はハデスの王宮で楽しみは多くないが、さほど苦しくない生活を送り、罪深い者は冥府の奥の地獄「タルタロス」に送られる。
このように一つの冥界に天国と地獄が両方あるのが特徴と言える。

エジプト神話

キリスト教と同じく「死後の復活」に極めて関心を置いた神話になっている。復活に備えて死体を残すためにミイラ作成技術が発達したのである。
死者はオシリスの下に送られ、その心臓を心理の女神マアトの羽と秤にかけられる。秤を見つめるのが冥界神アヌビスである。
心臓は罪を重ねるほど重くなり、羽と比べて心臓の方が重ければその心臓は「アメミット」という怪物に食われて二度と蘇ることができない。
心臓の方が軽ければ、オシリスの楽園「アアル」に行くことができるとされる。

日本

特定の宗教感のない現代日本では、 ぶっちゃけその場その場で死んだ人間がどこに行くかは変わって来る
空の上を指して「雲の上に行った」と言うこともあるし、星空を見上げて「あの人は星になった」とも言うし、
「草葉の陰から見守ってくれている」とこの世に残っていると考えることも、「あの人はもう生まれ変わっている」と考える場合も
「お盆には胡瓜の馬に乗って帰ってきて茄子の牛にお土産を乗せて去っていく」と普段はどこかにいると考える場合もある。
蜘蛛をみだりに殺してはいけない理由も「蜘蛛として生まれ変わったご先祖様が見守っているため」ともされる。
これが全部同時に起こっていたら魂がどこに行っているのか謎過ぎるが

キリスト教の影響の強い「空の上の天国」というイメージと仏教的概念の「輪廻転生」、さらに浄土信仰や儒教の祖霊崇拝などを並行して受け入れているため色々とややこしいことになっているのだとも言える。

そもそも「死後の世界」を指す単語だけでも「あの世」「黄泉」「彼岸」「幽世(かくりよ)」「根の国」「冥界」などいくらでもある。

日本古来の神道では、「死者は神として祀る」ことが重要視される。怨みを残して死んだ死者は「祟り神」あるいは「怨霊」となり、現世に災いをもたらすとされたのだ。
例を挙げれば、平将門、菅原道真、崇徳上皇が「日本三大怨霊」として有名。
それぞれ、祟りを恐れた人々に神として祀り上げられることで怨霊ではなくなったとされ、信仰されているが、平将門に関しては祀られている塚に無体・無礼なことをすると現代でも祟ると言われている。

また、日本における死後の世界の一つ「黄泉」は歩いて行ける距離にあり、日本神話ではイザナギが死亡した自身の妻・イザナミを迎えに行くエピソードなどでそう描かれているが、
黄泉が登場するのは記紀の中でも「イザナギがイザナミを追って黄泉に入った」というエピソードのみであり、黄泉での生活がどうなっているかや裁判があるのかなどについてはよくわかっていない。
どうも腐っていると思われる節があるが。

沖縄

「ニライカナイ」という神の島の伝承が有名。
やはり「根の国」や浄土信仰などの影響や共通性が指摘される。

フィクションにおける「死後の世界」

ドラゴンボール(DRAGON BALL)

ドラゴンボール集めの障害がなくなってからは誰でも一度は生き返れるようになり、頻繁に行き来するようになったが
具体的な描写は孫悟空(ドラゴンボール)ラディッツとの戦いで死亡して以後。
閻魔大王が天国と地獄に割り振り、地獄の上を通る「蛇の道」の先には界王星に界王様が住んでいる。
界王様のように生きたまま住むこともでき、善人は頭に輪が浮かぶだけで肉体も与えられるが、
悪人は善人とは違う世界に運ばれ肉体は無となり魂も洗われ記憶も残らず新しい生命体に生まれ変わると言われ、ウーブの例が存在する。
原作では地獄は悪魔界と似ているらしく、ダーブラは逆に喜んでしまうとのこと。
地獄と生まれ変わりが同じ世界のことなのかは明言されていない。
原作で地獄の様子は間接的にわかるだけだがアニメオリジナルエピソードでは蛇の道から落ちるなど度々登場し、
劇場版『復活のフュージョン!!悟空とベジータ』で地獄には魂を文字通り洗って悪の気を清める「スピリッツロンダリング装置」があることが描写されているが、
他の回の地獄の描写で嘗ての悪人が清められた描写がないためこの時期のみ導入されていたという説も。
また、理屈は不明だが魔族に殺されると成仏できないため、あの世に行くことすらできないという設定がある。*2
やはり理屈は不明だが、殺した魔族側の心境によって成仏できるかが変わってくるらしく、悟空がラディッツ戦でピッコロの手で殺されたにも関わらず、
あの世に行くことができたのはピッコロが心変わりし始めているという証明となった。
これで悟空があの世に行けなかったら完全に詰んでいたのでかなり綱渡りな状態だったことになる。

Angel Beats!

完全に死後の世界そのものを舞台とした、少々風変わりな作品。
生前満足な青春時代を送れなかった者たちが送られる世界とされており、そこには天上学園なる超巨大規模な学校(日本の高校相当と思われる)が存在する。ぶっちゃけて言えば学園しか存在しない。
生前の心残りを清算したり楽しく学園生活を送れた者は転生という形で現世に帰っていく。
ちなみに何故死後の世界を舞台に選んだかというと「普通なら死ぬような無茶ができる」からとかなんとか。

SCP-2718

死後の世界に関する重要な情報。
死んだ人に一体どんな運命が待ち受けているのか……
その後に何が起こるのかは誰も知らない

ゲッターロボ・サーガ

ゲッター線に取り込まれる。取り込まれる過程にある者が全てを悟る描写もある。

DEATH NOTE

死神リュークに対して「デスノートを使った人間が天国や地獄に行けると思うな」と意味深な言葉を語る。


ゲド戦記

地上と似ているが、果てしなく荒涼とした寒々しい街や地平のみ存在する世界。
死者達はここで只無言のまま日常を過ごしており、ここから真の名を使って「死者を呼び出す」ことは禁忌とされ、生者がそのままここに降りる事も同じ。
3巻ではある魔術師がここと地上の境界を乱したことで世界をも揺るがす異変が発生した。

ニンジャスレイヤー

死後の世界であり集合的無意識である可能性の海オヒガンが存在。
嘗ては物理世界との距離が近く、オヒガンから流入するエテルを活用するジツを使うニンジャも強く、
体からソウルを切り離せるミコー・プリエステスやゼン予言者やニンジャは自由に行き来し、
ミヤモトマサシはザゼンで行こうとし、普通の人は夢の中やソーマト・リコールで偶然視るだけだったが、
平安時代をピークに物理世界との距離は離れて行き、ニンジャは弱体化しオヒガン自体も忘れられていった。
本作におけるインターネットは、電子機器を用いて伝説化したオヒガンを模したものであり、
人々がオヒガンを完全に忘れ去るようオヒガンのケオスを嫌う鷲の一族が仕組んだものである。
作中の時代には2000年問題によってインターネットとオヒガンが繋がったことから、ハッカーの間でコトダマ空間と呼ばれる現象が起きている。
コトダマ空間の空にはニンジャソウルが集められる黄金立方体キンカク・テンプルが浮かび、物理世界の地下にはモータルソウルが集められる御影石の立方体ギンカク・オベリスクが埋まっている。
コミカライズ『グラキラ』ではニンジャアノヨと呼ばれる退場済みニンジャによる座談会空間が登場。




余談

英語で「ここよりも良い場所(better place)」は「死後の世界」を意味する慣用表現である。
アメリカ人に「ここよりも良い場所に引っ越します」などと言ったら自殺を考えていると勘違いされかねないので気を付けよう。






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最終更新:2022年10月23日 23:40

*1 キリスト教にユダヤ教イスラム教、場合によってはこれらの派生宗教をひっくるめた言い方

*2 悟空より先に死亡したクリリンや餃子があの世を知らないのはこれで説明できるが、魔封波による自爆だった亀仙人まであの世を知らない=成仏できていなかった理由は不明。