ヤマトタケルノミコト

登録日:2017/11/27 Mon 02:33:20
更新日:2024/01/21 Sun 18:01:40
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■ヤマトタケルノミコト

『日本書紀』では『日本武尊』
『古事記』では『倭建尊』
古代に実在したとされる皇族であり、英雄的人物。
ヤマトタケルとは日本(ヤマト)で最も強い男”の意。
ただし“タケル”は蛮族の通称なので、尊名としては相応しくないとする説もあり、この場合は“タケ”とするべき、との意見もある。

草薙剣(クサナギノツルギ)/草那芸剣を手にした伝説的人物であり、日本神話の英雄と云えば、スサノオノミコトか彼か、と云う位の活躍と知名度を誇る。

幼名をオウス(小碓命、小碓尊)。
異名をヤマトオグナ(日本童男、倭男具那命)。
“オグナ”は未婚の男性の意であり、ここから後にヤマトタケルと呼ばれるようになったとされる。*1

その武勲と活躍、悲劇的でヒロイックな運命から『日本神話』でも、一種の半神的英雄として捉えられている。
また、実在したとされつつも記紀での記述のズレや、余りの活躍の大きさから、元となった複数の人物や、
何らかの神話を下に生み出された架空の人物ではないかとも言われている。
ともかくも実在したにしても、その生涯については大きく脚色された部分がある人物と云えるようである。

【系譜】

第12代景行天皇の子で、第14代仲哀天皇の父親とされる。
系譜については記述により違いがあり、異論もある。

母は皇后の播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)
『古事記』では、彼女は若建吉備津日子(わかたけきびつひこ)(稚武彦命)=吉備臣の祖の娘とされている。

『日本書紀』と『先代旧時本紀』では第二王子とし、双子の兄に大碓命(オオウス)が居る。
『古事記』では第三王子とし、オオウスとは双子ではない。
また、弟に神櫛皇子が居るとされている。

よく知られた“神話”に於いては『古事記』に語られる、兄のオオウスとの因縁が知られているが『日本書紀』には見られない(後述)。
『古事記』のは物語を強調し過ぎている面があり、公式には因縁の部分については“ふぃくしょん”と捉えられている。

妃には、

  • 弟橘媛(オトタチバナヒメ)/弟橘比売命

  • 美夜受比売(ミヤズヒメ)/宮簀媛

  • 両道入姫皇女(ふたじいりひめのひめみこ)/布多遅能伊理毘売命=仲哀天皇の母。

  • 吉備穴戸武媛(きびのあなとのたけひめ)/大吉備建比売。

  • 山代之玖々麻毛理比売(やましろのくまもりひめ)

  • 布多遅比売(ふたじひめ)

  • 一妻(橘媛)

……といった女性達の名前が挙げられている。
よく知られているのはヤマトタケル神話のヒロインたるオトタチバナとミヤズヒメだが、それ以外の妃と設けた仲哀天皇の他、
有力な氏族の祖となった人物の父親として位置付けられている。

【神話】

ヤマトタケル神話は、節目により名前を変えつつ展開され、妃となる人物も違うのが特徴だとされる。
尚、以下の記述は凡て『古事記』に準拠する。


一、西征。熊曾退治。

第12代景行天皇には多くの皇太子が居たが、その中に若くして既に勇猛なオウスが居た。
ある時、臆病者であったり、父である天皇の寵妃となる女を奪うなど、 常々、問題のある態度を取っていた兄のオオウスが皆との食事の場に同席していない。
これに対し、景行天皇はオウスをオオウスの下へとやり「ねぎらうように」と命じた。
しかし、オウスは程なくして戻ってきたのに肝心のオオウスがやって来ない。
不審を抱いた天皇がオウスに問うと、オウスは「ねぎらう」「懲らしめろ」と解釈。
厠に居たオオウスを引き出し、“掴み潰して、手足を引き抜き、筵にくるんで投げ捨てた”と答える。
……究 極 神 拳(Fatality)!!!

これに驚いた天皇は、これ以降オウスを怖れるようになり、まだ16歳位の少年であったオウスに、大和に従おうとしない九州の豪族である、熊曾の討伐を命じるのだった。

力があるとは云え、父を尊敬する少年オウスには謀反の意思など無いのだが、この遠征には殆ど部下も付けられない等、死んでこいと言われたようなもの……。
傷心のオウスは途中で叔母の倭比亮命(ヤマトヒメ)/倭姫命*2の居る伊勢へと向かう。

オウスの寂しい胸の内と置かれた境遇を慮ったヤマトヒメは、この状況を打破する知恵として、オウスに女物の衣装を授ける。

そして、反乱分子のリーダーである熊曾建(クマソタケル)/川上梟帥(カワカミタケル)兄弟の新築祝いに女装して、髪の毛を下ろしたオウスが潜入。
まだ少年であるオウスの変身は相当に綺麗だったようで、側まで近づくことに成功。
そのまま、宴会の隙を付いて熊曾兄を討ち取った。
勝てばよかろうなのだァァァァッ!!

そしてオウスは逃げる熊曾弟を押し倒し、尻の穴から剣で串刺しにした。熊曾弟は「尻の剣を動かさないでくれ」と懇願しつつ名前を聞き、「大和には我らに勝る男が居るのか。これからは倭建(ヤマトタケル)と名乗るがいい」と言い残した後で、オウスに瓜を真っ二つに切り裂かれるように尻から斬られて討ち取られた。
……究 極 神 拳(Fatality)!!!

これ以降、オウスはヤマトタケルを名乗るようになり、一人前の男として振る舞うようになった。

熊曾を討伐したヤマトタケルは、その帰路に山の神、川の神、穴戸の神を平定し、更に出雲に立ち寄った。
同地を治める出雲建(イズモタケル)と面会したヤマトタケルは、最初は友好的な様子で近付き親交を結ぶ。
そして樫で作った偽の太刀を持ち、イズモタケルと一緒に川に水浴びに出かけ、先に川から上がるとイズモタケルの剣を掴み「剣を交換して太刀合わせをしてみよう」と持ち掛けた。
イズモタケルはこの遊びを受け入れるも、偽の剣なので抜くこともできず、まごついているうちにヤマトタケルに切り殺されてしまった。
勝てばよかろうなのだァァァァッ!!

この時にヤマトタケルは歌を残している。
「やつめさす 出雲建が 佩ける大刀 つづらさは巻き さ身無しにあはれ」
訳“出雲建の大刀は、つづらがたくさん巻いてあって派手だが刃が無くては意味がない、可哀想に” 
……まさに外道!!!

……こうして、見事に天皇の勅命を果たしたオウスは意気揚々と大和へと戻った。
英雄となったタケルの帰還を大和の民も喜んでいたのだが……。


二、東征、蝦夷退治。


大きな成果を上げるとともに、無事に戻ってきたタケルを労うでもなく、続いて景行天皇は「東方の十二の国を回り、荒ぶる神と従わない者共を平定せよ」と命じられた。
天皇「ではまたあおう!ゆうしゃタケルよ!(今度はもう帰ってくんなよ…)」

父である天皇の非情なお達しに、再び伊勢を訪れたタケルはヤマトヒメに報われぬ我が身を嘆き、哀しみを吐露する。

タケルの身を案じた、伊勢の斎宮たるヤマトヒメは、神代の時代にスサノオノミコトからアマテラスオオミカミに渡されていた神剣草薙剣と緊急の時に開けるようにと、謎の小袋えきせんとりっく少年ぼぅいを託す。

こうして、ヤマトヒメを通じて大神アマテラスの加護(草薙剣)を得たタケルは先ずは尾張国造=国造(みやつこ)=当地を治める豪族の家へ。
そこで、ミヤズヒメと出会い、結婚の約束をするも先へ進む。

相模国に進むと、相模の国造に「荒ぶる神が居る」と騙され、野中に入った所で火攻めを受ける。
この危機を草薙剣を振るって周囲の草を刈り取り、更に謎の小袋の中に入っていた火打ち石で自らも火を起こして炎を打ち消し脱出。*3
自らを罠に嵌めた国造と、その一味を皆殺しにする。
リリカル・トカレフ・キル・ゼム・オール♪

……以降、この地は焼津(静岡県焼津市)と呼ばれるようになったと云う。

続いてタケル一行は走水海(浦賀水道)へと入るが、暴風に煽られ進むことが出来なくなった。
これは、海峡を司る神の妨害によるものだとして、同行していた后のオトタチバナが菅畳、皮畳、絹畳を8枚ずつ海面に敷くと
そこへ身を投じ、夫の替わりに自らの身を人身御供として差し出して、神の怒りを鎮めた。
こうして、タケルは対岸の上総(千葉県)へと着くことが出来、
7日後に姫の櫛が流れ着いたのを拾って墓を築き、そこに櫛を納めた(茂原市の橘神社の社殿裏の御陵がそう伝えられる)。

この後、タケルは東征の帰路に足柄峠に入った折にオトタチバナのことを思いだし「吾(あ)が妻よ」と呟きを漏らした。
“東(あずま)”の読みは、これに由来するとされている。

尊い犠牲を払いつつも東方十二国の東端にまで達したタケルは、尾張国へと戻りミヤズヒメと結婚。

その後、ヒメの所に草薙剣を置いていった状態で伊吹山の神の討伐に行く。
「この山の神ごときは素手で捻り潰してくれるわ!」と言って山に登ったタケルは白い猪に遭遇。
「山の神の使いだな。気に入った。殺すのは帰りにしてやる」と侮るが、
白い猪は伊吹山の神の化身その物であり、祟りによる大粒の雹が襲い掛かり、タケルは失神。
這う這うの体で、意識を朦朧とさせたまま下山する。
タケルは居醒めの清水(山麓の関ケ原町また米原市とも伝わる)で、やや正気を取り戻すも祟りによる影響は深かった。
こうして、重体となりつつも大和を目指し、当芸野(たぎの)、現在の三重の各地を経て能煩野(三重県亀山市)にて果てた。
この時のタケルは30歳位だったと云われる。
「倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し麗し」
「乙女の床のべに 我が置きし 剣の大刀 その大刀はや」
タケルは、この4首の国偲び歌を詠って亡くなるのである。

この後、タケルの死を偲んで后や御子が訪れ、陵墓を築いて歌を詠った。
すると、タケルの魂は八尋白智鳥=白鳥となって飛び立ち、后達は更に3種の歌を詠って姿を追った。
この歌は天皇を贈る『大御葬歌』になったと云われる。
白鳥は河内国の志幾に降り立ち、そこに白鳥御陵(しらとりのみささぎ)が築かれたが、白鳥はやがて天に飛び去ったと云う。

また、草薙剣を預けられたミヤズヒメは、後に剣を納める地を探しあて奉納し、それが熱田神宮の始まりとなった。


【日本書紀では】

前述のように、英雄譚と云うか鬼畜ヒーロー物と云うかでありつつも、悲劇的な背景を持つのがヤマトタケル神話だが、
『古事記』を元にした前述の神話に対し、『日本書紀』の記録の方では記述に違いが見られる。
以下に特に違いが見られる人物達を紹介。

  • ヤマトタケル
そもそもが、父に怖れられるような粗暴な人物とは描かれていない。
ただし、土地の神への不敬により祟りにあったりするのは同じ。

  • オオウス
タケルに殺される展開が無い。
ただし、父である天皇から不興を買ったのはそのまま。
元々は東方遠征をタケルに推されたのはオオウスだったが怯えて逃げたために更に不興を買い、大和から美濃国へと送られたと云う。

  • 景行天皇
『日本書紀』では、武闘派天皇として、自らが熊曾退治に乗り出している。
タケルの西征はそのフォローのようなものだったとも。
因みに、息子が生まれる時には当時の習俗に倣って重い臼を背負って家の回りを歩いていたが、双子だったので一人が生まれても臼を下ろせず、
思わずこんちくしょう!と叫んだという話が伝わる。
タケルのことも怖れていないので、その死に際しては昼夜に渡り咽び泣き、百官に手厚く葬るように命じたと云う。
『日本書紀』では、タケルの転じた白鳥の降り立ったのを能褒野→大和琴弾原(奈良県御所市)→河内古市(大阪府羽曳野市)としており、その3箇所に陵墓を作ったとされる。
その後天皇は、武部(健部・建部)を日本武尊の御名代とした。
『古事記』と異なり、大和にも飛来する点が注目される。

  • ヤマトヒメ
『日本書紀』では、タケルと景行天皇の間に齟齬が無いので西征の場面では登場せず。
タケルは遠征の際にも多くの部下を付けられており、将軍の地位にも任ぜられている。


【モデルは?】

以上のように、ヤマトタケル神話には“ふぃくしょん”の部分も多いとされるが、
これらの神話は、5世紀~6世紀にかけて、大和王朝の勢力圏を拡げていった将軍や使者の話が纏められて出来たのではないか?と考えられている。

また、8世紀の『常陸国風土記』には倭建天皇と、后の大橘比亮命の名が記されているため、
この天皇がヤマトタケルとオトタチバナの直接のモデルとなったのではないか?との説がある。
何故に天皇なのに記紀から消されたかと云うと、記紀では天孫系の、特に統治者となる者には殺人の記録が残らないようにされている為に、
記紀中のヤマトタケルも即位出来なかったことにされたのではないか?との考察がある。
実在したとすると、相当に武勲を立てた天皇だったのかもしれない。


【アニヲタ的には】

神剣を手にして強大な敵に知恵と力、勇気と機転をもって立ち向かい、日本をところせましと駆けまわって大活躍。
そして日本をひとつにせんという志なかばで悲しい最期を遂げたヤマトタケル。
その要素をそのまま示す「日本武」という名を持つこの英雄は、神であるスサノオオオクニヌシよりもさらに人々に身近な存在であり、日本における活劇の王道的な主人公として広く採用されてきた。

直接的にタイトルとなっている『ヤマトタケル』の他、絵本やお話の題材になる等、日本神話の英雄として親しまれている。
特撮史的にも重要な、映画『日本誕生』の主人公もヤマトタケルであった。
それから手塚治虫氏の大作「火の鳥」でもヤマト編において主人公の王子オグナとして登場。
こちらでは当時の世相を反映してモラトリアムとイデオロギーのはざまで苦悩する一人の少年として描かれており、
クマソタケルを殺すシーンでは結婚式ではなく大葬の直後となっている(なお、本作はクマソタケルの超男勝りな妹がヒロインである)。
他にも古代・現代・近未来・SFなど、ファンタジー作品においてどのような時代や背景を舞台としても、堂々と主人公をつとめている。

珍しいところではにわのまこと氏のプロレス漫画「THE MOMOTAROH 」で、敵役として登場している。
主人公のモモタロウをはじめ金太郎や弁慶といった日本のおとぎ話をモチーフにしたレスラーが登場するこの作品で、
主人公の存在の根幹にも関わる最強最後の敵としてあらわれたのが「ヤマトタケル」である。
桃太郎や金太郎といった日本の英雄たちの頂点に立つキャラクターとしてふさわしいのは、やはりヤマトタケルだったのだろう。



追記修正は遠征してお願い致します。

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最終更新:2024年01月21日 18:01

*1 表記は、何れも『日本書紀』『古事記』の順。

*2 神託による旅の果てに同地に天照大御神を祀った伊勢神宮の起源となった。

*3 『日本書紀』では剣がひとりでに動いて草を払ったとされ、この時より天叢雲剣改め、草薙剣と命名されている。