阿修羅

登録日:2017/11/18 Sat 14:04:24
更新日:2023/08/25 Fri 17:38:52
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■阿修羅


阿修羅(あしゅら)(asura)』は、仏教インド神話で語られる神性、或いは悪魔のこと。
“神に非ざる者”の意。
ここでいう“神”とは、後述のようにインド神話で敵対するディーヴァ神属のことである。

古代インド~ペルシャ地域で信仰されていたアスラ(アフラ)神属を指し、それが護法善神の一つとして仏教に取り入れられた概念である。
“阿修羅”とは梵名“アスラ”の音写で元々の名前だが中国で名前の前に付ける愛称「阿」と誤解されたため、単に“修羅”と表記される場合もある。
(アレキサンダー大王が中東ではアル・イスカンダルと解釈されてイスカンダルと呼ばれるのと似たようなものである)
修羅は六道の一つである修羅道の修羅のことであり、阿修羅は戦闘を司る神、或いは悪鬼羅刹の類として捉えられている。
漢訳は非天、不端正。

【概説】

仏法を守護する護法善神の一つであり、外教に由来し、仏法を守る守護者となった天竜八部衆の一氏族である。
仏教で云う外教とは、主に発生地域であるヒンドゥーを指す。
他の八部衆も、古代インドやヒマラヤ、スリランカにルーツを持つ土着の神々が取り入れられた概念である。

国宝阿修羅像アシュラマンにも見られる様に、多面多臂(頭や腕がいっぱい)の超自然的な姿で描かれることが多い。
これは、汎ヒンドゥー的なタントリズムに倣って神や魔の威容を多面多臂の異形の姿で描くと云う思想が仏教にも取り入れられた結果である。

阿修羅とは、上記にもあるように梵名であるアスラ(アフラ)の音写であり、「阿・修羅」とぎなた読みされ単に修羅と呼ぶ場合もある。

アスラは、文字に残されている記録でも紀元前15世紀頃には見られ、
信仰の痕跡自体は、更に古い時代にまで遡れると云う、太古の光明神である。

アスラと云う語は、古代サンスクリット語の“asu”=命、息に由来すると云う説があり、古代アヴェスター語のアフラは、天空、主を指す語であったと伝わる。
ここから、アスラは天然自然を支配する天空神、或いは太陽神としての信仰を受けていたと考えられる。

……しかし、仏教の誕生する頃までには、古代インドの信仰体系は流入したアーリヤ人の持ち込んだディーヴァ信仰と数世紀をかけて混じり合った結果、
最終的にはディーヴァ信仰が残り、アスラ信仰は衰退してしまった。
尤も、信仰が混ざり合ったことで人気のあった神性は取り込まれ(または習合したことで)、一部はディーヴァとして信仰が残ったものの、
アスラ神属自体の神格は下がり、ヒンドゥー教が誕生する頃までには、アスラは悪魔の名として用いられる様になった。
古代インドのアーディティヤ神群に属し、リグ・ヴェーダで讃歌を捧げられていた神々や、その後のヒンドゥーで主神にまで登り詰めたシヴァヴィシュヌも、
元来は土着の神=アスラであったと考えられている。汚いなさすがディーヴァきたない

ここに至り、アスラの名は“a”を否定の語とされ“神”に非ざる者=悪魔とされる様になった。
仏教に於ける“天”に非ざる者とは、この経緯を踏襲しており、ここで云う天とはディーヴァ=インド神話の神=天部を指す。

また、この語には単なる悪魔としてのみならず、バラモン~ヒンドゥーに至る思想に於いて、淘汰された土着信仰の神々や、
根幹を等しくしながらも敵対した唯物論者=仏教徒と云った、ヒンドゥーの敵対者凡てを顕す寓意であるとも見なせると云う。

阿修羅はバラモンや初期仏典にも見られるように、帝釈天と敵対する構図が描かれている。
これは、前述のようにバラモン~ヒンドゥーが土着の神々や仏教と敵対する中で、アスラを敵として追いやる構図が反映されたものである。

永遠不変の個体真理=アートマンがあると掲げるバラモン~ヒンドゥーでは、諸行無常の名の下に、己をもまた万物の流転と共に変化し、
在るがままに消えゆくこともある、と説く仏教とは相容れず、これらの思想はインドラとアスラ王ヴィローシャナの問答の神話にも反映されている。

一方、仏教では阿修羅を帝釈天の敵対者としつつも、阿修羅を正義を司る神、帝釈天を力を司る神として、
共に帝釈天が治める忉利天に住む神であったとして、単なる悪魔とはしていない。
帝釈天は阿修羅王の娘の舎脂(シャチー=インドラーニー)を凌辱して強引に妻としてしまい、それに怒った阿修羅神属との間に争いが起こった。
しかし、舎脂は経緯はどうあれ帝釈天を愛して妻となることを決めたのに、父親の阿修羅王以下の者達はそれを受け入れられず、最後には敗れて天界から追放されたと云う。
阿修羅は正義を司るが、それに固執し続けることにより視野を狭くしてしまい、赦す心を失ったことが天界より修羅道に堕ちた原因である、とも説明されている。

六道の一つとしての修羅道とは、己の妄執によって苦しむ争いの世界であり、本来の果報が優れていながらも、
悪業を背負ってしまった者が死後に修羅となって生まれ変わる世界だと云う。


【阿修羅王】

インド神話に於いてはアスラの王として五人の王の名が挙げられているが、仏教ではその内の四人が阿修羅王として名を挙げられている。

羅睺(らごう)阿修羅王(ラーフ)

インド神話に於ける強大なアスラであり、日食、月食の神格化であるラーフのこと。
ディーヴァとアスラが世界創生の乳海攪拌を行った後で起きた霊薬アムリタを巡る戦いでは、当初はアスラが勝利して不死となる権利を得たものの、美女に化けたヴィシュヌが浮かれるアスラ達から見事に盗み出し、最終的に神々がアムリタを手にした。
しかし、いざ飲もうとした所にディーヴァに化けたラーフが混じっており、それに気づいた日と月の神が声をあげた。
そこで、窃盗の主犯であるヴィシュヌが円盤を投げて首を切断したのだが、既にアムリタが喉までは届いていたのでラーフは首だけだが不死となり、天に在っては自らの目的を妨げた日と月を追いかけて飲み込む凶星となったと云う。
羅睺星は、九曜の大凶星として伝わるが、それは上記の神話に由来する。
また、砕けたラーフの肉体やラーフの息子達は不吉を象徴する彗星であると考えられるようになり、それ等はケートゥ(計都星)と呼ばれ、矢張り東洋天文学に於ける凶兆として扱われる。

婆稚(ばち)阿修羅王(バリ)

インド神話に於ける強大なアスラであるマハーバリ(偉大なるバリ)のこと。
仏教では上記のラーフの兄弟。
インドではヴィローシャナの息子、プラフナーダの孫とされ、前述の問答の後で起きた争いの中で、
不慮の事故の隙を突いたインドラにより殺されたヴィローシャナに替わりアスラの王となり、
遂にはインドラをも打倒して三界(天界、空界、地上界)を治めたと云う。
バリの統治は理想的なもので人々も幸福であったが、それに我慢ならない傲慢なディーヴァ神属はヴィシュヌに祈りを捧げ、ヴィシュヌは矮人ヴァーマナとして転生。
乞食の姿でバリの下へと歩みよって「三歩分の土地」を得られるようにと願い、聞き入れられた。
これに際し、バリは目の前のみすぼらしい小人がヴィシュヌの化身であることを見抜いた師から忠告されていたものの、
バリは法(ダルマ)に従い、一度約束したことを反古にしなかったので、
ヴァーマナ=ヴィシュヌは本性(ヴィシュヌは遠くまで届く太陽の光の属性の神格化)を顕すと一歩毎に巨大化し、三界を跨いで踏破。
それを見たバリは、最後には足の置き場として自らの頭を差し出してヴィシュヌに踏ませた。
こうして、ディーヴァ神属は世界の支配を詐欺紛いの方法で取り戻したが、その徳の高さを讃えられたバリは地底世界のスタラを領地として与えられ、
そこで一族と共に世界の安寧を祈りながら暮らしていると云う。騙し討ちの上に、圧倒的に人格が優れた相手を左遷とかまさに外道!!!
一方、バリを完全な悪役として紹介している例もあり、この場合には大魔王バリの支配による悪政を打破することが人々によって願われ、それを聞き入れたヴィシュヌが転生。
バリは美しい稚児となったヴァーマナを自分の物(アッー!)にすることを願い、ヴァーマナは見返りに三歩分の領土を要求。
そして、本性を顕し三界を踏破したヴィシュヌについでとばかりに踏み殺されている。展開は同じだが、真逆の印象操作……まさに外道!!!


佉羅騫駄(きゃらけんだ)阿修羅王(サンバラ)

華鬘(けまん)阿修羅王とも。
神々をも畏怖させた強大なアスラ、サンバラのこと。
ブラフマーからの助言を受けてやって来たインドラに鼓舞されたダシャラタ王により退治された。

毘摩質多羅(びましったら)阿修羅王(ヴェーパチッティ)

上記の舎脂の父親とされる阿修羅王。
妻は乾闥婆(ガンダルヴァ)の出身であると云う。

【この他】

仏教に於ける阿修羅とは、前項の様に基本的にはバラモン~ヒンドゥーでの悪鬼、悪魔としての姿が取り入れられた存在ではあるが、
他にもインドに於いてアスラの王として挙げられるヴィローシャナに近いヴァイローチャナが、毘盧遮那仏、大日如来の梵名に用いられたりしていることから、
アスラ王の名が取り込まれた、として紹介されている場合もある。
ただし、これには異論もあり、前述の様にアスラ信仰の記録が現在までに文字として残る遥か以前より存在していると考えられることや、
ヴィローシャナが本来の意味的には太陽光線の作用を顕す語であり、後の世の悪魔としてのアスラの大王の名に限らず、
ヴェーダ時代にはインドラと並ぶ威勢を誇っていたとされる太陽神スーリヤや、その他の光明神の異名となっていたことからもそれが判る。
そもそも開祖である釈尊の出身部族であるシャカ族は太陽神信仰をしていた農耕民族であり、
華厳経の語る毘盧遮那仏や、それを発展させたと考えられる真言密教の大日如来は、それらの古代からの太陽神信仰をベースに、
仏陀となった釈尊の智慧を光に喩える中で習合し、バラモン~ヒンドゥーの流れとは別に仏教内のみで発生した概念である、とも考えられる。

一方で、恐ろしげな姿により衆生ばかりか悪鬼、毒竜、暴神をも降す五大明王の様な金剛もアスラの名を持つが、
此方は仏教が大乗仏教から真言密教へと発展しバラモンを駆逐、ヒンドゥーと勢力争いをする中でヒンドゥーの神話を取り込み、
逆に悪魔とされたアスラにディーヴァの姿を執らせることで神々を打倒し、従えようとした姿を顕しているとされる。
結局、インドでは仏教が敗北したものの、ヒンドゥーをも内包した教義はチベットや日本にまで伝わることになった。

【ゾロアスター教】

隣国の古代ペルシャでは、インドとは逆にアスラ=アフラ神属が人類初の預言者ザラスシュトラにより信仰の基盤として見出だされ、
ディーヴァ=ダエーワが悪魔として駆逐された。
ゾロアスター教の主神アフラ・マズダは古代インド神話に於ける最高神格のヴァルナのことであるといい、
その起源を大日如来と等しくしていると説明されている場合もある。

【アニヲタ的には】

三面六臂という非常に特徴あるキャラクターなのだが、意外に採用例は少ない。
その中でもやはりアシュラマンが筆頭であろう。
聖☆おにいさん』では国宝阿修羅像まんまの、憂いを帯びた美少年(三面)で初対面の人にも心配されてしまう阿修羅くん(マンガやラノベ大好き)が登場しているが。
「雷神/インドラ」と対比される存在としては『NARUTO‐ナルト‐』の大筒木アシュラや『はじめの一歩』のランディー・ボーイ・ジュニアなどが有名。

また日本のフィクション作品では国宝阿修羅像が美少年造形なイメージからか女体化されたりヒロインのモチーフになったりすることがあり、
  • 小説・漫画『百億の昼と千億の夜』(作:光瀬龍 漫画版は萩尾望都):少女の姿をした戦士阿修羅王。
  • 漫画『聖伝-RG VEDA-』(作:CLAMP):阿修羅族の最期の一人で性別を持たない子供「阿修羅」(このキャラがモチーフになった『ツバサ』の阿修羅王は女性)
  • 漫画『孔雀王』:メインヒロインの名前が「阿修羅」
等がある。
他の例としてはファイナルファンタジーⅣの召喚獣アスラなどが挙がってくる。遊戯王スピリットモンスターにも「阿修羅」というモンスターがいたりする。

寧ろ、キャラクターその物よりもタイトルや台詞として使われる場合が多い。
アニヲタ的には『修羅の門』とか『阿修羅すら凌駕する存在だ!』とか
たとえきさまを倒せなくても 阿修羅となって戦おう!! この命つきるまで!!』とか。
機動警察パトレイバー』の「ASURA」とか。
尻怪獣……は関係ありません。



追記修正は魔界の王族になってからお願い致します。

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最終更新:2023年08月25日 17:38