風雲児たち(漫画)

登録日:2017/11/08 (水曜日) 15:01:21
更新日:2024/03/24 Sun 14:31:14
所要時間:約 30 分で読めます





『風雲児たち』とは、みなもと太郎による大河歴史ギャグ漫画である。
本項目では続編の『風雲児たち 幕末編』や、作者による各種外伝などにも触れる。


●連載開始の経緯・変遷

時は1979年、作者は潮出版社の雑誌『少年ワールド』から新連載を依頼されていた。
当時同雑誌では横山光輝の『三国志』・手塚治虫の『ブッダ』と2作もの大河歴史漫画が連載されており、「だったら日本史もあっていいんじゃね?」という発想から、「幕末の歴史を五稜郭戦まで描く」との初期構想で開始された。
…が蓋を開けてみると、「幕末の根っこを知るため」として何と関ヶ原の戦い*1からスタート
関ケ原編後、雑誌廃刊により『コミックトム』へと移籍しても延々江戸時代初期の話が続き(大坂冬の陣・夏の陣から大幅に省略されていたが)、忠臣蔵の3ページダイジェスト迄終了して「さあ幕末だ」と思い来や…
何と歴史スキップは江戸時代中期の「明和」年間*2でストップ。その後今度は延々と明和~寛政年間の話が続き、
さすがにそれが単行本12巻分(後に出たワイド版でも9巻分)ぐらい続いた時点で編集部がキレ、「とっとと幕末に行け!」と話を巻きに入らせた*3
…がそれでも江戸時代後期の「文政」年間*4までしかショートカットせず、その後は延々と天保~嘉永年間の(以下同じ)、
ついに編集部の限界が来たのか、「いっそ仕切りなおせ!」と1998年に本作の連載を強制終了。坂本竜馬主役の幕末もの『雲竜奔馬』に切り替えさせた。
がそこでも延々竜馬の青春時代と並行して黒船来航時の幕府の対応な(以下同じ)、雑誌廃刊もあって『雲竜奔馬』は打ち切り。
だが捨てる神いれば拾う神あり。脚本家の三谷幸喜等コアなファンが多かったせいかリイド社の『コミック乱』に拾われ、正規続編にして本来の目的である『風雲児たち 幕末編』が2001年に開始。潮出版社版全30巻も「ワイド版」全20巻として再販される。2020年には休載となり、再開を見ることなく2021年8月に作者が逝去したため未完となった(幕末編は既刊34巻)。

●概要・作風

幕末へと至る歴史の中で翻弄され、活躍した「風雲児たち」の遍歴を語る群像劇
そのため主人公的な存在は多数おり年代や場面ごとに変わる。…まあいっぱい書きすぎるせいで歴史経過が遅くなってるんだけどね(特に幕末編)。
山内一豊の一領具足虐殺等割と歴史の暗面にも触れており、何巻がごとに人の首が飛び、やる気や真面目度があるほど死亡フラグが立つ。
また幕末編で顕著だが、他の作品ではあまり取り上げられない「幕府サイドの細かな対応」を詳しめに描いているのも特徴か。
そして作者の考えからか「民に配慮した行動をした為政者」等が「善玉」、「考え方の枠が狭い人」や「権力へと邁進する人」等が「悪玉」的扱いを受けることが比較的多い。
作者の読んできた参考資料の中には司馬遼太郎や吉村昭等の歴史小説も入っているため、見ようによっては各種幕末小説のコミカライズともとらえられなくも…ないかも。
…だが、本作は同時にギャグ漫画でもあり、作者の画風は「3~5頭身のデフォルメキャラがドタバタするもの」で、本作と並行して学習漫画やエロギャグ漫画も描いていた。
で、結果どうなるかというと、
  • 人が会話中のボケでずっこけるのが日常茶飯事。
  • 地方出身のキャラがよく方言で喋る(全国進出が長いと標準語化する)。
  • 女性キャラがアニメ絵かブサイクの2択
  • 真田幸村が昭和時代の名漫画家「杉浦茂」の画風で描かれる(父と兄は普通のギャグ顔)・幕末編31巻口絵が『サルでも描けるまんが教室』表紙パロになる等、一部において分かりやすい他作品へのオマージュ・パロディ絵が入る。
  • CMからアニメまで時事ネタが多数存在(掲載当時からかなり経過している元ネタも多く読者が理解出来なかったりする為、ワイド版では『ギャグ注』として解説が入る)
  • 大筋は史実準拠だが会話内の単語などが現代風。
  • 難読な名前の人などは良く名前を呼び間違えられる。
  • 初期はみな完全なるギャグ顔で描かれており、肖像絵・写真ベースでキャラデザが興されるようになってもそれらが現存しないキャラはギャグ顔傾向が加速する(長州藩の周布政之助等「肖像画通り」にしてギャグ顔になった例もある)。
  • ↑ギャグ度の傾向はものによって異なるため、ギャグ顔の親とリアル目な子(あるいはその逆)というケースが複数存在する(特に『風雲戦国伝』)。
  • 作者がよく出てきて、登場人物や編集者に突っ込まれる。
等といちいち具体例を挙げるのも面倒くさいほどギャグもふんだんに取り揃えられている。
またリイド社版では本作のファン「工藤稜」によるリアルタッチのキャラと、作者によるデフォルメキャラが表紙を飾っている

●登場人物

前述の通り群像劇なため、キャラをいちいちあげていると日が暮れてしまう。
また河井継之助や近藤勇等、顔見せとして出てきても未だ歴史上の出番まで話が進んでいないキャラも複数存在する。
このため本見出しではリイド社版で表紙を飾ったキャラや本wikiに項目があるキャラをメインとして解説していく。
なお歴史上死亡などで退場しても、物の例えや回想等で顔が出てくることは有ったりする。
また簡便化のため、便宜上「関ケ原~江戸時代初期編」を「第1部」(ワイド版1~3巻)、「明和~寛政編」を「第2部」(ワイド版4~12巻)、「文政~嘉永編」を「第3部」(ワイド版13~20巻)として区分する。


注:以下、内容のネタバレを含むので注意。




●第1部

みんなご存知狸親父(目にもたぬき隈)。ドケチで慎重派。
関ケ原を制し豊臣を滅ぼした天下人にして、生真面目息子に女をあてがおうとしたり晩年「御三家」開祖となる子をこさえたりするノリのいいところもあるお茶目さん。
そして第一部における「だいたいこいつのせい」枠。
作中ではオリキャラの部下をいつも会話相手にしており、その後「部下」の顔に眼鏡を掛けさせたキャラが時代を超えて街の商人・町人の顔としてよく使われていたり。

台詞が全部ひらがなという、見るからにアホそうで優柔不断な裏切り者。
だが死の直前三成・吉継の亡霊にうなされ錯乱し、末期の息で「秀吉にも家康にもいい加減に扱われてきた自分」を嘆いた。
北政所の親戚で小早川隆景(毛利輝元の叔父)の養子だが、外伝『風雲戦国伝』で登場した隆景もなぜか似た様な顔だった。

関ケ原で奮闘しながら敗北し岡山城を小早川にとられ、すがろうとした島津からも追われ島流しにされたかわいそうな人。
だが流された八丈島で小早川の早死を知ってから「生きてこそ」と島で生きることを決意し天寿を全う。後代島流しに遭ったあるキャラの子供が彼の子孫とくっついた。

何かと残念過ぎる十九万石*5の三成と、そんな相方に事あるごとにハリセンをかます眼帯*6吉継。
後に外伝『風雲戦国伝』収録の連作短編『大谷吉継の謎』にて関ケ原までの経緯が描かれたが、そこで判明した吉継の素顔は割と可愛め。

敵陣を突破して関ケ原から帰還した猫髭の親父と、後始末を一気に任されるは宇喜多が逃げてくるわと苦労する羽目になった(でも琉球はゲットした)ナマズ髭の息子。
本作では他の島津4兄弟だの妖怪首おいてけだの家久のDQN話だのが全く出てこないため、家久が分かりやすいやり手として描かれている。
また家久の顔は後代の一部島津家当主にも転用され、幕末編では島津家の末裔で島津斉彬・島津久光の大叔父に当たる福岡藩主「黒田長壽」に受け継がれている。

  • 毛利輝元・毛利秀元
謀将毛利元就の孫ながらお人よし過ぎて祖父の「天下を取ろうと思うな、毛利を守れ」という遺訓を守り切れず西軍トップに祭り上げられた人と、関ケ原で指揮を執った輝元の養子。
だがその人の好さを心配し過ぎた親戚兼忠臣の吉川広家が家康に内通しちゃったせいで関ケ原で身動き取れずに終わり(しかも裏切り者は輝元の叔父の養子な秀秋)。
家康にしたら大大名残す意味もあまりないので哀れ広島城を取られる羽目に…。
幸い吉川の説得で毛利自体は残ったものの、長州は僻地萩へと飛ばされた。それ以来「毛利は年始行事で徳川への復讐を誓っている」という伝説が生まれ、また家康が朝廷へ大名が干渉することを禁じた中、「先祖代々の慣習」だと「朝廷への献金」存続を許された。
大坂冬の陣・夏の陣では一応徳川側だったものの、こっそり部下の佐野道可を特攻隊の如く援軍として大坂へ送っていた。
なお本作だと秀元がそのまま長州藩主になったようにも見えるが、リアルでは幕末編21巻で名前が出てくる「赤穂浪士を厳しく扱った長府毛利家」の初代となっている。
余談だが、『風雲戦国伝』収録の「最後の築城」で一コマだけ出てくる幕末編での長州藩主毛利敬親の養子「毛利元徳」は秀元似の顔で描かれていた*7

  • 徳川秀忠
ある意味父以上にたぬき目な2代将軍。
色んな意味で強すぎる父や、気の強い妻(本作では通常使われる「江」「江与」ではなく「達子」名義)に頭の上がらない不器用な将軍だったが、
侍女「静」との触れ合いで成長していき、彼女との一夜の逢瀬と別れから一気に凛とした支配者として独り立ちした。
引退後に静との間の子保科正之と対面するも、そのとき既に彼女は他界しており、正之から渡された位牌に対し「徳川秀忠の妻」とたむけの言葉を授けた。
ちなみに作中ではっきりと出番がある彼の子供は家光・正之のみで、娘の千姫(豊臣秀頼と政略結婚させられ、彼の死後本多忠勝の孫と再婚)はキャラ絵と説明のみ、家光の弟忠長はナレ死で済まされている。

  • 保科正之
秀忠と静との間に生まれた息子で、異母兄な3代将軍家光以降の徳川・松平家には受け継がれなかったたぬき目を形を変えてだが受け継ぐ最後でもある会津松平家開祖。
幼くして別れた母から「徳川に忠誠を尽くせ」と教えられ、ひょんなことから弟のことを知った家光によって父子対面を果たしてからその教えを生きたものとして人生の理由にした。
その後は家光、そして死の床についた家光に託された4代将軍家綱下での「大老」*8として活躍。火事で燃えた江戸城天守閣をあえて再建しなかったり、『風雲戦国伝』で龍造寺家の末裔を引き取り鍋島家を救うなど仁政を敷き、同時に会津藩を強国とし自らと子孫たちの宗教を神道にした。
彼の徳川への忠誠はある意味熱すぎ、遺言として残した家訓は「徳川に忠誠を尽くせ」「もしこれを守らないなら、そのような藩主は我が子孫ではなく藩の者達は従うな」。
その忠誠心と神道信仰からくる尊皇精神は彼の血そのものが絶えた幕末においても、家名を継ぐ養子の養子な会津藩主松平容保へと受け継がれていく。…がその果てに鍋島家のアームストロング砲が鶴ヶ城にぶち込まれる悲劇かつ皮肉な未来が待つのは未だ知る由もない。
ちなみに史実では山鹿流開祖を学問の違いから赤穂に追放しているのだが、それ書くといい人イメージがぶち壊しになるせいかスルーされた。

若い時でも水戸黄門顔で出てくる水戸藩主(口調のモデルは東野英治郎版)。
兄を差し置いて藩主となった事などから尊皇思想にはまり、「水戸学」開祖となった。それが幕末水戸に混乱を及ぼすことも知らずに…。
『大日本史』制作時「助さん(佐々介三郎)・格さん(安積覚)と共同作業で編纂を進める」という後の大河ドラマ『葵徳川三代』を彷彿とさせるシーンになった。


●第2部

  • 前野良沢
江戸在住の九州中津藩の蘭学医。彼が長崎を発つところから新章はスタートした。
「洋書は輸入されるが言語教育は全く進んでいない」という過酷すぎる状況の中、杉田玄白らと「ターヘル・アナトミア」の翻訳を開始し、その過程で西洋の言語習得にはまっていく。
また頑固というか真面目というか自他共に厳しい面があり、それが祟って「解体新書」翻訳者に名前が載らず(主君の奥平昌鹿にはお褒めの言葉を頂いた)、後半生は偏屈で人間嫌いな面が強くなった。また翻訳中に娘の一人、晩年に息子を亡くしている。
死後は人々から忘れ去られていたが、明治時代奇しくも同じ中津藩の福沢諭吉(彼も本編では良沢のことを知らなかった)が杉田の回顧録「蘭学事始」を発見したことで歴史に残ったという。
作中での髪型は後世の緒方洪庵似だが、実写版では原作で殿に会う時だけだった髷を常時結っており、また長崎で入手した辞書が「オランダ語辞書」から「オランダ・フランス語辞書」に、アルファペット表説明が「25文字」になると史実よりの修正がされていた。

  • 杉田玄白
チビ太顔で坊主だがこれでも良沢より10歳年下な福井小浜藩の蘭学医。
良沢が苦労して探した「ターヘル・アナトミア」をあっさり入手しており、良沢らと共に「下人」*9による人体解剖の様子を見学し、同じ藩の中川淳庵と共に翻訳の共同作業者となる。
社交的で人付き合いがよく、解体新書発売前にダイジェスト版を発売して様子を見てかつお偉いさんからの保証も貰い、平賀源内等友人にも恵まれ、翻訳途中に何と41歳(当時の感覚では「50~60で結婚」的感じ)で結婚。
一気にリア充となり、障害を抱えていた息子は早逝するも娘に婿を取らせ跡継ぎとした。また妻の晩年には伊代ちゃんという16歳の彼女もゲットし後妻とした。
「解体新書」発売後は蘭学の大家として君臨し、良沢との共同の弟子にあたる仙台藩の大槻玄沢等門下生にも恵まれ、早死にした源内や淳庵から良沢まで友人たちの死を見てから天寿を全うした。また幕末編にはちょっとだけ伊代との間の子孫が登場している。

  • 高山彦九郎
上州の裕福な庄屋(郷士*10)の次男坊であり、この時代には珍しい熱烈な尊皇主義者(家に「先祖は新田義貞の家臣」伝承があった)。
江戸に戻って来た良沢を助けたことで彼と知り合いになる。
弱きを助け悪をくじきたい「正義の人」であり(なので福祉活動も行っていた)、文武両道にして天皇陛下を崇敬してやまぬ布教者で、学者からばくち打ちまで広い交友関係を持つが、兄から見るとすねかじりでいかがわしくもあるニート。
また勢いで行動する面が強く、
  • 変死を遂げた父の敵を「悪徳領主」と定め剣術修行に励む(これが良沢に会った時期)→師匠に「殺人は家族も連座して処刑される」と言われ断念
  • 道端で暴漢に襲われる女性を助ける×2→定職にもつかないのに2人の妻や子に恵まれる
  • 最大の応援者であった祖母が他界→「古来の風習」と称して何と3年間も小屋に籠もり喪に服す
と自らの信念のもとはたから見るとよくわからん行動を行う。なので林子平や旅の最中すれ違った尊皇学者蒲生君平と共に『寛政の三奇人』と後世呼ばれるようになった。
だが旅の最中飢饉による惨状を直視し自らの無力さを痛感し、あまりの手におえなさで悪徳領主と兄に嵌められ故郷を追われと心身共に追い詰められていく。
そんな中天皇家に尽くす絶好のチャンスを手に入れ九州を旅するも、それが「尊号一号事件」としてパーになったため絶望。友人宅で衝動的に腹を切り力尽きた。
その特徴的なキャラは幕末においても人々に語り継がれ、九州を中心に人気の高い人物に。そして墓に刻まれた「松陰以白居士」の名が、後にある長州藩士へと引き継がれていく…。

  • 林子平
江戸生まれの仙台藩士。姉が仙台藩主の側室となった(も早逝)事で医師の養父(叔父)や兄と共に仙台藩に属する様になった。
次男坊(部屋住み)という肩身の狭い境遇ながら、世の苦しみを憂い同じ仙台藩の先達工藤平助(良沢らとも知り合い)の影響を受け様々な学問を学び知識を深め、各地を旅し見聞(と夜の楽しみ)を深めていく。
だが彼の意見は往々にして藩に受け入れられず(そのせいで一旦職につけたのにあえて部屋住みに戻っている)、鬱屈としたものを抱えながらも旅を続け、玄白や高山等知り合いを増やしていく。
その過程で長崎出島のオランダ商館長と知り合いになり日本が「海国」であること、いつ西洋諸国が来てもおかしくないことを悟り、生涯をかけて「海国兵談」を執筆することを決意。
処女作『三国通覧図説』が売れなかったため自力でカンパ等をつのり木版印刷用の版木代を捻出し、病身となりながらも『海国兵談』を自費出版…するも時の老中松平定信によって禁書とされ版木は全焼。
幽閉先で残された原稿を元に筆写本を数部製作するもひっそりと他界した。だが杉田の後輩蘭学医桂川甫周*11によって海外輸出された『三国通覧図説』が後の黒船来航時思わぬ形で日本を救い、幕末には禁書処分も解かれた。
後述する実写版では高木渉が演じた。

  • 平賀源内
玄白の友人な讃岐高松藩出身の浪人学者。一番の夢は博物学だが他にも広告から歌舞伎にエロ小説、山師まで幅広く手掛けている。
側室をあっせんした事で老中田沼意次をバトロンにし、彼のバックアップの元より行動範囲を広げ各地で活躍(失敗することもままあったが)。
またその過程で画家の鈴木春重(後の司馬江漢)や秋田藩主佐竹義敦と藩士の小田野武助(直武)に「洋画」のイロハを教え、小田野を杉田に紹介し解体新書の挿絵担当にした。
だがエレキテルの失敗などで精神的に追い詰められていき、最期は殺人事件を起こし獄死した。

  • 田沼意次
第2部前半での老中で相良藩主。8代将軍吉宗の代からコツコツ頑張って一代で譜代大名にまで出世した。
農政重視すぎる幕府の方針に行き詰まりを感じ、源内への支援などによる蘭学普及や経済面重視政策、工藤平助の著書の影響を受け蝦夷地探索・開拓計画を立案する等奮闘。
だがその「早すぎた」政策は保守派からの恨みを買い、まず期待して若年寄にまでした息子意知が殿中で深手を負い死亡。それでもめげずに奮闘するも、10代将軍家治の死や不運にも重なった自然災害で立場と民衆からの支持を失い、
養子に出した息子を叩き戻され、住み慣れた土地相良をも追われせっかく立てた城も壊され孫に代を譲らされと一気にどん底に落ち、失意の中他界した(相良の地「だけは」後に叩き戻された息子の手に戻ってきた)。
幕末編に子孫が出てくるフラグが立っているが、未だその時期には達していない(チョイチョイその事件に関しては話が出てきており、作者もちゃんと取り上げたい題材としている)。

  • 松平定信
吉宗の孫で白河藩主な「定信ちゃん」。そして第2部の「だいたいこいつのせい」枠。
御三卿田安家に生まれながら一橋家の干渉と田沼のよけいなお世話(定信視点)のせいで白河に追いやられ、田沼の政敵となる。
彼なりに世の中を良くしようと真面目だったのだが、いかんせん朱子学(幕府公式学問)オンリーでかつ武士至上主義者なため、どうも民衆に上から目線で色々と押し付けてしまうタイプ(民が生きてりゃそれだけでいい的な)。
田沼を追い落とし老中となるため、11代将軍家斉の実家である一橋家にも田安家当主*12を出してもらう等で信用を勝ち取り、老中首座として「寛政の改革」を敷く。
…が、将軍の夜の生活から民衆の娯楽まで厳しく取り締まる節制政治で段々飽きられていき、「寛政異学の禁」等思想統制もがっちり行い林子平らを追い詰めた。
「尊号一号事件」ではそれに乗じて父に「大御所号」を与えようとした家斉を牽制する意味も込めて朝廷に厳しく対応するも(これで高山の命を知らずに縮めた)、それで家斉の不興を買い力が低下。
しかもその後ラックスマンに連れられ大黒屋光太夫が帰還したことでさらに微妙な事になり、結局老中を辞めさせられ元の藩主として天寿を全うした。
また晩年には思想家頼山陽*13から自筆の史書『日本外史』を献上されお墨付きを与え、幕末に同書が佐幕・尊皇問わず広く読まれる切っ掛けを創っている。
その後皮肉にも、彼の子供で松代藩を継いだ真田幸貫が蘭学者佐久間象山を引き立てていく。また孫で備中松山藩主となった板倉勝静が幕末後期の老中として幕末編28巻(名前のみ18巻)に登場。そしてこのまま進んでいけば、恐らく彼の家名を受け継いた桑名藩の藩主も…。

  • 大黒屋光太夫
伊勢の商家「大黒屋」に生まれ、学問をよく学びつつも千石船の船頭となった町人。
田沼時代末期に船が遭難し、何とロシア近海の島に漂着。そこで現地の島民やロシア人と知り合いになる。
強いリーダー力を持っており、日本に帰るべく仲間を連れロシアを彷徨。
次々と死んでいく仲間たちや、貴重な日本語教師を欲しがるロシア側の思惑等に翻弄されつつも、
博物学者キリル・ラックスマンと知り合うことで少しづつ道が開け出し、当時のロシア女帝エカテリーナ2世と対面。
キリスト教に改宗してしまった仲間2人(うち一人は所帯を持ち、『三国通覧図説』ロシア語訳に貢献した)を残し、ラックスマンの息子アダムに連れられ何とか日本に帰還することに成功した。
だが鎖国下において帰還だったため厳重な取り調べがされ、解放後も生き残った最後の仲間と共に生涯江戸に留め置かれ、所帯は持てたものの伊勢には一時帰国しか出来なかった。*14

  • 最上徳内
田沼が派遣した「蝦夷地調査隊」に同行していた人夫。学問好き高じて当時の著名な算学者本多利明の所に住み込みで働き学んでいたためこのチャンスを得た。
蝦夷地では本職の武士たちに負けない程調査に励み、何と現在の北方領土域まで探索。
だが蝦夷地を治める松前藩の負の面(アイヌ虐待等)も知ったため松前藩のブラックリストに入れられた。
調査結果を報告しに行った調査隊の武士たちが、松平定信の不興を買い次々刑死・獄死していく中、独り蝦夷地調査再開のため奮闘。
そんな中津軽で「ふで」という嫁さんもゲットしたり、再び江戸に出て一時投獄されたり苦労の日々が続くも、蝦夷地のエキスパートな事を買われめでたく正規武士として採用。
度重なる苦難の日々で図太くなったのか、出世欲旺盛な新しい上司近藤重蔵*15とタッグを組み蝦夷地調査を再開。調査から外されることもしばしばだったがそれでも働き続けた。
晩年にはシーボルトとも面会し、家族に囲まれ天寿を全うした。

  • 伊能忠敬
後半生のすべてを賭け日本地図を制作した男…なのだが、時期的に編集部からのまきが入っていたため、ダイジェスト的な説明で出番は終わった。
だが彼の遺した地図が国家機密指定されたことが、後に彼の恩師の息子を「シーボルト事件」で死に追いやってしまう。


●第3部

  • フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
ドイツはバイエルン王国出身ながら、日本知りたさに国籍を偽装し、「高地オランダ人」として来日した医師。
学生時代決闘好きだったため、顔に名誉の傷が多数刻まれている。
長崎の鳴滝に病院兼塾「鳴滝学舎」を設け、高野長英や二宮敬作・伊東玄朴といった若き医師たちに蘭学医術を教え、一方で長崎丸山遊郭で働いていたお滝と半同棲生活を送るようになった。
オランダ商館長が5年ごとに行う江戸への旅に付き添い、最上徳内や蘭学好きで浪費家な薩摩前藩主島津重豪*16と対面したり日本の貴重な資料を収集するも、オランダ帰国の際に極秘で持ち出そうとしていた伊能忠敬の日本地図(国家機密)や葵の羽織(重要文化財並みの扱い)がバレた所為でスパイ容疑で取り調べられ「シーボルト事件」とされる一大スキャンダルに発展。
結果国外追放処分となり、取り調べ中に生まれた娘イネとお滝に鳴滝学舎等財産を残し日本を追われた。
…念のために隠し持っていたスペアの日本地図や江戸城の見取り図を携えて。
帰国後はもう一度日本に行き妻子と会うため日本の情報を広める博物学者となり世界を奔走。
その過程で親に説得され再婚し子沢山家庭を築くもイネたちのことは忘れず、ロシアのブチャーナンへと「平和的開国路線」の夢を託し、アメリカのペリーにも「そんな手ぬるいことできるか」的ではあるが影響を与えた。
幕末編18巻では開国後何とか再来日に成功し、かつての妻(既に再婚した後未亡人に)と愛娘(と孫)に息子アレクサンデルを引き合わせ、二宮ら弟子たちとも再会した。
が開国が進んだ情勢下で彼の立場は微妙であり、結局28巻で在日英国公使館に就職した息子を残し再び日本を追われてしまった。

みんなお馴染「遠山の金さん」。本作では「金さん」のノリで史実準拠の活躍をしている。
史実よりなので鼠小僧を味方につけたりはしないが、鼠小僧が処刑された後墓前で「見せしめにまでなる罪ではなかったんだ(意訳、死罪にはなるけど)」と少し同情していた。

  • 間宮林蔵
伊能の日本地図製作や幕府蝦夷地探索に協力し「間宮海峡」を発見した探索者にして幕府に仕える隠密。コツコツ仕事して地位を得た所為かやり手だがきつめの性格。
そのせいでシーボルト事件の時「かつての上司*17を売ったのか」と疑われた。
歴代の上司には遠山金四郎の父遠山景晋や後に鳥居耀蔵の手で陥れられた旗本矢部定謙、後に対ロシア外交に奮闘する川路聖謨等がおり、また水戸藩への外国船来訪事件の調査で水戸藩に、晩年には友人の息子榎本釜次郎(後の武揚)に影響を与えた。
ちなみに遠山景晋への報告の中で、「刑未決・捕縛時死亡犯罪者等の遺体の塩漬け保存」という当時のルールを塩漬けの方法から説明し景晋にドン引きされた(後にガチで塩漬け保存された実例が出てくる)。

  • 高野長英
東北は水沢藩出身の蘭学医。
結構俺様な性格で、許嫁を捨ててまで江戸へと昇りシーボルト等から学問を学んでいき、事件時にはその前「日本地図の蘭訳」という危ない仕事をさせられていたせいかとっとと逃げて難を逃れた。
活動を続ける中、渡辺崋山等先見の明を持つ人々と現代で言う学術団体にあたる「尚歯会」に参加し議論を重ねていく…もその海外寄りの考えを疎んじた鳥居耀蔵の「蛮社の獄」で終身刑を受けてしまう。
しかし数年後何と牢を人に燃やさせて脱獄。しかしその直後鳥居が失脚し、また「脱獄」・「放火」と罪を重ねた所為で完全なるお尋ねものとなってしまう。
その後は各地を放浪し(その過程で二宮敬作の住む宇和島藩に兵術書の翻訳を残した)、その果てに妻子と再び住むため江戸に帰還し顔を焼き別人となり家族と過ごす。しかしあえなく見つかりワイド版ラストで憤死し、妻子も罰を受けてしまった…(幕末編10巻では娘の末路らしき逸話が語られている)。

  • 渡辺崋山(登)
貧乏な田原藩三宅家(「三宅坂」の由来)に仕える側用人で、身分は高いが貧乏なため「崋山」の雅号で絵を売って生計の足しにもしていた。
貧乏脱出するため学問や絵画の道を学ぶもそれをより深く学ぼうとして「家老になれる家系の跡継ぎだろ」と拒絶された過去を持ち、それでも何とか藩のために奮闘したりうまくいかず酒浸りだったりしたときに長英達と出会い「尚歯会」に参加する。
だが「尚歯会」で書いた論文『慎機論』が鳥居耀蔵に目をつけられ、「蛮社の獄」で国に強制送還・謹慎刑となり、絵を売って糊口をしのいでいたらそれも陰口叩かれ、追い詰められた果てに自刃。皮肉にも没後の幕末期には彼の絵にプレミアがついていた。

  • 鳥居耀蔵
金さんと対立する町奉行にして、第3部の「だいたいこいつのせい」枠。
幕府認定の朱子学者筆頭「林家」出身なゆえの攘夷思想・微妙な家庭環境が影響してるかも知れない屈折した人格・そして出世欲の増大と陰険な性格から平然とライバルを蹴落とし裏の殺し屋を使うことを厭わない恐ろしい官僚として君臨。
老中水野忠邦の元「蛮社の獄」・「天保の改革」で粛清政治を行い、「上知令」等と無茶な(幕府力向上目的だったが)法令を提案した水野をも裏切るも、その嫌われ過ぎた行動等から水野の後釜となった阿部正弘や一時復帰した水野等により失脚し、丸亀藩での幽閉刑に。
そして皮肉にも自分が最も見たくなかった文明開化の明治時代に解放され(というか出て行ってくれと帰され)、自分の行いを全く反省しないまま家族に看取られ天寿を全うした(つまり幕末編の間中ずっと鳥居は丸亀で健在)。
余談だが、本作ではスルーされているが史実では幕末編4巻に登場する「林大学頭」は弟、幕末編で非業の死を遂げる外交官僚岩瀬忠震・堀利煕は甥にあたるそうな。

  • 江川太郎左衛門英龍
伊豆の「韮山代官」(伊豆地方等の統治者)であり、「尚歯会」のメンバーでもあった蘭学者。若かりし日お忍びで神道無念流の剣客斎藤弥九郎と旅をして治安維持に回っていたという過去を持つ。
ワイド版ラストでは浦賀に現れ勝手に測量を始めた英国船マリナー号との交渉を担当し、幕末編では黒船来航後阿部正弘から「台場(砲台用人工島)」建設を依頼され、突貫工事かつ不完全ながらも(後に蔵六に全否定された)なんとか完成。
他にも地元に反射炉を築いたり民兵を育成したり新型の大砲弾を設計する等奮闘し、中浜万次郎を支援し彼に嫁を世話したりするも、激務によって斃れ過労死した。
なお「太郎左衛門」という名は江川家当主が代々襲名するもので、他の当主(彼の息子等)と区別する時は諱や号の「坦庵」で呼ばれる。

  • ジョン万次郎(中浜万次郎)
10代なのにごつい顔をした土佐の漁村中浜の漁師。屋号とかもないただの漁師なので最初はただ「万次郎」だった。
先輩漁師たちと共に海で遭難し鳥島まで流され、さらにその後アメリカ船に拾われハワイまで連れていかれ、親切な船長と共に先輩たちをハワイに残しアメリカへと旅立つ。
アメリカで小学校生活や捕鯨船乗り、砂金掘りと奮闘して帰国のための金を稼ぎ、ハワイで帰りたがっていた先輩2人を拾ってアメリカの本などを持って何とか帰還。
だが帰還先が薩摩支配下の琉球王国だったためまず薩摩藩へ回され島津斉彬に助けられ、さらに長崎経由で土佐での事情聴取を受け時の家老吉田東洋に影響を与え「中浜万次郎」として武士に。
さらにその後幕府の旗本となり、「アメリカ帰り」(≒スパイ疑惑)で「元漁師」という2重苦ゆえに捕鯨計画を没にされる等冷遇されがちだったが、江川太郎左衛門等後援者もいたため何とか過ごしていき、咸臨丸の通訳にもなった。

  • イネ・シーボルト(椎本イネ)
明らかに場違いな金髪縦ロールをしたシーボルトの娘。色気が少ない歴史漫画という都合上、用が無くてもサービスとして表紙に出たりする。
父の面影を追うゆえに、保護者的存在だった二宮敬作の元産科医になることを決意。幕末編1巻冒頭ではその一環として父の弟子のひとり石井宗謙へと弟子入りした。
が、故郷に帰るとき宗謙に押し倒されそのまま妊娠。長崎に帰還後娘を産みシングルマザーになった。
その後二宮敬作の住む宇和島で、宗謙の元を出る時すれ違った村田蔵六の教えを受けるようになり、思慕の感情を抱くようになる。
また父を「最高の医者」だとずっと思っていたが、彼と再会した時医師業を廃業していた事にショックを受け、それから父への態度が微妙に冷たくなり、結果的に永遠の別れになる直前も「娘の婚約者を獄から助けてくれ」の方が先だった。

  • 阿部正弘
備後福山藩主であり、水野忠邦の後釜に座った穏健派老中。
外国船の来訪が頻発する危険な情勢下、何事にも事なかれ主義が大勢を占める幕府の状態を変えるべく外様の先進派と密かに情報交換を重ねたりと策動を開始。
その一環として島津斉彬が藩主につく手助けや、水戸家から一橋家へ後の15代将軍慶喜を養子に出させたりした。
幕末編では黒船など開国交渉と、それに反発する各勢力の調停に奔走していたが、そのさなか病に倒れ他界。以降情勢は危険度を増していく…。
ちなみに作者からは「彼が孝明天皇からの海外脅威を恐れる手紙に厳しく対応してたら朝廷の顔を伺うような時勢にならなかったかも」(意訳)とも評されていた。

  • 勝海舟(麟太郎)
ハチャメチャな父小吉の期待を一身に受け、貧乏から脱出すべく剣術(直心影流)や蘭学に励んでいく貧乏御家人。作中では通称の「麟太郎」で呼ばれることが多い。
なお父の実家は剣術の名家「男谷家」(先祖は武士身分を金で得た盲人)で、親戚で著名な剣客だった男谷精一郎は江川らとの縁から中浜万次郎に嫁を斡旋していた。
苦労しながらも何とか蘭学者として多少身を立てられるようになっていった頃佐久間象山と知り合い、妹の順子と佐久間が結婚したことで姻戚関係となる(「海舟」も象山の書が由来)。
幕末編では象山や松陰と共に黒船を観、阿部正弘が全国より募った意見書応募に投稿したことがきっかけで海軍関連の役職に就けるようになる。
だが船酔いに致命的に弱く、咸臨丸の航海時には荒天と病み上がりだったせいもあるのかダウンしっぱなしで福沢諭吉などから呆れられた。
少年時代12代将軍徳川家慶の早逝した息子初之丞(慶昌)の遊び相手だった時期があり、その記憶により14代将軍家茂と初謁見した時若き彼に初之丞の面影を重ねてしまい、失望しかけていた幕府への忠誠を「家茂のため」取り戻した。

  • 吉田松陰(寅次郎)
長州藩の若き山鹿流軍学師範。ものすごく簡単な顔をしており、真顔以外では口が半開きになっている。
また女っけをあえて生涯寄せ付けず、旅の途中で友人が宿の女性を差し向けても彼女にガチ講義をするほど真面目。浮いた話と言えば獄中で年上の未亡人と歌仲間になったくらいであった。
本来ならインテリなのだが、様々な経験から「有言実行!当たって砕けろ!自分の命など周りの危機のためなら二の次!」的な行動回路になってしまい、スローガンは21回も牛…じゃなかった「二十一回猛士」(名字からの漢字パズル)。
なお「松陰」と呼ばれるのは地の文と自身にその号をつけた時くらいで、目上の人間からは終生「寅次郎」、教え子からは「吉田先生」と呼ばれた。
死んだ叔父の後を継いで杉から吉田姓となり(でも実家住まい)、幼い頃から師範となるべく叔父玉木文之進から超スパルタ教育を受けて育つ。
早くに殿への講義や沿岸での軍事演習指導をしたりするも、10代後半で先輩学者からアヘン戦争等外国の脅威を教えられた衝撃で興学意欲を増していき旅に出、江戸で佐久間象山等の弟子になる。
だが幕末編1・2巻で、何と「友の仇討に縁起のいい日に旅立ちたい」というだけで脱藩、東北旅行で高山彦九郎の軌跡や会津藩の風土等を学ぶも江戸で拘束され、帰国後軍学師範をクビになる。
まあ長州藩主に気に入られていたため「父の育み(正武士の部下)」として何とか最悪の事態だけは免れ諸国遊歴の旅に出るも(その頃友が仇討ちしなかったのを知りさらに有言実行力を強化)、黒船来航で危機感を強めすぎ、翌年黒船密航を図ってしまう。
もちろん(?)失敗し自首したが、象山が連座して松代に強制送還され共犯となった弟子が獄死すると酷い事になる。
だが故郷で入った牢で囚人たちと学びあう思わぬ成果を発揮し、杉家での蟄居刑まで処分が緩められた。
実家に帰った後、囚人仲間の冨永弥兵衛(有隣)を誘い叔父がかつてやっていた「松下村塾」を再興させ若者たちと学びあうも、安政の大獄下でまた危機感を強めすぎ「老中砲撃」等とんでもない事を計画し弟子をも巻き込んだためまたもや投獄。
最終的にかつて会った詩人梅田雲浜が死の間際に言った証言から大獄の対象として江戸に連行され、いらん事を言い過ぎた所為で処刑決定。
「公開用」・「家族用」と辞世の句・遺言を残し清々しい態度で斬首された。

  • 佐久間象山
天上天下唯我独尊を地で行くような松代藩の蘭学者。有能な子がほしいと妾を複数取るも、育ったのは一人だけだった。
当時の藩主真田幸貫に引き立てられ見分を増していき、江戸で塾を開き吉田松陰や長岡藩の河井継之助、小林虎三郎等が学んでいった。
黒船来航時なぜかペリーに会釈されたり、「開港場所を横浜にしよう!」という提案をしたりするも、密航事件を起こした松陰に歌を送っていたせいで連座してしまい松代で軟禁刑に。だが理解者が藩に残っていたため情報面では自由な立場に置かれた。
その一方で後に彼を殺すことになる熊本藩士は、桜田門外の変後熊本藩邸に自首してきた犯人たちの武勇伝を聞いていた…。

後に「西郷隆盛」として世に知られることになる薩摩藩の下級武士。
純粋に世を憂い、弱きを助け悪を正したいと熱烈に思い行動に移す大人物で、幕末編ではその一途さを島津斉彬に見いだされ、彼の元で様々な事を学んでいく。
またその人望ゆえに周辺に大久保ら同年代の若者たちが集っていき、後世「精忠組」と呼ばれるグループが誕生した。
適塾OBの橋本左内とも仲良くなるが、同時に水戸藩の重役藤田東胡との出会い等から尊皇思想にも強く染まっていき、斉彬の死後彼を嫌っていた前藩主斉興に殺されようとする僧侶月照と心中して自分のみ生還。別人として奄美大島に飛ばされる。
国事に奔走していたせいで知らぬ間にバツイチとなっており、奄美大島でひと時所帯を持った愛加那(ハニー)とも「島妻は本土へのお持ち帰り禁止」の藩法から彼女に畑と家を残し別れている。

  • 大久保一蔵
後に「大久保利通」として世に知られることになる薩摩藩の下級武士で、西郷どんの親友。
父親が「高崎崩れ」と呼ばれるお家騒動で島流しに遭っており(後に赦され帰還)、その経験から幕末編では例え西郷の好みでなくとも堅実に信用と策を積み重ねて力をつけていく道をたどるようになる。
西郷の島流し後「精忠組」のまとめ役となり、藩の実質的トップとなった島津久光に取り入り彼の配下として活動するが、それは時に同志を見捨てる過酷な道でもあった。
その策は段々えげつなくなっていき、久光主導の上洛が法的に無理なのを西郷にツッコまれても押し通し、上洛直前には態々江戸藩邸を炎上させ幕府をごまかし(この時既に2児の父)、
その無理が京で露わになっても偶々出会った岩倉の協力等で「勅使護衛隊薩摩武士団」と名目を得ることに成功した。

  • 島津斉彬
曽祖父島津重豪の薫陶を受け、この時代の大名には珍しい心広さと先見性で日本を変えていこうとした薩摩藩主。琉球は薩摩のもの&壁扱いだけど。
だが重豪の築いた天文学的借金がトラウマになっていた父島津斉興に疎まれ、藩主になる前「お由羅騒動」・「高崎崩れ」という凄惨な事件が発生、幕末編1巻では阿部正弘のとりなしにより何とか藩主となれた。
幕末編では阿部や大叔父黒田の協力の元開明化に励み、13代将軍の後釜を徳川慶喜にすべく篤姫を嫁がせたりした。
が混沌とする情勢下で出兵を決意した後、謎の急病にかかり他界。諸々の事をやりかけにしたままになってしまった。

  • 村田蔵六
後世「大村益次郎」と呼ばれるようになる、技術に萌えを感じる長州の村医者。医学を学ぶため漢学者広瀬淡窓の塾や大阪で緒方洪庵が拓く「適塾」で学んでいく。
幕末編では故郷に戻り結婚するも生来の無愛想と技術オタクな面からか流行らない医者をやっていたが、宇和島藩にスカウトされ蘭学知識を生かして蒸気船開発や砲台建設、洋書翻訳と活躍し、イネと親交を深めていく。
だが女心が分からなすぎるせいか、「自分とイネはやましい関係ではない」ということを証明するためだけのために妻を呼び寄せむしろ大目玉を喰らった。
また宇和島経由で江戸に出、塾を開いたり幕府に出向したりと活躍、そんな中長州藩士の桂小五郎と知り合い、桜田門外の変後長州藩に仕えるようになる。

本作で最初に登場し、ワイド版ラストを飾りもしたキャラながら、ぶっちゃけ歴史が彼の活躍する時期まで進んでいないため出番の少なめな洟垂れ風雲児。
なにせ脱藩したのが幕末編28巻(2016年、事情が語られたのは30巻)になってからなので…(幕末編18巻では彼のエピソードが挿入された時「余談というかサービス」と言われていた)。
近所に住むアゴ~じゃなかった武市半平太と仲が良くその縁で「土佐勤皇党」に入り、武市と同時期だった江戸留学時代には千葉道場の娘で振袖剣士な千葉さな子ともラブコメ的展開を見せている。
当時の武士としては異常におおらかで呑気な思考回路をしており、黒船を欲しがったり、喧嘩と時計ドロをやらかし武市に切腹を促されてしまった知人のため時計代を賠償し彼を箱館に逃がしたり*18している。
ちなみにワイド版1巻時点では『冗談新選組』の土方歳三や同じ作者の『ホモホモ7』と似た顔だったが、後に本格的登場をした時より童顔風にリデザインされた(土方の顔も幕末編で真面目そうにリデザインされている)。

  • 武市半平太
竜馬と何かと縁のある土佐藩の「白札」階級の下級藩士。『雲竜奔馬』で竜馬(及び読者)に「武士の常識」を説明する等真面目で堅いが、ことあるごとにアゴをいじられている(一応彼自身が描いた自画像も一回だけ引用されている)。
故郷では岡田以蔵を弟子に取る道場主で、江戸でも鏡心明智流を極めた文武両道の秀才であり、他のキャラ陣から見ると珍しく浮気一つしない愛妻家。
尊皇思想に燃え江戸留学終了後、藩を改革すべく竜馬ら郷士達を束ね「土佐勤皇党」を立ち上げ、代表として藩を変えようと奮闘したり各地を巡るようになる。
だが幕末編30巻で藩を尊皇派にするため、脱藩前な竜馬の「よそに影響されてどうする」「自分を慕う若者を人殺しにする気か」等の言葉をスルーし、開国主義のタカ派参政吉田東洋を暗殺させ、一気に藩を自分のシンパたる尊皇派上士達による政権に。
その先で作者に「暗殺の黒幕」と揶揄されるほど以蔵等に「天誅」を煽っていく未来も知らぬまま…。

  • 岡田以蔵
土佐藩の若き足軽。初登場時等は金持ちの坂本家に怒りを抱いて竜馬に襲い掛かって来たが、斬りかかってもなおなお抵抗せずに、「自分の怒りを言葉にしてみろ」と説得されて竜馬と語らううちに、竜馬と親友になりそれ以降は「竜馬さん」と呼ぶようになり、その後は武市を大好きな愛弟子となった。
だが武市の事が好きすぎるのだが、京都で武市が天誅を実行した田中新兵衛の方を構った際、孤独を抱え一人取り残されてしまった。
衣装は最初いかにも貧乏そうなボロいモノだったが、武市の行動が先鋭化していくにつれ、どこか殺気を漂わせるような黒い羽織袴へと変化している。
後に「人斬り以蔵」等というありがたくない異名を頂くことになるが、『日本剣客伝』では人斬りとなった後、死ぬ数か月前の意外なエピソードが語られている。


●幕末編

  • マシュー・カルブレイス・ペリー
4隻の「黒船」を従えて日本に現れ、「幕末」の扉を開いたアメリカの東インド艦隊提督。
一般武士から見ると「いきなり現れたとんでもない奴」だが、本人なりにオランダ経由で幕府に事前通知を行ったりしており(幕府が情報封鎖したけど)、恫喝的なのも過去やんわり言ってことごとく拒絶された海外船の失敗も込みだった。
2度に渡る砲艦外交で何とか幕府に「日米和親条約」を結ばせるも、帰る前に松陰と弟子が密航志願に来訪。「日本との関係悪化」・「スパイ疑惑」等から拒絶し送り返した。
帰国後は日本での回顧録を執筆し、ボーハタン号で運ばれてきた日本の「遣米使節団」(その付録が咸臨丸組)が彼の自宅を訪れたときには既に他界していた。実はズラ
ちなみに初来航時現場要員や噂を聞いた武士達は慌てふためいたものの、庶民には気楽に観光ライクで見に来る連中もおり、その様子をみて唖然としていた。

  • 徳川(水戸)斉昭
11代将軍家斉と一橋家が片っ端から子供を親藩等に配り大名家を一橋家色に染めていく中、奇跡的に一橋色に染まらずに済んだ水戸藩9代藩主(黄門様の兄の子孫)。髭が好かれない時代ながら威厳をつけるため髭を生やしている。
水戸藩沿岸にすら海外船が来訪するような情勢下で富国強兵政策を取り、企画倒れに終わったが間宮林蔵の影響で蝦夷地開拓計画も打ち出すも、水戸学が行き過ぎて廃仏毀釈を実行したため本編登場前に隠居させられ、長男の慶篤に藩主の座を譲っていた。
本編登場時には老中阿部のとりなしで隠居ながら政治の世界に復帰していたが、過激な尊皇攘夷思想により幕府の悩みの種となり、海外交易プランも「俺が日本でいらなそうな人材を連れて海外で開拓の如く行う!(意訳)」等という虫の良すぎるもの。
しかも途中で腹心の藤田東胡が安政の大地震で母を助けた代償として他界し、穏健派の阿部も死去することでブレーンや緩衝材を失い迷惑親父度がアップ。
自分の7男で一橋家を継いだ慶喜を将軍にしようとするも、34人も子供をこさえるくらい好色でかつセクハラ親父だったため13代将軍家定の母本寿院ら大奥にも毛嫌いされ、最終的に反対勢力の横やりと本寿院が自殺未遂まで図って抗議する等で失敗。
結局安政の大獄で蟄居刑を受け逼塞し、水戸藩士たちが次々過激化していくのをどうすることも出来ず、井伊の死後月見を楽しんでいる時急死。没後蟄居刑は解かれ「烈公」と称された。

  • エフィム・プチャーチン
シーボルトの唱える「平和的開国交渉論」の影響を受け、アメリカの先手を打つべく日本にやって来たロシア帝国の海軍士官。
結局ペリーに先を越されたり、やんわりと外交し始めた所でクリミア戦争勃発で仕切り直しになったり(これで松陰の密航計画が一度企画倒れ)、
樺太(サハリン)等の国境問題で大揉めするも2度目の来訪時何とか「日露和親条約」締結に成功したが、台風で船が沈没したりと苦労に見舞われるも、
沈没時救助され船の代わりを作ってもらったお陰で(この時伝わった「西洋式帆船」製法が日本制式「君沢式」に)関係緩和にも繋がった。なおこの時、後に橘耕斎(増田甲斎)と名乗る武士(作中では本名や密航理由は諸説あるとしている)が彼らの帰国に便乗してロシアへ密航成功している*19
3度目の来訪では「日露修好通商条約」締結にも成功し、主に彼の対応に当たった幕府の川路聖謨と交友関係を築き日本を去っていった。
だがその後、ロシア兵殺害事件や対馬にロシア船が不法滞在した「ポサドニック号事件」で日露関係は硬化していく…。

  • 井伊直弼
先々代藩主の14男という無茶苦茶下っ端な生まれで日陰者な青春時代を過ごすも、兄の世継ぎが絶えたため棚ぼたで彦根藩主となった「チャカポン(茶道・歌・鼓の音)くん」。ワイド版では先祖や兄も大老として登場していた。
恩師の意見を取り入れ経済的観点における開国貿易派になったが、その割には洋学にあたりが厳しめというよく分からない思考回路をしている。
「日米修好通商条約」や14代将軍決定において「強大な権力」が必要とされたためいきなり大老となり、それから「幕府の力を家康の時代並みに戻すため」、「赤鬼」とも言われる苛烈なまでの独裁者と化した(奇しくも彼の兜は始祖のものを模した角付き)。
不遇時代からの友人長野主膳を参謀にして「安政の大獄」と後に呼ばれる粛清・弾圧を進めていき、ちょっとでも外国かぶれそうなら有能でも粛清していき、
あちこちに恨みを買い過ぎて最終的に水戸藩士のターゲットにされ、「桜田門外の変」で生前「権力の毒」を諭していた時の兄の口の笑みを末期に幻視しマミられてしまい、その死にざまはギャグ漫画とは思えない程凄惨なものだった(大名行列の見物客付き)。
没後の回想では首だけ引用されることがしばしば。なお彼と吉田松陰のみ、首の切断シーンがイメージ処理・切断後の顔もシルエット処理で描かれ、首の周りにいた人物の発言・行動に死んだはずの首がぼそっとツッコむという演出(これは前にもあった)がされた。

  • 岩倉具視
先祖が高山彦九郎と縁のあった下級公家岩倉家の婿養子当主で、一家そろって目つきが悪い。
妹「堀川紀子」が孝明天皇の側室となったためそのつてで朝廷に力を強めていき、策士として暗躍するように。
幕府サイドから来た「和宮降嫁」案も「これを逆用して朝廷の力を増せる!」と強気で押して成功させるも、その所為で他公家の怒りを買い立場が危うくなっていく。
ちなみにワイド版3巻では一コマだけ彼の子孫に関する時事ネタが出てきたが、さすがにキャラが違い過ぎるので岩倉自身にはその子孫に関するネタは全く出てこない。

  • 川路聖謨
「尚歯会」にも参加し、間宮林蔵の上司でもあった幕府の開明派官僚。地方出身ながら幸運と努力で中堅どころまで出世した。
優遇されたり冷遇されたりと安定しない立ち位置だったが、幕末編では老中阿部の命で対プチャーチン交渉に悪戦苦闘。同時に開明政策にも奮闘する。
だが井伊が政権を取ると一気に降格。元自宅を「種痘所」として提供しプチャーチンに別れを告げた後、安政の大獄によって「隠居慎」(慶喜も受けた過酷な幽閉刑)とされ、後に解除されても表舞台に立つ気力は残っていなかったという…。

  • 桂小五郎
後に「木戸孝允」として知られるようになる長州藩士。『冗談新選組』の沖田総司と似た髷と月代をしている。
典型的なボンボンだったが、剣術に開眼した事と軍学師範時代の松陰に学んだことで一皮むけ、剣士となるきっかけとなった斎藤弥九郎に江戸で弟子入りし門下筆頭となっていく。
その途中で松陰が2回も国に強制送還されたり、「安政諸流試合」で竜馬と雌雄を決したり村田蔵六と知り合ったりし、また斎藤弥九郎繋がりで江川や黒船と対応した浦賀与力中島三郎助と交流を持つようになり、長州に西洋式帆船の製法を持ち帰った。
また惚れっぽい面があり、千葉さな子に惚れたりした。が仕事で忙しくしている内に嫁に逃げられていた。
松下村塾生の伊藤俊輔(後の博文)を従えて再び江戸に来た後松陰が処刑され、刑死後遺体を埋葬しなおし途方に暮れるも、帰り道で遭遇した蔵六の解剖風景に心を打たれ、彼を長州藩にスカウトした。
また「坂下門外の変」後事件に遅刻した犯人が長州藩邸で自刃した際、とばっちりを受けかけた危機を開明派重役長井雅楽に救われており、
それゆえに長井が攘夷派台頭により立場を無くし国元へ帰る時、久坂ら他の仲間達の凶刃に狙われていた彼を悩みながらも逃がした(その半年後長井は藩で切腹させられた*20)。

  • 久坂玄瑞
松陰の親友な熊本藩士宮部鼎蔵の紹介を通じ、文通での討論を経て松下村塾で松陰に学んだ長州藩士。
某大河の主役である松陰の妹・文(あや)を嫁さんにしたラッキーさん(師の薦めであっさり漫遊の旅に出てしまったが)。
義弟になるくらい松陰の一番弟子で頭もいい方だったが、蔵六の元で学んだときはオランダ語の前にあっさり挫折した。
実はヅラで、一応親や兄の後を継いだ医者なため坊主頭にしてそこにヅラをのせている。尊皇派優位の情勢となった33巻からはちゃんと髪を伸ばし荒くだが結っているが。
師を慕うがゆえに松陰の過激計画にドン引きし、諫める手紙を高杉と共に送るも「口だけじゃチャンス待ちだけじゃダメだろ!破門だ!(意訳)」と逆に一喝され失敗。
その反省からか松陰の死後は各地を遍歴して尊王派を増やしていき、幕府とロシアが揉めに揉めた「ポサドニック号事件」で舞台となった対馬藩にも尊王攘夷派を増やしている。

  • 高杉晋作
道端で会った久坂の楽しそうな様子に惹かれ、松下村塾生となった長州藩士高杉家の跡取り息子。長州組では桂と並んで身分と裕福さを兼ね備えている。
かなり勝ち気かつナンパな性格で、松陰曰く「はなれ馬」。また後述の上海行前にも待ち時間を丸山遊郭での豪遊に使い、藩に多大なる金銭的負担を与えた。
松陰が江戸へ連行された後、江戸留学中だったのを生かし親から多額の金をあの手この手でせしめ獄中の松陰のために使うも、あえなくばれ桂に後を託し泣く泣く帰国。
帰国直後に松陰処刑を知って茫然自失に陥り、何をしでかすか分からんムードになったため藩の重役周布政之助及び親の策で15歳の新妻をゲットした。
それでも彼は止まらず、各地を巡り佐久間象山や横井小楠ら先見者達と面会。藩の勧めで幕府の上海使節団の随行員として潜り込むことに成功し、もう一人の「松陰」こと薩摩の五代才助(後の友厚)らと共に渡航。
だがそこで観たのは「海外によって抑圧された清」という日本の未来予想図であり、同時に外国の先進技術も体感したため、「攘夷をしたいが現実問題無理ゲー」というジレンマを抱えてしまうことになる。
…結局「水戸に負けるか!」と行動意欲を増しちゃったけど。
元々は作者の中学時代の顔をデザインしていたが、作者自身の分身がナレーターとして作品にしばしば登場するようになってからは大幅にリデザインされて登場した。

  • 福沢諭吉
大坂生まれの中津藩士で、後に慶應義塾を起こすことになる知りたがり。ルーツは現在の大分県だが大坂暮らしが深かったせいか関西弁である。
向学心から村田と同じ緒方洪庵の適塾に学ぶようになり、手塚治虫の曽祖父手塚良仙*21等と仲良くなる。でも後に出会った先輩村田とはノリが合わなかった*22
途中病(腸チフス)に倒れたり*23兄が他界し家督を継いだりとトラブルに見舞われながらも知識を広げ、江戸で塾を開き、咸臨丸や遣欧使節に同行して欧米を生で見ていく。

  • タウンゼント・ハリス
教育活動などに熱心な経営者から外交官となり、「和親条約で十分だよね!一応公使置けるけどまだ来ないよね!」と油断していた日本へと現れた初代駐日アメリカ総領事。
日本に対し「江戸城へ行って親書を渡す」・「通商条約を結ぶ」と(幕府サイドから見て)無茶な要求を突きつけ、オラ知らねえと幕府に一年以上もスルーされたことに腹を立て半ば武力恫喝的な手段に訴え何とか江戸行きを実行。
何とか交渉のテーブルに着いたとき幕府サイドがうっかり言い訳した「朝廷にお伺いを…」が結果的に幕府の威信を低下させ、日米通貨レートをお互い考えなしに世界標準レートと合わせたら日本マネーが海外に流失する事態が発生。
さすがに通貨レートに関してはハリスも(ちゃっかり恩恵にあずかったうえで)罪悪感を感じ、以後は日本に優しくなった。
それでも事情に疎い外野から見れば最悪の敵であり、24巻では通訳のヒュースケン(日本で子作り済)が清河八郎に扇動された薩摩藩士らによって殺害。同時期に南北戦争も発生したため日本への影響力が低下し、生麦事件の少し前に後任と交代しひっそりと帰国した。
なお本作では「唐人お吉」とはまったく体を交わしたりしなかった(むしろ誰かと結婚するなんて発想自体を宗教的な禁忌にしていた)と設定されている。

  • 有村四兄弟
薩摩の「精忠組」に属する若手で、脳筋の長男・有村俊斎(海江田武次)、兄よりは多少柔らかい次男・有村雄助、示現流・北辰一刀流を同時に治めた三男・有村次左衛門、モブだが明治まで生き残った四男・有村幸蔵からなる。
西郷・大久保からも上3人は脳筋扱いされていたが、次男・三男が江戸で西郷の部下として活躍したり(三男は竜馬とも一回あっていたり)、長男が月照の護衛に回ったりと割と活躍。
だが一時「精忠組」が「いっそ水戸と共に暴発するか」的ムードになった時雄助が勇み足で水戸藩と行動を共にしていた次左衛門と合流。その後「精忠組」が大久保の策で久光傘下になり上から間接的に制止が掛かっても戻らず脱藩。
結局次左衛門は「桜田門外の変」に参加し、井伊直弼の首を刈るも深手を負い首を前に自刃。大老暗殺を手土産に薩摩を動かそうとした雄助も藩に捕縛され切腹を余儀なくされた。
だがその後も俊斎は大久保や久光の部下として活躍していき、島津家への忠誠心も変わらなかった。
が寺田屋事件後、西郷への信頼と久光への忠誠から双方にとって良かれと思って報告した内容のせいで、西郷が再び島流しに遭う後押しをしてしまう。
しかも生麦事件でも「楽にするため」被害者の一人に止めを刺して国際問題の当事者になってしまい、最初に切りつけた奈良原喜左衛門と共に責任を取って(?)横浜を先制攻撃しようとして大久保達に止められた。
維新時に村田蔵六と因縁が出来ることも知らずに…。

  • 島津久光
斉彬の異母弟で、父斉興の側室お由羅を母に持ち、父からがっちりと国学などを叩き込まれ兄よりも後継者として期待されていた人物。
斉彬や斉興が他界した後、藩主となった息子茂久(忠義)の後見人として実質的な最高権力者になり、兄が生前成そうとしていた「江戸・京出兵」に憧れるあまり、大久保に乗せられたのもあって実行に移す。
が「お由羅騒動の元凶だろ?」と内心思っていた西郷から「藩主でもないのに出て行って何になる?」(意訳)「田舎者」等と私情込みだが正論過ぎるツッコミ*24をされてから、互いに終生嫌いあうようになる。

  • 関鉄之助
松陰の過激計画に揺れる長州藩の前に尊皇同盟を広げるため現れた、ガオーと叫びそうな顔をした水戸藩士。
その後は「桜田門外の変」の見届け役となり、事件後は逃亡者となる。…が各地でのけ者にされ、水戸の同士たちが次々過激化や犯罪者化して分裂していくのを間近で見てしまうことで憔悴していき、犯人仲間も次々処刑。
最期は病身で潜伏している所を発見され捕縛、「桜田門外の変」の実行犯で最後に処刑された人物となった(残りは自害者1名、逃げのび明治に天寿を全うしたもの2名)。
本作以前では吉村昭の小説『桜田門外ノ変』で主人公になっており、作中でも事件直前に小説の映画版キャストの名前が出て来た。

  • 清河八郎
竜馬と同じ北辰一刀流の剣客にして、優れた尊皇学者でもある庄内藩出身の志士。流星刀を帯刀している。
…が竜馬や桂らと違って「故郷における同士・地盤」がなかったため段々行動がいかがわしさを増していき、攘夷志士を煽るアジテーター化。
裏面を知らぬ同門の山岡鉄太郎を懐柔し支援者にするも、岡っ引きの首をはねた所為でお尋ね者となる。
久光出兵時にはその行動を無理やり志士たちの一斉蜂起に結びつけようとし(でも途中で叩きだされ、その後寺田屋事件で完全に失敗)、そして後に幕末をよりややこしくする提案を思いついてしまう(今はまだそこまで行ってないけど)。
初登場時は故郷の訛りを節々に残していたが、武市の何気ない言葉*25でコンプレックスを突かれるといきなりシリアス顔&標準語化し、以後は一貫してその顔で通している。

  • 田中新兵衛
「桜田門外の変」チョイ前に商人上がりの武士森山新蔵の紹介で、武士に憧れ「精忠組」に入った元船頭の青年で、ワイド版1巻の関ケ原戦後に西郷・大久保らと共に「薩長土の志士」として名前が出て来た志士の一人*26
どこか高山彦九郎を思わせる顔や雰囲気を持ち、「町人上がり」というマイナス面を持ちながらその強そうな体つきで仲間の一員として認められていった。
だが久光出兵時に起こった「寺田屋事件」で、主君としていた森山の息子が切腹に追い込まれ(森山も後を追い切腹)、その直前に「元船頭」だとバカにされ最後まで立ち会えなかったことで暗い光を目に宿していき、33巻では武市らとの出会いでついに後世「人斬り」と謳われる第一歩を踏み出してしまう…。

  • 安藤信正
井伊大老期後半に老中となった磐城平藩主。
井伊の生前には「水戸藩に下された密勅を何とかして返却させる」という難事業を大きく進展させ(でも水戸藩士の暴動で阻まれた)、井伊の死後「相続手続きの未了」・「藩主が白昼に惨殺(士道不覚悟)」と2重の改易危機に晒された彦根藩に対し、
「彦根藩に忠臣蔵の如く水戸藩と戦争されては困る」と「井伊の死亡時期を引き伸ばし、その間に相続手続きを済ませる」という(周りからはバレバレだったけど)偽装*27で当座を治め、老中首座として比較的穏健な政策をとっていく。
だが井伊と五十歩百歩の開明派と見做されまた水戸藩士の恨みを買い、後に「坂下門外の変」と呼ばれる襲撃事件が発生。
幸い軽傷で済んだものの負った傷が「背中(=逃げ傷)」だったため反対派から猛抗議を受け失脚してしまった。

  • 小栗忠順
後に「上野介」の官位を頂くことになる高位旗本。最初の官位は「豊後守」だった。
ボーハタン号でアメリカに渡った「遣米使節団」に目付として参加し、無茶な通貨レートを是正しようと激論を重ねるも失敗(というか使節団にその権限はない)、帰ったら既に井伊生前時からインフレ承知の国際基準レート小判に改悪されていた。
それでも帰国後海外技術の導入や「ポサドニック号事件」への対応(だが途中で降ろされ、結局勝等の提案によるイギリスの介入で決着)などに奮闘していく。

  • 奈良原喜左衛門・奈良原喜八郎
「精忠組」に属する薩摩藩士の兄弟。ちなみに兄弟共に顔は以前描かれていたモブ薩摩藩士のものを元にしており、喜八郎のみ鼻が赤い。喜左衛門(明治期に繁と改名)の方は明治以降に撮影された壮年期と老年期の写真しか残っていないので幕末篇の際に顔がデザインしにくく、また喜八郎の方は肖像画や写真が確認されていないため、わりと自由にデザインできるからではないかと思われる。
喜左衛門の方は桜田門外の変直前参勤交代の一員となり大久保に「願わくは薩摩上洛の一手を」と密命を託されていたが、有村次左衛門が井伊の首を獲った事実が参勤途中に伝わり行列がUターンしたため失敗。
しかもその後有村雄助が藩によって捕縛・切腹を強いられた際介錯人を引き受けており、後に2人の兄有村俊斎がうっかり西郷を突き落とす様な情報を藩に伝えてしまった際ブチ切れた。
喜八郎の方は寺田屋事件の際、久光によって過激派藩士を止めるための「鎮撫使」の一人として選ばれ、結果的に身内同士の切りあいとなった後残る若手たちを捨て身の説得で押しとどめいらぬ被害を防いだ。
だが久光の上洛及び江戸行きの(ある程度の)成功後、大名並みの行列で薩摩への帰途についていた時、不幸にも行列に割り込んだ外国人に喜左衛門(喜八郎説もある)が切りつけ、「生麦事件」を起こしてしまう…。





●その他

  • みなもと太郎
本作の作者にして、時間スケールの長い本作において唯一初期から通して登場するキャラであり狂言回し的存在。
家紋は井伊家と同じ「丸に橘」で、初期構想では「若い頃の顔と似てるし」と彼の顔がそのまま高杉晋作になる予定だった(幕末編では肖像写真ベースの高杉に変更)。ワイド版20巻では本名「浦 源太郎」名義で表紙を飾っている。
最初は「編集者に急き立てられる」という他の漫画でもありがちなパターンで顔を見せていたが、徐々に歴史解説役として出番を増やしていき、単行本裏表紙にある「博士風」な姿も増加。
幕末編ではいつもかけている眼鏡を外したたれ目顔も見せるようになり、「桜田門外の変」直前には延々時間を戻して語り続けるのを水戸浪士に突っ込まれ一瞬男の娘化しながら「キュゥべえに騙されてる」と反論。
最近では「私服の作者」と「博士風の作者」の漫才掛け合いが定番になっている。


●関連作品

  • 冗談新選組
本作開始前に書かれた新選組ギャグ漫画で、結果的に本作の未来を描いた作品。まずこれの開始時点(文久3年)に追いつくことが幕末編の第一目標と言えるかもしれない。
本作には「近藤勇・芹沢鴨の顔*28」が輸入され、沖田総司の顔が吉田松陰に流用されている。
また作者は後にこれとキャラデザを共通させた(土方の顔は幕末編準拠)新選組こぼれ話集『雑談新選組 萌えよ剣』という短編も執筆している(復刊ドットコム版『挑戦者たち』収録)。

  • 宝暦治水伝 波濤
副題に「歴史にみる治水事業」と付いている通り、元々は1996年に河川環境管理財団が治水事業のPRを目的に発行された漫画で読者層が限られていたが、2012年9月に電子書籍サイト『Jコミ』(現:マンガ図書館Z)により電子書籍化され、幅広い層に読めるようになった。
後にSPコミックス版最終巻に収録され、ワイド版3・4巻で本編に組み込まれた話で、第2部開始前、斉彬達の高祖父島津重年の時代に起こった「宝暦治水」*29の悲劇を描いた作品。
メインキャラの家老「平田靱負」と主君島津重年の顔はリアル目に書かれているが、このせいで歴代島津家の顔はリアルめ(重年)→家久似(重豪→斉宣・黒田長壽)→肖像画ベース(斉興)→肖像画ベースだがデフォルメ多め(斉彬・久光)→シンプル(茂久)とアンバランスな事になっている。

  • 仁義なき忠臣蔵
本作では3ページほどで流された忠臣蔵(赤穂事件)を、やくざの殴り込みの如くやや詳しめに描いた「牽強付会論文形式」作品。
幕末編19・22巻でこの作品のコマが引用されている。
また幕末編では吉田松陰の脱藩理由が「討ち入り完了記念日に出発したい」だったり、桜田門外の変の関係者が最初忠臣蔵張りの井伊家殴り込み作戦を練っていたりと忠臣蔵ネタが絡んで来たりしている。

  • 雲竜奔馬
「黒船来航」から「安政諸流試合」までを描いた幕末編のプロトタイプであり*30、竜馬主役なため一応彼やさな子の話が幕末編より増えている。
潮出版社版最終回は本来これに繋がっていたと思われるが、幕末編では1・2巻を前篇で書ききれなかった人物の話に充てたため、竜馬江戸編と黒船来航は3巻までお預けになってしまった。

  • 挑戦者たち
作者の思い出話を綴った短編連作で、冒頭の「挑戦者たち」・「暗殺者たち」等で幕末編のこぼれ話が出てくる。

  • 風雲戦国伝
幕末編初期と並行して連載された、毛利・長宗我部・鍋島ら本編に登場する大名家の過去などを描いた短編集(「最後の築城」のみ幕末編の未来を描いた作品)。
徳川四天王(出番があるのは井伊・榊原)や長宗我部元親等新規でイラストが描かれたキャラが多く、元親等他の家族と本編に登場した長宗我部盛親の顔が似なさすぎたりした。

  • 日本任侠伝
単行本『挑戦者たち』収録の短編。本編でも時々触れられる博徒・侠客・や○ざたちの歴史を語り、戊辰戦争に関わったある親分の悲惨な最期で締められる。

  • 日本剣客伝、弥太郎伝
これも単行本『挑戦者たち』収録の短編(後者は復刊ドットコム版のみ)で、前者の後半では岡田以蔵の(本編では未だ到達していない時期の)語られざる挿話・後者では岩崎弥太郎について取り上げている。

  • 慶喜
復刊ドットコム版『冗談新選組』収録の短編で、幕末編本編ではあまり語られなかった徳川慶喜の前半生を描いた話。

  • チャカポンくん
復刊ドットコム版『冗談新選組』収録の同人誌作品で、井伊直弼の不遇時代を描いた作品。

  • 風雲児たち外伝 吉宗
学研の学習雑誌の付録として書かれ、現在は電子書籍化されている作品。本編では解説シーンに登場する8代将軍徳川吉宗の少年時代を描いている。

●実写化

2018年元旦、「NHK正月時代劇」として三谷幸喜制作で初めて実写化された。
実写化パートはワイド版4・5巻の『解体新書』編を原作としており、『風雲児たち~蘭学革命(れぼりゅうし)篇~』と題されている(同名の編集本も発売)。
この部分がドラマ化されたのは、三谷が一番のお気に入りだった事と(復刊ドットコム版『冗談新選組』収録の作者と三谷の対談より)、ぶっちゃけこれ単体で完結し他作品との被りもなく、かつ「前野・杉田」自体は普通に終わっているためだと思われる。
出演者は2016年に三谷が手掛けたNHK大河ドラマ『真田丸』のサブキャスト陣から選ばれており、結果前野良沢が大谷吉継役の仮面ライダーマルス…じゃなかった片岡愛之助、「チビ太顔」なはずの玄白が豊臣秀次役キング…じゃない新納慎也になっている。
何とこれにも作者がカメオ出演した(ちなみに作者はかつて京都の撮影所で映画などのモブ役のバイトをしていた)。

2019年には三谷による歌舞伎作品『月光露針路日本 風雲児たち』も制作。
大黒屋光太夫編を題材にしており、主演は十代目松本幸四郎。他にドラマ版主演の片岡愛之助や幸四郎の父二代目松本白鸚、俳優の八嶋智人(ラックスマン親子役)等が出演した。




●余談

本作ではたまに、濡れ場シーンも登場する。
殆どの場合はイメージ処理や事後、暗転によって表現されているが(幕末編20・27巻では某条例的なクレーム阻止のためベッドイン中の夫婦がいる家の外装のみを映したり)、
ワイド版10巻ではあるキャラの切ない決意の時に、何と一般向けかつギャグ漫画としては異例の3Pシーンが真面目なシチュエーション・絵柄で描かれた。

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最終更新:2024年03月24日 14:31

*1 この時合戦シーンでアシスタントを担当したのは、後に『スーパーマリオくん』を手掛ける沢田ユキオ先生だったという

*2 西暦だと1764~1772

*3 ワイド版12巻後半。特にラスト二話は「爆走編」としてダイジェスト的展開を余儀なくされており、作者は後にこの部分で「レザーノフ事件」をもっと書きたかったと述懐している(その後の「ゴローニン事件」は司馬遼太郎が手掛けているので)。

*4 こちらも西暦だと1818~1831

*5 五大老は全員五十万石越え。

*6 恐らく眼を患っている伝承がある事からの連想。幕末編31巻で1コマだけ登場した田安家の徳川慶頼(松平春嶽の異母弟)も、現存写真で右眼に異常がみられるせいか眼帯をつけていた。

*7 その後幕末編34巻に元徳が『毛利定広』名義でついに登場したが、ひょうたんのような顔つきで太い眉が特徴的。作者にまで画像は自分でお確かめください、といわれるほどヒドイ顔だった

*8 後に幕末編31巻で「大老でなく将軍後見であった」と作中展開の一部として訂正説明が入った。まあギャグ漫画なので、他にも多少史実表記等とずれがあったりするが目くじらを立てないように。

*9 いわゆる「穢多」の事。実写版では「国松」と名前が付いた

*10 この「郷士」は土佐藩の「旧長宗我部一領具足末裔や金で身分を買った郷士」ではなく、「農民ながら名字を正式に許された者・家」を指し、作中では触れられないが清河八郎や中岡慎太郎もこのクラスから志士となっている。

*11 後に大黒屋光太夫の旅路を記録し、幕末編20巻では子孫の7代目桂川甫周も1ページだけ登場した。

*12 この時田安を継いだ家斉の弟徳川斉匡の子供の一人が、幕末編に登場する福井藩主松平春嶽である。

*13 作者としては彼の人生も語りたかったが(その伏線も作中にあった)、尺の都合上その機会に恵まれなかったという。

*14 本編では資料不足から「伊勢に行けたけどあえていかなかった」と解釈されたが、後に(ワイド版17巻)「伊勢に少しだけ帰れた」という史料が見つかったため一コマだけその様子が描かれた

*15 後に隣人トラブルから殺人事件を起こし獄死、主犯な息子は八丈島に流され宇喜多秀家の子孫と結ばれた。

*16 幕末編の島津斉彬・島津久光の曽祖父にあたり、息子の一人は斉彬より2歳下な福岡藩主黒田長壽。

*17 日本地図をシーボルトに横流しして獄死した高橋景保。

*18 ちなみに後の大河ドラマ『龍馬伝』でも綴られた挿話で、本作では触れられていないが史実でその後知人は宮司を経てロシア正教司祭となった。

*19 なお橘は後に露日辞書を創り、素性を隠しロシア人「ウラジーミル・ヤマトフ」として遣米使節団と会ったり遣欧使節団への接待を陰で支えたりした

*20 ちなみにその辞世の句は蔵六や竜馬にも伝わり、彼らの暗殺後持ち物から長井の句を記した書が発見されたため彼らが生前に書いた辞世の句と勘違いされたという(史実では竜馬に関しては元ネタの様な感じだったらしいが)

*21 手塚の漫画『陽だまりの樹』の主人公だが、本作では手塚治虫似の顔とベレー帽を模した髷で描かれている。

*22 横浜を見て村田に英語学習を薦めるも断られたが、後に村田自身も直にアメリカ人から英語を教わる等。

*23 この時、師の緒方洪庵の懸命な治療で一命をとりとめている

*24 実際その後官位がない平武士なせいで朝廷に参内出来なかったり、江戸でも「藩主の父」という微妙な立ち位置のせいで城に入れなかったり(普通に家老なら「藩主代理」の肩書で城行きOKだったらしい。但し城外で有力者とは対談している)と問題が発生している。

*25 武市は清河の地元の剣の流派を褒めたつもりだったが、清河はこれを自身への侮辱の言葉と受け取ってしまった

*26 ちなみにこの時名前が出て来たキャラで未だ本作に登場していないのは土佐の中岡慎太郎と薩摩では肖像写真引用のみの桐野利秋(中村半次郎)で、また吉田松陰・大村益次郎以外のキャラは皆本編登場時にリデザインされている。

*27 死亡日の偽装自体は「末期養子」の一種として半ば暗黙の了解とされており、桂小五郎も先代の死亡時期を偽装する事で養子当主となった。

*28 さらにこの2人の元をたどると作者が他作品でよく使っていたキャラデザで、近藤キャラのあだ名は「大口(先輩)」。ワイド版10巻には近藤顔のモブがゲスト主演している。

*29 ちなみにリイド社版で題字を提供した漫画家平田弘史は、この事件を『薩摩義士伝』として長編漫画にしている。

*30 「竜馬と桂の初対面」が黒船直後(雲竜奔馬1巻)から竜馬2度目の留学時(幕末編11巻)になる等、変更部分もある。