佐々木健介

登録日:2012/06/27 (水) 22:29:20
更新日:2021/08/19 Thu 16:33:05
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◆佐々木健介

佐々木(ささき)健介(けんすけ)」は日本のプロレスラー。
自分と夫人が代表を務めるダイヤモンド・リング所属。

08年より弟子の中嶋勝彦と共に「NOAH」マットを主戦場にし、嘗ては90年代の最盛期の「新日本プロレス」に於けるトップレスラーとして知られていた。

夫人の北斗晶と共にタレント活動も行っており、バラエティー番組への登場機会も多く、プロレスラーの中でも特に顔を知られる一人である。

同世代には闘魂三銃士全日本プロレス四天王がおり、後に国政へと戦場を移した代議士レスラーの馳浩と共に、
彼らと肩を並べるスター選手として認識されていた。

夫人の北斗晶はデンジャラスクイーンの異名で呼ばれた女子プロレス界の生きる伝説であり、
新日本時代から現役末期の自主プロデュース時代までを支えて来た伴侶として知られている。
鬼嫁のキャッチフレーズで呼ばれる北斗だが、後述の困窮時代には家庭菜園で食費を賄いながら健介を支えたと云う。


【略歴】

高校卒業後、長州力に憧れ、当時は全日本プロレスに参戦していた長州が代表を務める「ジャパンプロレス」に入団する。
健介から遅れてアマレスでの輝かしい実績を引っさげて入団して来たのがライバルにして親友の馳浩で、
当初は年齢は上だが、場的には後輩である筈の馳よりも自分が格下の扱いを受ける事には不満があったと云う。

その後、長州が新日本に出戻ると共に健介も新日本プロレスに移籍。

一年先輩には闘魂三銃士(武藤蝶野橋本)がおり、今度は彼らとの格差と実力差に悩む事になる。

新日本時代は強さはともかく、長州譲りの「ハイスパートレスリング」、つまり開幕からガンガン押し相手の技を受けずに終わらせる試合内容が花が無いとされ、
「塩レスラー(しょっぱい=つまらない)」として有名であり、現場監督を務める長州体制下でチャンピオンとなるも評価が上がる事は無かった。

尚、新日本時代には伝説的なタッグチームであるロードウォリアーズの片割れ、ホークと組み、パワーウォリアーを名乗りヘルレイザースとしても活躍。
オリジナルメンバーのアニマルも加えてトリプルウォリアーで出陣した事もある。

その後、迷走する新日本プロレスを飛び出し師匠・長州力のWJプロレスにエース待遇で迎え入れられるも、団体は時代に合わない経営方針の末に混乱の中で崩壊。
更には師匠・長州力とも金銭トラブルを含む確執により完全に決別する。

仕事の無い困窮生活の中、武藤敬司が代表となっていた全日本プロレスにフリーランスとして参戦したのをキッカケとして、
メジャー、インディーを問わず様々な団体に参戦する様になるが、
新日本時代に浸透していた、寡黙で冗談の通じないイメージからは全く想像出来ないようなコミカルな試合もこなす等、
(特に有名なのが「DRAGON GATE」に登場した、フロリダ・ブラザーズの一員「博多生まれのアメリカ人ケンスキー佐々木』であろう)
これらの活躍により完全に「塩レスラー」のイメージからの脱却に成功した。

フリーランスながら、参戦した全日本プロレス、新日本プロレス、NOAHではそれぞれにチャンピオンの座にも就く等、最上の待遇を受けているが、
古巣新日本とは新日本が迷走している時期にチャンピオンに就かされる等、トラブルに巻き込まれた経験から現在まで距離を置いている。

当初はフリーランスであったが、より自己プロデュースを有利にする意味もあり夫人を代表にした「健介オフィス」を設立。
自宅に道場を構えると共に、同じくWJから放り出される形となっていた中嶋勝彦と、長州と並ぶ師匠であるマサ斉藤を迎え入れている。

フリー参戦の合間に自主興行も積極的に行っており、その後会社名を「ダイヤモンド・リング」に改名。
中嶋をはじめ現在NOAHで活動中のマサ北宮や新生全日本プロレスのエース宮原健斗を輩出した。

弟子の中嶋と共にNOAHマットに定着するキッカケになったのは矢張り、
団体の象徴の一人でありプロレス観の似ている小橋健太とのチョップのみで繰り広げられた伝説的な一戦であろう。
三沢亡き後のNOAHマットでは秋山準と共に、本当の意味での“レジェンド”の最後の世代である三銃士、四天王世代の生き残りとして、若い選手の壁として立ちふさがり続けた。

2014年2月11日、後楽園ホールで中嶋とのシングルマッチに敗れた。翌2月13日の記者会見で引退を表明。引退興行や引退試合を行わない意向を示したため、プロレス人生を愛弟子が師匠を超える形で幕を閉じた。




【プロフィール】

本名:佐々木健介
ニックネーム:マッスルボルケーノ
身長:180cm
体重:115kg
誕生日:1966年8月4日
出身地:福岡県福岡市南区
所属:ダイヤモンド・リング
スポーツ歴:柔道

上背は無いが、ハンデを圧倒的な練習量でカバーしトップレスラーにまで登りつめた不屈の精神の持ち主。
新日本時代には、元は外様でありながらも馳と共に新日本の道場主を務めていたが、
師匠にして現場監督の長州が学生プロレス上がりやインディー団体に否定的であった事もあり、
真壁刀義や高岩竜一ら長州の気に食わない若手に対しては「辞めさせる」為のシゴキを加えたともされる。

どれだけ努力しても天才型の三銃士(全員)にはなかなか勝つ事が出来ず、
実力はともかく埋まらない格差への苛立ちが新日本時代の健介の試合を暗く見せていたのも確かで、
メジャー新日本から離脱し、長州の影響下からも脱した健介が今の成功を手に出来たのは皮肉的ですらある。


【スタイル】

とにかく、鍛え上げた肉体を真正面からぶつけ合うスタイルを好み、40代以降でも日本屈指のパワーファイターの代表格であり続けていた。
尚、元々は身体が小さかった健介に快くトレーニングを指導してくれたのは後にヘルレイザースのパートナーとなるホークであったと云う。

柔道出身である事や新日本の道場主まで務めた事からも解る様にグラウンド技術も高く、単純なパワー殺法のみの選手では無い。

新日本時代は後ろだけ伸ばした長髪がトレードマークであったが、一時期総合格闘技に傾倒して坊主になって以降は短髪となった。


【主な得意技】

◆ラリアット
長州譲りのランニング式で、若手時代は連発するスタイルであった為に評価は低いが、破壊力は小橋健太や小島聡にも匹敵する。

◆チョップ
以前から得意としていたが、小橋戦を経て互角の使い手として認識される様になった。

◆ストラングルホールド(α、β、γ)
元々はランカシャーレスリングに於ける伝統的な技から誕生した相手の首を極める複合関節技シリーズ。
特にγが有名。

◆逆一本背負い
通常とは反対の腕を取り、スピーディーに投げ落とす。
相手は不十分な形で場合によっては頭から落とされる事になる。

◆パワースラム
相手と自分の身体を完全に空中に浮かせた状態で半回転させるモーションが見事。
若手時代の決め技。

◆ノーザンライトボム
夫人の北斗晶の伝説的な決め技であり、彼女からプレゼントされた。
健介は原型とも違うパワースラムのタイミングを応用した形にアレンジして使用。
初のシングルタイトルをこの技で戴冠して以来、現在まで最大の決め技として君臨し続けている。



【余談】

●北斗と出逢ったのは全女も含む海外遠征でだが、元々は北斗では無く、黒髪美人の豊田真奈美を狙っていたらしい。

●結婚後に建てた自宅は、北斗の趣味により何故か西洋風の豪邸。片田舎に豪邸が建っているので、かなりシュールらしい。

●アンコ体型の橋本を「ポークウォリアー」と評した事がある。

●武藤からの電話で全日本プロレス参戦のオファーを受け取った時には夫婦で泣きながら抱き合った。

●新日本時代からは考えられない似非アメリカ人ケンスケー佐々木はファンからも忘れ得ぬ名キャラクター。
健介自身も特別な思いがあったのか、後に団体から放り出されたフロリダ・ブラザーズの一人であるダニエル三島(三島来夢)を弟子として迎え入れている(現在は引退)。


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最終更新:2021年08月19日 16:33