成田国際空港

登録日:2017/10/17 Tue 14:54:36
更新日:2023/02/25 Sat 23:45:43
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成田国際空港とは千葉県成田市三里塚地区にある国際空港。国際線や主要都市への国内線が発着する。かつての正式名称は「新東京国際空港」で、通称が「成田空港」だった。
今も通称は「成田空港」だが、空港名としては成田国際空港が正式名となっている。

歴史的問題*1から開港から40年近く経過しているのに未だに完成していない。


構内施設

A滑走路

長さ4,000mの滑走路。これだけの長さの滑走路を備える空港は他に関西国際空港ぐらいしかない。
ただし、開港から34年後の2012年まで実質3,250m級滑走路として運用していた。これはA滑走路南端から約800mの位置に空港反対派が団結小屋を建てたために、アプローチ帯建設に必要な土地を買収できなかったため。

B滑走路

長さ2,500mの滑走路。2002年の日韓ワールドカップに間に合わせて暫定的に2,180mの滑走路で建設された。本来の長さで開業できなかったのは、予定していた場所の土地を空港反対派が所有していたため。


検問所

2015年3月まで首都の空港としては異例の検問が実施されていた。空港へ入場する人全員にセキュリティチェックとして検問所での身分証明書の提示が課せられ、空港専門の警察機動隊がターミナル内を常駐・巡回していた。
これは空港建設時に新左翼過激派による激しい反対活動やテロ事件が相次ぎ(後述)、開港後の空港でそれらの勢力によるゲリラ事件を防ぐためとされ、過激派による表立った活動があまり行われなくなり、世界的なテロリスト集団によるテロの警戒に後年は目的が移っていた。

空港入場時には空港会社の警備員がパスポートなどを確認し、飛行機利用者は航空券の提示を求められる場合もあった。空港内で働く従業員は社員証を提示し、近隣住民が通勤・通学のために空港駅を利用する場合は空港会社が発行する入場証を提示していた。

空港周辺で空港反対派による集会が行われると予想された場合、従業員と空港利用客以外の空港施設内への立ち入りが原則禁止され、介添を要するなどの理由がない限り見送りや出迎え目的の入場も出来なくなった。このような措置は2010年を最後に行われていない。

検問所は成田空港駅、空港第2ビル駅、東成田駅の出口改札と空港施設に入る全ての道路上に設置され、駅では飛行機搭乗前の保安検査のようにレーンに並んで身分証を提示するものですぐに終わったが、道路上での検問はマイカー・タクシー・ホテルや駐車場の送迎車・リムジンバスを含む路線バス・貸切バス・貨物トラックなどの事業用車全てが一時停止し、場合によってはトランクの中や車体の底を鏡で調べたりすることもあり、混雑すると通過に時間を要することがあった。

2015年3月にナンバープレートの自動読み取り・顔認識システムが導入され、検問は廃止された。

ちなみに芝山鉄道は空港敷地内を通る関係上、すべての列車に警備員が乗務している。


第一ターミナル

主にANA(全日本空輸)筆頭のスターアライアンス系の航空会社が使用する南ウイング、主にスカイチーム系の航空会社が使用する北ウイングに分かれる。
また、ANAの子会社であるピーチアビエーションもこちらから発着。
成田空港の最深部にあるターミナル。
5Fの展望デッキからA滑走路が望める。
200-300mm辺りで撮影可能だが、フェンスに穴があいていて、そこにレンズを突っ込んで撮影しなければいけない都合上、流し撮りには不向き。
A380は必ずA滑走路を使うため、日本でA380を狙うのであればここ。

第二ターミナル

主にJAL(日本航空)筆頭のワンワールド系の航空会社が使用する。
駐車場は連絡通路で繋がった駐車場棟、バスターミナルは屋根下、駅は地下にあり移動のすべてにおいて天候の影響を受けない。
一応B滑走路を展望デッキから狙えるが、500mmクラスのバズーカが必要、かつアングルの影響でタッチダウンした瞬間は狙えないのが寂しいところ。

第三ターミナル

LCC(格安航空会社)が使用することを念頭において開業したターミナル。
コスト面に厳しいLCCの使用を考慮し、簡潔かつ機能的な構造になっている。
利用者の誘導路は陸上競技のトラックをイメージしたものだとか。
あと、改札・セキュリティチェックからゲートまでの通路が特撮の秘密基地みたいで、特撮好きにはワクワクするポイントだろう。
ボーディングブリッジではなくタラップを使って乗り込むというのもロマンをくすぐる。
変な時間の運用もあるということで、ここだけは1/2タミと異なり24時間営業中(1/2は23時にて閉鎖)。
ただしショップは普通に閉店するのでロビーで徹夜出来るだけだが。
あとローコスト化の影響で展望デッキは存在しない。

エアポートレストハウス

成田空港の敷地内にあるホテル。
機内食メーカーが経営を行っており、食事に関しては結構評価が高い。
またホテル内で機内食体験をできるプランもある。
運営会社はかつては日本航空(JAL)系だったが、2010年にシンガポールの会社の運営になっている。

また、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の国内最終予選・じゃんけんが行われたのもこのホテルの宴会場「ブルースカイの間」である*2
40代以上ならばひょっとしたらアニヲタwiki編集者本人や親類友人などが参加していた可能性も?


9hours

第二ターミナル至近にあるカプセルホテル。
こちらも地下通路等から繋がっているので天候の影響なく移動できる。


空港アクセス

鉄道

JR成田線と京成電鉄が成田空港駅・空港第2ビル駅に乗入れている。どちらも有料特急を運行しており、JRの成田エクスプレス東京・池袋・大宮・高尾・横浜・大船などを、京成のスカイライナーは上野・日暮里を結ぶ。特にスカイライナーは在来線最速の160km/hでの運転を行う。
一般列車はJRは千葉・船橋・東京品川横浜・逗子方面へ、京成は都営地下鉄浅草線京浜急行本線を介して羽田空港方面へ行く。

バス

リムジンバスが首都圏各地から発着する。この他、ウィラーエクスプレスや京成グループが運行する格安便もある。

タクシー

都内・神奈川・埼玉へ向けてタクシーを使うと定額運賃が適用される。

自動車

自動車でのアクセスは東関東自動車道から新空港自動車道、国道295号、国道296号から千葉県道106号八日市場佐倉線または千葉県道62号成田松尾線の3通りが利用できる。


周辺の商業施設

空港自体も商業施設としても見ることが出来る(実際そうした場合売上高が最も高い商業施設になる)が、周辺の商業施設も意外と引けにはならない。

イオンモール成田

成田線の空港方面と銚子方面の分岐点付近にあるイオン。
その土地柄、海外組も割と多い。
ここから空港方面のバスも出ているので出発前にここで足りないものを買い込むのもあり。

ユアエルム成田

京成電鉄公津の杜駅直結の商業施設。
上記のイオンと比べて空港からの距離があるためか、海外組の利用者はイオンと比べて少なめ。
(但しもろに訪日外国人を狙ったかのような商品コーナーはあるけど)
ノジマも入っているので電装品関係はここで買うのもあり。


反対運動

成田空港には、血塗られた暗い負の歴史がある。

冒頭からチラチラ出ているが、この空港の建設には、計画段階から反対運動が行われていた。

1960年代、高度経済成長を迎えた日本では空港の需要が増加し、羽田空港の処理能力が限界に近づきつつあった。
羽田を拡張しても焼け石に水であり、新しい空港の建設は急務であった。
成田が選ばれたのは、他の飛行場の管制圏との兼ね合いもあったが、その土地の大半が御料牧場、すなわち国の管轄下にあったため、あとは少数の農家を立ち退かせるだけで用地が確保できると判断されたためだった。
その農家たちも、入植して日が浅い貧農であった。彼らが入植した時、すでに条件の良い土地は占拠されており、空いていたのは水の便が悪く痩せた土地ばかり。
既に入植していた富農たちの手伝いでどうにか糊口をしのぐ生活をしていたため、代替の土地とお金を用意してもらえるとあって、買収にはむしろ乗り気だった。

しかし、面白くないのは周辺の富農たちである。
代替地と金を受け取れたのは、予定地に土地を持っていた人だけで、そこから外れた人には一切の補償がなかったのである。
いかに敷地から外れているとはいえ、空港の近くであれば騒音の問題は発生するし、すぐ頭上を飛行機が通過することへの恐怖もある。
その恐怖を煽るように、「実際は軍事空港であり、戦争になったら爆弾が落とされる」とか、「騒音で牛の乳が出なくなる」と言った根拠のないデマがどこからともなく流れ出し、特に前者の「軍事空港」云々に関しては太平洋戦争を経験している農民たちはひどく怯えた。

しかも、政府は農民の不安払拭に努めなかったばかりか、「どーせ金が欲しいだけだろう」とタカをくくって大金をちらつかせながら立ち退きを要求したのである。
この国側の不誠実な対応に反発した地元民は、農家の有力者を中心に「三里塚芝山連合空港反対同盟」を結成し、大規模なデモ行進などの建設反対運動を展開した。そこに社会党や共産党が支持を表明し、さらに反対同盟の指導者が極左暴力集団の受け入れを表明したため、中核派などの新左翼過激派団体が合流し、反対運動は機動隊と衝突するなど激しさを増していった。
国との和解を提案する社会党などの穏健派が反発を受ける中で武力闘争路線を推し進める新左翼勢力に住民が迎合し、火炎瓶やゲバ棒を駆使した暴力闘争へと発展していく。
この成田空港建設への一連の反対運動は「三里塚闘争(成田闘争)」と呼ばれ、戦後日本の社会史における大きな事件となっている。
事実、当時執筆された日教組の教師の著作には、「三里塚で忙しくてなかなか授業研究ができない」といった文言が普通に出てくる。

60年代末は、学園紛争国会闘争、そしてこの成田闘争が革新系の活動の三本柱とされていたが、
学園紛争は、東大の安田講堂が陥落したこと、学生たちが卒業を前にして就職という現実を見始めたことで急速に鎮静化しており、世間からも過去のものとして支持を失いかけていた。その中で、「農民に対する国の横暴」という大義名分が生まれたため、勢力挽回を図る全共闘の残党や過激派セクトに属する学生らは成田空港を「日帝の軍用基地」と決めつけ積極的に反対運動に参加した。
しかし、学生の真の狙いはかつての学生運動で敗れた屈辱を機動隊に叩きつけることであった。
1971年9月に行われた土地収用の代執行では、各地に分散した過激派学生が後方警備の機動隊を襲撃し陰湿なリンチを加え3人の警官を惨殺する東峰十字路事件を起こし、世間のみならず反対派の農民からも非難を浴びた。
その翌年には、あさま山荘事件の発生と山岳ベース事件の発覚によって新左翼の実態が知れ渡ったことで、極左集団と連携している反対同盟は「人殺しを厭わない過激派」と見なされ完全に支持を失った。

しかし、もとより急増する需要に対応するために作られた空港である。
一度開港してしまえば、みるみるうちにランプは埋まり、管制圏は混雑し、周辺地域は潤うことになった。
また、前述の東峰十字路事件の他にも京成スカイライナー放火事件に代表される暴走した過激派によるテロ・ゲリラによって、当初は味方していた一般市民やマスコミも徐々に離れていくようになった。
過激派の暴走に加えて反対同盟の指導者の思想が新左翼寄りになっていったため、「我々の望んだものとは違う」「これ以上反対して得るものがあるのか」と冷めた人たちは一人また一人と去っていき、今ではわずかな人々が支援の左翼団体とともに集まってシュプレヒコールを上げるだけの活動を細々と続けるのみとなっている。
現在ではかつて反対運動に参加していた地元民の大多数が「空港のおかげで町が発展した」「毎日多くの人が利用する空港を今更無くすことはできない」などの理由で反対同盟を離脱し、農業に専念したり空港の発展に寄与する活動を始めたりしている。
その裏では運動から手を引いた人への嫌がらせや新左翼の襲撃事件も発生しているため、今も残っている一部の人たちは過激派やそれに迎合した住民からの報復を恐れて、やめるにやめられない状態になっている。
現在でも敷地内に家とかペンションがあったり、誘導路がぐねっと曲がってたり畑がめり込んでるのはだいたいこいつらのせい。

新左翼を引き入れてしまったことが間違いだったと言えるが*3、「所詮は金目でしょ」と最初から傲慢な態度で応じるなど、行政側にも大いに問題があったことは事実である。

また、この事件に関連して千葉県土地収用委員会の委員やその家族に対する嫌がらせや弁護士に対し重傷を負わせる襲撃*4まで行われたために、委員会が機能しなくなってしまった。
このため空港は拡張したいもののそれが見込めない状況になってしまっている。
更に二次被害として県全体で土地の取得が困難になったため、東葛地域は道路事情が良くないのに改善できない、北総線や東葉高速鉄道は取得はできたが、時間がかかった分地価が上昇し、それに比例して運賃もバカ高くなるといったことも発生しており、千葉県のインフラ全体にも大きな影を落としている。


余談

成田空港建設反対闘争の頃、開業直前の視察で滑走路を走っていた警察公用車が突然スリップしてブレーキを踏んだ途端に、氷上を滑り始めたかのようにコントロールを失って前後に並んで走行していた2台の公用車があやうく激突しかけるという事故が発生。

ようやく車が止まった後に目にした滑走路は、真っ赤に湿ったグニャグニャの絨毯のようなものに一面覆われており、その正体はなんと滑走路の上を移動していたミミズの大群だった。
成田空港の建設地は元々地味肥沃で湿った黒土の落花生名産地であり、よく肥えたミミズの生息地であったのである。
そこに巨大なコンクリートのまな板のような滑走路をはめ込んだため、それまで地中を自由に横断していたミミズの大群が群れを成して滑走路上に這い出し、向こう側に横断を試みて滑走路のそこらじゅうに蠢いていたのだった。
その結果、滑走路一面が車に轢き潰された何万匹ものミミズのミンチが数百メートル続く帯と化していた。

その後、民族大移動にのたくっていたミミズの大群は陸上自衛隊の火炎放射機一斉に焼き殺された。
残念ながら当時の記録は残されていないが、ミンチとなったミミズの山と火炎放射器の炎、ミミズが焼ける悪臭のこもった煙……さぞ嫌な光景だったであろう。





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最終更新:2023年02月25日 23:45

*1 そもそも地元の民意を無視して国是を盾に強引に建設を強行して作られた経緯があり、今なお禍根を残している。運動自体は安保闘争の敗北から、次の闘争先を探していた過激派が運動を侵食することとなり、建設反対自体はお題目に成り下がった。現在でも当時の過激派の一部が住民支援を名目にデモ、ゲリラ活動を行っている。なお、反対派は公式ウェブサイトを開設している。

*2 ちなみにウルトラクイズのスポンサーは全日空(ANA)であったので、ライバル会社の系列ホテルで番組の撮影をしていたことになる。

*3 後に起こるインフラ施設反対運動では新左翼団体を味方につけるのはタブーとなりつつある

*4 その弁護士は長く後遺症に苦しんだ末に自殺している