関索

登録日:2017/07/31 Mon 15:51:08
更新日:2024/01/06 Sat 13:58:55
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小説『三国志演義』に登場する「関羽の子」キャラ。

……なのだが、日本ではむしろそのオリジンとも言うべきキワモノ三国志『花関索伝』などの「関索もの」における関索とキャラがごっちゃにされていることが多い。

関索について三国志ファンが良く言うハーレム野郎」「ラノベ主人公」「メアリ・スー」「誠死ねなどの属性はそちらの「関索もの」における関索のそれであり、演義における関索とイコールではない。



【版本による違い】

関索について語る前にまず知っておいてほしいのは、三国志演義には「版」つまり様々なエディションがあり、それぞれ内容が違うということ。
これは現代で言えば「版違い」ということになるが、著作権などない時代今もないとか言わないようにのこと、他社との差別化のために登場キャラやストーリー的な部分まで改めることも少なくなかった。
その変化も「ド低能」を「クサレ脳ミソ」に改めるような小さなものもあれば、冒頭で4ページも使ったヒロミネタを丸々別のネタに差し替えるような大きなものもある。
関索の場合は完璧に後者で、エディションによってその活躍の内容が別物レベルで異なり、中には全く登場しない版すらある。

こういった三国志の「エディション」は詳細に分類すれば数百種類にも達すると考えられているが、関索に関する扱いに絞ると、概ね以下の3パターンに分かれる。


A「南征でゲスト出演」パターン

研究者からは「関索系」と呼ばれるタイプ。
世界的なスタンダードである『毛宗崗本』(日本でも普通「三国志演義」というとこの版を指す)、江戸時代の日本で愛されていた『李卓吾本』(吉川三国志はこの系統)など、現代日本で目にできる版はほぼ全てこれ。

このパターンでは、関索は225年の南蛮征伐の直前、「行方不明になっていた関羽の息子」として孔明の前に現れるという形で初登場する。
当時関索は既に荊州で関羽と共に死んだと思われていたが、本人が孔明に語るには
「荊州で敗れた時に負傷してしまい、鮑家という豪族の家に世話になっていました。ようやく傷も癒えたので、こうして蜀に参上した次第です」
ということだったらしい。治るのに6年かかる傷ってどんな重症だったんすかね・・・?*1
思わぬ戦力増加に喜んだ孔明は、関索を配下に加えて南蛮征伐に向かう。

……のだが、このパターンにおける関索の活躍は、実質上この登場シーンが最初で最後となる。
マトモに戦場で活躍するのは孟獲との7度の戦いのうち最初の1回のみで、それも常時王平と一緒に行動するため大して目立つわけでもない。
それ以降の活躍は、版本にもよるがばっさり全カットor名前だけが登場のどっちかであり、ぶっちゃけいるだけ参戦と言うのもおこがましい出落ちキャラである。

このパターンは明~清代を通じて重要な行政都市だった南京周辺で発行された版本に多く、その客層は役人やその卵である学生、または彼らを相手に商売する上層市民がメインだった。
まあ平たく言ってしまえばAパターンのこれは「インテリ向けの関索」ということになるだろう。


B「荊州で登場して主役級の一人に」パターン

研究者からは「花関索系」と呼ばれるタイプ。
『余象斗本』『鄭少垣本』など、明後期の福建省で出版されたものに見られるタイプだが、清代に入るとAパターンの毛宗崗本に押されて急速に衰退してしまった。
このため現代では大学書庫や博物館に収蔵されているようなレベルでしか残っておらず、日本語に翻訳されているものも皆無。

このパターンでは、関索は母の胡氏と3人の妻を連れ、赤壁の戦い後の208年、つまり荊州南部攻略戦における関羽VS黄忠戦の直前で初登場する。
「花関索」と名乗った関索は父関羽に自身の経歴を語って無事認知させ劉備に引き合わされて以後劉備軍の一員として働くことになった。


ほとんど出落ちに近いAパターンと異なり、こちらの関索はここから準主役級の一人としてかなりの活躍を見せるのだが、その活躍には大きな特徴がある。
一見してわかると思うので、その活躍からいくつか並べてみよう。ちなみに後ろにおいた()内の記述は、ACパターンにおける同じ箇所である。
『VS韓玄戦』
  • 関羽VS黄忠の前哨戦で、「父上が出るまでもありません」と敵将楊齢を一騎打ちで斬り殺す:(関羽が敵将楊齢を「お主では相手にもならん」と斬り殺す)
『入蜀戦』
  • 劉備は劉封と関平と関索を親衛隊として益州へ出陣(劉備は劉封と関平を親衛隊として益州へ出陣)
  • 落凰破でホウ統を失った劉備は、荊州に関索を使者として送り援軍を要請する:(落凰破でホウ統を失った劉備は、荊州に関平を使者として送り援軍を要請する)
  • 要請を受けた孔明は、張飛趙雲と関索を率いて益州へ向かう:(要請を受けた孔明は、張飛と趙雲を率いて益州へと向かう)
  • 張飛は厳顔と戦った時、これを誘い出して別動隊の指揮官関索と挟撃して捕える:(張飛は厳顔と戦った時、これを誘い出してと別動隊と挟撃して捕える)
  • 孔明は策を用いて張任を誘い出し、左から張飛に、右からは関索に包囲させる:(孔明は策を用いて張任を誘い出し、左から張飛に、右からは厳顔に包囲させる)
『漢中の戦い・前哨戦』
  • 張飛は雷銅関索と共に、巴西の守りを固める:(張飛は雷銅と共に、巴西の守りを固める)
  • 張飛は張コウの陣を破るための策を関索と相談:(張飛は張コウの陣を破るための策を雷銅と相談)
  • 張飛の策略で陣から誘い出された張コウを、張飛と関索が挟み撃ち:(張飛の策略で陣から誘い出された張コウを、張飛と雷銅が挟み撃ち)

そう、こちらの関索はAパターンCパターンにおける別の誰かの役割を、一部関索に置き換える」または「別の誰かの行動に、関索も付け加える」ことで活躍シーンを確保しているのである。
活躍を全部取られた上に殺される所だけしっかり押し付けられた雷銅はエンパで関索を斬首する権利があると思う。
しかしこれはつまり「別の誰かに置き換えても問題ない」ポジションしか与えられていないということでもあり、そのため活躍シーン自体は多いものの、印象という点ではそれほど強くない感がある。
だがそんなBパターンの関索にも、オリジナルの活躍シーンが「陽兵関の戦い」にただ一か所だけ存在する。

漢中の戦い後半、度重なる敗北の末に陽兵関まで後退した曹操は、再び陣を敷いて劉備軍に戦いを挑む。

劉備もこれに応じて陣を敷き、養子の劉封(と表記はされていないが関索)を出撃させた。
曹操は「あの草鞋売りめ、何かと言えばもらい子を身代わりにしよって!こっちにも息子の曹彰がいれば、そんな偽息子なんぞハンバーグの材料だからな!」と罵り、激怒した劉封は一直線に曹操へと襲い掛かる。

しかしその前に、張魯の下から曹操に新しく仕えた二人の将軍、周伯王志が立ちはだかった(この2人はBパターンのオリジナル武将)。
劉封は左右から挟み撃ちに合って苦戦するが、それを見た関索は王志に向かって襲い掛かり、これをあっという間に捕えてしまう。
それを見て動揺した周伯もその隙を突かれて劉封に突き殺されたため、曹操は今度は徐晃を向かわせた。
劉封は徐晃と戦うも僅か数合で打ち破られてしまい、陣に向かって一目散に敗走する(Aパターンでは偽装撤退だが、こちらはガチの逃亡)。

しかし勢いに乗ってそれを追う徐晃の前に関索が立ちはだかり、4.50合に渡って互角の撃ち合いを繰り広げ、曹操を感嘆させる。
曹操は思わず左右に「あの立派な若武者は何者だ?」と尋ね、「関羽の子、関索です」との答えを聞くと「なるほど、虎の子は虎であるな」と納得したという。

とまあこんな感じ。劉封もかなり関索を斬首する権利がある気がする。

こうして韓玄戦、入蜀戦、漢中戦と大いに活躍してきた関索だったが、漢中戦後に「荊州を守る関羽の息子であるそなたには、同じぐらい重要な南方の守りを任せる」と鎮南校尉に任じられて雲南へと派遣され、以後は活躍が途絶える。
あとは後に関興が劉備の下に馳せ参じた時、「父と長兄は呉に殺され、関索兄も病で没し……」と語るため、この時点で既に病死していることがわかるだけとなっている。

このパターンは前述した通り福建で出版されていた版本に多く、その主なターゲットは都市部の下層市民や地方の識字者といった「最下級の識字者層」であり、Bパターンのこちらはいわば「庶民向け関索」と言える。


C「そんな人はいません」パターン

文字通り「関索」という名前自体が出てこないパターンで、現存する中で最古の版本にあたる「嘉靖本」などがこれにあたる。


他にも微妙なバリエーションはある*3が、基本的にはこれら3種の変種として分類できるものである。



【なんでこんなにキャラが安定してないの?】


……という疑問が当然出てきたと思われるので、順を追って説明していこう。

まず基本的なことだが、「関羽の子関索」という人物は全くの架空の存在である。
演義における関平や関興の大活躍が創作であることは有名だが、少なくとも彼らは「実在した人物を脚色した」存在であり、元になった「関平」「関興」という関羽の子自体は実在した。
しかし関索の場合、それに相当する「元ネタ」そのものがおらず、周倉同様に全く0から作られた存在なのである。

そして関索に関する創作作品は、本流ともいうべき『三国志演義』の系統ではなく、全く別の「関索物語」とでも言うべき独自の分野で発達してきた。有名な『花関索伝』もこの分野の1系統である。
これは「関羽の三男、関索が主人公」ということで一応三国故事(三国志創作)の1ジャンルと言えないこともないのだが、水滸伝のような大盗賊たちが敵としてバリバリ出てきたり、西遊記のような妖怪変化が普通に出てきたりと、歴史物語と言うにはほど遠い代物である。

だがこうした「関索もの」は大衆の間ではかなりの人気を集めていたため、演義を出版していた各書坊は部数を伸ばすためにこれを積極的に「逆輸入」していったのである。
とは言えそれらの関索物語は、(一応)歴史物語である演義に組み込むにはあまりに荒唐無稽であり、必然的にかなりのアレンジ(というか要素を残して全とっかえレベル)が施される形となった。
そしてこの時「関索の活躍を増やせば大衆人気は上がるが、増やし過ぎると作品の色が変わっちゃうし、教養のある客層からの人気が下がる」というジレンマが発生する。

「どうせ演義だって創作多いんだし、関索ぐらい好きに描けばいいじゃん」と思った方もおられるだろうが、当時の感覚からすればそれは違う。
中国文明は伝統的に創作小説を「稗史*4」と呼んで貶めており、「小説なんてものは学がない庶民が読むもので、一人前の士大夫が読むのは恥ずかしいこと」という認識が強くあった。
そんな中で『三国志演義』は「士大夫が読んでもまあ許されるかな、ぎりぎりだけど……」とみなされた数少ない歴史小説であり、官僚の子弟や科挙合格を目指して勉強する若者たちにとって稀少なエンタメ作品だったのである。

彼らは大衆層に比べて数こそ少ないものの、単価が高い「高級版」を買ってくれる上客であったが、大衆人気に走って関索成分を増やし過ぎると、こうした世間体にこだわる客層からは敬遠されてしまう。
いまいちよくわからん・・・と思った方は、自分の死後に『横山光輝「三国志」愛蔵版・全30巻』が本棚で見つかった場合と、真・恋姫†無双〜乙女繚乱☆三国志演義〜』がHDDから発掘された場合との印象の違いで考えていただきたい。

まあこうした葛藤の結果として、関索のあつかいは版本によって大きく異なる結果となり、高教養者向けのAパターン、大衆向けのBパターンに大きく分化したというわけである。



【そもそも関索って?】


さて関索が元々は「関索物語」の主役であるという話をしたが、彼に関する物語がいつどこで生まれ、どのようにして1大ジャンルを築き上げたのか、という点はいまだに多くが謎に包まれている。

現代でもその研究は進められているのだが、とりあえずわかっている限りで関索の起源、そしてその歴史を見てみよう。


☆~宋代~

既にこの頃「関索という名の英雄」は広く知られていたらしい。
当時の大盗賊の中には「関索」の名を名乗るものが非常に多く、小関索袁関索張関索などの量産型関索がそこら中に跋扈していたようである。
また逆にそれを取り締まる軍人の側――といっても彼らの中には盗賊出身者も多いのだが――にも朱関索賽関索病関索賈関索といった多くの関索がおり、果てには摔角(シュアイジャオ:中国相撲)の選手にすら関索の名を名乗るものも多くいたという。

盗賊、軍人、格闘家と「暴力を生業とする職業」に共通して関索の名が使われていることから考えて、当時の関索は「とても強い英雄」というキャラとして知られていたものと思われる。

しかしそれよりも重要なのは、この時点では関索はまだ「関羽の子」という設定がなかった可能性が高いということだろう。

そもそもの関索の起源に関しては、現在主に

①.星座「貫索九星」が擬人化(神格化)され、それが「関索」に転じ、やがて関姓の英雄と言うことで関羽と結び付けられて「関羽の子」こと関索になった

②.関羽は唐代には「関三郎」という名前で道教の神になっており、この「三郎」を直訳したため「関羽の三男」という意味になり、それが関羽伝説と別れて関索となった

という2つの説が提唱されている。
現在ではあまりに史料が少なすぎるためいずれの説も説得力があるとは言い難いが、①の方が正しいとすれば、最初期の関索と関羽に繋がりがないことに説明もつく。

実際、宋~元に成立したと思われる講談『西湖三塔記』の中では、登場人物の一人を例えて「三国で言えば馬超淮甸で言えば関索のような~」と関索が三国志の関連人物ではないことを示唆するような内容がある。


☆~元代~

この時代になると、関索は「関羽の子」設定が大分普及してきたようである。
これには江南(三国時代で言えば呉)のあたりで生まれ、その後西へと波及し雲南地方(三国時代で言えば南蛮)で定着した一連の関索もの、つまり後に『花関索伝』と呼ばれることになる系統の影響が大きいようだ。

これは
・関羽の子(次男か三男かは曖昧)
・ものすごいチビだが、筋肉はモリモリマッチョマンの変態
・関羽の「青龍刀」に対して「黄龍槍」という槍を武器とする
・物心つく前に関羽と別れ、索員外、花岳仙人の2人に育てられる
・呂凱、王志といった大盗賊と戦って倒し、部下にする
・鮑三娘・王桃・王悦の3人を戦って倒し、妻にする
・入蜀戦・漢中戦で大活躍し、関索の働きによって劉備軍は勝つ
・関羽や張飛と言った人気キャラ達はほとんど活躍せず、基本的に関索の引き立て役
・関羽が呉に殺されると、呂蒙陸遜、劉封などを殺してその仇を取る
・雲南地方と深い関係がある
などと言った要素が概ね固定されており、この設定の下に作られた一連の花関索系作品は、後の関索像に対して決定的な影響を与えたと思われる。
ただしこれらの作品は教養レベルとしては最底辺の庶民によって創作されたものであり、前述の通り歴史物語と呼ぶにはあまりに荒唐無稽なものであった。

演義の原型とも言われる元代の『三国志平話』でも関索は登場しているが、これは南蛮征伐の時に
「反乱軍の呂凱が3万の兵を率いて城から打って出たが、関索に倒された」
というシーンのみで唐突に登場・退場しており、当時から本筋との整合性を取るのに苦心していた様子がうかがえる。


☆~明代~

この時代がおそらく関索の最盛期と思われる。
『花関索伝』を現代に伝える小説『新編全相説唱足本花関索出身伝』『新編足本花関索下西川伝』『新編全相説唱足本花関索貶雲南伝』などは全てこの時代に印刷されたもの。
講談や演劇などでも関索の名は頻出するし、「花関索」が当時民間で相当な人気を誇っていたことがわかる。

そしてこの時代、恐らく1400年前後には『三国志演義』の初版ともいうべき羅貫中による*5最初のエディションが成立している。
この三国志演義の初期版に相当するものは現代には残っていないのだが、これにも関索が登場していたのではないか、という説もある。

昔の研究では

Cパターン(未登場)→Aパターン(顔出し程度)→Bパターン(大活躍)

という形で、最初は関索の扱いが皆無で、それから関索の扱いがどんどん増えていったのではないか、という説が主流だったが、その後の研究で

Xパターン(初期版)→CパターンAパターン
          →Bパターン

と最初期に大きく2系統に分化したのでは、という説が有力視されるようになった。
未発見のオリジナルであるXパターンにはもしかして既に「関索物語」が既にかなり含まれており、Cパターンはむしろその部分を削っただけなのではないか、という説も出てきたのである。

これが正しければ、関索は最初期から演義の常連キャラだったということになる。


☆~清代~

しかし清代に入ると、今までもてはやされた花関索の系統は急速に衰退していった。
これには大きくわけて2つの原因があるが、1つはAパターンの決定版とも呼べる毛宗崗本の登場である。
これは文学的完成度、キャラ造形などあらゆる点でハイレベルなエディションであり、それまで隆盛してきた他の版本を徐々に駆逐し、最終的には毛本一強と言ってよい状態にまでシェアを広げてしまったのである。

そしてもう1つは、儒学(史学)の一ジャンルである「考証学」の発達である。
考証学というのは現代と同様に「実証」を重んじた学派で、それまで
「この文の解釈はこうでいいと思う。ソースは俺」で済んでいたものを、
「この文の解釈はこうである。なぜなら同時代の別書にもこうあるし、また現存する碑文の内容からも・・・」と具体的な物証にまで踏み込んだもの。

これは当初は儒学の経典解釈で用いられた研究法だったが、清代を通じて徐々に他のジャンルにも浸透していった。
その影響を顕著に受けたのは歴史学であり、また同時にそれに繋がる歴史文学でもあった。
まあ平たく言えば「でも正史では~」「それは演義の創作で~」とか言い出す面倒くさい人たちがついに台頭してきたということである。

このため関索のようなあからさまな創作キャラは「演義の『七実三虚(7割が事実で3割が脚色)』の原則に相応しくない」ということで、小説系の諸作品では急速に地位を落としていったようだ。

一方で、識字者層よりも教養が低い大衆層をターゲットにした演劇ジャンルでは、関索もかなり長く勢力を保っていた。
この系統は最初から「ストーリー全体の整合性」「史実とのすりあわせ」といったものを投げ捨てているため、前述したような問題がそれほど致命傷にはならなかったのである。

ただしこの系統でも毛本の影響はやはり大きく、大都市部、とくに首都北京を中心とした北方系の演劇では凋落が激しかったようだ。
関索は三国志系では珍しく「英雄が美女の戦士と戦って勝ち、それを妻にする」という中国エンタメのキラー属性を持ったキャラだが、このジャンルは「鉄板」の三国志系に比べると遥かに競争が激しく、新顔がどんどん出てきていたのも痛かったとみえる。

しかしBパターンの本場である福建や、花関索ゆかりの地である雲南・四川・貴州などではまだまだ人気を保っていたようで、これらの地方の伝統演劇では、現代にまで伝わる「関索もの」が数多く残っている。



☆~現代~

そんなわけで、現代になると中国本土におけるエンタメ界隈では、関索は全盛期に比べると非常に影の薄い存在となってしまった。
先述したような南の一部地方ではいまだに古い「関索物語」の痕跡を残しているところもあるが、少なくとも都市部やそこから生まれるエンタメ作品ではめっきり姿を見かけなくなった。

そんな関索に再び光が当たったのは、中国ではなく日本においてのこと。
しかも現代三国志創作の本家と言えばかのコーエーであるが、関索の場合はむしろ2005年に稼働を開始したSEGAのオンラインカードゲーム三国志大戦をこそ元祖とすべきだろう。

『三国志大戦』の関索は、恐らく現代創作上はじめて「Bパターンの関索」、というかそのオリジンである『花関索伝』の設定を採用した関索と思われる。
「妻が4人いるハーレム野郎」「花関索だけに頭に花飾り」「ラノベの無敵系主人公」など、花関索伝系における関索像を現代的に再解釈したと言ってよいそのスタイルは、以後の日本における関索像に大きな影響を与えた。
特に大戦の関索ハーレム形成に関する情熱は凄まじく、超マイナーな近代京劇『龍鳳巾』から孟獲の娘で関索の嫁その4こと花鬘を引っ張ってくるほどであり、この為に「関索=ハーレム」の図式がすっかり定着してしまった。

翌2006年にはコーエーも『三國志11』を発売したが、この作品では同シリーズにおいて初めて鮑三娘が登場し(CS版PKでは王桃・王悦・花鬘も登場)、関索の武将説明にも『花関索伝』への言及があるなど、露骨に三国志大戦の関索を意識したものとなっている。

こういった「日本のゲームにおける関索」は、『花関索伝』における関索を基本にしつつも、そのあまりに荒唐無稽な活躍については全く触れていないという点が大きな特徴と言える。まあ全身が鉄の妖怪変化とか演義にどうやって出せって話だし
これは三国志大戦、三國志が共に「ストーリー展開とキャラクターを切り離せる」タイプのゲームデザインだったことが大きいだろう。
関索はそのキャラクター上、小説や漫画などのストーリーを追っていく形式ではどうしても「空気になるか(Aパターン)、異物になるか(Bパターン)」の二択になってしまうのだが、これらのゲームは現代ならではの形でこれを解決したとも言える。

これ以後日本の三国志創作では
  • 関羽の三男(上は関平と関興)
  • キャラ造形の基本は『花関索伝』で、武芸に優れたハーレム野郎
  • 活躍は省略されるか、あるいはAパターン準拠
と言った感じに、従来の関索像から都合のいい部分を寄せ集めて作り出した関索が一般的になっている。
これらフォロワーの頂点にして最大手であるコーエーの世界的な影響力なども考えれば、これは最早現代において生まれた、新たなる関索の類型と言っても過言ではない。

よってこの項目ではこれを便宜上D「現代ゲーム式」パターンと分類する。



【その他の作品における関索】


『花関索伝』

よく勘違いされているが、「花関索伝」とは特定の小説作品の名前ではない。
「花関索」を名乗る関索が活躍するという筋立ての演劇、歌、講談、絵本、小説といったエンタメの1ジャンル、及びその元ネタを総称して「花関索伝」と呼ぶのである。
まあネットで「花関索伝ではこういう記述が~」などとある場合は、基本的に前述した『新編全相説唱足本花関索出身伝』『新編足本花関索下西川伝』『新編全相説唱足本花関索貶雲南伝』を指すことが多い。
その内容は・・・三国志からかけ離れすぎている上に、所要時間が倍ぐらいに伸びそうなのでカットだ!!
???「関索ヤフーだ ヤフーでググれ!」


『反三国志』

色々とカッ飛んでいることで有名なこの小説だが、意外なことに関索はパターンA(ただの関羽の三男)。
まあこの小説が書かれたのは中華民国時代であり、既に「演義といえば毛版」が常識化していたころなので当然と言えば当然である。
関索は中盤あたりに「期待の若手」として諸葛瞻馬成(誰!?)と共に登場するのだが、登場早々魏の文鴦に一騎打ちで負けそうになるなど、あまりいいところがない。
一緒に登場する諸葛瞻の方は圧倒的に頼れる強さを見せているので、なんだかその引き立て役になっている感が否めない。


『吉川三国志』

パターンA。吉川三国志は基本的には江戸時代に翻訳された『通俗三国志』を下敷きにしており、これはさらにたどれば輸入された李卓吾本が元になっている。
このため関索も本来は出落ちキャラのはずだったのだが、吉川先生も流石にイベント付きで出てきた関羽の息子がこの扱いはどうよ?と思ったのか、大幅に活躍が強化された。
具体的には原作における王平・馬岱の行動が一部関索に置き換えられているのだが、もともとこの両者も特に個性が強いキャラでもないので違和感はあまりない。


『横山三国志』

パターンA。絵的にインパクトがある南征で登場するためか、苦労して行軍する様が描かれるなど、下敷きにしている吉川三国志よりもさらに活躍が強化されている。
木鹿大王戦における「関索人だ 人を狙え!」(関索、象を攻撃)のシーンはしばしばネタにされる。
南蛮征伐を通してちょこちょこと登場するが、南蛮戦が終われば登場しなくなるという点は変わっていない。


『三国志(柴田錬三郎)』『三国志(宮城谷昌光)』『三国志(北方謙三)』など

こうした歴史小説寄りの作品では大抵Cパターン、つまり登場しないことの方が多い。
リアリティという観点からするとどうしても関索は異物にならざるを得ないし、また活躍の主体となる南蛮制圧も、省略されるか簡素に済まされるのが一般的なためだろう。


コーエー『三國志』シリーズ

パターンA(最近はややD)。関羽の子供たちはみな優秀だが、シリーズ初期にはそれぞれの個性が確立しておらず、兄弟間での力関係がタイトルごとにコロコロ変わっていた。
概ねキャラが確定してきた現在では
・関平…武力は最も低いが、統率・知力・政治なども高めの万能長男
・関興…関平の武力をわずかに増やし、それ以外の性能を少しづつ下げた武力寄り次男
・関索…武力は最も高いが、知力と政治が著しく低い脳筋三男
という住み分けがなされている。
90の大台に迫ろうかと言う武力こそ頼もしいものの、知力の低さが無視できぬ弱点となり、使い勝手はそのタイトルの戦闘システムに大きく左右されるところがある。
ちなみに三國志シリーズは「正統派(Aパターン)」を標榜する意地か、Dパターン系統の要素はわりと控えめ(関索の顔グラに花飾りもない)。
妻が登場したのも11からと新しく、ハーレム野郎っぽく魅力が特に高かったりもしない。
しかしこのため寿命が239年までと少し長めになっており(Bパターンの関索は222年以前に、原典である花関索伝でも235年に死ぬ)、後半のシナリオでは蜀の主力として活躍できる。


『三國無双』シリーズ

長らくモブのままだったが、長兄に遅れること2作、『真・三國無双6』で「嫁その1」鮑三娘と共に脱モブを遂げた。一つ上の兄を差し置いて。CVは甘寧と同じ三浦祥朗。
典型的なDパターンの関索で、「花関索」という通称・父譲りの剛勇・女性にモテるなどのキャラ造形周りは花関索伝から、樊城で負傷して行方不明になり鮑家荘で養生、南中(南蛮)で再登場などの経歴周りはAパターンから、それぞれ寄せ集めて作られている。
一方で性格は花関索の定番である軽めのチンピラ系と異なり、真面目で真摯な天然タラシ系であり、この点はかなり斬新。
Aパターン関索の特徴である「いつの間にかフェードアウトし、没年が不明」という点を最大限に活かし、孔明没後の蜀陣営の主力武将として活躍する。
だが固有性能という点では父や長兄に比べると少々・・・いやかなり微妙。
得意武器である両節棍(ヌンチャク)が6系のシステムでは使いづらいのが主な原因なのだが、7empiresで乗り換えた新武器「飛蹴甲」もこれまた微妙だったのでなんとも言えない感じに。


『三国志大戦』

前述の通り日本におけるDパターンの嚆矢となった作品だが、大戦の関索自体はむしろBパターン……というか、その原典である「花関索伝」をそのまま用いている。
先にも述べた通り、時系列に沿ってストーリーを追うのではなく、全ての登場キャラクターが一堂に会するという「スーパー三国志大戦」方式だからこそできたことと言えよう。
ちなみに「花関索」の「花」を文字通りの意味に解釈し、頭飾りなどの衣装に花をあしらうというスタイルはこの作品が最初だが、以降Dパターンの関索の標準装備となっている。
また妻も3人…どころか、マイナーな4人目まで出てくるのだが、彼女達に武力やレアリティで並ばれる、もしくは負けることも多い。
最新のシリーズでは関索自身はRとUCの2枚しか登場していないにも関わらず、嫁達はSRを含む合計12枚ともはや完全に立場が逆転している。
一応、魅力の特技号令である華麗なる号令を持って来ており、関索+嫁4人というハーレムデッキもカード化されている嫁が豊富なお陰で無理なく作る事も出来る。





「皆の者 ここはアニヲタの巣だ 用心して進め 槍で地面を叩きながら追記:修正だ」
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最終更新:2024年01月06日 13:58

*1 一応、移動手段が馬車や馬位しかないので移動自体が大変であった事とこの時の荊州は呉の支配下にあり、関羽の実子である関索が表立って行動する事は困難だったことも考慮するべきである。

*2 関羽は創作では「かつて故郷で悪代官を殺し、追われる身となって逃亡した」という基本設定がある

*3 例えば『精鐫合刻三国水滸全伝』という水滸伝と三国志演義のニコイチ本では、登場シーンはBパターンだが、それ以降登場しなくなるという変則パターン

*4 下等な歴史書。偽物の歴史を書いた本、ということ

*5 名義上の話で、実際に羅貫中の手によったかは定かではない