幕末(フィクション作品の背景)

登録日:2017/07/12 Wed 10:26:15
更新日:2024/04/12 Fri 15:28:32
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注:この項目はフィクション作品について語ったものであり、決して特定の人物や歴史書・作品等の誹謗を目的とはしていません。

幕末とは日本の時代背景の内江戸時代末期を指す言葉であり、俗に「黒船来航」から「戊辰戦争」終結までの1853年~1869年までを指す。
ここでは「幕末」を舞台にしたフィクション作品における「一応」の背景を説明する。


●概要

日本の歴史上最大最後の内乱期であり、多種多様なキャラが登場し歴史を盛り上げる幕末。それは戦国時代と並んで様々な作品の題材となっている。
平時なら活躍させてもらえない様な身分や立場の人間が乱世で大活躍する爽快さ。
鎌倉時代から600年以上続いていた武家による封建社会から、天皇を中心とした立憲君主制へと移り変わる切っ掛けとなった大きな政治的転換点。
開国に伴う外国からの技術・物品の大規模な流入による経済的・文化的変化(伝染病の拡大や不平等条約・貿易による不景気など負の面もあったが)。
それら要素は物語の紬手にとって大変心をそそる時代とも言える。

だがそれと同時に、黒船が来航した1853年からまだ200年も経っていない時代の近さと、思想や歴史の見方等の多様化により、ある意味扱いが難しくなっている。

例えば新選組。彼らは「尊皇攘夷」の旗の元に京都に集い、京都を守る会津藩の旗下で「天皇のいる京を害する」攘夷志士や長州藩に立ち向かった。
だがそれゆえに薩摩・長州連合軍を中心とする「官軍」が優勢になった時、幕府側にいた彼らは「仲間を多数殺した罪人」となり、局長近藤勇は「斬首」という武士として最悪の処刑に処せられた。
例えば長州藩。彼らは幕末における勝者となり、戦後の明治時代に初代総理の輩出から小岩井農場の創設まで日本の歴史に様々な功績を残した。
だがそこに至るまで洒落ではすまなすぎる問題行動を起こしており、明治時代の功績もライバルの抑圧等負の面を併せ持っていた。
例えば奥羽越列藩同盟。個人的な恨みで真面目に治安維持をしていただけの会津藩・庄内藩を罰しようとする「官軍」薩長に服せなかった彼らは、理不尽な「今」に抗おうとして潰された悲劇の存在である。
だがその一途な願いが東北全てだったかというとそうでもなく、彼らが「官軍」に抗えなかった理由の中には藩内の「尊皇派」による内乱や、2重スパイ状態だった藩潰し、寝返り等があった。

「絶対的な正義」等というものは存在せず、時期によって「敵」・「味方」の関係性すら変わり内ゲバも頻発する混沌さ。
観光客向けウェブサイトでは殆ど触れられない程に繰り広げられた凄惨なる戦いと粛清・暗殺。
「領土の拡大・保全」という分かりやすい目的で戦えた戦国時代はもはや御伽話となり、敵も味方もややこしい「思想」や「建前」を掲げねばならない面倒くささ。
「攘夷」を謳いながらも「外国に抗するため」外国から武器などを買い集める矛盾。
一方で民間の農民などは普通に日常を過ごしつつ、戦乱や不景気等に巻き込まれ被害を受け、開国による産物が少しづつ生活を変化させていく様子。
「どの勢力から描くか」・「明治時代まで描くか」等によってエンディングの感触すら変わりかねない流れ。
そして時代が「近めの過去」であるゆえに、史料が多数残り各勢力の子孫が著名人にも複数いるためイフ展開のしづらいこと。
それゆえに、一歩間違えると大変アンチや真面目な批判者等の出来やすい時代背景とも言える。

ゲーム作品では恋愛系等アドベンチャーゲームが多めだが、戊辰戦争周辺は重すぎかつデリケートなためゲームの題材として取り上げられない。
また、著名人物の場合結婚相手はおろか、下手したら「愛人」「彼女」の存在まで明確になっているケースもあるので、現代から見ると最低男になりかねない様な当時の結婚・対女性観をどう料理するかも求められるかも知れない。


●幕末の基礎知識

ここではとりあえずこれだけは理解していた方が分かりやすくなると思われる用語等の意味を解説する。

  • 開国
嘉永6年(1853年)、アメリカの東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーが4隻の「黒船」(蒸気船2隻、帆船2隻)で日本の政治的中心である江戸近くの浦賀(現神奈川県横須賀市)まで来航し、
日本に「アメリカ船への補給及び国交樹立」を要請。そしてその直後ロシアの海軍提督プチャーチン率いる艦隊も長崎へと来航しほぼ同様の内容を要求。
結局翌年のペリー再来訪時の「日米和親条約」樹立により、3代将軍家光の時代より続いていた「鎖国」体制*1が事実上終結した事。これ以降やむを得ずロシア等他の西洋諸国との国交も次々開始されていった。
但しその後強行締結された「日米修好通商条約」等はアメリカ等が優位の不平等条約であり、また「国・藩レベル」での限定された開放であり海外船の来訪・外国人居住は箱館・横浜等一部港に限定。
明治維新直前まで「公式に」海外渡航できるのは幕府が派遣した使節団及びその随行者達のみ等、完全に自由とはいかなかった(それでも一揆増加等経済的悪影響は否めなかったが)。
なお最初に開国した国こそアメリカだったが、南北戦争等により日本へ干渉する余裕が減ったため他国の影響が強まり、幕府がフランスよりになったり薩摩藩がイギリスよりになったりした。

  • 攘夷思想
開国以前からの海外船接近遭遇・及び国交樹立要請等に反応して勢いを強めていった、「夷(異国人)を叩きだせ!日本に入れるな!」という思想運動。
当時の日本知識層には清で西洋列強が「アヘン戦争」等好き放題している情報が伝わっており、またキリスト教など海外文化による文化侵略の危険性や、
開国後の海外交易による副作用な超不景気への不満なども込みで「西洋許すまじ」な考えが大きくなるのもやんぬるかなな状況であった。
そしてそれが、江戸時代後半から隆盛していた「国学」による「尊皇・勤皇論(天皇こそ日本古来からの君主であり最も敬うべき存在である)」と結びついたことから生まれたのが…

  • 尊皇(尊王)攘夷運動
「天皇の元、外国を叩きだせ!」という思想がエスカレートした過激運動で、最終的に「いっそ天皇を上にして幕府を倒せ!」まで発展してしまった。
尊皇論自体は「佐幕(幕府支持)」と合体した「幕府と朝廷が密な関係を築く」公武合体論や「朝廷と大名による合同政治」を謳う公議政体論へも発展したが、こっちは開国も、行き過ぎた場合蘭学者等をも否定する考えで、これを口実にした過激な事件が多発した。
ちなみに各種条約締結時の朝廷との手続きやこれら尊皇論の盛り上がりにより、幕末の政治的優位性を得るための要素に「誰が朝廷から一番信頼を得るか」の比重が大きくなった。
長州等の行動動機にもなったが、「官軍」結成頃には彼らは外国武力に打ちのめされていたため「まず海外技術などを身に着けてから攘夷ないし強国化へ」という現実的な考えに転換していた。

  • 大政奉還
慶応3年(1867年)に起こった、15代将軍徳川慶喜の決断による「将軍から天皇・朝廷に政治の中心(大政)を譲り渡す(奉還)」こと。坂本龍馬が発案し、土佐藩の後藤象二郎が幕府に提出した案が基になっている。
これにより幕府は消滅し(一応江戸開城時直前まで譜代大名ら「老中」等はそのままだったらしいが)、徳川家は「日本最大の大名」へと格下げになった。
だが「官軍」は徳川家が「日本最大の大名としてこの後も支配層最大であること」を恐れ、この後武力による徳川家や佐幕派制圧路線へと突き進んだため、現代の幕府や会津サイドから見た史書やフィクションで批判される要因となっている。

  • 名前・名字
江戸時代の武士(及び「名字帯刀」を許された一部庶民)の名は、「武家としてのルーツを示す『本姓』」・「一般的な意味の『名字(氏)』」・「正式な名だが普段使われない『諱』」・「普段使う『通称』」・「幼少時の『幼名』(通称になる事も)」からなり、
大名や旗本は平安時代由来の「官職」の称号を与えられ平時は官職で呼ばれ*2、詩や和学・漢文等をたしなむ武士は「詩等を書くときの筆名や隠居後の通称である『号』(雅号)」や「中国名由来の『字』」を自らにつけた。
また通称を一族代々共通のものとして使う家も多数存在したが、明治時代に現在の様にシンプルな「名字+名」となり、武士たちは諱または通称に名前を統一した。
例:福沢「諭吉」(通称)、吉田「松陰」(雅号)・徳川「慶喜」(諱)、河井「継之助」(先祖代々の幼名からなる通称)
通称は時期によって変化させる者も多数いた(伊東甲子太郎は新選組入りする前「大蔵」、抜けた後「摂津」と名乗っていた等)。
さらに当時は養子として別な家を継いだり(伊東甲子太郎、吉田松陰等)、殿から褒美替わりとして名字を授かったり(桂小五郎→木戸孝允)、先祖由来の姓に変えたり(乾→板垣退助)と、時期によって名前の骨格すら変わりかねない程ややこしい時代であった。
女性はそこまでややこしい名前システムではなかったが、状況によっては改名したり、明治時代名前に「~子」をつけたりした(杉(久坂)文→美和→楫取美和子)。
幕末作品ではこれら呼び名をどう描くかは個人差があり、「出来るだけ当時の文章のように呼ばせるもの」から「分かりやすさを重視して歴史教科書に載っている名で呼ばせる」ものまで多数ある。


●作品の類型

ここでは参考として、主役勢力ごとに作品背景の説明と一般的傾向をまとめる。
あくまで「一般的」な傾向なため、類型とは違う作品が多数ある事もお忘れなく。
また戦国時代ものや『水戸黄門』等を観た後に幕末ものを観ると色々と「変わるもの」・「変わらないもの」を実感するかもしれない。


●新選組

戦後から人気になった流れの一つ。
芹沢鴨一派の粛清や伊東甲子太郎一派との対立等どす黒い面もあるが、ひょんなことから「武士」となるため奮闘するも時代によって潰された悲劇や、
「終わり」を予感させながらも自らの「誠」を貫くため時代を駆け抜けた物語として描かれることが多め。
近藤勇をメインにすると流山出兵で終わるが、土方歳三をメインにすると戊辰戦争ラストの箱館戦争まで描かれ、永倉新八ら明治期まで生き残ったメンバーによる回顧形式にも出来る。
また他勢力の作品群にも言えることだが、あえて無名の隊員や架空の隊員を主役にすることで史実上のメンバーとの自由なやり取りをさせるケースもある。

●薩摩藩

鎌倉時代から続く島津家によって徹底的に強化され、琉球をも半ば支配していた西の強国。
主に西郷隆盛と大久保利通がメインとなり、開明派藩主島津斉彬の苦闘と死去による挫折、
斉彬の異母弟で藩主の父たる島津久光の強権的行動による京都・江戸出兵や「生麦事件」・「薩英戦争」等の騒乱を交えながら、
徐々に勢力を伸ばしていき「官軍」として日本を制する話。
どちらかというと安定した「勝ち組」の話になるが、途中政治的工作が多くなるため爽快感にかけたり、壮絶な粛清「寺田屋事件」や明治後の西郷が斃れる「西南戦争」や大久保の暗殺等鬱展開もある。

●長州藩

関ケ原以降古巣安芸を追われ、こじんまりと周防・長門を治めていた毛利家とその家臣達。
思想家吉田松陰のしくじり人生が起点となり、桂小五郎(木戸孝允)や彼が晩年「松下村塾」として学問を教えた高杉晋作ら若き志士たちが様々な行動を開始し、その一環として「奇兵隊」等民間人をも採用した軍組織群「諸隊」が誕生。
一時は過激化し過ぎて外国に喧嘩を売って倒され、薩摩や幕府ら全国をも敵に回し藩内の保守派から弾圧されるも、保守派を逆に武力で倒し再興。坂本龍馬のとりなしで薩摩藩と同盟して一気に対幕府力を強め、「第2次長州征伐」での勝利を経て「官軍」となる話。
現代的な視点で観ても問題行動が多く、一応「主役サイド」な松下村塾組も早死にする者や明治時代の行動の是非、奇兵隊の最期も大規模リストラに伴う内乱によって等、個々のキャラの「主役力」や「キャラ単体での物語的ボリューム」が少なめで、功罪のバランスを取って書くのが難しい。
伊藤俊輔(博文)ら5人が英国へ密航留学した話等冒険譚に出来る話もあるし、志士たちの青春群像劇や恋愛譚的にすればましな話になるが、それはそれで「美化しすぎ」と批判されたりもする。
ちなみに司馬遼太郎の『花神』ではそれら志士組とあんまり関係ない村田蔵六を主役にすることでこの問題を解決している。

●土佐藩

郷士差別など火種を抱えながらも比較的安定した統治が行われていた山内家の領地。
郷士たちが「尊皇攘夷」を夢見て武市半平太の元に集うも、佐幕で公武合体派だった藩に潰され、一方で脱藩した坂本龍馬・中岡慎太郎らが薩摩藩・長州藩等や他藩の志士たちと密な交流をしていくことで力をつけていく。
最終的に脱藩組や藩外からの交渉で上士ながら脱藩組に比較的理解のあった乾(板垣)退助やかつて共に武市らを断罪した参政(最高権力者)後藤象二郎が動き出し、龍馬の提案の「大政奉還」を幕府に薦め一件落着…と思った矢先に龍馬が暗殺されて「大政奉還」は空中分解し、結局薩長に流され武力倒幕に参加する羽目になった話。
役割的に自由な龍馬が圧倒的に主役になりやすく、幕末~維新の流れに乗じて三菱財閥を築いた岩崎弥太郎や、明治後政権に座るも半端に終わった板垣退助や後藤象二郎、活躍した期間が短めな中岡慎太郎の話は少なめ。

●水戸藩

徳川光圀による「水戸学」の影響で尊皇思想の核の一つとなり、一橋家養子となった徳川慶喜が「最後の将軍」となった「御三家」の一家。
後期水戸学によって日本全国の尊王攘夷運動の先駆けとなった藩だが、その後藩内の思想闘争が権力闘争と絡んで本格的な抗争に発展する。
藩内の人物は「諸生党」「天狗党」の2派にわかれて怒涛の内ゲバを繰り広げ、ついには幕末の諸藩で唯一の内戦(天狗党の乱)にまで至った。
結局戊辰戦争も含めた「幕末」の間中ひたすらな内部抗争に終始したため、「幕末」という時代との関わりが薄く、幕末モノの主役としては押しが弱い。出てくるとしても殆どは慶喜関連や桜田門外の変の背景としてである。
あえて主役勢力として取り上げる場合、女子供も平気で斬首される凄惨な内ゲバに鬱展開不可避だが、逆に開き直ってその方向を突き進みドワォにつなげた山田風太郎の『魔群の通過』のような小説もある。

●佐賀藩(肥前藩)

戦国末期に主家・龍造寺家から大名の座を奪い取り、『葉隠』を生み出した鍋島家の藩。
幕末随一の技術国にして産業国という面白い個性を持っているが、技術フェチなボス鍋島閑叟(直正)の不干渉主義によって時局に全然絡まなかったため、大政奉還以前は他藩の有名人たちとの接触が全然ないのが痛い(少し接触した江藤新平や大隈重信もすぐ幽閉)。
まあ最終的にはその強大な軍事力によって「勝ち組」の一角に食い込めたし、閑叟の統制力のおかげで他藩のような血なまぐさい内ゲバもなかったのだが、そのそつのなさ故にドラマ性が足りず、幕末モノとして面白味に欠けるのは否めない。
このためか、主役勢力としては司馬遼太郎の『ネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲』や高橋克彦の『火城』、植松三十里『黒鉄の志士たち』のように、技術国としての側面に着目したプロジェクトX的な作品が目立つ。

●奥羽越列藩同盟

京で天皇を守るため奮闘するも、攘夷志士を裁きすぎたため「官軍」から敵対視され潰された会津藩の悲劇や、長岡藩を守ろうとするも相互不信や誤解等で戦乱となり倒れた河井継之助等、
「官軍」の齎す理不尽に抗おうとして無残に滅ぼされ、明治時代も苦難の中に晒された東北諸藩(佐竹家治める久保田藩など一部除く)の話。
全国的知名度は会津・河井が高いが、各地元等で庄内藩や仙台藩等を舞台にした作品も描かれている。
悲劇的な話になりやすいが、内ゲバや民衆への被害なども入れ込むと純粋な「被害者」ではいられなくなる。

●幕府側(各地の「佐幕派」も含む)

のらりくらりと各所からの開国要請を断っていたら、黒船によって逃げ場を失った日本代表(対外的な意味で)。
黒船来航から政治的混乱が始まり、それと共に外国技術による軍や医術の革新も開始され、「幕府陸軍・海軍」・新選組等市井からの起用部隊も増加。
長州藩等過激派のトラブルに頭を抱えながらも何とか進んでいたら大政奉還発生。最終的に鳥羽・伏見の戦い後江戸に帰還した元将軍慶喜の降伏によって、幕臣が「恭順派」・「抵抗派」・「静観派」に割れてしまう話。
恭順派の勝海舟、抵抗派の新選組含む旧幕府軍派それぞれで視点が異なり、旧幕府軍・佐幕派でも戦死組・生存組どちらの目線にするかで終点が異なる。
他にも井伊直弼を焦点におき「安政の大獄~桜田門外の変」を書いたり、手塚治虫の『陽だまりの樹』等佐幕派の一般武士をメインにして、時代の中で翻弄される話もある。

●その他武士

各地の脱藩浪人達や、上記の勢力程幕末の騒乱に関わらず、積極的な「佐幕」や「尊皇」、「攘夷」派ではなかった藩や武士たち等を主題にした作品群。

●蘭学者

緒方洪庵が拓いた「適塾」の卒業生や長崎にいたオランダ人医師「ポンペ」の元で学んだ人々等、西洋言語・学問を身に着けた「蘭学者」を主役にした作品群。
福沢諭吉など政治的な事に殆ど関わらず文明革新に励んだり学んだ技術を生かしたりする学者の話や、長州藩の村田蔵六や幕府の松本良順等歴史の流れに翻弄される蘭学者を描いた話がある。例えば、手塚治虫氏の曽祖父・手塚良仙を主人公にした「陽だまりの樹」はアニメ化やドラマ化が為されており、知る人ぞ知る作品である。また、良仙はかつて治虫と親交のあった漫画家・みなもと太郎の作品「風雲児たち 幕末篇」にも登場しており、治虫の写真に寄せたデザイン*3で描かれている。

●民衆・女性

普通に過ごしていた農民や商人、あるいは乱世の中を生きる男たちと縁を持った女性たちが、幕末~維新へと至る流れに翻弄されたり、それでも日常に生きたりする作品群。
ジョン(中浜)万次郎等漂流民を主題とした話や、市井の活動家の話もこれに含まれる。

●時代は幕末だが歴史的な影響が殆どない話

幕末を舞台にしているからといっても全てが歴史的話になるわけではない。
維新側についた清水次郎長等の「博徒」(やくざ者)を主役にした話や、『鞍馬天狗』等活劇的要素が強い話、『御宿かわせみ』・『浮浪雲』等日常的話を描いた話はあまり「幕末」ものとしてカウントされない。

●番外編:幕末をライトモチーフにした作品

史実?何それおいしいの、とばかりに史実キャラの名前や一部要素だけ借りて自由に物語を展開していったり、
「幕末」の流れを元ネタにして、架空のキャラや世界で物語を紡いでいくパターン。
現代人が幕末にタイムスリップする作品群も、未来人による干渉でイフ展開がしやすいという面でこれに入るかもしれない。



追記・修正はフィクションと歴史の違いがきっちりと分かる方にお願いします。


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最終更新:2024年04月12日 15:28

*1 外国との交流を長崎出島でのオランダ・清との外交・対馬藩経由で「李氏朝鮮」との外交、薩摩藩経由での琉球国(現:沖縄県)との外交、松前藩経由でのアイヌ支配のみに限定し、それ以外の諸外国からの国交樹立要請を拒絶していた。また日本人が海外に事故で渡った場合でも帰還するのは困難を極め、帰国した場合も届けた船による開国狙いの目的なども含めて徹底的に調査され、管理下に置かれた。なお余談になるが鎖国は江戸時代以降に使われるようになった用語である。

*2 ちなみに実際の幕末では各藩の家臣は「『大名の称号』+家来」と自らの所属を称していたという。

*3 眼鏡をかけさせ、髷をベレー帽風にしている