隠神刑部

登録日:2017/07/05 Wed 12:21:54
更新日:2024/02/06 Tue 10:46:45
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【概要】

隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)とは、日本三大狸話*1松山騒動八百八狸に登場する化け狸の頭領である。
四国三大狸の筆頭としても名を連ね、日本の化け狸の中ではもちろんあらゆる妖怪の中でも最も格の高い者の一狸(ひとり)


【松山騒動八百八狸】


隠神刑部の出典である「松山騒動八百八狸」とは、伊予国(愛媛)松山に伝わる
日本三大狸話の中ひとつでその中でもひときわ異彩を放つ伝説。
享保の大飢饉に際して起こったお家騒動を狸話と交えて講談にしたもので、
松山城の守護者であった八百八匹の狸たちを描いた物語である。

○松山の守護者、八百八狸

伊予の松山には、天智天皇の御代から化け狸が棲みついていた。
化け狸は松山の地で大いに栄え、化け狸が狸を産み、その仔もさらに化け狸となって
ついには八百八匹もの化け狸の一大勢力となったのだ。

その八百八狸の始祖にして総帥、飛鳥時代に松山に棲みついた最初の一匹。
数ある四国の物怪の中でも最高の神通力を持つ日本最古の大狸…



それが「伊予(いよ)刑部(ぎょうぶ)」こと「隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)」である。



「刑部」とは「司法官」を意味し、松山城主の祖から拝領した位階である。
それが示す通り彼らは代々松山城を守護し、城主や家臣から篤く信仰されていた。
隠神刑部とその八百八匹の眷族は久万山の岩戸を根城とし、ときにその神通力で風雨をあやつり鎮め
ときに妖術で不逞の輩どもをこらしめ追い払い、松山の地に豊かな実りと穏やかな治世をもたらした。
そして永きにわたって松山の民を守護しつづけてきたのである。


○享保の大飢饉、小源太との盟約

しかし時は流れ、享保17年。
冷害と害虫が西日本を覆い尽くし、かの「享保の大飢饉」が巻き起こる。
松山にもその猛威は降りかかり、さしもの刑部の神通力をもってしても凶作を押しとどめることはできなかった。
窮した松山藩は幕府から多額の金子を借り受ける。
だが時の上代家老奥平久兵衛は、この金子を着服せんと謀略をめぐらした。
そして目の上のたん瘤である、松山藩の守護者隠神刑部の排除をもくろむのである。

久兵衛は、世を惑わす怪しい狸を討伐せよと子飼いの武者後藤小源太に命ずる。
この後藤小源太、飛騨の山の奥深くに生まれ山犬の乳で育ち、夜目が効き闇夜の剣術をあみだしたという豪傑だった。
さしもの刑部と八百八狸らも、狸の天敵である山犬の力を得た豪傑には歯が立たない。
やむなく刑部は「もう狸を討伐しないなら、小源太が窮地の時に助勢する」という条件で和睦を申し入れる。

小源太はこれを飲んで八百八狸と盟約を結び、その守護を得ることとなった。
彼の身に危険が迫ったときに合言葉を口にすると、どこからともなく狸が現われ神通力で彼を救ったという。
奥平久兵衛は小源太を中老に取り立てて八百八狸を味方に引き入れ
さらには藩主の愛妾お紺の方をも手ごまにし、いよいよその悪だくみを実行に移すのである。


○奥平久兵衛の謀反、武太夫との対決

奥平久兵衛に操られた八百八狸は、松山城下で夜となく昼となく怪異を巻き起こした。
久兵衛はこの怪異、そして飢饉の被害を政敵らの不手際によるものとして弾劾。
これに対し筆頭家老松平主膳、その配下長谷川織之丞、近習頭山内与兵衛らは主君に直訴する。
しかしお紺の方の讒言により逆に処分を受け、山内与兵衛は手討ちにされてしまった。
邪魔者すべてを除いた久兵衛は、いよいよ藩そのものを乗っ取らんと動き出す。

しかしここで現れたのが、幼少のみぎりにあまたの妖魔を退けた剛の者、芸州広島の一刀流剣士稲生武太夫*2
刑部は武太夫をおそれ雌狸を娘の姿に化けさせ近づかせるが、あっさりと露見。
反久兵衛派に加わった武太夫は山内与兵衛の霊が宿る菊一文字を手に後藤小源太を討ち果たす。

隠神刑部は小源太との盟約と義理のため武太夫と対決する。
しかし武太夫は日頃より信仰している宇佐八幡大菩薩の加護を受けていた。
武太夫は宇佐八幡から授かった神杖を振るい、刑部はついに調伏される。
そして八百八狸らもろとも久万山の洞窟に封じこめられてしまった。

狸の後ろ盾を失った奥平久兵衛は、その悪行が明るみに出て失脚。
こうして松山を襲った変事は解決したのである。


○その後の隠神刑部と八百八狸

久万山に封じられた隠神刑部と八百八狸は、本来なら成敗されてもおかしくなかった。
しかし彼らは城下を騒がしてなお家臣や領民に慕われ、その洞窟の前に社を立てられ祀られた。
これが今も松山市に残る「山口霊神」である。

四国最大の化け狸であった隠神刑部、そして彼が率いる一大勢力八百八狸が失われた四国は
その後化け狸をはじめとするあまたの物の怪が跳梁跋扈する戦国時代に突入したという。

○異説について

まず上記の伝承については、複数の記述から当ページの作成者が抜粋し脚色を加えたものである。
なので必ずしも正確な記録ではないことを了解してほしい。

「松山騒動八百八狸」は、江戸末期に講談として広まった。
なのでそれぞれの講談師により話の内容が微妙に異なっている場合がある。
主なバリエーションとしては…
  • 隠神刑部らはもともと災いをもたらす狸であったが、後藤小源太に敗れてから松山に恵みをもたらすようになった。
  • 隠神刑部は伝統を軽んじる当代の藩主を快く思わず、謀反側に積極的に加担した。
  • 謀反側は最初から八百八狸らを捨て駒として扱い、城下の怪事のみならず
    飢饉や財政のひっ迫などすべての責を押し付けてから武太夫を呼び寄せて倒させた。
  • 武太夫は宇佐八幡大菩薩の神杖ではなく、かつて退けた魔王・山ン本五郎左衛門からもらった小槌で刑部を倒した。
  • 刑部は謀反側ではなく藩主側に味方していた。

などである。

【解説】

○背景について

「松山騒動八百八狸」は、伊予の松山で実際に起きた松山藩での政変「久万山騒動」をモチーフにして作られた講談話である。*3
なので作中の多くの人物が実在しており、内容についてもなんらかの符丁を思わせるような記述が散見される。

●松山藩の政変

松山藩は享保の大飢饉により5000とも6000とも言われる餓死者を出してしまった。
松山藩主松平定英はその責を問われたのと病のために政務継続が困難と判断され、
幕府より差扣(さしひかえ)*4を命ぜられていた。
定英はそのまま、失意のうちに亡くなってしまう。

その後息子の松平定喬が後を継ぎ松山藩主になったが、このとき一大事件が起こる。
定喬が藩主となった翌年、家老の奥平藤左衛門が飢饉の不始末のため蟄居(ちっきょ)*5となった。
連座して藤左衛門派の久松庄右衛門山内与右衛門が処分をうけ、
山内与右衛門は「悪心を持って藩主を惑わした」かどで切腹となってしまう*6
そして替わって家老の座に座ったのが奥平久兵衛である。
松山騒動では悪の首魁として、唯一実名で登場している。

この政変は久兵衛の野心によってか、藩主の定喬が父の影響を排したいと思ってのものかは定かではない。
しかしとにかく奥平久兵衛は松山藩の実権を握り、勢力を大きく伸ばしていった。
けれども松山藩は、すぐに大きく蹴つまずくことになってしまうのだ。

●「久万山騒動」について

久万山騒動とは、享保大飢饉に際して奥平久兵衛の失政のため農民たちが越境した事件のことを指す。
享保の大飢饉の傷跡がまだ生々しい松山の領民は、米の高騰と主要産物の茶の暴落のダブルパンチを受け貧困にあえいでいた。*7
さらに松山藩は、領民が副業として製造販売していた手すき和紙を藩の専売品にするというお触れを出す。*8
ようするに領民の上前をはねたわけである。

農民は何度となく藩に嘆願を重ねたが、ことごとくなだめすかされ追い払われてしまいついに堪忍袋の緒が切れる。
彼らは自分たちの村を離れ隣の大洲藩めざして出発し、最終的には3000人近くの農民が越境したのである。

●騒動の始末、奥平久兵衛の末路

ここに至って松山藩は必死に帰還するよう求めたが、すでに何度も訴えを退けられてきた農民たちは頑として話し合いに応じようとしない。
万策尽き果てた藩は、久万山の大宝寺住職斎秀に仲介を依頼する。
わずかに態度を軟化させた農民たちとそれでも厳しい交渉をおこなった末に
斎州はどうにか松山藩に農民たちの出した条件を飲ませ
さらに一揆の首謀者を詮索しない旨の約定を取りつけてどうにか彼らを松山に帰すことが出来た。

奥平久兵衛はこの一連の事態の責任者として見られており、騒動中に出仕を差し止められ
事態の収束後は生名島へ配流される。一説には松山藩より派遣された目付によって殺されたという。
こうして松山藩政を揺るがした久兵衛は処断され、久万山騒動はおさまったのである。

○「隠神刑部」は誰なのか?

「松山騒動八百八狸」は史実を基にした物語であり、登場人物の多くが実在の人物をモチーフにしている。
悪役の奥平久兵衛実名で登場し、義士山内与兵衛はあきらかに山内与右衛門がモデルであろう。
他にも何人か実在の人物に符合するキャラクターが存在している。

それではこの物語の主役とも言える隠神刑部は、誰をモチーフにしているのだろうか?
これは恐らく松山藩と農民たちの間に立ち仲介を行った大宝寺住職斎秀だという説がある。

大宝寺は飛鳥時代に久万山に創建されており、天智天皇の御代とまではいかないまでも
それに近い時期から隠神刑部の本拠地と同じ場所に存在している。
さらに斎秀は暴政をはたらいた松山藩からの使者として農民たちのもとに向かっており、
奥平久兵衛と結び付けられても不自然ではない。

ただ物語では隠神刑部は配下の八百八狸もろとも久万山に封じられてしまうが、
騒動の収拾に貢献を果たした斎秀はその威徳が称えられ、大宝寺は松山藩や幕府の覚えもめでたく大いに栄えた。
この差はどこから生じたのだろうか?


これはもう、狸に聞いてみるよりほかになさそうである。


【現代における隠神刑部と八百八狸】

飛鳥時代より生き続け八百八匹もの化け狸を率いる隠神刑部は、
狸の中でも日本最高級の格を持った存在である。
なので妖怪全体の中でもその扱いは別格に位置している。
(ただ、隠神刑部はれっきとした神なのではあるが)

現代でもそれは変わっておらず、地元の松山では今もなお住民たちの尊崇を集めているほか
妖怪を主題とした創作物においても他の妖怪とは一線を画した存在として登場することが多い。

ゲゲゲの鬼太郎(水木しげる)

水木しげる大先生(オオセンセイ)により世に出された日本妖怪史に残る名作。
この作品で隠神刑部は鬼太郎の強敵として…
配下の八百八狸とともに日本征服をもくろむ大妖怪「刑部狸」として登場する。

封印を解かれて復活した刑部狸は日本上空に第二の月を引き寄せ、
その中から現れた妖怪獣蛟龍を操り東京を蹂躙。
続けて日本の地底奥底に要石により封じられていた大ナマズを解き放ち、米軍さえも退ける。
さらになんとその巨大な要石自体までもを宙に浮かせて攻撃するという恐るべき神通力を発揮。

結局鬼太郎たちも自力で刑部狸を倒すことはできず、
彼らを岩穴に封じていた太古の封印を再建して再度封じこめたのである。
全作の中でも最もスケールの大きな敵のひとりとして
アニメシリーズでもその実力をいかんなく発揮し、
鳥取の水木しげるロードでも銅像となってその威厳を示している。

平成狸合戦ぽんぽこ(スタジオジブリ)

現代社会と狸の対決を描いたスタジオジブリの異色作。
この作品では四国三大狸がそろい踏みし、当然のように隠神刑部も登場する。
隠神刑部ら三大狸は恐るべき化け術を使いこなし、現代人たちを大いに恐れさせたのである。
詳細についてはこちらを参照してほしい。


なお、隠神刑部のその他の出演作については化け狐・化け狸の項目を参照されたし。



追記・修正は808匹の子供を作ってからお願いします。



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最終更新:2024年02月06日 10:46

*1 残り二つは「文福茶釜」「證誠寺の狸囃子」。化け狐・化け狸参照。

*2稲生物怪録」を参照。

*3 江戸時代中期に書き下ろされた「実録 伊予名草」に、講談師たちが狸や妖怪話で肉付けして出来上がったとされる。

*4 差扣:自宅謹慎。

*5 蟄居:これも自宅謹慎のことだが、閉門(戸や窓を閉ざし、昼夜問わず外出禁止)の上に特定の一室での謹慎となり、謹慎処分の中ではもっとも重い。

*6 ただこの罪状には具体的な内容が確認できていない。山内与右衛門は現在、地元の山内神社で享保の大飢饉のおりの功労者として祀られている。

*7 米が高くなったことでそれを基準としていた年貢も高くなった。さらに松山では米があまり取れないため他のものを作って売って金銭で年貢を納めていたのだが、主力の茶の相場が安くなってしまったため二重に打撃を受けたのである。

*8 専売制:原料の楮を藩で強制的に買い上げてしまったため原料が不足し、さらにノルマを課して強制的に製造させたため副業だったはずの紙づくりが本業の農作業を圧迫し始めた。