張遼

登録日:2012/06/17(日) 10:03:38
更新日:2024/03/07 Thu 09:28:25
所要時間:約 7 分で読めます




張遼(ちょう-りょう 生没年169年-222年)とは後漢~三国時代の曹魏の武将。字は文遠。
前漢の聶壹の末裔であり本名は聶遼だったが改名した。これは一族自体が単于(北方遊牧民のボス)に恨まれていた為。(過去に騙まし討ちした)

彼以外と楽進・于禁・張コウ・徐晃の魏の「五将軍」の筆頭としても知られる。


来歴

元々は丁原に武勇の才を見出されて取り立てられる。
その後、大将軍肉屋何進の命で河北に赴いたが、洛陽に戻った時には肉屋が十常侍によってバラ肉にされていた。
更に自らを取り立てた丁原も呂布に斬られ、仕方なく董卓に仕える事に。
呂布・王允による董卓暗殺後は呂布配下になるが、李カク・郭シの報復により呂布と共に長安から出奔。
以後、呂布が下ヒで命を落とすまで行動を共にする事になる。

呂布軍では高順(惇兄をボコボコにした人)と並んで精強な騎馬隊を率い、2枚看板として恐れられた。

呂布配下時代

192年、呂布配下時に劉備から徐州を奪った後、28歳という若さで魯国の相として任命される。
武人肌なので内政ちゃんとやってたのか怪しいが…部下に任せっきりだったかも。

198年、曹操陣営になった劉備が防衛している小沛を高順と共に攻撃、またしても劉備涙目な事態に。
ついでにこの戦いで前述通り高順が惇兄をボッコボコにして、捕獲。惇兄…。

しかし同年冬、最大の転機が訪れる。
呂布軍の拠点、下ヒ城の3ヶ月に渡る篭城戦で曹操軍は疲弊しており曹操自身も撤退を考えていたが、
荀攸・郭嘉の策による水計で、城そのものが真冬の水浸しに。
呂布軍の士気はガタ落ちして瓦解、敗北する事になる。

その後呂布・陳宮・高順は絞首刑になるが、張遼と同僚の臧覇は曹操軍の配下に組み入れられる。

演義ではこのやり取りが少し脚色されており、張遼は曹操を罵倒し斬られそうになったが、
劉備と関羽に押さえられ「これほどの忠義の将を斬るのは惜しい」と説得している。
ちなみに呂布は正史でも劉備に処刑するよう進言されている。こっちは普段の行いが悪かったからな…。

曹操配下時代

劉備が例によってヘタレ癖を発揮し、曹操軍を裏切って袁紹側に付いたが、
この時下ヒ城で死ぬ気満々だった関羽を説得している。これは劉備が曹操軍所属時に関羽と親交があった為。

中原の覇と献帝を巡り、袁紹軍との白馬の戦いでは先鋒として関羽と共に出陣し、顔良軍を打ち破っている。
ただし関羽の項目が事実なら酷いとばっちりで顔良は死んだことになるが…。
演義での顔良・文醜に苦戦は例によって創作。

官渡の戦いで曹操軍が袁紹軍を撃破した後は別働隊として夏侯淵と共に、劉備に呼応して反乱を起こした昌キを攻略。
昌キの心理を読み、夏侯淵の同意を得て説得し投降させる。
この時単身で昌キの家族に挨拶して回っていたが、後に曹操から「大将のやる事じゃねえ」と怒られちった。

ちなみに昌キは後にまた反乱起こして斬首された。一度で懲りろよ…。

袁紹の馬鹿息子攻略にも従軍し(この時行中堅将軍に昇進)、袁尚を楽進(不仲その1)と共に攻略。
ギョウ城陥落後は袁譚への攻撃に参加したり、賊の討伐を行ったり等多くの功績を挙げる。

許都帰還時には曹操自ら出迎え、喜々として手を引いて車に乗せ、昇進させたりしている。
ちなみに彼以外で曹操の車に乗る事が許されていたのは惇兄くらい。
その後も荊州・江夏の攻略にも参加している。

206年の柳城からの北伐にも参加。袁尚を支援していたトウ頓率いる烏桓討伐では先鋒として旗を掲げて侵攻。
この北伐は曹操軍にとって被害は少なくなかったものの、目的であるトウ頓撃破に成功。

その後も赤壁を含む数多くの戦場で駆け、戦功を上げている。
張コウ・于禁等の活躍も少なくなかったが、特に彼の功績が飛び抜けていた。

張遼の本気・合肥駐屯期

李典(不仲その2)・楽進と共に活躍。
合肥の戦いを参照。脚色されてる演義より史書の記載の方が壮絶な事でも有名。
「遼来遼来(遼来々)」「泣く子も黙る」の語源もこの戦いに由来。
ぶっちゃけ、この戦いが原因で三国鼎立が確定したので彼のチートっぷりが良く解る。
彼が合肥を離れた後は防御に定評のある満寵(第二の呉キラー)が後を継いだ。
その時の暴れっぷりは↓こんな感じ。

  • 守兵七千で孫呉軍十万を迎え撃つのは当たり前、精鋭騎兵八百で突撃のときも。
  • 張遼にとって合肥防衛成功は孫権の捕えそこない
  • 兵力100倍差、チームメイト全員不仲の状況から逆転
  • 一回の突撃で将が2人斬られる
  • 陳武をホームラン
  • 来たと聞いただけで赤子が泣き止んだ、逃亡する兵士も
  • 包囲を破っても兵士が逃げ遅れていたらそのまま攻めないで戻ってきた
  • あまりに強すぎるから演義でもチート扱い
  • その演義の記述より正史の方が凄まじい
  • 泣く子を一睨みしただけで泣き止む
  • 陽動を使わず中央から突破したことも
  • 孫権が撤退し始めてから退路の橋を落とす方が早かった
  • 病床にいても孫権が怯えた
  • 孫権を守ろうとした呂蒙と、それと共にいた韓当、甘寧、蒋欽、凌統ともども突破し孫権に迫った
  • 同僚の李典と口論しながら共同戦線 ・グッとガッツポーズしただけで半日くらい包囲の中で戦い続けた
  • 合肥で魏呉国境が生まれたことは有名
  • 三国膠着が確定したきっかけは張遼の合肥死守
  • 合肥城塞の深い位置から孫呉の本陣も肉薄してた
  • 孫権が退却するはずの橋を楽々落としていた
  • 全盛期の張遼の強さを演義で読んでいた子供が三国志ファンになったんだが 正史にもっとすごい記述がしてあって驚いたそうだ


ただし、合肥の戦いにも記載してあるが、歴史学における「正史」というのは
昨今の創作における「実際のことが正確に書かれた歴史的事実(英語でいう「Cannon」)」ではなく
「国家によって編纂された、最も正統と認められた史書」、三国志の場合「正統王朝とする魏と西晋の視点で作られた歴史書」でしかない。
(国家に拠らず民間で編纂されたものは「野史」または「外史」と呼ぶ)
もちろん正史に書かれていることすべてが真っ赤なウソと断じるのは論外だが、
すべて史実という保証も無く、あくまでも「一次史料」以上の意味はないということには留意してほしい。

晩年

221年、雍丘に駐屯にするがこの頃から病を患う。
曹丕も皇帝医を使ってまで治療させるが、その甲斐なく翌年に逝去。享年53歳。
演義では丁奉の放った矢から曹丕を庇い、この傷が元で死んだとされているが当然創作。

諡は剛侯。他にも225年に曹丕が張遼・李典の戦功を賞賛するための詔勅を出したりしている。


人物

本人の性格は清廉だったと言われている。
曹操軍に何度も辛酸を舐めさせた呂布軍の降将という事も合ってか曹操幕下とは折り合いが悪かった模様。
(同じく降将の賈詡も似た面があり、世渡りに苦労していた)
特に李典にとっては間接的に伯父の敵とも言え、嫌われていた。
しかし合肥の戦いの項の通り私情を挟まず、寧ろ積極的に協力し合っていた。

同僚とは折り合いは悪くても、自らの非を認めて謝ったり、礼儀を大事にしていたので政敵と呼べる人物も居なかった。
また、部下の武周とはちょっとしたことで仲違いしたが、胡質に注意されて素直に頭を下げに行ったことも。

曹操親子からの信頼も厚く、曹操と同じ馬車に乗る事を許されていたり、同じ食事をしたりしている。
更に邸宅や彼の母の為に御殿を建造された程。
また、病床では皇帝専門医を付けてもらったりしている。それだけ曹魏において重要な武将だった事がうかがえる。
曹操の四子・曹植の記した「白馬篇」に登場する武者は北伐時の彼がモチーフとも言われている。

また、合肥で共に戦った部下達が見舞いの為に道に溢れかえっていたとか。
ちなみに彼が決死隊として率いた部下は全員親衛隊に昇進している。
孫権ですら、張遼が病気と聞いて「張遼が病気なんぞで倒れるわけが無い」と言った程。相当トラウマになってたらしい。

上司・部下共に信頼が厚く、戦績も凄まじい為か三国志演義をはじめとする蜀・呉寄り創作でもあまり悪く描かれることはない。
神格化された関羽との親交が史書に記載されていることも、好意的な評価に影響していると思われる。*1

唐の時代には中国史上64名将の一人に選ばれている。魏の武将では鄧艾と彼のみ。*2

嫡子の張虎は正史・演義でもイマイチパッとしない。特に演義では諸葛亮の北伐で嫌がらせされる始末。
まぁ親父が人間兵器すぎた。


他メディアでの遼来々

  • 横山三国志
大体演義と同じ。ただし呂布配下時代は描かれていない。

  • コーエー三国志
泣く子も黙る張遼が弱い訳が無い。
鬼高い統率と武力、特技もモリモリ。大体統率>武力なので超優秀な指揮官と言った感じ。
しかも知略もそこそこあり、最低限敵の計略も防ぐこともできたりする。政治力はお察し。
あと、魅力は言うほど高くなかったりする。

分かりやすく言えば関羽の劣化バージョン・・・とは言え、あまりにも相手がアレなだけであって、
そのうえゲーム性のおかげで関羽がいるなら張遼なんかいらねえわ、なんてことも絶対にない。超一流の武将というのは揺らぐまい。

  • 真・三國無双シリーズ

  • Wo Lone
初登場は董卓暗殺事件から、董卓を倒した主人公一行と呂布が対峙することとなるのだが、この時は虎牢関での再戦…ことにはならず、彼の案内で眉宇城から帰還することとなる。
次に会うのは主人公が曹操軍の友軍として小沛攻めをした時のこと城の奥で1VS1の勝負となる。
戦いは彼の守護聖獣僻邪の雷属性バフが掛かった状態で戦うことになり、その特殊な雷属性バフにより本来の武器は片手剣ながら雷が槍や戟の形を成し、そのモーションを交えた強敵。
雷属性と圧倒的な手数、速さ、一撃の強力さからプレイヤーの間では死にゲーの本家であるフロムソフトウェア製の死にゲーの一つ隻狼のボス葦名弦一郎を思い起こさせる。雷返しそのものはできないが強力な攻撃をカウンター出来れば体幹に相当するパラメータを大きく削り取れる

曹操と呂布が対峙した辺りから登場。史実の五将軍の中でも最も活躍が多い為か、出番も多い。
呂布と一騎討ちした関羽の影響を受けて青龍刀を振るうが、合肥ではハルバードみたいな馬鹿デカい武器になってる。
北伐では郭嘉とのタッグで大活躍。彼の死後も影響を受けている。
赤壁での鉄鎖連環は彼(正確には亡き郭嘉)の案。

  • 反三国志
魏に対する風当たりが滅法強い事で有名なトンデモ小説の中で曹彰と並ぶ魏国最強武将として描かれており、活躍が多い。
司馬懿や陸遜にすらマトモな見せ場が無く、終始蜀が魏・呉を一方的にボコる展開が続くだけの中、蜀軍を相手に優勢に戦いを進める場面もある。

  • 三国志大戦
シリーズ通して魏軍のコスト2.5最高峰の騎兵。
計略は殲滅力の高い神速の大号令。どれだけ下方されようとも環境が向かい風でも愛好家がいるほど愛されている。
実は旧作も新作も最初は勇猛が付いていなかった
呂布軍時代やそれ以前のものも出るが、コストダウンし計略も大きく変わる。
後に魏軍で出たカードも高コストかつ騎兵が対象の号令である。

  • 一騎当千
許昌学園1年の男子生徒。色黒に金髪、グラサン姿。文武に長けた超人。
CVは水島大宙

  • 恋姫†無双
さらし・袴に上着だけと893みたいな格好。真名は「霞」。
三国志なのに一人称が「ウチ」で関西弁なので、なおさら893っぽい。曹操に負けじ劣らず関羽大好き。おっぱいおっぱい。
声はAYA(茂呂田かおる)。

  • 十三支演義シリーズ
呂布(女)の片腕。常に笑みを浮かべた好人物だが、呂布の命であればどんな残虐なことにも手を染める。
CVは遊佐浩二

鉄面臂・張遼の名前の由来。この作品自体三国志由来のキャラが多い。

  • ポータル三国志(MTGの初心者向けセット)
合肥の勇将 張遼 (4)(黒)(黒) 3/3 対戦相手への攻撃成功時カードを一枚捨てさせる。
効果付きだがレジェンドを名乗るのもおこがましい程のカスレアである。
(戦闘能力だけならどの色も4マナで同等のクリーチャーを召喚できる環境である。)

《戦華の来-張遠》
戦華カテゴリーの1つとして登場。
字の「分遠」と組み合わせられている。

「凄絶なる闘魂」張遼ゲルググ。
演者はアナベル・ガトー専用ゲルググ。金の装飾が入る事で一気に中華武将感の増したアレンジが巧みである。
良識と勇猛さを兼ね備えた侠であり、忠節を尽くす主君であっても意見する事を恐れない真の忠臣として描かれている。
最初は董卓の部下として登場。赤兎馬を伴って曹操に降り、後に関羽に赤兎を託す。
その関羽とは全編通して良きライバルであり、得物や性格など似たもの同士な部分も多い。
必殺技は青龍刀を両長巻*3に変形させて放つ「裂刃大旋輪」。
なお本作での呉はガンダム開発計画の4機体が元になっているので、それも踏まえてガトー専用ゲルググが選任されたと思われる。

演者はサザビー。(『三国伝』では司馬懿役なので、またも魏陣営での登板となった)。
本作では当初の上官である呂布はシナンジュ、関羽役はνガンダムという実にツウな配役となっている。
また、本作のガンダムフェイス偏重主義も相まってか、顔部分を外すとツインアイになっている。
これは恐らく『機動戦士ムーンガンダム』に登場するムーンガンダムがモデルと思われる(あまり似てないが)。


追記・修正は五将軍になってからお願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

最終更新:2024年03月07日 09:28

*1 徐晃も関羽と仲が良かったと正史に記載があるためか好意的に描かれやすいが、こちらは演義では王平に八つ当たりをして寝返られるという創作の失策をつけられている。

*2 三国志の登場人物としては他に関羽・張飛・周瑜・陸遜・陸抗・呂蒙・皇甫嵩・羊祜・杜預・王濬。

*3 ゲルググのビームナギナタがモチーフ