厳虎/厳白虎

登録日:2017/05/23 Tue 20:09:47
更新日:2021/12/30 Thu 14:39:10
所要時間:約 8 分で読めます



厳虎(げん-こ、生没年不詳)とは
中国後漢末期の武将。
揚州呉郡烏程県の人。

一般的には厳白虎(げん-はくこ、びゃっこ)という別名の方が有名。

東呉の徳王を自称していた……というのは三国志演義のオリジナル設定。
以下の記述は厳白虎で統一する。


【貢南就山賊嚴白虎(三国志呉書朱治伝より)】

後漢末期の長江以南、江東の地は山賊や海賊・妖賊(過激派宗教団体)が跋扈し、山越と呼ばれる異民族が度々略奪行為を働き、
そんな連中が時には対立抗争を繰り広げ、時には結託して暴れまわるという時はまさに世紀末といった様相を呈していた。

厳白虎もそんな反政府勢力の頭領の一人であり、出身地の呉郡近辺にて一万人程の勢力を持っていた。


【孫策に蹴散らされる】

しかし孫策が江東制圧に動き出したことで彼の運命は狂い始める。
196年、呉群太守であった許貢朱治に敗北。自身を頼って逃げて来たため、これを迎え入れた。
孫策と共に江東制圧に同行していた呉景叔父さんは「アイツ邪魔だからさっさと潰しとこう」と進言したが、
「あんな賊ほっといても何も出来ないって。ヘーキヘーキ」(意訳)と放置し、会稽太守の王朗を先に攻撃しに行った。

明けて197年、袁術が皇帝を僭称しそれに対し曹操が袁術包囲網を形成、
それを見て取った孫策が袁術と手を切って曹操に組するといった形で政治情勢が大きく動く。
袁術は、従弟の袁胤を丹陽から叩き出して勝手に独立した孫策に対し、丹陽郡の宗教団体の頭領祖郎に印綬を授け、山越を扇動して孫策に対し反乱を起こさせる。
加えて陳ウ*1が祖郎、厳白虎と連携して孫策を攻撃しようとにわかに江東の反乱勢力が不穏な動きを見せはじめたため、
この機会に孫策は放置していたそれら諸勢力の一掃に乗り出す。

しかし厳白虎は陳ウの誘いに乗っておきながらいざ開戦……という時になって今更怖気づき、剛勇で知られていた弟の厳輿(げん-よ)を使者として、和睦を申し出る。
ところが孫策は「降伏は無駄だ。抵抗しろ」と言わんばかりに厳輿を殺害。
弟が殺されたことを知った厳白虎は激昂するどころか完全にビビりあがってあっさり敗北し
這う這うの体で友人の許昭の元に逃げ込んだ。
許昭は友人への誠意をきちんと尽くしている立派な人だからということで孫策はそれ以上の攻撃を加えず、
その場は何とか生き延びることはできたようである。

その後の消息は不明。199年に孫策が廬江の劉勲攻略の軍を起こした頃、陳登が厳白虎の残党を扇動して後方攪乱を企てたという記述があり、
その頃にはもう亡くなってしまっていたようである。


【人物】

三国志には厳白虎本人の伝は立っておらず、上記の記述は三国志呉書孫策伝、朱治伝、呂範伝に散見される記述をまとめたもの。
家柄や年齢、孫策の江東制圧前の具体的な事績等の記述は一切なく、どういう人だったのかよく分からないというのが実情である。

白虎という名前からは張燕が名乗った「飛燕」臧覇が名乗った「奴寇」*2と同類の身分の低い任侠者の二つ名というイメージを受けるのだが、
その割には許貢や許昭といった名のある人物に頼ったり頼られたり出来る関係があったあたり、ただの賊徒とは切り捨てられないような面も有る。
また、呉書に度々記述される「山賊」は異民族の山越とごっちゃごちゃになっていることが稀によくある上、そもそも「山越」が賊徒も含めた不服従民全般を指したりする関係から
もしかして山越族出身だったのでは?という考察もある。

ただ、結局のところ孫策が攻撃しようとする前に自ら軍門に下ることも、最後まで徹底抗戦することも出来ず、
中途半端なタイミングで講和を望もうとしたイマイチ時勢の読めてない行動には手厳しい評価を加えざるを得ないだろう。

【関連人物】


厳輿
前述の通り剛勇を知られていたらしい弟。
孫策との和睦の使者として単身会談に臨むも、いきなり座席を剣で斬りつけられるというアンブッシュを喰らってしまう。
「ドーモ、孫策です。貴様がセイザの体勢からでも俊敏な動きが出来る優れたカラテの持ち主と聞いてからかってみただけだ。」
「ド、ドーモ、はじめまして孫策=サン、厳輿です。私は刃物を見ると素早く動きます。」
両者のアイサツが交された刹那、孫策の手戟*3=ジツが炸裂!哀れな使者は瞬く間にネギトロめいた肉片と化したのであった。ナムアミダブツ!

なお、勧善懲悪重点の三国志演義では呉の半分をお前にやるから共に支配しようではないか
と提案したためにブチ切れた孫策に殺されたことになっている。


祖郎
厳白虎が勢力を張っていたころに呉郡の西、丹陽郡周辺にて宗教団体を率いていた頭領。
孫策による江東制圧頃の江東の反乱勢力は西の祖郎、東の厳白虎が二大巨頭だったらしい。
孫策にとっては呉景が丹陽太守だったころ、その下で必死こいて集めた数百人の兵士を急襲にあって全滅させられたことのある因縁の相手だった。
孫策は厳白虎を倒した時と同時期に討伐したのだが、敵兵に囲まれて程普の奮戦のおかげでなんとか助かるという危険な場面もあり、すんなりとは行かなかった模様。
敗北し捕らえられた祖郎は「お前の能力が惜しい」ということでその場で縄を解かれ登用された。
お隣の祖郎は頑張ってるというのに厳白虎ときたら……


【その後の創作における厳虎】


史実の事跡をそのまま流用するだけで単純明快な「やられ役」として登場させることができるからなのか、その他の賊たちを差し置いて
劉ヨウ王朗と共に孫策の江東攻略時の敵キャラとして登場することが多い。

近年ではその雄々しく、厨二ハートをくすぐる印象に残りやすい恵まれた名前から
全くいい所無しに速攻で退場する雑魚武将という糞みたいなキャラクターという激しすぎる落差から

「おおっ、ケイ道栄を捕らえたか」「 斬れっ 」こと「ケイ道栄
南蛮製ヒト型決戦兵器「兀突骨」
三国志2にて武力19知力13魅力15*4というぶっちぎり最下位の能力を与えられ一躍脚光を浴びた「曹豹」

といった個性溢れる面々と共にネタキャラ的な意味で一部から愛されている。

「名前だけなら三国志最強クラス」


『三国志演義の厳白虎』


項目冒頭で触れたとおり東呉の徳王を自称していたという設定が追加され、名前負けっぷりに磨きがかかっている。
史実とは逆に王朗と戦う前の中ボスとして登場。
余裕ぶっこいて厳輿を迎撃に出すものの韓当ショウ欽陳武に速攻で撃破されてしまう。
ビビって和睦を申し込むも、厳輿が斬られたために会稽の王朗を頼って逃走する。

その後、王朗の元で再び孫策と戦うもやっぱり相手にならずに壊滅。再度逃げようとしたが、
董襲に捕まって首を斬られ、孫策に士官するための手土産にされてしまいましたとさ。徳王(笑)。


『吉川三国志・横山三国志の東呉の徳王』


「逃げろ 逃げるんだ」

基本的には三国志演義と流れは同じ。王朗を頼って逃亡するが、
その時王朗の元に居た仲翔(虞翻)
「世のために何一つ益を成してない人物」
「時代の流れに消え去る人物」
と、ボロクソに罵られた挙句
「次代に必要のない人物だから孫策に引き渡すべき」と王朗に進言されてしまう。こんな所で謎の正史準拠アレンジ


『コーエー三国志シリーズのホワイトタイガー』


並程度の統率と武力はあるがその他は壊滅的という二流脳筋武官。賊だからか義理が低く野心も高めで配下として使うには注意が必要。
群雄割拠の頃が題材のシナリオでは演義の流れを汲んで本来の太守である許貢を差し置き、呉で君主になっているのだが

  • 配下は弟の厳輿一人のみで当然軍師不在
    • その厳輿も兄よりちょっと高い武力と少しマシな知力を持っている程度の凡庸な武官
  • 二人揃って政治と魅力のステータスが壊滅的なせいで内政も人材登用も外交もまともに出来ない
    • 人材登用できないから空白地へ逃げても無駄
  • 知力も低すぎるので、王朗へ無理矢理攻め入っても計略を食らいまくってまともに戦えない
  • しかし劉繇に無理矢理攻め入ると太史慈の前に露と消える
  • もたもたしていると(1年も経たない内に)孫策が長江を渡って……来るより先に劉ヨウと王朗に挟撃されてゲームオーバー

と、思わず目を背けたくなるような悲惨な状況になっている。
特に2番目の政治・魅力に関しては最難関シナリオと名高い遼東の公孫恭配下無しシナリオ以上に劣悪(あっちはギリギリ並レベルの政治・魅力を持っているので)。
逆に何とかまともな政治を持った人材さえ登用できれば土地自体は悪くないし
孫呉関係の武将が在野として大量に埋まっているので割と何とかなる。
登用できれば。

そんなわけでドMプレイヤー御用達の君主としてある意味人気の高い勢力である。




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最終更新:2021年12月30日 14:39

*1 陳珪の従兄弟、陳登の叔父。元は袁術の指名した揚州刺史だったが、袁術が揚州に逃亡したときに反目したが敗北、陳登の元に逃げていた。

*2 乱暴な奴とかいう意味。コワイ!

*3 手持ち用の小さな戟。要するに投げナイフ。

*4 三国志2では統率と武力、知力と政治のパラメータが一つにまとめられている。