アレックス・ラミレス

登録日:2017/05/22 Mon17:04:40
更新日:2024/02/21 Wed 07:24:12
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「ゲッツ!」


現役時代はヤクルトスワローズ→東京ヤクルトスワローズ読売ジャイアンツ横浜DeNAベイスターズ、群馬ダイヤモンドペガサスに所属したベネズエラ出身の元プロ野球選手。
本名アレキサンダー・ラモン・ラミレス・カプリエレス、通称ラミちゃん。
2016年から5年間横浜DeNAの監督を務めた。
数々の外国人史上初記録を残したことから史上最強助っ人候補によく上がる。
生年月日は1974年10月3日生まれ。

背番号:3(2001~2007、2012~2014)、5(2008~2011)、80(2016~2020)
右投右打
ポジション:左翼手


来日前

ベネズエラの国内選手権でプレーしていたところインディアンスのスカウトの目に止まりマイナー契約を手に入れる。
しかしその後はイマイチ伸び悩み、またメジャー史上最大のストライキの際に代替選手になっていたことが原因で選手会にも入れて貰えず燻っていたところをヤクルトが見つけ来日した。

ヤクルト時代

2001〜2002

当初の予定では右翼手で出場する予定だったが、稲葉篤紀の右翼守備を見て「自分では稲葉に勝てない」と判断し左翼手に転向した。
1年目から打率.280・29本塁打・88打点と好成績を残し、チームの日本一に貢献した。
2年目も5番打者として安定した成績を残す。

2003

ペタジーニが巨人に移籍したため4番になる。
打率.333・40本塁打・124打点とキャリアハイの成績で、打点王・本塁打王・最多安打・ベストナインを獲得するなど大暴れした。

2004〜2006

引き続き、4番として25本塁打、100打点以上を安定して叩き出す大活躍を見せた。
2004年シーズン後に契約で揉めたが何とか複数年契約を取り付けた。なおこの契約の際にヤクルトに入団したのがあのアレックス・ラミレス・ジュニアである。

2007

開幕から大暴れし、10/4には200本安打を達成。ちなみにNPB史上初の外国人選手による記録であり、また右打者としても史上初の記録である。なおこの年は打率.343、122打点を記録し、100打点、200安打、打率.300以上の「100・200・300」も達成しているが、これはNPBでは唯一の記録である。なお、メジャーに行った日本人でも達成出来ていない。
シーズン終了後、またも契約で揉める。ラミレス側は契約年数が前提の契約を希望していたが、球団側は単年契約のみを提示。その為複数年契約を提示した読売ジャイアンツに移籍することになった。

巨人時代

2008〜2010

2008年開幕当初は5番だったが、4番の李承燁が不調だったため巨人でも4番に座る。
前年同様安定して活躍し、2年連続の打点王とセ・リーグMVPに輝き、さらに日本シリーズでも奮闘し敢闘選手賞を受賞した。またこの年FA権を取得したことで翌年から日本人扱いになった。
2009年も引き続き4番で、安定した成績で首位打者、三度目の最多安打に輝く。2010年はHRと打点のキャリアハイを更新し二度目の二冠王に輝いた。しかしライバルが多かったせいで二冠王なのにベストナインになれないという珍事が発生した。

2011年

5/1に4番として出場したことで、松井秀喜の持っていた4番としての連続出場の球団記録を更新した。
しかしこの年から統一球が導入された事もあり打点はキャリアワーストの73になり、4年連続の打率3割、8年連続100打点がストップしてしまった。ただしそれでもチーム1位の本塁打数を記録するなど気を吐いていた。
オフに若手に出場機会を譲るという理由で退団し、横浜DeNAベイスターズに移籍した。
背番号は「3」に戻った。

横浜DeNA時代

2012年

入れ替わりで村田修一が巨人に移籍した事で焼け野原同然になっていたチームで4番として奮闘したが、守備面が足を引っ張り、総合的にはチーム低迷の一因となってしまった。
だが、打撃面では12年連続で二桁本塁打を放つなどの活躍を見せ、史上初の3球団全てでの月刊MVP獲得、更に日米通算2000本安打を達成した。
ただこの年、遂に連続20本塁打がストップした。

2013年

ブランコが加入したため5番になる。
4/6の試合で遂に日本単独での2000本安打を達成。勿論外国人選手史上初であり、同時に(ソリアーノを除いて)外国人で初めて名球会の参加資格を得た。
しかしその後は不調で、他の選手も台頭もあり代打起用が増え、更には二軍落ちも経験。
オフに戦力外通告を受けた。
最終出場は小池正晃の引退試合で、追加点となる犠牲フライを放った。

DeNA退団後

2014年、群馬ダイヤモンドペガサスに打撃コーチ兼任で入団し、同じく元NPB組のカラバイヨと中軸を担った。年俸は最盛期の100分の1である。
しかし諸事情(後に離婚調停と判明)で二度の帰国を挟むなど不穏な空気のままシーズンを終え、その後引退を発表した。

2015年は群馬ダイヤモンドペガサスのシニアディレクターに就任し編成面でその手腕を発揮。さらに途中からはオリックス・バファローズの巡回アドバイザーも兼務した。

DeNA監督時代

2016年

2015年末、DeNA監督への就任が発表された。
球団としては初の外国人監督であり、球団所属経験のある監督は2003〜2004の監督山下大輔以来、さらにベネズエラ人の監督はNPB史上初めてである。
現役時代ファンサービスに凝っていたイメージが強かったため、監督未経験の経歴も相まって下馬評は低く、最下位を予想する評論家もいた。
実際に初年の4月は監督不慣れな事もあってか迷采配を連発し「煮卵」(本人の肌の色を揶揄した、人種差別とも取れる表現なので、やたらに人前で使うべきではない表現である)と揶揄される事もあったが、5月以降は采配にも慣れ、筒香嘉智を初めとした主力の好調(筒香のこの年の最終成績は.322 44本110打点であり、HRと打点王のニ冠を獲得した。)、桑原将志・倉本敏彦、宮崎敏郎のレギュラー抜擢等によりチームは前年の最下位から大幅に躍進、最終的に69勝71敗4分の3位で初のクライマックスシリーズ出場を果たし、更にはファイナルステージまで進出。シーズン序盤の評判を自力で覆した。

2017年

前年好調だった主力が尽く不調に陥り、特に前年レギュラー抜擢した倉本・桑原が深刻な不調に陥った
が、頑なにレギュラーに固定し続けた。
また投手陣も前年と比べて不調な投手が多いせいかマシンガン継投気味になり、前年4月のような迷采配の
連発もあり再び「煮卵」と揶揄されることも増えている。
しかし一方で、固定し続けた結果桑原・倉本の両名は後に復調したこと、問題点の一つであったセカンドに守備に優れる柴田竜拓を抜擢したこと、前年の不調を引きずっていた抑えの山崎康晃をセットアッパーに戻して復活させるなど、功績も大きかった。
最終的に猛追してきた巨人を振り切って2年連続の3位で、クライマックスシリーズ出場権を獲得。最終的の73勝65敗5分で、16年ぶりの貯金フィニッシュを果たし、やはり悪評を自力で覆した。

クライマックスシリーズでは短期決戦に振り切った、一見奇抜だが的確な采配を連発。阪神広島を破り、19年ぶりの日本シリーズ進出を決めた。

日本シリーズは絶対王者福岡ソフトバンクホークスと対戦したが、勢いもここまで。ここぞの勝負弱さが災いし、2勝4敗で惜しくも敗れ去った。

2018年

今度は前年活躍した先発投手がほぼ全員故障。戻ってきても今永・石田・ウィーランドは一向に調子が上がらない。
野手も野手で、倉本・桑原は前年を超える不調、柴田も守備こそ頼れるが打撃面ではなかなか上がらない状態であり、低空飛行が続く。
巨人キラーぶりを発揮した新人王東克樹、覚醒の兆しを見せた平良拳太郎と京山将弥、故障で出遅れながらも驚異的なペースで本塁打を放ち本塁打王に輝いたネフタリ・ソトなど明るい兆しもあったが、最終的に巨人に競り負けて4位に終わった。

2019年

年明けに日本国籍を取得した。
またも先発投手の故障に見舞われたほか、今年はリリーフまでもが故障ないし絶不調状態で継投ミスも増えた。
野手も、これまで安定していた宮崎が打率1割台に陥り、ソトも打撃面は良いが守備で脚を引っ張る。
序盤こそ歯車が噛み合ったが、4月中旬から早々に10連敗を喫し最下位に沈む。
しかし二軍から上げた石川がHRの活躍で大型連敗を脱出してからは投打が徐々に噛み合いだし、2勝1敗ペースで勝ちを積み重ねる。苦手の交流戦も11勝6敗1分で乗り切るとオールスター前には首位と10.5ゲーム差ながら2位で折り返す。
後半戦は首位の巨人を2度も追い詰める健闘をするも主力の伊藤光、宮崎、パットン、東、濱口と怪我人が続出し、9月になるとさらにシーズンの疲れからか投手陣が崩壊し失速。最終的に直接対決に連敗し目の前で巨人に優勝を決められた。しかし2位は最後まで譲らず71勝69敗ながら2位でシーズンを終える。2位以上になったのは実に21年ぶりであり初のCS本拠地開催となった。
CSは苦手な阪神と当たり1勝2敗で敗退した。
序盤の10連敗と4度の5連敗があっても2位になれたとも、それら大型連敗のせいで優勝を逃したとも言える、何とも言えないシーズンとなった。

2020年

諸事情によりCSがなくなり優勝以外を目指すしかなくなったシーズン。
今年度は長年守護神を務めた山﨑康晃がシーズンを通して絶不調、更に先発陣も夏場から徐々に離脱していくなどやはり投手周りが噛み合わず、序盤から巨人に差をつけられる展開に。
それでもシーズン中盤までは2位を保っていたが、持病を抱えていたソトの不調もあり打撃でも噛み合わなくなり9月に大幅失速。これまで得意としていた中日戦でボロボロに負け越したこともありシーズン終盤には5位まで見えるラインにまで落ち込む。
とはいえ巨人の大失速に付け込む形ではあったがシーズン終盤の巨人戦では6連勝を決め完全優勝を阻止するなど土俵際で踏ん張りなんとか4位でシーズンを終えた。
ラミレスが入団初年度から見込んだ佐野恵太が4番として完全定着、2013年のブレイク以降どうにもイマイチな成績が続いていた梶谷が復活し、二人で首位打者争いを繰り広げたこと、怪我離脱こそ多かったが出場すれば好成績を残したタイラー・オースティンの存在は野手面で、投手面でも後半戦頃から離脱組の穴を埋めるような若手の目が徐々に見えてきたのが光明と言えよう。


オフに5年間努めた監督を退任した。
最後の試合となった2020年11月14日の巨人戦では5点ビハインドから追いつきサヨナラ勝ちを決める「ベイスターズらしい」試合で巨人の完全優勝を阻止し、最高の花道を通ってグラウンドを去って行った。

監督退任後

球団はスタッフとしてチームを支えて行くことを予定していたが、家族との時間を大事にするためと固辞し、そのまま退団となった。本人曰く「1ファンに戻る」とのこと。

一方で監督退任当日になんとYouTubeチャンネルを開設。
ラミちゃんありがとうとしたファンの多くがラミちゃんありがとうと笑顔になったことだろう。
以降はYoutuberとタレント業でテレビ・インターネット双方でマルチに活躍している。


選手としての特徴

NPB在籍13年で打率3割超え7度、8年連続100打点、11年連続20本塁打と打撃に関しては天才的。苦手な球種もコースもほぼなく、得点圏にも強く長打力も高いと4番として申し分ない素養を持っていた。その能力はあの落合中日監督も認めるほど。
唯一の欠点は早打ち気味な事だが、巨人時代は三振数も少なく、また元の打率も高いため大した問題ではなかった。
走塁面もそこまで鈍足という訳ではなく、若い頃は内野安打もあった。しかし盗塁することはほぼなく、キャリアを通じての盗塁企図数は名球会所属野手の中ではブービーの20である。

一方で守備面は壊滅的。ヤクルト時代初期はそれでもちょっと下手程度で済んでいたが、ヤクルト時代終盤以降になると年齢もあって完全に外野の穴に。普通の二塁打のクッション処理の際にとんでもない大暴投をして打者を生還させたり、打球を取ろうとバンザイした上をサヨナラの打球が通っていったりと守備に関する悪い意味でのエピソードには事欠かない。ちなみに本人にも自覚があり、「頑張りはするが専門家ではない」と言っている。いわゆる典型的な「守備でも安打製造機」タイプの選手であった。
巨人退団の理由の一つも守備難だった。

ラミレスで有名なのがホームランパフォーマンス。
芸人のネタを取り入れることが多く、一部では本家よりも有名になっている。
ファンの間では「今年はどんなパフォーマンスなのか」と話題になることも多かった。

一方でかなり理論派な一面も。それもそのはず、現役時代のラミレスは「メモ魔」で、研究熱心で知られていた。
ファンからはパフォーマンスが印象に残っているためかあまりそう思われていなかったが、チーム内では有名だった。
自身のノートには相手投手や捕手の特徴が事細かに記されていたり、オフシーズンは試合の、試合後は自身の打席のDVDを見ることを日課にしていたというのはその一例。
こういった側面は監督就任後も見受けられる。

キャリアを通じて首位打者1回、本塁打王2回、最多安打3回、打点王4回、最優秀選手2回とベストナイン4回のタイトルを獲得。
2001年の日本シリーズで近鉄と対戦した際に本塁打を放っているため、キャリアを通じてセ・リーグ所属でありながら近鉄・楽天を含めた13球団から本塁打を放った唯一の選手である。
ちなみに本人曰く川上憲伸との対決が一番楽しかったらしく、黒田博樹と野口茂樹が苦手だったらしい。


監督としての特徴

前任の中畑清と異なり主力を固定する傾向が目立つ。
特に絶不調でも主力の固定を続けることに関しては批判が目立つことも多い。
一方でデータを用いる傾向は変わっていない。
一般的な打率などに加えて、対戦相手別の相性といった(比較的)マイナーなものまで、多くのデータを熟知しており、それに応じてスタメンを変えることもある。
また、打撃を教えることも多く、その際はだいたい「ファーストストライク狙い」と教える。
これは「ベイスターズの打者は選球眼が良くない」かららしいが、四球狙いが有効な投手に対しても早打ちして結果的に相手を助けたこともあるため批判も多い。
しかしこの指導がハマって覚醒した打者が多いのも事実である。
バントを嫌っている訳ではないが日本の野球で多い「2番に小技のできる選手」という打線の組み方はあまりせず、長打力のある打者を2番に置くことを好む。また9番打者も投手ではなく野手を置くことが多い(投手は8番)。前者は日本でも採用される機会が増えてきたが後者は未だにかなりユニークである。
7番打者がヒットで出塁できた場合、8番打者がバントをすることで進塁させ、9番打者が打って得点に繋がるという考え方らしく、理論派らしい発想である。

投手に関しては先発にあまり回を投げさせないという、MLB並の分業制を引く傾向にあり、特にルーキーや若手はまだ余力があっても5回終わりで変えるなどその傾向が強い。
この為必然的に中継ぎの登板数が多くなりやすく、2017年・18年と中継ぎ登板数で歴代上位クラスにランクインしている。
これは定期的に「ブルペンデー」として、最初から中継ぎ投手を投入して、2~3回で順次交代する日を設けているのも理由にはある。
またデータを持つ故か敬遠も多い。

選手批判を避ける傾向が多い。後述の発言も選手批判を避けつつ試合を振り返ること半分で用いられる。
そんなラミレスにすら「我慢の限界」と言わしめたロマックの凄さがよく分かる

短期勝負に非常に強く、ラミレスベイスターズ時代はポストシーズンや終盤の追い込み期に高い勝率を残した。
他球団を散々虐殺圧倒してきたソフトバンク相手の日本シリーズで2勝をもぎ取り、最後まで食い下がったことへの評価も近年進んでいる。

監督5年間の成績は336勝337敗の借金1。うち3シーズンは貯金借金2以内と良くも悪くも5割をキープし続け、優勝こそ0回だが日本シリーズ進出1回、Aクラス3回と他球団の監督比ではまずまずの成績を残した。
ちなみに歴代の球団監督で見ると別当薫氏、三原脩氏に次ぐトップ3の勝利数であり、最下位0回は史上初の快挙である今までどんだけ酷かったんだよ


余談

愛称はご存知の通りラミちゃん。ファンのみならず後輩選手にもこの名前で呼んでもらっていたらしい。

現役時代から教えるのが好きだったらしい。
そもそもヤクルトに来た当初は「守備を教えに来た」との話だし、ヤクルト後年からは球団問わず様々な選手にアドバイスや情報交換をしている。
2013年に二軍に落とされたがそこでも腐ることなくコーチのようなことをしていた。
指導者になるために経験を積んでいたそうだが、高田GM(当時)がラミレスを監督に選んだのはこのような態度があったからかもしれない。

外国人選手へのケアを大事にしている。自身の経験もあってか現役時代から続けていることであり、現役時代は球団を問わず多くの助っ人選手がラミレスから日本での流儀を学んでいた。監督就任後は流石にそこまで多くはないがそれでも自チームの助っ人とのコミュニケーションは大事にしており、それ故かラミレス監督時代のDeNAの助っ人は成績的な問題以外ではたいてい複数年在籍している。

監督になってから「タフな◯◯だった」「Tomorrow is Another Day」と語る事が増えた。
特に後者は勝っても負けてもほぼ言われる。

日本暮らしが長いため日本語はかなり流暢に話せるが、インタビューなどは通訳を通す事が多い。
微妙なニュアンスの違いがある為とか何とか。本人曰く60%程度しか話せないとのことで、通訳なしでも基本的なコミュニケーションは取れるが難しい表現は苦手という微妙なラインである模様。
一方で現役時代に名球会入り記念でお立ち台に立ったときなどは、通訳を通さず自ら日本語でファンに喜びの気持ちを語っているなど、シチュエーションによっては敢えて通訳を使わずに話すこともある。

地味に年齢不詳。
公式では72年生まれとなっているが、実は3〜5歳くらい年上の可能性も高いと言われている。
母国の戸籍処理が大雑把で年齢計算が曖昧なのだろうか?
それが本当だったら40代で二冠王という割ととんでもない記録の持ち主になるのだが…

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最終更新:2024年02月21日 07:24