黄忠

登録日:2017/04/14 Fri 17:54:03
更新日:2024/01/04 Thu 06:23:06
所要時間:約 14 分で読めます



黄忠(こう-ちゅう)(?-220)
字は漢升。
荊州、南陽の人。


【(多分)若い頃】

出身地は荊州の南陽、今で言うと河南省最大の都市である南陽市。
記録に残っている限りでは、最初は荊州牧の劉表に武官として仕えていたとされる。この時点で結構な年齢だった可能性が高いが、それ以前の経歴は不明。

劉表の下では中郎将に任じられ、劉表の甥である劉磐と共に長沙に配属された。
劉磐はヘタレで知られる劉表配下の中では出色の勇名を誇った猛将であり、呉の「小覇王」孫策も彼の侵攻に悩まされて太史慈を守りに当てたほど。
後の活躍を見るに、この劉磐軍の猛攻においても黄忠の貢献は小さくなかったものと思われる。

しかしその後劉表が没し、後を継いだ劉琮は戦わずして曹操に降伏したため、
黄忠もまた曹操の配下、正確に言えば曹操から長沙の太守に任命された韓玄の部下になった。
またこの時に行裨将軍(行は「代行」の意)の階級も与えられている

だが数年後、赤壁後のドサクサで劉備が南荊州に侵攻すると、上司の韓玄がまたしてもあっさり降伏してしまい、今度は劉備の部下になった。
なかなかに落ち着かない人生である。


【劉備の下で】

しかしこれでようやく所を得たのか、黄忠は劉備の下で凄まじい働きを見せる。

まずは211年、劉備飛躍の足がかりとなった入蜀戦
この戦においては、黄忠は劉備ともに第1陣として益州に入り、劉備の直下で最初から最後までその主力として活躍した。
その部隊は常に全軍の先陣にあり、いくつもの敵陣を陥落させて「勇毅は三軍に冠たり(強さと勇猛さは全軍で一番だった)」と讃えられた。
この功績により、劉備が益州を制覇すると討虜将軍に任じられている。

そして218年になると、劉備は魏が抑えていた漢中へと出兵する。
張飛馬超などの主力級将軍の殆どは別動隊として先んじて武都方面に派遣されたが、黄忠は入蜀戦の時と同様、劉備の直下で共に進軍している。


【定軍山】

そしてこの漢中を巡る一連の戦役の内、最大の山場となった「定軍山の戦い」において、黄忠はその生涯でも最大の戦果を上げる

漢中の戦いにおいて法正が立てた劉備軍側の基本戦略は「攻撃側の自由を活かして多方面同時攻撃をかけ、魏軍の対応を分散させる」というものだったが、
この定軍山の戦いでは戦術レベルでもそれを徹底していた。
劉備軍は攻め手を10以上の部隊にわけて東の張コウに激しい夜襲を繰り返して疲弊させ、同時に他の地域にも攻撃をかけて陣営を焼き払った。
魏軍の総大将夏侯淵はこれに対応すべく自軍も分散せざるを得なくなり、特に被害が激しかった張コウ隊へは兵力の半分を割いてこれを支援した。
しかしこの為に夏侯淵の本隊は危険なほど戦力が低下し、夏侯淵自身も前線に出て戦闘や陣地補修の指揮をとらねばならない事態に陥っていた。

これを見てとった法正は、劉備にこの機会を逃さずに急襲することを進言し、黄忠隊をその実働部隊として出撃させた。
黄忠隊は山を乗り越えて強行軍で進撃し、やがて陣営地の救援に向かっていた夏侯淵が指揮する一隊を捕捉する。
そして激しい近接戦の末にこれを撃破し、ついに夏侯淵を討ち取ることに成功したのである。

総大将であり、曹操旗揚げからの股肱の臣にして、西域防衛の総責任者でもあった征西将軍夏侯淵が討たれたことは魏軍に大きな衝撃をもたらした。
将兵は劉備の襲撃を恐れて浮足立ち、まもなく指揮権を受け継いだ張コウがなんとか秩序を取り戻したものの、要衝定軍山を完全に明け渡してしまう結果になった。

この後に曹操の本隊が着陣した時も、劉備軍はこれらの要害に拠って曹操軍をよせつけずに粘り勝ちを収めた。

この勝利に対して夏侯淵を見事討ち取った黄忠が果たした役割は非常に大きく、戦後はその功績を賞して征西将軍に任じられている。


【後将軍】

219年秋、劉備が漢中王の座につくと、黄忠は後将軍に任じられている。
当時の蜀漢における武官の最上位である「四方将軍」の一人であり、序列としては前将軍関羽、左将軍馬超、右将軍張飛に次ぐ軍内第四位である。

この人事にあたっては、諸葛亮が「馬超や張飛は黄忠の実力を知ってるから納得するでしょうが、ヒゲは多分『なんで俺が老いぼれと同列なんだよ!』って文句言いますよきっと。ていうかキレますよ」と劉備に忠告しているが、
劉備は「関羽には俺が説明するから」と言ってこの人事を断行した。
案の定というか、この人事を知った荊州の関羽は「なんで俺が老いぼれと同列なんだよ!」とキレたが、劉備が送った費詩に説得されてこれを受け入れている。

しかし翌220年、前年の関羽の死によって蜀漢全体が揺らぐ中で病没。子の黄叙は先に亡くなっており、養子もいなかったため家は断絶した。

やがて222年になると劉備は呉への復仇の軍を起こすが、もはやその軍には関羽も、張飛も、馬超も、法正も、劉封も、孟達も、そして黄忠もいなかった。


【人物】

前述の通り劉備に仕えた期間は10年程度に過ぎないのだが、蜀漢では旗揚げ時から付き従ってきた関羽や張飛、全土にその武名がとどろいていた馬超に並ぶ待遇を得ている。

黄忠の場合純粋に実力のみでその地位まで成り上がっていることを考えると、劉備軍の中でも1.2を争う優秀な将帥だったのは間違いないだろう。
また太守を兼任したりして別動隊の指揮官的に使われることが多かった関羽や張飛と異なり、劉備の直接的な指揮下で使われていたのも大きな特徴である。
黄忠とその部隊はいわば劉備にとっての「切り札」であり、「斬り込み隊長」であったとも言えるだろう。

この待遇に関しては
「単に率いていた私兵が多かっただけだろう」
「そもそも劉備軍に入る前の階級からして高いんだから(黄忠の行裨将軍とは最下級の将軍位だが、劉備軍の中では劉備と馬超に次ぎ、張飛よりも高い)、序列のままに優遇されただけ」
とかいう穿った見方もないではないが、二度の戦いではいずれも華々しい戦果を挙げており、経緯はどうあれその待遇に相応しい実績を上げたのは間違いがない。

しかし活躍期間が短く、また関羽・張飛・馬超と違って太守職になっていなかった(太守は行政職でもあるので、行動記録が残りやすい)ため、彼らと比べると後世に残された情報がごく少なく、人柄などはほとんどわからない。

関羽に「老兵」と貶められているので彼(というか多分劉備も)より年齢は上だったと思われるが、功績以外でわかることと言ったらそれぐらいである。


【家族】


黄叙
息子。黄忠より先に死んでいた。
以上。


黄越
↑だけではあまりに寂しすぎるので急遽挿入した架空の子供その1。
元代の雑劇『寿亭侯怒斬関平』に出てくる黄忠の息子。この演目の筋を簡単に説明すると
関平がひき逃げをしてしまったので、怒った関羽がぶっ殺そうとするが、他の五虎将の子供たちが出てきてそれぞれ名乗り、それを止める」
というだけの話である。まるで意味がわからんぞ!
まあ歌舞伎の「暫」なんかもそうだが、古典的な大衆演劇にはひたすら場面のインパクトだけに特化した超展開演目は少なくないので、そういうものなんだ、と思っていただきたい。

え? 黄越?うん、名前を名乗るだけの役なんだ。
まあ歌舞伎の「白浪五人衆」も名乗りだけは有名なので、大事なのはインパクトである。


黄秀麗
急遽挿入した架空の子供その2。ただしこちらは正確には「孫」である。
陳舜臣の小説「秘本三国志」に登場する黄忠の孫娘で、野外で獣に襲われていたところを偵察に出ていた関平に助けられた。
その後黄忠が劉備の配下になると関平の妻になり、息子の関忠を産んだ。
なぜか黄忠の関係者は関平、というか関羽の関係者に絡むことが多いが、これにはちゃんと理由がある。詳しくは後述。



【創作作品における黄忠】

三国志ファンにとって黄忠と言えば、まず第一に出てくるイメージは「老将」だろう。
たぶん黄蓋とゴッチャになってる人も多いと思われる
「老いてますます盛んな老人武将」という点が現在の黄忠のキャラの根幹部分である。
前述の通り、黄忠が(関羽に比べ)老人であったことは正史でも触れられているので、これは決して故の無い話ではない。
現代中国でも「黄忠」または「老黄忠」と言えば、老いてなお矍鑠たる人、のことを指す。近い時代で言えば、中国のかつての首相周恩来がこう呼ばれていたことがある。

またの名手」という属性も見逃せない。
「三国志演義」での黄忠は、黄忠が落馬した隙をあえて見逃した関羽への礼として、額ではなくあえてその兜だけを正確に狙い撃って返箭礼とする、という神技を披露している。
これは故事成語にもなっており、「黄忠射箭」といえば「優れた腕前を見せる」という意味になる。

しかし実は、これらの「老将黄忠」「弓の名手黄忠」といったキャラ造形は、いずれも三国志創作(三国故事)の歴史においては最初からあったわけではない


<試作型黄忠>

黄忠は蜀の武将なので、比較的三国故事への登場は早い方である。
しかし草創期の三国志モノは基本的に張飛の独壇場であり、黄忠の影はやはり薄かった。
黄忠がキャラとして個性を発揮し始めるのは、講談がメインだった唐~宋の時代をすぎ、演劇や絵本が徐々にエンタメに進出し始めた元代あたりである。

この時代は黄忠に限らず、それまで三国志モノにおいてサブキャラだった様々な人物が存在感を増していった時代である。
そして当然それぞれのキャラに差別化を図って様々な設定が追加されていったわけだが、当時の黄忠のメイン属性をあげると以下のような感じになる。

▼「関羽と戦って劉備の仲間になる」
実はこれが三国故事における黄忠の、最大のキャラ成立要素である。
この要素はこの時代に確立し、以後三国志演義に至るまで一切変わらず黄忠の人気を支えた。
「主人公と戦った強敵が、今度は仲間になる」というジャンプシステムは何も少年漫画だけの特権ではなく、大衆エンターテイメントでは古代より続く伝統なのである。

▼「関羽となんらかの因縁がある」
これは現代では失われてしまった要素だが、↑の要素を補完するためなのか、当時の黄忠は「関羽よ、ここであったが百年目!」って感じで関羽と元から面識があったという設定が多い。
黄忠が登場する三国故事で現存する最古のものは、元代の雑劇「ホウ掠四郡」だと思われるが、これに登場する黄忠は「昔関羽と一緒に科挙を受けたが、関羽に卑劣な手段で陥れられた」という設定がある。
後漢に科挙があるわけねーだろ!などというもっともなツッコミはなしで。

▼「超強い」
関羽と戦う以上、当然ながらそれにふさわしい強さが与えられた。
いや、むしろこの時代の黄忠はそれ以上だったと言えるかもしれない。
プロトタイプ演義とでもいうべき「三国志平話」では、黄忠は仲間になる際、魏延(強キャラ)、関羽(強キャラ)、張飛(チート)の3人を同時に相手取って互角に撃ち合うという凄まじい強さを見せている。

みてわかる通り、「老人」という要素も「弓の名手」という要素もまだこの時代にはない。
この時代から一貫して不動なキャラ属性は「戦って仲間になる」というただ一点のみである。
決して低い扱いをされているわけではないし、むしろ関羽のライバルとしてド派手な活躍もするのだが、
しかしこの時期の黄忠は究極的に言えば「関羽あってこそのキャラ」であったことは否定できない。
この編関羽のライバル枠としての設定は部分的には後世にまで残っており、この後も三国志創作においては関羽と黄忠は色々と縁があることが多い。
「関羽のライバル枠なら張遼とか呂蒙とか使えばいーじゃん?」と思われた方もいるかもしれないが、
当時魏呉の将は大半が一山いくらのモブ的存在であり、とてもライバルに使えるような個性や知名度は持っていなかったのである。


<制式型黄忠>

やがて明の時代になると、三国故事の集大成ともいえる「三国志演義」が完成する。
それまでの講談や雑劇に比べ、演義の最大の特徴は
① 正史を基礎にしていること
② 長編ストーリーであること
この2点にある。これによって黄忠も単なる関羽の関係者という立場を越え、現代にまで続く個性のあるキャラ造形をほぼ確立させた。
三国志演義がもたらした黄忠への変化をざっとあげてみると

▼「老黄忠」
正史に残る関羽の発言を元に、「老人である」という属性が付与された。
具体的には、初登場時で60歳を過ぎたあたりの年齢に設定されている。ちなみに演義設定では関羽はこの時期48歳前後。
この老人設定によって、黄忠は他の同僚たちとは絵的にもキャラ的にも一線を画す個性を手に入れることができた。
しかも老人らしく落ち着きがあるタイプではなく、軍記モノにうってつけな血気盛んでやや子供っぽいおじいちゃんなので、扱いとしてはかなり美味しいポジション。

またこれは黄忠の個性を確立しただけではなく、ストーリーの中でも大きな役割を与えることにもなった。
「意気盛んな老人が『まだまだ若いもんにはまけん!』と大活躍していくが、やがて本当に衰え、最後には新たな世代が活躍しているのを目のあたりにして満足げに息を引き取る」
という演義の黄忠は、その経歴が劉備勢力そのものの栄枯盛衰、つまりストーリーの展開と重なっている。
絶頂にあった状態から衰えていく無情さ、それと共に色々なものが失われていく悲哀、そしてそんな中でも次代の可能性を感じさせる希望……そういったドラマを象徴的に感じさせてくれるのが「老黄忠」なのである。
この老人設定は、演義における脚色のなかでも非常に秀逸なものの一つとされる。

▼「弓の名手である」
弓に関しては関羽すらしのぐ作中最強クラスの達人ということになった。
しかし実はこの設定は出どころがいまだにわかっていない。先述した「三国志平話」の段階ではまだこの設定はなく、演義の段階で唐突に追加されているのである。
「あんたの弓なら一発だろ!なんで撃たないで白兵戦やってんの!?」というツッコミどころが演義には結構有るところから考えても、
恐らくはかなり後期の方に別系統の講談などから挿入されたのではないか、と言われているが詳細は不明。

▼「厳顔とペア」
演義での黄忠は、漢中戦で厳顔と老人ペアを組んでいる。これも演義の段階で唐突に表れた設定である。
さて実はこの両者、本来は厳顔の方が(教養のある階級では)むしろ有名だった。
厳顔は劉璋の将として張飛に敗れた時「負けて首を取られることはあっても、敵に降ることはない」と毅然と言ったことで、
士大夫層からは「忠臣の模範」として高い評価を得ていたのである。
よって厳顔の場合は、演義の作者たちが「なんとか厳顔を活躍させたいけど、記録も少ないし庶民は厳顔のことなんか知らないし……そうだ!黄忠と組ませよう!」ということでコンビ結成となったのではないか、と言われている。腐女子の顔カプみたいだな
「関羽と戦って仲間になった老将黄忠」「張飛と戦って仲間になった老将厳顔」のコンビというのもなかなか対照的でおもしろい。
……が、厳顔はこの設定のせいで特に根拠もない老人設定が定着してしまった*1

とまあこんな感じ。
この時点で黄忠のキャラはほとんど完成しており、他の登場人物と違ってこれ以降の変化はほとんど見られない。


<黄忠後期型>

近代になると、庶民向けの三国志創作の主役は演劇、そして小説に移る。
黄忠はキャラが固まっていた上に、「老将枠」という唯一無二の属性も持っていたため大きな変化はなかったが、細かい点では以下のようなものがある。

▼「象鼻刀」
京劇において、黄忠の武器は象鼻刀ということで安定した。
横山三国志の黄忠が持っている、あの先が「の」って形に丸まっている薙刀っぽい武器である。
これは張飛の蛇矛と同じで、舞台の上でのビジュアルインパクトを求めて選ばれたものだと考えられている。
設定の出どころは京劇、もしくはそれに繋がった戯曲だが、それまで決まった武器がなかった(弓という設定はあったが、弓では立ち回りで使えない)黄忠なので、全国的にもかなりこの設定は波及している。

▼「りっぱなおひげ」
関羽との立ち回り時にコントラストで映えるように、ということなのか、関羽級に長い白髭が生えた。

「映像化」にしたがってこれらの外見的な変化はあったが、キャラ造形としては変化がないのがわかる。
現代でもこの傾向はあまり変わっておらず、老将枠として「主役にはならないが、誰かと競合することもまたなく、確実に一定の活躍を与えられる」というある意味美味しい位置についている。
ただし日本の三国志作品は赤壁あたりで完結してしまう事も多いので登場しない事もままある

『横山三国志』

同作の他老人キャラと違って、目が若者系で気合が入った顔。
作画資料が豊富になった中盤以降の登場なので、ロン毛張飛やドカベン趙雲と異なり、伝統的なイメージにかなり沿った形になっている。
というか顔以外は陳丹旭の「連環画三国志」の黄忠をほとんどそのまま使っており、兜のフサフサが白からベタになっているぐらいの差しかない。


『アニメ劇場版三国志』

益州の劉璋と劉備との宴会場で剣の舞を踊るシーンが初登場。
次に登場するのは、夷陵の撤退戦で劉備を追撃する呉軍を単騎で迎撃するという場面。
このシーンでは、弓でもなく象鼻刀でも無く単なる薙刀を携えて登場。数人を切り払うが、すぐに弓矢を受けて死亡する。


『コーエー三国志』

五虎将なので当然強い。超強い
おじいちゃんだからか武力は五虎将の中でも最下位だが(それでも張遼を上回るぐらいの武力はある)、張飛や馬超と比べると知力が高く、
隠しパラメータでも割合冷静なので安定感がある。
また「三國志」は一応戦略SLGなので、ほとんどのタイトルでは戦闘バランス上間接攻撃ができる「弓」もしくは「弩」がかなり強い。
そして黄忠は基本的にどのタイトルでもこれらの兵科を使わせれば最強なので、実戦では数値以上に強い。
5などではそのあまりの殲滅力からMAP兵器呼ばわりされていた。
作品によっては一騎打ち時に特殊補正がかかる(彼の場合年齢が高いほど一騎打ちが有利になる)ことも。
まさに老いてますます盛ん。

11や13など近年の作品では、定番の老人グラフィックだけではなく、若い頃の黒髪・黒ひげグラフィックも用意されたりする。シブい。
…とはいえ初期の作品だと、「演義準拠で登場が遅い上に寿命が近い」といった点から「活動期間が短い」と言った欠点を持っていたりもする。

最新の14では所持特技・所持陣形・所持個性の全てが清々しいまでに攻撃全振りの能力をしている。
所持陣形は攻撃・機動が高く特技が出やすい代わりに防御が低い蜂矢の陣、弓で攻撃ができる代わりに防御が紙の雁行の陣、森林山間で能力が上がる長蛇の陣となっている。
味方部隊が多い構成の場合は極めて頼りになるが、守勢に回ると脆い一面を見せる。
長蛇の陣のお陰で蜀方面や荊州南部を攻める場合は特に頼りになるだろう。
他の地方は味方に合わせて蜂矢か雁行が無難。
また固有特技の 神弓 の威力と攻城ダメージを上げる遠矢のお陰で攻城戦も割かし強いのもポイント。
更に神弓が発動すると更に黄忠の攻撃力が上がる。
また固有個性に 矍鑠 という個性を所持しており60以上の年齢になると 全能力+20% と一騎討ち優遇というかなりの強化がある。

三國無双

CVは川津泰彦。張角と同じ中の人だが、とてもそうは聞こえない。声優さんスゲェ。
従来の黄忠像にくらべ、ある意味老人らしい無邪気さが強調されている。かわいい。
無双界一の弓の達人であり神弓と呼ばれる腕前を持つ。
弓がサブ攻撃として使えた無双4まででは弓矢に関する隠しパラメータ(弓弓矢についての攻撃・防御力)がどちらも全キャラ1位だった。
詳細は項目参照


三国志大戦

当然のように第一作から蜀勢力として登場。一貫して白髪白髭の老将として描かれている。
弓を携えた弓兵と象鼻刀を振るう騎兵の2種のカードが存在するが
共通点は瞬間的な攻撃力より耐久力、粘りの強さに優れること。
「零距離戦法」「不撓不屈」「老当益壮」などいずれも速度は上がらないが武力上昇や兵力上昇に優れる計略を持ち、
敵の猛攻に耐えて踏みとどまり城や舞姫を守るいぶし銀の働きを見せてくれる。
シリーズを通して蜀勢力の弓兵としては最高戦力で、一定の使用率を維持している良カードだった。

リブート後はなまじ知力があるせいでコスト比武力-1の弓にされ、一転不遇化。馬も取り上げられた。
脳筋の沙摩柯にポジションを奪われ更に同コストに計略使っても射撃ができる馬姫が登場しほぼ死滅状態、その上同じコストに新たに武8の脳筋の馮習が登場。
最高戦力となった馮習はこの世の春と言わんばかりにスペックだけで大暴れする一方、弓兵黄忠は沙摩柯と共に悲惨な死を迎えた。
また武8/知6/制3:柵勇城のSR黄忠も登場した。
ただコスト2.5で武8というスペックは如何ともし難く、兵種的に制圧3という独自の強みもいまいち活かせない。
更に「山を割り海を割く、この矢を受けよ」と言いながら武力・兵力が上がり 一定時間後兵力が減る という元の武力が低いくせに殲滅力が欠片も期待できない計略なのも辛い。
結局、城持ちなのを活かし計略を使って城を殴るのが最適解というやってる事はR黄忠とほとんど同じ攻城兵みたいな弓兵として使う位置に定着した。

そんな中でR黄忠と同じ絵師による新生版として新たに連弩兵黄忠が登場。
武9/知4/征2の勇猛持ちで制圧が低めな連弩兵としてはコスト比最高武力でありながら制圧2は確保している点も悪くない。
また長らく黄忠ファンが待ち望んでいた大戦1から6までナンバリングを通し黄忠初の殲滅系の超絶強化である「老黄穿弩」を会得している。
武力が上がり相手を貫通する弩を3発ほぼ同時に放つ計略で弩の射線上に並んでいると纏めてダメージが通る。
号令使うタイプのデッキはある程度纏まる必要があるが、その状態だと黄忠に複数射抜かれる可能性があるので中々に怖い状況を作れる。
ただし射程が伸びるわけではなく武力上昇も他の超絶強化に比べ武+5とやや物足りない。
またデッキ編成的に組みやすいコスト2に武8の連弩兵である厳顔がいるので、コスト2.5の黄忠はやや扱い難く使用率はいまいち高くない。


『英傑大戦』

Ver1.10に勢力「碧」に追加された。(なお碧は蜀・徳川北条・幕末徳川が連合した勢力(Ver1.10段階)となっている)
コスト2.5で武力9の弓兵であり特技:気合も所持しているため戦場に居座るのに都合の良いスペックと言える。
反面知力は2と最低レベルでありダメージ計略や妨害計略へのケアは欠かせない。(なお張飛よりも知力が低くなってしまった・・・)
また今作では攻城速度も知力依存となったため攻城威力が高い高コストの攻城が遅いのは地味に痛い。

計略は『老当益壮』。
名前は上記の三国志大戦と同じだが計略の性質は全然違ったものとなっている。
内容は武力が上がり特技「気合」の効果が上がる。
武力の上昇度は低いが気合の性能がかなり上がるため思ったよりもしぶとい。
だが弱点も気合と同じなので弓で撃たれるとただの武力+3にしかならない。(気合は弓で撃たれると効果が発揮出来なくなる。)」
また士気5と安くない士気を使うため計略後にダメージ計略や妨害計略で排除されたら目も当てられない。


『一騎当千』

成都学園と縁のある桃源院最強の闘士。
この漫画にしては珍しく男の闘士…というか蜀で唯一の男闘士。
常に僧侶の姿をしてるが一応は成都学園3年生。
普段は理性で抑えようと頑張っているが本性はむっつりスケベのエロ坊主で特に巨乳大好き。そりゃ高3男子があんな巨乳美少女だらけの環境に置かれたんじゃそうなるわな
特A級の闘士であり関羽や趙雲に匹敵する戦闘力を持つ。
…はずなのだが、爆乳美少女バトルと銘打たれたこの漫画において、男というだけで良い目を見る事などあろうはずもなく基本的に扱いは悪い。
漫画ではまだ見せ場もあったが、アニメだとその見せ場すら趙雲に奪われる始末…憐れ。ちなみに趙雲とは旧知の仲で共に行動する場合もある。


恋姫†無双

真名は紫苑。
曲張比肩と謳われるほどの弓の達人であり、更に脳筋揃い武力派揃いの蜀の中では貴重な内政の担い手。
一児の母の未亡人であり蜀軍一の巨乳を持つおっとり穏やかな癒し系エロスお姉さん。弓引くのに胸が邪魔にならないんだろうか
年若い武将たちの姉・母親代わりであり、特に娘の璃々(黄叙)と仲の良い鈴々(張飛)はよく面倒を見ている。
また年齢が近い桔梗(厳顔)とは仲は良い。
歳は20代後半だが年齢の事に触れると恐ろしい笑顔を見せ、麗羽(袁紹)に年増と言われた時には 怒りで街を半壊させた
ちなみに恋姫関連のゲームは数多いが扱いはゲームによってかなり変わる。
五虎将+龍鳳二軍師の中で唯一未登場や最高レアリティからハブにされる事も少ないない。
反面、最初から最高レアリティで登場し、なおかつ衣装違いで最高レアリティが複数用意されたゲームもある。

BB戦士三国伝

演者はガンダムMk-II(エゥーゴカラー)。
「暁の狙撃手」の異名を取る弓の名手で、装備はスーパーガンダムがモチーフの「龍身鎧形態」や弾幕重視の「漣龍牙形態」、
巨大な弓「龍鱗剛烈弓」などの多彩なモードに組み替え変形できる。勿論BB恒例の支援メカ形態も完備。
顎髭は別パーツを差し込む形だった関羽と違ってマスクパーツと一体化しているタイプの造形。
力強い老将といった感じではあるが、ストーリーではぶっちゃけ空気
赤壁がクライマックスだった都合で、五誇将(誤植ではない)で唯一アニメに出ていない。(馬超ブルーデスティニーは子供の姿のみ登場)
同僚だった魏延は無二の相棒という設定で、演者もMk-II(ティターンズカラー)と対になっている。
実際には中国展開の都合で魏延を活躍させられないのが決まっていたのでデザインを流用したとかなんとか。

SDガンダムワールド 三国創傑伝

演者はガンダムデュナメス
ショク組の中では唯一の非主人公機からの選抜*2であるが、主人公より年上で智慧が回り、遠距離攻撃が得意と言う事でピッタリの配役である。
ショク・エリアの自警団「ドラゴンズウォッチ」の整備士であり、バイクの整備・開発に関しては天才的な技量を有する。

『三国志 Three Kingdoms』

吹き替え声優はロックマンXシリーズのシグマ真ゲッターロボ〜世界最後の日の早乙女博士でお馴染みの麦人氏。
基本的には演義ベースだが、劉備の説得に感じ入って旧主・韓玄の埋葬立ち会いを条件に臣下に加わり、夷陵の合戦では自ら志願して囮を買ってでるも致命傷を負い、勝利に満足しながら黄泉にいる関羽に高笑いを決めて息を引き取った。




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最終更新:2024年01月04日 06:23

*1 厳顔の「老人設定」はもう一つ、張任の設定がスライドした、と言う可能性もある。張任は正史では老将だが、演義では年齢言及がなく、むしろ魏延と剣舞で張り合えるぐらいの、少なくとも老人とは言えない武将として描かれている。つまり厳顔と張任で年齢が入れ替わっている。上記の黄忠との老将同士というインパクトと、厳顔・張任ともに人気が厚かったことから、一部設定の交換が起きたのだろう。

*2 他は劉備ユニコーン(UC)、関羽ν(CCA)、張飛ゴッド(G)、趙雲ダブルオー(00/2期)、孔明フリーダム(SEED)。