大泉洋拉致事件(水曜どうでしょう)

登録日:2017/04/12 (水曜日) 19:12:47
更新日:2024/04/12 Fri 02:58:17
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私もちと何が何だか 何だよおまえらおい?!何してんだよおまえらおい?!


大泉洋拉致事件とは、かつて北海道テレビ放送(HTB)制作の番組『水曜どうでしょう』にて、『桜前線捕獲大作戦』(1998年5月放送)後行われた、恐ろしい事件のことである。
本項目では他にも同番組で行われた「拉致事件」についても触れる。

●登場人物

この番組のレギュラーで、芸能事務所「CREATIVE OFFICE CUE」所属の俳優・バラエティタレント。そしてこの事件におけるメインターゲット
まず大前提としてこの番組のロケ内容は常に彼抜きで考案され、彼が事前に旅の行き先を教えられるケースは殆どない。つまり毎度ミステリーツアーをさせられているような感じ。
その主な導入パターンは、
1:ロケ当日まで行き先を知らず、集合地点または空港付近で始めて企画概要を説明される。(『カントリーサインの旅』、2007年以降の新作等)このケースでは少なくとも「最大拘束日数」だけは事前に知っている。
2:別なロケを進めていたら、「ついでに旅しよう」と言われ過酷な旅に連れていかれる。(『サイコロ1』・『サイコロ3前編』(3との複合型)、『アメリカ合衆国横断』等)
3:偽企画のロケと騙され連れていかれ、途中で真の目的を明かされる。(『サイコロ2』・『サイコロ4』、『原付西日本制覇』等)
4:別企画の罰ゲームとして連行される(『四国八十八か所』シリーズ・『ユーコン川160キロ』)
に分かれるが、この中でも2・3のパターンは明らかな騙しであり、その行為を例えていったある一言が、この事件の引き金を引いてしまった。

この番組のディレクターで、「どうでしょう班」の一員。この事件の首謀者その1
「拉致事件」において、藤村Dはナレーション・指揮などで後方支援、嬉野Dは地味にカメラを回していた。

この番組のレギュラー兼企画担当で、この事件の首謀者その2にして最大の貢献者
「CREATIVE OFFICE CUE」の社長(1998年当時。現在は会長)であり、大泉ら所属タレントのスケジュールを自在に操作できる立場の人間でもある。*1
後の著書『ダメダメ人間』では「責任者(たる自分)が共に旅をしていたからこんな非常識な番組が出来た」と回想していた彼が、その権力を存分に発揮すると…。

大泉洋と共に演劇ユニット「TEAM NACS」と「CREATIVE OFFICE CUE」に所属し、かつて鈴井の主宰する劇団「OOPARTS」(1998年に解散)にも所属していた俳優。そしてこの事件最大の犠牲者
ちなみにこの番組には未DVD・再放送となった1997年放送のコントドラマ『雅楽戦隊ホワイトストーンズR』*2にて既に登場しており、ホワイトストーンズも制作していた藤村Dとは既に面識があった。
1998年当時はまだ舞台でしか「変態」・「裸族」キャラは認知されておらず、またテレビ出演も殆ど無かったせいか眼鏡*3に短髪と地味な容姿だった(ラジオでは饒舌だったが)。

1997年12月に誕生したHTBのマスコット。本番組では98年初頭放送の『第1回どうでしょうカルトクイズ大会』(未DVD化)に初登場していた。
一見「拉致」等という不穏な話題に関係なさそうなキャラだが、この事件が思わぬ形で彼の知名度を上げることになる。

  • 北海学園大学アメフト部
大泉・安田の母校(鈴井も通っていたが中退している)が抱えるアメフトのラガーたちであり、この事件の実行犯
DVD版での副音声によれば、HTBスタッフの中に彼らと縁のある人がいたため依頼できたそうな。





※以下、内容のネタバレを含むので注意。










●大泉洋拉致事件

この番組において、いつも無茶ぶりの様な形で旅に巻き込まれていた大泉洋。
中でも『サイコロ3後編』・『韓国食い道楽サイコロの旅』(1997年放送)や『サイコロ4』(1998年1月放送)での「騙し(別な場所に行くと言って大泉を連れ出し、旅に出てから本命の場所に連行する)」に対しては怒り「誘拐」・「拉致」だと言い放った。
しかしその言葉に妙なヒントを得てしまった制作陣は、

だったら油断し切っている日常の中で本当に拉致してやる

と本気を出してしまい、何と「大泉拉致計画」を考案、実行に移すことを決意した。

日時は1998年5月15日、場所はラジオ局「AIR-G'」(エフエム北海道)、舞台は1998年4月にスタートした大泉と安田顕がパーソナリティを務めるラジオの生放送番組『GOLGO』(19時~20時の一時間番組)。
作戦開始のキーワード暗号文は「アメフトには気をつけろ キックオフがせまってる」。

そんな恐ろしい計画が立案されているとも知らず、大泉・安田はラジオの準備を進めていた。








そして、運命の時間が訪れた…。



楽しくラジオを進め*4、番組終了に差し掛かった19時51分頃、AIR-G'14階にあるスタジオにビデオカメラを手に持った鈴井が登場*5
2人に「アメフトには気をつけろ キックオフがせまってる」なる謎のファックスを手渡した。
よく考えたら上司がスタジオに現れビデオ撮影している時点でおかしい気もするが、本番中だったせいか意味不明な文章を不審がりながらも読みあげた大泉。その台詞がラジオに流れた直後…


北海学園大学アメフト部の面々が登場、容赦なく二人を拘束した。


突然の凶事に抵抗するも虚しく大泉・安田は局の外へとエレベーター経由で連行され、外に停まるワゴン車へ…。

一方ラジオで様子を聞いていた藤村Dは拉致の様子に大爆笑し、スタジオに残った鈴井はラジオのリスナーに対して、「水曜どうでしょうロケのため、あの2人連行いたしました」とお詫び(?)の説明を放送していた。

2人が連行され叩き込まれたワゴン車には、笑い転げる藤村Dとカメラを持つ嬉野Dが乗車しており、平然とした態度で藤村Dは「大泉君、旅に出ようや」と声を掛け、
安田に対しても「成り行きなんで、一緒に行きましょうか」と告げた。
こんな無茶に茫然自失としていた安田は車から降りようとしたが、アメフト部によって車に押し戻された。そして鈴井が乗り込み、車がスタートした。

が、そこはこの番組で無茶ぶりに慣れていた大泉。連行によって肘を怪我し、初めこそ抵抗したり文句を絶叫したりするも時間がたつと、
「連行される途中で気づきだし、笑い声が聞こえた時点で分かった」といつもの調子を取り戻しむしろ感心するそぶりすら見せた。
だがいきなり巻き込まれた安田にとっては正に青天の霹靂とも入れる事態であり、「帰してよ…」「俺、面白い事喋れないよ…」等と呟くも、もはや成功に喜ぶ鈴井やスイッチを切り替えた大泉は聞く耳持たず、哀れ旅の道連れにされる羽目に…。*6
大泉が自宅と携帯電話で話す「母さん、俺拉致されたから!」なんて台詞の流れる中、「どうでしょう班」+安田顕は旅立ち、『十勝二十番勝負』の幕が開くのであった…。

現場の十勝につき、早く着きすぎたため一晩車の中で仮眠を取った後ロケがスタートすると、なぜか安田ではなく「HTBの親善大使」として安田さんonちゃんが初登場していたが。



だが、話はここで終わらなかった


なお、この放送を聞いていた人の中にはさすがに本当の事件と思った人がいるらしく、番組に抗議の電話が入ったそうな。




●鈴井貴之拉致計画

「大泉拉致事件」から一か月後の6月25日、藤村DがHTBにいた大泉へと、
ミスター(鈴井)をおまえと全く同じ手段・舞台で拉致してみないか?、それも今日すぐ」(要約)と悪魔のささやきを投げかけた。
毎回毎回騙されっぱなしだった大泉は、最初疑うも「ネタ切れじゃね?」という危惧も込みで説得されるとその企画に賛成し、ノリノリで引き受けた…。










それこそが、鈴井とスタッフによる最悪の罠だと気づかずに。






そう、この企画の真の趣旨は、大泉洋を煽てて引っ掛ける事だったのである!
なおこの回の前枠は鈴井による『世にも奇妙な物語』風の語りとなっており、視聴者には初めから『騙し』の企画である事が提示されていた。


●鈴井貴之拉致事件に見せかけた大泉洋拉致事件

日時は1998年6月25日、場所はまたもや「AIR-G'」の14階スタジオ、舞台は鈴井がパーソナリティを務めるラジオの生放送番組『GO・I・S』。

大泉は「鈴井へのあだ討ち」における勝負衣装として「忠臣蔵」の大石内蔵助の衣装を手渡され、局の近くで連行の練習・前口上の練習を繰り返す。
そして傍らで観ていた藤村D達が「『何も知らずひとりで燃える男』、『自分の拉致を練習する男』(テロップより)」等と笑いを隠しているとも知らずに、「拉致には拉致を」と決意。
アメフト部を連れ局へと乗り込んだ。

「GO・I・S」の時間を見計らいながら進撃し、番組終了直後、鈴井とアシスタントの北川久仁子の前に大泉が推参。
テンパりながらも前口上をのべ、「行け―!」とアメフト部をけしかけた瞬間、

アメフト部によって自分が拘束され、鈴井・北川が大爆笑する中内蔵助姿で連行された。

エレベーターで多数のアメフト部に担がれた大石内蔵助コスという大恥を複数の人々に晒しながらワゴン車へと連れてこられた大泉は、藤村の「ごめんね、また騙しちゃった…」との詫びの言葉を聞き、
逆ドッキリに引っかかったことを知り抵抗するも、アメフト部によって車に押し戻された。
そして鈴井が車に搭乗した後、不貞腐れたままの大泉に止めとばかりに自分のパスポートが提示され『香港大観光旅行』へと連行されるのであった…




ここまでなら、「大泉さん気の毒すぎ!」という感想で終わっただろうが、拉致ネタはここで終わらなかった


なお、さすがにまた生放送中に拉致を行うのは前回のように本当の事件と思われるからか今回は放送終了後で行われている。

今回協力したアメフト部員の結婚式にヒゲとうれしーも呼ばれたことが日記で明かされている。





●onちゃんカレンダー

2つの拉致事件から時は流れ1999年9月30日(放送は2000年1・2月)、どうでしょう班はHTBにて、「写真家大泉」による『2000年onちゃんカレンダー*7撮影会を開いていた。
鈴井とonちゃんにコスプレをさせ写真を撮り進めていき、朝一番で冷房が入っておらず熱気漂うスタジオにonちゃんの中に入っていた安田顕が疲労していく中、
大泉・藤村Dは「11月の撮影時」をめどにある恐ろしい計画を立案していた。
撮影も後半戦に入る中、視聴者に対して明かされたその内容は…



『安田さん拉致計画』というとんでもないものだった。



●安田顕拉致事件

10月の撮影がひと段落した後、「いったん休もう」なんて名目でグロッキー状態の安田から着ぐるみを脱がせ、
「せっかくだから」と安田にハイビスカスの髪飾りをつけ、三つ編み体育着コスの鈴井とのツーショット写真を撮影(なぜかこの写真が製品版カレンダー10月分でのメインに)。
ついでにとばかり安田に腰蓑を身につけさせ、脇にヤシの木を設置、大泉は「気分はもうハワイアンですね」等と呟く。
そして安田に対し「もうハワイ行きましょ!」「ハワイ行きます!安田君を拉致してハワイに行きます!」と言い放った

実はこの撮影の直後、どうでしょう班は『アメリカ 生き地獄体験ツアー』なるツアーでトークショーをするため、鈴井がラジオの収録を終えたらすぐ、
ハワイ経由でラスベガスへと向かい、翌日即帰国という強行スケジュールを控えており、
過酷な旅における道連れが欲しい」とたっての願いから、安田が選ばれたのであった。
しかもご丁寧な事に安田のまだ使ってないパスポートも確保したうえで

「大泉君に僕が騙されたの・・・?」

かくて安田は初海外が拉致&観光できる余裕殆どなしという目に逢いながら、onちゃん着ぐるみと共にアメリカへと連行され、何とかカレンダーの11月分をハワイ・12月分をラスベガスで撮影したのであった…。

…かつて拉致された時「俺の相方に何すんだよ!」と怒り、鈴井に仇討ちしようとしたとき「最近では安田をも拉致した罪は重い!」と宣告した大泉さんはどこに行ったんでしょうね。

ちなみにDVDでの特典映像では空港へ向かう途中、大泉が安田に「拉致の心得」を教えている様子が収録された。

安田曰く、「なんで気が付かないんだろうこのバカは」と思っていたそうだが、今回で周りのダマしの腕がプロだと認識を改めたようだ。


●余談

ちなみにこの企画「拉致」という言葉が洒落にならない時勢になったため、『onちゃんカレンダー』以外の企画は再放送版『水曜どうでしょうclassic』では除外されている(DVDには収録)。しかし、それより後に再リマスタリングの形で制作された『水曜どうでしょうPremier』になると番組自体の知名度も飛躍的に上がった事もあってか再びラインナップに加えられるようになった。

最初の拉致事件の一週間前まで、大泉・安田はナックスの公演『再演DOOR~在り続けるためのプロセス』を行っており、本放送・リターンズ版では「先週(ラジオが)録音放送だった」とその事を示す発言が放送されていた。

「拉致」されて連れて行かれた後の企画「十勝二十番勝負」「香港大観光旅行」は、いずれも観光色の強い「ぬるい」企画である。
流石に拉致した上で過酷なロケをやらせるのは人道に反すると思ったのか、ミスター的に山場は取れたからもういいと判断したのかは不明である。

onちゃんはもともと一年限りのマスコットキャラであったが、認知度は低く、また、ヤスケンもラジオや舞台役者の仕事があったとはいえ、タレントとしては無名だった。
個別のページを見ていただければこの拉致事件が大きな転機となったことは容易にお分かりだろう。



加筆・修正お願いします。





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最終更新:2024年04月12日 02:58

*1 特に1998年当時は鈴井・安田・大泉しか所属タレントがいなかった。

*2 『モザイクな夜V3』内のコントの続編で、『ドラバラ鈴井の巣』の同名作品の原案となった。そのため「韓国食い道楽サイコロの旅」後半の後枠ではナックス公演の宣伝をするため「ホワイトストーンズ」の格好でゲスト出演している。

*3 この時期でも舞台・テレビ等ちゃんと客の前に出る時は外しており、「事件」の時はラジオ収録だったためかけていたものと思われる。

*4 ちなみに本放送・リターンズ版とDVD版ではこの時の『GOLGO』スタジオ部分映像が異なっている。

*5 DVD版ではいきなり登場した様な編集だったが、本放送・リターンズ版では7時42分頃にも入室・撮影していた様子が放送された。なお大泉と安田は番組の打ち合わせ時点で「最後に鈴井が投稿ファックスを持ってくる」ことだけは説明されていたらしい。

*6 『十勝二十番勝負』初回では事前に「他局の仕事」という名目で彼のスケジュールも抑えていたことが判明している。

*7 放送後公式発売され、DVD版第18弾にも復刻版が封入された。