SCP-1841-EX

登録日:2017/03/05 (日) 20:01:35
更新日:2023/10/01 Sun 13:26:51
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SCP-1841-EXは、怪異創作コミュニティサイト「SCP Foundation」に登場するオブジェクトだったもののひとつである。
項目名は「Listztomania (リストマニア)」。

Explainedクラスは副次的かつ特殊なクラスであり、
「その性質が今現在の主流科学で説明できるほどに完全に解明された・虚偽や錯誤によるものだと判明した・最早収容不可能なほどに公に流布され、広まってしまった」
という条件に該当するオブジェクトに対し、SCPナンバーの後に「-EX」と付けて登録されるものである。
アニヲタWikiの仲間にSCP-8900-EX「Sky Blue Sky(青い、青い空)」などがいる。

SCP-8900-EXが「収容失敗による敗北宣言」であることに対し、こちらは「収容の必要性自体がないと判明した」ケースである。

肝心のオブジェクトクラスだが、当初は通例に従いEuclid、そこから無力化されたと判断されNeutralized、さらにその後異常性が復活したとしてEuclidに逆戻り、さらに危険性の問題からKeterに上がったが、最終的にExplainedとなった、というかなり目まぐるしい変わり方をしている。


説明の前に

まず前提がいくつかある。
このオブジェクト(一応このように記しておく)は、現象系のSCPである。
その上でこのオブジェクトは、このカノンにおけるSCP財団の前身と言うべき「珍品と過ぎ往く幻想の研究の為の王立財団」が対応し、財団に受け継がれてしまっていたものである。
そして、このオブジェクトを王立財団が発見した当時は、1800年代後半である。その事を念頭に置いて、解説していくことにする。


当時の概要

SCP-1841は、ハンガリー人の血に連なる作曲家にしてピアニスト……名前は伏せられているが補遺の部分で書かれているため明かしておく、フランツ・リストの演奏によって発生するある種のミーム汚染である。


リスト自身の作曲か、他者の作曲したものであるかに関わらず、リストのピアノ演奏を聞いた人々すべてが、未知の科学的手段を介してSCP-1841の影響を受ける危険があるとされる。


さらに、オブジェクトの影響は最短でも3時間、長いと5年間は続くことになる。SCP-1841が1844年にベルリンで最初に文書化されてから、一次および二次感染がヨーロッパ大陸全体の何千もの人々に広がっている。もはやパンデミックである。


この症状は、リストの公演に訪れた人々の約63%に現れる。
より若い世代の男性、ボヘミアンや特に独身者が簡単に影響を受ける事がわかっている。

が、女性はさらに影響を受けやすいことが判明している。


これは初期症状においては、公演の間にはっきりと現れる。賑やかな応援や大声、曲のテンポに合わない踊り、興奮した様子の会話や、

また多くの場合、演奏中のリストに触れようとしたり、彼の所持品やゴミ、切れたピアノの弦を持ち去ろうとするなどの異常行動が発生する。


さらには演奏と関係のないこと、例えば葉巻の吸いさしやコーヒーのかすが捨てられたとき、それを巡って聴衆の間で争奪戦が始まることが観察されている。


さらに公演の終了後、感染者はしばしばリストの宿舎に押し入ろうとし、彼を追いかけ、結果警察が出動するレベルの暴動や騒動にまで発展するケースも少なくない。


SCP-1841の流行についてインタビューをしたところ、リストをまるで聖人のように、「今までの人生で最も偉大な音楽家でさえ一線を画す」として尊敬し、リストから盗まれたものを聖遺物のように扱い崇拝している、と回答している。


そして、感染者は周りの知人に対しリストがいかに有名で素晴らしいかを『説いて』回るため、それにより思想を植え付けられ、彼とその聴衆を探し始めることになる。


そうやって感染が広がっていく。


しかもこれ、リスト本人がその場にいるかどうかは関係ないらしく、ドイツ旅行中に発生した複数の事件において、SCP-1841の本格的な流行は、リストが街に到着する数日前に発生している。


極端な症例では、SCP-1841に罹患した女性が、リストの一行に加わる自分自身を妄想し、ヒステリーに苦しめられたケースがある。このケースで件の女性は、完全に淑女としての貞淑を捨て去り、まるで娼婦のように振る舞い出したという。


また、これに罹患した女性たちは、たとえ夫がいたとしても、自分がリストと親密であるという精巧な妄想を持つようになる。


この感染期間中は、厚かましく、相応しくない振る舞いをするが、防止することができない。面倒とか言うレベルではない、完全なミーム災害である。


骨盤マッサージと電気刺激は、これらの症状の一時的緩和に有効であることが証明されているが、このやり方をとる場合ヒステリーを煽らないよう注意する必要がある。


で、肝心のミーム汚染の根源は不明。

1863年にリスト本人へ実施したインタビューでは、現象に対する理解や能力のコントロールについて、「私にそんなものはない」と否定しており、むしろ彼自身、聴衆の女性たちのヒステリックな反応に動揺していると述べている。


心に影響を及ぼすという特性から、パリのサロンである『Sommes-Nous Devenus Magnifiques?(我々は優雅であっただろう?)』(Are We Cool Yet?の前身)との繋がりが疑われているが、リストがその組織と繋がっている、という証拠はなく、証明もなされていない。



つまり、このSCP-1841とは、リストの演奏によって発生する大規模なミーム災害である。


リストの演奏を聴くと、フランツ・リストという人物へ異常なほどのめり込み、常識では考えられない行動をとってしまうのである。


王立財団は現在のSCP財団とはよって立つ社会が異なるが、やることは同じである。


即ち、異常な存在の確保、収容、保護。だが、リストはドイツ帝国とローマ・カトリック教会の保護下にあり、当時の社会体制ではいかな王立財団と言えども手が出せなかった。


そのため特別収容プロトコルは、リストの行動する地域と電報などで連絡を取り合い、彼の存在によって発生する異常行動を払いのけ、またオブジェクトの影響を受けた人物は即座に鎮圧するか処刑するものになっている。



そして、1886年7月31日。
フランツ・リストは、肺炎によりドイツより天へと召された。
SCP-1841の発生源はリストの演奏であり、その録音が残されていないことから、実質的にこのオブジェクトは無力化したと判断。


5年の観察期間を経て、Neutralizedクラスへと再分類された。






再発

だが、これでは終わらなかった。
時は流れ、王立財団が現在の財団へと再編され、第二次世界大戦も終結した1956年。


財団の研究員であるジェイコブズ博士は、ある懸念を抱いていた。

当時世界的な人気者となっていたロックスター、エルヴィス・プレスリーに、かつてリストが引き起こしたミーム災害、すなわちSCP-1841と同様の現象を起こす要因が備わっている疑いが濃厚となったのだ。


プレスリー本人、あるいは関係者によって引き起こされる、群衆の突発的なパニックにも似た興奮作用、そしてそれに伴う異常な行動。これは、リストの死に伴い無力化されたはずのSCP-1841そのものであった。


博士はこれにより、オブジェクトクラスをEuclidに戻し、特別収容プロトコルの復活を提言
O5-2がこれを承認し、財団の対処が始まった。


さらに2年が過ぎた1958年。

補助研究員から昇進したワーサム博士は、SCP-1841が予想以上に拡大していることを突き止めた。


博士はこの時点で、SCP-1841の影響を受けた聴衆を誘導することができる、一個人から発せられるのではないおおよそ24弱の人気のミュージシャンを同定していた。


このうちいくつかは、当時人種差別の真っ只中にいた黒人社会の人物であったことから、SCP-1841は人種や社会的障害を超越するらしいことも示されていた。

まあオブジェクトに国境なんぞ関係ないが。


さらに博士が同定したグループのうち5つは、研究が始まった時点では影響を誘導するミュージシャンではなかった。

この事実はつまり、該当する人物の数がどんどん増えていることを示していた。


財団はこの段に至ってもなお抜本的対策を立てられておらず、このままでは1963年には世界規模に流行すると考えられた。


ワーサム博士はこれをもとにオブジェクトクラスをKeterに変更することを要請し、さらに必要な人員のみに情報を開示する、要するにセキュリティクリアランスによる情報制限を適用することを申請。
O5-11によって、これは許可された。



そして、さらに3年が経過した。


専任研究員になったワーサムは、プレスリーの徴兵と、1959年の「音楽が死んだ日」

(3人のミュージシャン、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、J.P."ビッグ・ボッパー" リチャードソンが死亡した事故が起こった日のこと)

に伴い、ロックという音楽ジャンルが既に死に始めているという情報操作を行っていた。


それは効果を上げており、SCP-1841の影響は沈静化に向かっていた。

リチャード・ウェイン・ペニマンのロックからゴスペルへの転向はその成果の一つとみられ、さらに財団による偽キャンペーンの主張は宗教保守派のコミュニティで一定の支持を獲得するに至った。


不測の事態がない限り、3年ほどで完全にオブジェクトを無力化できる、とワーサム専任研究員は予想していた。



だが、それは読みが甘かった。
SCP-1841が財団の制御能力を超えて成長していたのだ。


1964年の対象者ジョージ・ハリスンらの突然の出現に続いて、既知のSCP-1841キャリアの数は数百に増大、財団の追跡及び監視能力を超えて成長し続けていた。


感染による社会不安は、ベトナムでのアメリカの戦争努力を損ない、国際政治プロセスについても影響を及ぼし始めている、というかなり深刻な事態であった。


さらに、過去二年間で催された様々な「フェス」の参加者(すなわちSCP-1841のキャリア)は、なんと10万人以上にのぼることがわかった。


ニューヨーク州北部で計画予定の「フェス」では、ほぼ50万人の潜在的感染者が予測された。


こうなってはもはや手段を選んではいられない、大規模収容違反だけはどんな手を使ってでも防がなければならない。


サイト管理者ワーサムは、この時点での対象者、スティーブ・エリオットに限定せず、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ジョン・レノン、ジム・モリソン、キース・レルフなど


知名度の高いSCP-1841キャリアを、今後数年間で可能な限り暗殺することで、リストが死んだ時と同じように影響自体を根絶することを選択したのだ。

この提言は、O5-8によって認可された。






―――そして、多くのミュージシャンたちは、財団の理念のもとにその命を奪われたのである。







EX認定へ

だが、よく考えていただきたい。
SCP-1841の中身を噛み砕くと、「有名なミュージシャンに対する熱狂的な興奮とそれに伴う傍からは理解しがたい行動」である。


これは、本当にSCPオブジェクトだろうか? 
オブジェクトの根拠となる「異常な特性」だろうか?


その疑問に、答えが出される時が来た。
1996年9月。

この月の初頭に起きた、ラップミュージャンのトゥパック・シャクールの死亡事件は、ギャングの抗争に巻き込まれてのものだと報道されていた。


だが、サイト-19に勤務する機動部隊司令官、ジェームス・A・オストハイム将軍は、ふとしたことからシャクールの死が、よりによって自身の部下である機動部隊β-6「カセムの復讐」による暗殺だったことを知ることになった。


部隊経費のルーチン監査のさなか、オストハイム将軍は用途不明の旅費と、「カセムの復讐」の隊員の不正な動きを発見。早速、部隊長キャラハンを呼び出して問い詰めたところ、彼はあっさりとシャクールの暗殺を告白。


しかもそれだけでなく、カート・コバーン、ジョン・レノンなど、ここ数十年で著名なミュージシャンを何十人も葬って来たのだと語った。


財団の使命はSCPオブジェクトを確保し、収容し、一般社会を保護することにある。仮にもそこに属する機動部隊のメンバーが、どうしてミュージシャンを殺さなければならないのか?


キャラハン部隊長はこれに対し、これはSCP-1841に対処するための必要な行動であり、監視司令部からの直接命令による行動だと釈明。証拠として、O5-6のデジタル署名の入った文書を提出。


確かに筋は通っている。が、どうも納得がいかない。

オストハイム将軍はキャラハンの証言をもとに財団のデータベースを検索したが、SCP-1841の存在は確認できなかった。
そんな文書が分類された痕跡すら、なかったのである。


だが、ここで将軍の脳裏にインスピレーションが走った。
中央アーカイブに連絡し、1983年に電子化されていなかったDecommissionedクラス、またはNeutralizedクラスのオブジェクト報告書を探したのだ。


その結果、恐らくこのオブジェクトのことだろう、フランツ・リストの演奏とそれに対する劇的な反応を、ミーム系のオブジェクトとして扱った、王立財団時代の報告書が見つかった。


これはどうやらリストの死から更新されていなかったらしく、Neutralized認定で止まっていた。


オストハイム将軍はここから、現状を把握して嘆いた。
O5評議会のメンバーが指揮系統にとって代わり、その権限を用いて、100年以上不活性であったオブジェクトに対応するために、将軍の知らないところで一般社会の人間を殺して回っている。


こんなことがあっていいのか、と倫理委員会に申し立てたのだ。


財団は残酷ではないが、冷酷だ。
オブジェクトの脅威から社会と言う大きな枠を守るために、どうしても必要ならば一般人を殺すこともある。
だが、これは本当にそれに値するほど危急の事態なのか?


将軍の問いへの答えは、8か月後の1997年5月に出された。

サイト-19倫理委員会は、将軍の他にO5-1、O5-13にも同様の返答を送付していた。


将軍の報せを受け取った倫理委員会は、財団のアーカイブを電子・非電子を含め徹底的に洗い直し、専門家を交えての再調査を行った。


その結果は、SCP-1841には財団が対処する根拠となる異常な特性は一切見当たらず、特別収容プロトコルを適用する意味は存在しないというものであった。


専門家によれば、リストに始まるこの一連のミーム災害とされた現象は、スタンダール症候群・エルサレム症候群などと同様の、単純なカリスマの持ち主、あるいは素晴らしい芸術に対する感動に起因するものであり、通常の人間の精神の動きを逸脱していないという。


そしてここから、キャリアとされたミュージシャンたちは異常でもなんでもなく、彼らには特別な力は何もなかったという結論が出た。


ミュージシャン達にはなんの異常もなかった。ただ、彼らの演奏が、歌が、本当に素晴らしかったから。

それが心を打ったから、人々は感動し、熱狂し、彼らを慕ったのだ。時に異常な行動に出てしまうほどに。

本当に、たった、それだけのことだったのだ。


財団は最初から失敗していた。
異常な存在に関わり過ぎたがために、本質を見誤った。それに気づかないまま、あまりにも多くの人命を、見当違いに葬って来たのだ。


これにより、SCP-1841は直ちにExplainedクラスへと認定され、全ての特別収容プロトコルは取り消された。

SCP-1841-EXの影響を受けたとされる人々への監視や封じ込めは、一切許可されないこととなった。

指揮を執っていたO5-6には、この見当違いの収容行動以外には非の打ちどころのない経歴があった。よって、満額での早期退職、要はクビが宣告された。


この件に関わったその他の職員に対しては特に処分は下されなかったが、希望するならばBクラス記憶処理を受けることが許可された。


かくして、SCP-1841-EXを巡る、長すぎた空騒ぎは幕を閉じたのである。






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最終更新:2023年10月01日 13:26