七福神

登録日:2017/02/21 Tue 02:10:21
更新日:2024/03/23 Sat 01:15:33
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■七福神


『七福神』(しちふくじん)は、日本の民間信仰の場から誕生した神道仏教道教……etc.に由来を持つ、一柱でも有難い福の神を七柱一組のグループとして纏めた呼び名。
宝船に乗った姿で描かれ、新年を初めとして御目出度い縁起物として定着している。

江戸時代以降に民間に定着して広まったが、最初に七福神の原型が整えられたのは室町末期の近畿地方であったと云う。

七福神として知られる七神は恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋だが、現在でも福禄寿と寿老人を同体として他の神仏が加えられる例があり、吉祥天や猩々などが特に有名。

尚、七神乃至は八神の神性を集めた図を縁起物として扱うと云うのは、中国由来の八仙図*1に準えたものとされる。

【大まかな歴史】

信仰の興りには諸説があるが、平安時代に天台宗の開祖である最澄がインドに倣って寺門の竈に大黒天を祀ったのが最初であると考えられている。

以降の経緯はあやふやなれど、これが民間にも広まり、やがては大黒天と恵比寿を共に祀るようになっていった。

室町に入ると鞍馬寺を発祥とする軍神として日本に入ってきた毘沙門天を元の福の神としても祀る信仰が民間にも広まり、大黒天と恵比寿に毘沙門天も併せて共に祀るようになったと云う。

……何の組み合わせやねん。

と、思わないでもないが米俵に乗った大黒天は稲作、農業の神としての信仰があり、釣竿と鯛を抱えた恵比寿は大漁を祈願する漁業の神である。
これが二神を共に祀るようになった由来だと云うが、ここに財宝と勝利を司る毘沙門天が加わるとバランスが更に良くなると云うのは間違いない。

尚、当初は恵比寿の本地仏が毘沙門天とされていたそうで、そうした意味でも決して関連性の薄い尊格ではなかったとも云える。

室町中期には多くの中国文化が日本に入り尊ばれていたようで独自の発展を遂げていった(=京都の東山文化)。ここで中国仏教の伝説的神人である布袋、更に道教の南極老人に起源を持つ寿老人と福禄寿もまた日本に入って来た。

更に更に、室町の終わる頃には奈良時代には護法善神の一つとして日本に入っていた弁才天が宇賀神との習合を経て日本風味の福の神として単独でも信仰されるようになり、弁“財”天の言い換えによる福の神としての性格を確固たるものとした。

こうした流れを受けて室町末期に近畿地方で成立したのが七福神であるとされ、これが江戸時代に関東以北に持ち込まれ全国に広がっていったのだと云う。

商家でも七福神の流行以前より大黒天、弁財天、毘沙門天を共に祀ったりしていたので福の神を一箇所に纏めると云うことには特に問題も抵抗も無かったようである。


【メンバー】


恵比寿(えびす)(大漁祈願、商売繁盛)

右手に釣竿。左手に大きな鯛を抱えている狩衣姿の御大尽の姿をしている。
ビールのマークでもお馴染み。
七福神では唯一の日本出身の神とされるが、その由来については諸説がある。
一般的には伊邪那岐(イザナギ)伊邪那美(イザナミ)の最初の子である蛭子(ヒルコ)神が流れ着いた場所で手厚く祀られることにより転じた神であるとされるが、
日本神話だけでも他に大国主神の息子である八重事代主(コトシロヌシ)神、大国主神に協力した渡来神である少彦名(スクナビコナ)神、釣りと云う共通項からか山幸彦(彦火火出見尊(ヒコホホデノミコト))である、とする説がある。
日本由来の神ではあるが、海の彼方より来た渡来神であるとする共通認識はあるらしく、“ヱビス”の漢字も夷、戎、胡、蛭子、蝦夷、恵比須、恵比寿、恵美須と、様々な表記がある。

これらの漢字からも解るように、朝廷から見た地方への蔑視的な視点を含む名(戎、夷、蝦夷=えみし、えぞ)も“ヱビス”に当てられている事から、“ヱビス”とは本質的に何処か解らぬ場所へと流された神、何処からか流れてきた神=異邦神であるのだと考えられる。

この他、海洋国家である日本では海から流れ着いた日常からは逸脱した異物を吉兆の印たる“神”として祀る習俗があり、遠洋より迷い込んだ鯨等の他にも鯨や人の水死体等も“ヱビス”として祀られたとされる。

“ヱビス”の名が最初に登場するのは平安末期に広田神社の末社の“夷”社の祭神として記されたことだとされる。
前述の様に本地仏は毘沙門天であるとされていたが、後に同系列の“三郎”社の本地仏であった不動尊と入れ替わり、更に後には二社が合祀されたのが西宮神社(=ヱビス信仰の総本社)となったと云う。

現在の恵比寿からは想像がし難いが、元来は荒々しい祟り神の様な側面があったのかもしれない。

また、海より来た渡来神は由来上、五体満足の姿で顕されることは少ないが、現在の恵比寿もまた耳が悪いとする信仰がある。

大黒天(だいこくてん)(五穀豊穣、財産)

仏教に取り入れられたインド神話のマハーカーラが、日本神話の大国主神と習合した姿。
二神の概要は当該項目を参照。
音読みでは大黒も大国も共に“だいこく”と読めると云う事と、二神ともに袋を担いでいたと云う共通項から習合したと思われる。
右手に打出の小槌を、左手で七宝の入った袋を担いで米俵の上に立った長者の姿をしており、大地の守り神=稲作と農業の神となっていった。

毘沙門天(びしゃもんてん)(財宝、勝利)

詳しくは当該項目を参照。
仏教に取り入れられたヒマラヤの財宝の神で、勝利を願う戦勝の神として日本に入った事から、財産を増やす融通開運の神としての信仰を受けた。
唐風の鎧を纏った武人の姿で、右手に戟か宝棒を持ち、左手に宝塔を掲げて足下に悪鬼を踏み締めている。

弁財天(べんざいてん)(財宝、芸術、縁結び)

詳しくは当該項目を参照。
元はインド神話の河川と音楽と言葉の女神であったものが仏教に取り入れられた姿。
琵琶を持つ天女の姿をしているが、日本では宇賀神と習合したことから蛇や龍を化身とすると云う独自の信仰が生まれた。
共に福の神としての信仰を受け、七福神の候補ともなっていた吉祥天の名が外れたのは弁才天と同じ女神であると扱われるようになった為とも云われ、弁才天が弁財天の字を充てられた財宝の神となったのは吉祥天の性格をも獲得したのが理由であるとも言われる。
小石川七(八)福神では男弁天(宇賀神)が加わり、八神となっている。

福禄寿(ふくろくじゅ)(長寿、人徳、招徳)

道教の“幸福(子宝)・封禄(財産)・長寿(健康と長命)”の三種の願いを具現化した神仙で、故に福禄寿と云う。
宋時代の道士の天南星、或いは南極老人星の化身たる長寿の神仙で、右手に巻物を括り付けた杖を持ち、左手に宝珠を持って長命の象徴である鶴と亀を引き連れた老人の姿をしている。
小柄な体格だが非常に頭が長いのが特徴で、長い耳朶や顎髭も持つ。

元来は三星信仰と云う福星、禄星、寿星の三つの星に三体の神の姿を当て嵌めた三体一組の信仰だったものが、その内の寿星たる南極老人星のみが日本に伝わり、更に一体で三体の功徳を持つ信仰へと変わったのだ、とも考えられている。

寿老人(じゅろうじん)(長寿、延命、福徳)

道教の神仙であり、伝説上では実在したとされる人物。
酒好きで頭も白鬚も長いとされるが、福禄寿との区別の為か帽子を被っている。
福禄寿と同じく南極老人星の化身たる長寿の神仙である為、両者を同一の神とみなして代わりに猩々が入れられたりしていたこともあったと云う。
この為、日本では白鬚明神の化身としても扱われる。
不死の霊薬の入った瓢箪や巻物を括り付けた杖、難を払う団扇などを持つとされる他、長寿の象徴たる桃を持ち、矢張り長寿の象徴である牡鹿を随えた老人の姿をしている。

布袋(ほてい)(招福、子宝、円満)

中国仏教に於ける伝説的な仏僧で、唐代末期の明州に実在したとされる。
本名を釈契此(しゃくかいし)と云うが、いつも大きな袋を持ち歩いていたので“布袋(ほてい)”と呼ばれるようになったと云う。
和尚は、常に笑顔を絶やさず人の悩みを聞いて周る乞食坊主として暮らしたが、その謎に満ちた生涯には数々の伝説的な逸話が付いて回った。
布袋和尚の作として伝えられる数々の心を説いた()(詩)や歌が残されており、そうした事からか和尚を禅僧と見なす考えもあるが、これは後代の後付けらしい。
死の間際に残したとされる偈文の、

彌勒真彌勒 分身千百億
(弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり)

時時示時分 時人自不識
(時時に時人に示すも時人は自ら識らず)

と云う詞から、布袋和尚は弥勒菩薩の化身であったとする伝説が生まれ、実際に埋葬されたにもかかわらず死後もその姿が確認されたとの逸話も伝わる。

和尚の姿は禅画の題材として広く尊ばれ、日本でも同じ経緯を経て民間にも知られるようになっていったと云う。
恰幅のいい、着物から溢れる程の太鼓腹で、大きな袋を担いだ乞食坊主の姿をしている。
持ち歩いていた大きな袋には托鉢で得た食物を生臭であっても構わずに入れていたとされるが、後には多くの宝物が入っておりそれを人々に分け与えるのだと言われるようになり、更に後には堪忍袋であるとされるようになった。

中国では以上の伝説から弥勒菩薩を布袋形で顕すようになり、日本でも沖縄には布袋形の弥勒菩薩である“ミルク神”の信仰が根付いている。

【その他】

実際に上記の七神に一柱を加える。或いは入れ替わりで信仰されている神。

■お多福(阿亀)

  • 清水寺八福神(京都)
  • 鶴見八福神(静岡)
天之宇受売(アメノウズメ)命に起源を持つとされる滑稽な女面。
これに能の女面と作者を同じくする狂言の乙御前や文楽のお福人形のイメージも習合した。
阿亀(おかめ)”の名は、面の頬が 張り出した形が瓶に似ているから、とする説の他、巫女の名前との説もある。
京都の千本釈迦堂(大報恩寺)には鎌倉時代に本堂を建てた大工の棟梁の高次の妻が夫を助けて命を落とした“おかめ”さんの話が伝わっており、京都の棟上げ式では阿亀の面が御幣に付けられるとの事。

■吉祥天

  • 八千代八福神(千葉)
  • 八王子八福神(東京)
  • くりはし八福神(埼玉)
インド版アフロディーテとも呼べる美と幸運の女神で、ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神妃・ラクシュミとして知られる。
仏教においては毘沙門天の妃、或いは妹とされている。
七福神の有力な候補であったが、前述のように弁才天に役割を吸収されてしまったり、吉祥天を入れると妹の真逆の属性を司り醜い姿とされる黒闇天*2も入れなければいけなくなるから、とする説もある。

■達磨

  • 瀬谷八福神(神奈川)
  • 吉田八福神(愛知)
達磨大師は5世紀頃に実在したとされる南宋の禅宗の開祖。
南インドのパッラヴァ朝の第三王子であったと云うが、中国で出家して菩提達磨となったとされる。
嵩山少林寺での九年の座禅修行により手足を腐らせて失ってしまったとされるが、これは後年に達磨の遺した壁観を誤訳して出来た伝説であるとされる。
尤も、縁起物としての達磨は手足が無いままで伝えられたのは御存知の通りである。

■男弁天(宇賀神)

  • 小石川七福神(東京)
東京ドームにもある小石川七福神では宇賀弁天として男女の弁天が揃っており数では八神となっている。
宇賀神はよく由来の解らない弁才天の習合相手で、龍や蛇を本性とするとされる。
男弁天としての宇賀神は老人の姿であり、蛇身でも顕される。


この他に加えられた神仏としては、福助、稲荷、楊貴妃、鍾馗、ひょっとこ(お多福とセット)、虚空蔵菩薩、不動明王、愛染明王(不動と愛染はセット)……等の名前が見える。



追記修正は宝船に乗ってからお願い致します。

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最終更新:2024年03月23日 01:15

*1 道教の神仙の中でも特に人気が高い神人。異説もあるが代表的なのは漢鍾離(かんしょうり)、張果老(ちょうかろう)、呂洞賓(りょどうひん)、李鉄拐(りてつかい)、韓湘子(かんしょうし)、藍采和(らんさいわ)、曹国舅(そうこくきゅう)、何仙姑(かせんこ)の八仙で宝船に乗っている。ジャッキー・チェンの『酔拳』で型の元になってた方々。七福神の構図はこの八仙を元にしたものと考えて間違いないと思われる。

*2 こくあんてん。閻魔の三后の一つとも、ヒンドゥーのドゥルガー女神、閻魔=ヤマの妹=ヤミーともされる。