生き人形(現代怪談)

登録日:2017/02/05 Sun 21:39:32
更新日:2024/03/07 Thu 00:26:32
所要時間:約 30 分で読めます




■生き人形■

『生き人形』は、80年代中頃から稲川淳二の体験談として紹介され広く世に知られるようになった、とある人形劇に端を発する現代怪談。

工業デザイナー転じて、タレント、元祖リアクション芸人として広く活躍していた稲川淳二が現在のような怪談マイスターへと転身するきっかけとなったエピソードであり、
稲川の持つ怪談の中でも最も根深く、最も伝播性が高く、尚且つ、現在でも進行形の怪談。……としてホラーマニアに知られている。

有名なだけに、多くの舞台やテレビで“この話題”を話すことを求められてきた稲川だが、それによって視聴者にも目撃できる形でテレビで怪異が報告されたり、本件に関係していった人間への悪い影響が続いた為か、後には“封印宣言”がされている。

※ただし、数える程ではあるがその後も公演される機会はあり、内容についても稲川自身の語りにしろ、有志が詳細に文面に起こした形にしろ、ネット上でも検索、閲覧は可能である。……勿論、何が起きても責任は持てないが。

……尚、稲川自身も99年の厚生年金会館での公演で語っているように怪談として披露していく中で自身や他の人間により尾鰭の付けられた部分もある為、怪談として語る以上「何処までが真実で何処までが創作であるかは自分にも判らなくなってしまっている」……との旨を注意している。

ここから、エピソードの大半を創作と決めつけたり、当事者ではあっても影響の少なかった人間へのインタビュー等から、稲川が話を面白くし過ぎているだけだ……とする意見もある一方、
なんと、近年になって稲川の発言にしか登場していなかった当時の関係者がまさかの新証言を持って世に登場したり、単なる創作や思い違いでは済まない、現実とは思えないような怪談の部分が怪談を聞いた第三者にまで悪影響を及ぼしたりと、矢張り得体の知れない因縁の根深さを感じさせる部分も多い。

以下に、本件に纏わる物語を簡潔に記す。




















※因縁が生じそうな人は閲覧注意。




















【話の流れ】

※敬称略。
※稲川氏本人による怪談、この件を追跡している北野誠、山口敏太郎、ファンキー中村、等の面々によって時系列に若干の差異があることをご理解下さい。

……1976年の春の頃。
当時のニッポン放送で『オールナイトニッポン(ANN)』の第二部放送を受け持ち、怪談を披露し始めていた稲川が帰ろうとしていた時のこと。
ディレクターの(ひがし)が、第一部担当の南こうせつが泣いているのを慰めている場面に出くわす。
それは、75年6月にこうせつの『ANN』で流された“かぐや姫解散ライブ”に於いて、心霊現象として広まっていた女性の物と思われる“私にも聞かせて”と云う声が入り込んでいた件で、その“声”の主が、以前の放送に手紙をくれてこうせつも励ました、解散ライブ前に亡くなった、かぐや姫ファンの病弱な女の子の声である……と、彼女の友人から番組へのハガキで知らされたことによるショックが原因であった。*1

それによって遣りきれない気持ちになったのか、東は帰る方向が一緒の稲川を誘ってタクシーに相乗りして帰宅することに。
稲川は実家の国立、東は小平。
当時の繋がったばかりの深夜の中央高速に乗りタクシーは走る。
東の「油揚げはこうして食うのが旨い」とか云うバカ話に調子を合わせている中で、稲川は当時の殆ど標識の類いの無い中央高速の縁に標識のようなものを続けて見つける。
何となく、縁に注目をしていた稲川の目に三度、標識が現れた……と思いきや、それは距離があったにもかかわらず、黒い着物を来た少女の影であることに気づいた。
深夜の高速道路の縁に立つ少女……「自殺か!?」とも思った稲川だったが、その挙動は人間のものではなく人形のようなぎこちないもの。
更に、タクシーの方向にキリッキリッと、向き直る少女を見ている内に、少女の身体が着物毎に闇に溶け込み、頭だけになった。
しかも、その頭が透けて向こう側が見えているのを確認までしていた稲川だったが、気づくと横目で見ていた筈の少女の頭がタクシーの前方に浮かんでいる!

次の瞬間、タクシーの中を突き抜ける少女の首。
……イヤなものを見たなあ、と思いつつも降りるのが早い稲川は東の事を慮り何も言わずに努めて明るく別れると自宅へ。

……しかし、帰ってはみたものの何となく落ち着かない稲川は奥方が寝ている2階の寝室までは行ったものの1階に戻り、ソファーの辺りでゴロゴロしていた。
すると、まだ早い時間なのに奥方が起きてきて「一緒に来た友人はどうしたのか?」と聞く。*2

無論、一人で帰宅した稲川は否定するも、奥方が言うには稲川と一緒に寝室に入ってきた“誰か”が、稲川が去った後も暫く部屋をぐるぐると回っていたのだと云う。

明くる朝。
昨日の奇妙な体験が頭に残る稲川の許に東からの電話が入る。
「実は、見えてた訳じゃなかったんだけどさ……」
東の告白はこうだ。
東には稲川のように奇妙なものは見えなかったが、少女の頭が突入してきた時に、タクシーに何者かが乗り込んできたのは判ったという。
……そして、その目に見えない何かは稲川と一緒に降りていったと。

稲川も東の白状に自分に起きた事を話し、取り敢えずはそれで落ち着いたかと思っていたのだが……。

そんな事があった後、稲川に年上の友人である人形使いで舞台作家の前野博から連絡が入る。
前野は独立し、人形師として活躍する一方、人形を使用した芸術性の高い前衛的な舞台の公演を手掛けており、知己のある稲川を出演者兼、座長として迎えて一緒に演ろうと云うのである……その新作人形劇眞説(しんせつ)呪夢千年(のろいゆめせんねん)を。
※78年公演。
76年6月の『呪夢千年 ― 恋情哀狂編』の続編だと思われる。人形演じる“少女”が戦後の激動の時代を生き抜く姿を描く。

快諾した稲川は、前野や他の出演者やスタッフとの打ち合わせに向かう。
そこで、現物はまだ……としつつも、前野に見せられた球体間接を持つ“人形”の絵図面を見て稲川は内心ギョっとする。
おかっぱ頭の美しい顔立ちの子供位の大きさはある人形……それは、中央高速道路で稲川が遭遇した“少女”に瓜二つだったからだ。

ともあれ、次の顔合わせには人形も出来上がり、その3人掛かりで操演する少女と、対になる少年の人形が稲川達の前にも紹介された。
その出来映えに感嘆の声を挙げる出演者達。稲川も滅多なことは言うまい、と大人しくしていたのだが、前野は人形の右手と右足を稲川に示し「何故だか曲がっちゃうんだよねぇ」と首を傾げるのだった。
工業デザイナーでもある稲川が修理を申し出るが、前野はどうせだから作った主に修理してもらうつもりだ云う。
しかし、人形制作を行った当人である小宮述志は音信不通となってしまい連絡が取れず、人形の修理は出来なかった。

奇妙なことは続き、脚本を担当していた文学座の佐江衆一の家が全焼して台本が失われてしまう。

それでも何とか稽古を続けるなかで、今度は前野が病気で寝付いている父親の看病を任せていた従兄弟が急死してしまう。

「イヤなことが続くねぇ」

思わずそう呟いた稲川だが、早稲田の「銅羅魔館」で本番を迎える頃には、気づくと出演者やスタッフに怪我人が増え出していた。
彼らに共通するのは右手と右足の怪我であると云うこと……。
厄払いにと自宅に関係者を招いた稲川だが、タンスの棚の一つが水浸しになったり、訪れていた芸人のバッグが水浸しになったりとここでも異変が。

……公演は好評だったが、遂には殆どの人間がダウンして昼の部の公演が不能になると云う事態になりお祓いを受ける。
昼のチケットでも夜の部を見れるようにすると云う配慮に、殆どのお客さん達も帰らずに夜の部を待ってくれていたのだが、夏を前にしている筈の会場の温度は何故か満員にもかかわらず寒気を覚える程だったと云う。
更に、少女人形の右手が突然砕ける。
仕込みもしていないのに少女人形を収めた棺桶からもうもうと煙が上がる。
多少は重いとはいえ、高々8㎏程度の重さの棺桶が大の大人数人掛かりでも全く動かせなくなる。
……等の異変が続き、更には出演者で『アルプスの少女ハイジ』で知られる声優の杉山佳寿子の見せ場である、老婆から少女への一瞬の早変わりの場面で鬘に本物の火が点く……といった異変が起きる。

公演が終わりに近づいたが、お抱えの劇団が帰って来れずに舞台の延長を打診される。
殆どの人間はイヤがったが、前野のみは快諾して公演は続行された。

……そして、今度は前野の父親が亡くなってしまう。

内情はそんな感じだったが、好評だった舞台は次に人気の「新宿ジャンジャン」での公演が決定する。

そんな中、当時の稲川の家に居候していた友人が舞台を見にきて言った。
「黒子の数……多くない?」
「嘘つけ!そんなこと周りには言うなよ!」

頑なに否定しようとした稲川だが、舞台上で舞台監督だと思い込もうとしていた“それ”の影に気付いてしまう。

※この辺りのエピソードについては時系列が曖昧で、話によって前後していることがある。

そして、頻発した異変の噂を聞き付けた東京12チャンネル(現:テレビ東京)が取材を申し込んでくる。
稲川は前野に相談し、二人揃って出演が決定。
この過程で行方不明だった人形制作者の小宮が発見される。
彼は何故か京都にいて、比叡山近くで仏像を彫り続けていたと云う。
俳優の小松方正をリポーターとして、取材を申し込みにいくが何故か妙なトラブルが頻出して取材のタイミングを残してしまう。

番組スタッフや責任者の家族にもトラブルが続出する中、スタジオに呼ばれた稲川は撮影に臨むがカメラが2台続けてオシャカになり、古いカメラを引っ張り出してくると、今度はスタジオの扉が激しく叩かれると云う事態に。

勇気を出したディレクターが扉を開けるが、そこには何者の姿もなかった。

……結局、二週間もの時と製作費を投入した企画はお蔵入りとなったが、これは未だ始まりに過ぎなかった。

次に、稲川も出演していたTBSの「3時にあいましょう」から取材が申し込まれる。
別の曜日とはいえ、出演番組からの打診に稲川は断りきれずに出演。
前野も人形と共に出演。
その頃には人形の髪がハッキリと伸びており、前野の人形への態度も異常な執着をみせるようになっていたと云う。
しかし、リハーサルで稲川が喋ろうとした瞬間にそのスタジオだけが停電に。
人形にカメラがズームした瞬間に幕が落ちる、有り得ないことに照明が落ちる、スタッフに不幸が起きる……等のトラブルが起きる。

この事態に我慢できなくなった稲川は前野と共に人形を当時に名を知られていた女性霊能者の久慈霊運に視て貰おうとするが、久慈は激しく拒否して人形を何に使ったのか!?と逆に詰問される。
渋々と霊視を引き受けてくれた久慈だが、それによると人形には最早多くの悪霊が憑いているが、中でも中心となっているのは戦時中に亡くなった7つになる右手と右足を失った少女の霊だと云う。

供養もして貰い、これで安心……とはならず、稲川らはそれから暫くして、突如として音信不通になってしまっていた久慈が急死していたことを知る。
それによれば、人形を視た夜に倒れた久慈は病院に運ばれ、急速に衰弱した後に亡くなったのだと云う。(80㎏あった体重が30㎏に減っていた……等と語られていたこともあったそうだが、後には省かれている。)

稲川は前野に人形を手放すように言い、せめて写真だけでも……と撮りにいくが、その写真に写された人形は“少女”ではなく、妖艶な“女”になっていたと云う。
しかし、前野は人形を手放せず……。

前野博『眞説・呪夢千年 ― 少女人形伝説』公演。
※80年。ただし、別の人形で演じられた舞台であったらしい。

そして、翌81年にABC朝日放送『プラスα』で恩人にまで口説かれた稲川は前野と共に断りきれずに出演をすることになるが、この事が後のテレビでの“このテの話題”の扱いに一石を投じる大問題を引き起こすことになる。
まず、当の稲川本人は気づいていかなったようだが稲川の側に少年が付いてきており、打ち合わせに参加したりスタジオにも入り込んで言葉を交わしたスタッフも居たという。
スタジオに霊能者を呼ぶことになっていたが、一人目は出演を前にキャンセル。
二人目はスタジオ入り直前に交通事故。
そして、三人目が呼ばれることになったが、スタジオ内では稲川も演出かと勘違いする程の不気味で大きな音が鳴り響いており、スタッフ間で些細な衝突も起きていた。
※この呼び出され、何らかの理由で来られなかった霊能者の数も1人分ほど前後したりする。

三人目の到着まで間を持たせるようにとの指示を受けた稲川は生放送に臨む。
そして、そこで姿を姿は見えねど、自分の側に何者かが居ることに気付く。
三人目の霊能者は若い女性であったが、彼女は早速、稲川の側に居るのが男の子であることを指摘し、更には照明の並んでいる下から観客を避難させるように指示を出す。
何事かと思っていると、複数の照明を支えていた棒を吊り下げていた鎖の片方が切れて、照明が宙吊りになって揺れると云う事態に。
スタジオ内が恐怖と混乱に見舞われ、大阪のおばちゃん達も泣き叫ぶ中、今度は視聴者からの電話が局に殺到する。

それによれば、稲川の斜め上の稲川が感じ、霊能者が指摘した場所と少女人形の斜め上にハッキリと同じ男の子の姿……霊が見えると云う。

司会者が慌てながらも実況し、
モニターを確認しにいったスタッフが稲川と共に居た男の子であると気付き混乱する中で放送は終わった……と考えられているが、当時の状況を知る人間の証言は一貫していない。
放送された実際の番組の動画は出て来ておらず、見れるのは断片的な静止画のみである。
男の子の姿についても、視聴者全てが見た訳ではなく見えた人間と見えなかった人間が居たらしい。
……そして、稲川も知らなかったことかもしれないが、当時の番組スタッフが何よりも恐ろしかったであろう事は、件の少年は稲川に付いて入ってきたまま、生放送中にもスタジオ内に居座っていたのだと云う。
……全く同じ姿の男の子が別の場所に居るのがモニターに写っているのに。

この件以降、テレビでは霊関係の話題を扱う時に生放送を避けるようになり、更には“本物”ばかりを扱うのは止めるようになったのだと云う。
あからさまな偽物を混ぜるか、偽物のみを放送して洒落にもならないような“本物”は封印するようになったのである。

尚、収録に使用されたスタジオには御札が貼られて現在でも剥がされていないが、『新耳袋』で知られる中山市朗が「幽霊実在の証拠になる」として、剥がそうとしたら“男の子が出る!”として全力で止められたと云う。

そんな事もあって疲れきってしまった稲川は大阪に宿泊する予定だったのを取り止め、前野を誘い西伊豆のホテルへと向かうことにする。
そこは、稲川と同じ事務所で働いていたはるみと云う女の子の父親(叔父さんとの記述もある)の持ち物で、この日はちょうど、稲川の妻と子や事務所の関係者や知り合いのタレントらがホテルに招かれていたのだ。

そうして西伊豆を目指した稲川と前野だったが、またも奇妙なことが起きる。
大阪での生放送の終了が15:00だとすると、20:00には着いていてもおかしくないのに、日を跨ごうかという0:00近くになって漸く西伊豆に到着したのだ。
タクシーの運ちゃんにも陸の孤島になる……として乗車を断られてしまい、困り果ててホテルに電話するとオーナー自らが迎えに来てくれることになった。

このホテルに行くまでの道中でも前野が奇妙な言動をしたり、車の周囲を怪しげな光が飛び回るという出来事が続く。

到着した稲川はイヤな気分を忘れようと応接室で待っていた面々に明るく挨拶するも、何故だか全員が暗い顔をしている。
……実は、ホテルに居た人々は妙な予感に捉われて皆が不安な気持ちに駆られていたのである。

そこに前野が入ってくると、隅っこで人形の包みを解き始める。
その、解放された人形を見て稲川は思わず息を呑んだ。

人形の顔の半分は醜く腫れ上がり髪の毛はざんばらに、口元は裂けて歯が剥き出しになるという“化け物”じみた容貌になっていたのである。
稲川のみならず、人形の容貌を知っている者達は恐怖に戦き、翌早朝には皆で逃げるようにして帰ったのだという。

このホテルでのエピソードでは、ある重要な出会いを“人形”にもたらした。
“人形”の事を聞き付けたはるみの母親が人形に着物を作ってやることにしたのである。

「稲川ちゃん……茶巾寿司とお茶を置いてきたし、お腹も空かないし喉も渇かないよね?」
後日。人形を預けて帰ってきた前野の言葉を聞いて、稲川は前野も怖かったのだろうな……と思ったのだという。

81年。前野博公演『ホタルに跨がったドン・キホーテ』が別の人形で演じられるが、打ち上げ直後より前野は行方不明となってしまい、2ヶ月半後に発見される。
稲川の怪談によれば、自宅に帰るとドアに不気味な目玉のポスターが貼られており、誰のイタズラだろうと思いながら中に入ると、そこには窶れ果てた前野が待っており、稲川に「もう大丈夫だからね。家を出る時、三角の紙を置いてきたんだ。それが四角くなったらもう丸く収まるからね」などと、意味不明な事を語ったと云う。

稲川は前野を入院させ、前野も徐々に回復をしていった。
そして、退院後の前野も全盛期の頃のようにとはいかないまでも仕事をこなしていく中で、生き人形の話題が再び世に出始める。

85年。日本テレビ『スター爆笑Q&A』で再現VTRが流される。

86年。ホラー漫画誌『ハロウィン』で『カルラ舞う!』で知られる永久保貴一による漫画版が刊行される。

86年新水曜スペシャル『今日 お盆 生放送! 有名人に聞きましたこわーい体験』で、稲川が生き人形を語る。

86年。『ルックルックこんにちは』で体験を語ろうとした所、腕時計が飛ぶ。
同じく『ルックルックこんにちは』で、その映像を流した所「11時の方向に……カメラを回せ!」との妙に芝居がかった、或は切迫した調子の声が流れる(無論、スタッフは誰一人そんな声は出していないと語った)。

87年『あなたの知らない世界』で知られた新倉イワオの著書『あなたの知らない世界<12>』で、生き人形の話題が詳細に記述される。

87年『あやつり人形の怪』のタイトルで稲川淳二の怪談カセット『秋の夜長のこわーい話』が発売される。

88年。仕事を認められた前野が欧州公演に迎えられた事を前日に稲川に報せてくる。
……稲川もそれを喜んでいたのだが。
人形使い前野博……死亡。
原因は前野の寝タバコによるアパートの半焼。
前野は、晩年は鬱病の薬を服用しながら仕事をしていたと云う。
そして、稲川によれば前野が最後の電話をかけて来た時刻とは、正に前野が火事に巻き込まれていた時刻だと云うが……。

この、前野の死に際して稲川が制作中であった本人出演の再現ビデオ映画が発売中止となっている。
発売中止されたのは上記の怪談カセットや怪談CDだとされる場合もあるが、発売中止となって現在でも公開の手掛かりすら無いのは再現ビデオの方だと云う(この為、キャストとして前野も出演していたのではないか……との説もある)。

これを機に、稲川は“生き人形”の話題を公にすることを控えるようになる。
※尤も、有志の作成した年表ではそこそこに発表の機会があったようである……ゲームやアニメソフトのオマケとかで。

そんな中、94年頃の事。
例の西伊豆のホテルを紹介してくれた“はるみ”さんから深夜に稲川に連絡が入る。
最初はとりとめもない話をしていた彼女だったが、実は娘の“あゆみ”ちゃんが、深夜に姿の見えない“お姉ちゃん”と話をしていて、それが怖いのだと云う。

興味を引かれた稲川は、次に“お姉ちゃん”と話している時に話を誘導してやって、“お姉ちゃん”の詳細を聞き出すようにと指示を出した。

……そして、そうして浮かび上がってきた“お姉ちゃん”の特徴は、行方が杳として知れなくなっていた、あの“人形”を彷彿とさせるものだったのである。*3
“あゆみ”ちゃんの話によれば、お姉ちゃん(人形)は、お母さん(自分の着物を作ってくれた人=はるみのお母さん=あゆみの祖母)を探しているのだと云う。

……それから数年後。
“はるみ”の弟の結婚式に出席する為に稲川は沼津を訪れる。
「おじちゃん!」
そこに、中学生ぐらいになった“あゆみ”ちゃんが駆け寄ってきて一枚の写真を差し出す。
……それは、例の『眞説・呪夢千年』の舞台で撮ったと思われる、稲川と“人形”と、前野の弟子で現在は稲川のマネージャーとして働いている木村(ガンちゃん)が写っている、稲川の記憶には無い写真であった。

99年の怪談ライブでは、この後に“あゆみ”ちゃんが“お姉ちゃん”との再会の場として、当の怪談ライブの舞台を思わせる場所を“予言”する所で話が終わっているが、流石にそれは“怪談”のオチとしての演出だろうと見られている。
……稲川の記憶に無い写真も、奇妙とは云え単に“忘れていただけ”とも思えるのだが、件の写真……失われたように見える“人形”の右手の部分に女性の“眼”が見えるとの話もあったりと、この写真は写真で矢張り奇妙な話もあるのである。


……そして、彷徨い続けた“少女”人形に取り憑いた霊の末路を描いた『続・生き人形 ― 完全版』が三社もの出版社の倒産による掲載誌の変更を経て、2012年に発売。

稲川の現在進行形として語られる“怪談”とも違う、少女人形の核になっていた……と思われてきた“少女”の霊の行方を描いた、この時点での完結編である。

この頃になると、稲川の“怪談”にのみ頼らず、様々な方向から“生き人形”の真相を探ろうとする人々が現れており、人形を制作した小宮をはじめ、当時の関係者の証言も取られ、怪異を相対的に検証しようと云う動きも活発になっていた。
曰く、人形の顔が変わるのは素材的に当たり前であるとか、髪が伸びることは人形ならば作り的に有り得るだとか……。
初めの方に記したように稲川自身も“怪談”が全て真実だとは思っていないと語っている……大方の意見はそうした方向で固まりつつあったし、ある意味では心霊現象を肯定して霊能者が解決しつつも、ハッピーエンドが描かれた『続・生き人形 ― 完全版』の刊行はその最たるもの……と、言えたのかもしれない。




……だが。

2014年。カウンセラー、鑑定士、アーティストの大原三千家(おおはらみちや)が、稲川に連絡を取ってくる。
彼女は、35年前の女子大生時代に稲川と共に『眞説・呪夢千年』の舞台に参加していた人物である。職業柄、長らく俗世から離れて暮らしていたという彼女は、ある重要な新情報を持って再来した。

それは、舞台公演の当時に人形師に気に入られた彼女が、自分の扱う人形の(かしら)のみならず、舞台で使用していた五体の人形全てを公演中に預かっていたこと。
公演終了後も、主役の“少女”を除いた人形を預かったままでいた彼女は、数年後に意を決して前野を呼び出して愛着ある“ソーニャ”を除いた人形を前野に返したが、前野が焼死したのは正にその翌日であり、前野と共に人形達も消失したであろうこと。
……を語った。
また、大原によれば稲川の“怪談”の元となった話は舞台の上のものに関しては殆どそのままで、後にまともな風に証言している人々も含めて、出演者やスタッフはどこかおかしくなりながら舞台に出ていた……のだと云う。
彼女が人形を返せなかったのも、公演終了の頃には前野がおかしな雰囲気になっていたからだと云う。

さて、前野の死もあって、彼女が最後まで預かっていた最後の生き残りの人形の“ソーニャ”であるが、その別れ(?)も不可解なものであったと云う。

ある時、仕事の都合で日本を離れなければならなくなった彼女は“ソーニャ”を友人の男性に預けたのだが、その男性のアパート……。今時といった風情の古いアパートだったらしいのだが、男性が外に出ている間に、全くなんの予告も無しに大家の雇った解体業者により更地にされてしまった……のだと云う。

勿論、法律的にも人道的にも許される行為では無いとして係争中との事だが、奇妙なのは“ソーニャ”の行方……。
アパート毎に解体されたにしても、欠片すら見つからないのである……何処にも。*4

大原は、この“ソーニャ”と長年上手くやって居たらしいが、恋人が出来ても怖がられた末に深い仲になる前に別れたり、ライブに連れて行くと観客から不況を買ったり……というような事はあったようである。



……噂によれぱ、稲川は自らの“怪談”語りのラストに、この“生き人形”の総括をしたいと考えているとの事である。
発端から40年以上を経ても、未だに紡がれる因縁の物語……。

あなたなら、何処までが真実で、何処までが嘘だと見抜けるだろうか?


【主な関係者】


稲川淳二
日本の夏の風物詩。怪談ジジイがやって来る。
友人の前野に誘われて『眞説・呪夢千年』に座長として参加。
当時の資料では本名の良彦で名前が記載されている。
“怪談”として、この物語を広めた張本人にして当事者。
未だに“生き人形”を語ると、淳ちゃんのみならず第三者にも確認できる形で“人形”の訪問を受けるそうである。

■前野博
名人的な人形使い。
アングラ芝居に於ける、憑依したかの様な人形の演技は海外でも高く評価されていたようである。
88年6月に寝タバコによる出火から逝去。享年55歳。

■小宮述志
人形師。
『眞説・呪夢千年』で扱われた球体間接人形を制作した。

■人形
小宮が制作して『眞説・呪夢千年』で使われた人形はよく知られていた主役の“少女”人形、対となる“少年”人形……の他に、端役や少女人形の代役も務めた“ソーニャ”と“アーニャ”の双子の人形。更に、妖狐をイメージした少女人形の“妲己”の五体が居たことが2014年の大原三千家さんの証言により明らかになった。
人形達は皆同じ作りで、間接が球体間接で自由に動き、目は空洞で中に鏡が張られており、人形達の眼は不思議な光を放っていたと云う。
魂が宿ったとか、霊が取り憑いたとの話に関しては「気のせい」とする証言もある一方で、“少女”どころか全ての人形が“何か”に取り憑かれており、公演中には悪さもされた……との証言もある。

【余談】

デーモン閣下の改造手術事件は、実はこの“生き人形”の話を、お茶目な閣下が淳ちゃん本人に頼み込んで直接聞かせてもらったのが原因であるらしいと云う話が近年になって出てきた。
閣下が言うには、ステージに降りようとした時に見えていた足場は幻で、実際のステージ上には足場になるような物は何も無く……というのが真相らしい。

※前野氏が94年に人形の着物を作って貰った後で人形を預けたのは伊豆のお寺だとも云われる。
しかし、お寺とされる場合でも“少女”人形は怪談と同じ位の時期に姿を消してしまったままだと云う(有志の調査より)。





追記修正は“生き人形”を聞いてからお願い致します。

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最終更新:2024年03月07日 00:26

*1 ※『私にも聞かせて』の放送事故。ラジオ心霊現象として名高い。因みに、一般的には“コンサート会場直前で交通事故にあった女性の無念の声”とされることが多いが、稲川はこの時に直接聞いたとして、この“病気により解散コンサート前に早逝した女性”説を一貫して主張している。……尚、この“声”がフジテレビの『奇跡体験!アンビリバボー』で捏造だと否定された、とする説があるが、実は、“この捏造説こそが捏造”で、実際の番組では“交通事故死した女性”説に基づく肯定的な検証と云うか誘導を目的とした構成になっている。……結局、この件についての真偽は不明だが『私にも聞かせて』の声を巡っては、現在でもデジタル化したデータですら聞いている内に変化が起きる。逆回転でも本来は有り得ない発音で声が聞き取れる……といった奇妙な話が付きまとう。

*2 ※稲川と妻の尚美さんの結婚は77年となっている。既に同居していたのだろうか?

*3 ※稲川の“怪談”によれば“人形”は前野がおかしくなった後で制作者の小宮の許へと戻され、この94年の事件を機に忽然と姿を消したとされている。……しかし、後の小宮本人へのインタビューによれば、小宮は人形をこの94年時点ではもう所有していなかった……との事である。

*4 ※尚、解体直前の部屋の様子を写した……とされる写真は「山口敏太郎 生き人形」……等の検索で引っ掛けられる。