志村けん

登録日:2017/01/05 Thu 22:28:53
更新日:2024/03/14 Thu 00:26:59
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志村けんとは、後ろがおろそかな人物である。


































志村ー!後ろー!後ろー!



志村けん(1950~2020)とは、日本のコメディアンである。


概要・経歴

東京都東村山市出身。本名志村康徳(やすのり)。芸名は父親の「憲司」に由来する。3人兄弟の末っ子で、兄など近しい人は「やっさん」と呼んでいた。

父親は元軍人の教育者で、テレビのお笑い番組を見ているとき以外は堅物だったが、事故でかなり重い認知障害を負うことになった。
この認知障害になった父をデフォルメして演じたのが「飯はまだかい」のコントだという。

前述の事もあってお笑いに興味を持ち、高校時代から友達とネタを作ってはクラス会などで発表していた。
1968年にコント55号かドリフターズの付き人になろうと決断。音楽性を取り入れていた後者に入るべくいかりや長介の元に押しかけていかりやの付き人となるも、本人曰く社会勉強の為に一度は脱退。後に可愛がってくれていた加藤に頼んで再加入した。
1972年に付き人同士でコンビを組み、公式に芸能界デビュー。1973年に荒井注の脱退に伴いザ・ドリフターズのメンバーに。
初めは荒井注との埋める事の出来ない差、全員集合終了時までドリフの付き人で志村の後輩でもある「『すわ親治』(ドリフの準メンバー扱いだった)の方がドリフにふさわしい」などと比べられる苦難の日々を過ごすも、
1976年の「東村山音頭」のヒットを機にお笑いの才能が覚醒。それ以来第一線で活躍を続けている。
テレビ出演は長らくレギュラーおよび冠番組のみだったが、1996年に死亡説(宇都宮に住む「シムラケン」さんが亡くなり、それが当時レギュラーが深夜番組1本だった志村と勘違いされて広まったもの)が流れてからは他番組へ大御所ポジとしてゲスト出演も増えるようになった。

「セットや衣装などとにかく大掛かりなコント」「内輪・楽屋ネタを極力使わない」など、ドリフ時代、いや昭和期のテレビにおけるコントの作風を最後まで継承していた芸人だった。
その破天荒な芸風とは打って変わり普段は誠実な人柄で彼を慕う芸能人は多く、ダチョウ倶楽部・桑野信義・いしのようこ・優香・柄本明・ナインティナイン・笑福亭鶴瓶など大御所クラスから若手まで事務所や派閥を問わない*1

キャラ的には「ボケ」と「ツッコミ」を場所によって使い分けるタイプで、「変なおじさん」や「ひとみばあさん」では完全にボケ倒し、一方で加藤茶やゲストとのコントでは容赦ないツッコミをお見舞いしている。
また、日常の延長線を演じることも特徴的であり、これもドリフ時代から受け継いでいるのだが、ソロの志村は強烈なキャラクターを演じたかと思いきや、次のコントではツッコミにまわるなど、両方を高いレベルでこなす。

『全員集合』時には加藤ないし仲本工事とペアでのコントが多く、加藤と組んでの「ヒゲダンス」、仲本との「ジャンケン決闘」が代表作だった。

元は音楽を志していたということもあり、歌唱力は高い他、ギターだけでなく三味線も弾ける。ある番組でライバルにして戦友であるビートたけしの特技・タップダンスと志村の三味線が共演した映像は必見。
特にソウルミュージックに造詣が深く、音楽雑誌にてスティービー・ワンダーなどのアルバムのレビューを執筆したこともある。
その嗜好は彼のネタやドリフの楽曲にも反映されており、お馴染みヒゲダンスのテーマもソウルミュージック界のスターであったテディ・ペンダーグラスの楽曲をアレンジしたものであるほか、「東村山音頭」などで聞くことができる彼の「ワァオ!」というシャウトはファンクミュージックの始祖、ジェームス・ブラウンを意識したものとのこと。

また、芸人としては珍しく映画やドラマに出演しない「お笑い一筋」の人物だった。
しかし、「高倉健に頼まれて断れなかった」という理由で「鉄道員(ぽっぽや)」(1999年)に出演している。
2010年代は劇場アニメなどにもたまーに出演していたほか、2020年には本人にとって最初で最後となるNHK朝ドラ「エール」に出演。
更には同名小説を原作とした実写映画「キネマの神様」では主役として出演する事が予定されていたが、コロナウイルス感染により出演を辞退、後の逝去で沢田研二が後任を務める事が正式に発表された。

いわゆるトーク番組のゲストとして出演したことも少なく、かの『徹子の部屋』には意外にも生涯一度も出演しなかった*2。また、頭が良いように見られないようにするためクイズ番組の回答者として出演することもなかった。

コントでも見られるようにかなりの女好きで、出演番組に若い女性を出すことが多かった。
しかし生涯独身で、付き合うことになる女性は居ても結局結婚までこぎ着けることはなく、
一度だけ女性を妊娠させたこともあるが相手方の両親からの猛反対もあってそのまま縁切れとなった。
つまり志村けんの遺伝子は残っているはずなのだが消息は不明で、このため志村けんの子供を名乗る者がしばしば現れる。
前述した後輩達と飲み歩くのが好きだったというが、暴れるタイプではなく酒の席では案外静かだったという。
しかし強いわけでもなく、田代まさし曰くトイレで汚物の上に吐いてそれをわざわざ見せようとしたこともあったとか。

本名の志村康徳名義で中央競馬に馬主登録しており、生涯に15頭の馬を所有していた。馬名にアイーンベル、オサキニシツレイ、トノノオナリー、ダイジョブダアなど自身の持ちネタを使用していた。

健康に気を使いながらもヘビースモーカーであったが、60代後半になって肺病を患ったのを機に禁煙。
それでも毎晩の酒飲みはやめられなかったが、元気に過ごしているように見えた。

ところが2020年3月17日に突如倦怠感などを訴え、徐々に症状が悪くなっていったことから往診にきていた医師の勧めで入院。
容体は急速に悪化し、21日には人工呼吸器を着用。25日に当時世界的なパンデミックが広がりつつあった新型コロナウイルス感染症にかかっていることが公表された。
容体はさらに悪化し、病名公表のわずか4日後の3月29日にコロナウイルス感染症による肺炎で息を引き取った。享年70。
感染拡大防止のためそのまま火葬場へ直行して遺骨は長兄一家が引き取り、葬儀を行うこともできなかった。
高齢と肺病やポリープの既往歴、長年続けてきた飲酒も重なって症状進行が急激だったとみられているが、ファンや親交のあった芸能人だけでなく世間的にも大きな衝撃を与えた。
当時はワクチンも治療薬もまだ出来ておらず、治療法も試行錯誤の段階であったことが救命の困難さに拍車をかけた。
日本の著名人では初となる新型コロナウイルス感染症によるの死者となり、この訃報は軽症から急に悪化するコロナの恐ろしさを日本中に知らしめることになった。
なお罹患したのは「コロナ禍で休業を余儀なくされた店にお金を落とすために飲み歩いていたから」という報道もあった。
後輩へ奢ったり、別れる女性にもたくさん金を包んで渡すなど、他人のために金を落とすことをまったく気兼ねしない人物だっただけに、世話になった店を潰すまいとしていたであろうことがうかがえる。

没後、東村山市の名誉市民に認定され、西武鉄道の東村山駅前にアイーンをする姿の銅像が建てられた。その銅像は顔は通常(老眼鏡なし)、バカ殿風の着物姿というコントでもまず見られなかった格好をしている。

ドリフメンバーの中では唯一生涯独身で、最後まで結婚歴が無かった。ただし、本人は結婚の願望は強かった。

志村は生涯コントにこだわっており、晩年は雛壇芸人やクイズ番組が台頭する当時のテレビ界に苦言を呈することもあった。
テレビ界ではしばしば「上が詰まっているので死なないと枠が空かない」と冗談交じりで言われることがあるが、氏の没後に『有吉の壁』を筆頭にコント芸人をメインとした番組が多数台頭することになったのは何とも言えない皮肉でもある*3


代表的なギャグ

  • あーみーまー
語感が似ているがこの人の作品ではない。
英語の“I”の格変化をネタにしたギャグ。当然PTAの集中砲火を受ける。

  • 東村山音頭(志村けんの全員集合 東村山音頭)
「ひがしむらや~ま~ 庭さ~きゃ~た~まこ~♪」
東村山の思いっきりローカル(元は農協の周年かなんかの記念で作られ、紅白出演歌手の三橋美智也が録音した)な民謡の替え歌。志村がオリジナルではない。
そして、だんだんと後半に行くにつれ歌詞と衣装が雑になっていく(原曲再現を辞めていく)、という曲。
当時の『全員集合』のヒットを受け、東村山には今でいう聖地巡礼の如くファン(特に小学生)がなだれ込んだが、歌詞の中の東村山○丁目という地名はないので、当時の駅前交番のお巡りさんは道案内で困ったとか。
殆ど無名だった東村山を全国区にした功績から、東村山市には「志村けんの木」が植えられている。
また出演する寸前に他界した『キネマの神様』では、劇中後半で沢田研二演じる主人公が東村山音頭を唄っていた。映画のムードに合わなかったのかオチの「一丁目」部分はカットされたが

  • 志村ー!後ろ後ろー!
厳密にはギャグではなく客からの掛け声だが、ここに記す。
「金田一コント」等全員集合でのホラー系コントで「志村だけ」に恐怖が迫りつつあるとき、客席から飛ぶ掛け声。

  • カラス
「かーらーすー、なぜ鳴くのー、からすの勝手でしょ~♪」
今日まで浸透している「七つの子」の替え歌。コントの途中などにカラスのパペットが現れて鳴いた後に指揮者の如く腕を振りながら観客と共に大熱唱し、偉そうに「ありがとうございました」と締める。
元は近所の子どもの替え歌をパクったもの。これもPTAから抗議の嵐となるが、マンネリから一回止めた所、今度は親御さんから歌がなくて子どもが泣いていると苦情の電話が殺到したらしい。

  • ヒゲダンス
加藤茶とのコンビ。ベースラインが特徴的な楽曲に合わせペンギンのようなふしぎなおどりを踊りながらバランス棒などの曲芸に挑戦するというサイレントコント。
加藤は失敗する、或いは難易度の低い芸しか成功しないが、志村は難易度の高い芸をしっかりと成功させる。
芸が成功すると志村は退場しようとするが、加藤が客席を煽り、志村が渋々難易度を上げて再チャレンジするのがお約束。
この時にレイピアで加藤が投げたグレープフルーツを刺す芸が代表的だが、遠くから放物線を描いて飛んでくるグレープフルーツを目で捉えて軌道を読み、着地点を狙って細いレイピアで刺す必要があるため、相当難易度が高かったりする。
『全員集合』終了から何年も経って久々に再チャレンジしたときは、志村も老眼が進んだため短い距離でないと成功させることができなかった。
実は、『全員集合』で前説をしていた一輪車芸人・Mr.ボールドが芸をしている様子を勝手にアレンジしたのが始まりだったのではとも言われる*4
なお使用している楽曲は、上記の通りテディ・ペンダーグラスの「Do Me」。
……実は、探偵物語内でロバート・イングランド演じる本物のフレディ・クルーガー(エルム街の悪夢)とこの芸をやった事もある。

  • ジャンケン決闘
仲本工事とのコンビ。西部劇を舞台に、ジャンケンで負けた方が罰ゲームを受ける。罰はズボンの中に水やビール、墨汁やペンキを入れていくもの。
これだけでは何がすごいのかわからないかもしれないが、あの誰もがやっている「最初はグー」を日本中に根付かせるという凄まじい偉業を成した。
なお、「最初はグー」誕生のきっかけはドリフの飲み会。代金を払う人をじゃんけんで決めようとしたが、皆酔っぱらっているせいでタイミングが合わず、志村の出した合図がこれだったとのこと。

  • 健康牛乳と健康スイカ(わんこソーメン)
加藤とのコンビコントで、あの手この手で加藤が牛乳の早飲み、志村がスイカソーメンの早食いをする羽目になる。
「CM撮影でリテイクがやたら入る」という設定が多いが、「わんこソーメン」回では「わんこソーメン屋」が舞台になった。

  • 私って駄目な女ねぇ
『全員集合』等によくゲスト出演していた桜田淳子とのコンビコント。
何かというとすぐドジってへこむ妻・桜田とそれに振り回される夫・志村という展開だが、ラストでは志村が桜田の如くへこむ逆展開に。
後に桜田の直の後輩にあたる松田聖子(彼女も志村と別なコントで共演している)とのコンビでリメイクされた。

  • ビシッ!
加藤がコント途中で「◯◯かな××かな?」と志村に尋ね、志村は「分かりません」→「「ピッカピカのー、一年生!」」と続け、2人でジャンプして「ビシッ!」と決める。直後にいかりやから怒られるまでがデフォ。
元ネタは当時のCM。

  • だいじょうぶだぁ(だいじょうぶだぁ教)
3連団扇太鼓を鳴らしながらこのセリフを言い、この後に「ウェウェウェ」という鳴き声が入ることも。
番組のタイトルになった志村の一番代表的なギャグ。

  • ウンジャラゲ
『志村けんのだいじょうぶだぁ』での集団パフォーマンスで、事務所の先輩「ハナ肇とクレージーキャッツ」の曲をカバーしたもの。
原型はクレージーキャッツのボーカル植木等が冠番組『植木等ショー』で坂本九・森光子らと共に披露した「サラリーマン姿での群舞」だが、志村版ではその群舞シーンで早変わりを追加し人気を博した。
この曲でフジテレビの歌番組にも出演。オリジナル版の植木等ともサプライズ対面したりした。

  • 怒っちゃヤーヨ、アイーン
今でこそ志村の代名詞の「アイーン」。実はドリフ時代には使っていないが、「怒っちゃヤーヨ」の腕付きが後のアイーンである。
ちなみに「アイーン」という擬音は志村ではなく、バッファロー吾郎Aが表現したものが一挙に広まった。


主なキャラクター


だっふんだ!
志村の代表的なキャラ。
一口でいえば変態。ピンク一色の服に身を包み、女性の多く集まる場所に出現。時には「ハンドル」だの「肖像画」だのありえない場所にも潜み、女性にセクハラ行為を行う。
そして、騒ぎを聞き駆けつけてきた男(演:田代まさし→肥後克広)に女が「このおじさん、変なんです~」と訴えると、男が「なんだ君は!」と尋ねるが、
変なおじさんは開き直って「なんだチミはってか?そうです、私が変なおじさんです!」と名乗ってから踊り始め、そして最後に「だっふんだ!」と言ってオチ。
このキャラクターは志村の本望とも言えるキャラらしい。また、コント中の踊りのテーマは高校野球の応援で聞いたことのある人も多い喜納昌吉&チャンプルーズの「ハイサイおじさん」の替え歌。
そして、最後の「だっふんだ!」は上方落語家・桂枝雀の噺の中に出てくる咳払いの引用らしい。
元ネタは植木等の「お呼びでない。こりゃまた失礼しました」

顔面白塗りで太い眉に口紅で真っ赤なおちょぼ口メイクというインパクト抜群の外見の、とにかくお馬鹿な殿様のコント。近年はこの番組でしか志村のコントを見ない人も多いため、代表的なキャラになっている。
キレイどころの腰元を多数侍らせているが、『ドリフ大爆笑』版ではその中になぜか由紀さおりが混ざっており、由紀さおりが年齢を実際からかなり若く誤魔化してバカ殿様からキレられるのがお約束になっていた。
設定としては志村藩12万石を治める親藩大名(三つ葉葵が城内に見られるため)。初期設定では50万石だったが、だんだん減っていった。

  • スイカマン
『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』での長編コントのキャラで、後に『バカ殿様』でもリメイクされた恐ろしいキャラ。
「健康スイカ」等で「スイカの早食い」(撮影用に薄くはしていたが)を売りにしていた志村が、スイカの食べ過ぎによって怪物化した姿。
ゾンビの如く同族を増やしていき国家的危機を巻き起こすも、「海老天に弱い」・「が好物」という弱点が発覚したことで倒され、元に戻った。

様々な職種を経験するが、軒並み田代まさしに突っ込まれるキャラ。年のせいで同じ話を何回もする。

  • デシ男
「箸を持つほうの手」と確認しないと左右が分からないほど無知な男が様々な仕事をして、最終的にクビになる。
興奮すると「デシッ」と言う。

代表的な出演番組

言わずと知れた伝説の始まり。志村は1973年末から顔を見せ出し、1974年4月からレギュラーとなった。
志村の髪型はその時々で変化しており、「藤岡弘、風?」な1974年頃→長髪な1976年以降→短髪にした番組末期と今から見ると意外な程にバラエティに富んでいる。
前述通り「東村山音頭」のヒットにより所謂オチの担当が増え、前半コントでの高木→仲本→加藤→志村登場という黄金パターンが確立。後半は他メンバーの高齢化*5に伴い、志村一人がステージを走り回るコント(金田一など)が多くなった事も相まって爆発的人気に繋がった。
またこの番組には様々な歌手がゲスト出演しコントに参加しており、チェッカーズとおニャン子クラブ以外の70・80年代人気アイドルとは一通り一緒にコントをしている。

全員集合後半から始まり、結果的にドリフが揃った最後の番組となった単発特番シリーズ。火曜日版サザエさんの後は月一でこれだった。
「もしもシリーズ」等での老人キャラやオカマキャラ等がメインだった。

  • ドリフと女優の爆笑家族
テレビ朝日でのドリフ特番で、ホームドラマ風コント番組。
志村はメンバー最年少なのになぜか「爺さん」役を割り振られていた。

  • 飛べ!孫悟空
ドリフターズが『西遊記』を演じた人形劇。志村は主役の孫悟空役を演じ、あぶれた加藤が「カトちゃん」役になる羽目に(馬は当時付き人だったすわ親治が演じていたため)。
人形劇版全員集合とも呼べるほどゲストが豪華で、放送途中から日本テレビで始まった『西遊記』の猪八戒役の俳優(西田敏行・左とん平)がゲスト出演したりしていた。
ちなみにこの作品での「いかりや長介演じる『三蔵法師』」が、後に『最遊記シリーズ』の三蔵法師のイメージモデルになった。

  • 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ
全員集合の後継番組で、全員集合を終了に追い込んだ裏番組の『オレたちひょうきん族』を逆に終了に追い込んだ。
加藤とコンビを組んだ連続コント「THE DETECTIVE STORY(探偵物語)」では迷探偵となりドタバタを繰り広げ、ゲーム『カトちゃんケンちゃん』のモデルになった。
この番組でのコント「だいじょうぶだぁ教」が、『志村けんのだいじょうぶだぁ』タイトルの由来となっている。

初冠番組にして、最大の代表作ともいえる番組。『全員集合』・『ごきげんテレビ』(両方とも中編コントが売り)との差別化から、ショートコント中心に制作された。
また元々音楽グループの一員だった田代まさし・桑野信義に「ギャグキャラ」属性を教え込んだ番組でもあり、時折重すぎる「無言劇」を制作したりもした。

  • 天才!志村どうぶつ園
2004年から始まったご長寿番組。
放送時間が木曜19時から土曜19時に移動したが、どちらでもゴールデンで高視聴率を取っており同時間帯トップを取る事もよくある。
志村の人の良さと動物に好かれる才能が所々で見られ、志村の番組では唯一となる「子供に見せたい番組」にも選ばれた。
2020年、志村の逝去後もしばらく放送は続いていたものの、彼の支えがない状況では次第に番組を続けるのが困難と判断され、同年9月に16年半続いた志村どうぶつ園は閉園したが、
レギュラーだった相葉雅紀がMCに昇格し「I love みんなのどうぶつ園→嗚呼!みんなの動物園」にリニューアルして継続中。

  • 志村けんのバカ殿様
大体年に数回ある特番かつ時代劇コントで、30年以上に渡り放送された。
元々は『全員集合』・『ドリフ大爆笑』のキャラで、『月曜ドラマランド』でのSPを経て単独特番となった。

  • 志村&所の戦うお正月
毎年正月恒例の志村と所ジョージの2チームに分かれて争うバラエティ。
大御所から人気芸人まで幅広く集めた人材で様々な内容で争う。
中でも黒柳徹子と和田アキ子のパチンコ対決はある意味頂上対決と呼んで差し支えないかもしれない…面子的な意味で。

  • 志村&鶴瓶のあぶない交遊録
こちらも毎年正月が過ぎた頃に放送されるバラエティ。
旬のタレントといろんなスポットを巡ったりするがこの番組の名物といえば鶴瓶&ナインティナインとの元祖英語禁止ボウリングだろう。
ゲーム中に英語を喋ってしまうと罰金が徴収され、ストライクやスペアを出すと美女からキスのご褒美が貰える。
鶴瓶と共に美女からキスされる為に奮闘したりはしゃぐのがお約束となっている。
ちなみに岡村だけホルスタイン・モリ夫とキスするのが定番化している。
余談だが、美女からキスのご褒美のシチュエーションは昔は過激なものも多く、規制が厳しくなった現在は昔より控えめになり、志村鶴瓶ナイナイもこの事について嘆いた事も。
2020年は放送されず、3月に志村が逝去したが、2021年1月2日に『志村&鶴瓶のあぶない交遊録 大最終回スペシャル』としてABEMAで配信。代役として、志村と交遊のあった千鳥の大悟が参戦した。
なお、この番組の後番組として『鶴瓶&ナイナイの体当たりカレンダー』が2022年以降ABEMAで配信されている。



余談

1966年のビートルズ来日公演(前座の中にドリフがいた)時、武道館まで見に行ったことがある…が、観覧した回ではドリフがいなかったという惜しいニアミスを起こしていた。

『全員集合』時代、仲本や番組プロデューサーと共に馬券をうっかり違法な「ノミ屋」から購入してしまい、一か月間謹慎する羽目になったことがある。
この時無事なメンバーでの「3人ドリフ」で何とかしのぎ、「3人ドリフ」回そのものは再放送などがないが、謹慎が終わった後の学校コントなどで「」に対して過剰反応する形でギャグにしている映像がDVDに収録されている。

加藤茶とは「対等のコンビ」としてコントで共演することが多かったが、実年齢・芸歴ともに加藤の方が上なため、著書やエピソードトークでは「加藤さん」と呼び、「探偵物語」では「加藤を名前で呼ぶ」場面が殆どなかった。

ものまねタレントの題材としてもおなじみ。
題材としてはコントキャラを披露することが多かったが、レッツゴーよしまさはトーク番組等で見られる素の姿を披露して一挙にブレイクした。
その再現具合は交流の深かった千鳥からも本物と認められたほか、志村の親戚もテレビで見てあまりの生き写し具合に驚いたという。
ちなみに、よしまさ本人は志村を昔から敬愛していたことから、志村の没後以降モノマネをやり始めたとのこと。

往年のギャルゲー『卒業』、及びその男性版という位置付けのメディアミックス作品『卒業M』のメインキャラクター5人の名前はドリフターズ由来で、それぞれ「志村まみ」「志村未希麿」というキャラクターが登場する。*6
漫画『銀魂』の「志村新八」も志村けん由来と思われ、また彼の父の名は「剣」である。
ちなみに未希麿、新八共に声優は阪口大助





追記~修正は~wiki篭りの勝手でしょ~♪

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最終更新:2024年03月14日 00:26

*1 但しドリフの「ライバル」的位置にいた「コント55号」の萩本欽一とは『TVプレイバック』くらいしか共演機会がなく、彼の所属する『浅井企画』・『佐藤企画』の芸人たちと絡む機会も殆どなかった。

*2 志村以外のメンバーは全員出演経験があり、元メンバーの荒井注、小野ヤスシも出演したことがある。

*3 現実的な理由として、コロナの感染防止対策で雛壇芸人を多数集める番組そのものが作りづらくなったということもある。

*4 Mr.ボールドは芸名通りの禿頭と共に口髭にタキシード姿がトレードマークで、「フォークを咥えて一輪車に乗り、客席から投げられたリンゴをフォークで受け止める」といったパフォーマンスをしていた。

*5 番組終了時リーダーのいかりやは54歳、志村より7歳上の加藤茶は42歳だった。

*6 他のメンバーは高城、新井、加藤、中本。