ドリームキャスト

登録日:2016/08/31 (水) 18:33:39
更新日:2024/04/09 Tue 16:57:51
所要時間:約 25 分で読めます







夢を繋いで! ドリームキャスト




ドリームキャストとは、セガ・エンタープライゼスが発売した据置型ゲーム機。
(見方によっては「ゲーム機兼インターネット端末機」でもいい。)


【解説】


第六世代最初の据置型ゲーム機であり、セガの最後の家庭用ゲーム機となった。

日本では1998年11月27日に発売し、価格は発売当初は29,800円。
1999年6月24日には19,900円へ値下げされ、ハード事業撤退発表後は9,900円へとさらに値下げされた。

ユーザーからの略称は『ドリキャス』『DC』『ドリャス』などが存在する。
セガが用いたドメインは「dricas.com」なので、公式的には略称はドリキャスで統一されていると思われる。
だが、本項目では面倒なのでDCという略称を用いる。

このハードのシンボルマークとして採用されたのはうずまきのロゴ。
デザインの由来は、宇宙の広がりや人間の無限の可能性をイメージし、中心から外へ広がる動きを表現した物。
色はオレンジ色を採用しているが、『オレンジは愛や幸福の象徴でネットで人を結ぶこのハードにはピッタリ』たと考えられたかららしい。

当時セガサターンを展開し、一定の普及には成功させていたセガ。

しかし、SCEとのトップシェア争いに敗れた傷跡はセガとセガサターンに大ダメージを与えた。
ライバルのPlayStationの値下げ攻勢に付き合った結果、売れば売るほど赤字を計上する始末。
FINAL FANTASY Ⅶ』のPS展開が決定打となり、セガサターンのソフト供給の勢いも衰えを見せていた。

とはいえ32ビット機戦争においては、国内では最後まで国内シェア二位を保っていた。
が、国内以上にセガサターンが大ダメージを受けていたのが北米などの海外市場。
北米ではスーパー32Xのゴタゴタから完全に普及に失敗し、国内と違いスーパーファミコンに匹敵する爆発力で奮闘を見せたNINTENDO64にも敗北した*1

この危機的状況を危惧したセガは、社運を賭けて次世代機である本ハードの開発に取り掛かる。

開発当時のコードネームは日本らしさを感じる『KATANA』。
このコードネームは単純に刀から取ったものではなく、関西弁の『勝たな』から取られた……うんっ?
……と今まで言われていたが、実際にはこの由来は間違っている。
実は開発当時、セガにはドリームキャスト含め試作機が二種類存在し、その一つがコードネーム『ブラックベルト』……つまり黒帯。
つまりドリームキャストは黒帯を『斬って勝つ』という願いを込められて、『KATANA』と名付けられた。
この辺りは『現代日本にやってきたセガの女神にありがちなこと』にてドリームキャストの神が言及している。

ドリームキャスト発売予定の正式発表をすると、伝説的な宣伝展開を披露。
あの湯川英一専務をCMに起用して『セガなんてだっせーよな!!』を初めとする自虐CMを披露しまくり、お茶の間におけるセガとDCの知名度向上に成功した。
このCMの勢いは全国的に広がり、一時は成功確約に見えた。

要のドリームキャスト自体も様々な魅力溢れる機能を搭載。
第五世代から相当進化した美しいグラフィック、インターネットを活かした斬新的な機能など十分に普及する要素を持っていた。

しかし、こんな時に限って転んでしまうのが当時のセガという会社の運命だったのか。
本機に搭載されたグラフィックスチップ「PowerVR2」の開発と量産にNECが手間取ったことから、本体の生産が間に合わないという緊急事態が発生。
このNECの開発遅延に基づき、サードパーティもソフト開発が遅れてしまうという本末転倒な状況に。

ローンチタイトルのキラーソフトの多くは発売延期となり、この失敗はDCのソフト展開に最後まで引き摺った。
一応それでも初回出荷分は即座に売れたが、供給体制が整っていないのでハード売り上げの向上が見込めず。
スタートダッシュで他社に差をつけるはずが、このような失敗で差をつけるのに失敗した。
かつての3DOなどと同様に、先行ハードとしてのアドバンテージをまともに活かせなかったのである。

さらにライバルのPlayStationが当時独占禁止法に反する疑いを持たれた販売方法をセガも真似する。
これがキッカケでセガも同様の疑いをもたれ、この処理が法律的に相当ギリギリの逃れ方をしたことからセガの信頼も失われることとなる。

こうして苦労している間にライトユーザーのDCへの関心や記憶は薄れていき、ついに最大のライバルSCEからPlayStation2が発売。
最大シェアの前世代機との互換性保持・DVDプレーヤー機能所持という要素を持ち、瞬く間に普及した*2
SCEの6600万ポリゴンの主張などにより、一般向けへの宣伝もセガは敗北した。
セガも負けじとネットの強みを生かした様々な改善策を展開したが、時代がついていかなかった。

最終的に2001年にセガの家庭用ハード製造撤退が一部メディアで報じられ、当初セガは否定していたがやがて撤退が正式発表された。
以後のセガはサードパーティ化し、かつてのライバルだったSCEや任天堂向けや従来のアーケードにゲームを供給していくこととなる。
撤退報道後のDCは値下げされ、投げ売り状態となったが第六世代の最後まで細々と僅かな市場を展開していく。

最終的な日本での販売台数は280万台に収まった。
世界的には913万台を売り上げており、日本での販売台数が大半を占めていたセガサターンとは真逆に海外市場で健闘した。
この点に関しては、セガサターンでは投入しなかったキラーソフトであるソニックシリーズ本編によるところが大きいとみられる。

このように商業的にも残念な結果と終わり、最後のセガハードとなってしまったDC。
しかし、現在のゲームハードに繋がったともいえるネット機能など、ゲーム史的に忘れてはいけない機能を搭載した存在。
ソフト自体にもこのハードから様々な名作がいくつか誕生しており、今なお語り継がれる逸材が多く揃っている。
実際に、セガのハード事業撤退表明後も細々とソフトが供給されていたなどポテンシャルも高かったことは間違いない。

『夢(dream)を広く伝える(broadcast)』から取られたと言われる、ドリームキャストという本体の名称。
その名前に恥じることなく、多くのユーザーに次世代の夢を与えたという事実は間違いない。

良くも悪くも、ハードメーカー:セガ・エンタープライゼスの最期を飾るに相応しいゲーム機だったと言える。

【ドリームキャストの特徴】


本体外観/メニュー画面/MILD-CDなど


本体外観

基本的に一般のモデルはホワイトカラーとなっている。

本体は正方形の形をしており、予想以上に小柄。
他社の第六世代ハードと比べてもコンパクトに収まっている。

本体上部にはディスクドライブが存在し、ドライブ右下部分にOPENボタン・左下部分に本体の電源ボタンが設置。
この二つのボタンに挟まれるように三角形の部分が存在し、電源を入れると発光する。
トレイ部分にはDCを示すあのオレンジ色の渦巻き模様のシンボルが描かれている。
コントローラーポートは4つ存在し、付近にはWindowsCEを搭載していることを示すロゴが刻まれている。

本体背面には電話線・AV端子・電源AC・シリアル端子などを搭載。
ちなみに周辺機器の「VGAボックス」を繋げることで、PC用ディスプレイなどに表示してVGA解像度を可能とする。
本体の下側の左部分には出荷時よりモデムユニットが装着されているエクステクションポートがある。
ここのモデムによるダイヤルアップ接続やブロードバンドアダプタによるLAN接続でインターネットに接続したり、ドリームキャスト・カラオケを装着可能。
また開発中止となったが、磁気ディスクの一種であるZip用ドライブの発売も予定されていた。

メニュー画面

起動後のメニュー画面から、ゲームプレイや本体の設定を行える。

各メニューはコントローラーやビジュアルメモリなどの3Dポリゴンが表示され示されている。
設定からは本体の時刻設定や使用言語、サウンドなどを設定できる。

MusicメニューからはCDの再生が可能。
CDが回転しているグラフィックや再生時間などが表示される。


MIL-CD

初期型のDCはMIL-CD(見るCD)に対応している。

これは通常のCDプレーヤーでは音楽を再生するが、DCで再生すると独自の映像を見れるなどの機能だった。
このような面白い試みは評価されているが、当時は対応メディアは少数しかなかった。

それどころか、一部のユーザーがある事情に気づいてMIL-CDの仕組みを利用。
コピーしたゲームのデータをCD-ROMに焼き付け、それをこの機能を用いて再生するという手段に成功した。
この機能は同人ゲームの作成や、他社のレトロハードのゲームをエミュレートさせるのに使われた。

…つまるところ、な違法コピーの危険性が高まったことから、2000年10月頃から出荷されたDCは非対応機となった。
時期は明白ではないと言われるが、社名変更の時期と重なるのではと噂されている。

対応してる否かは箱に記載されており、中古品でも箱があれば簡単に区別可能。
箱がなくとも、DC本体の下部にあるバーコードが印刷されたシールの番号や社名から判別できる。
しかし、箱の非対応の記載とは裏腹に実は対応していたり、初期の対応機を修理に出したら非対応化されて戻されたりと曖昧な面も強い。

一般的には中古市場ではMIL-CD対応型の方が発展した用途を使えるので需要は高いと言われる。
とは言え、DC全体で見ればMIL-CD非対応機の出荷量が少ないので、非対応機の方がある意味希少ではある。

コントローラー

標準コントローラーはセガサターンのマルチコントローラを発展させたデザイン。

右側にはカラフルな配色のX・Y・A・Bの4個ボタンが存在。
左側には3Dゲームに必要なアナログスティックと定番の十字型の方向キーが存在する。
下部には三角形のスタートボタンが配置された。
後ろ側にはアナログL/Rトリガーも存在するが、初期生産の物は構造上耐久性が低い。

上部には拡張スロットが二つと画面のような穴が存在する。
この拡張スロットにはビジュアルメモリやマイクデバイスなどの周辺機器を装着可能。
コントローラーの上中央にある画面らしき穴は、ビジュアルメモリの液晶を表示するための構造である。
拡張スロットにビジュアルメモリなどを装着すると本体重量が重くなるという地味な欠点もある。

一般的なコントローラーのケーブル配置は本体上にある物だが、このコントローラは2Mのケーブルが下部分にある。
奇妙な構造に見えるだろうが、引っ張られている感じを思わせないためにこうしたらしい。
一応コントローラー背面に凹みがあり、ここにケーブルを通せば従来のコントローラのようになるという配慮はされている。

このように様々な機能があるコントローラーの総重量は256g。

ソフトメディア/パッケージ

DCはソフトメディアに独自メディアとなるGD-ROMを採用した。

開発にはあのヤマハが参加し、セガとの共同開発となった。
見た目は従来のCD-ROMと変わらないが、独自フォーマットを採用する事で当時としては大きい1GBの容量を実現しており、大容量のゲームを記録することができる。
ただし、先行ハードであるが故にPS2のDVD-ROMやGCの8cm光ディスクには見劣りすることとなった。

セガのアーケード基板であるNAOMIも、拡張キットによってこのメディアを使用できる。
ところが、DC自身が普及せずに終わったのでこのメディアも他の分野に発展して採用されることはなかった。

このメディアは三段構造とも呼べる中身になっている。
内周部はCDプレイヤーで再生した際の警告メッセージ用、外周部はゲームのデータ用、中間部はデータがない仕切り用のエリアという感じ。

このような構造は、不正コピー対策を行えるという面を考慮して開発されたからだといわれている。
しかしDCの場合、システム側にセキュリティホールが発見されたことにより、従来と変わらない不正コピーを許すこととなる始末に終わった。

ソフトパッケージは従来のCDケースとさほど変わらないものを使用。(本ソフトやCD、プレイステーションソフトに使われたディスクケースはジュエルケースと呼ばれる。その後はDVDケースや、一回り小さくしたブルーレイケースが普及したが、ジュエルケースにもDVDやBDの収納は可能。)

大きさ的には前世代のセガサターン用ソフトのパッケージとあまり変わらない。
他社の第六世代ハード用のソフトパッケージと比べると小さく、収納が楽である。
ただし、限定盤などのソフトパッケージは大型化している。
また、末期の一部タイトルのパッケージはPS2やXboxと同じようなDVDパッケージとなっている。

本体性能

CPU SH-4(200MHz/360MIPS)
RAM 16MB
VRAM 8MB
ポリゴン描画能力 300万/秒
OS Windows CE(カスタムバージョン)

豪華で複雑なハード構成となったが故に高コストに苦しんだサターンの反省に立ち、ハード構成はシンプルなものに纏められた。
だが第六世代の先駆けなだけあって、発表当時はそのグラフィック性能は大きな話題となった。

CMでも強調していたように、300万/秒ポリゴンの表示機能を持つ。
だが、300万ポリゴンの強調などは後のSCEのPS2の6600万ポリゴン(理論値)宣伝に利用される始末となる。

CPUのSH-4はシャギー防止に優れており、綺麗な画質を保つことに貢献している。
テクスチャの扱いにも優れており、鮮やかな画面構成を築き上げることも得意としている。
ただし、CPUを担当した日立製作所はどちらかというとコンピューターなどでは衰退気味であり、当時のソニーのVaioブランドパソコン展開などとは対照的に、近い将来に日立製作所はコンピューターやテレビなどから撤退する*3
後に国内シェアをほぼ独占するまでの爆発的な普及を見せたNintendo Switchが勢いあるNVIDIAのTegraを採用したのとは対照的であり、この時点でハズレを引いてしまっていたとも考えられる。

DCとの連携を前提としたNAOMIとの互換性が高かったため、アーケードゲームの移植も容易としていた。
アーケードとの連携度の高さは、前世代のセガサターンから変わらないのは流石セガか。

公式は「32bit×4=128bit」ということで、128bitを自称していた。
実際は32bitの演算を4本同時にしているという仕組みで、別に128bitという訳でもない。
これはセガのみならず一部他社メーカーも第五世代で使ったマーケティングなのだが、そもそも第六世代からはbitによる宣伝という物が減っていた。

一般的に同世代の後発ハードには劣るとの見方だが、直接のライバルであるPS2に関しては一概にそうは言えない。(ドリームキャストポジションをメガドライブに置き換えて例えた場合のプレイステーション2ポジションはスーパーファミコンほどの性能差。ドリームキャストをファミリーコンピュータに例えた場合の対するメガドライブほどは性能面では離れていない)

VRAM容量の大きさから扱えるテクスチャの数や発色など、部分的に上回る面はあった。
また、上述したようにアーケードとの互換性が高かったので移植タイトルはPS2版を上回った。
PS2とのマルチだった『機動戦士ガンダム 連邦VSジオン』などは、その代表例と言われる。

とは言え、総合的には後発の全てのハードには年代的な問題で劣っていた

インターネット接続機能

ドリームキャストの代名詞と言えば、このインターネットを活用した機能だろう。

本体にモデムを標準搭載しており、電話回線があればインターネットを利用できる。
前世代でもセガサターンが周辺機器としてのモデムを用いてネット接続が可能だったが、ついに本体への標準搭載に至った。
なお、家庭用として初めてモデムを搭載したのはこのハードではなく、世界一売れなかったゲーム機ことピピンアットマークである。

本体には『ドリームパスポート』なる専用ブラウザが内蔵されていて、ネット観覧が可能。
他にもドリームキャスト用の電子メールのやり取りができる『ドリームフライヤー』や専用ブラウザソフトも販売された。

このインターネット接続機能を利用し、他のユーザーとのゲームによる通信対戦を可能とした。
現在ではオンライン通信など当たり前だが、当時としては画期的な物だった。
ただし、現在とは違って光回線が普及していなかったので、ダイヤルアップ接続による使用料金は安くなかった。

このドリームキャストを通じて初めてインターネットの世界に触れたという人は多い。

後にLAN接続に対応した「ブロードバンドアタプタ」も登場したが、これの発売前のゲームは未対応だったり、発売後でも専用回線を利用する連ジでは対応してなかったりとちぐはぐも起こった。
加えて当初はドリームパスポートに対応しておらず、『ブロードバンドパスポート』という専用ソフトを使用する必要もあった。
これについてはドリームパスポートの最終バージョン『ドリームパスポートプレミア』において、ブロードバンド接続に対応したことで解決している。

ビジュアルメモリ/メモリーカード4X

ゲームデータを記録する媒体としてはビジュアルメモリを採用。

モノクロ液晶・十字キー・A/Bボタン・スピーカーが搭載され、携帯型ゲーム機のような見た目。
専用のソフトをダウンロードして遊べるので、実際に携帯ゲーム機としての側面がある。
ビジュアルメモリ同士で接続しあってデータ交換も行える。

動かすにはボタン電池を二個必要とする。
しかし記憶媒体はフラッシュメモリなので、電池が切れてもデータに影響はゼロ。

コントローラーに装着することが可能で、装着するとコントローラーの窓部分に画面が設置される。
この画面にはゲームと連動した絵が表示されるのだ。
……後のWiiUのゲームパッドはこの発想からいただいたアイデアの可能性が存在する…?

画期的な保存媒体だったビジュアルメモリだが、一方で弱点も多いことで有名。

ボタン電池を使用するが、この電池消費量が滅茶苦茶激しい。
使い方によってが数時間で電池を使い切る他、待機電力もバリバリ消費する(自称連続100時間使用可能なのに)。
ただし、一応電池の切れた状態でもDC本体が通電されていれば保存媒体としては機能する。
ところが、その電池の切れた状態で通電すると『ぴーーーーー』とうるさい音が鳴り響く。うるせぇ!!

搭載されているフラッシュメモリの容量に反して携帯ゲーム機能を重視したからか使える容量が少ない。
そのため思いのほかセーブデータが記録できず、不満の声が大きかった。

上記の不満を受けてか、ゲーム要素のない単純な記憶媒体として容量を増やした「メモリーカード4X」が登場。

容量倍増を重視した結果、従来のビジュアルメモリの四倍の容量を持つ。
800ブロックほどあり、200ブロックごとにバンクを切り替えることが可能。
選択されたバンクは本体のLEDが点灯して知らせる。

しかし、こちらはこちらでビジュアルメモリとの連動を持つソフトの一部機能が使えなくなる。
また、一部タイトルはゲーム中のバンク切り替えに対応していない。

後にライバルのプレイステーションでも似た立場の機器であるポケットステーションが発売された。

ソフト展開

このハードが今なお愛される理由は、数多くの名ソフトを生み出したからに違いない。

  • 第六世代のグラフィック性能を知らしめた『ソニックアドベンチャー
  • 専用マイクを通じたコミュニケーションを可能とした育成ゲーム『シーマン』
  • 国産ネットゲームの鏑矢たるアクションRPG『ファンタシースターオンライン
  • 広大な世界観を舞台にしたオープンワールドの魁『シェンムー』
  • 未だにシリーズ最高傑作の完成度と販売時期も併せて神格化した『アスカ見参!』(PC版で完全版が発売)

主にこの辺のゲームがドリームキャストの思い出のソフトとして挙げられやすい。
これらのゲームは、後のセガタイトルに何らかの形で影響を与え、その未来を支える貢献も見せている。

もちろん、上記のタイトルだけではなく様々な名作が産まれている。
DC版ソウルキャリバー、スペースチャンネル5、ルーマニア#203……と、挙げ出したらキリがないだろう。

ソフト売上的には、ソニック、シーマンやPSOとスマッシュヒットはあったが、DCの情勢を覆すほどの力はなかった。

国内におけるDC用ソフトの最高売上は『ソニックアドベンチャー』の43万本。
ソフト売上ランキングの上位大半はセガ製のファーストタイトルが占めたが、
前世代で記録したミリオンソフトは存在しないと寂しい結果に終わった。
第六世代全体が他社のハードも前世代よりソフト売上を落としているので、その影響もあったのかもしれない。

売上的にはイマイチに終わったハードだが、セガの撤退後もソフト供給が定期的に続いた。

これはNAOMIとの互換性の高さから移植ソフトが作りやすかったためである。
シューティングゲームが発売されたほか、他機種マルチで恋愛ゲームも供給される。
セガ最後のファーストタイトルとなった移植作の『ぷよぷよフィーバー』も発売は2004年である。

国内ドリームキャスト最後のソフトは2007年3月8日発売の『カラス』。
アーケードからの移植タイトルであり、後に第七世代のWiiでも発売された。
皮肉にも、第六世代ハードとしては最短の寿命ではなかった。
このカラスはカラスでハイスコア保存が不可能な不具合があるのは秘密。

ドリームキャストの一部のタイトルは、TSUTAYAでゲームレンタルという試みもされた。
他にも機能限定版を安価で売り、満足したら課金して通常版にするという「@barai」というシステムも存在した。
このような新しい試みも、時代が追い付かないからか不発に終わっている。

最終的にDCにおいてキラーソフトとなった多くのソフトは、撤退後に他社の第六世代ハードに移植された。

一部移植作は、ハード性能の違いからグラフィックを強化したゲームも見られた。
ビジュアルメモリとの連動要素を入れた作品は、その要素が削除されることもあった。
携帯機を抱えていたGCに移植された作品に関しては、ゲームボーイアドバンスに連動の代役を任せた物も。

2010年には『セガ・ドリームキャスト復刻プロジェクト』が発足。
一部のDC向けソフトがPlayStation3とXbox 360に移植され、ダウンロード販売されている。
後にPlayStation Vita向けにも配信されているが、Vitaには移植しなかったタイトルもある。
現在は『ジェット セット ラジオ』を最後に、新たに復刻の気配は見せていない。

ドリームライブラリ

過去のハードのソフトを配信するサービスも、ドリームキャストが先駆けて行っていたと言える。

ウェブブラウザソフト『ドリームパスポート3』を介してインターネットに接続することでゲームソフトをダウンロードできる。
仮想通貨を用いてソフトの利用券を購入するという、レンタルビデオ屋のような仕組みだった。
利用券の購入は公式ホームページから手続きを行う。

配信されたタイトルは、メガドライブPCエンジンの過去作。
レトロゲームの配信は勿論、当時のライバル機種がセガにソフトをリリースしたのは話題となった。
もっとサービスが続いていれば、配信されたレトロハードの種類も増えたかもしれない。

リリースからしばらくしてブロードバンドのメンテナンスを理由にサービスが休止される。
そして『ドリームパスポート プレミヤ』のリリースで復活した。

しかし、配信されたタイトルをまともに保存できないという問題点を抱えていた。
これは、当時の技術的な問題で本体の電源を落とすとダウンロードデータが消え、再ダウンロードが必要となる。
当時のネット環境の都合上、再ダウンロードに必要な通信費も決して手軽な物でもなかった。

画期的なサービスだったが、抱える問題点やDCの生産停止など先は明るくなかったとされる。
やがてサービスの終了が宣言され、2003年1月31日には公式ホームページが閉鎖された。

ドリームライブラリのようなレトロゲーム配信サービスは、後に任天堂やSCEも行うこととなる。
それが後の世代で姿を表す『バーチャルコンソール』と『ゲームアーカイブス』である。
これらのサービスはドリームパスポートの問題点を解決しているが、開始された時代は第七世代の頃だった。

ある意味DCにおいて発想に対して技術が追い付いていなかった一番の例だと言える。

意欲溢れる周辺機器

ビジュアルメモリが代表例だが、他にも様々な周辺機器が存在する。

画期的な周辺機器としては、ドリームアイが挙げられる。
専用のデジタルカメラで、コントローラに接続した上で専用ソフトを用いて利用する物である。
カメラは31万画素で、対応解像度は640×480ピクセルと言われている。

これで写真を撮影したり、1ファイル25秒までの動画を録画できるなどの機能を搭載している。
撮影した写真は加工して電子メールで送ること。ビデオ動画も

ドリームアイを接続したドリームキャスト同士でテレビ電話が可能なのもすごいところだろう。
ただし、あまり画質の良い映像ではない簡易動画という物。
また、電話回線接続とインターネット接続の二つのパターンが選択可能。

他にも画期的な周辺機器としては、ドリームキャスト・カラオケが有名な例か。

セガの業務用通信カラオケ(セガカラ)を家庭用に展開した物だった。
ボックスタイプのカラオケユニットの周辺機器をドリームキャストの下部に接続して利用する。
同梱のソフトが存在し、このソフトはカラオケ機能をソフトウェア処理する役割。

カラオケの周辺機器自体は9,800円だが、カラオケ利用料金は一日500円、一ヶ月で2000円。
なかなかリーズナブルなお値段で、後の家庭用ゲーム機のカラオケサービスと比べても戦える値段。
しかし、通信速度との兼ね合いからMIDI音声を採用したので音質は良くなかった。

2006年4月30日までサービスを行っており、DCの寿命を考えると長寿のサービスだった。
発売時期自体がDC撤退後だったことを考えると、なおさらである。

なお、家庭用ゲーム機の通信カラオケサービス自体は、幻に終わった3DOの後継ハードであるPanasonic M2(3DO M2)も計画していた模様である。

【バリエーションハード】


CX-01

フジテレビが企画して設計された、ドリームキャスト一体型テレビ。

他社ハードだが『マイコンピューターテレビC1』や『SF1』の思想を発展させたハードと言える。
テレビにドリームキャストを合体させたことで、テレビ・ゲーム・音楽・インターネットを同時に扱えるという事を最大の売りとしている。
ネット用のキーボードやテレビ用のリモコン、デジタルカメラなども付属。

その独特なテレビのフォルムは今なお一種の未来を感じさせる斬新なデザインで、好評を得た。
GD-ROMはテレビ頭部から入れ、画面上部の電源で入力切替やボリューム調整を行うという仕組み。

長時間のゲームプレイとテレビ休憩を両立させることを想定し、CX-01モードを起動したままでテレビを観覧可能。
ブラウン管でホームページを見るとフォントが崩れて見える恐れを想定し、それを見やすくするスイッチもある。
しかし、DCの周辺機器には非対応と互換性が薄いなどの面もある。

様々な機能があるためか価格はその分高くなっており、何とゲーム機としては高めの88,000円。
流通経路も限られており、限定5000台がインターネットの通販で販売された。

ちなみに本ハードを最後に、テレビ一体型のハードは姿を見せていない。

ドリームキャストR7

パチンコ店用の業務向け端末として販売されたモデル。

一般的な白色のドリームキャストと正反対に黒色に光る本体色が特徴的。
なんかライバルハードを思い出させる配色だが、カッコいいと結構な好評を得ている。

そして本体にはでかくR-7のロゴが記されているが、何の意味合いが込められているんだと疑問を抱く人も多い。
Wikipediaの解説によると、これは『風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律における7号営業を表すRegulation 7の略』らしい。

元々完全に業者向けの端末だったのだが、DC撤退後に一般販売が発表された。
販売理由については、その外観が人気で一般向け販売の要望が強かったからと説明されている。
セガも、ビッグタイトル扱いされていた「シェンムーII」の発売日と同じ日の発売日で、それに合わせた戦略と考えられている。

しかし、一説には撤退後の品薄の状況を挽回するために発売されたという話もある。
本体が既に生産停止していたために、需要に追い付かなくなってセガはパチンコ店用に販売されていた端末を一般販売したのではないかという物。

また、DC後期に提供された本体だが、製造時は在庫処分の為に初期ロットを流用している。
そのおこぼれか、MIL-CD対応のままとなっており、R7の箱にもその旨が記載されている。
これが一般向けR7の最大の特徴と言っても良いのかもしれない。
ついでに言うと、一般向けのR7は業界関係者限定の情報サービスは使えないようになっている。

一般販売版のR7は、存在的には限定版の色違いのモデルとそんなに変わらないと言える。
だが、ハードを紹介する書籍などでは業務用という出身経緯的な都合からかマイナーチェンジのような立ち位置で扱われることが多い。
そんなことなので、本項目でもバリエーションハードとして記載するに至った。

DC撤退表明後のハードで、流通量が少ないからか現在は通常のDCより中古価格は高騰している。

【撤退後のドリームキャストに関する動き】


撤退後も歴史の闇に消えていくことはなく、賑やかな話題をしぶとく提供。
様々な商品のデザインになったりと、今もちょくちょく活躍している。

ドリームキャスト→Xbox案?

後に登場する第六世代ハードXboxにDCの互換を保させる構想が存在した。

大川功会長は1999年頃にXbox開発の話を耳に入れたことが発端。
MSはドリームキャスト開発に携わっていたため、ビル・ゲイツに交渉を行った。
セガのタイトル資産提供と引き換えにXboxに互換性を保たせることで、セガハードの系譜を絶えさせないための存亡を託そうとしたのだろう。

しかし、インターネット接続に関する思想のすれ違いで話は破綻した。
大川氏がネット接続が必須と考えていたが、MSはネット接続を構想していなかったことが原因だった。
この話は噂として広まっていたが、2010年に当時マイクロソフト日本法人社長を務めていた古川享によって事実であったことが判明する。

余談だが、Xboxの現在のコントローラーデザインに至るまでのデザイン案の中にも興味深い物が。
実はこのデザイン案の中には、ビジュアルメモリと近い働きをすることを想定したコントローラーがある。
上記の交渉の影響があったのかは不明だが、仮に互換性が実現していたらこちらが採用されたのかもしれない。

擬人化

セガの歴代ゲーム機を美少女に擬人化する公式プロジェクト『セガ・ハード・ガールズ』において、なんとビジュアルメモリと共に擬人化された。
2人とも本体のデザインを取り込み、ドリームキャストはりりしいが貧乏性の気がある少女剣士(CV:M・A・O(市道真央))、
ビジュアルメモリは明るい腹ペコ属性のエルフ耳少女(CV:上坂すみれ)に変身してしまっている…公式が病気。

同じくゲーム機擬人化漫画である『P.S.すりーさん』では先輩アイドル「どりきゃすさん(CV:椎名へきる」として登場。
かつてせがさんをプロデューサーに鳴り物入りでデビューしたが大成出来ずにプロジェクトが解散、その後はインディーズで細々と活動している。
彼女の辿った顛末はいつも明るくめげないせがさんにも暗い影を落とす事となる。

ニンテンドー3DSへの進出

ニンテンドー3DSのHOMEメニュー用のテーマとして、『セガハードシリーズ ドリームキャスト』も販売。

2015年3月18日から配信され、価格は200円(税込)となっている。
同日には『セガハードシリーズ SG-1000』のテーマも同価格で配信された。

テーマ用BGMとして「ドリームパスポートメドレー」が流れるなど、セガファン歓喜の仕様。
上画面はDCソフトのパッケージを再現しており、選択したソフトがDC用ソフトのようになる。
下画面はDCのメニュー画面を元としたデザインとなっている。

SEとしてDC特有の音も搭載。
3DSを開くとビジュアルメモリの『ぴーーーーー』が再現されたり、ディスクの読み込み音も再現。
これらの再現音は実際のハード本体から収録したという無駄な気合である。

エイプリルフール

2016年には、エイプリルフールネタとしてアサヒビール公式Twitterがドリキャスネタを使用したことがある。

嘘ネタとして『アサヒ ザ・ドリームキャストサーバー』なる物が告知。
専用コントローラでビールを簡単に注げるという物で、嘘画像もなかなか気合が入っている。

セガの公式アカウントも呼びかけに反応し、このドリキャスサーバーネタを披露。
モデム標準搭載で遠くの友人にビールを気軽にサーブ』『アサヒ・ザ・ビジュアルメモリで飲み会の思い出を記録できる』『釣りコントローラー対応でつまみとしてブラックバスをゲット』などのネタを見せた。
これらのネタは盛り上がりを見せたが、アサヒビールが唐突にこのハードを取り上げたことで困惑する声も多く聞かれた。

【備考】


ドリームキャスト開発当時は、第七世代ハード普及中盤あたりから本格的となるゲーミングパソコンや、個人で金を積むだけハイスペックと化す自作パソコンというものがほぼなかった。
発売直前はそれこそニンテンドウ64が最高スペックなゲームハードとされた最中、最高スペックの座を一時奪い取っていた。

ところが、後発のPS2やゲームキューブはインターネット機能は標準ではなくとも、インターネット接続の周辺機器を後付けすれば十分インターネット機能を処理できるスペックは持っていた。
さらにこの時期からパソコン業界も従来のブラウン管タイプのデスクトップが液晶モニター化でスリムに変貌しつつ、性能向上もゲームハードを部分的に上回りはじめている*4
つまり、例えPS2が爆発的な普及を見せないIFの世界線があったとしても、対パソコン用にCPU・メモリ等の基本性能を数倍拡張する後付け周辺機器を出さないと、インターネット端末機の土俵にも踏みいってゲームハードとしての土俵のリスクを分散してたとしても、ブルーオーシャンを望めず結局レッドオーシャンと化してしまい、どの道大苦戦していた可能性も高い。

ドリームキャストの国内ソフト開発終了と同時期、当時新興のブルーレイがPlayStation3に採用にされるが、ブルーレイ再生機器の部品のコストダウンも生産体制も未熟故にPS3が販売不振に陥る。
一方で対照的にDVD再生機器は非常に普及済みで、自家用車のカーナビにもDVDプレイヤーが組み込まれはじめている。
つまり、録画機能付きのDVDレコーダーならばまだ大きめでも、再生程度なDVDプレイヤーはPS2も含めてかなりコンパクト化してきており、
理屈だけで言えばドリームキャストも、大きさをそのままに高性能化した互換性ありの後継機を出せていた可能性もなくはなく、インターネットの普及率の向上も相まって、さらに躍進した可能性もあるかもしれない。前述のパソコン業界の躍進もあるため、善戦できたかは別だが。

PlayStation5も発売済みの現在ならば、メーカー別機種にもよるがドリームキャストサイズでブルーレイ再生もできるテレビ接続BDプレイヤーも、持ち運べるポータブルBDプレイヤーも普及している。
ムーアの法則を考慮すれば、理屈上ではドリームキャスト互換機能付きなBDプレイヤーはもちろん、ゲーミングパソコンの部品*5と入れ換えれば、外見はそのままに、ゲーミングデスクトップパソコンとしても作ることも使うことも可能。
しかし2022年1月現在、セガ公式がドリームキャスト型BDプレイヤーやゲーミングパソコンも発売する様子はない。当たり前だが。
そもそもセガはメガドライブミニ以降は過去ハードのミニ化したゲーム機を出しておらず、発売当時よりも向上した技術で再現したドリームキャストが出る可能性はまずもって予測できないだろう。

それでも、ドリームキャスト生産中止から20年の現在、ドリームキャストの中に現在の技術を詰め込むとどうなるかは、当時未来感のかたまりだったインターネット端末機も兼ねていたことを踏まえると、考える余地はありそうではある。

【小ネタ】


ドリームキャストのゲームソフト「ぼくドラえもん」では、ドラえもんが「とっておきの道具」「最高のゲーム機」と言いながらドリームキャストを取り出してくる
20世紀に来てからドリームキャストを見つけたのか、ドラえもん自身がコアなレトロゲーファンなのかセガがゲーム市場を席巻する別の時間軸からやってきたのかは不明。
しかし、現実世界が21世紀になってなお名作と語り継がれるゲームソフトを輩出したハードであることは確かなので、21世紀生まれのドラえもんが絶賛する様子が全く間違いであるとも言い切れない。





追記・修正は、ドリームキャストを購入してからお願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • セガ
  • セガ・エンタープライゼス
  • ハード
  • ゲーム機
  • 据置型ゲーム機
  • セガハード
  • ドリームキャスト
  • ドリキャス
  • DC
  • 不遇
  • 名機
  • 湯川専務
  • 有終の美
  • ネット接続
  • 生まれる時代が早すぎた
  • NAOMI
  • インターネット接続
  • シンボルマークのうずまき
  • KATANA(勝たな)
  • M・A・O
  • CX-01
  • ドリームキャストR7
  • セガ・ハード・ガールズ
  • 瀬賀守夢実
  • SEGA
  • ゲーム

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2024年04月09日 16:57

*1 SFCから普及率が失速したイメージのある64だが、北米市場で成功し日本やヨーロッパの苦戦をフォローしていた

*2 よくDCの敗北原因として、PS2のこれらの要素を保持していなかったことが言われる。とは言え、DCの開発時期にDVDメディアを採用したりセガサターンとの互換を保持するのは高コストで難題だった。

*3 ただし、ソニーもこのあとCellブロードバンドエンジン開発の元が採れず、コンピューター部門で自滅沙汰となり、プレイステーションVITA/4以降はAMD製汎用CPUを採用する路線変更を強いられた。

*4 例えばXbox発売頃にソニーが発売したバイオpcv6600は、Xboxほどゲームグラフィックなどは及ばないが、Xboxの729MHzクロックを踏まえると、CeleronのCPUとはいえクロック数はギガヘルツの世界に入っている。メモリも266MBなので、数年前の64拡張パックを考慮するとコストダウンのペースが早い

*5 細かくいえばゲーミングデスクトップというよりゲーミングノートパソコン部品か