周瑜

登録日:2009/06/28 Sun 00:12:29
更新日:2024/02/16 Fri 14:56:43
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周瑜、字は公謹(こうきん)。後漢末期、三国志の時代の人物。
生没年:175~210年、享年:三十六歳。
出身は廬江(ろこう)(じょ)





【周氏家位と出生、周瑜の政策活動の背景について】



周瑜の家柄は後漢時代の揚州を代表する名門で、和帝の時代に尚書令であった周栄を始祖とする。


周栄以後、代々高位の官僚を輩出。周瑜の従祖父の周景と従父の周忠は共に後漢の最高位官僚である太尉にまで昇っている。


特に周景は、後漢末期に国政を乱危させた宦官に対抗する、反宦官派の宰相として高い名声と人望を持ち、
その部下には陳蕃と李膺という、【党人】(後漢末期に宦官の積極的な政治への参加を反対し、宦官から弾圧を受けた名士)の中心人物や、
荀或の父である荀緡(こん)なども含まれ、その気意がうかがえる。
したがって揚州及び付近郡における周氏の名声は高く、周瑜は自分の政策を円滑に実現することができた。


呉では、【美周朗】と呼ばれ、楽曲の演奏中に音を間違えると周瑜が振り向く、と言われた。名門周氏の貴公子に相応しい逸話だと言える。
周瑜は美顔麗体で長身、その知慧はずば抜けていた。彼が道を歩くだけで女性が彼を取り巻き、道が通れなくなってしまうほどであった。
今でいう《ファン》《おっかけ》のような人達も多数いたようである。



【孫氏との結び付き・そして最高の《友》との出会い】



孫堅が黄巾の乱を平定に華北を転戦している間、家族は廬江郡舒県(ろこうぐんじょけん)に移住していた。

これは周瑜が、自分と同い年の孫策の評判を聞き、舒県から寿春に訪れ、意気投合した孫策に家を舒県に移すよう勧めたためであった。
周瑜と孫策は共に夢を語り合い、志を天下に広げ、終生の友情を誓い合った。
そしてすぐ、美人姉妹、大喬と小喬を互いの妻にした。
この姉妹は【江東の二喬】と呼ばれる絶世の美女だったが、惚れた二人が彼女らを拉致誘拐して無理矢理に妻にしたともいう。
若い二人には無茶なところもあったが、誠心誠意、好意をぶつけると二喬は承諾。
怜悧な美周朗と覇気盛んな美男子に婚意を告げられ、まんざらでもなかったのだろうか。
二人の友情はますます厚く、固く、強くなり、「断金」と評されるほどの篤い親交を結んだ。

一時期、丹陽太守で従父の周尚の元にいたが、孫策から誘いの手紙が来たため、周瑜は兵士を連れてこれに従う。
横江・当利、さらに秣陵を攻略し、湖孰と江乗を通って曲阿に進み、劉繇を敗走させた。

孫策は独力で呉と会稽を攻略できると判断し、周瑜には丹陽の守備を任せた。
袁術は周瑜を配下に迎えようとしたが、周瑜は袁術の先行きに見切りを付け、居巣県の長になることを願い袁術の下を離れ、
やがて198年頃に呉に帰還した。この頃、魯粛と親交を結び、呉への亡命にも同行させている。

孫策は周瑜を歓迎し、建威中郎将に任命し、兵士2000人・騎馬50匹を与えた。
さらに軍楽隊や住居を与えるなどその待遇は並外れていたといい、孫策はかつて丹陽で周瑜に受けた恩に報いるためには、これでもまだ足りないと述べたという。

牛渚の守備を任され、後には丹陽郡の春穀県の長にも任命された。
孫策は父の仇の劉表の治める荊州を制圧せんと、周瑜を中護軍に任命し、江夏太守の職務を任せ、攻略に当たらせた。
揚州北部の皖を落とし、尋陽まで軍を進めて劉勲を破り、江夏へ進撃、さらに豫章と廬陵も平定し、周瑜は巴丘に駐屯した。

尋陽まで軍を進めて劉勲を破り、江夏を討伐、さらに豫章と廬陵も平定し巴丘に駐屯した。


周瑜や程普、韓当、黄蓋を初めとする諸将の活躍もあり、
孫策は演義でその勢いと苛烈さはかの項羽*1に勝るとも劣らず、近いものがあり、遂には【江東の小覇王】とさえ呼ばれるようになった。
しかし漢朝の祖劉邦の最大の敵である項羽になぞらえられるというのは不名誉なため、孫策自身はこの呼び名を嫌った。


孫策は精強な軍を率い、周瑜に援助された兵糧と物資を使い、勢力を広げていった。
戦においては無類の強さを発揮する孫策は、周瑜が掲げ上げるべき武の象徴であり、最も尊敬し心服する人物でもあった。




【友の死】



二〇〇年。


あまりにも呆気なく、友は散った。


呉郡太守の許貢が、曹操に内応する動きを見せた。孫策はいち早くこれを察知、許貢を殺害する。
許貢の食客は孫策を恨み、狩りに出た所を襲い刃で突き刺し、重傷を負わせる。


死期を悟った孫策は孫権に跡を継がせ、後事を周瑜に託し、死ぬ。
夢と志を生き急いだ若き英雄の、早過ぎる死であった。


【周瑜、義弟の為に奔走す】

孫権が孫策の跡を継ぐと、周瑜は軍勢を引き連れて孫策の葬儀に参加し、そのまま呉に留まり、張昭と共に様々な諸務を取り仕切る。

この頃、諸将や食客の中には若い孫権(当時十九歳)を軽んずる者もあった。
また孫策と孫権の生母の呉氏も孫権に対し、周瑜を兄として仕えるよう命じていたが、
周瑜は孫権に臣下の礼を取り、規範を示したため、周囲もそれに従うようになった。

建安7年(二〇二年)、官渡の戦い、さらに倉亭の戦いで袁紹を破り日の出の勢いの曹操が、孫権の元に使者を差し向け人質を送ってくるよう命令した。
孫権は群臣達に議論をさせたが、張昭や秦松といった参謀達もはっきりとした意見を出せなかった。
孫権は心の中では人質を送りたくないと考えていたことから、母親の呉氏の元に周瑜一人を連れて、その席で議論をしようとした。
周瑜は、人質を送らずこのまま力を蓄えて天下の情勢を見極めるべきと述べ、呉氏もこれに同調した。孫権はこれに従った。

建安11年(二〇六年)、周瑜は孫瑜の軍の目付けとして山越討伐を行い、麻・保の2つの屯所を攻略して一万人余りの捕虜を得た。
その後、江夏太守の黄祖が部将の鄧龍を使って、柴桑を攻撃したが、周瑜はこれを迎撃、鄧龍を生け捕りにして江東に送還した。

黄祖陣営から甘寧が投降し、孫権に対し黄祖征伐を提案すると、周瑜は呂蒙とともにこれに賛同した(「甘寧伝」)。

建安13年(二〇八年)春、周瑜は前部大督(前線総司令)に任命され、孫呉の名だたる諸将を率い黄祖を攻める。
黄祖配下の陳就を討ち、それを聞いて黄祖は身一つで逃亡したが、孫権軍の騎兵である馮則に討たれた。


赤壁の戦い、そして永遠に続く天下への夢】



二〇八年、華北を統一した曹操は南下を開始。孫権に降伏を要求してくる。
張昭ら降伏派が優勢な中、周瑜は漢を擁護しつつ、曹操を批判し、孫権に主戦論を説いた。

演義では苦肉の計を用い、黄蓋は投降をするふりをした。
何故黄蓋なのかというと、前述のように正史では周瑜は都督となっているがこの時副都督に孫堅時代からの宿将たちの筆頭格である程普が任命されている。
新参者の方が立場が上となったことに当然ながら程普は不満を抱いたが、周瑜の方が歩み寄り程普も才を認めたことで両者の仲は改善されている。
しかしながら宿将が不満を抱いているというのは曹操軍にも筒抜けであり、投降するふりをする役に黄蓋が選ばれた。

開戦当日、黄蓋は折からの東南の風に吹かれ、速船に燃料を積み特攻。
曹操軍船団は炎上。慌てた曹操軍に孫権軍が一気呵成に突進。曹操は命からがら落ち延びていき、呉は大勝利を収めた。

赤壁で勝利した周瑜は、重要拠点、江陵に居座る曹仁と交戦。戦いは決着が着かず、一進一退のまま一年余り過ぎる。

長江の北岸に陣を据えて江陵攻撃を続行したが、この時、正面決戦の末に、周瑜は右のわき腹に流れ矢を受けて重傷を負った。
しかし重傷のまま戦に臨み、曹仁の攻撃を退け、ついに江陵から曹仁を撤退させた。
その後、偏将軍に任命され、南郡太守の職務にあたった。さらに奉邑として下雋・漢昌・劉陽・州陵を与えられ、江陵に軍を駐屯させた。



曹操が赤壁での疲弊から軍事行動を起こせないと判断し、その間に劉璋の益州を占領し、益州は孫瑜に任せた上で、関中の馬超と同盟を結び、
自らは襄陽から曹操を攻めるという計画を立て、孫権の元に出向き、その同意を取り付けた。

しかし、その遠征の準備中に巴丘にて急逝した。三十六歳という若さであった。
赤壁の戦いで奇跡の勝利を演出した名将、周瑜。その栄光からわずか二年後のことであった。
周瑜の死により、天下二分の計は瓦解、停滞した。孫権の悲劇は、周瑜を亡くしたこの時から始まっていたのかもしれない。

周瑜の死は孫権を大いに嘆かせた。孫権は龐統らに運ばれ建業に戻ってくる周瑜の柩を蕪湖まで出迎え、葬儀の費用の一切を負担した。
また、後に命令を出し、仮に周瑜と程普が勝手に奴隷を保有していたとしても、一切問題にしてはならないと言ったという。
彼の死により天下二分の計も白紙に戻され、周瑜の後は魯粛が継ぎ、以降は荊州に構える劉備との共存方針が採られることになった。



天は周瑜という人間に有り余る才能を与えたが、寿命は授けなかった。

もし周瑜が長生きしていれば、益州攻略を成し遂げていれば、歴史は大きく変わっていたかもしれない。


【子孫のその後】

江東に名を馳せた美周郎の子息だが韓当、程普、甘寧らと同じく子孫は大成せず、
子に周循・周胤・孫登の妻の三人の子供がいたが、

長男の周循は孫権の娘・孫魯班を娶り、騎都尉を拝命したが夭折。

次男の周胤は興業校尉となり、彼も兄と同じく孫氏の女性を妻に迎えた。
千の兵士を率いて公安に駐屯したが、素行が不良であったため、罪を得て廬陵郡に配流された。
諸葛瑾と歩騭、さらに朱然と全琮も周胤の復帰を要望し、孫権は周胤を赦免することを決めた。しかし、周胤は病死してしまった。

長女は孫登の妻になるもその後は不明となった。




心を燃やすは帝王の軍略、
心を包むは孫家三代
天は一個の武心に、これほど裕福な天命を与えたことがあったか


「蒼天航路」より


演義での諸葛亮かませ犬な彼を知った人たちも、今一度彼の真価を見直してもらいたいものである。



【二次創作】

周瑜は「妻(小喬)の為に曹操と戦って勝利したイケメン」として、二次創作では現代だけでなくはるか昔から大人気の存在。
中国の伝統的な三国志創作では「蜀将以外はすべてカス、ないしゲス」と言うのが定番であり、主役を引き立てるかませ犬に過ぎないのだが、そんな中で数少ない例外的存在が彼、周瑜なのである。

無論前述の通り演義ではすっかり孔明のかませ犬にされてしまっているが、あれは孔明の人気が周瑜すらかすむほどに高すぎるがためであり、周瑜の人気が低いわけでは決してない。
特に蜀の主要メンバーは恋愛ジャンルに弱く*2、そこをカバーする存在として重宝されてきたという歴史がある。

●レッドクリフ
演:トニー・レオン
吹替:山寺宏一
イケメン。主人公に抜擢された。

●横山三国志
イケメン。晩年は孔明に手玉に取られまくって、その度「おのれ孔明!」する。

蒼天航路
序盤は微妙なイケメン。なんとも軽い感じ。
しかし孫堅死後、再登場した時にはまさしく美周郎。

●白井式三国志
イケメン。軍事、内政に優れたエリートだがかなりのナルシストでもあり、孔明とは途轍もなく仲が悪い。嫁が怖い。

●コーエー三國志
武力はやや低めだが、それ以外のすべての能力に秀でるというトップクラスの能力を持つ武将。
放火魔っぷりはゲームでも健在で、戦法はたとえ曹操だろうと必ず燃やし、火計実行時に特別な補正がかかる、敵からの火計を無効化する等の特殊能力が与えられている場合もある。
難点はやはり寿命の短さ。彼が退場する頃には陸遜が後任になってくれるが、可能ならアイテム等で寿命を延ばしたい。

●三國無双シリーズ
CV:吉水孝弘
シリーズ皆勤の元祖イケメン。
「4」までは古錠刀という片刃の剣を、「5」からは長棍を振るう。
どちらの武器でも流麗な舞いを思わせるアクションが特徴。
孫作との友誼、孫呉への忠義もさることながら、愛妻・小喬とのイチャイチャぶりも見せている。

●三国志大戦シリーズ
カードバリエーションは多いがだいたいイケメン。初版は孫策と絵師が統一されているのが特徴。
コスト比率で武力が低い代わりに、カンスト知力の伏兵と独自火計を引っ提げて来る。特に天下無双のような脳筋型超絶強化デッキにはこれ1枚でメタとなり得る。
戦場の半分を縦断する長射程の「赤壁の大火」や自身の撤退と引き換えに火力・士気消費・範囲に優れる「最期の業火」が代表的。
…と言った重要計略を持つ高コストで武力が低いのに、諸葛亮らと違い武官扱いのため一騎打ちで事故るのが玉に瑕。

●一騎当千
CV:日野聡
イケメン。主人公・孫策ちゃんの従弟。孫策に思いを募らせているが彼女の破天荒ぶりにしょっちゅう付き合わされる。
実力は高いが孫策共々不遇な扱いになることがしばしば。

●恋姫無双
真名:冥琳
CV:かわしまりの
イケ…女じゃん。褐色に眼鏡の長身巨乳美女。こっちでも孫策ちゃんと仲良し。(アニメ版で孫策ちゃんとエッチしたことが判明)

●十三支演義Ⅱ
CV:森田成一
猫耳イケメン。亡き主君・孫策の後を継ぐ軟派な天才軍師。

SDガンダム三国伝
演:百式
CV:平川大輔
イケ…メンなんだろう多分。ポニテがイカす。アニメでもスパロボUXでも彼の命の終焉が物語の幕引きとなっている。

SDガンダムワールド 三国創傑伝
演:アカツキ
CV:野島裕史
イケ…メンだと小喬が言っている。ハイスペックナルシスト。三国伝に続いて金ピカの機体がモチーフ。
脳筋戦闘バカ揃いのレッドタイガー(呉に相当)の数少ない知性担当。
CVは何の因果か無双陸遜の実兄。

●CDドラマコレクション三国志
CV:速水奨
イケメンだが、演義メインなので汚い。
どっちかというと雑巾の方が美しいと言われるぐらい汚いが、そう言われると傷つく。
劉備「冗談だったのに…」

Magic the Gathering
三国志モチーフのエキスパンション『ポータル三国志』にて《呉の大都督 周瑜/Zhou Yu, Chief Commander》として登場。
相手が《島》をコントロールしていないと攻撃できないデメリット付きの青のファッティ枠として能力設定されたため、登場から20年以上経った現在でも純粋な人間としては最強のパワーとタフネスを誇っている。


追記修正は演奏ミスを聞き逃さない方にお願いします

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最終更新:2024年02月16日 14:56

*1 漢帝国の祖である劉邦と覇権を争った猛将

*2 劉備は孫夫人とのロミジュリがあるが中高年だし、イケメン青年趙雲は相手こそ多いものみんなマイナー