札幌丘珠事件

登録日:2016/07/14(木) 13:33:35
更新日:2023/05/31 Wed 13:47:56
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※この項目では実際に起こった凄惨な獣害事件を明記しています。閲覧には注意してください。


札幌丘珠事件(さっぽろおかだまじけん)とは、1878年(明治11年)1月11日から1月18日にかけて、
北海道石狩国札幌郡札幌村大字丘珠村(現:札幌市東区丘珠町)で発生した、国内史上3番目に大きな被害を出した獣害事件である。
冬眠から理不尽な形で目を覚まされたヒグマが猟師や開拓民の夫婦を襲い、3名死亡、2名重傷者という被害を出した。
記録されている中では一番古い獣害事件であるが、多くの記録や文献が残った事や、その立地からも有名な獣害事件となった。


【背景】

現在の札幌市は人口200万人弱の都市ではあるが、事件当時は定住者が移住し始めてから20年ばかりしか経過しておらず、
人口も中心部にあたる「札幌区」で3000人あまり、周辺の農村すべての人口を合計しても、8000人に満たない程で、
市域を外れるとそれこそ大森林や草原が生い茂っている様な地域だった。


【1月11日】

爾志(にし)通(現在の札幌市中央区南2条)在住の猟師・蛭子勝太郎は札幌市郊外の円山山中を散策中に冬眠中のヒグマを発見した。
早速、勝太郎はヒグマを狩ろうと試みたが撃ち損じてしまい、目覚めたヒグマの逆襲に遭って死亡する。

理不尽な形で冬眠から目覚めさせられてしまったヒグマは、飢えて札幌の市街地を徘徊し、数々の目撃情報や、
農作物、家畜の被害情報が札幌警察署にもたらされた。


【1月17日】

17日、札幌警察署警察吏の森長保が指揮を執る駆除隊が編成される事となった。

駆除隊は、豊平川の川向こうに当たる平岸村(現在の札幌市豊平区平岸)で件のヒグマを発見したので追撃を開始する。
しかし、ヒグマは月寒村(現在の豊平区月寒)、白石村(現在の札幌市白石区)と逃走。
再度、豊平川に向かうルートを取ったため、駆除隊も後を追う。
そして再度豊平川を渡り、雁来(現在の札幌市東区雁来町)までは確認したが、猛吹雪のために見失ってしまった。
これらの地は現在でこそ一面の住宅街だが、当時は畑が拓かれ始めたばかりの大森林地帯だった。


【第2の惨劇】

17日の深夜から18日未明にかけて、第2の惨劇が発生した。

丘珠村(現在の札幌市東区丘珠町)で炭焼を生業としている開拓民の堺倉吉一家と雇女一名の住む小屋が、突如としてヒグマの襲撃を受けた。
犠牲になった堺一家の家屋は、「拝み小屋」*1と呼ばれる形式の簡素な小屋だった。
なにやら異変を察知して起き出した倉吉は、筵の戸を掲げたところで熊の一撃を受けて昏倒する。
妻・リツは幼い留吉を抱いて咄嗟に逃げ出したものの、後頭部にヒグマの爪を受けてわが子を取り落してしまう。
リツは頭皮をはぎ取られる重傷を受けつつも村民に助けを求めるが、その間にヒグマは雪原に投げ出された留吉を牙に掛けていた。
その結果、倉吉と留吉が食い殺され、リツと雇女は重傷を負った。


【1月18日】

18日の正午頃、駆除隊の面々は付近の山中で加害熊を発見し射殺した。雄のヒグマで体長1.9メートル程だった。
解剖の結果、胃の中からは倉吉と留吉の毛髪や手足などが発見された。

解剖担当者の一人は、当時札幌農学校に在籍していた新渡戸稲造であるといわれている。

解剖に際して、晩年の大島正健が口述筆記させた回顧録「クラーク先生とその弟子たち」にて、以下の様に語っている。

 思わぬ材料に恵まれ歓喜の声をあげた学生たちは、ペンハロー指導教授のもとにさっそく解剖実習に取り掛かった。
 (中略)
 教授の目をかすめて二三のものがひそかに一塊の肉を切り取った。そして休憩時間を待ちかねて小使部屋に飛び込んだ。
 やがてその肉片が燃えさかる炭火の上にかざされた。
 そして醤油にひたす者、口に投げ込む者、我も我もと珍しい肉を噛みしめていたが、だれ言うとなく
 「熊の肉は臭いなァ、恐ろしく堅いなァ」という声がほとばしり出た。

 定刻になって師の呼ぶ声に一同は何食わぬ顔をして解剖室に集り、手に手にメスをふるって内臓切開に取り掛かったが、
 元気のよい学生の一人が、いやにふくらんでいる大きな胃袋を力まかせに切り開いたら、ドロドロと流れ出した内容物、
 赤子の頭巾がある手がある。女房の引きむしられた髪の毛がある。悪臭芬々目を覆う惨状に、学生はワーッと叫んで飛びのいた。
 そして、土気色になった熊肉党は脱兎のごとく屋外に飛び出し、口に指を差し込み、目を白黒させてこわごわ味わった熊の肉を吐き出した。


【剥製】

このヒグマの剥製は開拓史博物館に仮保存され、胃中の内容物はホルマリン漬けにされ、明治天皇も見学した。
その後、内容物のホルマリン漬けと共に、現在でも北海道大学付属植物園に保存されている。

事件の跡地は札幌市立丘珠小学校の敷地となった。


【余談】

当時の開拓民は縄文時代さながらの暮らしを強いられている環境でもあり、大自然に紛れ込んだ一握りの人間が、
自然の摂理を狂わせた事から、ある意味においては人災であったとも言える。

なお、ヒグマの剥製は、北海道大学付属植物園2階の見学できない場所に保管されており、展示されている剥製は別個体のものである。

被害規模としては、国内1位の三毛別羆事件、同2位の石狩沼田幌新事件程ではないものの「明治天皇がご覧になられた」という事で有名となった。
風化しかけた三毛別羆事件がメディアによって一躍有名になった事で、石狩沼田幌新事件札幌丘珠事件の存在感はやや薄まった感がある。


夫と息子を失ったリツは長らく入院し、不憫に思った行政側は彼女が再婚するまで扶助していた。
北海道開拓記念館には、老境に至ったリツの写真が残されている。




追記・修正は、大自然の驚異に立ち向かえる人のみ。


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最終更新:2023年05月31日 13:47

*1 (やちだもの木の皮をむき、ぶどう蔓でゆわえて屋根にし、熊笹とか松の枝をぶどう蔓で巻いて壁にし、床は土間で、真ん中には炉が切ってある。