ツァボの人食いライオン

登録日:2016/07/07(木) 19:44:35
更新日:2023/08/22 Tue 20:56:00
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※この項目では実際に起こった凄惨な獣害事件を明記しています。閲覧には注意してください。


ツァボの人食いライオンとは、1898年3月から12月にかけて、イギリス領東アフリカ(現在のケニア)のツァボ川付近で起きた2頭の雄ライオンの通称、及び当該の個体による獣害事件である。
この2頭は、最終的に鉄道現場総監督のジョン・ヘンリー・パターソンによって銃殺され、後に剥製となってシカゴのフィールド自然史博物館に展示された。
この事件を題材にして、映画『ゴースト&ダークネス』や、戸川幸夫の小説『人喰鉄道』などが作られた。
またパターソン自身も、事件についての実録『The Tsavo Man-Eaters』を出版している。

ある意味、アフリカの雄大な大自然と人間とが衝突した場面であったとも言える。


【背景】

当時のアフリカは、野生の王国の名にふさわしい動物の宝庫で、人の手が入った場所ではなかった。
そんな中イギリスは、植民地拡張のためのウガンダ鉄道の建設に着手。鉄道現場総監督として、ジョン・ヘンリー・パターソンが着任した。
従事する労働者の多くは、イギリス領インドから来たインド人のクーリー(苦力:黒人奴隷に代わるインド人・中国人を中心としたアジア系単純労働者の事)であった。
彼らは3年契約の季節労働者として採用されて、その数は約3万2000人にのぼった。
工事は順調に始まった様に思われたが、ツァボ川に鉄橋を架橋する工事中にこの事件が起きた。
労働者が1人、また1人と居なくなっていったのだ……!


【ライオンの襲撃】

当初「凶暴なライオンが付近に現れた」という噂をパターソンは聞いていたが、他の作業員が強盗目的にその行方不明となった者を殺害したのではないかとあまり信じていなかった。考えが世紀末すぎません?

そも、当時の労働者はテント暮らしであったが、夜間そこにライオンの襲撃を受けて、労働者の1人がテント外に引きずり出された。
テント内に残された労働者は、そのライオンの襲撃に対して何もできはしなかった。

翌朝、パターソンは残された血だまりを元にライオンを追跡したところ遺体を発見。
遺体はひどく荒らされており、2頭のライオンが遺体を取り合ったものと思われた。
この2頭はおそらくは兄弟で、現地の人からは「ゴースト」(幽霊)と「ダークネス」(暗黒)と呼ばれた。
ライオンの足跡は、川沿いの岩地で消えていてそれ以上追う事ができなかった。

その晩、再度の襲撃に備えて、当現場近くの木の上で待機していたパターソンであったが、見事に裏をかかれて、800メートルほど離れた別のテントがライオンによって襲われた。
テントがある各キャンプ地は点在しており、毎夜異なったキャンプ地を襲うライオンの先回りをするのは非常に困難だった。

対策として「ボマ」と呼ばれるイバラの垣根をキャンプ地に張り巡らしたが、ボマの薄い部分を突き破ったり、
飛び越えたりして侵入されたりして、その度に労働者がライオンに襲われるのだった。


【最初の対決】

労働者のキャンプ地の他に病院キャンプも存在していたが、襲撃を受けて別の場所へ移転。
加えて移転前の病院キャンプ地に、テントと囮となる家畜を係留し、近くには有蓋貨車を1両設置し、その中でパターソンと医療担当のブロック博士が不寝番を担った。

静寂の中、突然枯れ枝が折れる音が聞こえたので注視するも、パターソンには確信が持てなかった。
実はこの時、ボマの隙間から進入したライオンのうちの1頭が至近距離で2人を狙っていた。
足音を忍ばせて近寄ってくる物影を見たような気がしたパターソンは、躊躇いつつも暗闇に向かって銃を構えたところ、
突然ライオンが2人に目掛けて跳び掛かってきた。*1
すぐさま2人は発砲した為、銃の閃光に目が眩んだ上に銃声に驚いたライオンは逃走したものと思われた。

翌朝、ライオンの足跡のすぐそばのブロックに撃った銃弾が発見されたが、パターソンの撃った銃弾はどこにも見当たらなかった。*2


【再度の襲撃】

2頭の人食いライオンの襲撃はその後しばらく小休止していた。
パターソンは、最初の対決以降罠を張るなどしたが、空振りになるだけだった。
だが、ツァボ以外のキャンプ場ではライオンの襲撃を受けていた為、狩り場の対象から一時的に外れていただけだった。

そして、突然の悲鳴で一時の平穏は破られた。

再度ライオンに襲撃を受けた夜は、しばらく襲撃を受けずに安心しきっていた大勢の労働者が、涼を求めてテント外で就寝していたのであった。
1頭のライオンがボマを越えて進入し、労働者の1人が苦もせずに捕らえられた。
そして、ボマの外でもう1頭と合流し、テントから30メートルも離れていない地点で労働者を食べ始めた。
反撃で数発発砲したものの、ライオンは「食事」を済ませるまでその場を離れようとしなかった。

それから、毎晩の様に待ち伏せをしていたパターソンの裏をかいてキャンプを襲い、何人もの労働者が捕らえられた。
また、行動も大胆になり、それまでは1頭のみが労働者たちを襲って、もう1頭は外の藪の中で待機していたのが、
2頭一緒にボマの中に入っては労働者を1人ずつ襲う様になった。

連続する惨劇に労働者たちは恐慌状態に陥り「ライオンの餌になりに来たのではない」という尤もな理由で帰国する者も増えて、鉄道工事はストップしてしまった。

12月3日、警察長官のファーカーがインド兵20名を引率して合流。
インド兵は適当な木の上に配置され、パターソンが以前作っていた罠も利用、囮として2名のインド兵が罠の中に入った。
夜には罠の扉が落ちた音が聞こえたが、罠の中のインド兵はビビって発砲する事が適わず、近くにいたインド兵も満足な狙いを付けるられなかった。外れた弾丸が当たって扉の蝶番も壊れてしまう始末で、ライオンに逃げられてしまう。
翌朝確認したところ、罠にはライオンの血痕が少量残されているだけで、これだけ用意周到であっても、かすり傷程度をお見舞いするのがやっとだった。


【1頭目との対決】

ファーカーとインド兵は期限が来て帰国し、残されたのはパターソンのみと絶望的な状況であった。
ある日の明け方、川のそばにあるキャンプ地から労働者をさらおうとして失敗したライオンが、かわりにロバを1頭襲って殺していたと報告が入る。
武装したパターソンが直ちに向かうと、目視出来る距離に達した時、ライオンに気付かれて近くの密林に逃げ込まれてしまった。
その場にいた労働者の協力を得て、大きな音を立てながら密林を包囲する様に追い詰めると、
たてがみの無い*3巨大なライオンが獣道まで出てきたのだった。
パターソンは連発銃で狙い撃つも、1発目は不発で失敗、ライオンは別の密林に逃げ込もうとした時に、2発目がライオンに当たるも、そのまま逃げきられてしまった。

殺されたロバは、わずかに食害されているのみだったので、パターソンはライオンが再び現れるであろうと判断。
ロバの近くに3.5m程の高さの足場を作り、そこで待機した。

静寂と暗闇の中、小枝が折れる音で覚醒したパターソンは、ライオンの気配を感知した。
ライオンもパターソンの存在に気付き、足場の周囲を狙いを定めるが如くゆっくりと徘徊しながら近付いてきた。
パターソンはライオンの姿が見えない中で狙いを定めて発砲、咆吼とのたうち回る音をあげながら逃げていく方向に向けて再度発砲した。
……やがて、大きな唸り声の後に静寂が訪れたのだった。

夜明けになってからライオンを探したところ、間違いなくライオンは死んでいた。
パターソンがライオンを調べると、1発は左肩後ろから心臓を貫通しており、もう1発は右後ろ脚に当たっていた。
また、以前撃ち逃したときにライオンの牙を欠損させていたことも判明した。
たてがみは無く、毛皮はボマによって傷だらけであった。
全長は2メートル90センチ、立ったときの高さは1メートル15センチで、労働者8人がかりでキャンプ地まで運ぶことになった。

人食いライオンの1頭が死んだというニュースは国中に知れ渡り、人食いライオンの毛皮を見ようと人々はツァボに押し寄せた。


【2頭目との対決】

1頭目が死んで2~3日後に、残された人食いライオンは鉄道監督官を狙った。
鉄道監督官の小屋のベランダを徘徊していたライオンは、彼を襲うのには失敗。しかし代わりにヤギ2頭を襲ってその場で「食事」をした。

次の日の夜に、鉄道監督官の小屋の近くにある小屋で見張りをする事にしたパターソンは、囮として3頭のヤギを小屋の外の鉄製のレールに繋げた。
目論見通りに再度現れたライオンはヤギに飛び掛かり、他の2頭もろともレールごと引きずっていった。*4
真っ暗の中、パターソンはライオンのいる方向に向けて数回発砲したが、ヤギのうちの1頭に当たっただけだった。

朝になってから、数名と共に引き摺った後を追跡したところ、400メートルほど先でライオンがヤギを「食事」している場面に遭遇。
だが近付いたところをライオンに気付かれてしまい、逃げられてしまった。

再度、残されたヤギを食べに来るであろうと睨んだパターソンは、頑丈な足場を組み立ててライオンの出現を待ち受けた。
姿を現したライオンが足場の下近くを通ったとき、ライオンに発砲。見事に命中するが、そのまま藪の中に逃げられてしまった。
翌朝跡を追うと、血溜まりも多く何度も休んだ跡が見受けられたので、重傷を与える事には成功したものの、途中から岩場となっていた為見失ってしまった。*5

しばらくは姿を見せなかった手負いのライオンであったが、夜の警戒は手を抜かずに続けていた。
12月27日の夜、労働者達の叫び声で目覚めたパターソンは、威嚇射撃で追い払うことができて被害も出なかった。

翌日、パターソンは労働者達が居た木の上で待機して交代で睡眠を取っていたところ、異様な何かを感じて目覚めた。彼は少し離れたところで何かが動く気配を感じた。明るい月夜だったので、注視するとライオンの姿を確認できた。
距離を詰めてきたライオンに発砲して命中するも、致命傷までには至らなかったが、数発は確実に当たっていた。

夜が明けてから数名でライオンを追跡すると、林の中でライオンの唸り声を耳にした。
はたして、すぐ近くの藪の中からライオンがパターソン達に向かって威嚇しているのであった。
直ちに発砲するも、ライオンは逆襲してきたため、急いで木の上に登って難を逃れた。

藪へ引き返そうとするライオンに向かってパターソンはすかさず撃つと、見事に命中して前のめりに倒れた。
生死を確認しようと木を下りたパターソンがライオンに近付くと、いきなり飛び上がって驚かせたが、胸と頭に受けた銃弾のダメージでそのまま絶命したのであった。

ライオンには6個以上の弾痕があり、背中にはパターソンが10日以上前に撃ち込んだ散弾も発見された。
全長は2メートル85センチ、立ったときの高さは1メートル19センチで、このライオンも最初の1頭と同様にたてがみは無く、毛皮はボマによって傷だらけであった。

パターソンは「英雄」と称えられたが、それよりも嬉しかったのは、人食いライオンを恐れてツァボから逃亡した労働者達が一斉に戻ってきて、鉄道工事が安全に再開されたことだったという。

全ての決着が付いた時、パターソンがアフリカに着任してから9ヶ月もの日々が過ぎていたのであった。


【なぜ人食いになったのか】

当時のツァボ川とその近辺でライオンの捕食しているアンテロープ類が伝染病で壊滅し、餌が極端に不足していたのではないかと考えられている。
また、病気や事故で亡くなった労働者の遺体を岩場に遺棄していた為、その味を覚えたのではないかとも。
2頭のライオンは年齢も高めで大きな群れにも属しておらず、安定した狩りが出来なかった中、人間の味とその狩りやすさを覚えてしまい、
積極的に人間を狙い襲ってきたのではないかと推測されている。
現地人や労働者に武器を持たせない当時の植民地政策も被害を拡大させたと言われている。

なお『ライオンはなぜ「人喰い」になったか』の著者である小原秀夫氏によると、2頭は成獣になりたての若いオスライオン、それも兄弟であるとも言われている。


【被害者数】

被害者数は、労働者や周辺の原住民を合わせて28人前後という説と、パターソンの言うところの135人説が存在していたが、
米カリフォルニア大の学者が分析して、片方が11人、もう片方が24人と推定している。
パターソンの数字は、自伝の宣伝を含んで見栄を張ったものであると想像に難くないが、いずれにしても獣害事件の中では最大級の被害者数を出してしまった出来事である。


【剥製】

仕留めたライオン達の毛皮は、パターソンが家のカーペットとして愛用した後、シカゴのフィールド自然史博物館に売り飛ばしている。
その後剥製にされて、博物館で保管される事となった。
ケニア政府は、度々返還を求めているが、アメリカ政府は今のところ応じる気は無い模様。アメカスェ……


【余談】

ツァボはライオンの生息域の中でも指折りの酷暑が続く地域で、丈の長い草もなく他地域のライオンの必勝パターンが通じない上に、大型の草食動物も雨季を除いて割とまばらであるという特性がある。
それ故、オスの鬣は暑さ対策で他地域のライオンに比して非常に薄くなっているのが特徴となっており、イボイノシシなど小柄な動物を狩る事が多く群れで食べ物を分け合う事ができない故か、
一般的なライオンのようなメス主体の群れによる狩りではなく単独での狩りが多いなど、かなり異端のライオンである。

この件のオスライオンの鬣が薄いのはツァボという地域特性故であり、元から過酷な上に、群れに属せないはぐれライオンが餌不足の中、労働者の死体の山を見つけて食べてしまったがゆえの悲劇、と言えるだろうか。

なお、ウガンダ鉄道は1903年に運行を開始したが、その建設中に約2500人の労働者が亡くなっている。
人食いライオンの件は別にしても、総労働者の一割近くがここで亡くなっている訳で、人にとってもライオンにとっても過酷な環境だったと言える。


追記・修正は、大自然の驚異に立ち向かえる人のみお願いします。


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最終更新:2023年08月22日 20:56

*1 この瞬間について、パターソンは「もう一秒遅ければ、ライオンはまちがいなく貨車の中に跳び込んでいただろう」と実録に記述している。

*2 後になって、このときパターソンが撃った銃弾はライオンの牙を1本折っていた事が判明した。

*3 一応、たてがみは申し訳程度には生えていたらしい。しかし暑さ対策のためにゴロゴロしているうちに抜けてしまったのではないかと言われている。

*4 このレールはなんと110キロほどの重量である。

*5 この岩場付近に人食いライオンのねぐらがあったと見られている。