自己投影

登録日:2016/06/16 Thu 01:21:51
更新日:2023/08/20 Sun 17:44:59
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1,心理学用語で、自己の認めたくない感情を、他の人間に押し付けてしまうような精神的働きを言う。

たとえば浮気している人が、本来のパートナーに対して「あいつは浮気されるような問題があったのだ」という風に思い込むことなどが挙げられる。

自分に関係ないことでも、例えば「学校でいじめを受けた生徒が自殺した」というニュースを聞いた場合に、
「その生徒にも悪いところがあったのだ」あるいは「いじめは必ず起こるものなのだからこれが自然な状態なのだ」もしくは「この世は弱肉強食なのだからこれは正しいことで弱い奴が悪いのだ」といった風に思い込もうとすることもこれである。
なぜならば、何の罪もない人間が理不尽に酷い目に遭い苦しんで死に、それを行った悪人は何のペナルティも受けずにいる、という事実をそのまま受け止めようとすると人間はストレスが溜まる。悲観的な人間ならさらに「自分もそのような目に遭うかもしれない」と考え、これもストレスの源となる。
このストレスという認めたくない感情を回避するために、事実とは違うことを思い込もうとするのである。いわゆる「酸っぱい葡萄」などもこれに当たるだろう。

なお、インターネット上では「共感」と意味をごっちゃにされている場合があるが、これは誤用である。


2,ある物の影響が他の物に現れること意味の「投影」で作者の「自己」の影響が創作キャラに「投影」されていることを指す。

創作においての「自己投影」は、「このキャラクターや作品は、作者やファン自身の自己や理想を投影している」という文脈で使用される。
読者の自己投影は、「感情移入」や「共感」などの用語とも意味が近い。本来の心理学的な意味で「自己投影」という言葉が使われることもある。

例えばこのようなストーリーラインの物語があるとしよう。
  • 異世界に行った主人公がイケメンで、最強で無双して、みんなに肯定されて、モテモテになる話
    →異世界でイケメンで最強になってハーレムを作りたい「自己投影」
    1. 現代でブラック企業に勤めるブ男のダメ人間の主人公が、失敗ばかりで、女性には嫌われ、最後には死ぬ話
      →報われない主人公やダメ人間という存在に対する「自己投影」
    2. 女の子たちが日常をゆるゆるしてるだけの話
      →女の子になって他の女の子と一緒に過ごすのは楽しいという「自己投影」
このように究極的にはあらゆるどんな作品にも存在しうるのが「自己投影」である。

とはいえ「俺はこんな超人にはなれない」と思ったり「リアルがキツいのに創作でまでこんなん見たくねえや」だったり「女の子になるんじゃなく眺める傍観者がいいんだよ(迫真)」という感情もあったりする。
そのように受け手の多様なニーズに対し、キャラクターは別個の役割や性質を持っている事が好まれる部分がある。

類型で言えば、『シャーマンキング』の小山田まん太などは特殊な能力がない(読者的現実性の強い人物)が、主人公(霊媒能力者の麻倉葉)の友人として存在している。
ジョジョの奇妙な冒険』4部の広瀬康一は「背が高く喧嘩に強くモテてスタンドを使える」東方仗助と違い、物語初期時点で持っているものは思いやりや勇気だけである。
東方仗助が一種の理想像ならば、広瀬康一はより身近な”こうありたい”と望む意思を投影できる対象であり、その後覚醒するスタンドの運用に頭を悩ませる場面など「成長」に共感を持てる造形と言える。

ハーレムものというジャンルにも、単に多数の女子との関係性が欲しいというだけでなく、読者ごとの「好みの女子の差」があり、そのニーズによってキャラクターの多数化=分散が発生している面は指摘できよう。
(二次創作で主人公たちの性格などではなく、発生した事件の経緯等だけを変える事により恋愛関係の変更などを行うような「カップリング」や、
商業展開される非ゲーム原作のゲーム化時におけるメインヒロイン以外との恋愛・結婚等のエンディング実装など)

上記は「自己投影で楽しむ」と「客観的に見て楽しむ」の二つの楽しみ方に厳密な区別が困難である事を示している。
それは自己投影が100%ではなく、部分的なものでもありうるからだ。
例えば主人公が理想的超人であり、現実的等身大の人間=自分の分身と思えなくても、それはそれで「ヒーローならこう言って欲しい」という「理想の投影」がありうる。

そもそも創作(というよりあらゆる情報媒体)において発信者の意思が全く入らないというのは原理上不可能で、受け手にも当然それは適用されるというのもあるが。
「何も考えずただ誤字脱字や漫画ならデッサンの狂いなどだけをチェックしている」読者も皆無ではないかもだが……。

また、「キャラに自分の思想を代弁させている」「自己投影して楽しむ」ということを明言している作者や読者も存在する。


実際の使われ方

しかし現実には、「この作品は自己投影できるので好きだ」などのポジティブな意味合いより、
「この作品は自己投影が強すぎて見ていられない」とか「自己投影しているからこんな(私好みでない)展開にしてしまうのだろう」とか
「このキャラクターは大活躍しており、更にスタッフと性別が同じだから自己投影キャラだ(から作品が面白くなくなった)」などの
作品を批判する文脈で使用されることが多い。

また、基本的には「最終的に敵に勝つ」「周囲から愛される」といった、活躍するキャラに対する自己投影のみが批判され、
物語上の脇役、控え目なキャラに対する自己投影は問題視されないことが多い。

なぜこのような、批判用語としての使い方をされることが多いかというと、
前述のように自己投影は物語において必ず存在し、使用範囲が幅広く、更に自己投影・客観の区別が困難であるため、
「どんな作品にも使える」+「反論が困難」であることを兼ね備え、批判用語として便利だからではないかと思われる。

また、古くから存在する「メアリー・スー」に批判される二次創作的キャラ類型が、「二次創作において原作に作者と名前の同じキャラを登場させる」「原作を好きなように改変してしまう」など
作者の存在や人格を意識せざるをえない(=自己投影をしているようにしか見えない)存在で、
それと同様に、「作者の意思を感じるかどうか」という評価軸がそのまま広範な創作に対しても存在しているからではないかと思われる。

極端な場合には「自己投影している作品を書く作者や楽しんだりするファンは幼稚だ」など、自己投影を理由に作者やファンにまで広げた批判意見も存在するが、
実際のところ、作品の良し悪しと作者やファンの人格は別である。

例えば「作者とオリジナル主人公の名前が同じで原作キャラの性格を変えてハーレム作ってるから自己投影」という評価が下された駄作があったとして、
主人公の名前を別人に変えたからいきなり面白くなるか、ハーレムじゃなかったら必ず良作になるか、というと全然そうではないだろう。
恐らくこの場合だと「ただの自己投影じゃない駄作」という扱いになるのではないだろうか。

やる夫スレなどは「やる夫という固有名を持ったオリジナル主人公」が原作キャラとハーレムを築いている二次創作がよくあるが、読者評価は様々である。

ファンについても、仮に「自己投影的な作品とそれに自己投影して楽しむファン」というものが存在したとして
このwikiを見るような人なら「アニヲタはみんな犯罪者予備軍」といった言説に代表されるような、他人の趣味で大雑把に人格を図る行為が正しいかは、説明するまでもないだろう。

自己投影という言葉を使うとき、読者は本当に「つまらないのは作者や読者が自己投影しているから」という思いが正しいのかどうか、
逆に作者が「あなたの作品は自己投影をしているからつまらない」と批判されたとき、本当に自己投影が悪かったからそういう感想が来たのか、真摯に考える必要があるだろう。

同様に創作に対する類型の一つで、どちらかといえば批判的な意味合いで使われる言葉としては、「俺TUEEEE」「メアリー・スー」「厨二病(的な作品)」などが存在する。



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最終更新:2023年08月20日 17:44