刑務所での暴動

登録日: 2016/05/22 Sun 23:41:57
更新日:2024/04/13 Sat 20:51:46
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刑務所で受刑者が徒党を組み、自分たちの要求を呑ませるべく暴動を起こすという話は、現代日本ではあまり聞かれない。

しかし、海外、特に発展途上国では今でも頻繁に起こっているし、何十人もの死者を出すほどの大きな問題である。

最近の日本では、受刑者に対しての生活がうまく保証できているためか、暴動の話はほとんどない。
2007年に徳島刑務所で小規模な暴動が確認された程度。
だが、もし一度でも大規模な暴動が起これば、取り返しのつかないことになる恐れもある。


暴動の原因


①刑務所を管理する刑務官などによる暴力・差別などの人権侵害


受刑者を処罰し毅然と対処するあまり、刑務官は受刑者に何をやってもいいと考えだすようになり、ついには虐待に走ってしまう。
スタンフォード監獄実験という実験*1によって、刑務官にこのような心理があることは明らかにされている。
海外の場合、人種差別問題が絡んでいることもある。
また、実際には人権侵害をしていなくとも、一部受刑者の被害妄想などから人権侵害の噂が立てば暴動の原因になることは同じである。

②受刑者の要求の過剰化


親切心や更生意欲を助けるためだと考えて刑務官がある程度の要求をのんだところ、付け上がった受刑者の要求が大きくなり、後になって断ると受刑者が怒り狂いだすパターン。
刑務官個人が受刑者に丸め込まれ、気がついたらルール違反な要求を何でも聞いてあげてしまうという不祥事は、暴動より頻繁である。

③受刑者同士のいざこざの大規模化

刑務所と受刑者のトラブルではなく、受刑者同士のトラブルが暴動につながることもある。
受刑者同士でもいじめはあるし、ときにはマフィアのボス同士が同じ刑務所に入ってしまい、衝突するということもある。
両者の衝突が施設を巻き込んで大規模になることがあるのだ。刑務所としてはとばっちりに近い。

④受刑者のストレスの増大

プライバシーのない雑居房に、他の犯罪者と一緒にギュウギュウに押し込まれる。
楽しみがない。
粗末な食事。
こういった状況が重なることで、受刑者のストレスはどんどん増大していく。
一人の受刑者が人権侵害や過剰な要求で暴れたとしてもそれだけなら暴動ということにはならない。
だが、受刑者の一部が暴れた時にそれに参加する受刑者が増える原因は、刑務所という抑圧された環境によるストレスが大きいと考えられる。





もっとも、こうした暴動の真相は、なかなか明らかにならない場合が多い。

大抵の場合、刑務所や刑務官はまず情報を隠しておこうとする。
暴動の事実が洩れれば、メンツが潰れるうえに他の刑務所にまで暴動が波及する恐れもあるから、小規模な暴動であれば公表すらされない場合もある。

一方の受刑者たちは、自分の暴動を正当化したくてをつくこともあるし、話に尾ひれがつくこともある。
また、集団で暴動を起こすため、関わった受刑者の間で意識が異なっていることも珍しくない。


もちろん、刑務所で暴動を起こすことは許されないことは言うまでもない。
仮に刑務所内で違法な人権侵害が行われていたとしても、日本ならばそれを是正する仕組みは別に用意されているのだからそれを使うべきであり、暴動を正当化する理由にはならない。

だが、暴動を起こさないようにすることは、刑務所を運営していくために絶対に必要なことでもある。

刑務所で暴動が発生すると、まっさきに標的にされるのは刑務官。命を奪われる場合も出てくる。
「加わらないとリンチされる」という恐怖から真面目に服役して更生しようとしていた受刑者も暴動に加わらざるを得なくなり、更に罪を重ねてしまう。
刑務官と同様に巻き込まれて殺される可能性もある。
刑務所内の暴動は脱獄につながる場合もあるため、刑務所近隣に住んでいる人たちが危険に晒されることもある。

刑務官に拳銃を携帯させたとしても、効果はあまり期待できない。*2
例え人質を取っていても容赦なく人質ごと射殺するような国でも、やっぱり暴動は起こっているのだ。
数の暴力や受刑者たちの群集心理の前には、拳銃など無力な豆鉄砲でしかない。
それどころか、拳銃を奪われてしまえば、逆に暴動犯に武器を与えることにもなりかねずかえって危険なこともあるのだ。*3



日本の刑務所では、受刑者たちは朝から晩まで規律正しい生活を送らされる(週末の休日も例外ではない)。
一方で、季節の食事や受刑者同士のレクリエーション、図書室などの娯楽室や芸能人による刑務所訪問など、受刑者たちにも楽しみになるような行事が用意されている。
生活態度の悪くない受刑者には、外部との面談の回数や制限の緩和などある程度対応をよくしたり、釈放を少し早くする(釈放の少し前からほぼ制限のない部屋での生活にさせるなど)、出所後の再就職先の斡旋といった模範囚制度もある。
それには、こうした暴動を起こさせないという目的もある。

犯罪者を甘やかさず厳しく対応するのは大切なことだが、暴動をさせない、ということもまた、刑務所を管理するにあたっては大切なことなのである。



主な暴動


1947年9月16日 日本・静岡刑務所暴動


参加者637人、騒乱の中で受刑者は所長を脅してトラックを奪い、9人が脱走した刑務所暴動事件。

原因の一つは、受刑者の要求の過剰化。
当時は、特警隊と呼ばれる受刑者たちが刑務所管理の補助をしていた。
戦時中、健康な成人男性は兵役に出たり好景気な軍需産業に転職してしまい、刑務官が足りなくなったために受刑者自身による受刑者警備が行われ、一定の効果を上げていたのだった。
だが、戦争が終わると特警隊は刑務所内で幅を利かせるならず者集団と化し、歯止めが利かなくなったのだった。
この件も、増長した特警隊の受刑者が数日早く釈放しろと迫り、所長に拒否された途端に他の受刑者を焚きつけて暴動を起こさせたのだった。

この暴動を契機に、特警隊は廃止されている。
また、数日早く釈放を求めた受刑者は、この件を起こしたばかりに更に10年近い服役をすることになった。

1954年11月7日 日本・沖縄刑務所暴動


沖縄がまだアメリカの占領統治下にあったころ。刑務所の収容人数が突然4倍になり、受刑者は過剰な収容でストレスをためていた。
脱獄がしばしば起こり、これに伴い暴力を振るう刑務官が野放しになるなど、受刑者を管理する側の秩序も酷かった。

このストレスが、反米市民活動家(受刑者代表として政府と交渉した)が投獄される事態によって一気に爆発したといわれている。
最後は、警官隊の突入により4日で鎮圧されている。アメリカの占領統治下とは言え、日本の刑務所で鎮圧のために発砲がされた最後の件である。
受刑者たちは基本的人権を守る戦いを標榜し、交渉で代表からは人権の尊重という全うな要求がなされた。
と言っても刑務所の中は無秩序状態だったらしいが。

この件を理由に刑務所長や暴力をふるう刑務官も懲戒免職となっている。

1971年9月9日 アメリカ・アッティカ刑務所暴動


ニューヨーク州のアッティカ刑務所で発生した刑務所暴動。受刑者2200人のうち1000人が暴動に参加、看守30人以上が人質に取られた。
当局は最初は受刑者たちと交渉を試み、かなりの要求を呑むことまで約束したが、最後は決裂。
武力衝突となり、39人が死亡した。死者のうち10人は受刑者ではなく看守や刑務所の職員だった。
この暴動は、「インディアンの虐殺を除けば南北戦争以来アメリカ人の間で生じた最も血塗られた1日であった」と言われた。

原因は所内で多かった人種差別やそれに基づく虐待。受刑者の大半が黒人だったのに対し、看守の多くは白人であり
公然たる人種差別主義者で暴力が日常茶飯事と化し、さらに脱獄を試みた受刑者が射殺されたことで爆発したのだ。
当然暴動を起こしても射殺されることはわかっていただろうが、彼らの怒りは射殺されることへの恐怖をも上回っていたのである。


当局は、刑務所の管理等に問題があったとして、最終的に受刑者やその家族に総額1200万ドルの解決金を支払うことになった。
巻き込まれた看守たちの家族にも賠償金が支払われている。

2007年11月16日 日本・徳島刑務所暴動


午前9時25分、受刑者が徳島刑務所第2工場で工場備え付けの消火器を噴射。これを機に暴動が起こり、刑務官4人が負傷した。
死者が出るような事態にはならなかったが、この暴動で他の工場では作業が中止された。

原因として指摘されているのは当時の医務課長による受刑者への虐待。
意味もなく受刑者の肛門に指を突っ込んだり、挑発的言動をとったり、素人目にもわかる診察怠慢等が指摘された。
恐怖して医者にかかれなくなった受刑者から自殺者が出たり、80人近い受刑者による医務課長の告発が行われていた。
刑務所側がこれに対応しようと一部の受刑者をよその刑務所に移して沈静化しようとしたのが暴動の発端になったといわれる。

しかし、医師は検察に告発されたものの起訴されておらず、また起訴された受刑者17人は全員有罪判決を受けている。
受刑者の言い分がどこまで本当で、医務課長の言い分がどこまで本当なのかはわからない部分も多い。
近年の日本では数少ない刑務所暴動事件。

2016年2月10日 メキシコ・トポチコ刑務所


項目作成年に世紀末国家メキシコで発生した暴動。
死者の数が52人から49人に訂正されるなど、当局も混乱していた様子。

原因は、刑務所内での受刑者同士の派閥抗争。
この刑務所、受刑者で簡易サウナを作ったりバーやコンビニまで運営していたりと元々受刑者たちがやりたい放題。
受刑者同士で派閥ができるほど風紀は乱れに乱れ、その派閥抗争が刑務所暴動になった。
メキシコは警察が麻薬カルテルとつるんで軍隊が鎮圧に入らなければならないほどの世紀末な世界なので、刑務所が世紀末にならない方がおかしかったのかもしれない。


刑務所での暴動のニュースは他にも結構多い。興味があったら検索してみよう。
強烈な死体画像があったりもするので、閲覧注意でもあるが。



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最終更新:2024年04月13日 20:51

*1 実験のために看守役と受刑者役を分けてその通りに生活させたところ、看守はどんどん非人道的な虐待に走り出したというもの。ただし、実験自体に問題があったのでは? という指摘もある

*2 ただし、日本では携帯させていないだけで刑務所の保管庫には拳銃が準備されている。

*3 静岡刑務所暴動では、刑務所長は拳銃を使ったが鎮圧できなかった。