大阪ガソリンスタンド冤罪事件

登録日:2016/05/01 Sun 23:40:47
更新日:2024/03/06 Wed 22:05:49
所要時間:約 8 分で読めます




大阪ガソリンスタンド冤罪事件とは、大阪で盗んだキャッシュカードを使ってガソリンスタンドからガソリンを盗んだとして無実の男性Aさんを逮捕した冤罪事件である。

担当弁護士は「大阪府警北堺署誤認逮捕事件」と呼んでる。


逮捕~とある窃盗事件~


被疑者のAさんは、会社勤めのごく普通の人であった。
2013年1月のとある朝、いきなり家にやってきた刑事に任意同行で連れていかれ、結局逮捕されてしまった。

その警察(大阪府警北堺署)の言い分はこう。

「2013年1月12日夜から翌13日朝の間に、市内のコインパーキングに止めてあった車から、キャッシュカード2枚が盗まれていた。
そして1月13日の午前5時39分。盗まれたカードで何者かがガソリンスタンドでおよそ3500円の給油をした記録が見つかった。
当然、このカードを使った人物がカードを盗んだ人物である可能性が高い
そして、この時間帯に給油していたのは、防犯カメラの画像からAだったことが分かった。
つまり、Aがキャッシュカードを盗み、盗んだキャッシュカードを使ってガソリンも盗んだに違いない!!


要は裁判所でも使われる「盗まれた物品を事件後すぐ持っていたら犯人である」という理由なのだが、どうにもこれが腑に落ちない。

また、複雑な話になるが、盗んだカードで買い物をするのはカードの盗みとはまた別に詐欺や窃盗罪となり、Aさんが別件でも逮捕されることになってしまった。


取り調べ~疑われる理由もわからない~


Aさんは、確かに1月13日の早朝、家族とスノーボード旅行に行くついでに警察の言っているガソリンスタンドで給油した。

が、数分の時間のずれまで正確に覚えるはずもないし、キャッシュカードの盗みに関してはAさんには全く身に覚えがない。
現金で決済したAさん(一緒にいた奥さんの記憶も同)は、キャッシュカードを使った記憶自体がない。
従って、もののはずみで取り違えたキャッシュカードということもあり得ない。
困ったことに、そのときの領収書などを取っておかなかったAさんには「私はそんなキャッシュカードを使っていない」という証拠を用意できなくなっていた。

なんのことかわからないまま、無実を訴えるAさんに対し、担当の刑事からの取り調べは執拗に続く。

取り調べのための身柄拘束は一つの罪につき最長23日。
しかも、Aさんの場合「ガソリンを盗んだ罪」と「カードを盗んだ罪」が別々として扱われるため、再逮捕までされて40日を超えてしまう。

新米が中心だった刑事らは、44歳のAさんを平気で呼び捨てにした挙句、

  • 「洗いざらいやったことを話して、綺麗な身体になって、綺麗な手で子供の頭を撫でてやって下さい。今のままじゃ、あなたの手は汚れたままじゃないですか」
  • 「あなたは子供に人の物を盗ったら叱りますよね。あなたは子供さんを叱れますか。その汚れた手で子供の頭をなでてあげられますか」
  • (黙秘するAさんに)「言えないというのは普通の状態じゃないやね。言っている意味分かるやろう」
  • 「おまえはずっと悪人でいくのか。反省する気持ちはないのか。すべてお前が犯人である証拠は揃っている。いくらでも捜査は続ける。お前は普通じゃないんやで」
  • 「妻、子供、ご両親、会社の人間に『自分は何もやってない、無実なんだ。』ということができるのか、そのよう胸を張って言うことはできるか。奥さんは毎日面会に来ているが、ちゃんと目を見て話せるか。後ろめたい気持ちがあるだろう。会社、親に恥ずかしいと思うだろう」
  • 「俺の目を見て聞いてよ」

となど、何とか家族に事態を取り繕って毎日面会に来る奥さんも、警察に取り調べのだしとして使い、自白を迫り続けたのだ。(後述の国家賠償訴訟で実際の発言と認められていいる)

Aさんを信じ、毎日面会に来てくれる奥さんと弁護士の励まししか、Aさんが頼れるものはない。
奥さんは子に「お父さんは長期出張」と誤魔化していたが、家族の精神も限界が近づいていた。
取り調べに疲れ果てたAさんは、弁護士に対して「もう罪を認めてしまいたい」と弱音を吐いた。
弁護士は覚えのないことを認めるべきではないと励ますが、この時点では勝算があった訳ではない。

そしてAさんも弁護士も、取り調べの続いている段階では、警察がなぜ間違った疑いを抱いているのかは分からない。

警察は証拠は揃っているというが証拠をすべて見せてもらえるわけでもない。
機械の誤作動・誤記録?防犯カメラ画像の解析を間違えてしまった?何者かが罪を着せようとはかった?
それすらわからず、身に覚えがないと言い張るしかないままにただ疑われる。

キャッシュカード2枚とガソリン3500円分を盗んだくらいなら、たとえ有罪になったところで執行猶予はつけられ、刑務所には行かなくて済む可能性が高い。
この冤罪事件は報道もされている。必死になって戦って負けるよりも、諦めて裁判を長引かせず、前科者にはなってもとにかく釈放してもらう…。

Aさんはそんな誘惑とも戦い続けなければならなかった。

再逮捕までされ、ついに起訴されてしまったが、Aさんはなんとか罪を認めることはなく取り調べを乗り切った。
だが、起訴と同時にAさんは奥さんとの面会も止められてしまう。

「否認してるということは、犯行時一緒にいた奥さんと口裏合わせされてしまう」

と考えられてしまったのだった。

釈放へ~警察の初動ミス~


起訴された後に事態は急展開する。
起訴された後でないと記録が見られないため、弁護士もここでやっと手がかりを得たものだと思われる。

給油する前後の行動を聞き出した弁護士は、給油後にAさんが高速道路にETCで入っていたことを突き止めた。

ガソリンスタンドから高速道路まで、念のため早朝の空いている時間帯を見計らって実験を2回してみても7分はかかる。
弁護士が履歴を確認したところ、犯行時刻の僅か1分後の午前5時40分には6.4㎞離れた高速道路のETCを通過していたことが分かった。
39分00秒から40分59秒という表示の具合で約2分としても、このガソリンスタンドから高速道路に入るとすれば、自家用車では物理的に出ない時速約200㎞

さらに、弁護士は店の記録を調べた。
顧問弁護士に掛け合い開示を行った結果、Aさんと思われる午前5時34分の給油の記録が残っていた。

この給油の支払い記録は現金で、Aさんの記憶とも一致。
高速道路を通過した時間差は6分で実験ともほぼ一致。

とどめとなったのは、防犯カメラの時計。

弁護人が確認したところ、なんと8分も進んでいた。

警察も警察でガソリンスタンドでの給油時刻を調べるためにAさんの車のカーナビを調べていた。
カーナビ本体に午前5時40分という記録が残っていたが、警察は立証に役立たないと見るや、華麗にスルー*1
来店履歴管理システムについても時間のずれをチェックしていたが、「納品書に書いてある時刻は間違いなく正しい」と信じ込み、防犯カメラ『だけ』がずれていると判断。
基準の時刻自体がずれている可能性を完全に忘れてしまう。

防犯カメラや納品書の時間が正確かどうかを調べるのは捜査においては基本のキである。

さらにその前後の映像すら検証しなかった。真犯人と思しき車も映っていたにもかかわらず。

この証拠を突き付けられた検察はどうみても成立しているアリバイと証拠を前に、無実と認めて訴えを取り下げる。

だが、釈放されたAさんは抑うつを発症してしまっていた。

Aさんは誤認逮捕から2年経っても傷は癒えず、勤務しても休職と復職を繰り返すことになっているという。

その後、別の当て逃げ事件で起訴されていた男が犯行を自供。
2014年6月、窃盗や当て逃げなど計15件の罪で有罪とされ、懲役5年6月の求刑に対し、懲役5年の実刑判決が下された。


国家賠償訴訟~取り調べという名の人格攻撃~


後にAさんは大阪府や国に対して国家賠償訴訟を起こす。

結果論として冤罪になったというだけでは、国家賠償は認められない*2が、この件では警察の確認ミスや取調べがあったことが裁判所によりはっきりと示された。

裁判所は、検察官に対し
  • 「Aさんは無実を主張していたし、その中で有罪だという証拠としては、犯行時間帯を示す防犯カメラの画像が非常に重要なものだったはずだ。
    そんな重要な証拠の時間について、警察が基本的な確認を怠ったのに気付かないなどと言うのは検察官として不注意にもほどがある

と厳しく非難。また担当刑事に対しても、

  • 「Aさんを逮捕せずとも簡単にできた初歩的な捜査を怠ったことによる勘違いによるもので違法である」*3
  • 「取り調べで被疑者に説明を求めるのは捜査上仕方ない。
    だが、Aさんに行った取り調べは、頑なに否認するAさんに対して、犯人であるという誤った前提に立った上、Aさんを人格攻撃するものであり、違法だ。
    担当刑事はAさんが真犯人だとしたらそうだという趣旨だった、などと弁解しているが、たとえそうだったとしても人格攻撃であることに変わりなく、全く意味のない弁解だ」

と断罪。担当した弁護士は

  • 捜査過程には事実を探求する姿勢などまるでうかがえず、捜査の名に値しない

と手厳しい非難をくわえている。

裁判所はおよそ620万円を慰謝料としてAさんに支払うように命じた。
しかし、弁護士への依頼料に自身の治療費、減ってしまった給料分を差っ引いて支払われたのは300万円分程度。しかもこの件を巡っては大阪府警は関係者は処分されていない。*4

虚偽の自白の項目にもある通り、人格攻撃を伴う取調べは調書に残らない可能性が高く、裁判所にも気づかれないし、下手をすると担当の刑事にもしらばっくれられる恐れがある。
裁判員裁判では取調べの可視化が進められているとはいえ、窃盗は取調べの可視化の対象外だった。
確かに、かたくなな被疑者の心に語り掛けて、心の底から罪の意識を呼び起こし、反省の念を持たせることは大切なのかもしれない。
だが、取り調べの相手を呼び捨てて犯罪者呼ばわりする取り調べは、やった人間に罪の意識を呼び起こすものではなく、単なる洗脳でしかない。

たとえ真犯人に対して行ったものとしても、最低だったといえる。


人格攻撃を伴う取調べは、2年に渡って人の心に傷を残す力を持っているのだ。


しかし………

  • もしAさんがガソリンスタンドで給油した後、ETCを使うことなく一般道を使っていたら?
  • 買い物忘れに気づいてコンビニに立ち寄ったりして時間を空費していたら?
  • ガソリンスタンドの店長が逮捕されてから弁護士が調査に入るまでに防犯カメラの時刻を正確な時刻に直して、更にそのことを忘れてしまっていたら?
  • 2年の後遺症が残るほどの人格攻撃を伴う取り調べに疲れ果てたAさんが自白して、弁護士にも自分がやったのでいいと言ってしまったら?

Aさんは前科一犯となっていたかもしれない。

それどころか
「決定的な証拠をつかまれてるのに、いつまでも罪を認めない、ふてえ野郎だ。
執行猶予なんかつけないで、刑務所に行かせて徹底的に反省させなきゃな!!」
となっていた可能性だってあったのだ。








Aさんが冤罪に巻き込まれたのは不幸だったが、冤罪がわかったのは幸運の産物である。
さて、冤罪に巻き込まれた後の「幸運」で救われているのは、本当に冤罪だった人物の何割程度だろうか…


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最終更新:2024年03月06日 22:05

*1 警察が有罪立証に役立たない証拠や無罪につながる証拠を無視するのは氷見事件でも見られた

*2 刑事補償である程度の賠償は受けられるが、額は微々たるもの

*3 大阪府警も、この点の捜査を怠ったことについての落ち度は認めていた。さすがに「警察には落ち度がない」などとは主張できなかったと考えられる

*4 口頭で関係者に指導が行われ、指揮した警察官は捜査を担当しないとは報じられている。