関平

登録日:2016/02/14 Sun 19:07:15
更新日:2024/01/23 Tue 19:42:37
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三国志演義」に登場する関羽の養子。常に関羽につき従い、その副将として活躍する。
関羽が荊州で敗戦した時共に呉軍に討たれたが、最後まで義父に従ったその忠義を高く評価され、死後は周倉と共にその伴神として同じ廟に祭られている。

【登場】

初めて登場するのは二十八話、年代にして200年となる。ちょうど官渡の戦いで義理を果たした関羽が曹操の元を辞し、五関を突破して張飛と合流した直後あたり。
本来の父の名は関定と言って、田舎村の有力者であった。袁紹袁術兄弟の故郷であった汝南のどっかに住んでいたらしい。
張飛と合流した関羽は、袁紹の元にいた劉備を迎えに向かっていたのだが、その途中で宿を求めたのが関定の屋敷だったのである。
そして劉備は袁紹の元を抜け出し、その関定の屋敷において無事関羽と再会する。

関羽と仲良くなっていた主人の関定も子供たちと一緒に劉備を迎えたのだが、その夜

 関定「この子は武芸を学んでいるんですが、同姓のよしみで関羽将軍の元で働かせてもらえないでしょうか?」

 劉備「じゃあ、まず年齢を教えてくれるかな?」

 関平「18歳、学生です」

 劉備「関羽はまだ子供もいないし、同姓のよしみでこの際養子にしよう」

 関定「え・・・っ」

と、冷静に聞くとものすごい超展開で関羽の養子になる。ちなみに18歳は数え年なので、現代的に満年齢で言えば17歳である(以後、この記事における年齢はこちらに習う)

一応フォローしておくと、漢民族の伝統的な思想として「同姓=父方の先祖をたどれば同じ一族」という了解が基本にあるため、
これは「一族ならちょうどいいや」といった感じであり、現実にはあまり例がないケースではあるが、道徳上の問題点はない。


【前半の活躍】

時代はどーんと飛び、次に登場するのは208年、三顧の礼によって劉備の軍師となった孔明の初陣、博望坡の戦いにおいてである。
基本青少年のイメージがあるが実は既に26歳になっており、もう孔明と2歳しか変わらない。

この時の関平は孔明の指示に従い、劉備の養子劉封と共に伏兵として火計を担当した。夏侯惇が指揮する魏軍に決定的な打撃を与える役目というなかなか順調な滑り出しである。

次の登場は赤壁の後の210年、劉備と周瑜の荊州早獲り競争において。この時は孔明の罠にはまってブチキレる周瑜の行く手に、またしても劉封とセットで布陣するだけであった。

212年から始まった入蜀戦においては、劉備直属部隊の指揮官としてまたまた劉封と一緒に参戦。
だがこの戦ではセット運用とはいえ、冷苞を包囲したり張任を撃退したりとかなり活躍した。戦場以外でも、劉備を暗殺しようとした楊懐・高沛を二人で捕らえたりしている。

しかしこの戦の最中にホウ統が戦死してしまったため、関平は荊州の関羽の元に援軍を求める使者として赴くことになった。
これによって主戦場から離れたため、しばらく戦場では登場しなくなり、劉封との養子コンビも解消される。213年30歳であった。

とまあ、ここまでの戦果は全て養子仲間の劉封とセットであり、ソロ活動シーンは皆無といってよい。
といってもその戦果は基本的に勝利or優勢な活躍ばかりで、決して悪い扱いというわけではない。
現にこの後、コンビを解消した劉封はしばらくメインストーリーでソロ活動するのだが、情けないほどのやられキャラに転落し、なんだか解散したバンドを髣髴とさせる明暗を見せてくれる。


【後半の活躍】

時代はさらに飛んで219年、関羽の襄陽攻めでは全軍の副将に任じられる。
この戦役では最初から最後まで出ずっぱりで、戦場での活躍はもちろん、関羽の話し相手として解説役も努める主役級である。

まず緒戦となった襄江の戦いでは、敵将夏侯存を関羽が、同じく翟元を関平が、仲良く一人づつぶった斬る。何気に初めての共同作業である。
続いて今回の魏側主役であるホウ徳が出てくるが、関平は「お前じゃ相手にならん!親父を出せ親父を!」と言われながらもこれと互角に戦い、決着つかずの引き分けとなった。
この後関羽自身も挑戦に応えてホウ徳と戦うが、両者は互角の強さであり、これによって関羽=ホウ徳=関平となることで、間接的だが関平の強さも父と同レベルに達したことが示されている。

さらに更年期障害かやたらと血気にはやる関羽をなだめたり、ホウ徳のパルティアンショットで負傷した関羽を庇って無事に引き上げさせたり、負傷した関羽の代行として全軍を指揮したりと、
関羽の老いが目立ってきたこともあって蜀側の主役は実は関平なんじゃないかというぐらい活躍する。

しかし魏との戦闘の最中、同盟関係にあった呉が裏切って荊州を奪い、魏でも徐晃らの援軍が到着したことで関羽軍は一気に劣勢に陥る。
関平もまた徐晃の巧みな戦術に敗北し、廖化と共に関羽の本陣に敗走してしまう。

挟み撃ちにされた関羽軍は止むを得ず撤退することになったが、呉の呂蒙の計によって配下の兵士からは逃亡するものが相次ぎ、殆ど壊滅状態となって南の麦城にたどりつく。
城は呉軍に完全包囲されてしまっており、状況を打破すべく廖化に上庸へと援軍の使者が命じられた。
関平もその脱出を援護すべく出撃し、自ら呉の丁奉を打ち払って廖化のために血路を開いた。

しかし廖化の要請も空しく、上庸の劉封・孟達からの援軍はついに送られなかった。
万策つきた関羽は関平・趙累らと共に残る兵士を率いて強行突破を試みることになる。これが関平にとっても最後の出撃になった。

未明、関羽一向は十数騎でひそかに城を出るが、間も無く呉軍によって捕捉され、大軍に押し包まれてしまう。
激戦の中で趙累は戦死し、ついには馬忠によって関羽までも捕らえられてしまった。
関平は父を救おうとただ一人になっても戦い続けたが、ついに力尽きて捕らえられ、養父関羽と共に首を斬られた。
享年36歳。息子枠として一般的に若者なイメージだが、養子として早くから登場する演義では、設定上けっこういい年である。


【総合】

現代日本では「関羽のオプションその1」的な扱いをされることが多いが、実際は原作では相当活躍しているキャラ。まあオプションなのは事実だが。

一騎打ち戦績でも3勝1分と負けなしであるし、何より関羽と同等に戦えるホウ徳と同じく互角に戦えたのは大きい。部隊戦闘単位でも張任、丁奉など大物相手に勝ち星を挙げている。

最期なんか関羽が捕まってしまってもなお戦い続けており、最早この時点では武においては老いた関羽を越えていたのでは?と読者に思わせるようになっている。実は相当な強キャラ扱いなのである。


【正史における関平】

一応実在の人物である。しかし……

219年、関羽は子の関平と一緒に斬られた。

正史全体を見ても、なんと関羽伝のこの一箇所しか表記がない。
他には蜀記からの註に「北征前の関羽が、豚に足を噛まれた夢を見てその話を関平にした」という御伽噺系の逸話があるのみで、これ以外は完全に皆無。
年齢や経歴など、人物的な詳細がわかる情報は一切ないといってよい。当然養子という記述もないため、おそらくは実子であろう(関羽と関興の年齢差的に、養子の一人ぐらいいた可能性も無くはないが)。

一応推定できる要素として
①当時20歳前後であった関興は既に本国に出仕しており、当時の慣例から考えて恐らくそちらが長子であった可能性が高い。なので関平の年齢はそれ以下で、恐らく成人前の未成年。10代前半といったところか?
②推定年齢から考えて、また記述の少なさからしても将として数えられていたわけではなく、父の小姓的な供回りとして従軍していた可能性が高い。
おぼろげだが概ねこんなところか。といってもこれもかなり根拠の薄い推論であり、反論の余地はいくらでもある。

では当然「なぜ演義で養子設定にされたの?」ということになるが、実はこれはいまだに定説がない。
三国志演義というのは、六朝~元にかけての説話や戯曲、講談などの様々な三国志創作の集合体といっていいのだが、この設定は演義に至って突如として生まれたものであり、出所がいまだにわかっていないのだ。
「関平を関羽の『立派な養子』とすることで、劉備の『不義理な養子』劉封と対比させ、関羽の義を強調しようとした」
「本来は親子の情愛が薄いはずの養子に、命をかけて尽くされるほど立派な人だった、とすることで関羽の義を(ry」
「『劉備・関羽・張飛は義兄弟の契りを交わすとき、足手まといにならないように妻子を37564にした』という設定が昔からあったため、それと整合性を取るための名残」
などと様々な説が出ているが、どれも物証がなく推論の域を出ない。

【逸話】


『子孫が生きてる?』

代に編まれた地方志(地方ごとの地理/歴史書)に、
趙雲の娘が関平に嫁ぎ、その子供は姓を変えて江陵に隠れ住み、子孫を残した。そして今より100年ぐらい前、その子孫が関羽の直系として認められ、子孫として関羽の廟を奉ることを許された」
という記述がある。非常に歴史ロマンのある話だが、その廟自体、演義キャラの周倉が一緒に奉られてるようなレベルの代物である。
江戸時代の武家の由緒話、あるいは日本各地にある弘法大師の井戸のようなもので、歴史的な信憑性は残念ながら薄い。


【他の創作作品における関平】


日本では三国志関係の創作といえば演義系統がメインだが、本場中国の三国志創作の歴史においては、むしろ講談や演劇のような雑多な創作の占める割合のほうが大きかった
これらの方が起源においては古いため、そういった作品の系統には後発の演義の設定が入ってきていない例も多い。

●『三国雑劇・講談・評話』
「関帝聖君」と呼ばれる関羽に対して「関平太子」と呼ばれる。
この手の作品では、関羽や張飛には及ばないもののかなりの人気者。特に演劇系ではおっさん~じいさん確定な関羽・張飛らに比べ、関平は若いイケメン担当なので、エンタメ上重要な存在でありアクションシーンなどでも非常に目立つ。
特に関羽の最期を描いた京劇「走麦城」などでは、事実上の主役として関羽以上に大活躍する関平を見ることができる。(比較的メジャーな演目なので、動画サイトなどでも見つけられるぞ)

これらは起源において演義成立以前にさかのぼるものも多く、今に残る演目の中にも養子設定であることの方が少ない。
実質的に演義生まれといえる関興はこの手の作品ではあまり出てこないし、関索物もキワモノの部類に入る希少作品なため、基本「関羽と共演するその息子兼オトモ」として出番独占状態である。

関羽のオマケのような役から主役級まで幅広い立ち位置だが、悪役・ハズレ役を担当することは少ない(チョイ役は結構ある)。
地方劇や評話では主役になることも度々で、実はハーレムで有名な弟さんより嫁が多いぐらいである。
父親の死後も生き延びて活躍する作品も多く、夷陵などで大暴れすることも。


●『三国志平話』
演義の直截的な原型となったお話。
この頃の関平はまだ雑劇や講談の影響が強く、養子という設定もないし、父と一緒に死ぬこともない。
関羽の生前は殆ど登場せず、その死後に跡を継いで活躍する(といっても演義に比べると大分おとなしい)キャラとなっている。演義で言えば関興の立ち位置に近い

この創作100%な関平像を改め、史実における「麦城で関羽と一緒に死ぬ」という前提の下に、年齢や登場時期など含めて一から再設計されたのが演義の関平であると言える。


●『横山三国志』
若者らしい清潔感のある白頭巾関平。恐らく出典は中国の連環画。このイメージが強かったのか、コーエーでの関平も基本頭巾である。
吉川三国志を元にしているため、待遇は最期まで関羽の影に隠れてちょっと控えめ。関興の方が目立ってる感がある。
アニメ版の声優は辻谷耕史。元々山賊で周倉の手下になっていた(恐らく原作の演義における郭常のドラ息子の要素が入っている)が、劉備の脱出を助けた縁と趙雲に一人で立ち向かった勇気を買われて養子になる。
漫画版に比べて優遇されており活躍の場も多く、香蘭(演義でいう甘夫人)の侍女とイイ感じになっていた。

●『人形劇三国志』
元々「勝平」と言う名で父を探していたが、後に父の死を知り、関羽の養子となる。
関羽の死に際して使者役を務めたため生き延び(演義では廖化の役割)、北伐にも参加する。
演義の関興の役割ももらっているが、諸葛亮が死ぬまで関平は健在であった(関興は演義でも諸葛亮より先に死亡している)。

●『蒼天航路
量産型関羽試作1号機。基本的には正史の設定に準拠しており、実子で年少。
しかしその強さは演義並かそれ以上で、プチ関羽として満寵に「恐るべき血統」と言わしめる戦才を示した。麦城脱出時の趙累とのやり取りは人気が高い。


●『覇~LOAD~』
呂布が父親母親が趙雲である。な…何を言っているのかわからねーと思うが(ry


●『コーエー三國志』
父親には全く及ばないが、なかなかの強キャラ。彼を含め関羽の子供たちは皆高性能だが、下の方に行くに従って武力が高くなり、逆に統率力が低く頭が悪くなる傾向にある。
関平は統率と知力が高いバランス型で、総合能力値は最も高く、能力傾向としても最も父親のバランスに近い。
顔はコロコロ変わっているが、基本的に実直そうでイケメン気味。前述の通り頭巾姿なことが多く、馬超の獅子顔兜鄧艾のドンタコス帽に匹敵する関平のトレードマークといえる。


●『三國無双』
CVは中尾良平。基本的に演義準拠で、養子設定。関ファミリーの中で一人だけ血が繋がっていないはずなのに、誰よりも義父に顔が似ている。どういうことなの・・・

4で青春系若武者として脱モブ。なかなかの高性能専用モーションを与えられ、猛将伝ではパッケージ担当も勤めるなど優遇される。キャラ人気も上々だった。
5では人員整理が行われる中無事続投したが、武器はコンパチで列伝もなくなるなど、やや扱いが悪くなった。
さらに6では勢力ごとのストーリーモードスタイルに回帰したのだが、操作可能ステージがゼロという哀しいことに。
そして7ではさらに悪化し、蜀勢の中では操作可能ステージがKY娘と並び最少となってしまった……太史慈二世爆誕

とストーリー上の扱いはものすごい勢いで悪化しているが、一貫して性能は高めをキープしているので、その点はまあ恵まれている。

演義で共闘する劉封や、関羽の側近たちはいまだ脱モブしていないので、相方が必要なときは劉禅の皇后となった張飛の娘達…を元にしたオリジナルキャラクター、星彩とからむことが多い。
6で(元ネタの)夫の劉禅が脱モブしたため縁が切れたかと思いきや、OROCHI2では想い人呼ばわりされたり、7では南中でいちゃついたりとまだまだ逆ハーレム的キープをされている模様。
さすが乙女ゲーの古豪コーエーである。

7では関興に加え、京劇出身の義妹である関銀屏が脱モブ。
張苞義兄弟ペアを組む関興鮑三娘リア充ペアを組む関索に対し、関銀屏は相手がいないため関平がペアになることも増えた。
義理の妹の。血の繋がっていない妹の。天然キャラでミニスカな妹の。爆破だ!


●『無双OROCHI』

無印では戦国シナリオで主役級の活躍を見せたが、その反動か以後のシリーズではかなり出番が控えめ。
性能はゲームバランス同様かなり乱高下しており、無印ではトップ3に入る実力をもっていたが、2の頃には中の下ぐらいになっている。

無印で共演した信長との縁は深く、全タイトルで専用会話がある。
殆ど織田軍の一員として溶け込んでおり、「蘭丸の変わりに信長のウケ小姓になっている」といわれるほどである。



関平:「父上、準備は整いました」
関羽:「うむ。機が熟せばアニヲタが竜となり追記:修正しよう」
関平:「父上…この戦が終わったら、拙者に碁を教えてください」
関羽:「…うむ、息子と打つ碁、さぞ面白かろうな。さあ、参ろう!」

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最終更新:2024年01月23日 19:42