エンタープライズ(CV-6)

登録日:2016/02/02 (火) 23:48:59
更新日:2023/07/06 Thu 23:14:43
所要時間:約 27 分で読めます




エンタープライズ(USS Enterprise CV-6)は、第二次世界大戦中に活躍したアメリカ海軍の航空母艦である。



概要

ヨークタウン級の航空母艦2番艦。
「ビッグE」の他、「ラッキーE」「グレイゴースト」「ギャロッピングゴースト」の愛称で知られる。
ちなみにエンタープライズを直訳すると「冒険」。「困難への挑戦」という意味も含む。
この艦の戦歴を知ればこれほど相応しい名はないだろう。




性能

全長252m
速度32.5n
排水量21.000t

基準排水量は日本海軍の蒼龍・飛龍と翔鶴型の中間程度であり、カタログスペックの上では特筆すべきところはない。
搭載機数も80機と日本海軍の空母を上回っているように思えるが、これは日米における艦載機の違いによるところが大きい。

アメリカ海軍でもヨークタウン級は軍縮条約制限下に建造されたものであり、後に大量産されたエセックス級と比べればかなり戦力的に格落ちなのは否めない。
(ちなみに日本の蒼龍、アメリカのヨークタウン、イギリスのアーク・ロイヤルの三隻はそれぞれの国で近代空母の完成形となったことで高く評価されている。
 以後各国の空母は全て彼女らの発展型として建造される。)

艦歴


  • 建造
1934年7月16日にニューポート・ニューズ造船所で起工され、1936年10月3日に進水。
アメリカ海軍において「エンタープライズ」の名を受け継いだ艦としては7隻目。8隻目となる原子力空母も同じ造船所で生まれている。
その後は太平洋艦隊に配属となり、真珠湾を拠点に航空隊の育成や航空機輸送を務めるが、運命となる1942年12月7日に最初の幸運が訪れた。

  • 真珠湾攻撃
ウェーク島に戦闘機を無事送り届けたエンタープライズは、7日朝に真珠湾に帰投する予定だった。
ところが帰路の途中洋上で天候不良により給油作業が長引くというトラブルに見舞われ、真珠湾入港が予定より8時間ほど遅れてしまう。

まさにそのトラブルの最中、真珠湾は日本海軍が誇る空母機動部隊によって襲撃を受けているところだった。

最悪のタイミングでの真珠湾入りを免れたエンタープライズだが、即座に敵艦隊の索敵を始める。
この時のエンタープライズは偵察爆撃隊をオアフ島に帰投させていたため目の利かない状態であり、
仮に発見できたとしても当時世界最高峰の南雲機動部隊を相手にできる戦力はなかったため、敵艦隊に発見されることは絶対に避けねばならなかった。
幸運にも無線観測所の判断ミスで敵艦隊の位置とは正反対の方向へと舵を切り、結果的に無事仲間の艦隊と合流することができた。

ちなみに短期決戦を想定していた日本軍にとって真珠湾攻撃で主力空母2隻を討ち漏らしたのは痛恨事であり、事実エンタープライズは復讐者として立ちはだかることになる。
しかし大本営はこの攻撃でエンタープライズを「不確実ながら撃沈」と発表している。大本営ェ……。

初戦果を挙げるのは後日の哨戒任務中。相手はなんと潜水艦の「伊70」。太平洋戦争では日本側における最初の戦没艦でもある。



その後1942年に入って、相次ぐ苦戦による士気の低下に頭を悩まされていたアメリカは空母による強行空襲を仕掛けることを決める。
そこで、エンタープライズは姉のヨークタウンと組んでマーシャル・ギルバート諸島の日本軍基地を爆撃したことを皮切りに、陥落したウェーク島、南鳥島への空襲を行った。


これらの作戦が成功したことを受けて、軍は今度はある作戦を命じた。
そう、首都強行空襲である。

  • 日本本土空襲(ド―リットル空襲)
作戦は4月中旬に決行し、爆撃のためのB-25部隊を乗せた妹ホーネットと合流、エンタープライズとわずかな護衛艦を連れ、首都東京に空襲を敢行、見事初の日本本土空襲「ドーリットル空襲」を成功させた。
この空襲は当然ながら大本営に大いな衝撃を与え、敵空母殲滅を視野に入れたミッドウェー島攻略作戦の実行を急がせたと言われている。

当然ながらこのころの日本近海は日本が制海権を握ってる状態である。
どれほどの勇気が要るかは語るまでもないだろ。というかタフィ3といいこいつらといい、アメリカ軍はいざというときに見せる度胸がすさまじい…。



ちなみに大本営発表では「2月21日、エンタープライズ級空母1隻を撃沈」とあるが、もちろんそんなことはない。


迎える5月8日、ポートモレスビー攻略を狙う日本海軍と競り合いとなり、珊瑚海海戦が勃発する。
この海戦は日本側の空母翔鶴、瑞鶴、祥鳳の3隻の空母をアメリカ側のレキシントン、ヨークタウンが待ち伏せするという形で勃発し、
この海戦は人類史上において、初の空母同士の戦闘となった。

が、エンタープライズと姉妹艦のホーネットはド―リットル空襲を終えて、母港へと帰投途中に海戦が勃発してしまい、
全速力で救援に向かったものの、日米初の空母同士の海戦に間に合うことなく終結してしまう。
この戦いは戦略的にはアメリカの勝利に終わったが、姉のヨークタウンは傷を負い真珠湾を共に生き延びた空母レキシントンが失われ、
熟練パイロットが多数戦死と、被害は日本側に比べても甚大だった。




エンタープライズが初めて大規模な海戦に参加するのは6月。
世界最強と謳われる南雲機動部隊を相手に日米の命運を分けて激突する、ご存じミッドウェー海戦である。

  • ミッドウェー海戦
日本側は珊瑚海海戦での米軍の損害から、ヨークタウンは最低でも3か月はドック入りは免れないと推測し、
米軍が繰り出せる空母はエンタープライズとホーネットの2隻のみ、良くて軽空母ワスプ程度と想定していた。
そのため、無傷だった瑞鶴の復帰を待たずして一航戦、二航戦で出撃することとなった。

ところが3ヶ月はかかると言われたヨークタウンは損傷修復をドック入りしてからわずか3日で切り上げ、
失ったパイロットは自身の航空隊の生き残りと珊瑚海に沈んだ僚艦のレキシントン、開戦初っ端に被雷してドック入りのサラトガから無理矢理補充し、
工作艦の人員を乗せて移動中でも修理しながらという形で前線に駆り出された。

当然ながらいくらアメリカがチート国家でも、空母のような大型艦の修復は3日程度で終わるはずがなく、
船体に空いた穴をどうにか塞いだ程度であり、速度もろくに出せていなかった有り様であった。

乗組員の回想によれば修理はいい加減な間に合わせでしかなく、内部隔壁は破壊されていたりずれていたために水密性も大きく悪化、
戦闘機も従来のF4F-3から新たにF4F-4が搭載されたが、F4F-4を整備した事がある整備士も整備マニュアルもなく、整備は出航後も突貫で行われ、
またパイロットも照準器が未調整だった上に、機銃を2門追加した事による運動性低下に対する完熟飛行は無し、
都合3空母のパイロットの寄せ集めで1つの部隊としての訓練も無しという状態であったという。

そんな有り様だったが、〝存在しないはずの3隻目の空母”は日本軍にとっての最大のイレギュラーとなった。

5月28日、日本軍によるミッドウェー諸島への攻撃を察知したエンタープライズとホーネットは真珠湾を出撃。
続く5月30日にボロボロの空母、ヨークタウンも真珠湾を出撃した。
そしてこのミッドウェー海戦はヨークタウン級三姉妹が一堂を会して海戦を迎えるのはこれが最初で最後となる。



この戦いにおいてもエンタープライズの幸運は遺憾なく発揮される。

エンタープライズ所属の艦爆隊、マクラスキー隊は発艦に手間取り艦戦隊や艦攻隊とはぐれてまったく別方向へと進撃してしまう。

目標を発見できず燃料切れの危険が迫る中、『勘』で方向を変えたマクラスキー隊が捉えたのは零戦の群れに苦闘する味方の艦攻隊と、
低空の艦攻隊に気をとられ高空への警戒が手薄になっている南雲機動部隊だった。

艦爆隊にとっては絶好の、そして敵艦隊にとっては最悪のタイミングで現れたマクラスキー隊は、
航空母艦「加賀」に急降下爆撃を仕掛け、壊滅的な損害を与えてこれを撃沈。
同じく「赤城」も同隊の数機が爆撃し、のちに沈没させている。

蒼龍」もヨークタウン艦爆隊の命中弾3発により撃沈。
しかし「飛龍」の反攻が凄まじくヨークタウンは一時航行不能になるまで追いつめられるが、
姉の艦爆隊を借り受けたエンタープライズの攻撃により大破炎上させ飛龍を葬っている。


余談だが、ヨークタウンは飛龍の第一波を受けても立て直したため、第二波の際には「無傷の空母」だと誤認され再び攻撃にさらされている。
結果的にエンタープライズたちへ向かうはずの猛攻を引き受ける形となった。
ちなみにこれでも沈んでいない&珊瑚海海戦の傷も癒えていない状態だったという……ひとえにアメリカ艦のダメコン能力とクルーの奮闘の賜物といえよう。

南雲機動部隊を壊滅させ真珠湾での雪辱を晴らしたエンタープライズだったが、必ずしも完全な勝利と呼べるものではなかった。
総員退艦するほどの痛手を負いながらも機関が復旧したことで、かろうじて息を吹き返していたヨークタウンは潜水艦伊168によって撃沈されてしまう。

また、ミッドウェーは日米の明暗を分けた海戦とされているが、常に最前線で戦い続けるエンタープライズにとって本当の困難はこれからだった。

なお日本では大本営クオリティーにより、エンタープライズの三度目の撃沈が発表されている。


ミッドウェー海戦後、ソロモン諸島方面での反攻作戦を支援していたエンタープライズはレキシントン級空母2番艦サラトガ、
軽空母ワスプとともに北方から襲来してきた日本海軍の第三艦隊と剣を交えることとなった。

この空母ワスプはもともとは準ヨークタウン級として建造を予定されたものであり、最終的にはヨークタウン級と軽空母レンジャーの両方の設計を流用した空母となった。
ある意味においてはエンタープライズにとっての従妹というべき空母である。

  • 第二次ソロモン海戦
この戦いでは翔鶴隊の攻撃によりエンタープライズは爆弾3発を受け中破。戦線離脱と本格的な修理を余儀なくされる。
これが因縁の宿敵である翔鶴瑞鶴との初対決であり、日本軍の作戦は阻止したもののエンタープライズにとっては苦い初黒星となった。
なお、この戦いでサラトガは単艦で龍驤を抑え、沈めている。サラトガは欠席しがちだけどやるときはやれる子なのです!

しかしその後サラトガは潜水艦の攻撃により大破し3ケ月の修理をする羽目に。サラトガェ…
ワスプも同じく潜水艦の攻撃に見舞われ沈没など、米海軍の航空戦力に暗雲が立ち込めはじめる。
エンタープライズは姉のヨークタウンに続いて従妹のワスプも失ってしまったのである。
しかし悲劇はこれで終わらなかった。


  • 南太平洋海戦(サンタクルーズ諸島海戦)
10月にはホーネットと半年ぶりの任務部隊を編制、ガダルカナル島をめぐり日本海軍の空母機動部隊を含む多数の水上艦艇と激突する。
ミッドウェー海戦の教訓を生かし索敵が強化された敵機動部隊は手強く、
エンタープライズから先に発艦した偵察機は瑞鳳を発見、これを奇襲し発着艦不能にさせるも、
今度は虫の知らせを聞いたかの如く母艦が攻撃されたことを察した瑞鳳隊が突如反転、後からやって来たエンタープライズの攻撃隊に奇襲をかける。
これによってエンタープライズ隊は壊滅というあまりにも大きな痛手を受けてしまう。

損傷したエンタープライズ隊は敵空母への攻撃を断念し、周辺索敵へと切り替え、発見した巡洋艦筑摩に攻撃を行い筑摩を中破に追い込む。
その後エンタープライズ隊は帰投するも、雷撃機の1機が着水してしまい、駆逐艦ポーターが救助に向かう。
しかしその際に雷撃機の魚雷が誤作動を起こし、あろうことかポーターに命中。駆逐艦ポーターは自沈処分される羽目になった。

妹のホーネットも中破した筑摩を爆撃して撤退させ、翔鶴に爆弾4発命中させ大破へと追い込み、撤退させる活躍を見せる。
が、スコールの下に入ったことで攻撃の手を逃れたエンタープライズの代わりに入れ違いで殺到した瑞鶴の艦爆隊、翔鶴の艦攻隊、瑞鳳の攻撃隊がホーネットに集中してしまい、
爆弾3発、魚雷2本命中、さらに瑞鶴隊のうち2機の体当たりを受け、電気系統が全滅、大破炎上する最悪の事態となった。

一方、エンタープライズたちの前には翔鶴の艦爆隊が現れ、これらの攻撃を受けてエンタープライズは2発の直撃弾と数発の至近弾を受ける。
一発は前部左舷の甲板を貫通、舷側水面付近を穴だらけにされ浸水と火災が発生、格納庫で爆発したもう一発の爆弾は居住区と予備の艦載機をまとめて吹き飛ばし、
アイランドの近くで爆発した至近弾によって甲板上のドーントレスを海に放り出された挙げ句、各所から出火。

その対応に追われる間に瑞鶴の雷撃隊が出現し、雷撃を行うがエンタープライズはこれに正面から突進し魚雷の間をすり抜けて回避する。
この際、進路上に瑞鶴の雷撃隊の攻撃を受け炎上した駆逐艦スミスがあり、危うく衝突しかけるもどうにかかわすことに成功。
ちなみに駆逐艦スミスは戦艦サウスダコダが生み出す巨大な水しぶきに突っ込み、それを利用して鎮火させるという荒業をやってのけた。

そうこうしているうちに、さらに隼鷹の攻撃隊が飛来。
エンタープライズはどうにか至近弾1発に抑えたが、サウスダコダと巡洋艦サンジュアンはそれぞれ1発づつもらってしまう。
サウスダコダの損傷自体は大したことはなかったものの、数分間操艦不能となりエンタープライズに向かって突進、危うく衝突しかけたところをエンタープライズがどうにか回避した。
のちに南太平洋海戦(米側呼称サンタクルーズ諸島海戦)と名付けられたこの戦いは史上稀に見る空母同士の壮絶なる殴り合いとなった。

戦闘が一段落したところで、巡洋艦ノーザンプトンはホーネットの曳航を試みるが、そこに航続距離に余裕がないことを承知した上で追撃に来た隼鷹の攻撃隊が接近、ノーザンプトンは曳航をあきらめ撤退、ホーネットに魚雷が1本命中する。
その後、瑞鶴の攻撃隊により爆弾直撃弾1発、至近弾多数を受け、アメリカ軍はホーネットの放棄を決定。
再度追撃に来た隼鷹隊がエンタープライズを捜索するも発見できず、ホーネットに爆弾をもう1発命中させて撤退。

ホーネットの戦闘力喪失とエンタープライズの損傷の一方で、日本軍には無傷の空母が残っているという状況で、採りうる選択肢は撤退しかなかった。
更なる追撃が迫る中、ホーネットの艦載機を可能な限り収容したエンタープライズは退避していく。
これが妹との最期の別れとなり、ヨークタウン級空母は彼女一隻を残すのみとなった。

余談ながらこの戦闘において、ホーネットは戦闘中に爆弾5発、魚雷3本、体当たり2回を受け、アメリカ軍が雷撃処分のために撃った魚雷9本(ただしほとんど不発)、そして5インチ砲を約400発命中させるも沈む気配を見せず、
さらに追撃に来た日本軍からも駆逐艦秋雲の12.7㎝砲を吃水線下に24発と魚雷3発を受けている。
そこまでやっても秋雲がスケッチを終えるまで沈まなかったのである。
ヨークタウン級は理論上水中防御が貧弱なはずなのだが…どいつもこいつも恐ろしいほどにしぶとい…。

なお、この戦いでも日本側はエンタープライズ撃沈を報じたが……まあ、今回ばかりはしゃーない。
虚報ではなく戦果誤認だし。

サンタ・クルーズでの敗北はアメリカにとって深刻なものであり、ホーネットの撃沈とエンタープライズの損傷は、
先のサラトガの被害とワスプの撃沈と合わせてソロモン諸島周辺、そして太平洋において稼働可能な空母が一時的にゼロになったことを意味している。
この危機的状況は「史上最悪の海軍記念日」と呼ばれた。



















「……そして1隻の応急修理された航空母艦があった。」

南太平洋戦線 海軍少将 トーマス・C・キンケイド



……え?
あの、飛行甲板に大穴空いてるんですけど。あとエレベーターも動かないんですけど……。


なんとエンタープライズは中破した状態にもかかわらず、ガダルカナル島周辺の防衛のために駆り出されることとなる。

  • 第三次ソロモン海戦
10月30日から応急修理を始め、11月11日には工作艦ヴェスタルの修理要員を乗艦させたまま急行、道すがら修理を行いつつ、そのまま第三次ソロモン海戦に参加した。
負傷を押しての厳しい出撃だったが、これが功を奏しアメリカが動かせる空母は皆無と睨んでいた日本軍司令部の裏をかく形となる。
日本海軍が投入した空母は隼鷹一隻のみ。さらにヘンダーソン基地航空隊との交戦により消耗が激しく、
ここにだめ押しでエンタープライズが参戦したことにより米側の航空戦力が大幅に上回った。

この海戦で重巡「衣笠」を撃沈し、さらに損傷していた戦艦「比叡」の離脱を妨害して沈没に貢献している。

この時エンタープライズは水密が完全でなく、ひとたび浸水すれば一気に沈没へつながりかねないほどだった。
また前部のエレベーターの修理も突貫工事で、迂闊に動かして故障を起こせば発艦すらできなくなるので使用禁止になっている。
そのため艦載機の出撃もままならず、敵に発見されれば迎撃機を展開する暇もなく袋叩きにされかねない状態だったが、
持ち前の幸運からか敵攻撃隊と鉢合わせすることはなかった。

続くレンネル島沖海戦でも未だ修理が完全でないにも関わらず、
ガダルカナル島へ向かう輸送船とその護衛艦隊を日本海軍の基地航空隊から守り被害を抑える活躍を見せた。



日本からすれば叩いても叩いてもしぶとく生き延びて戦場に舞い戻ってくる悪夢に他ならなかったが、
アメリカにとっては幾度の損傷を受けながらも不屈の精神で戦い抜き、
ソロモンの空を守り続けた守護者としてニミッツ大将から空母で初の大統領感状を授与されている。



1943年の夏から秋にかけて、エンタープライズに束の間の休息が与えられた。
といっても度重なる戦闘で受けた損傷の修復と、ヨークタウン級に共通する水雷防御の脆弱さの改善、レーダーや兵装搭載のための大規模な改修だが。

11月に戦線復帰を果たすものの、この頃になると戦争の趨勢はほぼ決しており日本軍の衰退は著しくかつての勢いは失われていた。
さらにエセックス級やインディペンデンス級といった多数の空母が前線へと配備されていき、
もはやエンタープライズのような旧型艦の活躍の場はなくなりつつある―――



わけがなかった。



11月20日、アメリカ軍はギルバート諸島攻略のためガルヴァニック作戦を発動。
エンタープライズも11隻もの空母のうちの1隻として従事する。
この戦いでは日本側から陸上攻撃機部隊による夜襲を仕掛けられているが、エンタープライズは夜間戦闘機隊をもってこれを迎撃。
史上初めてとなる空母搭載機による夜間撃墜記録を打ち立てた。

年が明けて1944年にはマーシャル諸島上陸および占領支援のためにトラック島空襲を敢行。
2月17日未明に発艦されたエンタープライズらの攻撃隊はトラック泊地を容赦なく蹂躙し、
軽巡「那珂」「香取」、駆逐艦「舞風」「追風」「太刀風」「文月」などを含む艦船40隻を撃沈せしめ莫大な数の航空機を破壊。日本軍に甚大な損壊を与えた。
さらに夜半になるとアヴェンジャー12機を発進させ、これまた史上初の艦載機による夜間雷撃に成功。
息つく暇のない空襲により日本側を完全に疲弊させている。



トラック泊地を壊滅させた後もエンタープライズは中部太平洋を暴れまわり、パラオ・マリアナへと進撃しつつ各基地や飛行場を叩いていく。
ディセクレイト・ワン作戦に伴って行われたパラオ大空襲では駆逐艦「若竹」率いる船団を全滅させ、停泊中の多数の艦船を撃沈してみせた。
豪運ぷりも相変わらずのようで、一式陸攻から放たれた魚雷が機関部直撃という轟沈しかねないピンチを迎えているが、まさかの不発により難を逃れている。


  • マリアナ沖海戦
6月になるとマリアナ諸島攻略のために出撃、ソロモン以来の日本海軍との大規模海戦に参加する。
日米ともに多数の空母が投入されたマリアナ沖海戦では、エンタープライズを苦しめてきた翔鶴・瑞鶴の姿もあった。
しかしベテランパイロットを多数失い練度不足に悩まされ、航空機の性能でも差をつけられた日本の機動部隊にかつての強さはなく、
アウトレンジ戦法をとった敵機はヘルキャットの群れがことごとく食いつくす結果に終わる。
とはいえ、敵空母を発見できずにいくらかの未帰還機を出してしまったあたり、一応アウトレンジ戦法は全くの無意味でもなかったのかもしれない。

この戦いにおけるエンタープライズの戦果は敵攻撃隊を多数撃墜するだけに留まったが、米潜水艦カヴァラとアルバコアの活躍により翔鶴と大鳳が撃沈。
しかしアメリカ側は翔鶴と大鳳が沈没したことを知らず、レイテ海戦に至るまでまだ健在だと勘違いしていた。

主戦力を欠いた日本軍が撤退を始めると、これの追撃を開始する。
翌20日には撤退する日本軍をエンタープライズ隊が発見。これに攻撃を加えて隼鷹と龍鳳に損傷を与え、「飛鷹」を撃沈させるに至った。



マリアナ沖海戦で大勝利をおさめ、日本軍の航空戦力を大幅にそぎ落とした米機動部隊はさらに進撃を続けていく。
エンタープライズも沖縄、台湾、フィリピンなどへと連続的な空襲を行い、多数の航空機や港湾施設に被害を与えている。
また、夜間防空の要となって反撃してきた日本陸海軍の基地航空隊を返り討ちにしてみせた。


  • レイテ沖海戦
十月にはレイテ島攻略に乗り出したアメリカ軍に、帝国海軍の総力をあげた大艦隊が差し向けられる。
最後にして最大の海戦となるこの戦いに参加したエンタープライズは、日本軍の主力となる栗田艦隊から落伍しつつある戦艦「武蔵」への攻撃に参加。
武蔵に爆弾11発、魚雷8本を命中させているが、モンスターと形容されるこの戦艦にとどめを刺すまでにはならなかった。
しかし武蔵はこの後シブヤン海にて戦没。撃沈に貢献している。

続いてエンガノ岬沖合いで帝国海軍最後の空母機動部隊となった小沢艦隊と交戦。
実はこの艦隊の役割はレイテ湾に主力を突入させるための囮でしかなく、
エンタープライズは見事に釣りだされる形となったが、肝心の主力となる栗田艦隊が謎の反転をしたためレイテ突入は果たされることなく終わった。

珊瑚海海戦から長きに渡って太平洋上で繰り広げられた空母同士の対決もここで締めくくられる。

日本海軍の生き残りとなった空母たちは最後の力をふり絞って攻撃隊を放つが、エンタープライズら米艦隊の牙城を崩すことはかなわかった。
翌日にはエンタープライズ隊を含んだ第一波の攻撃により空母「千歳」を撃沈、
第二波で「千代田」を大破のちに沈没させ、第三波ではついに機動部隊旗艦にして宿敵・瑞鶴を捉える。
マリアナで姉を失い、片翼を欠いた瑞鶴に致命傷を与えたエンタープライズ隊は、飛行甲板からの万歳三唱を聞きながら沈んでいく空母「瑞鶴」の最期を看取った。
続く第四波により最後に残った空母「瑞鳳」も撃沈。

これにより帝国海軍機動艦隊との戦いに決着をつけ、真珠湾やホーネットらの仇を討ち果たした。



そして12月、かねてより夜間戦闘に参戦した回数も多く、夜間撃墜記録も所持して、レーダーを搭載し夜間爆撃ができるようになったドーントレスと夜間戦闘用のF6Fを搭載していたエンタープライズは正式に夜間戦闘用空母として指定され、
艦種番号もCV-6からCV(N)-6へと変更。
同じ様に夜間戦闘機隊を乗せたサラトガなどと同様に本格的に夜間防空、夜間基地襲撃を担当することとなった。
空母の夜間運用を疑問視していた軍に夜間基地空襲を行って見せることで有効性を実証し、戦後の空母の運用に大きな影響を与えることとなる。



1945年に入り、いよいよ日本の本土攻撃のために動くこととなったアメリカ軍はエンタープライズを硫黄島攻略へと進出させる。
本格的な夜間空母として運用されるようになり昼は防空、夜は空襲と日夜問わず働き174時間に渡って硫黄島に上陸した海兵隊を援護し続けた。
その後は沖縄攻略のために硫黄島沖を中心に活動、輸送船への攻撃や防空を任されてきた。

ここでの任務が楽なものだったのかと言われるとそうではなく、
実際、空母サラトガは2月21日、硫黄島の夜間防空と父島への夜間攻撃を行うために移動した際、特攻隊の攻撃を受けて特攻機4機の衝突と2発の爆弾によって大破、死者行方不明者合わせて123人、負傷者192人という損害を出している。
それにしてもサラトガ…。



そんな中、3月18日に久しく忘れていた危機が訪れる。

  • 九州沖航空戦
硫黄島沖で防空任務に専念していたエンタープライズに襲いかかったのは、航空基地から発進した日本海軍の爆撃隊だった。
飛来する航空機を米軍機と誤認したエンタープライズは無防備で接近を許してしまい、
慌てて対空砲による迎撃を試みるものの間に合わず艦橋めがけて250キロ爆弾が投下されてしまう。

さしものエンタープライズも艦橋を潰されてはひとたまりもなく、乗員たちはもはやこれまでと覚悟を決めたが、

ガンッ   ゴン  ゴロゴロ……。

うん、また不発だったんだ。
まさしく「ラッキーE」の異名に遜色ない豪運であり、決死の思いで低空爆撃を敢行した搭乗員からすれば絶望するような展開だっただろう。
ちなみに飛行甲板の上を跳ね回り転がる爆弾を見て米乗組員たちも顔面蒼白でいたそうな。当たり前だ。

なお、この九州沖航空戦と名付けられた戦闘において、アメリカはエセックス級空母イントレピッド、ヨークタウン(ヨークタウンの名を受け継いだ空母)、そしてエンタープライズが小破、
翌日の3月19日にはエセックス級空母フランクリンとワスプ(ワスプの名を継いだ空母)を大破という大損害を受ける。
特にフランクリンは戦死者832人という膨大な被害を出してしまった。

その後の4月7日には大和とお供の第二水雷戦隊を討ちとるため出撃するが…

  • 坊ノ岬沖海戦
エンタープライズに任されたのは上空への警戒だけであり、帝国海軍最後の艦隊の撃沈に関わることはなかったが、
4月6日から11日にかけて行われた菊水一号作戦の第一次航空総攻撃によってエンタープライズは特攻機2機の至近突入を受けて損傷し、ウルシ―で修理を受ける。



もはや日本の降伏は時間の問題というところまできており、エンタープライズに与えられる任務も防空や夜間での基地攻撃がほとんどだった。
日本軍に戦える艦艇を動かす力はなく、かつての強敵たちはもういない。
しかし1945年5月14日、エンタープライズは日本から最後の攻撃を受けることになる。


  • エンタープライズ、最後の戦い
早朝に現れた26機の日本機は艦隊めがけ、哨戒機や対空砲にも怯むことなく突撃してきた。
それでもほとんどがヘルキャットの餌食となったが、1機残った零戦が巧みに迎撃をかわし続け、雲に隠れたかと思えば姿を現して米艦隊を翻弄し始める。
エンタープライズとその艦載機もレーダーではつかんでいたが、なかなかその姿をとらえることができず、苦戦していた。

数十分にもわたる応酬に焦れたエンタープライズが針路を変更しようと回頭したその瞬間、
雲の中に姿をくらましていた零戦が現れ、こちらに向かって急降下を仕掛けてきた。
あわてて対空砲で集中砲火を加えるエンタープライズだったが、被弾しながらも機体を操り背面飛行になりながら突進してくる零戦を止めることは誰にもできなかった。

吹き荒れた神風はエンタープライズの前部エレベーターを120m上空まで吹き飛ばし、格納庫からは火災が発生。
破孔からの浸水によって前部は2.2メートル沈下、ポンプや各種機材にダメージを負って船体は大破し、わずか1機の零戦に深刻な損壊を受けてしまう。
しかし物的大損害の割に人的被害は比較的抑えられたのは幸運艦ゆえか。

それでも前部エレベーターや飛行甲板などの損傷は激しく、空母としての機能が麻痺したエンタープライズは戦線離脱を余儀なくされる。
こうして真珠湾から常に太平洋の前線で活躍し続けたエンタープライズの長き戦いは幕を閉じた。

彼女をたった一人で大破へと追い込んだ特攻機のパイロットは、吹き飛んだエレベーター穴の奥で発見される。
トミ・ザイ、富安中尉の遺体は丁重に水葬され、零戦の破片も後になって遺族に返還されている。
また海軍関係者から称賛の言葉を受けた。


「これまで日本海軍の先人たちが3年かかっても出来なかったことを、たった一人でやってのけたのだ」


終戦後、アメリカ本国の海軍工廠で修理とオーバーホールが済んだエンタープライズはマジック・カーペット作戦と呼ばれ復員任務に従事し、1万人を超えるアメリカ兵士を本国に送り届けている。

1947年2月17日には除籍となり、武勲著しいこの艦艇を保存する運動も行われたが、
1948年に解体が決定され、翌年に長年かわいがってくれたハルゼー提督が死去すると、後を追うようにして1960年の5月、完全に解体された。
しかしその4ヶ月後、彼女が生まれた造船所で「エンタープライズ」の艦名と、
「ビックE」の愛称を受け継いだ世界初の原子力空母USSエンタープライズ(CVN-65)が進水する。

以降、このCVN-65エンタープライズは50年近くにわたってアメリカ海軍の象徴として君臨し、その後のいくつもの戦争や紛争にその身を投じてはその名に恥じぬ働きを見せた。
さらに2023年に進水予定のジェラルド・R・フォード級空母の三番艦にも名付けられることが決定し、
こうして挑戦者の魂を宿す「エンタープライズ」の名は連綿と受け継がれていくのだった。





最終スコア

撃沈および撃沈に貢献した艦船 71隻
損傷を与えた艦船 192隻(上記と重複なし)
撃墜した航空機 911機




実に連合艦隊所属艦艇の四分の一に何かしらの損害を与えているが、
戦果には誤認や誇大がつきものであり、艦載機の活躍による空母の戦果となるとさらに難しくなる。
それでもこの数字は群を抜いており、「赤城」「加賀」「飛龍」「三隈」「比叡」「衣笠」「瑞鶴」「瑞鳳」「武蔵」といった名だたる軍艦の撃沈に貢献しているのは間違いない。
授与された従軍星章も20と勲章の数は米軍艦最多。



さらには大本営発表の撃沈報告も9回と、日米合わせて最多となっている。
時の昭和天皇からも「もう何回も沈めてるよね」と呆れられる有様。
中には空母撃沈の報しかなかったのに、エンタープライズ撃沈に変換されたとか。どんだけ目の仇にしてるんだ。

意外にも敵軍が戦意高揚のため虚偽の撃沈を報道した回数世界第二位にいるのは戦艦榛名だったりする
こちらは謎の戦艦ヒラヌマと合わせて計6回である
謎の翔鶴型”戦艦”三番艦龍鶴といい、アメリカもちゃっかりやっていたりする

このように何度も撃沈が報じられ、実際撤退してもおかしくない損傷を受けているのに戦場に留まり続け、味方からもなんでいるんだと幽霊扱いされたのが、グレイゴースト(灰色の幽霊)、ギャロッピングゴースト(駆け回る幽霊)の愛称の由来である。

それと、アメリカが開戦前に保持していた空母8隻のうち、終戦まで戦い抜いた空母はわずか3隻であり、その内の1隻がエンタープライズ。
ほかの2隻は主に大西洋を主戦場としていたレンジャー級軽空母1番艦「レンジャー」と何度も登場した空母サラトガである。
もっともサラトガは終戦後戦艦長門などと共にクロスロード作戦にて核実験の標的艦にされてしまう。サラトガェ…
肝心な時の欠席といい、特攻隊のことといい、屈指の武勲艦であることには違いはないのだが、幸運なのか不幸なのかつくづくよくわからない子だ…。




なお、瑞鶴と並んで空母機動艦隊同士の直接対決に最も参加した空母でもあり、人類史上発生した6回の空母戦のうち5回に参加している。肝心な時に欠席しがちなサラトガェ…。(翔鶴は4回)
そしてその5回のうち翔鶴型とは4回直接交戦しており、エンタープライズ自身が参加できなかった珊瑚海海戦では姉のヨークタウンが翔鶴・瑞鶴と交戦していたあたり、ヨークタウン級と翔鶴型にはなにか切っても切り離せない縁があったのかもしれない。(世代的にはヨークタウン級とライバルになるのは蒼龍飛龍のはずなのだが、戦績的にもカタログスペック的にも見劣りしてしまっている。南無…)
ネームシップである長女は妹を守って先に沈み、一人生き延びた次女は武勲艦として八面六臂の活躍をし、三女は短命に終わったというのも、この二組の奇妙な一致点である。

もっとも翔鶴との壮絶なる殴り合いは、二度も中破されるも自身は至近弾しか与えることができず、翔鶴の最期にも立ち会えず、翔鶴にはある意味勝ち逃げされてしまったのだが。
なお、同じく自身と妹ホーネットを追い詰めてきた強敵、瑞鳳と隼鷹とはそれぞれ2回と1回(第三次ソロモン海戦では隼鷹とはお互いに参加しているも対決していない)である。









追記・修正は翔鶴型と殴り合って9回撃沈発表されてからお願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • 軍事
  • アメリカ合衆国
  • 空母
  • 航空母艦
  • 海軍
  • 軍艦
  • 武勲艦
  • 幸運艦
  • 不沈艦
  • 勝利の象徴
  • 真珠湾の復讐者
  • 夜戦もできる空母
  • 米海軍史上最高武勲艦
  • 9回撃沈された←大本営発表
  • エンタープライズ
  • 異能生存体
  • 西のウォースパイト、東のエンタープライズ
  • 最強
  • 特攻
  • ビッグE
  • グレイ・ゴースト
  • 主人公
  • ラスボス

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2023年07月06日 23:14