YOSHIKI

登録日:2011/02/01(火) 12:26:11
更新日:2023/01/03 Tue 07:04:13
所要時間:約 6 分で読めます




無敵と書いてエクスタシーと読む
無謀と書いてYOSHIKIと読む






日本のミュージシャン。
千葉県館山市出身、19XX年(昭和40年)11月20日生まれで、本名は不明(林 佳樹)。血液型はBLUE BLOODのX型(B型)。
X JAPANのドラマーでリーダーとして知られ、その活動は余りにも有名。
ピアニストでもあり、ギターやベースなどもプレイするマルチプレイヤー。

病弱だった為、幼い頃からピアノのレッスンを受け、ピアニストを目指していた。
ところが、小学生時代にKISSの1977年日本武道館公演に母親と共に足を運び、ロックの洗礼を受ける。
中学生になると、幼稚園時代からの幼なじみだったTOSHI(出山利三)とアマチュアバンドを組み、
KISSやLED ZEPPELINやDEEP PURPLEのコピーをして楽しんだという。
ちなみに現在のTOSHIはボーカリストだが、当時はギタリストだった。

その頃には手が着けられない不良として有名になり、暴走族入り。指導部から目を付けられて館山市内を追い回されたという。
見た目だけで理不尽な懲罰を受けるなどされた為か、この頃からある種の反骨心が芽生えた。
但し、喧嘩は腕を傷めるとピアノ演奏に支障を来すので自重したとか。
過激な性格ではあるものの、成績優秀で、暴走族の集会には英単語帳を持参したり、はたまた『ピアノのレッスンがあるから』と言う理由で休んだり、
学内イベントではピアノを弾いていた異色のヤンキー。
なお、高校の卒業写真はリーゼントでキメた。




X解散後は主にプロデューサー業を中心として活動、クラシックオーケストラを起用したソロアルバムを1枚残す。

天皇陛下御即位10周年記念式典にも出席、ピアノ演奏をしている。
第2のXとしてのプロジェクトVIOLET UKを始動させ、数億にも及ぶ金を投資したというが、今現在もデビューは無期限延期状態となっている。
他にもGackt、SUGIZO、雅-miyavi-と組んだバンドS.K.I.N.を結成しだが、イベントで1回ライブしただけで自然消滅している。
globeにも加入したが、ロクに活動はせず。



飽き性にも程があります…*1



2008年にX JAPANが再結成、再び大物ミュージシャンとして復活を果たした。
だが、持病の頚椎椎間板ヘルニアが悪化して手術も行ったほか、2015年からは右手の腱鞘炎も重症化するなど満身創痍は変わらない。

X現役時代からそうだったが、余りにも延期・放置癖が強いため、ファンは多くても信頼は薄いミュージシャンである。(復活後のアルバム延期については一部ファンから殺害予告まで受けている)
ファン『延期?中止?いつものことじゃん』
Xファンは待たされることに慣れています。

さらに彼が記者会見を行う場合、ただの記者会見ではなく必ず「緊急記者会見」となる。
あと、帰国するときも大概「緊急帰国」…
全盛期はフィルムコンサートに唐突に登場したり、シークレットでライブハウスツアーを計画する等とにかくサプライズを好む傾向にある。

YOSHIKI「予定通りの行動が嫌いなんだよね(笑)」


彼の有言不実行な面や、高額グッズの投げ売りといった音楽以外の活動が目立つ他に、延期・放置癖に対するアンチも多い。



現在は本名と生年月日を非公表としているが、Xが解散していた頃に自ら総て公表していた為、今さら隠しても周囲にはバレバレなのは内緒だ。

なお、彼のドラムプレイは見る者を圧倒するスピードと激しくパワフルなプレイを特徴とするが、
リズムキープが出来ないなど所謂、「走り気味のドラム」という重大な欠点がある為、技術的にはそれ程評価されていない。
比較的座面の高い椅子に浅く座り、体を激しく振りながら叩く上に値段が高いだけで通常のドラムより力がいるのに音も悪いというクリスタルドラムを使用するという素人が絶対に真似をしてはいけないプレイをしている。
何故こんな事をしているかというと自分が目立つため(本人談)
椅子についてはインディーズ時代に仲の良かったDOOMの広川錠一から「これ使ったら目立つよ」と教わったという逸話が残っている。


彼の書く詩は『赤』、『青』、『血』、『夜』、『薔薇』、『涙』、『孤独』という単語が多く使用される。
その為に一目で彼のものと判るくらい特徴的なものであり、かなり厨二臭い。
解散前は内容もネガティヴな歌詞ばかりであったが、復活後はポジティブな歌詞が増えている。


プレイスタイルは勿論、X JAPANのライブ名物としてドラム破壊なるものがある。
普段使うクリスタルドラムが非常に高価な為か、ここでは比較的安価なスチールドラム(通称赤ドラム)を使用する。

1997年に行われた解散ライブ『The Last Live 最後の夜』では、特に派手に壊した上に手をケガした。
応急処置で包帯を巻いたもののその後のピアノ演奏で血を垂らしながら演奏をしていた。


私生活もかなりロックで、数々の珍事件やハプニングを起こして暴れ散らしている。

◆カレーが辛い事件
東京ドームでの初ライブ前日に差し入れされたYOSHIKIが贔屓にしているカレー屋のカレーを一口食べると、普段とは違う尋常じゃない辛さに体調を崩した挙げ句激怒。
リハーサルもせずにホテルに帰ってしまう。
原因はマネージャーの怠慢とかなんとか…
ちなみに残されたそのカレーをTOSHIも食べてみたが、血の気が引くくらい辛かったと語っている。

◆シャワーが熱い事件
篠山紀信とのフォトセッションがあったので撮影場所でシャワーを浴びたらシャワーが熱湯状態に。
それを必死に調整しようとするも、壊れているので熱湯を浴び続けるハメになり、またしても怒って帰ってしまう。

◆弁償
高級ホテルの絨毯や壁100mに渡ってワイン(マグナム)をぶちまけてオジャン、数十万ほど弁償した。
小室哲哉曰く「エイベックスの副社長も犠牲になった(笑)」とか…

◆タクシー事件
金沢でのコンサートを終えた夜、どうしても東京で練習がしたかった為にタクシーに飛び乗り、「東京まで」と言い50万円の札束を見せて出発。
慌ててマネージャー等が追いかけたが結局東京に着く。代金は30万円ほどになっていた。
因みに追いかけたマネージャーも別のタクシーに搭乗していた為、計60万円だったとか…

◆hideの墓前でワイン十数本を1人で飲み干す
hideの一周忌に墓のある三浦霊園を訪問。電車に乗らないことで有名だが、この日は珍しく霊園の最寄りまで電車でやってきた。そして、手にはワインが十数本。それを1人で飲み干し、hideに語りかけていた。その後、どうやって帰ったかは不明。

◆自殺未遂
いつも通り酒で悪酔いし、「俺は今から飛び降りて死ぬ!」と言い残してホテルの窓から飛び降りようとした所をTOSHIと付き人が取り押さえた。
一度ではなく何度もあったらしい。

◆1曲目でドラム破壊
「DAHLIA」ツアー初日の山形で、メンバーに気力が無いと感じ、景気付けに1曲目終了後にドラムを破壊。自らライブの進行を妨げてしまった。
残された4人はステージ上で緊急ミーティングを行った挙句、30分後にYOSHIKIが戻って来て無事再開された。
その後はどうにか予定通り終演まで行った。

◆vs布袋
1994年に奈良・東大寺で開かれたイベント「AONIYOSHI」で遅刻した上に酒も入って反省を示さないYOSHIKIに、
ホテルでの祝賀会にて元BOOWYの布袋寅泰が一喝。
喧嘩に発展し、暴れ散らすYOSHIKIに対し布袋はホテルの自室に逃げる。
YOSHIKI『なにが布袋だ!出て来いよ!』
因みにこの2人の喧嘩を見てボブ・ディランが鼻で笑ってたとか。
後日、布袋を尊敬するHIDEがYOSHIKIに代わり謝罪。YOSHIKIは一切記憶に無いという。

◆工藤静香とのスキャンダル
1994年に工藤静香とLAで同棲しているというスキャンダルが週刊誌で報じられたが、それが発覚した原因がYOSHIKIが飲酒運転で地元警察に逮捕されたことだった。
その時はかなり泥酔していたようで誰がどう見ても危険運転だったとのこと。
飲酒運転ダメ、絶対

その後彼女とは破局(YOSHIKIの浮気が原因とされる)
破局後にも曲提供を行うがその直後に工藤静香は木村拓哉との結婚を発表されるという仕返しを食らった。


ちなみに暴れるYOSHIKIを止めることができたのはHIDEだけだったとか。
まあ、そんなHIDEも酒が入ったらYOSHIKI以上の暴れっぷりをみせるのだが。
PATAちゃん?彼なら隅っこの方に避難してひっそり酒呑んでるよ。
なお、この事もあってか、GLAYをスカウトした際に、TAKUROから「一升瓶一気飲み出来ないと殴られるって本当ですか」と質問された。
笑いながら「今はもうそんな事ないよ」と答えたそうだが、TAKUROは安心しつつ「やっぱり昔はそうだったんだ…」と思ったとか。


一方で芸能人格付けチェックに出演した際はワイン問題で正解を選んだ上で不正解の方の安物*2ワインを
「この値段でここまでのものを出されたら間違えても仕方ない」「揺らいだ」と擁護するなどの神対応をしたり
待ち時間でお菓子をひたすら食べ続けたり*3あと前述の通り大見得切った事を後から素で後悔したりするなど、
かつてのロックなエピソードとは真逆の姿も見せており、この番組でYOSHIKIの印象が変わったという意見もある。

実は小学生の頃に父親が自殺してしまう*4という悲劇に見舞われており、この件が大きなトラウマになっていた。上記の破滅的な行動の一因でもある模様。しかしHIDEが父の享年と近い歳で亡くなり、自分も父の年齢を超えて長く生きたことで大きな心境の変化が生じる。
これらの経緯についても公で語るようになり、自殺遺児の支援活動にも参加。
その他の寄付活動も積極的に行っており、2021年には国から紺綬褒章を受賞した。(なお、受賞を知らせる官報には本名が記載された)


ちなみにX JAPANとして以外でも紅白に出場したことがあり、2016年には松田聖子に提供した『薔薇のように咲いて 桜のように散って』の演奏者として組の松田をサポート。
2018年にはhyde(L'Arc〜en〜Ciel)と「YOSHIKI feat.HYDE」で白組に参加する一方(でも曲名は「Red Swan」)、
その直後に何と紅組に海外から参加したサラ・ブライトマンと「YOSHIKI feat. サラ・ブライトマン」として参加(曲は過去コラボ済みの「Miracle」)。紅白の枠を超えてYOSHIKIが2個も自作曲を演奏するという不思議なことになった。


全盛期の頃は女性と見紛う容姿だった為、ヌード写真集も発表している。

偽名を使うことも好んでおり、XJAPANの一部の曲の作詞名として「白鳥瞳」「五十嵐美由姫」、エクスタシーレコードの代表として「立花香流」、コラボレーションバンド「L.O.X」のドラムとして「白鳥麗」(白鳥瞳の兄弟の設定)、曲提供のみに使われた物で「白鳥龍」、「橘朋実」、「MacDonald Douglas」などがある。


なので、一時期アッー!説もあり、アメリカ在住時にあっちの人に誘われた逸話も。
ちなみにHIDEとはべったりしたいらしい。

2019年にはサービスインから1周年を迎えたアイドルマスター シャイニーカラーズのテレビCMに出演。更に櫻木真乃役の関根瞳、アイマス総合Pの坂上陽三、シャニマス制作Pの高山祐介を自身のチャンネル生放送に招いて対談を行った。
X解散時に生まれてもいない声優と、YOSHIKIが若々しすぎてそうは見えないが同世代な偉いおじさんの構図が味わい深いものとなっていた。




この青い薔薇の記憶は涙と血に流されて…
(※訳:追記・修正お願いします)

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最終更新:2023年01月03日 07:04

*1 ただしこの辺は、自らの創作活動と並行して、日本・アメリカ・韓国の駆け出しバンドの契約書の代理執筆・貸しスタジオの経営・アメリカの著作権に関しての法律の勉強等、経営・版権管理の作業もYOSHIKI自ら関わっていたのが、発表サイクルの遅さに拍車をかけていたのも考慮すべきである。

*2 と言っても5千円はするが

*3 スケジュールの都合で海外から帰国後直で収録に参加しており食事が出来ておらず空腹だったとの事

*4 原因は不明