日産・フェアレディZ

登録日: 2015/07/19 Sun 15:28:59
更新日:2024/03/28 Thu 16:09:51
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日本の自動車メーカーである日産が製造販売しているスポーツカー。
アメリカ人受けが異常に良好なことで知られている。

同じく日産のスポーツカーにGT-Rがあるが、あちらが吸収合併したプリンス自動車からの系譜であるのに対し、
こちらは最初から日産による生え抜きモデルである。

●目次

【開発経緯~プロジェクトZ~】

元々、第四デザインスタジオのチーフ・松尾良彦氏*1が数少ない部下と一緒に勝手にクレイモデルを作っていた*2中、それを知ったアメリカ支社長・片山豊氏が彼らに接触。

従来のスポーツカーでは高過ぎて手が出せないというアメリカのエンドユーザー事情を何度も目の当たりにしていた片山氏は本社に「求む、アメリカ人向けのスポーツカー開発」と要請しており、スポーツカーのデザインに情熱を注ぐ松尾氏の存在は渡りに船だったのだ。
かくして正式に開発がスタートし、特殊車両担当の第三車両設計課の面々が合流。
最初から「安価・高性能・ビューティフル、日常で気軽に乗れるスポーツカー」という大前提ありきだったため、生産コスト低下を狙って各部品は先発の車種のそれから可能な限り流用されて開発が進められた。

実用性との両立で松尾氏が設計チームと喧嘩*3したり、ヘッドライト周りの部品の素材に悩まされたり*4と、紆余曲折を経て迎えたプレゼンも片山氏と第一設計部部長・原禎一氏の連携*5で成功。
かくして生産が決まったのである。



【全米デビュー~華麗なるかな日本製~】


正式な生産が決定したことで、前身である「ダットサン・フェアレディ」*6と開発計画名にちなんで関係者から『フェアレディZ(ゼット)』と命名され、S30という型番も与えられた。
ただし、命名者である件の関係者自らが「貴婦人をイメージできるデザインじゃないな」という理由から欧米市場では『Nissan Z(ズィー) Car』名義に変更されている。
フェアレディZはライバル車種に匹敵する性能、松尾氏が理想を追求したデザイン、凡庸・単純構造であるが故に却ってアメリカ人のニーズに合致した信頼性・耐久性抜群のエンジン、更にスポーツカーの相場を『フェアレディ』の名に相応しく流し目で淑やかに笑い飛ばすような低価格を備えていた。
この頃のダットサンは片山氏らの尽力によってアフターサービスが抜群に迅速丁寧なブランドというイメージが定着しており、販売車種もエンジンとブレーキ以外は非常に丈夫*7という定評を得ていたので、ダットサン発のスポーツカー・S30型に対する客の期待は高まっていくことに。
そんなこんなで発売されたS30型は、連日完売の大人気となり、しまいには新車の時点でプレミアがついてもまだライバル車種より遥かに安価なため、最終的に北米市場で50万台以上の大ヒット車種となったのである。
ライバル車種の中には滅ぼされた物も相当数に上ったとの逸話も存在したり。

その後、売り上げ台数はモデルチェンジのたびに伸び続け、最終的には「単一のスポーツカーの売り上げ記録世界一」にまで上り詰めた。
2000年に日産の業績悪化の煽りで4代目の生産終了後、一度は系譜は途絶えたが、数年の空白期を経て復活。
現在も生産されている。
蛇足だが、Zの発音表記はアメリカ英語では「ズィー」(本来の英語表記では「ゼッド」)であり、日本で使用される「ゼット」はオランダ語での発音表記である。



【バリエーション~君だけの愛しのフェアレディを選ぼう!~】

初代

型番はS30とS31。排ガス規制の基準が変わったところで型式番号が変更された。
「これはレース用ではなく、あなた方のためのスポーツカーです」のキャッチコピー*8と共にアメリカに殴りこんできたモーター・ロリータ。
特徴的なパッチリおめめ型のヘッドライトを備えたフロントデザインと低車高が相まって、二次性徴真っ只中のプリチーなお嬢様といった感じ。
波乱万丈で難産を極めた開発経緯に見合ったコストパフォーマンスは御美事の一言に尽きる。
片山氏を首領とする日産アメリカ支社の面々による販売戦略のおかげで売れに売れ、販売店に入る度にかどかわされたかの如くあっという間に完売となっていた。
騎兵隊崩れ・無法者揃いのアメリカン・ガイズが指をくわえて見るだけで済む筈がなく、買いそびれた客たちの集団ヒステリーが何度も起きたという。
なお、アメリカで一番売れた色は柿色と呼ばれる濃いオレンジ色。カリフォルニアの太陽に当たると、上手いこと赤く染まり今でいう「映え」になったという。
首都高の走り屋ポエム漫画「湾岸ミッドナイト」で主役車両を務めた「悪魔のZ」のベースがこれ。
様々なマイナーチェンジを受けて9年間に亘って発売されたが、日本車のライフサイクルが4年だった当時としては異例のロングセラーであった。
Z432と呼ばれるスカイラインGT-R用のS20エンジンを積んだモデルもあるのだが、お値段がとてつもない値段だったので売れずに短期間でカタログ落ちした。
さらにはZの狭いエンジンルームに無理矢理S20を押し込んだため、エンジンがかなり神経質になってしまったとか。


2代目

型番はS130と、歴代で唯一の3桁。
「今、新しい時代を、Zが開く!」「新たなるZゾーンへ!」のキャッチコピーを引っ提げて登場した獣の匂い振り撒くメカニカル・ビューティー。
パッチリおめめ型のヘッドライトはそのままに車体が一回り大きくなっており、成長と共に徐々に艶を帯び始めている御令嬢といった雰囲気。
フロントデザインがほぼ初代と同じなため現代では影が薄くなった感は否めないものの、大型化に併せて乗り心地と安全性が強化されており、「日常で気軽に乗れるスポーツカー」としてはむしろ初代を超えている。
アニヲタ的には「戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー」のプロール、ストリーク、スモークスクリーンの同型3人のモチーフと言えばわかりやすいか。
西部警察」のスーパーZの素体はこの2代目である。
海外版にはL28ターボ仕様があったが、日本では何故か販売されなかった。解せぬ。
一応悪魔のZのエンジンはこの海外版L28ターボがベースなのではという考察がある。


3代目

型番はZ31。
「比べる事の無意味さを教えてあげよう!」「Zイズム」「ワルツ・ナイト」のキャッチコピーでお馴染み(?)の本能を呼び起こす大和撫子。
日本車で初めてV6エンジンを本格的に採用した。一応後からRB20DETも追加された。
可変式ヘッドライトが直線的な印象をもたらしており、見た感じは典雅な細目美女といったところ。
ボディ自体もシルエットは先代までと変わらないものの、直線や平面が多く、歴代でも異色のフォルムをしている。
(時代の流れもあって)当初から「ライバル車種を上回るレベルの高性能化」というコンセプトで開発されており、最高級版はデフォルトで250km/hを叩き出せた。


4代目

型番はZ32。
「スポーツカーに乗ろうと思う」のキャッチコピー通りのラグジュアリー感たっぷりなスポーツカー。
VG30DETTはついに280馬力に到達。本当は300馬力出す予定だったがお上に怒られて280馬力になった。
長らく日本に残っていた280馬力自主規制は本車が元になったとされる。
(リアル重量が増えすぎて)軽快さは失われ、価格も高騰するなど「気軽に乗れる」という前提こそ大きく揺らいだが、ヘッドライトの流し目ぶりと肉感あるセクシーなフォルムのおかげでそれまでとは違う、豊満なファム・ファタールといった出で立ち。
また、フロントデザインがそれまでとは全く違う一方で、フェアレディZのアイデンティティである「横から見たシルエット」自体もきちんと維持していたりする。
最大の弱点は皮肉にも技術力向上によってパワーバルジ*9をオミットできたが故に、エンジンルームがとても狭くなってしまったこと。
結果、交換する部品によっては車体からエンジンを外す必要が生じるなど、エンジンの整備性はかなり低下している。
それでも、よりアメリカ人受けする設計から相変わらず北米人気はかなり高く、アメリカのメディアには「量産型フェラーリ」と評する者まで現れた。
非常に優れたサスペンションが採用されたので重量の割に相当高度なハンドリングを誇り、そのため鈍重さは皆無。
YOUTUBEで視聴可能な、無駄に金をかけた大袈裟な北米版CMは腹筋を撥ね飛ばすこと請け合い。
その完成度から業績が悪化した日産の屋台骨を支え続ける肝っ玉を見せた末に、20世紀最後の年で生産が終了。
フェアレディZの系譜にも空白の2年間が生じることとなる。
案の定というかアメリカでは結構なプレミアがついており、ほぼ新品状態の物が相当な高額で販売されているとの逸話まである。
ちなみにランボルギーニ「ディアブロ」と、日産が開発した「R390(ロードカー)」のヘッドライトは、このZ32のヘッドライトが用いられている。


5代目

型番はZ33。
「神話は、受け継がれる。永遠に」のキャッチコピーを背負った復活のフェアレディZ。
尖った目つきのヘッドライトと若干丸みを帯びたデザインが視線を奪う、丸顔のツンデレ少女といったイメージ。
カルロス・ゴーン政権下で経営立て直しが図られた際、片山氏がゴーン氏にフェアレディZ復活を直訴したことで誕生した、フェアレディZ復活を告げるモデル。
トランクの使い勝手が下がっている、それまでのZを知る層からすれば賛否分かれるデザイン、といった難点を抱えていたが空力特性も考慮したデザインその物の完成度は本物。
実際、フェアレディZでグッドデザイン賞を受賞したモデル第1号はこの5代目である。
標準装備されているリアタワーバーのせいで、トランク容量がかなり犠牲になっているのが問題になった。
2005年にマイナーチェンジされた際、パワーバルジのデザインが初代&2代目の物とそっくりになった。
元々VQ35DEに合わせてデザインされていたため、ブロック高が変わったVQ35HRを積もうとするとボンネットに当たってしまうため、仕方なくパワーバルジを増やしたという事情もある。


6代目

型番はZ34。
「ただの一文字か。それとも永遠のアイコンか」「嫉妬するか。所有するか」のキャッチコピーでエンドユーザーに問いかけるヒロインNo.6。
シルエットの全体的な印象は5代目とあまり変わらないが味付けは異なっており、ホイールスペースの短縮に伴って全長が短くなっているので、強気なリトルガールといった印象。
ボディの剛性も上がっており、それもあってかリアタワーバーが撤去されたため、荷物にはかなり楽に乗るようになった。
(空力的には全長が短くなるとその点で不利になるそうだが)空力特性もしっかりと引き継いでおり、5代目とほぼ同じレベルである。
しかし、Zは基本的にアメリカ人向けなので日本国内ではそこまで流通していないのが実情。


7代目(実質6代目改)

2020年に発表されたニューモデル。
新時代を迎えた走りへの情熱と何度倒れても甦る不死鳥のごとき7代目のディーバ。
…なのだが、大人の事情(シャーシは完全にZ34の流用)でZ34のビッグマイナーチェンジという扱いになった。
そのスタイルは一新され歴代モデルの意匠を巧みに纏ったエレガントかつシャープなフォルムが特徴。
自動車を取り巻く情勢の大規模な変化もあり、この代が最後のガソリンエンジン車になるとか。


【プラモデル~Z-Car Rhapsody~】


今のところ、初代から7代目まで全部プラモデル化されている。
が、流石にメーカーによって出来はまちまち。
タミヤに至っては初代から7代目まで全部キット化という偉業を成し遂げている。
S30は供給が安定しており、アオシマ・ハセガワ・フジミがそれぞれ出している1/24以外にタミヤ製の1/12が存在する。
その一方でS130は大変な希少品状態で、唯一安定して販売されているマイクロエース製が別メーカーのモーターライズ品だった頃と内装が全く同じという惨憺たる状態。
タミヤ製一択、と言いたいところだがこれがまたスポット生産品なので滅多に手に入らない。
Z31も高水準の出来であるタミヤ製はほぼ希少品だが、フジミが出している元モーターライズの後期型は、内装パーツを新規で作っておりシャシー以外の出来も割と良好。
Z32はTバールーフ仕様のタミヤ製とそうじゃない方のフジミ製の2トップ。
流石に完成度に関してはタミヤ製の方が上。
Z33はタミヤとアオシマから出ており、タミヤ製は安定の高品質だがは設計にかかる時間を短縮し過ぎたのか意外な手抜きが多いため、完成度という点では珍しくアオシマ製に並ばれてしまっている。
アオシマ製の品質が高いのも一因だが。
Z34は今のところタミヤ製しか出ておらず、エンジンがオミットされている点に目をつむれば決定版としか言いようのない完成度である。
RZ34はタミヤ及び青島の楽プラから製品化が予告されている。



追記・修正はZカーに惚れ込んだアメリカンたちを中心にお願いします。

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最終更新:2024年03月28日 16:09

*1 イタリアの有名デザイナーが手掛けたブルーバード410の売り上げが悲惨なことになった際、かつてデザイン上の不備をストレートに指摘した縁でデザイン改善を命じられ、それを成し遂げた実績という名目で若くして就任した。

*2 労組の責任も大きかったとはいえ、当時の日産の経営陣はスポーツカーの重要性を理解できていなかった。そのため、スポーツカー部門である第四デザインスタジオは暇を持て余していたのである。なので松尾氏は好き勝手に自分の理想のデザインを追求できた。

*3 デザインと実際の機能性の問題で、車高を高くするか否かが原因。なお、車高のせいで搭乗に支障が生じる事例は多く、トヨタ2000GTがボンドカーに抜擢された際は当時のボンド役の俳優が長身だったためオープンカー仕様となり、フォード・GT40は車内高の低さが原因でレーサーのダニエル・ガーニーがヘルメットを着用して乗れるようにと天井に凹みが設けられた。この凹みは後にガーニーバブルと名付けられている

*4 偶然にもFRPに行き着いて解決したが、強度の問題からガラス繊維量が倍増された

*5 既存車種をわざと野暮ったくアレンジしたバージョンと並べることでデザイン面の良さを強調するという卑怯スレスレの手法

*6 当時の社長がアメリカで見たミュージカル『マイ・フェア・レディ』が名前の由来

*7 この頃の日本車はエンジンとブレーキの性能がアメリカの交通事情に適応していなかった

*8 考案者は片山氏

*9 ボンネットの膨らみのこと。4代目はこれが設けられなかった唯一のモデルである