大鳳(航空母艦)

登録日:2015/06/28 (日) 00:04:11
更新日:2023/08/25 Fri 09:07:01
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大鳳(たいほう)とは、かつて大日本帝国が建造、保持していた航空母艦である。
2隻の建造が予定されていたが、予算不足の為に実際に建造されたのは大鳳のみで同型艦は無い。

「大鳳」という名は「大きな鳳凰」というそのまんまの意味。
本来「鳳」は概ね改装空母に与えられる名前*1だが、大鳳は最初から空母として計画された艦である。





起工:1941年7月10日
進水:1943年4月7日
就役:1944年3月7日
喪失:1944年6月19日
除籍:1945年8月31日


基本性能諸元

基準排水量:29,300t
公試排水量:32.400t
満載排水量:37,270t
全長:260.6m
最大幅:36.3m
水線幅:27.7m
吃水:9.59m
機関:ロ号艦本式重油専焼水管缶 8基
   艦本式オールギヤード・タービン 4基4軸推進
最大出力:160,000hp 
最大速力:33.3kt
航続距離:18kt/10,000海里
燃料搭載量:5,700t
乗員:2,038名
兵装:65口径九八式10cm連装高角砲 6基12門
   九六式25mm(60口径)3連装機銃 17基51門
   九六式25mm(60口径)単装機銃 20基
   94式高射装置
   二式二号電波探信儀一型 2基
   三式一号電波探信儀三型*2
装甲:
飛行甲板:95mm
装甲甲板装甲:55mm(機関室周辺)
       90mm(弾薬庫周辺)
舷側: 55mm(機関室周辺)
   160mm(弾薬庫周辺)
搭載機数:60機+補用1機
飛行甲板:257.5m×30.0m
     150.0m×20.0m(装甲部)
昇降機数:2基
前級:翔鶴型航空母艦
次級:雲龍型航空母艦
   改大鳳型航空母艦(計画のみ)




建造までの経緯

第二次大戦を目前に控えた1939年。日本。
大日本帝国海軍は最早軍事的衝突が不可避となりつつあったアメリカの建艦計画「第二次ヴィンソン案」に対抗する海軍軍備計画として「第4次充実計画(④計画)」の策定を繰り上げ、軍備増強に努めていた。

その計画の中には「W102」という27,000t級の空母が1隻含まれていた。
このW102こそ、後に「大鳳」と呼ばれることになる航空母艦の原型であった。

この頃、海軍強国の間では航空機の急速な発達に伴って空母の重要性が増していたが、空母の防御力はあまりにも脆弱で、飛行甲板に攻撃を受けてしまうと発着機能を喪失してしまう危険があった。
この弱点を克服したのが搭載機数を犠牲に飛行甲板を装甲化した「装甲空母」で、これを真っ先に実用化したのはイギリスであり、史上初の装甲空母たるイラストリアス級航空母艦である。

勿論日本でも装甲空母の建造が叫ばれ、紆余曲折の末、W102にはG-12、G-13の2つの案が出され、最終的にG-13を多少の修正したものが決定案とされた。

そして1941年7月1日。
戦艦榛名伊勢空母瑞鶴などの名艦を建造してきた神戸川崎造船所で大鳳の建造が開始された。




設計と特徴

基本的な構造は帝国海軍空母の傑作たる翔鶴型航空母艦に準じた艦隊型空母だが、大鳳最大の特徴は飛行甲板が装甲化された「装甲空母」であるということに尽きる。

飛行甲板が装甲化された分重量が増し、重心が上がってトップヘビーになることへの懸念*3から艦内甲板は1層減らされ、艦内の容積も減らされたので搭載機数が原型の翔鶴型よりも低下した。仕方ないね。
乾舷は艦の大きさに比べて低いものの、一応飛龍と同等くらいにはある。


外見上の特徴として艦首が飛行甲板と一体化した「エンクローズド・バウ*4」が帝国海軍としては初めて採用された。
これは乾舷が低いので艦首が波を被って浸水、凌波性が悪化しないようにする為。

艦橋と煙突が一体化したアイランドは大きな傾斜煙突が目を引く。
これまでの正規空母では右舷の飛行甲板下に湾曲煙突を配置しているのがトレンドだったが、大鳳でこれをやると海面が近すぎて浸水の恐れがあったので、バランス悪化を覚悟して上方排煙の煙突とした。
このタイプのアイランドはレキシントン級やヨークタウン級などの欧米の空母によく見られる構造で、商船改装空母の飛鷹型航空母艦で試験的に設置してから大鳳、信濃に採用された。
欧米の空母と違って煙突が外側に傾斜しているが、元々予定していた直立型だと排煙で気流が乱れて着艦の妨げになることが風洞実験で指摘されたことによる。
また、アイランドで右寄りに重量が増した分、飛行甲板を左寄りに配置してバランス取りを図っている。

ちなみに大鳳は計画案の1つとして「その防御力を以て敵側の攻撃圏内に単艦で進出、味方攻撃隊の行動距離を延長する中継基地」としての運用構想もあったが、航空機が著しい発展を遂げた為に廃案となった。
この場合の大鳳は単艦で前線まで突入せねばならない為、敵水上艦用に15.5cm砲6門を装備する予定だったらしい。




艦載機運用能力

装甲化した代償として搭載機数が翔鶴型よりも落ちているが、これは装甲甲板にしたことによる重心低下のため艦内容積が減少し、格納庫が大きく出来なかったことと、本艦が運用を予定していた艦載機がこれまでの零戦や九七式艦攻ではなく、より大型の烈風や流星の仕様*5の運用を想定、計算された為。
とはいえ、格納庫は翔鶴型と同じ2層構造で面積も9割以上とさほど狭くなっている訳ではないので、零戦や彗星、天山など従来の艦載機ならば70機以上搭載可能という説も存在している。

逆に航空燃料は翔鶴型496tに対して大鳳1,000tと2倍に増加している。これもやはり新鋭機の燃料搭載量が増加していたためであった。
この他にも800kg爆弾90発、250kg爆弾468発、60kg爆弾468発、九一式航空魚雷改六型45本の搭載が可能であるが、弾薬庫の誘爆が致命傷となった加賀の戦訓から大鳳は艦爆を減らして艦戦を増やす方向にシフトしていたので、フルに搭載されることはなかったと思われる。

艦載機の大型化に伴い、飛行甲板には最新式の三式制動装置が装備され、昇降機もより大型機向けのサイズになった。
カタパルトの開発も進められていたのだが、残念ながらこちらは実用化が間に合わなかった。


防御力

全257.5m×30mの飛行甲板の内、前後の昇降機間の150m×20m部分が装甲化されていて、20mmDS鋼板上に75mmCNC鋼鈑が張られた構造となっている。その防御力は500kg爆弾の急降下爆撃に耐えることが可能とされる。
昇降機部分は25mmDS鋼鈑を2枚重ねたものが張られていたが、これは甲板と同じ防御を施すと昇降機能に支障が出ると判断された為。

元々軍令部の要求は「800kg爆弾の急降下爆撃に耐えうる装甲」を要求していたが、その場合だと排水量が4万t越えとなり、他艦の建造に影響が出ると艦政本部が判断したことで妥協案の「500kg爆弾防御」となった経緯がある。

主要部には16mm高張鋼と32mmCNC鋼鈑による水平防御と、160mm~55mmのCNC鋼鈑による垂直防御が施された。
これは求められた防御力が「機関室は高度3000mからの800kg爆弾と距離1200m~20000mでの6インチ砲弾に耐えること」、「弾薬庫は高度3000mからの1000kg爆弾と距離1200m~20000mでの8インチ砲弾に耐えること」であった為で、その要求には十分答えた防御を持つ。

また、水中防御は主要部が3重底、更に液体層と空気層を組み合わせた物になっている。
TNT換算で300kgの炸薬をもつ魚雷に耐えうる防御力だが、米軍が使用している航空魚雷「Bliss-Leavitt Mk13」は後期型のトーペックス系炸薬だとTNT換算で400kg以上の破壊力を発揮するので、水中防御には不安が残る結果となった。

大鳳も帝国海軍航空母艦の常として閉鎖式格納庫で内側からの爆風を逃がしづらい構造だが、翔鶴型で採用されていた「爆風が生じると舷側の鋼板が外れて爆風を逃がす」構造は大鳳にも引き継がれたが、やはり実戦で役に立つことはなかった。


機動力

機関は翔鶴型に準じた物を採用、最大出力も同じく16万馬力。
しかしスクリューが若干大きくなり、大和型戦艦のように副舵と主舵の2枚を前後に分離設置していた。

重量が増加しているので速力ではやや翔鶴型に劣るが、航続距離は若干延びている。


攻撃力

対空兵装として帝国海軍の十八番、九六式二十五粍三連装高角機銃と同単装高角機銃、そして秋月型駆逐艦に装備された六五口径九八式一〇糎高角砲、所謂「長10cm高角砲」を空母として唯一装備している。
最大射程14,000m、最大射高11,000m、初速1,000m/秒、発射速度15発/分と対空火器としてはそこそこ優秀な性能だが、当然砲戦には向いていない。

もっとも、帝国海軍には砲戦に参加してそれなりの戦果を挙げた猛者や、20cm砲を搭載した元戦艦&元巡洋戦艦がいたりするのだが…

本来ならば高角砲の数を翔鶴型と同じ8基16門揃える筈だったが、飛行甲板が装甲化されたことによる重量増加の為に6基12門に減らされた。

ちなみに搭載された25mm単装機銃は固定装備された物ではなく、艦載機の発艦後に昇降機で飛行甲板に持ち運び、固定する移動式であった。


その他

アイランド上部の前後に1基ずつ、計2基の二式二号電波探信儀一型(21号電探)を装備している。
これは対空警戒用の電探(レーダー)で、単機の航空機なら70~80km、編隊なら100km先、水上艦艇は20km先まで探知可能な電探で、見た目的には「花魁のかんざし」と不評であったが性能は好評であった。

より小型軽量の三式一号電波探信儀三型(13号電探)が搭載されていたとも言われていたが、こちらは否定的な意見が多い。


ちなみに装甲化のしわ寄せで格納庫だけでなく兵員室も狭くなってしまっていたが、本艦はハンモックではなく天井収納式の2~3段ベッドだったらしい。




総合

大鳳は搭載機数こそ低下しているものの、技術的には大日本帝国海軍製の航空母艦の集大成であった。

ようやく実用化への一歩へ乗り出した烈風、流星などの新鋭機の運用を想定し、後続の空母の雛形となる大鳳は空母らしからぬ重防御を備えた「不沈空母」として劣勢に立たされていた状況を打破する大日本帝国海軍機動部隊最後の切り札として大きな期待を背負っていたのだ。




活躍

太平洋戦争の勃発で工期を繰上げさせられたが、無事に竣工。
就役後、大鳳はいきなり栄光の第一航空戦隊旗艦に任命された。
海軍の最後の切り札、歴代空母の集大成たる不沈空母として建造された大鳳への期待が窺えるというものである。

そして就役から3ヶ月後の1944年6月15日、遂に初陣の時がきた。
マリアナ諸島に侵攻したレイモンド・エイムズ・スプルーアンス大将率いる第5艦隊を撃滅するべく、小沢治三郎中将指揮の下で大鳳は第一機動艦隊を率いてマリアナ沖に出撃した。「あ号作戦」の発令である!
これこそ1944年6月18日から20日に掛けて行われた史上最大の空母同士による大決戦、「マリアナ沖海戦」であった。

日本側はアメリカとの圧倒的戦力差を覆すべく、戦前から研究していた必勝戦術「アウトレンジ戦法*6」で戦いに臨む。


「イヤーッ!」つ零戦
「グワーッ!」
「イヤーッ!」つ九九式艦爆
「グワーッ!」
「イヤーッ!」つ彗星艦爆
「グワーッ!」
「イヤーッ!」つ九七式艦攻
「グワーッ!」
「イヤーッ!」つ天山艦攻
「グワーッ!サヨナラ!」


ナムアミダブツ!これは海軍大学校が編み出したとされる禁断の戦法、アウトレンジ・タクティクス!
ボム・スリケンとギョライ・ダートを立て続けに受けたアメリカ海軍第5艦隊=サンは爆発四散!


日本とのイクサによって米艦隊は手も足も出ずに壊滅した。
日本の勝利である。勝利に貢献した大鳳の名は栄光と共に大日本帝国国民に永遠に語り継がれるであろう。(大本営発表)








大東亜共栄圏を実現した暁には追記・修正をお願いします。














だったら良かったんだけどなぁ…
え?「知ってた」?うん、まぁ…

実際のマリアナ沖海戦は日本の完全敗北、機動部隊は事実上壊滅する結果となった。
それも航空機の9割と翔鶴、飛鷹といった主力空母を一方的に失うという最悪の形で。


さて、肝心の大鳳なのだが…



たった1発の魚雷で沈没していた



もう一度言う。



潜水艦のたった1発の魚雷が命中して沈没してしまった。



敢えてもう一度言おう。



1944年6月19日午後4時28分。

装甲空母大鳳は、

たった1発の魚雷が原因で沈没してしまったのだ。



大鳳は不沈空母ではなかったのか。
そう、大鳳は帝国海軍の技術の粋を結集した艦である。
確かに魚雷に対する防御に不安はあったが、その耐久力には魚雷が一発二発当たったところで沈むような欠陥がある訳ではない。

事実、命中した魚雷は大鳳の装甲を貫いてはいない。
原因は魚雷命中の衝撃で航空燃料用のガソリンタンクが破損、漏出したガソリンが気化・充満し、胴体着艦した戦闘機の火花で引火・爆沈したことだった。
魚雷が貫通したかどうかの違いはあれど、これは翔鶴の最期も同じ。

だが、この大鳳の最期はいくつもの不運と必然が重なった末の惨劇であった。
主なものとして

  • 護衛の駆逐艦と巡洋艦の数が少なく、敵攻撃圏外であることを過信して見張りが徹底されていなかった*7

  • ガソリンタンクは当時未成熟の電気溶接が用いられたが、継ぎ目の強度に問題があった

  • ガソリンタンクの位置がエレベーターの真下で機銃弾薬庫の横。後部タンクに至ってはエレベーターの真下かつ魚雷庫、爆弾庫の横という誘爆を招き易い配置

  • 被雷の衝撃で艦載機用昇降機も故障して途中で停止していて、発着艦が最優先として開口部を塞ぐ作業に工作兵が総動員された

  • 閉鎖式の格納庫なので気化したガソリンが外に逃げず艦内に充満、最大の換気口となる昇降機の開口部も塞がれてしまっていた

  • ガソリンが充満した状況では防毒マスク着用の上で火花に気を付けねばならず、作業が進まなかった

  • 格納庫の天井は装甲化された飛行甲板なので爆圧が逃げられず、閉じ込められた爆発のエネルギーが艦の下部にまで向かった

  • 爆発の衝撃で機関部の注冷ポンプの管接手が外れ、各機械が焼損してしまった

  • 機関部の消防管も通信も機能せず、艦橋は「機関部員は火災で全滅」と判断したこと

という運だけでなく、ダメージコントロールの未熟さに起因するものであった。
要約すると、大鳳のダメージコントロールには「揮発性ガスが漏洩し、それが充満して引火・爆発する可能性が考慮されていなかった」ということ。

そもそもガソリンタンクや管接手の破損は熟練工の不足と部品品質の低下にあった。
当時の日本国内では熟練の工員も徴兵され、工場で働いていたのは素人同然の未熟な工員ばかりという有様で、納品された機械部品の質が原因の不具合はあちこちで報告されている状態だった。

更に大鳳は工期繰上げがされた影響がもろに現れており、日本を発った時点で既にガソリンの漏洩事故を起こして死者を出し、マリアナ沖海戦の2ヶ月前にシンガポール・セレター軍港に入港する際にも舵取装置の故障や配電盤火災で一時操舵不能になるなど、最期を示唆するかのような深刻な問題を露呈していた。


興味深い話として、大鳳沈没の2年前に珊瑚海海戦で撃沈されたアメリカの空母レキシントンも大鳳とほぼ同じ理由で放棄・雷撃処分されている。

だが、アメリカはレキシントン喪失の原因を徹底的に調査、ダメージコントロール上の教訓としていた。
実際の成果としてアメリカは特攻などで大破させられた艦は多くとも、同じ理由で喪失する艦を出すことはなかった。
当時の日米のダメージコントロールへの理解の差はしばしば取沙汰されるが、ここでもその差が如実に現れたといっても過言ではないだろう。


大鳳の喪失後、その教訓は艦内にある可燃物の徹底的な排除やガソリンタンクの防御の徹底、消防設備の見直しなどとの生き延びた艦艇の防火対策の強化に活かされた。

マリアナの敗戦で最早まともな機動部隊の編制は不可能となったが、エンガノ岬沖海戦で囮として出撃した瑞鶴を中心とする小沢艦隊は激しい攻撃に晒されながらも囮の役割を完遂したことからもそれが窺える。


現在、大鳳の沈没は科学技術振興機構(JST)のまとめている失敗知識データベース「失敗百選」の一つに選ばれ、その教訓を今に伝えている。




改大鳳型航空母艦


【予定性能諸元】
基準排水量:30,360t
公試排水量:35,800t
全長:261.5m(飛行甲板長)
水線長:257m
全幅:28m
吃水:9.6m
機関:4軸減速タービン 8缶
出力:160,000hp
速力:33.3kt
乗員:1,800名
兵装:65口径九八式10cm連装高角砲 8基16門
   九六式25mm(60口径)3連装機銃 66挺
搭載機数:61~75機


先述したように大鳳は同型艦が無い。
しかしミッドウェーでの大敗を期に「⑤計画」を改めた「改⑤計画」では改大鳳型航空母艦5隻の建造が予定されていた。

改大鳳型は読んで字の如く大鳳の設計に改良を加えた物で、主に水中防御の強化、高角砲や機銃の増加、船体及び飛行甲板の延長、飛行甲板への電動揚弾筒と電動揚魚雷筒の設置etc...などの点で変更が行われている。

搭載数は大鳳と同じ計61機だが、これも大鳳同様烈風、流星などの大型機での計算で従来の艦載機なら約75機の格納が可能ではないかと言われている。


本来なら1番艦となる5021号艦が呉海軍工廠にて1944年から翌45年に起工を予定していたが、より工期の短い雲龍型の優先され、最終的に1943年の第三戦備計画の策定で建造が中止されてしまった。
まあ、予定通りに起工しても竣工は1947~48年予定なので完成は絶望的だが。




創作での大鳳

何の活躍もなく沈んだ日本最強最後の空母を惜しむ人が多いのか、仮想戦記等では人気がある。
…らしい。

最近ではこんなものも。
その胸は平坦であった




余談


甲板表面と迷彩の謎

大鳳の甲板表面の仕上げについて未だに議論となるのが、飛行甲板の構造である。
第1の論点は
  • 甲板の表面は木張りか、装甲か?
という点。
第2の論点は
  • 甲板の木製部分はラテックス加工されていたのか?
という2つの点が未だによくわかっていないのだ。

一応改大鳳型の計画や写真の具合から甲板表面は木製説が優位なようだが、ラテックス加工説は物証こそ無いものの神戸川崎造船所の証言が根拠となっている。
逆に言えばそれしか根拠がないとも言える困った状況なのだ。
模型などでも会社によってカラーが異なる始末なので、是非とも論争に一石を投じる証拠の登場を願いたい。


そして、全くわかっていないのが大鳳の迷彩塗装。
「あ号作戦」時の大鳳は大戦後期の日本空母と同じく迷彩塗装が施されていたということがわかっているが、そのデザインや塗装を担当した高塚義雄士官は大鳳と共に戦死、終戦時のゴタゴタで資料も残っていなかった。
果たしてどのような姿だったのかは今は誰にもわからない。ひょっとしたら我々の知る大鳳とは全く異なる姿だったのかもしれない。


潜水艦アルバコア

大鳳沈没の原因となったガトー級潜水艦7番艦アルバコアは、大鳳以前にも駆逐艦大潮と漣、軽巡洋艦天龍を撃沈した歴戦の潜水艦だった。
大鳳を狙った魚雷は6発で、内2発が命中コースだったが1発は小松幸男兵曹長の彗星が捨て身の体当たりで防いだものの、残り1本が大惨事のきっかけとなった。

その後アルバコアは1944年11月7日、北海道函館市(当時は椴法華村)の津軽海峡近辺の恵山岬灯台沖で九三式機雷に触雷、沈没している。









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最終更新:2023年08月25日 09:07

*1 祥鳳とか瑞鳳とか龍鳳とか

*2 装備していないという説もある

*3 日本は「友鶴事件」、「第四艦隊事件」でトップヘビーの恐ろしさを身をもって熟知していた

*4 ハリケーン・バウとも言う

*5 開発は遅れに遅れたが、この頃ようやく仕様が固まってきていた

*6 艦載機の航続距離の長さを活かした敵射程外からの一方的な攻撃

*7 何せ護衛の駆逐艦まで総員で「帽振れ」していたそうなので…