2010 FIFAワールドカップ

登録日:2015/06/21 Sun 14:32:07
更新日:2022/12/26 Mon 09:38:47
所要時間:約 33 分で読めます





2010 FIFAワールドカップとは、2014年2010年6月11日から7月11日にかけて、南アフリカで開催されたFIFAワールドカップである。






概要

オリンピックと並び世界中で注目度の高いスポーツの祭典であるFIFAワールドカップ。
その第19回目にあたる大会は、人類発祥の地南アフリカで開催された。アフリカ大陸では初のW杯開催である。

南アフリカといえば有名なヨハネスブルグのガイドラインからもわかるように治安が悪いことで知られており、大会の開催自体への不安が少なくなく、日本も女子アナや女性記者を現地に派遣しないという方針を採った。結果的にはジャーナリストなどの強盗被害はあったものの、選手などサッカー関係者が命を落としたり誘拐されるといった被害はなかったようである。

また試合中に鳴らされるブブゼラの問題や、試合結果を予言し百発百中であったタコのパウルくんが話題になったのも本大会である。詳細はそれぞれの項目の説明に譲ることにする。

本大会で用いられた公式試合球「ジャブラニ」(ズールー語で「祝う」という意味)は従来のボールよりも真球に近くブレやすいため選手たちの評判は悪く、更に今大会の試合会場の多くが標高1,000m以上の高地という事情もあってボールが伸びやすく、思わぬGKのファンブル、思わぬ宇宙開発、思わぬPK失敗といった事態が少なからず見られた。


グループリーグ


グループA

1位:ウルグアイ 2位:メキシコ 3位:南アフリカ 4位:フランス

これまでは開催国にとって比較的楽な組み分けになることが多かったワールドカップ。
しかしながら本大会ではヨーロッパチームの中からシード入りを逃した前回準優勝フランスが入ったことにより混戦が予想された。

開催国南アフリカはメキシコとの開幕戦、チャバララのオープニングゴールにより先制するものの追いつかれて引き分け、続くウルグアイ戦で0-3と大敗。
最終戦では後述のように崩壊状態だったフランスを2-1で破るも、ウルグアイ戦での大敗が響き得失点差で3位に。
南アフリカは初のグループリーグを突破できなかった開催国となってしまったが、対戦国のメンツを考えれば健闘したと言えよう。

このグループで悪い意味で注目を集めてしまったのがフランスである
ドメネク監督の求心力低下や選手間の関係悪化が指摘される中、地区予選で苦戦しアイルランドとのプレーオフに回り、ティエリ・アンリの神の手からのゴールが決勝点となり辛うじて本大会への切符をつかむという体たらくであったが、これらの問題が解消されないまま南アフリカ入りすることに。
初戦でウルグアイとスコアレスドロー、続くメキシコ戦で0-2で敗れたのち最悪の事態が起きてしまう。
メキシコ戦の最中にニコラ・アネルカがドメネク監督に暴言を吐いたとされ、帰国を命じられたのである。
選手らはこれに反発し練習をボイコット、チームディレクターは辞任し、騒動の収拾のためサルコジ大統領(当時)までが介入する事態となった。
こうしてチームが崩壊状態となった中南アフリカ戦に「反乱分子」を先発から外して臨むものの1-2で敗れ、グループ最下位で大会から姿を消した。
試合後ドメネク監督は南アフリカのパレイラ監督との握手を拒否し、選手たちはエコノミークラス席でひっそり帰国したという…。

ウルグアイは2勝1引き分け・無失点でグループ首位通過。1勝1敗1引き分けのメキシコがこれに続いた。


グループB

1位:アルゼンチン 2位:韓国 3位:ギリシャ 4位:ナイジェリア

天才メッシの活躍が期待されたアルゼンチンを中心としたグループ。
しかし誰よりも注目を集めたのは監督のディエゴ・マラドーナであった。
1986年メキシコ大会で世界を席巻し、1994年アメリカ大会ではドーピングが発覚し大会を追放されたマラドーナが、監督としてW杯に舞い戻ってきたのである。

以下、本大会でのマラドーナまとめ
・低身長かつ肥満体型のスーツ姿という身なりで、試合中しきりに体を動かして選手に指示を送る姿がどこか滑稽
・記者会見でリンゴをかじりながら質問に答える
・ナイジェリア戦ではベンチに座ることなく90分間選手に指示を送り続け、エインセのゴールが決まると某一発屋芸人のゲッツのポーズでベンチのミリートと喜び合う
・後述のRound of 16メキシコ戦でゴールを決めたテベスを約10秒間もハグ
・上記のような選手との親密さを記者会見で指摘されると「俺は女が好きだ」「俺にはベロニカという恋人がいる

そのアルゼンチン、南米予選では苦戦していたがグループリーグは3戦全勝。韓国戦ではイグアインが本大会唯一のハットトリックを決めた。
2戦目で大敗した韓国であったが、パク・チソンらの活躍で初戦でギリシャに勝利し最終戦ではナイジェリアに引き分けて、地元開催以外で初となる決勝トーナメント進出を果たした。

ギリシャは2戦目でナイジェリアに勝ちワールドカップ初勝利を挙げたものの初のグループ突破ならず。韓国戦では、主将カツラニスがシュートをした際にはがれた芝を直し、主に韓国国内で ギリシャの芝男と呼ばれ話題となった。
ナイジェリアはアフリカ開催の地の利を活かせられずグループ最下位に終わった。GKエニェアマのファンブルやFWヤクブ・アイェグベニの決定機失敗など運にも恵まれなかった。帰国後には敗退に怒ったジョナサン大統領(当時)が2年間の活動禁止命令を出し、FIFAなどの批判を受けて後にこれを撤回するという騒動にも巻き込まれた。


グループC

1位:アメリカ 2位:イングランド 3位:スロベニア 4位:アルジェリア

名将カペッロ監督率いるサッカーの母国イングランドにとってはやりやすそうなグループとなった。
サン紙もEnglandAlgeriaSloveniaYanks(=アメリカ人を指す俗称)の頭文字を取ってEASY、あるいは「ビートルズ以来最高のグループ」などとこの組み分けを歓迎していた。
初戦のアメリカ戦で前半早々に主将ジェラードのゴールで先制。イギリスのテレビ局ITVはこのゴールの瞬間にCMを流すという大失態をやってのけたらしいが…。
しかしその後、アメリカMFデンプシーのさほど力のないシュートをGKグリーンがキャッチ…したはずがボールはグリーンの手からこぼれ落ちそのままネットを揺らした
このままスコアは動かずイングランドにとっては痛い引き分けに。
続くアルジェリア戦ではスコアレスドローに終わり、スロベニアに1-0で勝利し辛うじてグループ通過を果たした。

アメリカはイングランド戦・スロベニア戦と先制されながらも追いつきドローという展開に。
そしてアルジェリア戦、後半アディショナルタイムに10番ドノバンのゴールで劇的なグループ突破を決めた。決勝ゴールのドノバンは試合後の会見で涙を流していた。

スロベニアは初戦でアルジェリアに勝ち続くアメリカ戦で引き分け、 第2節終了時ではグループ首位に立っていたが、第3節の結果により一気にグループ敗退に見舞われてしまった。
アルジェリアは無得点でのグループ敗退。初のグループ突破は次回大会までお預けとなった。


グループD

1位:ドイツ 2位:ガーナ 3位:オーストラリア 4位:セルビア

シード国ドイツは主将バラックなど主力が負傷により出場できず前評判がさほど高くなかった。
またバラックを負傷させてしまったのがドイツのジェローム・ボアテングの異母兄でガーナのケビン・プリンス・ボアテングであり、ドイツ対ガーナ戦は一部で因縁の対決と見された(ちなみに2015年現在ボアテング兄弟の仲は良好なようである)。
初戦ではオーストラリアに4-0と大勝するが、続くセルビア戦では0-1と、1986年メキシコ大会でデンマークに敗れて以来のグループリーグでの敗戦を喫してしまう。この試合ではFWクローゼがイエロー2枚で退場になったり(クローゼは守備にも参加するチームプレーヤーとして知られているが、本試合ではこれが裏目に出た)、ポドルスキがPKを失敗したりと不運続きだった。
ガーナ戦では若手エジルのミドルシュートにより1-0で勝利、終わってみればいつも通りのグループ1位通過であった。主力を欠きながら、若手選手がその穴を埋める活躍をしたことを印象付けた。またイケメンであることでも知られるヨアヒム・レーヴ監督が鼻ホジホジからのモグモグするシーンをカメラに抜かれてしまったことも話題を集めた。

ガーナは初戦でセルビアに1-0で勝ち、続くオーストラリア戦では1-1の引き分け。
オーストラリアを得失点差でかわしグループ2位に立ち、他のアフリカ勢が軒並み不調な中アフリカ勢唯一のグループ突破を果たした。

オーストラリアは3戦目でセルビアに2-1で勝利し勝ち点4を得るも、ドイツ戦での大敗が響き得失点差でグループ3位に。
ドイツ戦ではケーヒル、ガーナ戦ではキューウェルが一発退場となり、2試合を10人で戦うことになったことも痛手であった。
セルビアもドイツから得た金星を活かせられず敗退となってしまった。


グループE

1位:オランダ 2位:日本 3位:デンマーク 4位:カメルーン

2006年大会に続き予選突破一番乗りを果たした我らが日本代表が入ったグループ。
目標はベスト4」と公言するも、強化試合の結果が芳しくなく、国民の期待が低いまま大会を迎えた。

初戦の相手はカメルーン。決定力の高いストライカー・エトーを擁し、高い身体能力やアフリカ開催の地の利もあって戦いにくい相手であった。
しかし前半39分、松井大輔が右サイドから送ったクロスを受けた本田圭佑が決めて嬉しい先制点。
守備では長友佑都がエトーを封じるなど奮闘し、地元開催の2002年日韓大会を除き初の勝利を手にした。

続いて日本は強豪オランダに挑む。
前半は互角に戦うも、後半PA内でクリアしたボールをファン・ペルシがトラップし後ろへ送り(この際ハンド疑惑があるが…)、その先にはフリーの10番スナイデルがいた。スナイデルの強烈なミドルシュートをGK川島は防ぎきれずオランダ先制。
その後は日本にもチャンスがあったが決めきれず0-1で試合終了、オランダ相手に番狂わせを起こすことはできなかった。
しかし強豪相手に1失点で済んだということもあり、決勝トーナメント進出への期待がとみに高まった。

第2節までの結果によりオランダのグループ突破とカメルーンのグループ敗退が決定。グループ突破の残り1枠を懸けて日本はデンマークとの直接対決に臨むことになったが、日本は得失点差でデンマークを上回っており引き分けてもグループ突破できるというやや有利な状況であった。
運命のデンマーク戦、日本は本田とガチャピン遠藤のフリーキックが直接決まり、前半のうちに2点のリードを得る。
後半デンマークがPKを獲得、FWトマソンのシュートをGK川島が防ぐものの、跳ね返りをトマソン自身に決められ1点返されてしまう。
川島は猛烈に悔しがったが、シュートした勢いでゴールの方に突っ込み川島を飛び越えたトマソンはこの着地の際に足を痛めてしまう。
その後はPA内でDFをクライフターンでかわした本田がラストパス、どフリーだった岡崎がこれを押し込んで3点目、試合を決定づけるゴールとなった。このゴールは2006年大会クロアチア戦での柳沢敦の失態と対比されQBKK(急にボールが来たので決めた)」と呼ばれたりもした。
そのまま3-1で試合終了、日本は地元開催以外で初となる決勝トーナメント進出という実績を挙げた。

アフリカ勢ということで期待されたカメルーンであったが大会前には内紛が伝えられ、初戦で日本に勝ち点3をプレゼント(?)してしまう。
デンマーク戦でも2-1で破れ全チーム中最速で敗退が決定してしまい、オランダ戦にも破れ不屈のライオンは不本意な成績で南アフリカを去った。
シード国のオランダはロッベンを負傷で欠きながらもデンマークと日本に連勝。これにより全チーム中最速でグループ突破を決めた
そしてそのオランダの司令塔スナイデルと対戦相手の一人である長友が後に大親友になるなど、この時誰も知る由はなかった…w


グループF

1位:パラグアイ 2位:スロバキア 3位:ニュージーランド 4位:イタリア

前回優勝のイタリアを筆頭に、守備に定評のあるパラグアイ、出場国中最弱クラスと見られていたニュージーランド、今大会唯一初出場のスロバキア。とこのように、メンツを見ると一見何の変哲もないグループ、だったのだが…。

このグループで世界を驚かせたのは代表にアマチュアの選手も含まれていたというニュージーランド。
グループ突破こそ果たせなかったものの3試合3引き分けという成績で、何と出場32チーム中唯一の無敗である。

前回王者イタリアは主力選手の高齢化・世代交代の停滞という問題を抱えたまま大会入りし、パラグアイとニュージーランドに立て続けに引き分ける。スロバキア戦では2点リードされたのち1点返すも、スローインを直接決められるという形で3点目を取られた。その後クアリアレッラが1点返すもののそのまま試合終了。GKブッフォンや攻撃の要ピルロの負傷やオフサイド判定といった不運もあり、W杯ではイタリアにとって初の勝ち星ゼロでの敗退という屈辱を味わった。

堅守のパラグアイは2戦目でスロバキアに勝ち、残り2試合で引き分け1失点でグループ首位となり、Round of 16で日本と相見えることになった。また、モデルのラリッサ・リケルメが美人過ぎるサポーターとして世界中の注目を集めたりもした
スロバキアは初出場ながら3戦目でイタリアに勝ったことによりグループ突破を決めるという快挙を成し遂げた。


グループG

1位:ブラジル 2位:ポルトガル 3位:コートジボワール 4位:北朝鮮

当時FIFAランキングがそれぞれ1位と3位のブラジルとポルトガルに、アフリカの強豪コートジボワールが加わり、本大会での死の組と目されたグループ。
強豪ばかりのグループに組み入れられてしまった北朝鮮。将軍様もさぞかし驚いたに違いない。

とはいえ北朝鮮は1966年イングランド大会のグループリーグでイタリアを破り、最終的にベスト8まで進んだ過去があった。
本大会初戦のブラジル戦で敢えなく敗れてしまうもののスコアは1-2と善戦、残り2試合でも好勝負を見せられるのではないかと期待された。
ところが、次のポルトガル戦で後半に大量失点しまい0-7と大敗、コートジボワール戦でも0-3で破れ、勝ち点0・得失点差-11という成績で大会を去った。
そして北朝鮮代表は将軍様の怒りを買い炭鉱で強制労働させられたという噂がまことしやかに流れ、ポルトガル戦のスコア7-0は日本のネットで「炭鉱スコア」と命名された…が、実際のところは帰国後にある程度のもてなしを受けたというのが真実のようである。
あまり関係ないが、北朝鮮代表のプレーは意外にも(?)クリーンである。

ブラジルは初戦で北朝鮮に2-1で勝ち、続くコートジボワール戦にも3-1で勝利し早々にグループ突破を決めた。
コートジボワール戦では人格者としても評判の10番カカが相手選手の倒れる芝居により退場を喰らうという憂き目に遭ったが…。
同じくコートジボワール戦、ルイス・ファビアーノの決めた2点目は(意図的ではないと思われるが)手でトラップしてからのゴールであり、試合後あれは神の手かもね☆とコメント。それを見たアルゼンチンのマラドーナ監督はあれは彼の手だ」「2回触ってたねとバッサリ。

ポルトガルは初戦でコートジボワールとスコアレスドロー、続く北朝鮮戦で前述の通り7-0と圧勝、ブラジル戦でスコアレスドローという結果で2位通過した。
北朝鮮戦ではメイレレス、アウメイダなど様々な選手にゴールが生まれ、エース・Cロナウドによる6点目は浮いたボールの位置を見失うも背中でトラップし蹴り入れてフィニッシュという珍ゴールで本人も思わず苦笑い。

一方、2006年大会ではアルゼンチン・オランダと同居するという死の組に入ってしまい敗退した過去があるコートジボワール。
第2節終了後、前述のように圧勝したポルトガルに対し得失点差で非常に不利な状況になってしまった。
北朝鮮を3-0と圧倒するものの、ポルトガルがブラジルと引き分けたため勝ち点でも追いつくことができず残念ながらここで敗退となった。





そしてこのコートジボワール対北朝鮮戦では、本大会最大の腹筋崩壊モノである出来事があった。
ホイッスルが吹かれ試合の流れが途切れてる間に北朝鮮のキム監督が10番ホン・ヨンジョを呼び出した。するとそこに、コートジボワールDFエマニュエル・エブエが近づいてきて、キム監督がホン・ヨンジョに出している指示を一緒に聞きうなずいていたのである。このエブエがあたかも韓国語を理解しているかのようなシュールな光景が世界中で話題となったのは言うまでもない。



グループH

1位:スペイン 2位:チリ 3位:スイス 4位:ホンジュラス

バルセロナばりのパスサッカーを標榜し、EURO2008を制したヨーロッパ王者スペインを中心としたグループ。

しかしそのスペインが初戦でスイスに0-1と思わぬ敗北。続くホンジュラス戦で勝利するものの、チリ戦の結果次第ではなおもグループ敗退の危機にあった。
そして運命のチリ戦。前半トーレスが左サイドを駆け上がるもチリGKブラーボがPA外まで出てきてクリアを図るがこれが中途半端になりボールはビジャのもとへ。これをビジャが無人のゴールに向かってシュートしスペイン先制。
続いて大会直前のシーズンでケガやスランプに悩んでいたイニエスタが2点目を決めた。
その後チリが1点返すが後半はスコアが動かず、スペインはここまでホンジュラスとスイスに連勝していたチリ共々グループ突破を決め、得失点差でチリをかわし首位となった。

スイスはスペインから大金星を挙げるも、チリに敗れたのちホンジュラスと引き分けグループ突破はならず。しかし前回大会から続くW杯連続無失点試合記録を5に伸ばし(最多タイ)、大会通算連続無失点記録を僅かに更新して559分とした(それまでの記録は86年・90年大会でイタリアが樹立した550分)。
1982年スペイン大会以来2度目の出場となったホンジュラスはワールドカップ初勝利を挙げられず。パラシオス兄弟3人が揃ってメンバー入りしたことも話題となった。





グループリーグは全体的に波乱続きであった。
前回優勝のイタリアと準優勝のフランスが揃ってグループ最下位となり、前回大会の決勝進出国がいずれもグループ敗退するという初の事態となった。欧州勢は13チーム中7チームがグループ敗退と全体的に不調であり、突破したイングランド・ドイツ・スペインも敗北などで足をすくわれた。また南アフリカ開催ということで躍進が期待されたアフリカ勢も苦戦し、ガーナ以外は南アフリカが開催国初のグループ敗退となるなど3試合で大会から去ることとなった。一方好調だったのが南米勢。5チームともグループ突破を果たし、チリ以外の4チームはグループ首位通過である(そのチリも勝ち点では首位スペインに並んでいた)。また、第2節終了時点でグループ突破を確定させていたのがオランダとブラジルだけというところからも、グループリーグでの混戦っぷりが窺えるだろう。




決勝トーナメント


Round of 16


ウルグアイ 2- 1 韓国

前半早くにウルグアイがスアレスのゴールで先制するも、後半フリーキックを起点にイ・チョンヨンが決め韓国が追いつく。
しかしその後コーナーキックからスアレスが再び決めて勝負あり。
ウルグアイが順当に勝ち進んだが、FIFAランキングで31位もの差があった(ウルグアイ16位、韓国47位)韓国も健闘した。


ガーナ 2-(延長)- 1 アメリカ

前半5分にケビン・プリンス・ボアテングのゴールでガーナが先制。
後半にアメリカがPKを獲得し、ドノバンがこれを決めて追いつくが、そのままスコアは動かず今大会初の延長戦に突入。
延長前半、ロングボールを受けたギャンがマークを弾き飛ばしゴールを決めてガーナが勝ち越しに成功、そのまま2-1で試合終了。
アフリカ勢で唯一グループ突破したガーナがベスト8に進出。アフリカ勢のベスト8進出は1990年イタリア大会のカメルーン以来である。


ドイツ 4- 1 イングランド

ヨーロッパのシード国同士の潰し合いとなった一戦。
先制はドイツ。足元に定評のあるGKノイアーのロングフィードをクローゼが受け、相手のマークを振り払ってゴールを決めた。
続いてポドルスキのゴールでドイツが2点目を得ると、アップソンがクロスに頭で合わせてイングランドが1点を返す。

その直後、ランパードのシュートがクロスバーに当たりゴールラインを越えた。これによりイングランドが同点に追いついた…
…かと思われたがドイツ選手はプレーを続けている。何とランパードのゴールが主審に認められなかったのである。
しかもギリギリなんてものでもなく、横からの映像で見ればラインをボール1個分は軽く越えており、誰がどう見ても100%入ってるレベルだった。
1966年イングランド大会の決勝ではイングランドのジェフ・ハーストのシュートがゴールライン上に落ちこれが得点として認められた(しかもこれが決勝点となりイングランドが優勝)という出来事があったが、44年の時を越えてこれに似た疑惑の判定が同じ顔合わせながら立場を変えて起きてしまった。
また当時はサミットの開催中であり、サッカーファンとしても知られるドイツのメルケル首相とイギリスのキャメロン首相はサミットの合間にたまたまこの試合をテレビ観戦していたが、この大誤審を目の当たりにしてメルケル首相はキャメロン首相に謝罪したという。

前半同点に追いつくことが叶わなかったイングランドは後半にドイツの鋭いカウンター攻撃にさらされる。若手ミュラーが決めてドイツが3点目、その3分後にエジルが超スピードで左サイドを抜け出し、ラストパスを受けてミュラーが再びゴールを決めた。
イングランドはここで敗退。ドイツはこれで15大会連続となるベスト8進出である。


アルゼンチン 3- 1 メキシコ

前述のランパードのゴールが認められない出来事から4時間少々後にもう一つの大誤審が生まれてしまった

前半、メッシが浮かせたボールをテベスが頭で決めたのだが、この時のテベスの位置が完全なオフサイドでありながらゴールが認められてしまったのである。しかもこの後スタジアムで問題の場面のリプレイ映像が流されてしまったらしく、スタジアムにいたほとんどの人が誤審に気づくが後から判定を変えることはできない

この後はイグアインが相手のパスミスを掻っ攫ってアルゼンチンが2点目。このゴールを喜んだ際エインセがテレビカメラに激突、キレたエインセはカメラをぶん殴った。更に後半にはテベスの強烈なミドルシュートで3点目。メキシコの反撃はこの後チチャリートことハビエル・エルナンデスによる1点に留まった。

アルゼンチンが2006年大会に引き続きベスト8進出。後味の悪い敗れ方をしたメキシコは5大会連続ベスト16に留まった。


オランダ 2- 1 スロバキア

初出場ながらグループリーグ突破を果たしたスロバキアが強豪オランダに挑んだ一戦。
ケガから復帰したロッベンが今大会初先発したオランダは、そのロッベンが先制ゴールを決め、後半にスナイデルが2点目を挙げる。
試合終了間際にはスロバキアがPKで1点返すが反撃もここまで。初出場ながら善戦したスロバキアを退けたオランダが準々決勝に駒を進めた。


ブラジル 3- 0 チリ

南米勢対決となった本戦では、攻撃的サッカーを標榜するチリが王国ブラジルに挑んだ。
前半コーナーに頭で合わせたDFフアン、その3分後にルイス・ファビアーノとブラジルが立て続けに2点を奪う。
ブラジルはチリの攻撃をシャットアウトし、後半にはロビーニョが3点目を決めて完勝。これでブラジルは5大会連続のベスト8進出となった。


パラグアイ 0-(延長)- 0 日本
(PK 5 - 3)

共に初のベスト8が懸かった一戦。
守備を重視した戦い方をしてきた両チーム同士の対戦は互いに決め手を欠き、延長戦でもスコアが動かなかった。試合は本大会初のPK戦に突入する。

パラグアイ1人目バレット成功、日本1人目の遠藤も成功。2人目のバリオスと主将長谷部もそれぞれ成功。そして3人目、パラグアイのリベーロスがまず成功。



そして日本の3人目は駒野友一
彼の蹴ったジャブラニは、無情にもゴールネットではなくクロスバーを叩いてしまった



そしてバルデスが成功しパラグアイが王手をかける。失敗した瞬間に終了というプレッシャーの中、本田が成功させ僅かな望みを繋いだ。
しかし、パラグアイの5人目カルドソ。彼のシュートは川島の横を通り抜けてゴールに吸い込まれ、パラグアイがベスト8への切符を手にしたのであった……。
マン・オブ・ザ・マッチに敗者チームの本田が選ばれたという事実からも、この試合が接戦であったことが窺い知れる。


大会前は目標ベスト4を公言しながら試合内容が伴わず批判され続けてきた日本代表。しかし大会直前に堅守速攻へと舵を切ったことが功を奏し、W杯という舞台に恥じぬ戦いを繰り広げ、もう少しでベスト8にまで手が届こうかという結果を残した。選手たちの奮闘は日本国民の感動を呼び、一部では「岡ちゃんごめんなさい」現象も起きるなど、反響は非常に大きかった。


スペイン 1- 0 ポルトガル

FIFAランク2位スペイン対3位ポルトガルという、イベリアダービーとなった一戦。
スペインが持ち前のパスワークで攻め続け、ポルトガルが守る展開が続いた。そして後半18分、中央をパスの連続で打開しビジャがゴールを決めて遂にスペイン先制。
その後もポルトガルは退場者を出すなど圧倒され、スペインがスコア以上の完勝で準々決勝へと進んだ。
隣国でFIFAランクも1しか違わなかったがその差は大きく、クラブでは大活躍のCロナウドも持ち味を発揮できずカメラの前でツバを吐いて南アフリカを去った。


準々決勝


オランダ 2- 1 ブラジル

主審を西村雄一氏が務めたことで日本でも話題となった一戦。
ドゥンガ監督の堅実な志向を体現し、強固な守備でも強みを見せてきたブラジルが有利と目されていた
事実、前半10分という早い段階でDFフェリペ・メロのスルーパスをFWロビーニョが流し込みブラジルが先制。その後も(オランダGKステケレンブルフのファインセーブに遭ったものの)カカが惜しいシュートを放つなど、ブラジルは前評判通り試合を優位に展開させていた。

ところが後半、右サイドからスナイデルがPA内に蹴り入れたロングボールへの対応で、フェリペ・メロとGKジュリオ・セザールが交錯
そのままボールはゴールに吸い込まれ、歓喜のスナイデルはテレビカメラにどアップで写りゴールを喜んだ。
(この得点は当初オウンゴールとされたが、後にスナイデルのゴールに訂正された。)
更にコーナーキックからスナイデルのヘディングが決まりオランダ逆転
テクニシャンではあるが小柄でヘディングに定評があるわけではないスナイデルに頭で決められ、ここへ来てブラジルの脆さが出てしまった。

更にその後、不穏な空気が流れるブラジル陣営にトドメを刺すかのような出来事が起こる。
フェリペ・メロが倒れたロッベンの足を踏みつけてしまったのだ。これを見た西村主審はすかさずレッドカードを提示
このようにブラジルは負の連鎖が続き、そのまま2-1で試合終了。

オランダは1998年フランス大会以来のベスト4進出で、W杯でのブラジル戦勝利は1974年西ドイツ大会以来。
王国ブラジルは2006年大会に続きベスト8どまり。ドゥンガ監督の守備的な戦い方を好まないブラジルサポーターも少なからずいたが、FIFAランキング1位ながら準決勝進出を果たせなかったことでブラジル国民の失望は大きく、特に敗退の直接的な原因となったフェリペ・メロはかなりの批判を浴びた。


ウルグアイ 1-(延長)- 1 ガーナ
(PK 4 - 2)

1930年の第1回W杯優勝国である古豪ウルグアイとアフリカ勢で唯一気を吐いていたガーナの戦いでは、終盤にドラマが待っていた
前半一部ネットで人気のムンタリが30mは離れたところからミドルシュートを決めてガーナが先制。
後半にはフォルランのフリーキックが直接決まりウルグアイが同点とするが、スコアはこのまま動かず延長戦へ。

そして延長後半にそれは起きた。
ガーナが相手PAで決定的なチャンスを作ったが、スアレスがシュートを手で弾いたのだ。
当然ガーナがPKを得て、スアレスは一発レッド。スアレスは顔を覆いながらピッチを後にする
PKキッカーを務めたのはエースのFWギャン。ところがギャンがこれをクロスバーに当ててしまう。そしてその瞬間顔を覆っていたスアレスは全力で喜んでいた

そのまま試合はPK戦へと縺れ込む。
再びキッカーを務めたギャンは今度はPKを成功させるが、GKムスレラが2本ストップしたことによりウルグアイがPK戦を制した。
ここまで唯一奮闘していたアフリカ勢のガーナであったが、アフリカ勢初のベスト4は彼らの手からスアレスの手によりするりと抜けていってしまった。
古豪ウルグアイは1970年メキシコ大会以来のベスト4進出。しかしながら主力のスアレスが次戦出場停止となり、彼のハンドは世界中で物議を醸した。


……時は流れて12年後。
カタールで開催された2022年ワールドカップのグループステージ・グループHでポルトガル・韓国とともに同組となっていた両者は第3戦で相見えた。
試合自体はウルグアイが前半に2点を取り終盤まで優位に進めたが、同時刻キックオフの韓国-ポルトガル戦で韓国が後半アディショナルタイムのゴールで勝利したとの一報が入った。
これにより勝ち点で韓国に並ばれたウルグアイ。残り時間も僅かである中、勝ち抜けには総得点差で韓国を上回るためにあと1点が必要という状況になる。
ウルグアイは奮闘したが追加点は奪えずそのまま試合終了し敗退が決定。そしてこの試合に敗れたガーナも同じく敗退が決定......したが、観客席からは歓喜の声が。
そう、2010年のことを忘れていないどころか、あまつさえ試合前日の記者会見でスアレスに「(ハンドでの退場後に)PKを失敗したのは俺じゃない(大意)」とコメントされ、改めて傷口に塩を塗られていたガーナサポーターは
「かつて自分たちが受けた仕打ちを仇敵にも味わわせた」ことに快哉を叫んだのだ。
年齢的におそらく最後のW杯となるスアレスはベンチで号泣したが、その姿に対し「12年前の所業へのしっぺ返し」との声があがった。積年の恨みとはかくも恐ろしいものである。


ドイツ 4- 0 アルゼンチン

過去何度も激戦を繰り広げてきた強豪同士の対戦は、終わってみれば一方的な展開になってしまった。

前半3分シュヴァインシュタイガーのフリーキックからミュラーがヘディングを決めて早くもドイツ先制。
その後はアルゼンチンが攻める展開が続いたが、ドイツは強固な守備でこれを防ぎきった。
後半23分、クローゼが決めてドイツ2点目。これで焦りを見せたアルゼンチンに引導を渡すかのようにドイツが3点目・4点目を入れ試合を決定づけた。

ドイツはこれで3大会連続準決勝進出。クローゼはW杯通算得点を14とし、爆撃機ことゲルト・ミュラーと並んで2位に立った。
一方、マラドーナ監督の言動が注目を集めてきたアルゼンチンはここで敗退。マラドーナの戦術は「1930年代のサッカー」とも評された攻守分担型で、選手の個の能力が高かったからこそベスト8まで勝ち進むことができたが、この試合のように劣勢になったときに局面を打開する術を持っていなかった。一方で人心掌握には長けておりチームの雰囲気は良く、そんなマラドーナの姿は監督というよりもむしろ兄貴分であった。
リオネル・メッシの圧倒的な個の力もヤングドイツの組織力に飲み込まれ持ち味を発揮できなかった。メッシはアシスト等得点に絡むプレーこそあれど本大会ノーゴールという不完全燃焼な結果に終わった。メッシが代表でも才能を見せ始めるのはもう少し先の話となる。


スペイン 1- 0 パラグアイ

日本を破りベスト8に進出したパラグアイは、自慢の守備でスペインのパスワークをも寸断していった。
スコアが動かないまま迎えた後半、パラグアイがPKを得る。キッカーを務めるのはカルドソ。
しかし、スペインの控えGKレイナがカルドソのことを知っていた。大会直前のヨーロッパリーグ準々決勝でリバプールのゴールマウスを守っていたレイナは、ベンフィカのストライカーであったカルドソに2度PKを決められていた。そんな経緯もあって、レイナは正GKのカシージャスにカルドソのPKの癖を教えていたのである。
そしてカシージャスは自らの卓越した反射神経とレイナからの情報を活かしPKストップに成功する
直後、今度はスペインがPKを獲得した。キッカーを務めたシャビ・アロンソのシュートが決まりスペイン先制…かと思いきや、味方選手がPAに入ったとの判定で蹴り直しに。これをGKビシャールがストップし、またもスコアは動かなかった。

後半38分、シャビのパスを受けたイニエスタがドリブルで2人かわしフリーのペドロにパス、ペドロのシュートはポストに当たったものの、跳ね返りがビジャの足元に転がり、これをビジャが決めて遂に均衡が破られた。
これが決勝点となり、スペインは1950年ブラジル大会以来となるベスト4進出を決めた。


準決勝


オランダ 3- 2 ウルグアイ

序盤はウルグアイが攻める展開が多かったが、先制点はオランダ。
今大会限りで現役引退することを表明していた主将ファン・ブロンクホルストが、左サイドの30mは離れた所からミドルシュートを決めてみせた
その後前半のうちにフォルランのミドルシュートが決まりウルグアイが追いつき、なおもウルグアイが攻める展開が続いた。
しかし息を吹き返したオランダは後半、スナイデルとロッベンが立て続けにゴールを決めウルグアイを突き放す。
後半ロスタイムにはフリーキックからマキシ・ペレイラが決めてウルグアイが1点差に詰め寄るが反撃もここまで。
オランダが1978年アルゼンチン大会以来となる3度目の決勝進出を果たした。


スペイン 1- 0 ドイツ

EURO2008の決勝と同一カードとなった一戦。
ここまで若手の活躍で勝ち進んできたドイツであったが、この試合では累積警告でミュラーを欠いていた

スペインは得意のポゼッションサッカーを展開するもなかなか得点に繋がらず、ドイツもクロースの惜しいシュートがあるなど両チーム決め手に欠けていた。
試合が動いたのは後半28分。シャビがPKスポットに向かって蹴ったコーナーキック目掛けてプジョルが飛び込んできた。バルサのカピタンのヘディングで遂にスペインが先制する。その後はドイツも反撃を見せるが、スコアは動かず試合終了。

スペインはこれでW杯初となる決勝進出を果たした。
ドイツはEURO2008決勝の雪辱を果たすことができず。ミュラー欠場も痛かったが、若手が多くチームの完成度という点でほんの僅か劣っていたのかもしれない。


3位決定戦


ドイツ 3- 2 ウルグアイ

両チーム主力を欠きながら(特にドイツ代表内ではインフルエンザにかかる選手が続出していた)、試合は見ごたえのある展開となった。

ミュラーが得点王争いでトップタイに立つ5ゴール目を挙げてドイツが先制すると、前半のうちにカバーニのゴールでウルグアイが同点に追いつく。
後半、フォルランの見事なボレーシュート(これまた得点王争いトップタイ)でウルグアイが逆転。その5分後、クロスにヤンセンが頭で合わせてドイツが追いついた。
互角の戦いが続く中、試合を決めたのは負傷したバラックの代役として出場していた若手ケディラであった。後半37分にコーナーからヘディングを決めて勝負あり。

主力を負傷で欠き若手中心の布陣で大会に臨んだドイツは見事3位に輝いた。EURO2004でグループ敗退の屈辱を味わって以来若手選手の育成改革に着手した成果であり、4年後には今大会を経験した選手たちに更なる才能を持った選手が加わり、ドイツ代表のひとつの完成形を見ることになる。
敗れたウルグアイも今大会の南米勢最高となる4位。ワールドカップ黎明期に2度の優勝を果たした古豪の復活を印象付け、大会後にはFIFAランクを6位にまで上げた。


決勝


スペイン 1-(延長)- 0 オランダ

波乱の続いた本大会の決勝カードは、強豪ながら優勝を経験したことのない国同士の対戦となった。

試合は自慢のパスサッカーを展開するスペインに対し、オランダがファウルも厭わず必死に守る展開となる。
オランダの守備は荒く、デ・ヨングの飛び蹴りがシャビ・アロンソの胸にヒットするものの、ハワード・ウェブ主審はイエローカードを提示するに留まった。またファン・ボメルにも際どい守備が多く、温厚なイニエスタも思わず報復を加えるほどであった。

後半、オランダに最大のチャンスが訪れる。
スルーパスを受けたロッベンが抜け出し、スペインDFが誰もいない中自慢の快足でゴールに迫ったのだ。
しかしロッベンのシュートはGKカシージャスが伸ばした足に当たり外へ。スペインは最大のピンチを脱した
その後同様にロッベンが抜け出し、プジョルの水面蹴りをかわしてゴールに迫るも、シュートに至る前にカシージャスが押さえた。
(プジョルは後にこの場面を回想して「ロッベンが倒れる判断をとっていたら一発退場になっていた」と語っている)

両チーム決定機を活かしきれない状況が続き遂に試合は延長戦へ。
延長後半、オランダDFハイティンハが2枚目のイエローで退場となり、オランダは10人での戦いを強いられる。



そして延長後半11分、ついにその瞬間が訪れた
スナイデルのフリーキックが外に出て、この際ボールがスペイン選手の壁に当たっていたが判定はゴールキック
そのボールを奪ったオランダがゴールに迫るも、スペインがノーファウルで奪い返し、ヘスス・ナバスがドリブルで右サイドを駆け上がる。
ハーフラインを越えたナバスはオランダ選手に囲まれるものの、ボールはイニエスタのもとに転がり、イニエスタはバックヒールで繋ぐ。
ボールはセスク・ファブレガスとナバスを経由し左サイドのトーレスへ。トーレスは前線にクロスを送るが、これをファン・デル・ファールトがカット。しかしそのボールがセスクの元へ転がり、セスクはイニエスタに向けてラストパスを送った。
イニエスタは右足を振り抜きシュート。ボールはGKステケレンブルフの手の横を通り抜け、ゴールネットに突き刺さったのだった。



歓喜のイニエスタはイエローをもらうことも厭わずユニフォームを脱いだ。アンダーウェアには前年に若くしてこの世を去った親友へのメッセージが記されていた…




DANI JARQUE SIEMPRE CON NOSOTROS
(ダニ・ハルケ 僕たちはいつも一緒だ)




スペインはピッチの選手も控え選手も皆イニエスタのもとに集まってゴールを喜び、GKカシージャスは早くも涙を流していた。


その後はトーレスが負傷で戦線離脱するという互いに満身創痍な状況に。
スコアはこのまま動かず、122分48秒で試合終了のホイッスル。スペインが栄冠を手にした。






試合はW杯決勝としては最多のイエロー14枚(スペイン5枚、オランダ9枚)が乱れ飛ぶ荒れた展開となった。
ラフプレーも躊躇しないオランダのプレースタイルには批判も多く、かつてのスター選手ヨハン・クライフも母国のプレーに苦言を呈していた
上述のデ・ヨングにレッドを出さなかったことやゴールキック判定など両チームにとってマズい判定があったこともあって、試合後のセレモニーで主審のハワード・ウェブは両チームのサポーターからブーイングを浴びせられた。今回の試合展開は、試合を壊さないように努めていたこのイングランド人審判にとっても受難であった。


一方、初優勝の栄冠をつかんだラ・ロハことスペイン代表。
国内リーグにレアルとバルサという2大クラブを有しながらも、歴史的に地域間の対立が深いことが遠因にあってか、代表戦ではこれまで大きな成果が挙げられなかった
しかしかつてない充実した陣容とバルサ流のパスサッカーでEURO2008を制し、今大会では相手の堅守に苦しみながらも勝ち進んだ。
そして本大会で優勝を成し遂げたことで、スペイン代表の時代の到来を強く印象づけたのであった。


余談だが、優勝メンバーの1人ジェラール・ピケは、本大会のテーマソングを歌った歌手のシャキーラとこれが縁で知り合い交際に至った。爆発しろ
また主将としてトロフィーを掲げたGKカシージャスは、レポーターである恋人のサラ・カルボネロにカメラの前でキスをした。こっちも爆発しろ


総括


本大会は我らが日本代表も含め堅守速攻の戦略を採ったチームが多く、新興国の躍進や強豪国の思わぬ躓きが多く見られた。
ジャブラニや高地での戦いの影響もあったのかもしれないが、グループリーグの項目で記したように多くの波乱が起きた。
優勝国のスペインに関しても、「初の決勝トーナメント無失点優勝」「欧州外の大会で欧州勢の初優勝」「初戦で敗れたチームの初優勝」と異例づくしであった。

守備的な戦いの結果、64試合で決まったゴールは合計145に留まり、1試合平均2.27点は大会史上2番目に少ない記録となった。
優勝したスペインが8得点しか挙げられなかった(優勝チームとしては最少)ことからもその辺りが窺えるだろう。


表彰


得点王は5ゴールを決めたダビド・ビジャヴェスレイ・スナイデルトーマス・ミュラーディエゴ・フォルランと、上位4チームから1人ずつ輩出された。
ゴールデンブーツに輝いたのはミュラー3アシストを記録していたことが考慮された(他の3選手は1アシスト)。ミュラーは20歳と最年少での得点王である。またMVP(ゴールデンボール)に輝いたのはフォルラン。古豪ウルグアイ躍進の原動力となった。
ビジャはシルバーブーツとブロンズボールを受賞。堅守に苦しみながらも優勝を勝ち取ったスペインの得点源であった。
スナイデルはシルバーボールとブロンズブーツを受賞。FWとしての出場がない選手が得点王に輝いたのは初の快挙である。

ミュラーは最優秀若手選手賞にも輝いた。かつて爆撃機と呼ばれた西ドイツの名ストライカー、ゲルト・ミュラーと同じ苗字を持ち同じ背番号13を背負ったトーマスは多くの得点に絡み、選手としてのタイプこそ違えど爆撃機の再来を印象づけた。
最優秀GK賞はイケル・カシージャス。7試合2失点はワールドカップ優勝国としては最少タイである。
優勝国のスペインはFIFAフェアプレー賞にも輝いた。スペイン選手は大会を通じて退場や累積警告による出場停止が一切なかった





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最終更新:2022年12月26日 09:38