シンエイ動画

登録日:2015/06/15 Mon 14:16:51
更新日:2024/04/15 Mon 16:03:44
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シンエイ動画とは日本のアニメーション制作会社。本社所在地は東京都西東京市田無町。
社名の由来は「新(シン)A(エイ)プロダクション」。後付けで「常にアニメ界の“新鋭”でありたい」という意味も加えられた。
デビュー作は手塚治虫原作のPR用短編映画『草原の子テングリ』。

◆歴史

初代社長である楠部大吉郎が当時の東京ムービーの社長であった藤岡豊に提案を持ちかけられ、東映動画の新人アニメーターだった芝山努、小林治、椛島義夫、森下圭介の
4人を引き連れて前身となるAプロダクションを設立したのが始まり。
その後は東京ムービーと手を組み、同社の制作担当として『オバケのQ太郎』『巨人の星』『ルパン三世』『ど根性ガエル』『天才バカボン』等の人気作品を手掛ける。
当時のメンバーには大塚康生や高畑勲、さらには宮崎駿などの後の超大物アニメーターが在籍していた。

1974年に楠部が病気で1年間療養したことの影響により製作本数が減少、限界を感じた楠部は自社単独で企画・制作ができるように構造改革を決意。
1976年9月9日に社名を『シンエイ動画株式会社』に変えて再スタートを果たす。
その後幾つかの下請けをこなした後、独立祝として東京ムービーから映像化権を譲渡されていた『ドラえもん』の制作に着手。
これにより飛ぶ鳥を落とす勢いとなったシンエイはコロコロコミック連載作品と藤子不二雄作品のアニメ化で立て続けに大ヒットを飛ばし、
1992年の『クレヨンしんちゃん』により不動の地位を手にすることとなる。

『ドラえもん』を放送しているテレビ朝日との関係が深く、2003年に同社が株式の10%を取得。2009年には更に株を取得し、現在はテレビ朝日の完全子会社となった。

2代目と現在の社屋は外壁が青く塗られており、「ドラえもんビル」の愛称を持つ。
なお、2代目社屋は2011年から保育園として運営中。

◆作風

ドラえもん』と『クレヨンしんちゃん』というドル箱どころか油田レベルのコンテンツを2つも抱えているため赤字とは無縁の資金力を誇っており、
監督から動画マンまで殆どの役職を自分たちで賄える程の人員を持つ。
また、それにより下請けで稼ぐ必要も無いどころか老舗故の人脈によりProductionI.Gや京都アニメーションなどの大手にグロスを任せることもできるため、
自社作品の制作に専念できるという最高の環境を維持している。
そのため常にテレビアニメ2本+αとアニメ映画2本の制作を抱えているに関わらず、作画崩壊と納期遅れを一度も起こした事がない*1などスケジュールの堅実さは業界一。

主に『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』など、派手なアクションの無い日常系を制作していることによってお目にかかる機会は少ないが、戦闘シーンでの作画もかなりのもの。
巨大ロボ同士の激突から格闘家の対決などのリアル寄りのシーンまで幅広く対応し、『開始一分で板野サーカス』や『カンタム禁止令』などの伝説を産み出している。

他にもミリタリー描写や美味しそうな食事シーン、背筋も凍るホラーなど得意とする分野は多く、某評論家は「コアなオタク程、シンエイのポテンシャルでオリジナルを見てみたいと思う」との言葉を残している。
早くからCGを導入しており、1984年公開の『ドラえもん のび太の魔界大冒険』にはOPタイムマシンのシーンで使われ、1990年代にはデジタル班を立ち上げている。

ファミリー向けを多く作っているため、いわゆる『公式が病気』とは無縁と思われがちだが、実際はそんなことはない。
むしろ『公式が最大手』とも言えるハジケぶりを見せることがある。
例として、
 『劇中劇という形で丸々一話をロボットアニメとして放送
 『主要スタッフ内で「で歩く」というアイデアが被る』
 『セル画をいくらでも使わせてくれたのでケツだけ星人を秒間24コマで動かす
 『便秘解消の喜びを表現したミュージカル短編の制作
 『全力で視聴者へトラウマを刻み付けにかかるホラー回
 『戦国時代の合戦を忠実に再現し、報われない結末を描いた映画
最近では、背景での文章に下ネタを隠したために傑作選のDVDが回収される事態になったことが記憶に新しいのではないだろうか。

◆関係の深いスタッフ

(()内は代表作または深く関わった作品、太字はシンエイ動画での作品)

○芝山努

(ドラえもん、映画ドラえもん、巨人の星、天才バカボン、忍たま乱太郎、ちびまる子ちゃん、)

Aプロダクションの創立メンバーの一人。1978年に独立し亜細亜堂を設立。
そのまま動画へ流用できるほどに書き込まれた絵コンテで知られ、二冊のみ出版された映画ドラえもんの絵コンテ集は、プレミアが付く程の人気となっている。
とにかく仕事が早く、映画『ルパン三世』や『ガンバの冒険』では全レイアウトを一人で書き上げ、1983年からの21年間は映画ドラえもんの監督をこなしながら複数のテレビアニメに関わっていた。
一方で遊び心も忘れず、絵コンテではドラえもんの代わりに起きあがりこぼしを配置したり、前述の絵コンテ集では巻末にドラえもん達の「撮影現場」を描き下ろしている。

○本郷みつる

(クレヨンしんちゃん、映画クレヨンしんちゃん、チンプイ、バトルスピリッツ 少年突破バシン、毎日かあさん、ワールドトリガー)

1981年に亜細亜堂に入社。1991年に退社し現在フリーで活動。
入社してからの数年間は同期の望月智充の影に隠れ、アニメへの情熱を失いかけていたが『エスパー魔美』の現場で原恵一と出会い、彼の仕事ぶりを見て次第に情熱を取り戻すことになる。
その後『チンプイ』の監督で頭角を表し、『クレヨンしんちゃん』の初代監督に就任。ドラえもんに続く、シンエイ動画発の国民的アニメとして高視聴率をマークする。
先述の経験があるためか、当時干されかけていた水島努を『クレヨンしんちゃん』に引き入れたり、当時若手の湯浅政明の才能を見込んで大一番を任せたりと、後の大物達を数多く発掘している。
元同僚曰く「彼の描くオカマは本当に気持ち悪い!」とのこと。

○原恵一

(クレヨンしんちゃん、映画クレヨンしんちゃん、ドラえもん、エスパー魔美、河童のクゥと夏休み、カラフル、百日紅)

2007年に退社。現在フリーで活動。
『ドラえもん』での演出により若くから注目されるも『エスパー魔美』での若手故の苦労から、番組終了後に7ヶ月もの間東南アジアを放浪。
帰国後『21エモン』を経て『クレヨンしんちゃん』を担当する。
非日常系を得意とする本郷とは対照的に、現実を中心とするリアル嗜好であり、『映画クレヨンしんちゃん』ではアクション仮面の設定達人同士での対決シーンなどに違いが表れている。
脚本を兼任する場合は文章に起こすことはせず、絵コンテをそのままシナリオの代わりにする手法を取る。これは制作期間が短い『映画クレヨンしんちゃん』で培われたものらしく、正月から絵コンテ作業をしたこともあったという。

○水島努

(クレヨンしんちゃん、映画クレヨンしんちゃん、ジャングルはいつもハレのちグゥおおきく振りかぶってガールズ&パンツァーSHIROBAKO)

1986年に入社。2004に退社し現在フリーで活動。
原からは「ギャグに貪欲」と称されるなど、ブラックユーモアやバイオレンス描写を好み、『クレヨンしんちゃん』での有名なギャグシーンの殆どは彼によるもの。
本郷から叱られた回数は社内一だったが、前述の事もあって原と共に「神様のような人」と尊敬しており、『映画クレヨンしんちゃん』では両氏の後任という無茶振りのような状況で成功をおさめている。
音楽教師を目指した過去からか電波ソングの作詞作曲には定評があり、シンエイ動画時代には「私のささやかな喜び」や「古代ローマ帝国風呂衰亡史」などを生み出している。

○渡辺歩

(ドラえもん、映画ドラえもん、謎の彼女X、宇宙兄弟、団地ともお、彼女がフラグをおられたら)

1988年にスタジオメイツからシンエイ動画に移籍。2011年に退社し現在フリーで活動。
ドラえもんと同じ誕生日なためかシンエイ動画での活動も殆どがドラえもん関連であり、そのけれん味溢れる動きと過剰演出から「ドラクラッシャー」の異名を持つ。
その方向性については賛否両論ながらも、キャラクターをイキイキと動かす技術は高く評価されており、特にしずかちゃんをかわいく描くことには並々ならぬ拘りを持っている。
ドラえもんリニューアル後初の映画『ドラえもん のび太の恐竜2006』では監督を担当。この頃に新しく築いた制作体制は、退社後もスタッフの間で受け継がれている。

○湯浅政明

(クレヨンしんちゃん、映画クレヨンしんちゃん、ねこじる草、マインド・ゲーム、四畳半神話大系、ピンポン THE ANIMATION)

1987年に亜細亜堂へ入社。その後フリーで活動し2013年にサイエンスSARUを設立。
「一見大人しそうに見えてとんでもないことを次々と思いつく」と評されるなど、担当した場面が一目で分かるサイケデリックかつ麻薬的な、視聴者の理解を超えるような映像を得意とする。
その才能を本郷に見込まれたため『クレヨンしんちゃん』では初期の頃から参加し、映画でのクライマックスシーンは絵コンテから全てを任されていた。
メディアに露出する際は愛用のニット帽を被っていくことが多く、ファンからはニット帽愛好家と呼ばれている。

これ以外にも名の知れたスタッフが数多く関わっているが、全て記述すると容量が足りなくなりそうなので名前のみで一部を紹介。


◆主な作品(TVアニメ編)

ドラえもん(1979年版)(1979年-2005年)
怪物くん(1980年-1982年)
忍者ハットリくん(1981年-1987年)
ゲームセンターあらし(1982年)
フクちゃん(1982年-1984年)
パーマン(1983年-1985年)
プロゴルファー猿(1985年-1988年)
藤子不二雄劇場 オバケのQ太郎(1985年-1987年)
エスパー魔美(1987年-1989年)
ウルトラB(1987年-1989年)
つるピカハゲ丸くん(1988年-1989年)
ビリ犬(1988年-1989年)
美味しんぼ(1988年-1992年)
おぼっちゃまくん(1989年-1992年)
笑ゥせぇるすまん(1989年-1992年)
チンプイ(1989年-1991年)
ガタピシ(1990年-1991年)
どろろんぱっ!(1991年)
21エモン(1991年-1992年)
クレヨンしんちゃん(1992年-)
さすらいくん(1992年)
忍ペンまん丸(1997年-1998年)
ヨシモトムチッ子物語(1998年)
週刊ストーリーランド(1999年-2001年)
ジャングルはいつもハレのちグゥ(2001年-2004年)
あたしンち(2002年-2009年)
ドラえもん(2005年版)(2005年-)
ご姉弟物語(2009年-2010年)
スティッチ! 〜ずっと最高のトモダチ〜(2010年-2011年)
エリアの騎士(2012年)
黒魔女さんが通る!!(2012年-2014年)
インド版 忍者ハットリくん(2013年-)
となりの関くん(2014年)
デンキ街の本屋さん(2014年)
怪盗ジョーカー(2014年-2016年)
アニメで分かる心療内科(2015年)
新あたしンち(2016年)
TRICKSTER -江戸川乱歩「少年探偵団」より-(2016年-2017年)
笑ゥせぇるすまんNEW(2017年)
妖怪アパートの幽雅な日常(2017年)
からかい上手の高木さん(2018年・2019年・2022年)
ポチっと発明 ピカちんキット(2018年-2020年)
少年アシベ GO! GO! ゴマちゃん(2019年) ※第97話以降
八男って、それはないでしょう!(2020年)
PUI PUI モルカー(2021年)
アイドールズ!(2021年)
すばらしきこのせかい The Animation(2021年)
ましろのおと(2021年)
iiiあいすくりん(2021年)
カッコウの許嫁(2022年)
ちみも(2022年)
ビックリメン(2023年)*2

◆主な作品(劇場アニメ編)

映画ドラえもんシリーズ(1979年版)(1980年-2004年)
映画クレヨンしんちゃんシリーズ(1992年-)
映画あたしンち(2003年)
映画ドラえもんシリーズ(2005年版)(2006年-)
河童のクゥと夏休み(2007年)
STAND BY ME ドラえもん(2014年)
窓ぎわのトットちゃん(2023年)



追記、修正はシンエイ動画の全作品を視聴してからお願いします。

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最終更新:2024年04月15日 16:03

*1 一応、1982年の「ドラえもん のび太の大魔境」は製作進行がギリギリだったらしく、予定されていた試写会が当日に中止になっている。

*2 アニメーションの実制作はレスプリが担当。