遍路(四国八十八ヶ所巡り遍路)

登録日:2011/07/16(土) 20:32:28
更新日:2024/02/15 Thu 05:36:11
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遍路とは、幾つかある霊所巡りのひとつ、四国八十八ヶ所巡りの事である。

弘法大師空海に(大部分は)縁の深い札所を巡る、徒歩で約40日、車で約10日くらいの修行である。

遍路では、各霊所の阿波国を発心の道場、土佐を修行の道場、伊予国を菩提の道場、讃岐国を涅槃の道場と呼ぶ。

まわる順番はあるが、別に守る必要はない。順番通りにいく順打ち、逆にいく逆打ちと言う言葉から分かるようにせいぜい「基準はあるよ」くらいである。
乱れ打ちという、適当な順番の呼び名も最近ついた。

歩き方どころか一度にいくつ行ってもいい。一度にいく事を通し打ち、回数に分けていく事を区切り打ちという。
きついだけが修行ではないのだ。

いくつかの霊所は、本来は遍路の札所ではなかったが、様々な理由で元々の札所と代わっている。

ホラー好きな方なら、死国を覚えているかも知れない。上記の通り逆打ちである。
ただ、実は死国のネタは『閏年に逆打ちをすると順打ちをする空海とすれ違う』という話であり、全くの創作ではない。
「死国」では逆打ちは死者を生き返らせる呪いの儀式のように言われているが、
現実では「弘法大師(空海)に直接会うことが出来る」という解釈から2倍のご利益があると言われ、
特異点である閏年に行う事でさらに倍の4倍、これに3倍の回転を加えることで計12倍のご利益があるという、
むしろ縁起のいいものとして扱われている。
(そもそもの由来は伊予のとある男が弘法大師に無礼を働いた。謝罪がしたいので弘法大師とは逆に遍路の旅にでたものの、何度まわっても追い付けない。
 ついに巡り会えた時、年がかわって閏年になっていた、と言うもの)
え?空海はまだご飯食べている?

それはここで話す事じゃないね。

一般庶民にも知られ始めたのは江戸時代からと言われている。17世紀にはガイドブックまでつくられるほどに親しまれていた。

ただ、あくまで接し方は違えど信仰からくる行いであった。

北海道のローカル番組『水曜どうでしょう』では罰ゲーム企画として遍路(「四国八十八箇所」)を三度行っている。

ただし、予算も時間もないため札は集めず、門の前で写真を撮って巡礼と見做している。
だが、
  • うどん屋によることを優先していくつか飛ばす
  • 人のアンパンを盗み食い
  • 他の企画で「四国四国地獄」「死の国と書いて四国」と四国をディスる
  • 法定速度を守らない。夜道でライトを消す。
  • そもそも罰ゲームで巡礼する

といった不謹慎な態度が目立つためか、巡礼に行くたびに何かしらの霊障が起こるのがお約束である。
そして2回目の企画で、ついに怪奇現象によるロケ中断という事態が発生した。(「四国R-14」参照)

さて、この遍路では幾つか注意が必要となる。

  • 実は一時期、口減らしに使われていた。
修行か観光かは知らないが、マナーの悪い人は口減らしにだされた怨念がおんねん。自分も地域の人も気持ちよく遍路しよう。

  • 泥棒に注意
歩き遍路はあまり貴重品を持たない。お金も念仏を唱えて貰うわずかな額だ。
何を盗られるのか?納経帳である。
順打ち最後の香川県でたまに盗まれる。野宿の際は気をつけてよう。

他にも野宿では虫や蛇や野犬が多い。

同じくらい、お遍路さんに優しい人もいる。

  • 様々な宗派があること
色々な宗派の方が、それぞれの形式でやっている。
ガイドブックを見ながら、そういった方々を変な目でみないように。

マナーと優しさを信じて、気持ちよく遍路をしてみてはどうだろう?

え?引きこもりだから遍路なんてしない?

遍路して、心を綺麗にしたい!って言えば、お小遣い貰えるかもよ?でも、貰ったらやれよ?

たまにはゆっくり、遍路してみては如何だろうか?

矢継ぎ早に納経帳を満たす判取り遍路(スタンプラリー)ではなく、自然や人と触れ合うことも、遍路をやりとげる事より大切な事だ。


ここからは少し重い、もしくは嫌な話をする。
  • (大部分は)の意味
上記にある通り、弘法大師に縁のある寺がほとんどではある。ガイドブックにも縁の寺とあるだろうがそれは全てではない。
そもそも、本来の八十八ヶ所には神社が含まれていた。これが明治政府の神仏分離政策により寺に限定されたのだ。
そうなると数が減ってしまうため、近くの、またはその神社縁の寺が遍路に組み込まれたのだ。

さらに跡継ぎやお金の問題があり、いくつかの寺が入れ替わってしまった。

遍路の握る杖は弘法大師が宿るとはいうものの、今の八十八ヶ所に弘法大師由来のご利益はあるのだろうか?

  • マナーの悪化
遍路を行う者のマナー悪化は、かなり問題だった時期がある。が、それ以上に寺側のマナーが酷い。特に冬場。
札所を開ければ「閉めろ!」の声。
札所に誰も居ない。奥から聞こえるテレビの音。こちらから声をかけると、テレビの音量が上がる不思議。

信仰、宗教からみれば、お互いに修行中の身であるはず。

そして杖は弘法大師が宿る、またはそのものと扱うものである。

弘法大師とさらに修行者二人に「閉めろ!」だの声をかけても無視するだのと、よくできたものだ。同行二人の意味を知らないのだろうか?

  • 一般庶民に親しまれたのは江戸時代から。あくまで信仰~
それ以前は、またそれ以後もだが、修行の一環として、が多い。
次に多いのは難病、特にハンセン病患者や犯罪者、特に流刑などの重罪から四国にきたものである。
ご存知の通り、ハンセン病患者や流刑地の側面もあった四国ならではの理由である。彼らはなかなか定職につけない。故に、職業遍路として遍路まわりをしていたのである。
そこに口減らしも混ざってくる。

にこやかに、楽しく観光遍路をする。大いに結構。
上から遍路さんを見下す。大いに結構。

ただ、昔は信仰と他人の温情無しには生きられず、重い病に重い罪、白い家族の目を一身に背負い、やらざるを得ないが故、遍路まわりをしていた人がいた事は知っていてほしい。

いざり車を再びやれ、とは言わない。
世界遺産登録をやめろ、とは言わない。

ただ、世界に発信したいならば、まわる側、迎える側、どちらの意識も変える必要があるのではないだろうか?



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最終更新:2024年02月15日 05:36