根室拓殖鉄道

登録日:2015/03/26(土) 19:43:50
更新日:2021/05/02 Sun 06:47:45
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根室拓殖鉄道は、かつて北海道を走っていた私鉄の鉄道路線。線路幅762mmの「軽便鉄道」で、2015年現在日本で最も東を走っていた鉄道路線である。
通称「ネムタク」野球選手やアイドルとは関係ない。

◆概要

 その昔、根室半島は「陸の孤島」と呼ばれるほど交通の便が悪かった。
 明治時代から道路はできていたものの、凄まじい豪雪や荒れ狂う海のせいで状態は最悪であり、昭和初期に至ってもバスすらまともに走れない有様だったのだ。そのため、長らく根室半島の人々はわざわざ船を使わざるを得なかったという。

 この状態を打破するべく登場したのが、「根室拓殖軌道」と言う鉄道会社である。

 1927年に工事が始まり、2年後の1929年10月と12月にそれぞれ路線が開通、根室市の中心地・根室駅から歯舞村の中心地・歯舞駅までの鉄道路線が完成した。なお、初期の計画では歯舞駅は別の場所に作る予定だったのだが途中でレールが足りない事が判明し、地元からの要望もあって計画より少し路線距離が短くなったと言う。
 この後さらに東にある鳥戸石(トリトエス)まで路線を延長する計画もあったがこちらは計画倒れに終わってしまった。

 なお、根室拓殖鉄道の根室駅はJR(国鉄)根室本線の根室駅とは別の場所にあったという。

 こうして、根室半島の貴重かつ重要な交通ルートとして運行を開始した根室拓殖軌道であったが、やはり厳しい気候には苦戦を強いられ、長期の運休や路盤状態の悪さなどでずっと経営は難航した。1945年には行政での手続きの簡素化を目的に「根室拓殖鉄道」に生まれ変わったのだが、経営状態は変わらなかった。

 それでも地元からはずっと愛され続けた路線であり、特に歯舞村の村議会は何度も根室拓殖鉄道を買い取りたいと申し出ていた。

 しかし、線路など設備の老朽化には勝てず、さらに道路状態も良くなってようやくバスが走れるようになった事を受け、根室拓殖鉄道も鉄道からバス運行に切り替える事を決定。1959年6月19日の運転を最後に、鉄道の歴史に幕が下ろされた。
 そして根室拓殖鉄道自体も、1961年に根室交通に吸収され、現存していない。


 追記・修正お願いします。













 さて、ここからが本題である。

 この根室拓殖鉄道=ネムタク、日本最東端の鉄道路線である事以上に、日本の鉄道ファンの間では伝説の鉄道路線として今もなお語り継がれている。
 その理由は、この鉄道を走った車両たちにある。

 蒸気機関車から気動車に至るまで、どれもこれも珍車ばかりだったのだ。

◆車両

○蒸気機関車

 まずネムタクに登場したのは、客車や貨車、そしてそれらを牽引する3両の蒸気機関車であった。
 番号はそれぞれ「1号機」「2号機」「5号機」で、どれも中古車両といわれている。何故か3号機と4号機は欠番だった。

 ところが、運転開始早々大変な事態が起きた。雨でぬかるんだ路盤が崩れたせいで、5号機が沼に落っこちたのである。何とか無事引き上げる事には成功したものの、5号機自体がそもそも重すぎて、車庫の線路すら走れないという事実が判明。こうしてたった数回走っただけで5号機はスクラップになったのであった。そのため、重さ以外の詳細はほとんど分かっていないとか。
 一方、1号機の方も問題があった。こちらは重量も軽く走行に問題は無かったが、ネムタクの路線には急勾配が多く、非力な1号機には大変な仕事だったのだ。何とか活躍は続けたものの、予備車となってしまったと言う。

 その後、第二次世界大戦中に軍の手配を受けて「5号機(2代目)」「6号機」(3号機と4号機ではない)が釜石の鉱山からはるばるやって来た……のだが、さらに酷い事に、そもそもネムタクに来た時点で走れる状態ではなく、部品もボイラーも滅茶苦茶だった。そして1945年には予備車だった1号機がどこかに売られ、結局5両の蒸気機関車でまともに活躍できたのは2号機だけであった。

 こうして根室の人々を支え続けた2号機(と毎日が休日の5号機と6号機)は新たにやって来た気動車たちに後を託し、1951年頃に解体された。
 なお、最後まで3号機と4号機は欠番だった。

○客車

 「ハブホ1」「ハブホ2」の2両が在籍。ネムタクの歴代車両でも珍しいまともな車両たちで、戦前の地方私鉄で多く見られた、ドアが無い「オープンデッキ」の客車だった。こちらも中古車両らしい。
 蒸気機関車(だいたい2号機)に牽引されて活躍したが、こちらも1951年に廃車されている。

○気動車

 ネムタクを走った気動車は3両。ガソリンを燃料にした「ガソリンカー」であったが、戦時中から戦後初期は燃料不足のため、木炭を燃料に走っていた。
 全て『単端式気動車』と呼ばれるスタイルで、バスのように運転室が片方にしかついていなかった。そのため、終点の根室駅や歯舞駅にはターンテーブルが用意され、蒸気機関車のようにぐるりと回転する必要があった。また、全車とも固有の愛称が付けられており、後述の事情からそちらで呼ばれる事が多い。
 そしてもう1つ、この3両の気動車こそ、ネムタク屈指の&珍車集団なのである。


・ちどり号
 1931年に製造された、ネムタク初の気動車。車両番号は「ジ6」や「ジ3」、途中で改番して「ジ1」など様々な説があってはっきりしていない。
 外見は一言で言うと線路の上を走るボンネットバスのような感じであり、定員僅か21名と言うミニ車両だった。

 ただ、問題はこの車両の製造年代にある。
 これを製造したのは、日本屈指の鉄道車両メーカーとしてお馴染み「日本車輌製造」の東京支店であるが、実は1931年の時点でこのようなボンネットバスのようなスタイルの気動車は時代遅れも良いところであった。既に両方に運転室がある現在の気動車そのままのスタイルの車両が続々と製造され、各地の鉄道路線で活躍していたのである。にも拘らず、何故か東京支店は試作品として単端式気動車を製造し、それを格安でネムタクが購入したのである。

 色々と曰くつきの車両だったが、今度は別のところから問題が発生した。
 新たに気動車を走らせる際には、当然行政から許可を得る事が必要であり、ネムタク側も勿論申請は行っていたが、なんと許可が下りる前から「ちどり号」を走らせていたのである。そしてその後、新車手続きからボロが出たせいで行政側から怪しまれてしまい、結局許可が下りたのは登場してから1年後の1932年になってしまった。だがその間もネムタクは平気で無許可運転を続けていたという。当時の私鉄ではよくあることだったらしいが……。

 とは言え、ネムタク初の気動車として登場した「ちどり号」は、その後もネムタクの主力として活躍。燃料統制が行われた戦時中も、貴重な車両として蒸気機関車の2号機と共に苦難の時代を乗り切った。
 そして戦後、ボンネット内の痛んだエンジンを新品に換えてパワーアップ。自動車のようにバック運転も出来るようになり、鉄道廃止まで元気に活躍を続けたのであった。

 廃止後、車体は小学校の遊具に活用されたが現在は解体されている。 


・かもめ号
 1949年に製造された気動車。ちどり号よりも大型車体で定員も2倍以上の44名になっている。
 車体はボンネットを内側に埋め込んだ「キャブオーバー」と呼ばれる構造で、冬はとても暖かかったが逆に夏は凄まじく暑かったと言う。

 製造元は札幌にある現在も盛業中のメーカー「田井自動車工業」。消防車やバスなどの車体を主に手がける一方、鉄道車両はネムタク向けの車両のみであり、初めての経験と言う事で札幌市内を走る札幌市電を参考にしたと言う。

 そして完成後、早速ネムタクに持ち込んで試運転が行われたのだが、あろうことかいきなり故障して動けなくなってしまった。駆動部に使っていた部品がぶっ壊れたのが原因であり、すぐさま札幌に送り返され、駆動部分を改造する事態になってしまった。とは言え、改造後は何の支障も起きず、ネムタクの新たな主役として鉄道廃止まで活躍を続けた。

 廃止後は車体がバス停に活用されたがこちらも現在は解体されてしまっている。


・銀龍号
 「かもめ号」と共に、1949年に田井自動車工業で製造された気動車。
 なにやら厨ニっぽいネーミングが異質なこの車両こそが、ネムタクでもトップクラスの珍車であり、現在もなお伝説として語り継がれる車両である。

 他の気動車は当初から旅客運用に用いられていた一方、この『銀龍』は当初貨物輸送に使用されていた。その外見は一言で表すと「線路を走るトラック」そのものであり、かもめ号そっくりの運転台の後ろに荷台が備え付けられていた。その運転台に使われていたジュラルミンの銀色が格好いい!と言うのが『銀龍』と言う名前の由来だったとか。
 なお、大きさは現在の4t積みトラックぐらいなのだが何故か書類上積載できる貨物は0.5tだけだったと言われている。

 ところが、運転を開始した途端厄介な事が起きた。前後の重量バランスが悪かったせいか、「銀龍号」は脱線を頻発してしまったのである。そこで急遽エンジンを車体の内側から外側へ移設し、新たにボンネットを作ることでバランスを良くする事にした。その後は無事脱線は少なくなったのだが、問題はそのボンネットだった。比較的スマートな形だった運転台とは全く異なる、継ぎ足し感満載のオンボロそのものと言う酷いデザインだったのである。

 アレなスタイルになった後も貨物運転を続けていた銀龍号だが、次第に貨物の量は減っていった。冒頭でも述べたとおり、ネムタクの「根室駅」は国鉄→JRの「根室駅」とは離れた場所にあった。そのため貨物の移動に不便を強いられており、戦後急速に発達した(本物の)トラックによる輸送には太刀打ちできなかったのである。
 こうして1953年、「銀龍号」は荷台部分に客室を作り、新たに旅客用気動車として生まれ変わることとなった。手がけたのは近所の大工さんだったという。そして完成した客室は……

  • 鉄道車両というよりバラック小屋や古い公衆便所にそっくりの木造の客室
  • 元からあった運転室と屋根の高さが合っておらず、やたらでかい
  • ↑そもそも運転室と客室が繋がっておらず、窓を隔てないとそれぞれの内部の様子が分からない
  • 左右のバランスがおかしい(左側に客室が少しはみ出ていた)

 ……という見事すぎる出来栄えであった。ちなみに定員はかもめ号より僅かに少ない40名。
 こうして「銀龍号」は、「ボロいボンネット+比較的スマートな運転室+ボロい客室」と言う凄まじい外見に変貌してしまった。

 その後、銀色だった車体が空色に塗り替えられて「『銀』龍」ですら無くなり、さらにヘッドライトもボンネットの上に目玉のように配置し直され、「龍」というよりも某ネコバスのような外見になっていった。それでも鉄道廃止までネムタクの主役として活躍を続けたと言う。


 あまりにも伝説過ぎるこの車両、その人気から各社で鉄道模型が発売されている。
 特にモデルワーゲン社の「銀龍号」は1996年に発売された際には即完売と言うとんでもない事態になり、再生産が行われるほどであった。その後も相変わらずの人気であり、2012年には復刻生産も行われている。
 なので、敢えてこの項目では画像を掲載しない。ぜひ皆様で検索していただき、伝説ぶりをその目で確かめていただきたい。

 ちなみに海外にもモデルワーゲン社の模型が輸出販売された事があるが、その際の英名はずばり「SilverDragon」。名前負けも良いところである。



 なお、実はこの「かもめ号」と「銀龍号」こそが第二次世界大戦後初めて製造された日本の気動車だったりする。

※幻の4両目?
 ネムタクで活躍した気動車は以上の3両だが、実はもう1両、ネムタク向けの気動車が計画されていたのではないかと言われている。
 鉄道研究家の湯口徹氏によると、日本車輌に製造予定だったと言う謎の単端式気動車の図面があり、当時こういう車両の需要があったのは根室拓殖鉄道以外に無かった事から、これが「幻の4両目」かもしれない、と言う事。

 外見はそれまでのバスそっくりな車両と違い立派な鉄道車両そのものだったが、何故か扉が右側にしかついていなかった

 結局ボツになってしまったが、もし登場していたらやはり珍車として語り継がれる存在になったかもしれない。


○貨車

 カオス過ぎる気動車たちと共に活躍を続けたのが、ネムタクの貨車たち。全て屋根が無い「無蓋車」であった。
 当初は車体が長いボギー車が主力であったが、1934年にそれらの大半を一旦解体し、2両の小さなニ軸車に作り変えるという細胞分裂のような改造を行った。これに新たな車両も加え、その後はニ軸車が主力になっている。
 気動車が活躍していた頃には客車の代わりを務め、冬場や雨の時には幌を用意してまるで幌馬車のような姿になったと言う。

 また、豪雪に対応するべく国鉄の車両を参考にラッセル車を作ったのだが、すぐに壊れてしまい使い物にならなかったらしい。


◆運行など

 どれもこれも珍車ぞろいの根室拓殖鉄道=ネムタクだが、その運行も妙なエピソードに事欠きなかった。

  • 路盤状態の悪さのせいで脱線は日常茶飯事。
  • いざと言うときのため、気動車には修復用の枕木やレールが備え付けられていた。
  • ↑脱線すると乗客も総出で復旧作業。
  • ↑それでも復旧できなかった場合、運転手はわざわざ根室にある本社まで歩いていかなかければならなかった。当然列車は運休。
  • あまりに脱線が多すぎて乗客も完全に慣れていた。
  • 逆に夏場は暖かく乗客も少ないので運転手が暇で眠くなり、実際のダイヤよりも数十分早く目的地に着いてしまった事も。
  • 上記の通り気動車が貨車を連結するのが戦後の基本的な運転形態だったが、たまに連結器が外れて貨車が置いてけぼりを食らう事があった。
  • ↑対策として連結器を紐で縛ったという。
  • たまに客車代わりの貨車から乗り逃げする奴がいた。中にはそれを狙って貨車に乗る奴も。
  • ラッセル車がすぐに壊れてしまったので、雪かきは機関車を突っ込んで雪をぶち破る方法で行っていた。


 ……何から何まで珍エピソードが多いこの鉄道だが、上述の通り、地元からは廃止されるまでずっと愛され続けていた。
 時代の流れには逆らえなかったが、歴史から消えてもなお地元の人々や鉄道ファンの記憶にずっと残り続け、そして語り継がれているのだ。

 これからも、根室拓殖鉄道=ネムタクは、伝説の鉄道として「活躍」を続けていく事だろう。主に銀龍号的な意味で




 銀の龍の客室に乗りたい人、追記・修正お願いします。

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最終更新:2021年05月02日 06:47