ヒュパティア

登録日:2015/03/06 (金) 23:43:50
更新日:2024/01/27 Sat 08:57:15
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ヒュパティアは、アエギュプトゥス(ローマ帝国エジプト属領)出身の女性学者である。研究分野は数学・天文学・哲学(新プラトン主義)。
読み方によってはハイパティアとかハイペシアとかとも。その悲劇的な死に様から一部で有名。





















CAUTION!

本項には現代の(すなわち、当時存在すらしていなかった)価値観に由来する、原始キリスト教に対し揶揄的な記述が一部存在します。
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CAUTION!





















人物

アレクサンドリア図書館最後の館長であるテオンの娘として生を受けた。具体的な生年は不明だが、350~370年の間であろう……とされている。
父の才を受け継いで非常に聡明であったらしく、『算術』や『コニクス』、『アルマゲスト』などに関する著述を残したと伝えられる(現在失伝)。
前半生についてはあまり知られていないが、父に手ほどきを受けてその講義や著作の助手をしていたのだろう。
アテナイに留学してその知を磨き、帰国後は哲学校の校長(あるいは教師)となる。

聡明にして博識のみならず相当な美女でもあったようで、彼女の教えを受けようとする学徒、あるいは彼女の知恵を求めた司法家や為政者の中で、
彼女に熱を上げない人はいないほどだったとも伝わる。
現在残されているのは死後に描かれた絵画のみではあるが、現代人の美的感覚からしても十分美人だといえる(個人差はあるかも)。
一方で彼女は容姿云々よりも知的好奇心を優先する人となりだったらしく、言い寄ってくる教え子たちにすげなく肘鉄をかますこともあったとか。
後述の言動も含め、なかなかにロックンロールな方だったようである。

数学と哲学に関しては新プラトン主義の創始者であるプロティノスと、シリア分派創設者であるランバリクスの著書の影響を受けたようだ。
彼女の学んだ哲学、すなわちソクラテス哲学の流れを汲むヘレニズム哲学は、源流同様に自然学とも密接に関わっており、
彼女の学術的・科学的な思考はこれに裏打ちされたものであったと思われる。
また、キュレネに居を構えていたシュネシオス(彼女の学徒)との書簡を根拠に、アストロラーベ*1の発明者として歴史学者に言及されることがある。

彼女の語る教義は極めて学術的、かつ神秘主義(彼女の研究分野から推察するに、エセ神秘主義のことと思われる)を真っ向から否定しており、妥協というものがなかった。
あまつさえ「あなたの考える権利を捨てるな。間違った考えだとしても、思考を放棄するよりはよほどマシなのだから(意訳)」とか、
「真実として迷信を教えることほど恐ろしいものはない(意訳)」などといった言動が伝わっているのである。
そりゃ神秘主義(人口に膾炙してるような意味で)に全振りしてるキリスト教徒がガチギレするのも無理はない。ないったらない。
え、ギリシャ哲学は迷信じゃないのかって?あれは源流からして、自然学や数学を内包するガチガチの学術大系ですよ?
……傍から見たらトリックや魔術じみて見えたかもしれないが、それは置いておく。

研究分野からして、当時のローマ主流派に全力で喧嘩を売っていたようなものなので、著述失伝に関してはある意味必然ではあったかもしれない。
それを抜きにしても、彼ら初期-中期のキリスト教徒が野蛮人の誹りを免れることはないというのがまた、何と言うか……
まあ、勝手に暴動起こして図書館ぶっ壊すわ放火するわ、異教徒と見るや惨殺やらかす連中が、野蛮人でなきゃ何なんだという話ではある。以上余談。




当時のアエギュプトゥス情勢

当時のローマ皇帝テオドシウス1世(379-392年までは東ローマ共同皇帝)はキリスト教徒で、自身もまた異教と異端派を嫌い抜いていた。
当然彼の後継者たちもキリスト教徒であり、父の方針もきっちりと継承している。余計なことまで継ぐなよ……
その彼が即位直後に定めたのが、異教及び異端(アリウス派)に対するローマ全域での迫害方針である。
また、彼は391年当時のアレクサンドリア総司教テオフィロスの要望に応じ、当該属領の異教施設破壊許可を与える。
これのせいでアレクサンドリア図書館はアホども暴徒の手で散々に破壊された後放火され、アレクサンドロス大王以来の叡智の泉は完全に灰燼に帰した。

その後、393年頃からは、法による統制で異教徒同士の諍いを抑え込もうという試みがなされる。
ヒュパティア虐殺当時のエジプト総督であったオレステスがこれを主導する立場であったようだ。
まあ、彼は(台頭後の)ヒュパティアの後援を受けていたし、キリスト教徒としては(当時の彼ら的に)相当な穏健派でもあった。
ましてや己の治める地を、アホみたいな宗教紛争で衰退させるつもりも毛頭なかったであろうし。
ついでに、これら先鋭的なキリスト教徒の振る舞いは、彼が皇帝より任じられた裁判権を侵害しているというのもあった。
驚くなかれ、法廷に密偵を送り込もうとしていたのである。おい何やってんだ聖職者。

無論、テオフィロスと愉快な仲魔たちがこれに反発したであろうことは考えるまでもない。
なぜなら、彼ら敬虔()なキリスト者からすれば、隣人とはキリスト者であり、異教徒は踏みつけ征服、しかるのち改宗させるべき豚なのである。
そんなのと同列にされることなど、皇帝の権力を背景に、世俗と宗教の権益を融合させつつあった彼らには堪えられなかったのだ。
どこぞの立川のロン毛が知ったら全力で愛の説教かましそうな思想だが、これが当時の彼らの正常な思考だったのである。
今でも根底は変わってない?世間体を鑑みてだいぶ取り繕うようになったんだから言っちゃいけません。

ちなみに、ローマ帝国内における当時の異教(の主流派)というと、ギリシャ神話(と、それに影響され体系化されたローマ神話)とユダヤ教である。
というか自分達の教理にそぐわないモンは全部異端で異教で殲滅対象。自然学?数学?神が創りたもうた世界を紐解こうとはおこがましい、そんなノリ。
特にユダヤ教とは近親憎悪的に仲が悪かった。お前ら奉ずる唯一絶対神は同じなんだから、もうちょい仲良くしろよ。無理だろうけど。

で、412年10月。テオフィロスが死に、後継者として甥のキュリロス(当然きっちり教育済み)が次期アレクサンドリア総主教を拝命する。
あらゆる面でおじのコピーじみたこの男の赴任とオレステスとの権力闘争が、ヒュパティアの死の遠因となる。


ヒュパティアの死

オレステスはキュリロスの手の者が世俗の権益を蚕食するのを嫌っており、同時にキュリロスも旧来の愚物(彼ら視点)と交わるオレステスを良い目では見ていなかった。
そうは言ってもオレステスとて言い分はある。厳然として存在する異教徒との共存なくして、アレキサンドリア統治ができるはずもない。
そもそも、人=人口とは力なのだ。ユダヤ教徒やその他異教徒だって税収の一端担ってるのに、いきなり追い出してどうすんだって話である。
税収減補填用の値上げ分はキリスト者が払ってくれるとでも言うのだろうか。どうあがいても無理だと思うが。

ともかく、現状を無視するかのような振る舞いをするキュリロス一派こそ、統治者たるオレステスからすれば邪魔者だったのだ。
そうしてギスギスした雰囲気の中で、ユダヤ教徒とキリスト教徒の間でアレクサンドリアを二分する緊張状態となる。
実際は緊張状態どころか、両教徒間で内戦スレスレの殴り合いとなっていたわけだが……

そんな中、一部のキリスト教徒がこのような考え(というかほとんど妄想)を持つに至る。

「オレステス総督がこちらと話し合おうとしないのは、ヒュパティアが何事か吹き込んでいるからに違いない!」

実際には妥協というものを知らない(現世の権益的な意味で)連中に疑心暗鬼に陥ったからなのだが、そんなの敬虔()な彼らが思い至るはずがない。
そもそも総督と彼女の繋がりは、彼女らアレクサンドリアの叡智の末裔の知恵を借り、現地をより円滑に運営するためであった。
ユダヤ教徒との繋がりもまた、自分たちの教理(と権益)が第一で、現状を見ない連中への対抗で手を組んだだけである。
脳味噌一片まで教条原理主義に染まった連中にそんな知恵があるか?という話だったのだが、それに思い当たるほど彼らは柔軟ではない。

かくてキリスト者の群衆は煽動者に率いられ、415年の四旬節に、馬車で学園に向かう途中だったヒュパティアを襲撃。
最寄の教会に拉致して裸に剥き、生きたままカキ殻で全身の皮と肉を削ぎ落とすという残虐極まりない方法で殺害したのである*2*3
彼女の遺骸は惨たらしく切り刻まれ、高々と往来に掲げられた後に焼き尽くされ、打ち捨てられた。
ここまで読めばもうおわかりだろう。彼女は被害妄想&とばっちりで惨殺されたのだ。

さすがにこの件に関しては、キュリロスが命令したとは判断できない。
なぜなら、彼女の教えを請うためにアレクサンドリアを訪れる名家の子弟も少なからずおり、その中にはキリスト教徒もいたのだ。
彼女は“アレクサンドリアの同世代の哲学者をはるかに凌ぐほどの学識をなした”とも謳われた女傑である。
そんな学者を殺すなどと、どれだけの者を敵に回すというのか。先に述べたが、彼女の教えを請うていたものはアレクサンドリア外にもいたのだ。
もしもその中にキュリロスの敵対派閥に属するものがいたら、もしくは繋がりがあったら?
キュリロス自身はローマ国内でも有数の権勢を誇るキリスト者だが、かと言ってこのような敵に塩を送るような真似はできない。
彼個人の思想信条にかかわらず、彼は政治的にヒュパティアを殺せなかったのである。配下のバカが殺っちまったが

なお、彼女の死に関しては、後の教会史家でさえ以下のように断じている(本来キュリロスを擁護する立場であり、実際結構擁護はしている)。

『この事件は、キュリロスだけでなく、アレクサンドリア教会全体にとりわけ不名誉をもたらした。
間違いなく、虐殺や闘争、そしてそうした類の行為を許容することはキリスト教の精神からもっともかけ離れているのだ。』
ソクラテス=スコラスティコス『教会史』第7巻より、大谷哲の訳による



余談

彼女の死が広まるやいなや、その残虐な殺され方に恐れをなした学者(ほとんどが異教徒)は国外への亡命を選択。
学都アレクサンドリアの凋落と衰退が一気にトップギアへ加速してしまう。まあ、最先端を走ってた学者がこんな殺され方をしちゃあねぇ……
そもそも、異教の学問自体異端というのが当時のキリスト教の見解である。仮に改宗したとて、研究を捨てねば近いうちに異端として抹殺されるだろう。
彼ら学問の徒には、亡命するしか選択肢はなかったのだ。

一方でキュリロスは先年のユダヤ人強制追放(無論当時の法に則っても違法)とこの学者亡命で「異教徒共を追放した功労者」として称えられる。
死後、1882年には教皇レオ13世により「教会の博士」として聖人に列せられた。
(ただこれは、イエス・キリストは神性と人性が結合したものでマリアは神の母ではなくキリストの母に過ぎないとするネストリウス派を、イエス・キリストは受肉した神でありマリアは従来通りの神の母で合ってると論破した功績が大きいと思われる)
なお、このレオ13世、トマス・アクィナスの思想を猛プッシュすることで「信仰と科学思想の共存」を訴えた人物である。
あなたが聖人にした人物、それに真っ向から喧嘩売った件で教会から称えられてるんですけど、ちゃんと調べてから選抜したんですかねぇ……

一応原始キリスト教徒の擁護をしておくと、当時の自然科学は何というか、少々魔術とかオカルトめいた側面があるのも否定できなかった。
「数字には何か秘密めいた謎が隠されており、それを解き明かせばより高次の叡智を身につけられる!」的な雰囲気もあったようだし。
後はまぁ、アエギュプトゥス情勢の解説で述べた通り、神の創りたもうた世界を紐解こうなどおこがましい、というのはキリスト教の一貫した主張である。
ただ、異教異端の徹底的廃絶により、ギリシャ・ローマの文化風俗や優れた技術が失われたこともまた事実である。
当時のキリスト教徒を端的に表すと思想だけはアンデルセン、やってることは実質ゾンビに等しいわけで。うーん、この……
やや過激なものでは、『キリスト教徒の異端廃絶で欧州の発展は世紀単位で遅れた』との主張もある。言わんとすることはすごくわかる。


ちなみに、彼女を模倣した聖人として聖カタリナ(アレクサンドリアのカタリナ、設定生没年287-305年)がいる。無論、334%架空の人物である。
ヒュパティア以前に存在したとされる、聡明にして博識かつ非業の死を遂げた、美貌の聖女。あからさまにコピーすぎてこの時点で「あっ……(察し)」である。
伝承()によると、彼女はマクセンティウス帝(当時)に神の博愛を説き、時の皇后を改宗させ、皇帝に言い寄られたが拒み、処刑されたという。
後になると、天使が亡骸をソイヤウォーカーしてシナイ山に運んだというコントじみた後日談まで追加された。

なぜこれが嘘っぱちかというと、大前提としてマクセンティウスはそもそもキリスト教の迫害なんぞしていないのだ。
その寛容さたるや晩年に洗礼を受けたコンスタンティヌス1世も真っ青なレベルで、わざわざキリストの愛を説かんでも十分に寛容だったのである。
……つまりどういうことかというと、自分たちの後援こそが名君であると言いたかった後世のキリスト教徒の手になる中傷伝説の一部でしかない。
まあ、何だ。都市伝説の対抗神話よろしく祭り上げられた聖カタリナも被害者なのである。過去にも未来にも髪の毛一本実在しないけど。


また、ヒュパティアの生涯を題材にした映画『アレクサンドリア』が2009年にスペインで公開されている。
肝心の内容はというと、宗教嫌いに定評のあるゲイの監督が指揮をとったためか、はたまたストーリーとしての面白さも無理に詰め込んだためか、むしろ両方か?
地動説を提唱する超天才を無学なキリスト教徒がブッ殺すという全方位に喧嘩を売った作品に仕上がっている。
……のだが、なんと本国では同年度のゴヤ賞のうち7部門を独占するわ、スペイン映画の最高興行収入を更新するわの大ヒット。あの、お宅ガチのカトリックじゃありませんでしたっけ?
映画本編に関してはDVDが出てるので、レンタルするなり買ってくるなりご自由にどうぞ。最低でも、当時の建造物等の再現映像に興味があるなら観る価値はある。





追記・修正は生きたままカキ殻で肉を削ぎ落とされる、あるいは死後にソイヤウォーカーされる前にお願いします。

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最終更新:2024年01月27日 08:57

*1 遅くとも10世紀までには発明され、18世紀頃まで用いられていた天体観測用アナログコンピュータ。星々の位置測定/予測から測量など、その運用法は多岐にわたる。また、六分儀発明以前には航海における方位や大雑把な現在地測定機器としても使用された。彼女の手になるものだとしたら、アンティキティラの歯車ほどではないがなかなかオーパーツ気味である。

*2 エドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』より

*3 「ostrakoisで殺された」という記述で、この単語は「カキの貝殻」あるいはギリシャではカキの貝殻を屋根に使用していたことから転じて「屋根の煉瓦」を意味するため、「煉瓦で撲殺したという記録を誤った解釈した」とする説もある。ただしその後、遺骸が切断され焼かれるという辱めを受けた点に関しては相違無いようでいずれにせよ蛮行としか表現出来ない