ドナルド・クロウハースト

登録日:2015/03/02 Mon 01:47:31
更新日:2024/03/21 Thu 22:20:18
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ドナルド・クロウハーストは、1969年に行方不明となったイギリスのヨットレーサー…とは名ばかりの、アマチュアヨット乗り*1である。


■生い立ち

クロウハーストは、1932年にイギリス領インド帝国(現・インド)で生まれた。
インド独立の機運が高まり始めてから、クロウハースト一家はイングランドへと戻った。
空港の王立航空機関において5年間見習いとして働いた後、1953年にはイギリス空軍よりパイロットに任命された。翌1954年に空軍を依願退職。
続いて1956年にイギリス陸軍の一部門・英国電気機械技師協会に雇用されるが、同年、規律違反がもとでイギリス陸軍を退役。
その後、イングランド南西部のサマセット州ブリッジウォーターに落ち着いた。
この地において、軍隊時代に得た知識で電気技術者となり、エレクトロン・ユーティライゼーション(Electron Utilisation)と呼ばれる小さな電気店をスタートさせた。
クロウハーストはこの地で積極的に活動しており、町議会議員にも選出されている。

1957年に妻・クレアと結婚。その後4人の子供を授かる。裕福とまでは言えないが、幸せな家庭を築いていた。
そんな彼の趣味は、休暇に小さなヨットを操縦することであった。
趣味を生かして航海用のナヴィゲーション*2の開発に成功するも売り上げは伸びず、会社は倒産の危機に瀕していた。



■ゴールデン・グローブ・レース

1968年、イギリスのサンデー・タイムズ紙により、『ゴールデン・グローブ・レース』というヨットレースが企画された。
これはただでさえ過酷なヨットによる世界一周を、あろう事かレースの形式で行うというものだった。
しかも、全行程6万㎞にも及ぶ世界一周レース中は、その間陸に上がることも、他の船から物資を受け取ることもできない。
すなわち、史上初の単独無寄港世界一周の栄誉*3をレースで決めようという、とんでもない試みだったのである。
なお、レースはスタートの日時を決めて同じタイミングで一斉に出発するという方式ではなく、決められた期間の間にスタート地点を出発し、
最初にゴール地点に到着した者にトロフィー、最短日数で到着した者には5000ポンド、現在の日本円で4000万円にもなる賞金が与えられるレースであった。

既に世界一周クラスの実績を残していたヨット乗りばかりが名乗りを上げる中、一人の無名選手が名乗りを上げた。それがドナルド・クロウハーストだった。
失敗続きだった彼は、一念発起してこのレースで優勝し、借金を返してやろうと考えたのだろう。同時に、彼のビジネスであるナヴィゲーションの宣伝という目的もあった。

有名ジャーナリストが彼を取材し、屈強な経験者に挑むアマチュアという構図は、人々を熱狂させた。
後援会が作られ、ニュースも連日彼の情報を流す。ヨットの出資者も見つかった。つまり彼は借金まみれになっていた。
この熱狂がやがて彼を悲惨な形で破滅させるとは、おそらく誰も予想していなかったに違いない。



■出港

期間最終日の1968年10月31日に、クロウハーストはトリマラン(三胴船)*4型ヨット「テインマス・エレクトロン」*5に乗って出港。
そして、無線からクロウハーストが申告する*6航海の情報は順調で、速度は他のヨット乗りを上回る世界記録ペースだった。
支援者たちは、歴戦のヨット乗りを抑えて彼が最速記録を出すのではないかと沸き立ち始めた。
それに加えて、他の参加者達は、過酷な航海に耐え切れず次々とリタイアしていたのだ。
なお、レースに参加していたベルナール・モワテシエ(フランス)は、最速到着を狙えたにもかかわらず突如レースを離脱し、
レースと全く関係の無いルートで単独無寄港世界一周半を達成するというカオスな行動をとった。

ところが、翌年1月、無線連絡が途絶えてしまい、生死が危ぶまれるが、4月に連絡が復活。
連絡できなかったのは無線が故障していただけであり、相変わらず順調な航海であることが伝えられた。(一部の関係者はこの時点で異変を察知していたが…。)

4月22日にロビン・ノックス・ジョンストン(イギリス)*7が313日をかけてゴールしトロフィーが与えられたが、レースの形式上、賞金を授与されるのは最も短い日数でゴールした参加者であり、
クロウハーストのペースはジョンストンよりも短い日数でゴールを狙えるものであった。
しかも無線からはゴールが近いという話も飛び出し、彼の支援者は沸き立ち、歓迎会まで準備していた。 

そして、5月20日にクロウハーストのペースを上回る速度で先を走っていたナイジェル・テトリー(イギリス)の船が、ゴールまで残り約2200kmの地点で沈没してリタイア。
この時点でクロウハーストの最速到着はほぼ確実と目され、新聞でも連日特集が組まれるまでに至った。



■真実

ところが、7月10日に事態は急変する。郵便船が海上に漂うクロウハーストのヨットを発見したのだ。
船内には機材や食料、救命ボート、そしてクロウハーストの航海日誌が残されており、船の持ち主だけがいなかった。

クロウハーストの消息は今もなお不明であるが、海賊に襲われたとも思えない彼のヨットの状況と、後述する彼の遺した航海日誌の内容から、
最後の記述を終えた後に海に身を投げ、自殺を図ったと考えられている。



船の中に残された日誌には、彼の航海は実は失敗の連続だったことが赤裸々に記されていた。

元々、クロウハーストの準備はかなり杜撰だった。
そもそも彼は世界一周に耐えられるヨットを持っておらず、参加を決めてから突貫工事で作っていた有様で、まともな準備期間が取れていなかった。

そして、彼が採用したトリマランは、単胴船や双胴船よりも高速の巡航が可能なのは確かだが扱いが難しく、熟練者でなければ扱えないものであり、
アマチュア故に他の選手より劣るセーリング技術を熟練者でも扱いの難しい船の性能でカバーするという思惑自体矛盾しているが、
極めつけに、彼はレース当日までトリマランを使った練習すらしていなかった。

こんな行き当たりばったりな計画では出発刻限までに満足なヨットが出来上がるわけもない。
レース後のセールスを目論んでいたナヴィゲーションの取り付けも全て間に合わないまま、期限ギリギリで出航。
ナヴィゲーションの未完成部分は航海しながら完成させなければならなくなったが、出港間際の混乱でスペア部品の持ち込みを忘れるというトラブル・ミスに見舞われた上、
結局未完成部分を航海中に完成させることは出来ず、事実上持ち込んだナヴィゲーションはガラクタになってしまった。

案の定、ヨットは当初の予定の半分も進まない。
開始2週間で浸水し、排水ポンプがうまく動かない。即沈没というわけではなくとも、これでは速度が出るわけがなかった。

当然、彼が無線で伝えていたヨットの速度は、真っ赤な嘘であった。
アマチュアが歴戦のヨット乗りの記録を上回る速度を出しているという時点で、おかしいと思う関係者もいた。
クローハーストは、最速偽装を試みたと言うよりは、速度の相場感覚が分からないままにホラを吹いてしまったと思われる。

また、「無寄港」というのがレースの条件であるのに、南米・アルゼンチンに無断で寄港していたことも後日明らかとなっている。もちろん、これは本来なら即失格となる重大な反則行為である。

上手くいかない航海と、嘘の記録を信じた陸の上では優勝候補筆頭と目されている状況のギャップ、
自分とは違って真っ当にレースに挑んだライバルたちの記録を、自分の嘘で穢してしまいかねないという重圧は彼を追い詰め、
日誌の後半に差し掛かると、その内容にはわけのわからない思索が記されるようになっていった。
彼は「自分は世界一周できる」という根拠のない自己暗示と共に航海を続けながら、上述の要因に追い詰められて精神を病んでいったと考えられている。
そして、先述の唯一のライバルの脱落によって(嘘の記録を元にした推測で)自身の優勝がほぼ確実視されたことがトドメとなったのか、
精神が限界に達した彼は7月1日の日記の記述を終えた後、海に投身自殺を図ったと思われる。


本来なら、レース挑戦が無謀であることに気づいた時点で棄権すべきだったのだろう。
実際、日誌にはかなり早くに自身の挑戦が無謀であることに気づいたことが記されていた。
しかし、そうすれば待っているのは、支持者たちの厳しい目と莫大な借金の山である。もはや彼は後戻り出来なくなってしまったのだ。

最早レースの続行が不可能と判断した彼は、海上に隠れて頃合を見計らい、あたかも世界一周を果たしたような顔でゴール地点に現れようとしたと推測されている。
しかし、世界記録の認定は当然厳しく、当然専門家による真偽のチェックが入ることが予想される。世界一周航海なら、真っ先に調査対象となるのが航海日誌だ。
そして、航海日誌の捏造はただ事実を記した日誌を作るのと比べて非常に難しい。*8
普段趣味でヨットを乗り回すだけのクロウハーストに、そんな捏造技術があるはずもなく、経験者が精査しようものなら一発で捏造がバレるのは確実であった。
それでも、2位以下でゴールすれば*9日誌の精査も適当になると思われ、彼もこれを狙っていたのであろうが、
よりにもよって唯一残っていたライバルがリタイアしてしまったことで、クロウハーストの最速到着がほぼ確定してしまった。
これにより、ゴールした後に自身の航海日誌がきちんと精査されるのが確実となり、日誌の嘘がバレて失格とされる未来もまた確実となった。

ゴールすればまず間違いなく日誌の嘘がバレて経済的・社会的な破滅は確実。
かといって棄権しても、これまで嘘をついていたのがバレてしまい結末は同じ。例えバレなくてもゴールできなかった時点で経済的に詰んでしまう。
クロウハーストは、ゴールしてもしなくても破滅するという袋小路に、半ば自ら迷い込んでしまっていた。

そんな彼に残された唯一の方法は、逃げる=自殺することだけだったのだ。

残された航海日誌には、捏造した2冊目の航海日誌の存在が記されていたが、その日誌はついに発見されなかった。
おそらくはそれを抱いて海に身を投げたクロウハーストと共に、大西洋の藻屑となったと考えられている。


経緯だけを見れば、身の程を弁えずに無謀な挑戦をしたクロウハーストが、自分の嘘で自らの首を絞め、自らの破滅を招いた悲劇ともいえるだろう。
しかし、彼の中から棄権という選択肢すら取り去られ、自殺以外の選択を取ることが出来なくなったのは、
周囲がクロウハーストの想像以上に盛り上がって彼を持ち上げ、その熱意と善意が彼の退路を断ってしまったのも要因であるだろう。
彼が自分の腕に見合わぬ挑戦をしたことの罪は、果たしてその命まで失わなければならない程に重いものだったのだろうか?

支援者たちも薄々このことを察し、その後ろめたさもあったのかもしれないが、事実が明らかになるとクロウハーストの遺族に対する募金運動が始まり、
また、おそらくは世間に公表される前に経緯を知ったであろう優勝者のロビン・ノックス・ジョンストンは、自身が獲得した優勝賞金を全て遺族に寄付することを発表。
突然父を、夫を失ったクロウハーストの遺族に救いの手が差し伸べられたことは、この話の少ない慰めの一つと言えるだろう。 

彼のヨットは、カリブ海のとある浜辺にポツンと放棄され、現在ではハリケーンによりほとんど崩壊しているという。



■文学や芸術作品への影響

悲劇的な結末を迎えたこの事件は、様々な作品の題材となっている。以下に代表的なものを挙げる。

  • Гонка века(邦訳:世紀のレース)
1986年制作のソビエト映画。
ゴールデン・グローブ・レースとクロウハーストの運命を題材とし、資本主義におけるきりのない競争社会を批判した映画である。
クロウハーストが強欲な出資者に無理矢理レースに参加させられたり、テトリーがレース中の沈没によって死亡*10したりするなど事実と異なる点も多い。

  • deep water
2006年制作のイギリスのドキュメンタリー映画。
クロウハーストの遺した音声テープやビデオテープと、過去の映像フィルムやインタビュー映像から、クロウハーストの航海について再構築している。

  • The Mercy(邦訳:慈悲)
2017年制作のイギリスの伝記映画。
主演は、『キングスマン』や『英国王のスピーチ』で知られるコリン・ファース。
邦題は『喜望峰の風に乗せて』。タイトルに惹かれて海洋ロマン物を期待していたら、結末に絶句すること必至である。というか、クロウハーストは喜望峰近辺にすら到着していない。
出港シーンを実際の出港地であるテインマスで撮影したり、当時の市長の息子が市長役を演じていたりとかなり凝った作品である。

  • 奇跡体験!アンビリバボー「ヨットレース史上最大の謎 過酷な世界一周に挑む男」
2009年2月5日放送のテレビ番組。
前半は過酷な世界一周レースに挑む男の冒険物語として紹介されるが、後半にその謎が明かされる。
最初に「謎が謎を呼ぶ壮大なスペクタクル」、「最大のミステリー」と言ってしまっているので、何かあるのはバレバレなのだが。
番組のほとんどが再現ドラマで構成されているので非常にわかりやすくまとめられている。



追記・修正は単独無寄港世界一周を達成した人にお願いします。


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最終更新:2024年03月21日 22:20

*1 休暇の日曜日にヨットを楽しむということから、サンデーセーラーとも呼ばれる。

*2 正確な位置を測定するための計器。

*3 前年の1967年にゴールデン・グローブ・レースの審判長でもあるフランシス・チチェスターが史上初の単独世界一周に成功しており、このときはシドニーに一度だけ寄港していた。

*4 三つの胴体から成り立つヨット。二つの胴体から成り立つヨットはカタマラン(双胴船)という。

*5 出港地であるテインマスと自身の社名から名づけられた。

*6 現代と違ってGPSで場所を把握するなんてことはできない。六分儀と呼ばれる専用の装置を用いて位置を測定する。

*7 史上初の単独無寄港世界一周の達成者として、サーの称号が与えられた。その航海の詳細と苦難は邦訳もされた『スハイリ号の孤独な冒険』に詳しい。なお2023年現在84歳でご存命である。

*8 GPSの開発が始まったのは1970年代。当然この時代には存在しないので、航海者の現在位置の把握は天体観測で行うことになる。そのためには、実際とは違う想定位置からの天体観測結果を適確に記す必要があり、相当な計算能力と天文学の知識が必要になる。

*9 ゴールさえすれば借金の返済はしなくてもよい、と出資者から約束を取り付けていたという。

*10 実際は救難信号を発して救命いかだで脱出し、救助されている。またレースでは残念賞をもらい、その金でまたヨットを建造したりしたが、1972年に自殺と思われる死を遂げている。